2019年08月22日

日露関係はまだ終わってない?

【日ロの平和条約交渉「行き詰まっていない」 ロシア外相】
 ロシアのラブロフ外相は15日、日ロの平和条約交渉について、「行き詰まっているとは思わない」と述べた。また、「第2次大戦の結果を認めようとしない日本側の意思が条約の締結を妨げている」と話し、交渉の進展は日本側の対応次第との見方を示した。
 同日、モスクワ郊外で開かれた若者との交流イベントで話した。ラブロフ氏は、北方領土の歯舞群島と色丹島の引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言について、「ロシアは旧ソ連が負った全ての義務を履行する用意がある」と指摘。安倍晋三首相とプーチン大統領の指示に基づき、対話を継続する考えを示した。
(8月15日、朝日新聞)

対日強硬派の一人と目されているラブロフ外相の発言は重い。
今年に入ってから(あるいは去年から)、日露交渉は急速に進まなくなったが、それはロシアが「中露同盟の強化」を対日交渉と天秤にかけ、前者を重視した上、中露交渉が順調に進んだためだった。
普通に考えれば、北方領土の共同開発より一帯一路の方がはるかに経済規模が大きく、軍事外交的にもアメリカの衛星国である日本と平和条約を結ぶことの意義はさほど大きくは無い。せいぜい対中関係の保険程度の意味合いしか無いだろう。
ロシアにとって有利な条件を日本が提示したなら、ロシア側の対応も違っていたのだろうが、安倍政権は変に妥協しなかったからこそ、今回の日露交渉は不調に終わったとみて良い。

とはいえ、ロシアからすれば、中露同盟の強化は諸刃の剣であり、ロシアの対中依存度を高め、その交渉力を低下させることになり、長期的には好ましくない面もある。
それだけに対日カードそのものを切ることはしないだろう。その辺は狡猾とも言えるが、日本側の事情も似たようなものだ。
日本は日本で、アメリカからの要求は増えるばかり、日中格差も広がるばかり、北朝鮮からは無視され、日韓関係も悪化の一途で、東アジアでは完全に孤立、「やっぱ対米従属強化で行くしか無い」というのが霞が関の平均的共通認識になっている。
だが、恐らく安倍首相は必ずしも対米従属一本では考えていないため、日露カードを捨てることはないだろう。

ラブロフ外相の発言は初期のプーチン政権以降、ずっと主張してきたもので、真新しいところは無い。
要は北方四島のソ連による占拠を「休戦条約締結前に起こったことであり、四島は(北海道では無く)千島列島であると認めろ」ということであり、その上で「ロシアは日ソ共同宣言を遵守して、平和条約後に二島を引き渡す」というもの。
米軍基地云々の話は「ネタ」に過ぎない。例えば、色丹島に米軍基地ができるのと、知床半島に米軍基地ができるのとでは、さほどに違いはないからだ。つまり、ラブロフ氏の主張の根幹は「ロシアは安保面で妥協するから、日本は歴史認識面で妥協しろ」ということであり、そこは譲れない一線なのだろう。しかし、日本政府はそこ読み切れず(あるいは外務省が妨害して)、ロシアの提案を突っぱねてしまったのが真相のように思われる。
さはされど、プーチン氏もさすがに長期政権に飽きられつつあり、支持率低下が伺える中で、以前ほど日本に対して妥協できなくなっていることも確かだ。

一旦流れが途絶えたものを復活させるのは容易ではなく、消費増税などでレームダック化して行く可能性が高い安倍政権的には、かなり厳しいものになるだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月21日

自由と民主の統治原理と抽選制議会の可能性について

最近欧州では抽選制選挙による代議員の選出が検討されている。
フランスで大統領候補になって20%近く得票したメランション氏などは、公約に国民議会選挙の一部抽選化を謳っていたほどだ。
これは文字通り、有権者の中から完全にランダムで抽選、当選した者が無条件で代議員となる制度である。
実際、マクロン大統領は政府が作成する法案の諮問する機関の一つ経済社会環境評議会の評議員の一部を市民から無作為で抽選すると述べている。
アイルランドやアイスランドでも憲法を審議するために同制度が用いられている。
歴史的には、古代ギリシアやローマでも抽選制が採用されている。

その背景にあるのはエリートとプロ政治家に対する深刻な不信である。
世界を見た場合、アメリカでトランプ氏が大統領に当選したが、「エリート中のエリート」「政治のプロ」であるクリントン氏を相手に「素人性」を強調したことが大きな原因になっている。
イギリスでは、エリートとプロ政治家がこぞってEU残留を主張したのに対し、ノン・エリートとアマ政治家がEU離脱を訴え、後者が勝っている。
ギリシアのSYRIZAやスペインのポデモスも、既存の社会民主主義政党がエリート化したことに対して、そのアンチテーゼとして「非エリート」「大衆民主主義」などを主張して大きな成果を挙げている。例えば、ポデモスはインターネットを使った全党員による投票を最高意思決定機関としており、エリートと党官僚に基盤を置く政党統治原理を否定している。
日本でも、リベラリズムに基盤を置き、「エリートによる統治」をめざす民進党の系統が嫌われ、「れいわ」や「N国」のような非エリートに票が集まりだしているし、自民党にあっても東大出官僚の大物議員は絶滅しつつある。

その原理は「誰が統治すべきなのか」に起因する。
デモクラシーは「大衆による大衆の統治」「全主権者による意思決定」を旨とする。
「自分たちの支配者は自分たちであり、自分たちのことは自分たちで決める」というもので、だからこそ直接民主主義が理想とされる。

これに対してリベラリズムは「エリートによる大衆統治」「選ばれた優等人物による意思決定」を旨とする。
リベラリズムは本来、王権や貴族のような血統支配からブルジョワジーの財産と権利を守るために生まれた統治原理であり、「王や貴族の横暴から個々人の権利と財産を守る」ことを至上とする。そのため、王や貴族に対抗できる優秀な人物を統治者・調整役として「選出」するという発想になった。これがエリート=選良である。

代議制民主主義は、直接民主主義が物理的に困難であるため、大衆の中から投票によって選出されたエリート代議員が国政を審議し、意思決定を行うという統治原理である。
ところが、1990年代以降、エリートによる統治が上手く機能しなくなり、国内の生活水準が急悪化する一方、エリート層の資産は肥大化、経済格差は拡大の一途にある。中間層の没落はグローバル化の流れの中で避けられない側面はあるのだが、ごく一部のエリートの資産だけが肥大化し、それを肯定する統治(例えば企業や富裕層に対する優遇、あるいは腐敗の放置)に対して怨嗟と憎悪が高まっている。
本来であれば、社会主義政党がこれを是正する役割を担っているわけだが、1950年代以降の戦後和解体制の中で資本と同化してしまい、その党官僚も議員もエリート化してしまった(日本の連合が象徴的)。フランス社会党などはもはや壊滅状態にあるし、ドイツ社会民主党も存続が危ぶまれている。英国労働党は左旋回でかろうじて命脈を保っているという状況だ。

代議制民主主義は「大衆が自ら選出した代議員が正しい意思決定を行う」「大衆によるチェックが働くから腐敗しない」という原理の上に成り立っているが、今の日本の国会を見れば分かるとおり、全く機能していない。
また「大衆による投票」と言っても、小選挙区制の場合、平均的には3割強の得票で選出され、残りの票は死票になっており、「民意が十分に反映されている」とは言えない状況にある。
労働側に視点に立ってみても、大企業のエリート正社員で構成される連合は何人も国会議員を当選させているが、残り9割の非エリート労働者は一人の代表者も国会に送ることができない。これはデモクラシーの原理に反している。

選挙は一見民主的に見えるが、実は「より多数の票を集めたものが総取りする」というゲーム的要素が強く、「ゲームに強い者が勝つ」「流れに乗った者が勝つ」といった要素が非常に大きい。これは「大衆による大衆の統治」とは無縁の話であり、「民主的に選出する」という概念そのものがフィクションに過ぎないと言うこともできるのだ。
丸山某や小泉某を選出する現行制度が果たして「民主的」なのか、あるいは彼らは「エリート」として機能しているのか、懐疑的に検証する必要があるのでは無いか。
であれば、むしろ無作為に選出された者を複数代議員にして政治を諮問させた方が民主的だ、となるのは自然の流れだと言える。
但し、この場合、「選良による統治」が成り立たなくなるので、それはそれで良いのかという話になる。とはいえ、官僚の劣化が著しい現在、そもそも「選良って誰?」「AIでいいんじゃね?」という議論も出てくるので、非常に難しいことになっている。

遠からず現行の統治システムは限界を迎えるので、この辺のことはかなり突き詰めていかないといけないだろう。

【参考】
ダーヴィッド・ヴァン・レイブルック 『選挙制を疑う』 法政大学出版会(2019)
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月20日

在日米軍が撤退する日

【米軍駐留費、交渉難航か=負担増要求、反論の構え−政府】
 トランプ米政権が、同盟国に米軍駐留経費の大幅負担増を要求してくる可能性があるとして、日本政府内に警戒感が高まってきた。
 日本側は「思いやり予算」で既に十分な負担をしていると反論する構えだが、2020年度末に期限が切れる特別協定改定交渉は難航も予想される。
 岩屋毅防衛相は12日の記者会見で「現在、(駐留経費の)相当な部分を負担している。厳しい財政状況もあり、(米側の)理解をいただくべく、しっかり交渉したい」と述べた。
 問題の発端は米通信社が8日、トランプ政権が日本やドイツなどの同盟国に対し、米軍駐留の恩恵を受けている対価として経費総額に「5割を上乗せした額」を支払うよう要求することを検討していると報じたことだ。これを受け、にわかに駐留経費問題が浮上した。
 日本は1978年度以降、米軍施設で働く労働者の福利費や施設労働者の給与、光熱水費など在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)を開始した。2019年度予算案では1974億円に上る。
 04年に米国防総省が発表した米軍駐留各国の経費負担割合によると、日本は74.5%で最大。韓国は40%、ドイツは32.6%だった。日本の負担割合は他に比べて高いとはいえ、「5割上乗せ」となると金額も跳ね上がる。
 思いやり予算を定める特別協定改定に向けた日米交渉は、来年からスタートする見込みだが、来年はトランプ大統領が再選を目指す大統領選が行われる。同盟国に対する駐留経費の負担増要求はトランプ氏の持論。交渉では米側が選挙を意識し、対日強硬姿勢を強める可能性もある。
(3月13日、時事通信)

【大統領の米軍駐留費負担増の要求は「途方もなく愚か」−米下院委員長】
 トランプ米大統領は米軍が駐留する国に駐留経費全額プラス5割の支払いを求める考えだとされているが、米下院軍事委員長はこの案を「途方もなく愚かなアプローチ」だと評した。
 アダム・スミス委員長(民主、ワシントン州)は13日の同委公聴会で、「米国は同盟国に対し、駐留経費全額プラス5割を支払ってほしいと本当に言うのだろうか?」と疑問を投げ掛け、「はっきり言っておくが、これが本当なら途方もなく愚かなアプローチだ」と述べた。
 政権当局者や計画について報告を受けた関係者十数人が明らかにしたところでは、ホワイトハウスの指示の下、トランプ政権はドイツと日本、最終的には米軍が展開する全ての国に対する要求案の策定を進めており、駐留経費全額に加え、米軍の駐留で恩恵を受けている対価としてプラス50%以上の支払いを求める方針だという。この「費用プラス50%」方式により、駐留経費負担として現在米国に支払っている額の5−6倍の拠出を要求される国も出てくる可能性がある。

ちょうどまさに「在日米軍が撤退する日」というテーマで中国の某紙から原稿依頼を受けていたので、絶妙なタイミングとなった。過去ログを参照しながら、再確認したい。

昨年6月12日、トランプ米合衆国大統領と、金正恩朝鮮民主主義人民共和国国務委員長は、シンガポール・セントーサにおいて歴史的な会談を行った。その記者会見においてトランプ大統領は、「戦争ゲームをやめる。膨大な量の金を節約できる」と述べ、米韓軍事演習の停止を宣言、将来的な在韓米軍の縮小、撤退の可能性にも言及した。トランプ大統領の目的は、北朝鮮の核廃棄によって自国の安全を担保しつつ、同時に東アジア全域におけるアメリカの軍事的負担を縮減することにあると考えられる。これは、冷戦期のゴルバチョフソ連共産党書記長が、財政上の理由から、東欧全域よりソ連軍を撤退させた経緯と酷似している。

米中間の敵対関係が望ましくない以上、アメリカにとってアジア諸国にある米軍の存在はリスクでしかなく、そこに重い財政負担が掛かっているのであれば、真っ先にリストラすべき対象なのだ。ビジネスライクに考えれば、なおさら妥当な判断である。その決断が、従来できなかったのは、オバマ氏やヒラリー氏のような米民主党系人脈の方が、軍産複合体と近かったことに起因していると考えられる。なお、在韓米軍は朝鮮戦争に際して介入した国連軍の一部ということで、停戦監視の名目で駐留しているだけに、朝鮮戦争の終結によって駐留の根拠が失われることになる。

極論すれば、南北朝鮮が平和裏に統一を果たすか、安定的な共存体制ができて、中国の影響圏に入って核兵器も中国のコントロール下に置かれるのであれば、実際に朝鮮半島から核兵器が撤去されるかどうかについては、米国の利害には関係ないところとなる。トランプ氏が、いわゆるCVIDにこだわらないのは、実はそこは最重要ではないと考えるのが自然なのだ。

ところが、これが日本(政府)にとっては最悪の状況となる。朝鮮戦争の終結は冷戦構造の変化を意味するもので、冷戦の最前線が北緯38度線から日本海に移ることになる。従来は、韓国を盾となして、米軍が矛となって中朝軍を撃退する戦略が採られており、日本は後方基地の役割をなすだけで良かった。そのため、韓国のような重武装を持つ必要は無く、軍事負担を軽くしたまま国内のインフラ整備と産業振興に予算を回し、高度成長の基礎を築いた。
その後、冷戦構造の変化によって、日本は1990年代より海外派兵能力を持つようになり、2000年代に入ると中国の隆盛を受けて海空戦力の強化に努めるようになった。しかし、いずれの場合も、あくまでも従来の構造を前提としており、朝鮮戦争の終結は想定していなかった。

朝鮮戦争の終結は、在韓米軍の撤退と朝鮮半島の中華圏入りに直結する。韓国は従来、北朝鮮などとの対抗上、日本に戦後補償などについて大きく譲歩してきたが、南北対立が解消した場合、中華圏入りによって日本よりもはるかに大きい市場を獲得できることもあり、日本に遠慮する必要が無くなる。一方、日本は衰退傾向の中で、中国や朝鮮に対する差別意識を一層強めており、日本と朝韓間の対立は今後さらに激化して行くものと見られる。
1980年代まで日本は有効な海軍力を持たないソ連を仮想敵とし、90年代後半から2000年代始めには北朝鮮を仮想敵国と見なし、2000年代後半以降は北朝鮮と中国を仮想敵としていた。しかし、今後、韓国が西側陣営から離脱して中国側に付いた場合、日本は中朝韓と単独で最前線を維持する必要が生じている。だからこそ、安倍政権は必死になってロシアの抱き込みを図っていると見るべきだ。

霞ヶ関と自民党は、冷戦期における東欧諸国の政府と共産党と相似形にあり、宗主国アメリカの庇護がなければ本質的に存続し得ない。彼らの統治者としての正統性は、アメリカによって担保されているに過ぎないからだ。確かに日本では形式的に選挙が行われているものの、投票率は国政選挙で5割、自治体選挙で3割という始末で議会制民主主義の実態が伴っていない。現行体制の支配の正統性の担保は在日米軍であり、その撤退はアジア冷戦構造の終焉と、衛星国日本の体制転換をもたらすだろう。だからこそ、日本政府は国際的に見て圧倒的に高い自己負担率をもって在日米軍を引き留めている。しかし、いまや在日米軍の撤退は時間の問題となっている。

その最大の理由は予算上の問題と費用対効果である。在日米軍駐留経費を見た場合、2016年度の在日米軍駐留経費は約21億ドルで、日本政府はこのうち約18億ドルを「思いやり予算」として負担、負担率は8割に上る。これは韓国の5割、ドイツの3割に比して圧倒的に高い。同時に、駐留規模そのものが大きいため、負担額そのものも大きくなっている。しかし、これはあくまでも駐留経費に過ぎず、アメリカ連邦政府は作戦経費などを含めて、在日米軍に55億ドルの予算を計上している。なお、日本政府による在日米軍経費は、「思いやり予算」を含めて7642億円を計上している(2016年)。

他方、2019年会計年度の米国の国防予算は国外作戦経費を含めて6860億ドル、連邦予算の歳出は4兆4070億ドルで国防費が占める割合は15.6%に上っている。一般的に国家予算に占める軍事費の割合は10%以下に抑えるのが妥当と言われており、20%を超えると破滅的状況とされる。しかも、財政赤字は9840億ドルに達しており、これも危険な状態にある。
1980年代後半におけるソ連の国防費の割合は約16%で(諸説ある)、その負担を減らすために軍縮と東欧諸国やアフガニスタンからの撤兵を進めたことを考えれば、同じ状況にあることが分かるだろう。

特に、アフガニスタン戦争以降、対テロ戦争を推進したことで、国防費が高止まりしていることは傾注されるべきだ。2001年に3160億ドルだった国防費は、2010年に6910億ドルをピークとし、今日に至っている。現行の対テロ戦争を推進するためには、同レベルかそれ以上の予算が必要になるが、果たして投入したコストに見合うだけの費用対効果を得られているのかと言えば、十分に検証されていないのが現状だ。高止まりしている国防費をいかに削減するかは、トランプ氏に限らずアメリカ大統領にとって最大の課題となっている。
米国内では貧困問題が深刻化しており、例えば貧困層向けの食糧配給システムである「フードスタンプ」の利用者はすでに5千万人を超えており、米国の人口のほぼ6人に1人に相当する。また、医療保険未加入者も5千万人近くいるとされている。国内で「食うや食わず」の国民が蔓延しているのに、覇権も国際貢献も支持されないのは当然だ。

在日米軍についても同様で、本来、ソ連と対峙するための前線基地として、日本を機能させてきたわけだが、いまや米国は経済も財政も中国に依存する形で成り立っており、中国と戦争するメリットは何一つ無い。それどころか、中国が米国債を一斉に売り出せば、米国債が暴落して、まともに戦費も賄えない状況に陥るだけに、デメリットしか無い。第二次世界大戦において、日本が敗北を喫した大きな理由の一つに「戦費を自国内で賄うしか無かった」というものがあることを知るべきだ。結果、巨大な軍事基地を日本に置いておくことについて、ますます説明が難しくなっている。

ここで日本の防衛費を見てみると、2018年度の防衛予算は5兆1911億円で、歳出の5.3%を占めるに過ぎない。宗主国のアメリカが、連邦予算の15%を軍事費に投入しているのに、衛星国である日本は同5%という有様であり、これではトランプ大統領に「安全保障のただ乗り」と言われても仕方ないだろう。これは、NATOにも言えることで、NATOの加盟国は少なくともGDPの2%を軍事費に投じなければならないという取り決めがあるにもかかわらず、それを満たしているのは、2013年度でアメリカ、イギリス、ギリシア、エストニアの四カ国に過ぎなかった。つまり、「対ソ・対ロ集団安全保障」と言う割に、その軍事的責務を全うしているのはごく少数で、大多数はアメリカの軍事力に依存して、自国経済を優先していることが分かる。

こうした背景を知らないと、「またトランプがとんでもないことを言い出した」という評価になってしまうが、トランプ氏は改革者として合理的発想に基づいて、あまりにも当然のことを主張しているに過ぎない。
逆に米民主党は、党内大分裂中ではあるが、相も変わらず覇権主義を唱えており、連中こそが軍産複合体の利益代弁者であることを示している。

もう一つは、軍事的視点である。米軍は、中国から先制攻撃された時に、被害を最小限に食い止めるために日本から離れ、十分で安全な距離を保つ必要性がある。これは湾岸戦争以降、アメリカ軍のドクトリンの基礎となっている。敵の第一撃を交わした後、圧倒的な空軍力で航空優勢を確保、その後に陸上兵力を投入するという発想だ。
日本で言えば、1993年の細川内閣の頃からアメリカ側の要請もあって「常時駐留なき日米安保」が議論されてきたが、話題に上るたびに潰されてきた経緯がある。2006年の米軍再編協議の中で、沖縄の米軍海兵隊はその大半を2014年までにグアム島に移転することで合意されたが、その後遅々として進んでいない。これは、中国からの第一撃を受ける可能性がある場所に基地を置くべきではないという、米軍のドクトリンに基づいた合理的判断だったはずだが、政治的判断が優先されて先送りにされている。しかし、その間に中国の海空軍力はますます強化されており、沖縄に基地を置くことで米軍人とその家族を危険にさらす状態になっている。今後、中国の空軍力がさらに強化されれば、沖縄に基地を置いておくことは、軍事的にはなおのこと望ましくない。

また、台湾に親中政権が成立して、中台統合が実現、人民解放軍が台湾に進駐した場合、「東シナ海のシーレーンを守る」という日米の政治的目的も達成不可能になり、台湾の航空基地から直接攻撃を受ける危険も出てくるだろう。この場合は、在日米軍基地そのものが「日本を守る」という政治目的以外の意味を失ってしまうことになる。しかし、米軍はあくまでもアメリカの安全保障に貢献するために存在するもので、アメリカがハワイやグアムを危険にさらしてまでリスクを取るメリットは無いだろう。
「日米安保はもっと強固だろう」という反論はあるかもしれない。だが、F-22を日本に売ろうとした米政府の企図を連邦議会が止めたのは、「中国に技術が流れてしまうリスクがある」という理由からだったことを考えれば、過大視すべきではない。

2月末に行われた米朝首脳ハノイ会談については、日本では「交渉決裂」と報道されているが、米朝交渉の枠組みは存続しており、悲観的に見る必要は無いと考える。米ソ冷戦の終結についても、1986年のレイキャビク会談においてソ連のゴルバチョフ共産党書記長とアメリカのレーガン大統領が会見して「決裂」したものの、1989年のマルタ会談で「冷戦終結」が宣言されている。
一つの会談の結果に囚われすぎることなく、「アメリカ覇権の衰退」「グローバリズムの終焉と地域ブロック化」「日本の衰退と孤立」などの大きい視点から俯瞰しないと、全体像を見失うことになるだろう。

【追記、参考、8月21日】
 米国が南シナ海や東シナ海で中国と軍事衝突した場合に米軍が米領グアムまで一時移動し、沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ軍事戦略上の海上ライン「第1列島線」の防衛を同盟国の日本などに委ねる案が検討されていることが15日分かった。昨年7月に陸上幕僚長を退職した岩田清文氏がワシントンのシンポジウムで明らかにした。
 米軍を中国近海に寄せ付けない中国の「接近拒否戦略」に対応するためで、中国が開発した「空母キラー」と呼ばれる対艦弾道ミサイル「東風21D」による空母撃沈を避ける狙いがある。実際にこの案が採用されれば、自衛隊の役割拡大が求められるのは確実だ。
(2017.9.16、共同通信)
posted by ケン at 00:00| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月19日

他人の前で本音が言えない日本

【JOCが理事会を非公開に 山下会長「本音で話すため」】
 日本オリンピック委員会(JOC)は8日、東京都内で臨時理事会を開き、1989年の発足以来、報道陣に原則公開していた理事会を、完全非公開にすることを決めた。山下泰裕会長は、公の場では話せないことが多く、理事会の議論が低調だったとして「表に出せない情報も共有して、本音で話し合い、スポーツ界の発展のために役割を果たす」と説明した。
 出席理事24人のうち、賛成19、反対4、保留1の賛成多数で決まった。JOCは89年に日本体育協会(現日本スポーツ協会)から独立後、人事案件などを除き理事会を原則公開していた。次回の9月10日から非公開となり、理事会後の説明や資料配布などで透明性を確保するという。
 東京運動記者クラブJOC記者会は7月下旬にJOCから方針を伝えられ、「時代の動きに逆行する。高い公共性を備えるJOCの理事会を公開しないのは、国民の理解も得られない」などとする抗議文を提出していた。
(8月8日、朝日新聞)

「透明性を確保するために会議を非公開にする」−禅問答かよ!

実際、旧民主党も部門会議などを完全公開にしたことがあったが、行政側が情報提供や説明を拒む、ないし遠回しにしか言わなくなり、国会議員は議員で目立つための主張が増え、収拾がつかなくなっている面はあった。
必ずしも機密情報でなくとも、不確定な情報や未公開・未整理の情報をマスコミが切り貼りして流布されて無用の混乱を生むことは、私にも想像できたので、個人的には部会などの公開には反対だった。

とはいえ、その一方で党の役員会や幹事会などの意思決定機関において、議事録も存在しないことは大問題だった。
誰がいつ、どのような経緯と根拠をもって、重要な意思決定をしていたのか、後日検証できないからだ。
この一点だけでも、民主党や立民に統治者としての資格はない。
ソ連共産党の政治局でも議事録をとっていたことを考えれば、日本の内閣が閣議の議事録をとっていないというのは、前近代の悪弊であり、明治帝政のなせる業である(むしろ天皇の方が側近がメモをとっていることが多い)。

確かに現時点での公開は必要ないかもしれない。
だが、JOCのような汚職や談合の疑惑、あるいは過大な予算やボランティアの扱いなど、不透明かつ不自然な意思決定が疑われている組織が、いまこの段階で「理事会を非公開にしないと本音で話せない」と宣言するのは、自ら疑惑の山を肯定するのに等しく、ほとんど自殺行為になっている。
しかも、議事録すら無いとなれば、「五輪が終わるまで耐えれば大丈夫(後はどうにでもなる)」と考えていることは明白であり、五輪そのものが「絶対悪」であることを示してしまっている。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月17日

実名報道というメディア暴力

【新聞各紙は「実名報道」の意義をどう訴えたか 京アニ事件、犠牲者公表で主張の「必要性」】
 京都府警が2019年8月2日、京都アニメーション放火事件の犠牲者のうち10人の氏名を公表したことを受け、3日付の新聞紙面にも、一斉にその顔写真などが掲載された。
 35人が亡くなったこの事件では、京アニ側が警察・マスコミに実名の公表・報道を控えるよう要請し、京都府警も発生から約2週間、発表を行わなかった。こうした中での報道ということもあり、複数の新聞が実名報道に踏み切る「意義」を、3日付の紙面で強調した。
 たとえば、朝日新聞は1面に掲載された「京アニ犠牲者名10人公表」の末尾で、以下のように自らの立場を表明した。
 「朝日新聞は事件報道に際して実名で報じることを原則としています。犠牲者の方々のプライバシーに配慮しながらも、お一人お一人の尊い命が奪われた重い現実を共有するためには、実名による報道が必要だと考えています。それが、社会のありようを考えるきっかけになると思っています」
 毎日は4面(総合面)で「検証」として、公表にいたる経緯を詳細に報じた記事とともに、「『実名』根強い抵抗感」の見出しで約1000文字の記事を掲載する。2016年の相模原障害者殺傷事件など、実名公表が行われなかった事件を解説した。その上で、
 「毎日新聞はこうした事件・事故の犠牲者について、事実を正確に報じて被害者の無念や遺族の悲しみを伝えるため、実名報道を原則としている」
と説明するが、直後には上智大学・音好宏教授のコメントとして、「プライバシー保護の市民感情は増してきている」との見解を伝えた。
 産経は24面(社会面)で、「おことわり」として独立した囲み記事の体裁で、この問題に言及した。
 これによれば公表後、府警を通じて10人のうち1人から「匿名に変更したい」との要望があったというが、「悲しみに暮れる遺族の方々が、取材や報道に接する度に苦しむ現実は重く受け止めます」としつつ、やはり「事実を正確に伝えるため」には実名報道が必要だ、との考えを主張し、こう続けている。
 「犠牲となった方々は、人々に愛される作品をつくってきました。産経新聞は犠牲者一人一人を、『35人』という数字ではなく実名で伝える必要があると判断しました。犠牲者のプライバシーや遺族感情に最大限配慮し、公共性や公益性を総合的に判断した上で、節度ある取材、報道に努めます」
 匿名変更の申し出があったことは、日経の35面(社会面)記事でも言及されているが、やはり、
 「日本経済新聞は事件報道に際して、その現実を社会全体で教訓にするため、原則実名で報じています。今回も事件の重大性などを考慮し、実名で報じる必要があると判断しました。被害者の方々のプライバシーには最大限配慮しながら、節度ある取材、記事化に努めます」
とした。また34面の記事では、立教大学の服部孝章名誉教授のコメントとして、「遺族らをよく悲しませるような報道やメディアスクラム」を慎むべき、としつつ、「事件の全体像に迫り社会に教訓を伝えるため」にも、実名報道や遺族、負傷者への取材が必要だとの立場を取った。産経、日経ともに10人全員の氏名が掲載されている。
 読売は少なくとも3日付紙面ではこうした意見表明は確認できず、また公表された10人に加え、「取材で死亡が判明した方」として1人の氏名を報じた。
(8月3日、JCASTニュースより抜粋)

ケン先生は基本的に実名報道に反対である。
例外を設けるべきと考えるのは、社会的影響力や権力を行使する者については社会全体の利益と情報共有の視点から必要だからだ。
かつて実名報道が必要とされたのは、通信や連絡手段が限られる中で、被害者などの関係者に連絡が届かない恐れがあったためだった。
だが、今日では例外的状況を除いて通信手段の発達により、被害者の家族などに連絡が行かないというケースは少なくなっている。

メディア側は実名報道の必要性をあれこれ主張するが、要は「匿名だと記事が売れない」という話を「匿名だと抽象的になってしまう」「社会的意義が果たせない」などと言い換えているだけで、何の意味も無い。
ごくごく少数の超コアなアニメファンを除けば誰も名を知らず、特別な社会的影響力を持つわけでも無いアニメーターの名を「テロの犠牲になった」と声高に「喧伝」するのが、連中の言う「社会的意義」「社会的教訓」なのだろうか。
逆から見た場合、名も知らないし、京アニを見たこともない人たちが、新聞に掲載された写真と実名を見ることが、「抽象から具象へ」と繋がるのだろうか。この場合、そもそも犠牲者のことを知らないのであれば具象化にはなり得ない。逆に悪い想像力をかき立てて、テロや犯罪に対する無用の憎悪をかき立てるだけだろう。そして、こうした憎悪は国家間の対立や戦争へと発展させる原因にしかならない。

もっとも、日中戦争から太平洋戦争に至る過程は、マスメディアが中国や欧米諸国に対する国民の憎悪をかき立てることで、歴史上最も新聞発行部数が増えた時期だった。つまり、テロと戦争はメディアにとって「最も甘い蜜」であり、死亡寸前のメディアにとって「吸わないではいられない」ものと言える。
実名報道はメディアにとって「生命線」であり、社会や個人に対する憎悪に象徴される負の感情をかきたてることは、メディアにとって「耐えがたい誘惑」になっている。その自覚を持たずに、ねじ曲げた「正義」をもって個人のプライバシーを暴露し、憎悪を助長させるのは、もはや社会そのものに対する犯罪でしか無い。

以上は被害者についての実名報道だが、加害者についても基本的には同様で、特に日本の場合、逮捕された時点で実名報道されているが、これは恐ろしく反社会的である。少なくとも司法第一審の判決でもって有罪認定されるまでは「被疑者」であって「犯罪者」ではないのだから、無罪になる可能性のあるものについて実名報道するのは一切避けねばならない。

結局のところ、日本のメディアは巨大すぎるあまり権威主義体質から脱却できず、自由も人権も概念として理解できないまま死を迎えつつあると言えよう。
posted by ケン at 12:00| Comment(7) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月16日

安倍政権が支持される理由・続

安倍政権が支持される理由」の補足。
安倍政権は伝統的な自民党の統治手法に則っている側面がある。
それは「野党の政策を先取りする」だ。
55年体制下で社会党が政権奪取できなかったことの一因は、自民党が社会党の政策を先に実行したことがある。
特に岸内閣における国民健康保険と国民年金制度は、与党内に強い反発があったにもかかわらず、岸信介のイニシアチブによって強行された。結果、日米安保改正問題で大騒動が起こったにもかかわらず、岸内閣は総辞職するのみに終わり、続く総選挙では自民党が勝利している。これは「日米安保を除けば、自民党で良い」と国民が判断したためだった。

では、現在の安倍政権はどうか。
アベノミクスをまず見た場合、「大胆な金融緩和」によって倒産寸前にある零細企業や地方企業を救済し、雇用を守っている(だから経済成長しないのだが)。同時に物価も安定している(これも経済成長しない理由だが)。
「機動的な財政政策」で公共事業が復活(日銀が建設国債を購入)、伝統的な自民党支持層は一応潤っている。
「成長戦略」もバラマキに近いが、法人税を引き下げ、外国人労働者を緩和し、企業的には万々歳で内部留保だけは増えている(つまり投資先が無い)。

これらの政策は名称とは逆に競争と成長の可能性を犠牲にして、既存の資本と雇用を維持することに重点を置いていることが分かる。となれば、現状維持を優先したいものにとっては安倍政権を支持しない理由が無い。
さらに言えば、今後日本経済が悪化する以外にほぼほぼ可能性が無い以上は、「現状維持を至上とする」霞が関の方針に反対する方がリスクがあると言える。
ゲーム的に言えば、1D6を振って「1」が出れば成長軌道に乗るが、それ以外の場合はすぐに悪化するという選択肢と、「とりあえず現状維持」であるなら、後者を選ぶのが人情だろう。
その意味で、安倍政権は非常に「保守的」なのだ。

雇用については少なくとも数字上は改善しており、2012年の4.4%から2019年の2.4%まで劇的に改善している。
これは基本的には少子高齢化と非正規職の増加による「統計上の失業者の減少」という側面はあるものの、安倍政権を全否定する理由にはならず、全般的にはむしろ評価されているとみるべきだ。
また、今更ではあるが、就職氷河期世代への配慮や中途採用の拡大なども主張しており、本来野党が主張すべき政策を先取りしている。
野党からはダメ出しされつつも、最低賃金を上げる方向で財界に働きかけており、平均的な自民党総理よりはよほど「労働者にやさしい」側面がある。

社会保障についても、野党はこぞって批判しているが、安倍首相は基本的には祖父君の遺訓を受け継いで社会保障の維持に努めているように見える。
少子高齢化が進行する中で、制度そのものを維持するためには支出の抑制が不可欠であり、NK党や社民党が主張する「充実」を行った場合、税による補填が増えるだけで、すぐにも財政破綻するだろう。
日本の場合、例えば健康保険の適用範囲が非常に広く、薬も出し放題で、かなり放漫財政になっている。制度の持続性を考えた場合、保険適用範囲の限定は避けられないはずだ。この点、安倍政権でも進めておらず、安倍政権が本質的には社会保障制度に親和的であることを示している。同制度の大幅な縮小でも主張しない限り、自民党と野党の対立軸は決定的なモノになりにくいだろう。
幼児教育、保育の無償化も同じで、野党の政策であるべきものを先んじて実行している。

全般的に見た場合、2009年の民主党が「いま大手術すれば、日本は復活できる!」と大見得切って、国民の7割以上の支持を受けて政権交代を実現させたものの、蓋を開けてみれば、「何をどう手術して、日本をどう再生させるのか」について全く絵図面を持っていなかったことが判明した。挙げ句の果てに公約破りの増税を自民党と談合して決め、東日本大震災などの不幸があったとはいえ、失業率を悪化させて、わずか3年で自民党に支持が戻ってしまった。
自民党にはその反省があるため(悪夢の民主党政権)、安倍政権は「手術」路線を封印、現状維持=延命路線へと舵を切った。これは言うなれば、「ペレストロイカをやらないソ連」路線であり、いくばくか余命をつなぐことはできるかもしれないが、「それだけ」なのだ。故に、国内の貧困は見えないところで深刻化し、少子化も止まることが無い。
しかし、「手術するよりはマシ」というのが国民の大多数の判断であり、少数派のリベラル派を中心とした潜在的不満の高まりに対し、権威主義と警察権力をもって対処しようというのが安倍政権の本質なのだろう。言うなれば、岸信介の国家社会主義路線のソフト&劣化版と言えそうだ。

ケン先生的には「ペレストロイカをやらないソ連」の末路がどうなるのか、興味深く見守るつもりだ。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月15日

結局野合、そして「れいわ」へ?

【野田氏ら、会派合流へ立憲と協議=消費増税で溝も】
 野田佳彦前首相が代表を務める衆院会派「社会保障を立て直す国民会議」は9日、国会内で総会を開き、立憲民主党から提案された会派合流に応じる方向で協議を進める方針を確認した。
 同じく合流を提案された国民民主党の動向を見極めつつ、10月召集が想定される臨時国会までに最終判断する。
 野田氏は総会後、記者団に「会派の合流に向けたプロセスに入ることで意見集約した」と説明。「野党の固まりを大きくしていくことには総論として賛成だが(合流後の会派の)運営、名称など分からない部分もある」と述べ、立憲との協議で詰める意向を示した。
 国民会議幹部は「われわれだけで立憲と組むことはあり得ない」と語っており、国民民主と歩調を合わせる考えだ。
 国民会議は1月、前身の会派「無所属の会」のうち、立憲会派に合流しなかった議員が中心になって結成した。所属議員は8人。野田氏は首相として推進した消費税増税による財政健全化を重視しており、先の参院選で「増税凍結」を掲げた立憲とどう折り合うかが課題となる。
 一方、国民民主は9日の総務会で、衆参両院での統一会派結成を条件に立憲との協議に入る方針を決めた。
 国民民主に所属する小沢一郎元民主党代表らは、2012年に野田政権の増税方針を批判して集団離党した。野田氏は「(小沢氏とは)その後もコミュニケーションを取っている」と関係修復を強調したが、野党内には旧民主党で絶えなかった内部抗争の再燃を懸念する声もある。 
(8月10日、時事通信)

「数合わせはしない」「永田町の論理から脱却する」「政策本位で闘う」などはずっと民主党の頃から立憲民主党に至るまで連中が言ってきたことだが、その全てを反故にしようとしている。

菅・野田と小沢は消費増税をめぐって対立、分裂したはずだが、増税に対するスタンスはどうなったのか。
野田は増税のスタンスを保っているが、菅に至っては増税反対を主張していると言うから、「バルカン政治家」どころか「聖戦貫徹」から「平和主義者」に鞍替えした社会党創世記の連中を思わせる。せめて「なぜスタンスを変えたのか」の説明や反省があればまだ誠意もあるが、それすら無いのだから、政治家として安倍などよりよほど邪悪である。こういう失敗者で誠意の無い連中が個人的名声や地域的人気によって何度も再選されてしまうところに、小選挙区制の弊害が見て取れる。

立民と国民、その他の分裂は基本的には政策に対するスタンスの違いに起因していたはずだ。
特に原子力・核と安全保障、そして憲法がそれだ。
「核推進」「対米軍事協力強化」「独自の軍事力強化」「憲法改正」などを志向した「希望の党」の残党が民進党の基盤を引き継いで後継となったのが国民民主党で、それに対して「核放棄」「対米軍事協力の限定(アジア志向ではない)」「軍事力強化に否定的」「憲法改正に否定的」でかつ「旧民主党のリベラル路線(ネオリベ含む)を引き継ぐ」としたのが立憲民主党だった。
そもそもどう見ても同じ政党であること自体が異常で、分裂して落ち着くところに落ち着いたはずだが、「小会派では何もできない」として議会内会派の統一を試みるのは、「数合わせ」「永田町の論理」そのものでしかない。
同一会派となった場合、同じ会派の委員が「原発ゼロ」を主張したすぐ後に、「核の再開」を要請するといった展開が必ず起こるだろう。それに対して、国民にどう説明し、誰が責任を取るのか。この一点を想像しただけでも、この連中に議席を与え議会活動する機会をくれてやること自体、避けねばならないだろう。

その場合、「どうせ政権交代の可能性の無い批判勢力というだけなら、れいわの方がマシ」ということになり、政権批判票はさらに「れいわ」に向かう可能性が高い。
まぁ20世紀の遺物のような旧民進党系列は一刻も早く消滅した方が良いとは思うが、さりとて現実性と組織を否定する「れいわ」に未来があるわけでもなく、「選択肢が無い」絶望的状況がいましばらく続きそうな気配である。
posted by ケン at 12:00| Comment(7) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする