2017年03月27日

忖度と斟酌の違いを考える

森友疑獄に絡んで「忖度と斟酌は何が違うのか」という質問を受けたので考えてみたい。まず辞書的に言うならば、忖度は「他人の気持ちを推し量る」で、斟酌は「相手の事情を考慮に入れる」になる。今少し踏み込むと、忖度は「明確な要求や主張があったわけではないが、特定の誰かの気持ちや希望を推量する」であり、斟酌は「要求や主張の有無に関係なく、何らかの行動を起こす上で、特定の誰かの希望や気持ちを考慮する」という感じだろうか。
用例を見てみよう。まず忖度から。
先生の博士問題のごときも、これを「奇を衒う」として非難するのは、あまりに自己の卑しい心事をもって他を忖度し過ぎると思う。先生は博士制度が世間的にもまた学界のためにも非常に多くの弊害を伴なう事実に対して怒りを感じた。
和辻哲郎「夏目先生の記憶」

山へ遊行するにも此かくの如き有様であるから、登山になれた我々の感情によつて、祖先達の山の感情を忖度することはできない。
坂口安吾「日本の山と文学」

一体防衛庁の予算というのも少しでたらめですね。債務負担行為が非常に多くなったり、繰り越し明許に全部使ってみたりして、それは、実につかまえにくいアメリカの気持ちを忖度して、その上に立った予算だからなんです。
1963.12.4 衆議院予算委員会 淡谷悠蔵議員(日本社会党、のり子の叔父)の質問

次に斟酌。

私は、年少の友に対して、年齢の事などちっとも斟酌せずに交際して来た。年少の故に、その友人をいたわるとか、可愛がるとかいう事は私には出来なかった。
太宰治「散華」

なおこの土地に住んでいる人の中にも、永く住んでいる人、きわめて短い人、勤勉であった人、勤勉であることのできなかった人等の差別があるわけですが、それらを多少斟酌しんしゃくして、この際私からお礼をするつもりでいます。
有島武郎「小作人への告別」

在監者には、朝、昼、夕三回とも、米麦をたしか四・六の割合で、一回ごとに八百カロリー、計二千四百カロリーですから、国民の最低のカロリーはまあ保有しておると思うのです。ところがこれに関連して、三十四条を見ますと、「在監者ニハ具体質、健康、年齢、作業等ヲ斟酌シテ必要ナル糧食及ヒ飲料ヲ給ス」こういうふうに明記してあるのですが、実際こういうふうに、体質とか、健康状態等々によって斟酌して、量を斟酌をして、そういう配慮を実際なされておるのですか。
1960.2.18 参議院内閣委員会 伊藤顕道議員(日本社会党)の質問

学術研究であれば、膨大な使用例を精査する必要があるが、そこはブログという媒体であることを斟酌していただきたい。
つまり、忖度も斟酌も、「他者の背景、事情、気持ちを考慮する、そして可能であれば行動に反映させる」という意味があるのだが、斟酌の場合は背景事情や気持ちが明示されていることが多いのに対し、忖度は明示されていない背景事情や気持ちを推量することに重点が置かれている。
また、文学表現の場合、忖度は必ずしも行動には結びつかず、単に推量に止まることもあり得るが、政治上で使用する場合は推量と行動が直結しているケースが多いようだ。推量するだけでは、政治上の要請に応じられないからだろう。

森友疑獄に際して、斟酌では無く忖度が使用されるのは、便宜供与を求める森友学園や、仲介者となったであろう総理夫人などが具体的な要求をせず、「願望」や「問い合わせ」を行政側に伝え、行政側は慣例に従って政治的要求に従って政治的配慮から行政の裁量権を行使したことに基づいている。

蛇足になるが、忖度は日本の伝統芸ではない。例えば、スターリン体制下の大粛清などは「忖度」が超大規模で行われた結果起きた大惨事だった。そもそも発端となるキーロフ暗殺からして、スターリンの命令では無く、スターリンの感情を「忖度」した治安機関などが勝手に実行した可能性が高い。そして、その後起きた大量粛清も、一々スターリンが具体的に指示したわけではなく、スターリンの恐怖、願望、妄想を忖度した治安当局(エジョフあるいはベリヤ)が粛清リストをつくり、実行していったのである。現代ロシアで起こっている反体制派などに対する暗殺も、プーチン大統領らの意向を忖度して行われている可能性が高い。スターリンにしても、プーチン氏にしても、容易に自らの意思を明らかにしない人物なのだ。但し、チトー暗殺を始め、明確に指示を出した例も散見される。
例えば、スターリンが「フルシチョフ同志の御母堂は確かポーランド人だったな」と言っただけで粛清対象になりかねなかったので、フルシチョフは顔を真っ赤にして全身汗だらけになって全力で否定しなければならなかった。

日本に戻せば、今国会で審議される共謀罪の恐ろしいところは、権力者の意向を忖度した警察が、明確な犯罪容疑や捜査目的も無く、あらゆる市民を監視下、捜査対象にすることを可能にするシステムであることにある。
もちろん、現在でも大手メディアを見れば一目瞭然で、官邸が具体的な情報統制を行わずとも、メディア側が勝手に忖度して政権に不利な情報は隠蔽する態勢になっているので、せいぜいのところ「ファッショにまた一歩」でしかないのだが。
posted by ケン at 12:09| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

Combat Commander:まだ教育中

T後輩にCombat Commanderを教育中。前回は基本ルールを確認するので精一杯だったので、今回は高低差のある地形、迫撃砲、砲撃(砲兵支援)地中海などを試してみることにした。

最初は、1943年ヴェリーキー・ルーキ戦。赤軍の包囲下から夜間脱出を図る独軍歩兵小隊のシナリオ。ソ連軍は、独軍の2倍以上の兵力を有するが、指揮混乱中で手番毎に1つしか命令できない。対するドイツ軍は捨札を選択しても1枚しか捨てられない上、いかんせんユニットが少ないので、除去され始めるとどんどんジリ貧になってしまう。後輩氏がソ連軍、ケン先生が独軍を担当。
初回は、赤軍指揮官が配置されなかった端の方から、独軍が闇にまぎれて突破を図り、ソ連軍分隊を1つずつ撃破、中央に配置された機関銃チームは煙幕で無効化され、ソ連軍は援軍も間に合わずに独軍の脱出を許してしまう。

同じシナリオでもう一度プレイするが、今度はソ連軍はマップ両端に戦力を手厚く配置し、中央に重機を置いた。独軍は中央突破を図るが、途中で移動カードが全く来なくなってしまい、そこに赤軍がスタック・オーバー無視の白兵戦を次々と仕掛け、損害過多で独軍がサドンデス敗北を喫した。

2番目のシナリオは、シナリオ集「Fall of the West」から、1940年5月、マーストリヒト郊外。オランダに降下した独降下猟兵がベルギーに通じるマース河畔の橋を占領、これに対しベルギー軍が奪還を試みる。今回も後輩が白軍、私が独軍を担当。
ベルギー軍は、フランス軍のユニットとカードを使う。ユニットの評価は「ソ連軍よりはマシ」程度だが、いかんせん指揮硬直が激しく、捨札で1枚しか捨てられない(独軍6枚、赤軍3枚)。これは、現場指揮官の自由裁量をシミュレートしたルールのようだが、ソ連軍より硬直的な軍隊って・・・・・・
独軍は、今度も戦力で半分、しかも防御側なのに重機もなく、援軍が到着するまでどこまで持ちこたえられるかがポイントとなる。もっとも、連合軍側も戦力で勝ってはいるものの、独軍は家屋に立てこもって道路を扼しているのに対し、ベルギー軍は平地や畑に全身をさらしているような状態で始まる。
案の定、ベルギー軍は地雷や鉄条網に阻まれて軽機関銃に撃たれまくり、続々と屍を積み上げる。キルレシオで1:5くらいになり、ベルギー側は完全に攻撃力を喪失、独軍の勝利は間違いないように見えた。が、ここで私はサドンデス勝利を確定させようとして、(防御側なのに)敢えて白兵戦を仕掛けてしまい、逆撃を食らって全滅、まさかの損害過多によるサドンデス敗北を喫してしまった。VP的には20点以上勝っていたはずなのだが・・・・・・教育しようとして教育されてしまった。
しかし、やはり一枚しか捨札できないのはストレスが溜まるようだ。

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3番目のシナリオは、シナリオ集「Paratroopers」から、1944年6月10日、カランタン近郊。カランタンは、上陸地であるユタ・ビーチに向かう道とシェルブールに向かう幹線道路を有する重要拠点で、早期攻略を目指して101空挺師団が降下した。だが、ドイツ側も降下猟兵の精鋭を守備に充てており、砲兵支援を受けつつ、反撃に転じる。米空挺団は、降下から4日経ち、すでに迫撃砲弾を撃ち尽くしていた。
CCでは、個々のユニット評価では米軍が最も高く(装備が良い)、その中でも精鋭の空挺隊員であるだけに、信じられないような数字がついている。対する独軍も精鋭の降下猟兵が中心だが、比較すると劣ってしまう。ユニット数的にはほぼ同数。今回もT後輩が米軍、ケン先生が独軍を担当。
ボカージュ・生け垣など、視線を妨害するヘクスサイド地形が多いものの、基本的には平地が多く、守りづらいマップ。開始早々、ドイツ軍の10.5cm砲が猛威を振るい、前方で防御していた米空挺団は次から次へと吹き飛ばされてしまう。米軍はかろうじて残存兵力をまとめて、ドイツ側の迫撃砲陣地を撃破するも、ドイツ軍らしからぬ砲弾の大振る舞いで、敗走を続け、なすすべ無く投了した。
防勢寄りの米軍が前方に配置しすぎたことが大きいとはいえ、ドイツ側も常に良いタイミングで砲撃要請カードが来たので、完全にバランスが崩れてしまった。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

江戸武士の収入を考える

母上から「わが先祖の収入は今の価値にすると、どの程度だったのか?」との下問がなされ、奉答したので、補足しつつ、ここに記しておきたい。「西南戦争の原因を考える」の補足でもある。

幕府御家人だったわが家の正確な石高は分からないが、どうやら百石超の御家人だったらしく、仮に120石とする。幕府の御家人は基本的に「出世」はしないものの(固定役職)、勤務実績に応じて200石程度までは加増された模様。これはあくまでも生産高なので、これに税金「四公六民」が加算され、年貢収入は80石となる。一石は米150kgなので計1万2千kgとなる。もっとも、これは「大名家の模範」たらんとした幕府のみの例外で、他の諸藩では「五公五民」や「六公四民」が一般的だった。
無役だとこれが全収入になるが、わが家は四谷見附の与力役を拝領しており、その役料は150俵と仮定する。一俵は米60kgなので、計9千kg。家禄と合わせると、21トン、4トントラック5台分という量になる。
現代では米10kgで5千円程度だが、これは暴落気味。とはいえ江戸期も時代を経るにつれて米価が低下しているので、一概には言えないが、仮に1万円で計算すると、2100万円となる。自分が考えていたよりも、はるかに裕福だったように思える。
現実には「搗減り」(米を搗くなどの食用処理した際に生じる目減り)などの要素を加味する必要がある様だが、ここでは省略する。

だが、現実には100石超級の家には「槍持1人、中間1人」の常備軍役が課されており、その人件費を含めての家禄である上、下女・下働きの給与も必要だった。また、役料は経費の意味もあり、これで10人以上の家族と家来を養い、職務上の経費も賄う必要があった。そう考えると、当時の人件費は非常に安かったことを考えても、「裕福」とまでは言えない気もする。
ちなみに、江戸後期の中間の給料(年給)は3〜5両、下女の給料は2〜4両。計算し直すが、家禄と役料を合わせた実収入は140石で、このうち60石程度が日常生活で消費され、残りを売却して現金化する。1石1両で換算すると、80両が与力家の「手取り」となり、ここから給金が支払われる。給金の合計を20両とすると、段々苦しくなってくる。

ただ、伝え聞くところでは、地代収入や運上金などもあったようだ。これは家禄とは別に家で所有する土地や権利などから得られる現金収入で、これがそれなりの金額になったようだ。わが家の場合、内藤町あたりに家を構え、中野に相応の土地を有して小作等に貸していたと見られる。
さらに江戸期には「付け届け」が「文化」として横行しており、役職によっては馬鹿にならない額になった。町奉行所などの場合、家禄+役料以上の収入にもなったと言われる。わが家の場合、見附与力という、現代で言うところの「税関課長」に相当するものであるため、やはり相当な額の付け届けがあったと考えられる。
完全に推測でしかないが、上記の「手取り」分と同等額=80両の「その他収入」があると考えると、家人への給金を支払った上で140両が手元に残ることになる。1両は、現代の価値に直すと10〜15万円に相当するので、私が最初に抱いた「裕福」水準に戻ってくる。

なお、幕臣の場合、旗本は婚姻に幕閣の許可が必要だったが、御家人はさほどうるさくなかったようで、わが家の場合、江戸期最後の当主は本郷の米問屋の娘を、前当主は福生の町医者の娘をもらっている。戦略的に町人との通婚を進めることで、殖財と人的ネットワークの構築に努めていたものと見られる。故に、私も人から結婚相談を受けたときは、「フローよりもストックを重視しろ、貧乏人とは絶対に結婚するな」とアドバイスしてきた。
その甲斐があってか、わが家は、御一新でも落剥することなく、敗戦をも乗り越え、私の学費まで余裕があった。
江戸期最後の当主(高祖父)は、どうやら新設の東京市にも出仕していたようだが、息子(曾祖父)を新設の早稲田大学(東京専門学校)に入れ、日本銀行に就職させている。こうした柔軟な思考と適応能力も、わが一族の「家風」なのかもしれない。

以下は補足になる。わが一族が裕福だったのは、幕臣である上に「おいしい役職」にあったためで、同じ家格の武士がみなこうだったとはとても言えない。
一般的には、江戸中期以降、幕府を始め、どの藩も財政危機に陥り、大半の藩で「家禄の借り上げ」が行われた。これは実質的な「賃金切り下げ」で、家禄の3分の1から半分が藩政府に召し上げられた。
例えば、同じ120石の与力家で考えた場合、実支給額60石、「五公五民」で手取り30石になってしまい、役料がない限り、中間や下女はおろか家族を食わせることにも苦労する状態にあったことを示している。

また、時代小説に良く出てくる「30俵二人扶持」の場合、30俵+日1.5kgの米で約2350kg、年235万円となり、現代のアルバイト並みの給与だったことが分かる。
posted by ケン at 12:25| Comment(3) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

時をかける稽古場 2.0

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時をかける稽古場 2.0』 脚本・演出 冨坂友 アガリスクエンターテイメント
3月22日(水)〜3月28日(火) 東京「駅前劇場」
4月4日(火)〜4月9日(日) 京都「KAIKA」


ケンケンさんのお誘いで、劇団アガリスクエンターテイメント「時をかける稽古場 2.0」を観る。
下北沢「駅前劇場」は初めてだったが、文字通り南口真ん前のビルの3階だった。ただし、ハコは非常に小さく、公式上は座席160となっているが、とてもそうは見えず100席くらいにしか見えない上、とにかく天井が低く、圧迫感がある。雰囲気的には、学生劇をやっていた頃の大学の劇場を思い出す。
主にコメディーを演じる若手劇団で、2014年に上演して好評を得た作品をリファインしている。

超遅筆な脚本家率いる若手劇団「第六十三小隊」は、勝負をかけた公演を二週間後に控えながら、台本が1ページも無いという危機に瀕していた。
ある日、稽古場にて偶然タイムマシンを発見した劇団員達は起死回生の策を思いつく。
それは「稽古最終日まで行って、完成したあとの台本を取ってくる」というものだった…!

平日の初日だったが、満員御礼。若手劇団故か、若年層が多く、自分も含め中高年者はチラホラという程度。パイプ椅子の上に一応座布団が置かれているものの、ギュウ詰めな上、2時間の長丁場なので、とにかく尻が痛かった。

確かに熱演で次々と笑かしてくれたものの、テクニックというよりはノリと勢いで笑いを取っている感じ。演技は、自然体ではあったが、決して高いとは言えず、せいぜいセミプロ級のレベルをノリと勢いで突破しているイメージ。とはいえ、舞台全体としては面白いので、特段の問題は無い。
問題はむしろ脚本と演出にありそうだ。コメディーはノリとテンポが重要なのに、このテーマで2時間は長すぎる。つまり、無駄が多い。特に説明部分が冗長なのと、辻褄合わせのシーンが多いことが尺を伸ばしてしまっており、せっかくの面白さを減じてしまっている。せいぜい1時間半くらいにすべきだろう。タイムマシンによる暗転が多いところも、テンポを悪くしている。

学生演劇の延長水準で粗々なところが多いのだが、着眼点、設定、演出、ノリとパワーの点で面白い舞台に仕上がっていることは間違いない。
個人的には「本番2週間前に脚本が上がっていない」とか「劇団が解散して田舎に帰った」とか、実際に身近なところで経験してきたことなだけに、色々と共感できる部分も多かった。
posted by ケン at 13:04| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・下

前回の続き)
低収益・不採算の企業が生き残るということは、市場適性の低い、無能な経営者がトップに居座り続けることをも意味する。アメリカの場合、トップが天文学的報酬を得る一方で、要求される水準を満たせなければ即クビにされる。日本の場合は、企業の存続を揺るがすほどの事態でも起きない限り、経営者の責任が問われることは無い(核惨事ですら責任は問われなかった)。そのため、企業内の昇進も、能力では無く、派閥や政治力学で行われる。その結果、東電、東芝、シャープなどを見れば分かるとおり、無能な執行部が適切な対応を打てずに、延々と責任回避に終始する始末になっている。

また、日本のサービス業に象徴される通り、低価格・低収益の飲食店や小売店が乱立しているため、供給過剰となって低価格化に拍車が掛かると同時に、労働力不足が常態化している。そして、低収益であるが故に収益を上げるためには「薄利多売」する他なく、さらに出店を増やし、長時間労働を強要、低価格化と労働力不足を加速してしまっている。その労働力不足を解消するために、政府は外国人「留学生」と「技能研修生」を動員しているが、本来市場から退出すべき低収益事業を存続させ、低価格化を加速させ、労働市場の劣化(賃金低下と長時間労働)を招くだけに終わっている。

その象徴的なのが、外国人技能実習制度である。これは本来、低収益で生産性の低い地域の地場産業に対し、政府が「奴隷特区」を認め、最低賃金や労働法制を適用除外する外国人奴隷の使用を認める制度になっている。これにより既存の地場産業が存続可能になった一方、地域の低収益・不採算が存続して、限られた資本と労働力を固定化させてしまっている。公正な自由市場が機能する場合、この手の低収益・不採算事業は退出を余儀なくされ、資本と労働力は、より生産性の高い新規事業に移転、集約すると考えられるが、外国人技能実習制度の存在がこれを許さないため、地域で新規事業を興したいと考える若年起業家を、ますます都市へと向かわせている。
また、外国人奴隷の存在は、労働生産性向上に対するインセンティブを失わせ、地域における労働賃金を相対的に下げる方向にしか働かないため、若年労働者をますます都市へと向かわせ、地域の衰退を加速化させている。政府、自民党としては、地場産業の現状維持を図るための方便として外国人奴隷を導入したつもりなのだろうが、将来の発展を放棄して「現状を維持するだけ」になっている。

同じことは、厳格な解雇要件にも言える。倒産寸前にならないと整理解雇が許されない日本は、一部の正社員にとっては都合が良いものの、経営側にとっては低収益の事業を整理して、新事業を立ち上げる枷でしかなく、結果的に低収益事業を延々と継続させる他ない。ところが、低収益事業を継続させるためには、賃金をダンピングしてコストを下げつつ、最小限の人員を最大限働かせることで労働力の最大化を図る必要があるため、低賃金と超長時間労働が横行し、労働生産性を低下させている。
国レベルで言えば大企業、地域レベルで言えば地場産業が不採算部門に人員を抱えたままの状態になっているため、一方で低賃金と超長時間労働が蔓延し、他方で労働力不足が常態化している。実は、この両者も相関関係にある。低賃金と長時間労働は、労働力の疲弊や労働市場からの脱落(労働災害や病気)を誘発して労働力不足に繋がるし、労働力不足は手持ちの労働者による長時間労働を誘発している。例えば、企業の50%が長時間労働の原因を労働力不足に求めながら、実際に必要な人員確保に努めているのは20%に満たないという数字が、これを物語っている。
正直なところ社会主義者としては非難されそうだが、解雇規制の緩和、具体的には金銭解雇の積極的導入は、労働市場の負のスパイラル(機能不全)を解消するために欠かせない要素になっている。
但し、現状では離職した労働者の4人に1人以下しか失業手当をもらっていないため、これを限りなく100%に近づける必要がある。また、労働契約や募集・採用における(待遇)条件提示の厳格化も不可欠だろう。その上で、残業時間上限(理想としては月20時間程度)やインターバル制度を導入し、厳格に適用させる仕組みを構築、逸脱するブラック企業は問答無用で追放する仕組みが必要である。

低金利も負のスパイラルに貢献している。「10年で倍になる貯金は夢か幻か」でも紹介したが、ケン先生の幼少期には銀行に10年定期預金すれば2倍になったのである。これが今ではゼロになっている。高金利時代は、預金すれば増える一方で、投資、運用すれば相応に儲かるため、銀行制度が機能して、市場経済が活性化する。逆に低金利時代は、預金しても一向に増えず、投資、運用しても儲からないため、企業は投資せずに借金の返済に努めることになる。すると、銀行に貨幣が滞留するが、銀行も貸出先が無い。昨今の銀行が担保のある住宅ローンとリスクの高い消費者金融に依存する理由である。
個人から見れば、40年前であれば学資保険に加入しておけば、子どもの大学の学費くらいは何とかなったものの、現在では低金利のため全く足らず、学費の急騰もあって大学生の半分が学生ローンを借りている状態になっている。これは、大卒者の半数が数百万円の借金を抱えていることを意味し、さらに労働条件の悪化、低賃金の蔓延もあって、消費を低迷させ、需要を低下させている。
いまでも度々老人から聞かされる「最近の若者は車に乗らない」とか「留学しない」というのは、単純にそれだけの資金が若者から無くなっているだけの話なのだが、こうした連中が政治の中核を占め、政策を担っているため、ますます状況が悪化している。

国家財政で言うと、社会保障費の肥大化が最大の課題となる。2008年度一般会計予算の社会保障関係費は21.8兆円、一般会計予算83兆円の約26%、国債費と地方交付税交付金等を除いた政策的経費である一般歳出47.3兆円に対しては46%を占めていた。だが、2017年度のそれは、予算97.5兆円に対し、社会保障関係費32.4兆円で約33.3%、一般歳出58.4兆円に対しては55.5%を占めるに至っている。社会保障費はわずか9年間で10兆円以上も肥大化しているが、今後は自然増で毎年1兆円以上の増加が見込まれている。これは、基本的には長命による高齢層の増加に起因しているが、医療技術の進歩による医療費の高騰も一因になっている。
ちなみに今年度は前年比5千億円の増加で抑制されているが、これは自然増分を政策的に抑制しているだけで基本的には「一時凌ぎ」でしかない。野党はこれを批判するわけだが、野党側に社会保障費の肥大化に対する対案があるわけでもなく、無責任の誹りは免れないが、根本的な対応策が無いという点では自民党も政府も無策と言える。

だが、保険料の値上げや増税ができない以上は、歳出そのものを抑制する他なく、放置しておいても毎年1兆円ずつ膨れあがって、政策経費を圧している現行制度を根本的に改める必要がある。ちなみに社会保障費を除く政策経費は、3%の消費増税を経ても、08年の25.5兆円に対し、17年で26兆円にしかなっていない。復興予算や原発処理費用を考えれば、むしろマイナスになっていると見て良い。単純計算なら、社会保障費は20年もたたずに政策経費をゼロにしてしまう勢いにある。この点、食料価格の維持と赤字企業の損失補填だけで国家予算の4割を占めていたソ連末期が思い出される。仮に保険料の値上げや増税が可能だとしても、やはり一時凌ぎにしかならない上、手取りが減れば消費が減退し、景気を悪化させるだろう。
日本人は、普段診療所の窓口で千円とか2千円しか払わないために、医療費がそんなものだと軽く考えている節がある。だが、実際にかかっているのは、3千円であり、6千円なのだ。
75歳以上の高齢者が使う医療費88万円のうち、自分で払っているのは16万円ほどで、40万円は税金の補填、32万円は現役層の保険料からの転用によって賄われていることに気付くべきだ。 
その高齢者はさらに増える一方なのだから、そんな制度が「長く」どころか「短く」すら続かないことはもはや明らかである。
医療費は誰が出すの?、2011.0707)

社会保障費が肥大化する最大の原因は、社会主義者としては心苦しいが、この分野だけ社会主義型の計画経済が採用されているためだ。単純化すれば、国家が医療、介護、保育などの価格を決め、利用者(国民)は、ただでさえ市場を反映しない価格のうち何割かを負担するだけで済むため、「使ったもの勝ち」になっている。本来1万円の治療費も、窓口負担は3千円ないしは無料で済むのだから、「利用しないと損」という感覚になる。薬局で処方される薬の3分の1から半分は服用されずに廃棄されているとも言われる。極端な話では、私の知人に1億円の手術を無料で受けた者もいる。これらは正しく、「安いから」と前日のパンを捨てて、毎日新しいパンを買っていたソ連を彷彿させるが、40年間パン価格を維持するための赤字が散り積もって国家予算の2割に達していた事実を、我々は笑えない。
詳細は、別途記事にしたいと思うが、本質的には社会保障分野の計画経済を廃止し、応益負担原則を強化しない限り、日本の国家財政は社会保障だけで破綻する運命にある。

話を戻そう。低収益の企業や部門が温存されていることが、低賃金と長時間労働を誘発し、労働生産性の向上を阻害、労働生産性が高まらないため賃金が上昇せず、消費と需要が増えないという負のスパイラルに陥っているわけだが、霞ヶ関も自民党も民進党も連合も、ペレストロイカにおける共産党員と同様、自身が最大の受益者であるが故に「現状維持バイアス」が強く、内部で議論すれば必ず「総論賛成・各論反対」となって、実質的な改革は何一つ実現できない構造にある。「働き方改革」で「残業月上限100時間未満」が認められ、「労働時間インターバル規制」が努力義務にされてしまったのは象徴的だ。
ゴルバチョフは、スターリンですら為し得なかった「中央委員会の全会一致」で改革派の頭領として書記長の座に就いたにもかかわらず、党内などの強い抵抗に遭って、上記の通り改革を実現できないまま「ゲーム・エンド」を迎えている。
我々が、ソ連と同じ轍を踏みたく無いのであれば、民主的議会政治の特質を活かし、現行システムの受益者以外の代表者を国会に送り込む必要がある。ところが、現行の選挙制度は「地域の利害代表者を相対多数で選出する」システムであるため、投票率の低さも相まって受益者しか投票せず、国会の圧倒的多数が受益者で占められ、必要な改革に反対する構造になっている。参議院の比例代表制も、既得権益の受益者が代表者を送り出しているだけの構造になっており、これも期待できない。何らかのブレイクスルーを経て代議員の選出方法を抜本的に改革、受益当時者以外の代議員を権力の座につける必要があるが、残念ながら現状では期待できる要素は何も無い。
同時に、日本の統治機構は権力の分立が未熟で、行政府の権力が圧倒的に強く、マスゴミと一体化しているだけに、仮に改革派の政権ができたとしても、民主党鳩山政権のように、あっという間に倒されて、菅政権のような傀儡政権にされてしまう可能性が高い。私の見立てでは、「日本型ペレストロイカ」が破断界を迎える前に実現して再浮上できる確率は「10〜15%」程度だろうと考えられる。
ソ連は一党独裁だったが故に改革に失敗したが、日本の場合、「投票しない自由」を認める民主的議会が改革を拒んでいるのだ。

【追記】
つい最近小耳に挟んだ話だが、民進党の部門会議で電波オークションが議題に上がった際、NTT労組系の議員が続々と立ち上がって反対論をまくし立てたという。「2030年原発ゼロ」に対し、電力、電機、鉄鋼労組系の議員がこぞって反対したのと全く同じ構図だった。電波許可制は、新規参入を拒み、政官業癒着の根源でしかないが、それを廃止して自由競争を導入することに、労働組合が業界を代表して反対している。他にも、タクシー労組の反対で「福祉タクシー」や「ウーバー」にも反対せざるを得ない状況がある(個人的にはウーバーは問題があるとは思うが)。また、連合が「残業月上限100時間」に合意したのは、「残業が規制された場合、不足する労働力を非正規社員の雇用増で対応されるが、その場合、正社員の賃金切り下げが原資にされる可能性が高い」という判断が働いたという話も耳にした。やはり、民進党はペレストロイカの主体には決してなり得ないのである。
posted by ケン at 12:44| Comment(8) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・上

民進党大会がすこぶる白けた雰囲気の中で終わり、その支持率も一桁台で推移している。本ブログで何度も指摘していることだが、本質的には自民党と大差ない政策であるため、「じゃあ自民党でいいじゃん」という評価になっていることが大きい。その背景には、自民党と政策的に親和性の高い連合が民進党の最大の支持団体であり続けていることがある。連合の組合員は、大企業の正社員という、現状における「勝ち組」集団で構成されており、正社員給与の原資は非正規社員からの収奪であることから、連合は資本と自民党に奉仕することでしか、組合員の支持を得られない構造になっている。
結果、政権党と野党第一党が大差ない政策を掲げているため、議会政治に求められる本来の機能である政権交代が起きず、仮に政権交代が起きても必要な改革が行われない構図になっている。これは、民主党の菅・野田政権が自民党とほぼ同じ政策(例えばTPPや原発再稼働、集団的自衛権)を打ち出していたことで証明できる。

ソ連のペレストロイカが失敗したのは、現状の既得権益層にして最大の受益者である共産党が自ら大改革に乗り出したところ、受益者であるがために必要な改革が進められず、逆に共産党員からの支持をも失ってしまい、その危機を民主化=分権化で乗り越えようとしたところ、統制不能の事態に陥ってしまったことに起因する。詳細は「ペレストロイカを再検証する」を読んで欲しいが、その教訓は受益者に大改革はできないこと、大改革を強行するためには権力の集中が必要であることを示している。
まずペレストロイカの「おさらい」をしておこう。
「ペレストロイカ」とは、ロシア語で「改革、再建」を意味するが、それはまさに今日の日本で使用されている「構造改革」だった。
軍需部門の供給が過大で、民生部門や食糧の供給や流通が極めて脆弱だったのに対し、家庭等には貨幣が溢れかえっていた不均衡を改革することが目的とされた。軍需を制限し、民営化や規制緩和を進めることで、民生部門の供給を増やして流通を改善、滞留した貨幣を回収して民生部門の投資に回すことで経済成長を目指したのだ。

ペレストロイカの急務として挙げられるのは、「市場経済化による経済再生」「軍備負担の削減と軍需産業の民需転換」「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」、そしてもう一つ加えるなら、市場経済化と関連して「補助金漬けの赤字財政の解消」があった。

ところが、ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。

最終的にゴルバチョフは、莫大な宿題を抱えたまま、殆ど成し遂げること無く「ゲーム・エンド」を迎えてしまった。
社会主義経済の体制転換は全て失敗したわけではなく、例えばハンガリーの場合、1990年時点で、自由価格率は80%を達成しており、企業民営化も「遅い」との非難を浴びつつも20%に達していた。そのため、ハンガリーでは、他の東欧諸国で見られた大行列の類いは殆ど起きること無く、市場経済と民主化を達成している。
また、中国では農産物の自由価格・流通を先行させて、90年時点で農産物のほぼ全てが自由化されていたため、やはり行列の類いは発生していない。重要なのは、社会主義国でも構造改革に成功した国があるということだ。
デフレ下で構造改革する愚劣) 

ソ連崩壊は社会主義(計画)経済の機能不全によって発生したが、現在の日本はどうだろうか。西側社会ではいまだに言われているソ連の「物不足」だが、現実に物不足が顕在化したのは1987年後半以降のことで、物不足が深刻だったのは3〜5年程度のことだった。つまり、目に見える現象が無いからと言って、国家や社会の安定が保証されるわけではないのだ。

日本国内に目を向けると、労働力人口6500万人に対して、年収300万円以下が2500万人を超えるに至っている。つい15年前には家計貯蓄の多さを誇っていたものが、いまや3世帯に1つは金融資産ゼロになっている。生活保護世帯は164万世帯だが、その捕捉率は20%とも言われ、現実には800万世帯が生活保護水準以下の生活を強いられていることを示している。地域レベルで言えば、例えば大阪市の場合、子どもを持つ3世帯に1つが就学支援金を受給しているという。
貧困そのものは、必ずしも社会や国家の崩壊に直結するものではないが、国政選挙の投票率が6割に届かず、自治体選挙に至っては3〜4割でしかない現状は、現行の民主主義体制に対する国民の合意、あるいは国民統合力が低下していることを示しており、貧困はさらにこれを加速させてゆくと思われる。

現在進行中の日本の危機は、いくつかのレベルで論じることができるが、主なものを挙げてみよう。

・貧困
・デフレ・ギャップ
・低労働生産性
・低金利
・低収益
・歳出の3割を占めて急増中の社会保障費


歴史的には、冷戦の終焉とともに旧東側ブロックが自由市場化されたことで、国際競争が激化した。西欧諸国は、旧東欧圏に工場移転を進め、日本は中国に工場を移転させていった。これにより、国内産業の空洞化が進み、西欧では失業が深刻化した一方、日本は失業を回避すべく社員の非正規化が進められた。
また戦後和解体制は、ソ連ブロックへの対抗上、労働力動員と国民統合を円滑にするため、社会保障制度を整備し、労働者保護を進めたが、ソ連の崩壊と中国の開発独裁化によって「社会主義陣営への配慮(宣伝)」の必要性が失われ、社会保障、賃金、待遇の切り下げが進められた。
特に2000年代に入ると、中国の「世界の工場」化に伴い、財界から賃金ダンピングの圧力が強まって、「小泉改革」に象徴される新自由主義的改革がなされた。その結果、現在では労働力人口6500万人に対して、年収300万円以下が2500万人を超えるに至っている。家計貯蓄の多さを誇った日本が、いまや3世帯に1つは金融資産ゼロになっている。
90年代以降、自民党政府が何度も巨大な財政出動を行ったにもかかわらず、一向に景気が改善されないのは、国内消費が完全に頭打ちで、貧困層を増やしているためだと言える。分かりやすい例えを挙げるなら、自動車工場の工員の大半が非正規化された結果、誰も車を買わなくなってしまったということであろう。

日本のデフレ現象は、バブル期の供給体制が維持されたまま、非正規化などによる賃金ダンピングで需要が低下していることによって起きている。つまり、ソ連とは逆で「店には商品が溢れかえっているが、購入する金が無い」である。
需要が低下しているのだから、本来であれば供給を減らせば需給バランスが取れるものの、日本は供給を減らせない構造になっている。企業倒産を極小化する仕組みや容易に解雇できない制度がそれだ。日本の場合、公的融資制度が充実していると同時に、大企業に対しては政策減税が、中小企業には補助金が手厚く配分されており、欧米に比して倒産件数が少ない構造になっている。これは、一見良いことのように思われるが、現実には低収益の企業を温存し、労働力の移転を阻害、低労働生産性と法人税の減収を常態化させる原因となっている。そして、この低収益が、低賃金、長時間労働、貧困を誘発している。
つまり、公的融資機関、政策減税、各種補助金が、市場の自由競争を阻害し、本来退出すべき不採算企業をゾンビ化させて生き残らせ、経済成長を低迷させている。この点、倒産の無い国営企業群が経済成長を阻害した社会主義国と似ており、公的融資機関、政策減税、各種補助金の縮小、廃止は不可欠だろう。実際、「福祉国家」と言われながら、いまも経済成長を続けているスウェーデンには、この類いのものは存在しないという。
そして、政治家が企業と官僚を仲介し、官僚が減税・補助金を出し、企業が官僚の天下りを受けつつ政治家に献金する、という「腐敗のトライアングル」が日本の成長を阻害して社会をむしばんでいる。旧民主党は、その初期にその打倒と改革を謳っていたはずだが、今では完全に取り込まれてしまって、見る影も無い。
(以下、続く
posted by ケン at 12:37| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

バーバリアンズ・ライジング〜ローマ帝国に反逆した戦士たち〜

半年ほど前にスカパー・ヒストリーチャンネルで放映していたが、録画したまま放置していたので、見てみることにした。CM無しの60分が全8話なので、結構な分量だが、見始めると止まらなくなり、2、3話ずつ視聴した。
1000年以上にわたり恐れられ、征服不可能と思われてきたローマ帝国。当時の人民たちには、自らをローマ帝国の支配に委ねるか、抗い続けるしか生きる術がなかった…。
この番組は、そんなローマ帝国に屈することなく抵抗した勇敢な者による叙事詩である。戦争、陰謀、謎、裏切り、復讐によって支えられた血まみれの権力闘争。それをハンニバル、スパルタカス、アルミニウス、ブーディカ、アラリック、アッティラという史上最も象徴的な戦士たちの視点を通して語ってゆく。700年間の歴史を通し、世界を変えるために灯された革命と自由のためのたいまつを民族から民族、国から国へと灯していく。
歴史における自由の戦士として、建国の立役者として、一般の民の代表として近代の世を創り上げた戦士たちを、ここで再び発見していく。
ヒストリーチャンネルHP
 



制作は基本アメリカだが、撮影はブルガリアで行われ、再現ドラマが映画レベルのエンターテイメント性の高いドキュメンタリーに仕上がっている。ドラマ部分も日本の大河ドラマと違ってリアル路線なので、古代の残虐性もしっかり再現されており、CGも上手く駆使して、映画レベルの規模や戦闘シーンを実現している。
この時代の歴史(古代ローマ)は、殆どの場合がローマ側の視点で描かれ、いわゆる「蛮族」は「ローマ文明と市民を脅かす敵対的な異民族」となるわけだが、本作は視点を逆転させて「蛮族」側に合わせ、「ローマの侵略、圧政、差別に対して立ち上がる異民族」を描いている。
「蛮族王」に「オレ達が欲しいのは自由なんだ!」と言わせてしまう辺りは、どこまでもアメリカンなのだが、そこにさえ目をつむれば、気づかぬうちに「蛮族」に感情移入している自分に気づくだろう。



全8話に登場する「蛮族王」のラインナップは、ハンニバル、ウィリアトゥス(ルシタニア、現スペイン)、スパルタカス、アルミニウス(ゲルマン)、ブーディカ(ケルト族、ブリタンニア)、フリティゲルン(ゴート族)、アラリック(ゴート族)、ガイセリック(ヴァンダル族)、アッティラ(フン族)。自分も初見の人物が多く、斬新な視点と映像を含めて、非常に興味深かった。



肝心のドキュメンタリー部分は評価が分かれるかもしれない。コメントする歴史家は少数で、他に退役軍人が軍事的視点から、政治家や市民運動家が政治的あるいは運動論の視点から現代にも共通する様々な課題を述べるわけだが、必ずしもその時代の歴史や登場人物のこととは限らないので、「もっと本人(王)のことを話せよ」という感想が持たれてもおかしくない。ただ、それとなくローマを現代のアメリカに、「蛮族」を現代の中東やアフリカの諸民族に見立てているようなところがあり、この点も非常に興味深い。
posted by ケン at 11:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする