2015年07月31日

納税者意識は自らを救う

【24年夏季五輪:ボストンが招致断念 費用巨額、住民反発】
 米国オリンピック委員会(USOC)は27日、2024年夏季五輪・パラリンピック招致で、ボストンの立候補を断念することを明らかにした。巨額の開催費用に対する住民の懸念が高まっており、ボストンのウォルシュ市長が「納税者にリスクを背負わせるわけにはいかない」と表明した。五輪への関心が高いとされる米国での住民の反発は五輪の価値が低下していることをうかがわせた。USOCは今年1月、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ワシントンを含めた最終候補4都市からボストンを選出。大学など既存施設の活用や主会場を仮設とするなどコスト削減を打ち出した。しかし住民の反対は強く、地元ラジオ局の調べでは、2月の時点では44%だった五輪開催の支持率が3月に36%に低下。招致委員会から財政保証を求められていたボストン市が支援をしない方針を決めた。
 米国は1996年アトランタ大会を最後に夏季五輪を開催していない。東京都に決まった20年大会は立候補を断念して、今回は満を持しての招致だったが、出だしでつまずいた。USOCはロサンゼルスを代替の立候補都市として模索する。国際オリンピック委員会(IOC)は31日の総会で22年冬季五輪の開催都市を決める。ここでも巨額の財政負担を敬遠した欧州の各都市が立候補を断念して、北京とアルマトイ(カザフスタン)の2都市しか残らなかった。9月に立候補が締め切られる24年夏季五輪招致にはパリ、ローマ、ハンブルク(ドイツ)、ブダペストが名乗りを上げており、17年のIOC総会で開催都市が決まる。
(毎日新聞、7月28日)

ボストン市民はその高い納税者意識故に自らの破滅を回避する賢明な選択をした。東京とのもう一つの違いは、ボストン市当局が民意を汲んでオリンピック招致を断念したことであり、民意を無視して「決めた」ことを強行しただけの東京は、権威主義を発露しただけのことだった。
2022年の冬季オリンピックの立候補地が北京とアルマトイしか残らなかったことは、いまやオリンピックが金満都市か権威主義国においてしか開催できないことを暗示している。
東京五輪は、金満と権威主義のダブル効果で実現してしまったが、その背景には、自分たちがどのように徴税されて、その税金がどのように使われているのか殆ど興味を示さない東京都民の納税者意識の低さがある。

そもそもオリンピック憲章が規定している開催地は「都市(City)」であり、果たして東京都に開催地となる資格があるのかという疑問がある。憲章を正確に読む場合、開催地は基礎自治体単位を想定していることが分かる。それに従うならば、「新宿オリンピック」とか「調布オリンピック」でなければならないはずで、およそ日本では実現困難だろうと思われる。例えば、札幌オリンピックや長野オリンピックの場合、開催地は基本的に札幌市と長野市であったことを見れば、分かるだろう。

タイミングの良いことに、「金満(金)、ファッショ(黒)、太陽神(赤)」を象徴するオリンピック・エンブレムに盗作疑惑が浮上したことでもあるし、東京は今からでも違約金を払ってオリンピックを辞退、東京都は4分割して適正な規模にし、巨大権力の暴走を抑止すべきである。

【参考】
都解体構想を全面支持! 
posted by ケン at 12:27| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月30日

再び御聖断頼み?

【天皇の終戦記念日のお言葉 首相に対し厳しいものにとご学友】
 安倍晋三首相は閣議決定しないまま8月上旬に70年談話を発表しようとしている。天皇は毎年8月15日に全国戦没者追悼式に出席し、「お言葉」を述べる。官邸が気にしているのは、安倍首相が歴史認識の転換を行なう内容の70年談話を出した場合、全国戦没者追悼式とは別に、天皇の特別な「戦後70年のお言葉」が発表されるという情報が流れたことだ。この“天皇談話”が出された場合、安倍談話は格下げされることになる。
 では、天皇は終戦記念日にどんな「お言葉」を発表するのか。天皇のご学友で元共同通信記者の橋本明氏はこう見ている。「ほとんど知られていませんが、陛下は4月のパラオ訪問に出発する際、羽田空港に見送りに来た安倍首相を前にこう仰っています。『(先の大戦では)激しい戦闘が行なわれ、いくつもの島で日本軍が玉砕しました。 このたび訪れるペリリュー島もそのひとつで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います』。首相へご自身の思いを伝えたい気持ちが強かったのではないでしょうか」 そのうえで橋本氏は終戦記念日の「お言葉」は安倍首相にとって厳しいものになる可能性を指摘する。「憲法とともに生きてきた陛下ほど、戦争がいかに悲惨で悲劇的かを理解されている方はいない。軍備に頼らず、平和主義で文化国家をつくるというのが昭和天皇から引き継いだ精神であり、試行錯誤しながら象徴天皇として国民とともにある平成の皇室を築いてきた。
 しかし、安倍首相は国際情勢の変化を理由に憲法解釈を変え、米国議会演説で公約した安保法制を無理に成立させようとしている。陛下は口に出せずに苦しんでおられると思います。終戦記念日のお言葉では、現在の日本の繁栄は300万人にのぼる戦争犠牲者の上に築かれているという追悼の思いを前面に出されるのではないでしょうか」
(週刊ポスト2015年8月7日号)

週刊誌ネタが永田町を震撼させている。当局にコネのある某秘書のところには、公安や内調から問い合わせの電話が相次ぎ、「皇室とは何の縁もないのに」と閉口していた。つまり、治安当局にとってもさすがに皇居内は「御簾の内」ということらしい。

閣議決定を経ないで発表される「総理談話」は「個人的なつぶやき」であり、従来の談話とは異なるというのが今の官邸の主張。だが、仮に平成帝が「戦後70年談話」を発表すれば、「総理の個人的つぶやき」は完全に吹き飛ばされ、実質的に上書きされると見られるだけに、治安当局側としては「総理に忠誠を示す時」ではあるものの、実際に天皇談話が発表されれば官邸のメンツが丸潰れになってしまう一方で、宮廷内への介入は難しいだけに、気が気でないのだろう。
とはいえ、皇室側からすれば、天皇の政治関与を禁じる憲法があるだけに、談話の内容にはすこぶる慎重にならざるを得ず、恐らく宮内庁としては天皇談話に反対しているものと思われる。それでも平成帝が談話発表を真剣に考えているのは、それだけ皇室側の危機感が深刻であることを示している。

一義的には、平成帝自身が戦後民主主義と現行憲法の信奉者であり、立憲主義と平和主義を根底から覆そうとする自民党・安倍一派の動きに対し、非常な危機感を抱いていることがある。
詳細は先の稿を参照していただきたいが、安倍一派は、福祉国家モデルに替わる国家像を権威主義に求め、その求心力として天皇を考えていると思われ、具体的に「教育現場における君が代の強制」という形で現れている。だが、先の大戦でかろうじて戦犯指定を逃れて「国民統合の象徴」の座を手にした天皇家が、再び政治利用にさらされ、自民党の政治責任の「身代わり人形」にさらされようとしているだけに、賢明なる平成帝としては皇室の未来を憂い、必死にならざるを得ないのだろう。

もう一つは「獅子身中の虫」である。小さくなった皇室でも必ずしも一本化されていないようで、帝と皇太子は政治観においてほぼ一致しているようだが、例えば秋篠宮は安倍一派・極右に同調姿勢を示している。秋篠宮が主な公式行事への参加(帝の代理出席)から外されているのは、平成帝の意思の表れと見て良い。「皇位継承者の実父」である秋篠宮がこれほど露出しないでいるのは、他にも理由はあるが、「ファッショの同調者」と見られているからのようだ。
とはいえ、この「闘い」も宮内庁が安倍一派の手に落ちつつある中で、殆ど帝と皇太子が孤軍奮闘しているような有様になっているとも聞く。

いずれにせよ、権威主義・ファッショの暴走に対し、帝の「御聖断」に頼まざるを得ない今日の状況は、戦後の民主化が失敗に終わったことを示している。だが、戦犯を十分に処断せぬまま権威主義を温存した結果として安倍一派による立憲体制の破壊がもたらされているわけだが、同時に権威主義(国体)の本尊として温存された天皇制が立憲体制の最後の擁護者となってしまっている点は、あまりにも皮肉すぎるだろう。
posted by ケン at 12:32| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

ゆうちょ限度額上げの真の狙い

【ゆうちょ銀:限度額「3000万円」 自民が提言案了承】
 自民党は26日の総務会で、ゆうちょ銀行の預け入れ限度額を現行の1000万円から3000万円まで引き上げる提言案を了承した。29日以降に政府へ提言する。今後、総務省や金融庁が政令改正を検討するが、預金流出を懸念する銀行業界の反発は強い。自民党の一部からも疑問の声が出ており、調整は難航しそうだ。
 提言では、ゆうちょ銀は今秋までに2000万円、2年後までに3000万円へ上げる。かんぽ生命保険も現行の加入限度額1300万円を今秋までに2000万円へ上げる。ゆうちょ銀の利用者から「退職金を預けると限度額を超える」などの不満が多く、選挙で集票力のある全国郵便局長会も引き上げを強く要望。自民党は昨年の衆院選公約で「限度額見直しを検討する」とし、党の郵政事業に関する特命委員会(委員長・細田博之幹事長代行)が額や時期を議論していた。
 しかし、民間金融機関は「政府が持ち株会社を通じて間接的に出資しているゆうちょ銀とは、競争の前提が異なる」として反対一色だ。全国銀行協会や全国地方銀行協会など7団体は26日、「引き上げは断じて容認できない」との共同声明を発表。全国信用金庫協会の大前孝治会長(城北信用金庫理事長)は今月、安倍晋三首相も出席した全国信金大会で「地域金融システムが崩壊しかねない」と批判した。自民党内でも、23日の総務会などで民業圧迫を懸念する声が出て、了承が26日にずれこんだ。
 持ち株会社である日本郵政の西室泰三社長は同日の定例記者会見で「提言を歓迎する」と述べたが、事情は複雑だ。限度額引き上げは収益拡大につながるものの、資産運用事業などで民間金融機関との業務提携も進めており、「銀行業界を怒らせるより提携でできることを増やした方がいい」(幹部)との困惑もある。
 総務省と金融庁は、政令改正に向けて郵政民営化委員会(委員長・増田寛也元総務相)の意見を聞き、閣議に諮る。手続きに一定の時間がかかるとみられ、西室氏は今秋の引き上げは「物理的に不可能」と述べた。米国からも「外資系保険会社とかんぽ生命との競争条件が不公平」との批判があり、政府は慎重に検討する。
(毎日新聞、6月26日)

自民党の先輩と話していて、「年金基金の株式投入が限界に達したから、今度はゆうちょに金を集めて投資させようということみたいよ」と想像通りのことを言われ、「まさにそこをお聞きしたかったんです」と苦笑い。「でもそれって、ダメなギャンブラーの言い訳にしか聞こえないんすけど」と返すと、「まぁそうだよな〜」とのこと。
とはいえ、こちら側も別の利権と理由(労働組合の支援)から賛成者が多数を占めているわけで、ちょっとこの国もうダメなんじゃね、と。

少し補足すると、ゆうちょ銀行の限度額引き上げは、ペイオフ(政府保証)付きであるのが前提であるため、現行で民間銀行の預金が1千万円であることを考慮すれば、3千万円の預金保証が付くゆうちょに資産移動させるのは当然の流れとなるだろう。もちろん、1千万円以上の預金がある人が前提なので、基本的には富裕層にしか関係の無い話ではあるのだが、だからと言って放置して良いことにはならない。民間銀行にとっては死活問題であり、しかも、それがアベノミクスのために株式投入することが目的となれば尚更だ。
そもそも郵便貯金は「貯金」として銀行「預金」と区別されるものだった。貯金は生活防衛用の資産保護を目的としたものであるのに対して、預金は資産運用、つまり理財を目的としている。その国民貯金を株式運用して株高と景気回復を擬装し、いざとなればスーパーインフレで「無かったこと」にしようというのだから、不倫としか言いようが無い。

政治の側で見れば、自民党は日本郵政と特定郵便局長会という金ヅルと票田の要望に応じる形であり、民主党は有力支援団体であるJP労組からの要請なので、どちらも断れない。逆に日本郵政からすれば、利益の8割を上げているゆうちょとかんぽは生命線であり、できれば郵便事業を他に譲渡してゆうちょとかんぽのみに専念したいくらいの勢いだが、さすがにそれは許されないため、両者の限度額引き上げを必死に要望している。
その意味では、「銀行側のロビー活動が弱いから郵便にしてやられている」とは言えるかもしれないが、いずれも市民や生活者の目線ではなく、資本の論理であり腐敗でしかない。

他の資産を切り崩してでも金、白金を積み上げるかのう……
posted by ケン at 12:31| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月28日

国と保守派が君が代を強制するワケ・補

国旗国歌の強制は、フーコー的視点からも説明される。
古代から中世にかけて、知性は支配階層が占有し、被支配階層に知性を与えないことで支配層の優越が保たれていた。中世の支配構造は、印刷技術の進歩に伴う知性の拡散によって急速に正当性を失っていった。とはいえ、情報の優越性そのものが廃れたわけではなく、中世社会が終焉を迎えた後は、官僚層が支配のための情報を選別して占有するようになり、情報公開をめぐって主権者(市民、国民)と現代もなお激しい戦いを演じている。
その象徴的な例が「特定秘密保護法」やTPP交渉で、主権者たる国民に情報を公開せず、ごく一部の政治家と官僚が情報を占有することによって、国家の優越性を維持しようという試みがなされている(それだけが目的ではない)。同時にマイナンバー(国民総背番号制)制度や改正通信傍受法(案)などの導入によって、権力側からは国民の財布の中身からメールのやり取りまで全て監視できるようになる。まさにフーコーが言う「権力の自動化」ではないか。
そして、知性をめぐる闘争は一方的なものではない。権力者は情報を占有しようとすると同時に、被支配層に対して提供される情報を限定しようと試みる。今日の安倍政権が行っている報道統制はその典型例だが、より深層的には学校教育に対する統制強化という形で現れている。

1970年代以降、急速に増えてきた不登校は90年代にピークを迎え、2000年代に入るとやや減少するが、この2〜3年で再び増加に転じ今後も増加しそうな気配にある。イジメもほぼ同様だという。
1950年代くらいまでの学校は、特に貧困層にとっては「労働からの解放」「家族からの避難所」という役割があった。貧困家庭では日常的に、児童に様々な労働が要求されたり、狭い家で虐待や兄弟間抗争が行われており、学校は「家で労働させられたり、苛められたりするよりはずっとマシ」な空間だった。
ところが、児童労働が減少して核家族化が進み、逆に学校では教育内容の高度化や行事、課外活動の負担が増えるにつれて、「家にいるよりも学校にいる方が辛い」と考える層が発生し、増えていった。

公教育は、封建領主に従属する農奴ではなく、国家の一員を構成する市民を育成するために誕生したが、それは同時に「権力者に都合の良い、生産性の高い労働者を育成する」という意味が産業化の中で付随していった。その結果、公教育には常に「国民という名の規格化」が内包しており、ドイツや日本のような遅れた近代国家では、その要素がより濃厚に現れた。いわゆる「学校監獄論」である。そして、学校教育では、権力者が自分にとって都合の良い教育内容を取捨選択し、権力側に都合の良い従順な「国民」が育てられる。第二次世界大戦後の西ドイツでは、その反省から徹底したリテラシー教育が初中等学校で施されるようになったが、権威主義が温存された日本の場合、その点は不徹底に終わった。

1980年前後までの高度成長期には、市場経済が順調で国民生活の水準も上昇し続けたが、90年代に入って成長が鈍化し、国民の不満度が上がってくると、政府は従来の比較的リベラルな方針を転換していった。リベラリズムは原理的に公教育に対して否定的だが、それでも公教育を認める場合は、個人の資質向上を図ることで機会均等を実現するために存在する。だが、権威主義の場合、学校教育は国家に奉仕する国民を育成するために存在する。
経済成長と社会保障によって支配の正統性を担保してきた自民党は、この2つの旗印を失いつつあり、新たな支配根拠として国家主義・権威主義に切り替えつつある。

フーコーによれば、学校における定期試験は「権力に対する従属度が規定の水準に達しているか」を計るために存在する。1980あるいは90年代まで日本の学校は「規格化された優秀な労働者」をつくるために存在し、そのために詰め込み式教育がなされてきた。だが、児童に対する要求が高まれば高まるほど、児童の心理ストレスが高まり、学校内のイジメや不登校という形で拒否者や抵抗者が生まれていった。また、詰め込み式教育の非効率性や高コストも指摘され、「ゆとり教育」へとシフトしていった。週5日制や学習内容の減少、様々な規制緩和により、不登校とイジメは減少傾向に転じたが、今度は「ゆとり世代」という言葉に象徴される学力水準の低下が懸念されるようになり、わずか10年で方針再転換がなされる。

週6日制が復活し、学習内容が再び増え、校内規律が厳しくなり、道徳が教科化され、学校行事で国歌が歌われるに際しては管理職が声を出しているかを監視するという状態になるに及び、児童の心理的負荷は再び上昇傾向にあると考えられる。
つまり、学校の「監獄度」が上がると、児童の心理的負荷が重くなり、コミュニティ内にストレスの「捌け口」が求められるようになる。その対象は殆どの場合、弱者か孤立的な存在であり、イジメにさらされるか、さらされそうな者の選択肢は「学校に残って苛められるか」「不登校になるか」の二択になってしまう。
この時、苛められた者に対して大人は教員に相談するようアドバイスするのが一般的なようだが、教員も「監獄」コミュニティの一員である以上、反政府運動の相談を警官にするような話になってしまう。学校が児童に求める価値が「国家への従属」である以上、「忠誠的なイジメ集団」と「反抗的ないじめられっ子」が存在した場合、前者を擁護するのは学校にとって当然の選択となるからだ。

日本の貧困化(階層化)が進み、社会保障が切り下げられ、国民の不満が高まれば高まるほど、さらに「愛国教育」と国旗国歌の強制が進んでいくと思われる。自由の普遍的価値を守りたい者は、いかに子どもを日本の学校に通わせないかを考える時代になっている。

【参考】
国と保守派が君が代を強制するワケ・上
国と保守派が君が代を強制するワケ・下
posted by ケン at 12:07| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月27日

政治ストはお勧めしません!

【ファストフード店従業員など全米でスト、最低時給15ドル要求】
 ファストフード店などで働く低賃金労働者が、最低賃金を時給15ドルに引き上げることや労働組合権の要求を掲げて4日、全米各地で1日ストライキを決行した。カリフォルニア州ロサンゼルス、アリゾナ州フェニックス、イリノイ州シカゴ、ニューヨークやワシントンなど190以上の都市で、米ファストフード大手マクドナルド、バーガーキング、ウェンディーズ、タコベルなど有名チェーン店の労働者がストライキに入った。ファストフード店の労働者が初めてストライキを行ったのは2年前だが、今回のストライキには24都市のコンビニエンスストアーやスーパーなどの労働者が初めて加わった。低賃金の労働者らと彼らを支援する労働組合は、現行の国が定める連邦最低賃金、時給7.25ドル(約870円)を約2倍の15ドルに引き上げるよう要求している。
(AFP、2014.12.5)

日本では旧式左翼や反政府運動家が反安倍・反安保法制のゼネストを呼び掛ける声が聞かれるが、まったく無責任なものであり、軽々しく応じないで欲しい。
労働組合はあくまでも労働者同士の互助団体であり、その目的は雇用を維持し待遇を改善することにある。その労組が、設立の趣旨とは関わりの無い政治闘争に血道を上げると、必ず脱落者が続出し、組織の統率を失い、本来の目的を果たせなくなる。組合の幹部には、どうしても現代語にいう「意識高い系」が就く傾向にあり、自らの主張を正当化し権限を行使するために政治闘争に加わろうとしやすい。だが、実際には労働組合は、労働者の互助団体に過ぎないわけで、そこには様々な政治的主張を持つ者がいるはずで、組合をある政治方針の下に一致団結させることは難しい。それを無理に行えば、脱落者が続出するのが自然の流れであり、特に左派系で政治性の強い日教組や自治労が忌避される理由の1つになっている。

ましてストライキとなれば、その影響は経営者や関係者から顧客まで波及することになる。労使交渉が妥結せずにストライキに及ぶ場合は、組合内の合意を得やすく、関係者や経営陣に対して自らの正当性を主張できるが、政治ストライキの場合、労働者の利益や会社のあり方とは無縁であるだけに正当性を主張できない。
例えば、教員が「部活動指導は自分の仕事では無い」と言って授業後にストライキを行い、全員で家に帰ってしまうのは、教員組合として十分に正当な要求であるが、その教員が「改憲反対」とか「安保反対」などと言って授業を放棄するのは誰が支持するだろうか、という話である。
ただし、公務員によるスト権ストライキのように非常に政治性の高い労働要求は例外と言える。警官や自衛官が団結権を求めてストライキ(現時点では非合法)を行うのは、デモクラシーに合目的であり、十分な正当性がある。これは現在の日本では支持されないかもしれないが、単に日本のデモクラシーの成熟度が極めて低いだけのことだ。

日教組の組織率が2割程度になってしまっているのは、彼らが労働環境の改善や雇用の維持に対してほぼ無力であり、圧倒的な残業時間と残業代未払いを放置したまま、政治闘争に血道を上げているからに他ならない。日教組は部活動廃止と労働時間規制などの要求にとどめ、本来の役割に立ち返るべきだろう。
政治運動は、市民個人の資格で別の枠組みで参加すべきであり、労働運動と一体化させるのは戒められるべきだ。
posted by ケン at 13:13| Comment(5) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月26日

上には上が:新保清の場合

私の大伯父は、陸士から中野学校を出て(例外的パターン)、支那派遣軍や関東軍の情報部で諜報活動を行っていた。終戦時には新京におり、機密文書の廃棄等を行った後、満州を徒歩で横断、ソ連軍の戦線をすり抜けて、浦潮から船で帰国。むしろ他の大陸にいた人々よりもよほど早く帰国したので、逆に脱走と疑われたくらいだった。その伯父の話は一族の伝説であり、聞いた私にとってもショッキングだったが、上には上がいるというか、小説や映画の主人公を地で行く無名の人はまだまだいるようだ。

【新保清】1915年、陸軍のテストパイロットをしていたところ、政府の義勇兵募集の広告を見て志願、欧州に渡りフランス軍航空隊に加わり、ドイツ軍と交戦、撃墜されて独軍の捕虜に。収容所を脱走してロシアに入ったところ、赤色革命に遭遇、労農赤軍に参加。シベリアに行き、抗日パルチザンとしてシベリア出兵中の日本軍との戦闘を指揮。内戦終結後はモスクワで日本語教員を務めるも、後にスパイ容疑で銃殺された。
posted by ケン at 09:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月24日

国と保守派が君が代を強制するワケ・下

前回の続き)
敗戦まで日本国民が比較的おとなしかったのは、帝国主義政策による領土拡張(独占市場の確保)が順調に進み、植民地支配によって安価な主食と労働力を確保してきたためだった。ところが、日中戦争でそれが頓挫すると、戦争遂行に対する訴求力がなくなり、急にそれまで否定してきた労働者の権利保護を始めとする社会主義的政策を導入していった。日本で最も社会保障政策が充実したのが大戦期だったことは、超遅まきながらも支配層が「天皇のために死ね!」と言うだけの明治帝政の原理が成り立たなくなりつつあったことを認めるものだった。
そして敗戦を迎える。今日では「聖断」に至る過程は美談と解されているが、沖縄戦と原爆二発とソ連参戦を経てなお、国体(天皇主権)護持を条件にポツダム宣言(休戦条件)を受諾したことは、厳しく評価されるべきだろう。

もともと全体主義的な独裁制(天皇主権)を規定した大日本帝国憲法が、ポツダム宣言の受諾という外的要因のみをもって、主権者が天皇から国民に移動した。古代神の末裔であることを支配の正統性とし、その天皇を崇め奉る感動をもって国民団結と国家統合の原理としてきたものが、敗戦を期に、自立した全市民が参加する国民国家へと変貌を遂げることになった。
しかも、そこに至る期間は非常に短く、わずか1年、議論の実質は約半年しかないという突貫作業をもって、恐らくはデモクラシーの何たるかも良く分かっていない国会議員と官僚が、ポツダム宣言(休戦条約)の履行をするために日本国憲法をつくっていったのである。この憲法改正によって、天皇は国家の主権者にして、限りなく全能的な地位を失い、主権者は日本国民となった上に、天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」とされた。

連合国は、天皇主権こそ認めずに主権在民を要求、日本側は難色を示して「国民主権」に落ち着くが、それ以上に日本側は天皇の地位存続に固執、完全武装解除(非武装、憲法9条)と引き替えに象徴天皇制(憲法1〜8条)が認められた。
新憲法は自由と民主主義、そして平和主義を奉じることを宣言し、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」としているものの、それが何故天皇に象徴されなければならないのか、まったく説明がなされていない。しかも、自由にしても民主主義にしても平和主義にしても、全て戦前期には存在しなかったものであり、国民に価値観を浸透させるためには相当の自覚と努力(教育)が不可欠だったはずだが、戦後の教育制度の中にデモクラシーの成員を育てるという理念が組み込まれた形跡を見つけるのは難しい。また、デモクラシーの観点からすると、主権付与の対価とされるべき義務兵役がなく、戦時中に施行された源泉徴収制度によって納税者意識が育たなかったことも、主権者としての意識の成長を阻害したと考えられる。

同時に、占領期に進められた民主的改革の相当部分が、占領解除に伴う戦犯・公職追放者の復帰に伴う鳩山・岸内閣によって反故にされ、権威主義体制への復帰が試みられたものの、敗戦から間もない国民の反発は強く、憲法改正には至らず挫折した。
この時の岸信介の構想は、国民健康保険と国民年金という社会保障の対価として、再軍備と義務兵役の復活を国民に認めさせ、対外的には日米の関係をより対等なものにして、「五大強国」の一角を占めた帝国期の栄光を再興するというものだった。しかし、戦犯上がりで右翼やCIAとの関係が取りざたされ、常にダーティーなイメージが付きまとう岸に対する風当たりは非常に強く、自民党内ですらまとまらなかった。
最終的に岸内閣は日米安保を改定して退陣するが、「後世の歴史家」の視点からすると、健保と年金と改正安保という「良いとこ取り」をして国民は岸を捨てたと見ることも可能であり、この怨念が娘を通じて現在の安倍首相に継承されていったようだ。言い直せば、安倍一派の主張は「貴様ら国民は天皇陛下から主権を奪った上に、岸先生にもらった健康保険と年金という恩寵を今まで享受してきたんだから、今度は貴様らが国家に奉仕し、その栄光再建に積極的に貢献すべきである」ということなのだろう。
だが、岸路線が否定されると、自民党は吉田路線に復帰する。この2つの潮流を整理すると、

吉田路線:戦後民主主義の肯定、軽武装、非権威主義
岸路線 :戦後民主主義の否定、重武装、権威主義


という感じになる。中曽根内閣期に多少岸寄りになったものの、自民党は90年代に至るまで基本的に吉田路線を継承していたことが分かる。国旗国歌法が成立したのは1999年で、何をかを象徴していた。
1990年代の大きなメルクマールは、いわゆる「バブル崩壊」と「政治改革の失敗」だった。バブル崩壊とそれに伴う銀行救済のための財政出動により財政赤字が急増、同時に少子高齢化の急進により保険財政も急速に悪化する。
ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べられている。戦後民主主義を支え、一党支配の正統性を担保してきた高度成長がストップし、デモクラシーを危機に導いていった。
そして、政治改革の失敗により、戦後から80年代まで日本政治を牽引したエリート支配に終止符が打たれ、小選挙区制の導入に伴い、ヤンキー(反知性主義)が優位に立っていった。この流れについては後日改めて検証したい。

日本ではデモクラシーが休戦条件として導入されたものであるだけに、民主主義の社会的基盤が非常に脆弱であり、公教育においても「民主主義とは何ぞや」が教えられないため、日本の有権者は民主的共同体の一員であるという自覚が無く、選挙についても「支配者の信任投票」程度にしか捉えていない。国政選挙の投票率が半分しかないことがそれを示している。
憲法は自由、民主主義、平和主義を奉じることを宣言したものの、霞ヶ関の権威主義者たちが教育宣伝を怠ったため、国民統合の原理として国民的合意を得るには至っていない。本来であれば、国民統合の原理や国が掲げる理想を、国旗と国歌に体現すべきであったが、日の丸と君が代が継承されたことは、権威主義体制への復帰する根を残す形となった。

それでも、戦後自民党の吉田路線が支持され、国民的統合(統治)が上手くいっていたのは、健康保険と年金に代表される社会保障制度が整備され、経済成長が順調に進み、概ね貧困が淘汰されたためだった。
ところが、バブル崩壊を経て経済成長が止まり、経済格差が拡大、少子高齢化に伴い社会保障の切り下げが不可欠になってくると、吉田路線による国民統治が困難になり、自民党による一党支配の正統性の根拠が失われていった。実際、自民党支配が崩れたのは、バブル崩壊後とリーマンショック後に限られている。

自民党としては、一党支配を継続するために、経済成長と社会保障に替わる国民統合の原理が必要となった。福祉国家モデルに替わる新たな国家像が求められたのである。安倍一派や橋下一派を始めとする右派に共通する主張は、

「社会保障は切り下げます、貧困は放置します、戦争もやります、でも自分の面倒は自分で見てください、私たちは同じ国民ですから文句は言わないでください、天皇陛下とともに生きられるだけでも感謝してください」

というもので、国民統合の象徴として日の丸と君が代を掲げたのだろう。80年代までは強制せずとも国民統合が実現していたが、90年代に入り、貧困化を背景とする社会的不満が高まるにつれて国歌と国旗の強制を強めていったと考えれば自然だ。
2004年の園遊会において、参列した東京都教育委員から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言われた平成帝は、「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」と返している。これは、自らの失政の責任を無答責の天皇に負わせて免罪を図ろうという、自民党・右派の邪心を看破したからこそのものと見て良い。

さらに言えば、アメリカの勢力衰退によりアジアからの米軍撤退が取り沙汰されるようになり、それを少しでも遅らせると同時に、自衛隊の海外展開機能を高めるために、自衛隊による対米協力と海外派兵を強化させる必要が生じた。だが、武力行使と軍事力保持を否定する憲法を持ち、数十年に渡って吉田軽武装路線を支持してきた日本国民に対して、「俺が変わったんじゃねぇ、国際情勢が変化したんだから、自由に武力行使できるようにならないと生き残れない」と説明したところで合意を得るのは容易でないだろう。この点でも、「天皇陛下の下でともに生きる国民なんだから、国がやることにケチ付けるなよ」という意味で、国旗国歌を強制するほかなかったのではなかろうか。

「パンピーは君が代歌って黙ってろや、俺らがやることにケチつけるな!」

としか言えない日本の右翼はすでに死に体にあるが、福祉国家や日米同盟に替わるオルタナティブを打ち出せない左翼もまた深刻なのだ。これでは遠くない将来、革命が起きるかもしれない。

【参考】
自民党支配の正統性とデモクラシーの危機 
仮説:公職追放を考える 
皇統存続と近代原理の無理 
・天皇の言うことを聞かない右翼 
歪なる保守主義 
保守・反動教育の無理 
posted by ケン at 12:24| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする