2017年02月18日

GMT Combat Commander 再インストール

20年ぶりに「前線復帰」を果たしたT後輩にGMT「Combat Commander」をインストールした。20年ぶりともなると、山のように新作が出ており、何からインストールすべきか悩んでしまうが、できるだけタイプの異なるゲームを紹介できたらと思っている。かく言う私も、偉そうなことを言えるほどにはプレイできていないのだが。「Combat Commander」も、最後にプレイしたのは10年近く前になるかもしれないが、ケン先生的にはお気に入りのゲームの1つで、「お蔵入り」せずに手の届くところに置いてある。

「Combat Commander」は、カードドリブンによる戦術級の歩兵戦闘を再現している。基本単位は分隊だが、指揮官は1人単位でユニット化されている。古典的名作「スコード・リーダー」を簡素化して、カードドリブンでプレイアビリティを上げたイメージ。ただし、車輌や戦車は出てこない。これは、車輌ルールを入れると、ルールのボリュームが倍近くなってしまうことや、実際の二次大戦の戦場の大半は車輌など出てこなかったことに起因している。日本軍は当然ながら、ドイツ軍でもソ連軍でも、「戦場で戦車の支援など受けたことも無い」という歩兵はザラだったようだ。

後輩も言っていた通り、ルールを読んでもイメージできない特殊性があるものの、実際にプレイしてみると、ルール自体は難しくない。T後輩も、高低差も砲兵支援も無い第一シナリオをプレイして、ゲームの概要は理解できたようだが、それとプレイの難易度は異なるもので、「何をしたら良いのか」の判断には苦労していた模様。
独軍とソ連軍の遭遇戦で、後輩がドイツを持ったが、ソ連軍の物量を前に、あるいは白兵戦で叩かれ、あるいは濃密な火線を敷かれて射撃され、一方的に叩かれる展開になった。
この日は結局、2シナリオを計4回プレイしたが、「何をどうすべきか」を理解するには至らなかったようだ。

シミュレーションゲームに限った話ではないのだが、共通する基本原則というものがある。それは、

・戦力を集中する
・遊兵をつくらない
・相手が嫌がる(やりたい)ことをする


である。この手のゲームでは、つい攻撃力の高いスタックをつくって「1人で大暴れ」させようとしまいがちだが、攻撃側の場合、同程度の攻撃力のチームを2個つくって、同じ目標を2回射撃した方が、格段に撃破率が高くなる。本ゲームの場合、交互に手番が回ってきて、防御側は「士気回復」カードを温存していることが多いため、一回の攻撃ではすぐに回復されてしまう可能性が高い。故に、攻撃側は「射撃」「射撃」「敗走」のコンボで、一手番で目標の戦力を目減りさせるのが望ましいことになる。もちろん、現実は思った様には進まないのだが。
また、防御側の場合、つい重要拠点にユニットを山積みして死守しようとするが、どんなに頑張っても限界があるし、頑張れば頑張るほど被害が続出して、重要拠点は守れても損害過多でサドンデス敗北に終わる恐れがある。防御側は基本的に時間さえ稼げば勝てるので、「どこで時間を稼ぐか(相手のカードを使わせまくるか)」を考え、同時に守るだけで無く、反撃に転じて攻撃側のユニットを少しでも減らす工夫が必要となる。本作の良いところは、「守るだけじゃダメなんだ!」ということを骨身に教えてくれるところにもある。

自分も10年弱ぶりにプレイしたので、忘れていたことも多かったし、自分が巧手だとも思わないが、しばらく後輩相手に「リハビリ」したいと思う。
久しぶりにプレイしたが、あらためて熱くなる好ゲームである。この機会に「太平洋」も必要なところだけでも翻訳するか・・・・・・
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

化学総連が自民支持を決定

【化学総連は自民を支援 次期衆院選 連合離脱、民進離れ加速も】
 昨年まで民進党最大の支持団体である連合に加盟していた「全国化学労働組合総連合」(化学総連)が次期衆院選で自民党を支援する方針を決めたことが13日、分かった。化学総連幹部が同日、自民党本部で茂木敏充政調会長らと面会し、意向を伝えた。政府が進める働き方改革への要望やエネルギー政策についても意見交換を行った。
 大手化学各社の労組でつくる化学総連(昨年7月1日現在、組合員4万6348人)は昨年5月、春闘などで連合との窓口になっていた「日本化学エネルギー産業労働組合連合会(JEC連合)」との協力関係を解消し、連合を離脱した。
 「独自に政策提言したい」との理由だったが、昨夏の参院選に向け共産党との選挙協力を進めていた民進党への不満があったとみられる。産別労組全体の離脱は平成元年の連合発足以来初めてだった。
 連合では最近、「民進党離れ」が加速。神津里季生会長の出身産別である基幹労連が昨年4〜5月に組合員に支持政党を尋ねたところ、自民党が約23%で、民進党の約18%を上回った。
 今月9日には、連合の有力産別である電力総連の小林正夫参院議員が代表世話人を務める民進党の「連合組織内議員懇談会」が野田佳彦幹事長と面会。次期衆院選公約で執行部が検討している「2030年原発ゼロ」について慎重に判断するよう申し入れた。
 一方、神津氏は昨年12月に安倍晋三首相と会談し、働き方改革などで意見交換。同年11月には自民党と連合の幹部が5年ぶりに意見交換会を開き、政策協議を行う機会が急増している。
 神津氏は民進党と共産党との共闘を批判し、連合の次期衆院選基本方針でも「連合が共産党と連携することはあり得ない」と明記。今後、化学総連のような動きが加速する可能性もありそうだ。
(2月14日、産経新聞)

化学総連が連合を脱退した件は、すでに「遠心力働く連合」で扱ったが、早くも自民支持を決定した。
連合が自民党と合一的である理由について」で説明した通り、すでに正社員互助会と化した連合の利害関係は、民進党よりも自民党に近くなっており、連合が民進党を支持する理由はすでに大方失われている。にもかかわらず、連合が民進支持を保持し続けているのは、「野党第一党の最大支援組織」としてのポジションを保つことが政府、自民党に対する最大の影響力となり得るという判断に起因している。だが、もう一つは、「民進支持を止めて自民支持に転じる」だけの交渉コストを支払うだけの体力が、すでに連合に無いことに依る。

化学総連が連合から脱退したのは、もともと巨大な加盟費に比して得られる利益が少なすぎることと、もはや民進党を支持し続けることに組合員の合意が得られなくなっていることが原因になっていると考えられる。
これは化学総連に限った話ではなく、連合傘下の組合の大半に共通する問題で、基幹労連のような右派組合はおろか、いまや自治労やJPでも組合員の2割以上が自民党に投票していると言われ、旧総評や同盟といった枠組みとは無縁であることが分かる(基幹労連も総評だが)。むしろ旧同盟系の方が組合内の内部統制が強固であるため、民進党への投票が多いという話も聞くくらいだ。

「野党第一党の最大支援組織」であり続けたい連合と、選挙に勝つためにはNK党との連携が不可欠になるまで力を失っている民進党の利害は、今後ますます一致点が少なくなってゆくものと見られる。同時に、連合内で「民進支持」の合意が保持されなくなるのは時間の問題であり、「自民支持」に舵を切るか、分裂するかの選択肢を迫られる日が近づいている。
posted by ケン at 13:06| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

赤い貴族は自民党支持

【<次期衆院選>民進に危機感 基幹労連の組合員支持逆転】
 民進党を支持する産業別労組「基幹労連」が昨年4、5月に組合員を対象に実施したアンケートで、自民党支持率が民進党支持率を初めて上回った。民進党関係者は「こうした傾向は基幹労連に限らない」とみており、次期衆院選で党勢回復を図りたい同党は危機感を強めている。
 アンケートでは「支持政党なし」が約53%で最も多く、自民支持約23%、民進支持約18%。安倍晋三首相が経済界に賃上げを直接要請する「官製春闘」が定着し、政府が働き方改革に着手していることなどが、組合員の自民支持につながったようだ。ある民進党衆院議員は「(経済政策)アベノミクスの恩恵で給料は上がっている。比例代表で組合が抱える候補に投票しても、選挙区では民進党の候補に投票しない組合員がどの組織でも少なくないだろう」と指摘する。基幹労連は鉄鋼、造船重機、非鉄、建設などの産別労組。連合の神津里季生会長は基幹労連出身だ。
(2月9日、毎日新聞)

「何を今さら」ではあるが、こうして数字が表になるのは良いこと。長くなるが、過去ログから再掲しておきたい。
連合は民進党に「安倍政権との違い」を求めるよりも、自民党支持に転じて政策要求した方が、はるかに自分たちの主張を実現させられる可能性が高いのだ。実際のところ、今回の新潟知事選にしても、鹿児島県知事選にしても、連合は与党候補を支援している。新潟知事選の場合、連合はまず民進党に原発推進の独自候補の擁立を要求、できないとなると、自民党の候補を支持した。最初から無理難題をふっかけて、民進党を封じて、与党候補の支持に回るというのが、連合のやり口なのだ。
連合はなぜ自民党を支持しないのか) 

連合は、ナショナルセンターの総評と同盟が合流してできたものだが、この二つのナショナルセンターは、戦後和解体制における最大の受益者でもあった。そして、戦後和解体制下で得た正規雇用労働者の「特権」の数々を維持するために、90年代以降の構造改革に積極的に協力していった。非正規雇用を容認する労働法制改悪を容認したのは、正規雇用者の待遇を守るためだった。最低賃金の引き上げに消極的なのも同じ理由から説明される。
電力総連や電機連合が原発を支持し、自動車総連がTPPを支持するのは、まさに「正社員の待遇を守るために経営側に積極的に協力する」という戦後和解体制の慣習そのものなのだ。だが現実には、原発の下請けや自動車工場の期間工や外国人労働者を見た場合、『蟹工船』同様の惨劇がまかり通っており、正社員の待遇は同じ労働者の搾取の上にしか成り立っていない。
つまり、戦後和解体制の残滓となっているのが連合であると解釈すると、分かりやすい。大企業の正社員互助会である連合としては、組合員の待遇を守るためには、今まで通り資本に協力するのが「合理的」であり、それは非正規雇用労働者を積極的に搾取することでしか成り立たない。そのスタンスは自然、野党では無く、自民党や政府に近いものにしかならない。
にもかかわらず、民進党を支持し続けているのは、hanamaru同志が指摘されているように「野党の最大支援組織」というポジションが、自民党に対しても政府に対しても最も有効な交渉材料(カード)であるためだと推測される。そして、その「ムリ」が表面化しているのが、昨今の惨状なのではなかろうか。
連合が自民党と合一的である理由について
 
連合の主な加盟員である、正規雇用労働者というのは、同じ工場で働く期間工や外国人労働者と同質の労働を担いながら、雇用が保障されると同時に、数倍の給与が支払われているものたちであり、それは言うまでも無く、期間工、外国人労働者、下請けに対する過酷な収奪の上に成り立っている。これは、ソ連型社会主義が、農民に対する過酷な収奪の上に成り立っていたことと相似形にある。大企業において、労働組合の役員を担うことが出世の条件になっていたり、縁故採用の核になっていたりするところは、ソ連における「ノーメンクラツーラ」を思い出させる。

その意味では、連合の中でも最右派と目される基幹労連において、自民支持が23%「しか」なかったことと、民進支持が18%「も」あったことは、むしろ驚くに値する。同時に、「支持政党なし」が過半数である事実こそが彼らの非階級性(社会のどの階層にも属している意識が無い)ことを表しているのかもしれない。つまり、根源的には自民党と利害を一致させていながらも、意識はされていない、ということなのだろう。
そして、連合幹部はこの無自覚を利用して、「野党の最大支援組織」の地位を、あるいは交渉カードとして、あるいは民進党の「行き過ぎ」を抑止するストッパーとしての役割を果たすよう、策謀を重ねていると見て良い。結果、連合は自民党・霞ヶ関から「赤い貴族」の地位を配慮されつつ、野党第一党が野党として最低限以上の機能を果たさないよう監視する地位に収まっている。政府による「働き方改革」や「同一労働同一賃金」が骨抜きにされた無内容のものになり、原発再稼働・再建設に舵が切られている事実がこれを裏付けている。

もっとも、上の状況は右派組合に限った話ではない。聞くところによれば、左派系組合の雄たる地方公務員の組合でも、2012年の総選挙では組合員の25%前後が自民党に投票、同14年の総選挙でも20%前後が自民党に投票しているというのだから、状況としては殆ど変わらないのかもしれない。
posted by ケン at 12:23| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

ルペン氏が快進撃中

【極右政党ルペン氏が図るフランス革命、ユーロ離脱と「新フラン」発行】
フランス極右政党、国民戦線(FN)のルペン党首は、大統領選で当選すればユーロの通貨同盟を離脱し、金融政策を国家の手に取り戻して新たな通貨を発行する計画だ。同氏の主任経済顧問が明らかにした。
 アドバイザーのベルナール・モノ氏は4日にリヨンで開かれた集会に際して、ルペン氏の政策を説明。米国でドナルド・トランプ氏を勝利に導いた大衆迎合主義にならい、「金融の主権を取り戻す」ことがルペン氏の政策の重要な柱だと述べた。4月23日に行われる第1回投票についての世論調査では、ルペン氏が支持率首位を保っているが、決選投票での勝利を示唆する調査結果はない。
 ルペン氏は当選した場合、直ちに欧州連合(EU)首脳と欧州中央銀行(ECB)の会議を招集し、かつての欧州通貨単位(ECU)のような各国通貨のバスケットを採用してユーロに代えるよう要請する考えだという。フランスの通貨は恐らく「新フランス・フラン」という名称になり、当初はユーロと等価に設定され、その後はEU通貨バスケットに対する変動幅を20%までに制限すると、モノ氏は述べた。
(2月7日、ブルームバーグ)

フランス大統領選は、極右と強硬右派の二択になりそうだったが、フィヨン氏がスキャンダルで脱落しそうな状況にあり、「中間派」と言われるマクロン氏が浮上してきたが、「社会党の新自由主義者」との批判もあって有力候補と見なされるには至っていないし、スキャンダルも出ているようだ。現状では、決選投票になってもルペン氏が有利な状況にあり、よほど「反ルペン」が結集して大運動化しない限り、ルペン氏が集票を強める流れにある。なお、政権与党である社会党を中心とする左翼連合は、社会党のアモン氏を大統領候補に選出したが、その支持率は10%強でしかなく、「選挙に出るだけ」の状態にある。
とはいえ、トップのルペン氏にしても、現状の支持率は25〜30%でしかなく、決選投票になると厳しい闘いになるのは間違いない。だが、フランスでは、既存政党や既存政治家に対する不信と不満が蔓延しており、アメリカの「トランプ現象」と同様の空気が社会を覆っており、「共和国の理念を信じるフランス人がルペンに投票する訳が無い」などという発想は、「クリントン圧勝」神話と同じ過ちに直結する。

今回の大統領選挙で25%以上の支持率を有し、2014年の欧州議会議員選挙では25%の得票で74議席中24議席を獲得した国民戦線(FN)だが、国民議会における議席はわずか5でしかない。これは、選挙制度によるもので、フランス国民議会は小選挙区制を採用、ただし一回目の投票で過半数を獲得した候補がいない場合、決戦投票が行われる仕組みになっているため、日本のように相対多数で勝利できない。結果、FNの候補者は、一回目の投票でトップに立っても決選投票で落選してしまうケースが多い。2015年に行われた州議会選挙(地方圏選挙)も、似た仕組みが採用されており、FNは一回目の投票で全国平均28%以上の得票をしたにもかかわらず、「敗退」を強いられている。この際、ルペン党首は、「国民戦線を排除するために主要政党が協力し合ったせいだ」「自分たちは嘘と情報操作による実に不当な形で与えられるべき地位を奪われた」と非難声明を出している。

これが示しているのは、「急進主義、過激派を抑えるため」に設置されたシステムが正常に作動した結果、相対多数の民意を反映させられなくなっているという、デモクラシーにとって「不都合な事実」である。より正確さを期すならば、「急進主義、過激派を抑える」というリベラリズムの原理が、「民意を正確に反映する」というデモクラシーの原理を阻害しているのだ。このシステムは、自国でナポレオンを輩出し、隣国で選出されたヒトラーに蹂躙されたことに対する強い反省から生まれたものだが、「自由と民主主義が相反する」事態までは想定していなかったのだろう。
だが現実には、フランス市民の3割もが「自らの主権が政治に全く反映されない」状態に置かれ、しかもその3割が相対多数を形勢している点にこそ重大な問題がある。ルペン氏の主張が「正しい」かどうかは別にして、デモクラシーの原理に反して主権者が疎外されていることは確かなのだ。そして、リベラリストはこの点について口を閉ざしたまま、極右勢力を声高に非難し続けるため、彼らの「リベラル嫌い」を加速させた上、デモクラシー不信を強めてしまっている。つまり、リベラリストが、自由と民主主義を転覆させる意志、あるいは暴力主義の根を育てている側面があるわけだが、自由主義者はそれを認めないがために事態を悪化させている。
あとは補足。

西側諸国では、長いこと「自由と民主主義こそが豊かさの源泉である」と喧伝されてきた。ところが、ソ連・東欧ブロックが瓦解し、世界の半分が「市場開放」された結果、経済のグローバル化が進むと同時に労働賃金のフラット化が進んだ。
具体的には、ヨーロッパでは工場が東欧に移転し、日本では中国に移転した。同時に、賃金の相対化が進み、非正規雇用や移民労働者の増加によって、雇用環境の悪化や賃金の低下が進んだ。また、高齢化に伴い、社会保障費が急騰して国家財政を圧迫、同時期に東側陣営が崩壊したことも相まって、社会保障の切り下げが始まった。「狡兎死して走狗烹らる」である。
こうして後に残されたのは、「収奪する自由」と「収奪される自由」だった。本来のリベラリズムは、機会均等を実現するために国家による再分配を肯定するが、今日では「経済成長のため」と称して真っ先に再分配機能が削られている。
具体例を挙げるなら、無能な正社員と有能な非正規社員がいるとして、リベラリズムは、正社員のクビをきって他方を正社員に据える「自由」と、正社員から多額の税を取って他方に再分配する「公正」の2つの選択肢を容認する。だが、現実の自由主義国家では、双方とも機能せず、有能な非正規社員はひたすら収奪される存在となっている。
そこで疎外された者たちが自由を怨嗟しているのに、それに対してリベラリストが「自由こそ至上の価値」と高説してみたところで、逆ギレされるのがオチだろう。そして、それがヘイトの原動力となっているのだが、リベラル派は全く自覚が無い。
敵はリベラルにあり・補) 

彼らの不満を解消するには、リベラリズムを否定し、引いては自由貿易を止めて保護貿易に転じ、国内の産業育成に努めると同時に雇用を確保、さらに移民を排斥するか同化を強制して、国民に一定の労働賃金と待遇を保証する必要がある。
「差別はイカン」というのは倫理的には正しいが、自由主義の下で移民が大量に呼び込まれ、賃金の低下に拍車がかかって、国民の生活水準が激しく劣化してしまった以上、それを放置して倫理や道徳を訴えてみたところで、何の力にもならない。彼らは、商店にパンも肉も無いのに、社会主義の「可能性」ばかり訴え続けた東欧の共産党と同じ過ちを犯しているのだ。
敵はリベラルにあり?)
posted by ケン at 12:05| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

自衛隊日報廃棄と公文書管理法について

【<南スーダン日報>1カ月、防衛相に連絡なし】
南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されている陸上自衛隊施設隊が、首都ジュバで大規模な戦闘が起きた昨年7月7〜12日にまとめた日報を3カ月足らずで廃棄していた問題で、これらの日報が存在していたことが6日、分かった。防衛省統合幕僚監部が同日、明らかにした。
 日報は、ジャーナリストの布施祐仁さんが2016年9月30日に情報公開請求したところ、防衛省が同12月2日付で「既に廃棄」と回答していた。神奈川新聞社の取材に対し、統合幕僚監部は「(廃棄を理由に不開示決定したが)その後再度、日報存否の範囲を広げて探索したところ、当初の探索範囲の外である統合幕僚監部(東京都新宿区)において日報が見つかった」と説明した。情報公開請求があれば応じる、としている。統合幕僚監部は当初、「報告を終えた時点で使用目的を達することになり、報告の終了をもって廃棄とした」と説明していた。
 これを問題視した自民党行政改革推進本部長の河野太郎衆院議員(15区)が防衛省に文書管理の改善と、日報を再度探すよう求めていた。統合幕僚監部は河野議員に対し「電子データとして日報が残っていた」と説明。廃棄した、としていた日報全てが「残っている」と答えたという。南スーダンでは16年7月7〜12日かけて政府軍や反政府組織による大規模な戦闘があり270人以上が死亡、非政府組織(NGO)の施設が襲われ女性職員がレイプされたり、略奪されたりした。日報にはこのときの自衛隊の対応についても記載があるという。
(2月6日、神奈川新聞)

公文書管理法ができた理由(立法根拠)の1つは、対テロ戦争支援でインド洋に派遣された海上自衛隊の補給艦「とわだ」が「誤って」航海日誌を裁断機に掛けて処分していた事件にあった。その後、防衛省でもIT化が進んで、南スーダンの日誌も電子データで「発見」されたわけだが、電子化されている以上、物理的理由から廃棄処分する理由は存在しないはず。そして、防衛省側の説明は、「随時発生し、短期に目的を終えるものは1年未満に廃棄可能」という同省の「文書管理規則」に依拠していた。法律がザルなのか、運用者に法治主義が徹底されていないのか、追及すべき点は色々ある。
とわだ事件の報告書には以下のようにある。
【再発防止策】
このような問題点を踏まえ、今後、かかる誤りを二度と繰り返すことがないように、防衛省における文書管理が関係規則類に従い適切に実施されているかを確認するため、平成19年10月10日付けで、防衛省・自衛隊の全組織を対象に、行政文書(行政文書ファイルとして約220万件)の管理状況の調査を実施しているところ[資料6]であり、この調査結果を踏まえ、チェック体制の強化、文書管理に関する教育の徹底、規則類の見直し等の改善措置を今年度末を目途に講じる。

今回の事件は、10年前に「講じられた」はずの文書管理システムの改善が全く機能しておらず、かつ法律では無く省庁規則の例外規定を恒常的かつ広範に適用することで、自衛隊・防衛省が「不都合な事実」を大規模に隠蔽することを可能にしていることを示している。確かに公文書管理法は第5条で、
行政機関の職員が行政文書を作成し、又は取得したときは、当該行政機関の長は、政令で定めるところにより、当該行政文書について分類し、名称を付するとともに、保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。

とあるように、保存期間を「一年未満」にしてはならないとはしていない。だが、同時に第8条で、
行政機関(会計検査院を除く。以下この項、第四項、次条第三項、第十条第三項、第三十条及び第三十一条において同じ。)の長は、前項の規定により、保存期間が満了した行政文書ファイル等を廃棄しようとするときは、あらかじめ、内閣総理大臣に協議し、その同意を得なければならない。この場合において、内閣総理大臣の同意が得られないときは、当該行政機関の長は、当該行政文書ファイル等について、新たに保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。

と定めているように、行政文書を廃棄するためには、防衛大臣の了承と総理大臣の同意が必要であり、同時に同法は、施行令、規則、ガイドラインいずれの段階でも、行政文書の廃棄について例外的な取扱いを一切認めていない。つまり、当該日誌の廃棄には稲田大臣の了承と安倍総理の同意が法律上不可欠なわけで、これを議会で確認、追及しなければ、問題の本質を突くことにはならないだろう。
なお、行政文書の定義は、防衛省が自ら以下のように述べている。
行政文書とは、防衛省の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録を含む)であって、職員が組織的に用いるものとして、防衛省が保有しているものをいいます。また、「組織的に用いる」とは、作成又は取得に関与した職員個人の段階のものではなく、組織としての共用文書の実質を備えた状態、すなわち、当該行政機関の組織において、業務上必要なものとして、利用又は保存されているものを意味します。
防衛監察本部「コンプライアンス・ガイダンス」
posted by ケン at 12:28| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

修士号は論文不要だった件

【大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査】
 文部科学省は26日、大学院で修士論文を作成しなくても修士号を取得できるよう省令を改正する方針を決めた。博士号取得を目指す大学院生が主な対象で、論文の代わりに専攻だけでなく関連分野も含めた幅広い知識を問う筆記試験などを課す。大学院の早い段階から専門分野に閉じこもるのを防ぎ、広い視野を持つ人材を育てる狙い。来年度から適用する。
 現在の大学院教育は、2年間の修士課程と3年間の博士課程に分かれるのが一般的。省令の大学院設置基準では修士論文を提出して審査に合格することが事実上、修士課程を修了する条件になっている。
 文科省は同基準を改正。「博士論文研究基礎力審査」と呼ぶ試験に合格すれば修士号を得られるようにする。審査は筆記と面接で、博士課程で学ぶのに必要な専門分野と関連分野の知識、研究を自力で進める力などを判定する。
 修士課程2年の春から夏に筆記、冬に面接を行うことを想定。博士課程は別の大学院に進みたい場合、入試も受ける必要がある。博士課程に進まず就職する大学院生も多いことなどから、修士論文の提出を条件とする従来方式も認める。
 修士論文を実質的に不要にするのは広い視野と能力を持った人材を育てるのが狙い。従来の修士課程は論文作成のため早い段階から特定の研究室に所属して研究テーマを絞ることが多く、博士課程を終えても産業界から「専門分野には詳しいが応用が利かず、使いにくい」と評価されてきた。
 同省は審査の導入に合わせ、修士課程の教育内容の見直しを各大学に促す。院生が分野を超えて複数の研究室で学べるようにし、専門だけでなく関連する分野の知識も身に付けさせる。将来的には5年一貫教育で博士号の取得を目指すコースを普及させたい考えだ。
 大学院設置基準の改正案については年明けにも国民から意見を募集。その結果を踏まえて来年3月までに改正したい考えだ。
(2011/10/26、日本経済新聞)

「水は低きに流れる」の典型。
5年以上前の記事になるが、自分もすっかりアカデミズムから遠ざかっていたせいか、チラとは耳にした様な気もするのだが、十分認識していなかったので掲載しておく。
現実に基準を合わせると、理想が瓦解する。考えてみれば、自分などが修士課程を修了できた時点で、いずれこうなることは避けられなかったのかもしれないが。
自分が入院した際に、最初に教わったのは、「修士課程で学術論文の読み方と書き方を覚え、博士課程で論文作成を実践する」だったが、あれは一体なんだったのか・・・・・・

確かに現実には、修士学生を水増しした結果、特に留学生の論文など「日本語として読めればまだマシ」というレベルで、そもそも学術論文の形式すら成立していない、学部の卒論レベルにすら達していない感想文水準のものが横行していた。
私が在籍したのは、一応国立の一流大学と言われるところだったので、まだマシな状況にあったが、同時期あるいは後日相談された私立大学の場合、「六大学」級ですら、日本人学生の「論文」が学術論文の形式を満たしておらず、先行研究すら十分に把握されておらず、とても読めたものでないことに驚かされた。しかも、それが平均、一般的と言われ、「終わっているな、どうしてこんな事態になったのか」と思ったものだった。
修士レベルの論文など、「先行研究が適切に追えていれば7、8割完成」と言われるくらいで、形式と手順さえ教えてやれば、「(大学院に入る頭脳があれば)誰にでもできる」と思っていたのだが、どうもそうではなかったらしい。

とはいえ、考えてみれば、私の時代でも院生と留学生が水増しされたせいで、「教授1人に院生と留学生10人」などという状態が当然のように存在していた。かつては「教授1人に博士課程1人、修正課程1〜2人」程度が普通であったのだから、単純に考えて、3分の1以下に水で薄められていると見るべきなのだろう。そうなると、教授が指導できる部分などごくわずかとなり、文字通り形式と手順だけ示して、「あとは自分でやってくれ」と言うしかなくなる。私などは、他の同期や後輩の院生の指導までさせられていたが、殆ど「新兵が新兵の教導を行う」ような話だった。
国立の一流大であれだったのだから、「他は推して知るべし」だったのだろう。

そう考えれば、「基準を現実に合わせる」として、論文審査を廃止するのは現実的な対応なのかもしれない。だが、これは「受験科目に英語があるため、志願者が陸士に流れてしまう」として「英語廃止」を主張した海軍軍人と同じ過ちを犯している。司法試験を緩和して弁護士を増やした結果がどうなったかを想像しても良い。
だが、院生と留学生の水増しは、そもそも大学側の財政事情と、文科官僚の「関東軍的発想」に起因する合成の誤謬であり、高等教育行政のパラダイムシフト(中央統制の廃止)なくしては改善不可能だろう。
色々な意味で「終わっている」のかもしれない。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

1、2月の読書(2017)

ロシア革命100周年ということで、色々な本が出ているみたいだけど、まずは様子見。

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『超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条』 フィリップ・E・ テトロック、ダン・ ガードナー 早川書房(2016)

既出

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『人質の経済学』 ロレッタ ナポリオーニ 文藝春秋社(2016)
「欧州難民問題の構図」の元ネタ。犯罪、テロと見られがちな人質誘拐を「ビジネス」「経済」の視点から解析する意欲的な一冊。少なくとも「経済学」ではないのだが、ジャーナリズムを重視しつつもセンセーショナルに傾斜することなく、中東・アフリカの貧困が誘拐や海賊をビジネスとして成立させ、欧米の対応がそれを加速させている事実を淡々と指摘してゆく。ジハーディストの資金源がどのように形成されているか、実は米欧も「一蓮托生」であることなど、非常に納得度の高い一冊に仕上がっている。特にGMT「ラビリンス−テロ戦争」のプレイヤーは必読。

『データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』 矢野和男 草思社(2014)
身体に装着して人の行動の様々なデータを恒常的に計測する「ウエアラブルセンサ」を用いて収集したビッグデータを解析することで、行動経済学や心理学などで仮説とされたものを立証してゆく。「人は効率的に時間を使えるのか」「職場の生産性を高める要素は何か」「従業員は何によって幸福を担保されるのか」など、それぞれ回答は意外であったり、陳腐だったりするわけだが、科学的データを用いて説明しているので、一定の説得力がある。だが、「科学、科学」と言われると、逆に胡散臭く聞こえてしまうところがあり、ナゾである。

『ベトナム戦争―誤算と誤解の戦場』 松岡完 中公新書(2001)
ベトナム戦争を最新の視点からシミュレートしたGMT「Fire in the Lake」を購入しようとしたところ品切れだったので、できるだけ新しい解説書を読んでおこうと思った次第。ベトナム戦争終結から40年以上経ち、日本では完全に風化が進み、特に冷戦後などに公開された新資料が膨大にあるにもかかわらず、それを用いた研究は多くない。本書はその貴重な一冊で、良いバランスでまとめられており、「おさらい」を兼ねて最良の選択と言えそう。ただ、著者は冷戦研究者のようなのだが、かなり米国寄りの視点になってしまっており、今どきスターリンを「独裁者」などと書いてしまっているのは、ソ連学徒として噴飯ものだ。

『考証 日ソ中立条約』 ボリス・スラヴィンスキー 岩波書店(1996)
グラスノスチとソ連崩壊を経て(一時的に)公開されたソ連の外交文書を駆使して書かれた、主にソ連側から見た日ソ中立条約の研究。格別な新事実や驚きがあるわけではないが、ソ連側当時者たちの生々しい発言や思考が確認できると同時に、日本側の外交担当者がいかに(バレバレの)二枚舌を駆使して条約締結と維持に努めたかが良く分かる。日ソともに1941年春期の国益を追求した結果、条約締結に至っただけの話で、ソ連側としては日米が開戦して日本が敗勢に至るまで、日本による条約破棄、極東侵攻をずっと警戒し続けていたことが実感できて興味深かった。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする