2015年08月21日

朝鮮半島で緊張度上昇

【<北朝鮮砲撃挑発>北、2回にわたり砲撃…韓国軍、30余発で対応】
北朝鮮軍が20日、西部戦線で対北朝鮮拡声器を狙って砲撃を加えたのに続き、48時間内に対北朝鮮心理戦を中断しなければ軍事行動を取ると威嚇した。また、北朝鮮朝鮮中央通信は21日0時40分ごろ、「党中央軍事委員会非常拡大会議が緊急招集される」と伝えた。韓国政府の関係者は「金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が砲撃挑発に関する議論を行うために会議を招集したもの」と述べた。
韓国国防部当局者は「北朝鮮軍総参謀部が午後5時ごろ、国防部宛てに電話通知文を送ってきた」とし「『今日(20日)午後5時から48時間内に対北朝鮮心理戦放送を中止し、すべての手段を全面撤去せよ。これを履行しなければ軍事的行動を開始する』と主張した」と明らかにした。この当局者は「現時点では対北朝鮮放送を継続していく」と述べた。
これに先立ち、北朝鮮は午後3時53分と4時12分の2度にわたって、京畿道漣川郡中面(キョンギド・ヨンチョングン・チュンミョン)一帯に14.5ミリ高射砲と76.2ミリ直射砲を撃ち、韓国軍は155ミリ自走砲で対応射撃を行った。南北が砲撃戦を行ったのは、2010年11月の延坪島(ヨンピョンド)砲撃戦以後4年9カ月ぶり。国防部当局者は「北朝鮮軍が高射砲を撃った直後、味方の対砲兵探知レーダーで砲弾の軌跡を捕らえた」とし「軌跡を分析している間、北朝鮮軍が直射火器で攻撃を行った」と述べた。
この当局者は「正確な原点は把握できなかったが、北朝鮮軍が非武装地帯(DMZ)の中に重火器を持ち込み攻撃したものと承知している」と付け加えた。北朝鮮軍の1回目の砲撃である高射砲弾は、この地域を管轄する韓国軍6軍団の射撃場近隣の山に落ち、直射砲はDMZの中に落ちたため軍や民間人に被害はなかった。
合同参謀本部は北朝鮮軍の砲撃直後に該当地域の対北朝鮮警戒態勢を強化し、全軍に非常警戒態勢を維持するよう指示をした。軍関係者は「人命被害が発生していないことから、休戦ライン(MDL)の北側500メートル地点に北朝鮮軍にわが軍の報復意志を示すために30余発の自走砲を撃った」とし「北朝鮮軍の射撃原点打撃には失敗した」と話した。同日砲撃戦が繰り広げられた地域には対北拡声器が設置されているという。北朝鮮は「南側が36発の砲弾を発射した」とし「そのうち21発は味方の哨所付近に落ちた」と話した。
朴槿恵(パク・クネ)大統領は同日午後6時ごろ、青瓦台(チョンワデ、大統領府)で国家安全保障会議(NSC)緊急常任委員会を主宰して「断固として対応し、軍は万全の対備態勢を維持すると同時に住民の安全と保護に万全を期すように」と指示した。
(中央日報、8月21日)

南北ともに対内的理由から小規模紛争を望む空気があり、意外と戦闘が本格化する可能性を秘めている。北は軍に対する統率強化、南は政権求心力維持への欲求が強いだけに、「ちょっとくらいの戦闘はむしろ好都合」という思惑が働くからだ。
北朝鮮では、この間旧体制派(金正日の側近)に対する粛清が続いており、それが一段落して新体制下で党・軍内における求心力を高める「何か」が欲しいところと考えられる。
韓国は韓国で、朴大統領の求心力が低迷しているだけでなく、対日関係が完全に冷却化しており、米国との関係(米側の対韓関与の現実性)も微妙になっている。ここで北との小規模紛争が発生すれば、小規模な限りにおいていずれの問題も、一時的にではあるが解決する可能性が高いだけに、朴政権にとっては魅力的な選択肢になっている。さらに韓国経済が低迷する中で、軍事産業からも兵器をアピールする機会が望まれている。

史実で言うなら、盧溝橋事件や上海事変、あるいはノモンハン事件や金門紛争(1958年、台湾海峡)などが状況的に類似している。武力を有する二者が緊張状態にあり、かつ両者がともに低強度の紛争を望んでいる(望む有力な勢力が存在する)、という状況である。この場合、偶発的な戦闘が勃発した際にブレーキ機能が非常に弱まるため、本格的な武力紛争に発展する様々な要素が浮上することになる。

常識的に考えれば、「朴大統領は中国(抗日戦争式典)に行くな!」という北朝鮮側のサインなのだろうが、もう少し裏がありそうだ。近々、中国軍による何らかの軍事行動があるのかもしれないし、ウクライナ紛争が再燃するのかもしれない。そこは分からない。ただ、各国諜報機関が「8月24日に大事件が起きる」と血眼になって情報を集めているという話もあり、何かしらの関係があるのかもしれない。
posted by ケン at 12:53| Comment(4) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月20日

第14回世界バレエフェスタ Bプロ

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少し間を置いてしまったが、3年ぶりの世界バレエフェスタの報告。バレエ鑑賞自体、久々になってしまった。
今年も会期がずれ込んで早退できるか気が気でなかったが、幸いにして何事も無く、それでもギリギリでブザーが鳴っている最中に着席する有様だった。6時開演とか色々無理デス。
座ってみると、わずかに空席が確認され、ここ15年ほど見続けているが、満席で無かった記憶はない。相変わらず9割以上が女性という世界だが、1つ置いた隣が男性三人組で、同行したお姉様が非常に気になっていた模様。
何人か怪我人が出て、プログラムに変更が生じていたが、確認する前に開演してしまった。

前回同様、ロシアとドイツのダンサーが多くを占めている。中でもやはりロパートキナとヴィシニョワが素晴らしい。今回はザハロワ女史が参加されておらず、超残念。
前回に引き続いてロパートキナ女史が「瀕死の白鳥」を演じているが、相変わらずの完璧な白鳥ぶり。生と死、動と静の対比は、「これぞ正しく自分が見たかったもの」だった。神に選ばれたダンサーしか踊れない演目であることを再確認。11月の来日公演「愛の伝説」も超楽しみ。



ダニール・シムキンの「レ・ブルジョワ」も凄かった。何と言っても跳躍が高いし、あの斜めな態勢で跳んであの滞空時間を維持できるのは、中にバネでも入っているのでは無いかと。天才ですな。
アイシュバルトの「椿姫」もほれぼれする美しさ。華やかにして艶やかなイメージが椿姫にピッタリ。
サレンコのジュリエットもはまり役。小柄で可愛らしい感じが良いのだろうが、でもあれでもう30過ぎてるんだよな。演技力も凄いデス。

しかし、前回も同じ感慨を抱いたのだが、舞踏という点で「フェスティバル」の祭典的要素がやや薄くなっており、全体的にモダンを含めても教科書的な無難な振付と演技になっていた気がする。私的には、せっかくの祝祭なのだから、もっとはっちゃけて良いと思うのだが、次回に期待したい。
posted by ケン at 12:41| Comment(0) | バレエ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月19日

戦後70年談話の影響

【外務省HPから「おわび」削除 首相談話からめた見方も】
 外務省が14日に同省ホームページ(HP)から、政府の歴史認識やアジア諸国への「反省とおわび」に関する記事を削除していたことがわかった。同省は安倍晋三首相が出した戦後70年談話を踏まえて再掲載するとしているが、「安倍談話」の趣旨と合わないので削除したのではないか、との見方も出ている。
 削除されたのは「歴史問題Q&A」というページ。2005年8月、戦後60年の取り組みの一環で掲載した。先の大戦に対する「歴史認識」のほか、「慰安婦問題」「南京大虐殺」「極東国際軍事裁判(東京裁判)」など8項目について、政府の見解や対応を説明している。
 先の大戦の歴史認識については「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」「痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻み」などと記述。1995年の村山談話や05年の小泉談話を踏襲する内容で、両談話を参考資料にも掲げていた。
(朝日新聞、8月17日)

安倍総理の「戦後70年談話」は、何とも中途半端で曖昧なものとなった。特に「天皇談話」が一歩踏み込んだものになるとの情報に接した辺りから、官邸内は右往左往するところとなり、さらに安保法制の審議過程で内閣支持率が急低下するに及んで、安倍氏自身の歴史修正主義的見解を抑えざるを得なくなった。その結果、総理談話というよりも、傍観者による評論のような第三者の意見になってしまった上、「おわび」や「侵略」の文言が入ったことで自身の支持基盤である右派に不満が生じている。また、韓国や朝鮮に対する植民地支配の配慮を最小限に止めた一方で、中国については「戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人」などと格別の配慮を見せており、安保法制審議における反中路線の明確化に比して二律背反を示してしまっている。
これらは要するに「戦勝国に阿っておけば問題ないよね」というスタンスに発する霞ヶ関文学の表れであり、宗主国に対して「この談話ならよろしいですか?」と諮った結果でもあろう。関係各所に配慮し過ぎた結果、引用ばかりで本人の意思を表明する部分がほとんどなくなり、意味不明な謎談話になってしまったものと思われる。挙げ句の果てに読売新聞に内情を暴露されて、「これが自分にできるギリギリのところ」などという総理の発言まで紹介されてしまっている。

個人的には、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」の部分が非常に気になる。そもそも日露戦争は、朝鮮半島支配をめぐる日露対立に端を発するもので、日本側が満韓交換論を提示、朝鮮王室に影響力を持つロシアが半島の北半分の中立を条件提示したところ、日本側がブチ切れて宣戦布告している。しかも、その戦場は朝鮮と清国領土内であり、日露戦争が植民地支配をめぐる主導権争いであったことは明白だった。
さらに言えば、日露戦争の根源は、日清戦争において「朝鮮の独立」を求めて戦った日本が過剰な領土要求を行ったところ、三国干渉を誘発して清国と朝鮮を親露国にしてしまったところにある。そこで、「今度はロシアだ!」とばかりに増税を課して軍備拡張を続けていただけに、「いまさら満韓交換論でロシアと妥結して戦争しませんとは言えない」という状況に陥っていた。つまり、日清戦争後の外交戦に敗北した日本が、領土獲得競争の挽回を図ったのが日露戦争だったのであり、「アジアやアフリカの人々を勇気づけました」というのはご都合主義的な後付けでしかない。そもそも当時の日本人には、「植民地支配にあえぐアジア・アフリカ諸国民を勇気づける」などという発想はどこにもなかった。
日清・日露戦争を肯定することは、植民地獲得と支配を肯定することであり、「日本は一体何を反省しているのか?」「反省しているのはアジア太平洋戦争だけ?」「連合国に負けたから仕方なく反省しているだけだよね」と突っ込まれても仕方ない。

日清戦争の「勝利」を検証する 

そして、アメリカを満足させたのは、
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

との一文であり、これは「分不相応にもアメリカさんに戦争を仕掛けてしまい、すみませんでした。これからは貴国の下でアメリカ支配の一翼を積極的に担っていくことを誓います」という忠義(属国)の宣誓だからだ。アメリカによる「デモクラシーの帝国」建設の一翼を担い、全世界に自衛隊を派兵して米軍の兵站支援を行うことを宣言したのだから、米国としては満足な結果だったのだろう。
官邸に詳しい者の話によれば、「国際秩序への挑戦者」には二つの意味があり、一つは文脈の通り、米英に対する謝罪と失敗者としての自己評価であるが、もう一つ隠された意味がある。それは現代の中国とロシアを指して、「現代における国際秩序への挑戦者」である中国とロシアに対して「日本はアメリカと共に断固戦うことを誓う」と読むべきであり、だからこそ、米政府から好評価を賜ることが叶ったのだと。私的には非常に納得の行く分析だった。

他方、日本の旧式左翼は過去の談話の継承にばかりこだわり、安倍氏の「俺はやるぜ!」という宣言を見逃してしまっている。
こうした間隙を縫って外務省は、過去の総理談話ページを改編し、歴史修正主義と対米従属強化への傾斜を深めているものと考えられる。

【追記】
「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます」も超笑える。おいおい、じゃあTPPは何なのよ、ブロック経済そのものじゃないの?勝者側のブロックに入ればOKという話デスか?突っ込みどころ満載過ぎて、我々的には「ただ黙殺するのみ!」と宣言しておこう(笑)
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2015年08月18日

安保は憲法に優先するか?

軍事力は国力の重要なコンポーネントの一つであるが、わが国は、もしその必要があるときも、軍事力の行使については、極めて抑制的にそれを行使する。その大原則、方針にかなったものでなければならない。憲法の学者の中では、今回の法案については、憲法違反であるという考えられる方が多いと承っている。(中略)今回の法案はもちろん、憲法上の問題を含んでいるが、同時に、安全保障上の問題である。もし、今回の法案についての意見を、憲法の専門家の学会だけでなく、安全保障の専門家かなる学会で、同じ意見を問われれば、多くの安全保障の専門家が今回の法案に、かなり肯定的な回答をするのではなかろうか。学者は憲法学者だけではないということ。

7月13日の衆議院安保特公聴会における同志社大学長・村田晃嗣氏(KM党推薦)の発言。国際政治学者や軍事・安全保障の専門家には、この手の「国際情勢が大きく変化し、憲法の理念が現実にそぐわなくなってきた以上、現実への対処は憲法に優先される」という説を唱えるものが多く、政府の立法や主張も基本的にこの説の上に成り立っている。

こうした理解は何も最近始まったものではなく、そもそも自衛隊の成立からしてそうだった。
日本国憲法の草案策定に際しては、社会党系の学者(高野岩三郎や森戸辰男など)がつくった草案ですら再軍備を前提としており、非武装や交戦権放棄など全く考えていなかった。ところが、幣原喜重郎らによって、天皇制(国体)を始めとする権威主義を温存する代償として軍備放棄する案が提出され、GHQとの協議を経て平和主義の第9条が成立した。これは自国防衛を放棄したのでは無く、将来成立するであろう国連軍が日本国の防衛を担うことを前提としており、国連軍への参加まで否定するものではなかった。ところが、実際には常設の国連軍は成立せず、米軍が国連軍に替わって日本防衛を担うことになった。そこに朝鮮戦争が勃発し、在日米軍が朝鮮半島に渡ることで、日本に軍事的空白ができると同時に共産革命の脅威(結果的には妄想だった)が発生、米軍の補助部隊として警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が成立した。歴史的には自衛隊は「自力防衛の実力組織」であると同時に、「反革命治安部隊」としての色合いがあった。60年安保に際して岸総理が治安出動を要望したことは記憶に新しい。
外部からの侵略に対しては、将来国連が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。
「防衛白書」2013年度版

その自衛隊が発足する直前の1954年6月2日には、参議院において「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」がなされているが、諸先輩方はすでに今日の事態(拡大適用)を危惧していたことが分かる。
本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。右決議する。
(自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議、1954年6月2日、参議院本会議)

だが、先輩たちの御意思に反して、自衛隊の海外派兵は1991年の湾岸戦争を機に解禁され、2006年には自衛隊法改正によって付随任務から本来任務に変更、以後今日に至るまで、3度にわたる多国籍軍の後方支援(ペルシャ湾、インド洋、イラク)、8度にわたるPKO参加(南スーダンは現在も継続中)を始め、30回近い海外派兵が行われている。
PKO協力法は、湾岸戦争において日本が資金協力に留まったことに対して政府、自民党などから批判が出て、軍事的な国際貢献を積極的に進めるべきだとの主張に基づいて策定された。

ところが、2001年の911テロ以降、米国が国連を無視した独自の武力行使を増やすにつれて、PKO法では対処できなくなると同時に、その都度米軍を支援するための特別法を制定することのリスクや限界が生じていった。特に2007年の参院選で衆参逆転現象が生じてテロ特措法が期限切れに終わり、インド洋における海上自衛隊の給油活動が「中断」するに至り、外務・防衛官僚や自民党安保族を中心に危機感が高まった。彼ら的には、「アフガニスタンに陸自を出すくらいなら、インド洋で給油活動するくらい安いもの」であり、給油中止によって宗主国から「給油しないなら陸自を出せ(ゲリラ討伐に参加しろ)」と言われるのではないかという恐怖感を共有していた。
そして、イラク戦争の失敗とリーマンショックに象徴される、アメリカの国際的影響力の低下に伴い、「米軍のアジアからの撤退」が時間の問題となるに連れて、外務官僚と自民党親米派に「同盟国から見捨てられる」という恐怖感が高まり、「アメリカの国際戦略により積極的に協力しなければ、米側から日米安保を切られる」という主張が霞ヶ関と永田町を支配していった。こうして出てきたのが、今回の一連の安保法制である。

ここまでの流れを見る限り、自衛隊設置にしてもPKO協力法にしても、社会党などによる「軍国主義の復活」「歯止めが利かなくなる」との反対が杞憂だったことは否めない。だが、それはたまたま政府の運用が慎重であったことや、一定の数を持つ批判的野党の存在が歯止めになってきたことも確かだ。そして、同時に自衛隊の戦力(名目上は実力)も拡大の一途を辿り、今日では世界有数(軍事費で世界6〜8位程度)の戦力を有するに至っている。憲法第9条には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と記されているが、規模にして世界2位とも3位とも言われる海上自衛隊をして「戦力じゃありませんから!」と主張してみたところで、全く説得力が無い。
そして、今回の安保法制が成立すれば、世界有数の戦力を有する自衛隊の海外派兵が政府の判断1つで自由に行われるようになり、米軍などに対する後方支援、兵站支援、弾薬・燃料供給が恒常的に可能になり、しかもその実態については特定秘密保護法によって一切明らかにされないという事態が生じる。これについても、交戦中の軍隊に対する補給活動や、兵站線保持活動をして「これは憲法で禁止されている武力行使には当たらない」という政府答弁になるわけだが、仮にそこで交戦が行われたとしても秘密保護法で隠蔽されてしまえば、議会で問えない仕組みになっている。

最近では総理や官房長官が必死の形相で「非核三原則は守る」「徴兵制はあり得ない」などと主張しているが、つい先日まで「集団的自衛権は憲法違反になるので行使できない」と主張していた政府が「限定容認」に転じたのに、同じ口で非核三原則や徴兵制は守りますと主張してみたところで、全く説得力が無いのは当然だろう。

【追記】
某同志に言わせると、国際政治学という「学問」自体が米国発祥の、米国の覇権に奉仕する学問なのだから、「国際政治学者」を自称する者はすべからくアメリカへの奉仕者であると認識すべきだ、とのこと。
posted by ケン at 12:27| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月17日

軍隊のあり方についてB〜近代国民軍の成立

近代の民主的軍隊の起源は、近世のオランダやドイツの「市警軍」に求められる。
市警軍の役割は、戦時には都市の防衛を担い、平時には都市の治安を守っていた。その都市の治安維持の主な任務は、夜回りすなわち夜警であり、敵の工作員やスパイを取り締まり、火災や火付けを警戒する役目が主だった。市警軍を構成するのは、法的に市民権を有する市民であり、「自分の町は自分で守る」という自治権の象徴だった。そのため、基本的に給料はなく、武器も自前だった。
ちなみに、当時の市民を意味する仏語の「ブルジョワ」(独語でビュルガー)は、都市を指す「ブール」(独語でブルク)から派生しており、「都市自治に参画する固有の住民」を意味した。つまり、外部から流入して裏路地に住まうような人は「市民」ではなかったのだ。
(参考:「夜警」が意味するもの

そして、国民軍の原型はフランス革命に見いだされる。フランス革命によって主権者が国王から市民に転じ、同時に国防の義務もまた王から市民全員が負うことになった。フランス革命時の徴兵制は、国民皆兵を基礎としたが、これは「市民が持ちたる国」を破壊しようと企む外国勢力や王党派から、革命の成果を自分たちの手で守るという原理の上に成り立っていた。つまり、共同体の自己決定権の一翼を担う主権者である以上、共同体防衛の義務もまた皆で協同して担うという考え方である。同時に、国民皆兵論に基づく徴兵制は階級や資産などの別なく徴兵の対象となることを前提としており、それは社会の公正性と平等性を体現するものでもあった。
デモクラシーとは、「市民全員が等しい政治的権利を有する共同体」という幻想の上に成り立っており、それ故に市民全員に防衛の義務が課されるのが自然であり、「政治的権利は有するが、防衛の義務は課されない」という日本のあり方の方が歪なのだ。

もう一つのモデルは米国に見いだせるが、こちらは例外的ケースと言える。
アメリカ独立戦争は、もともと七年戦争とフレンチ=インディアン戦争に伴う財政危機を回避するために、英政府が植民地(のみ)に対する課税強化を行ったことに端を発する。様々な新規課税が植民地移民の合意なくして進められた上に、東インド会社の茶だけは非課税の独占販売ということになり、「ボストン茶党事件」(1773年)が起きる。これに対して英政府が弾圧に乗り出して懲罰的立法による自治権剥奪を行った結果、各植民地を守る民兵が暴発、イギリス正規軍との戦闘に入った。アメリカ独立のための「大陸軍」が結成されたのは、植民地ごとに分断された民兵の統率を一本化するためであり、現に独立が認められ戦争が終結すると、大陸軍は実質的に解散、その後も長いこと常備軍を置くことに慎重なスタンスが続いた。独立戦争に続く、米英戦争が1812年に起きたとき、米陸軍はわずか1万人足らずしか持たなかった。
アメリカ軍の目的は「独立を維持すること」にあり、「必要なときに必要な兵を志願募集、不要になったら解散して市民生活に戻る」ことを原則とした。アメリカ合衆国は、本来的には平等な権限を有する州の連合体(合州国)であり、巨大な権限を有する中央政府や軍隊は「悪しき英国モデル」として忌避すべき存在だった。アメリカ市民にとって至高の価値は、イギリス国教会から独立した「崇高なる信仰生活」(ピューリタニズム)であり、個人の信仰と家族共同体を守るために軍に志願することは、神に忠誠を尽くし天に徳を積むものだった。結果、軍に集ったものは「信仰と家族を守る兄弟」と考えられた。つまり、「神に対する義務と神の下での平等によって信仰共同体を協同防衛する」というのがアメリカ軍の根幹理念だった。アメリカが、無神論のソ連や中国、あるいはイスラム諸国に過剰な敵愾心を示すのは、「信仰共同体に対する脅威」であるからなのだ。

ここで日本に立ち返りたい。日本は軍隊のあり方において非常に不安定な状態に置かれている上に、国民の間で認識が全く共有されていない。
というのも、日本は市民革命を経ていないため、国民軍が成立した経験を有していないからだ。日本でかりそめの近代国家が成立したのは明治維新だが、その憲法は絶対君主制そのものであり、運用によって集団指導体制を実現するという、大きな問題を抱えた統治システムだった。
先の稿で説明したように、王権神授説に基づき天皇が統治権と軍事権を占有するとともに、国防の責務を負い、臣民は天賦の軍事権を占有する国王の責務を全うする道具として兵役徴集されることになった。結果、日本軍は天皇主権を守り、その栄光を全世界に示すための道具となり、臣民は天皇個人に対する忠誠義務を果たすために兵役徴集された。1945年の悲劇の数々は、国民保護の義務を課されていない私軍によって引き起こされた側面が強い。

アジア太平洋戦争に敗北した日本は、戦後処理の中で天皇免責と官僚機構温存と引き替えに軍事権を放棄した。当時、国土防衛の実務は国連軍が担うという前提だったものの、国連軍は実現せずに米軍が代行することになった。ところが、朝鮮戦争が勃発し、米軍が半島に出兵することになったため、後方となった日本本土を防衛する戦力が不足、米側の要請に対して日本の権威主義者(旧体制の生き残り)が応じる形で自衛隊が成立していった。この自衛隊は、要するに米軍不在の日本を共産勢力から防衛するための「抑え」でしかなく、先に述べたような国民軍とも義勇民兵とも全く無縁の存在だった。敢えて言えば、「反共傭兵団」に近い。
【自衛隊法第三条】 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

日本国憲法第9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とある以上、日本は軍隊を保有できず、「自国を防衛するための必要最小限度の実力組織」と規定する他なかった。その結果、自衛隊は防衛省の機構の一部という扱いで、憲法に規定されず、議会(国権の最高機関にして主権代行機関)の統制を全く受けない組織になっている。近代の民主的軍隊であるならば、「誰による誰のための軍隊」か規定されるはずだったが、「実力組織」なる官僚機構であるがために「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」という「国って誰だよ?!」と突っ込みが入るような曖昧な規定にされてしまったのだ(権威主義者の陰謀だろう)。

例えばスイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。これに対して、ロシア連邦国防法は「ロシア連邦軍は、ロシア連邦に対して向けられた侵略の撃退、ロシア連邦領土の保全と不可侵性の武装防護、並びにロシア連邦の国際条約に従った任務の遂行を使命とする」としており、日本の自衛隊と同様、国民保護の義務を負っていない。
租税法律主義や罪刑法定主義を見れば分かるとおり、近代国家は「やるべきことは法律に明記する」「法律に記載されていないことはやってはならない」を原則としている。これは王権(行政)の暴走を抑止するために、立法権を議会に委ね、その合意無き施策は実行不可能とするものだった。これがないと、国王が勝手に徴兵や徴税を始め、外国に宣戦布告してしまう恐れがあるからだ。
それだけに、法律において国民の保護が規定されていない自衛隊は、余裕のある平時はともかく緊急時に際しては「国民(個人)の保護は我々の任務では無い」と主張するに足る根拠を持っており、1945年の沖縄戦の悲劇を繰り返す原因をはらんでいる。

【参考】
軍隊のあり方について続・日本軍の場合

【追記】
米国大統領は、その就任式において聖書の上に手を置いて、職務遂行と憲法遵守などを誓い、最後を「So help me God.」と締める習わしになっている。つまり、キリスト教の主上(ヤハウェ)に対して宣誓しているのである。
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2015年08月13日

原田版:日本のいちばん長い日

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『日本のいちばん長い日』 原田眞人監督 日本(2015)

岡本喜八を「神」と仰ぐ私からすると、「新版」を見ること自体「不義」ではないかと思わなくも無かったが、見比べて改めて評価すべきだと思い至った次第。やはり最新の技術や新たな歴史検証の成果がどのように影響しているのか確認せずにはいられなかった。
端的に言えば、「よく出来ている」と言える。岡本版との比較においても「十分行ける」と言える。

岡本版は良くも悪くも演技過剰でカットが多く、パワーと熱気で見ているものも一杯一杯になりながら力押しで押し切られてしまう感じだったが、原田版は昭和帝と鈴木総理と阿南陸将に焦点を据えストーリーを追って見せてくれている。原田版は、最新の歴史検証が反映されていることと、鈴木貫太郎が総理を拝命する4月からストーリーを展開しているだけに、知識の少なめな初心者にも優しい設定になっている。確かに改めて考えると、岡本版は歴史知識の無いものにとっては「何が何だか分からないまま熱気にむせ返って終わった」というところがある。ただ、原田版は史実を忠実に再現しようとした結果、ただでさえ現代人にはわかりにくい帝政期の統治システムをそのまま表現してしまっているところがあり、かつ岡本版のような人物説明(役職)のテロップが付かないため、誰が何を主張しているのか非常に分かりづらい構図になっている。原田版の「誰が誰だか分からない」というのは、知識の無い人にとっては致命的かもしれない。同時に、議論のシーンとしても岡本版の方がわかりやすい。また、原田版では東郷外相が殆ど出ないことも不満だ。

映像的には、原田版は「終戦のエンペラー」ほどではないにせよ、CGとセットを併用しつつ、焼け野原の東京や宮城内外を見事に再現しており、当時の陸軍省や海軍省の具合も岡本版を脳内補完させる意味で良い感じに仕上がっている。冒頭の橿原神宮のシーンも印象的だった。1945年のリアルを知らない我々からすると、非常に参考になる。

演技的には、鈴木総理を演じた山崎努と、昭和帝を演じた本木雅弘の両氏が秀逸。本木氏は役を受けるかどうかで随分と悩んだようだが、大成功と言えよう。山崎氏は「さすが」としか言いようが無く、岡本版に迫る演技をなしているのは彼だけかもしれない。阿南役の役所広司も悪くは無いのだが、やはり岡本版三船敏郎の影が強すぎることと、つい先年に山本五十六を演じているだけに、どうにも違和感をぬぐえない。まぁいくら役所氏が英雄級だとしても、三船は「ゴッド」なだけに比較自体無理があるとも言えるのだが。また、原田版では妙に「家族」を強調しており、人間味を再現したいという監督の意図は分かるものの、「それ本当に必要なの?」と思わなくも無かった。やはり表現が中途半端になってしまうからだ。
全体的には、いつも言うことだが、少壮軍人たちがこぞって「ひょろひょろ」で、軍服を着せてもどうにも軍人に見えなかった。私が見てもそう思うのだから、実際に軍にいた人が見たら「こんな軍人はいねぇ!」と思うのでは無かろうか。結果、クライマックスのクーデター・シーンがどうにも迫力が無かった。発言や脅迫に際しても、全然ドスがきかない。まぁ、岡本版では佐藤允とか高橋悦史が演じていたのだから、比較する方がかわいそうかもしれないのだが。天本英世の佐々木大尉とか霊が乗り移っているんじゃないかと思うほどだったし。
ただ、原田版では昭和帝がかなり前面に出ており、やや美化されている嫌いはあるものの、非常に良いアクセントになっており、この点だけでも原田版を見る価値がある。

こうやって改めて比較してしまうと原田版に厳しすぎるかもしれないが、それは岡本版が「神」すぎるだけの話であって、単体としては相応の評価が与えられるべきだと思われる。DVDが発売されたら、購入して改めて岡本版と比較したいと考えている。

【追記】
映画の冒頭で、鈴木が総理を拝命し、息子の一は農林省山林局長を辞して総理秘書官となり、家族に「格下げだな」と自嘲気味に話すシーンがある。確かに44歳で局長となり出世街道を歩んでいたわけだが、現代の年齢や出世の感覚からすると、分かりづらいものがある。かくいう私の大伯父も静岡県警察部長から40歳にして、一氏の同僚として秘書官に就任しているわけだが、終戦後は警視庁警務部長、内務省調査局長を歴任しており、決して「キャリアから外れた」とは言えない。今日でも局長級から総理秘書官に就くケースは散見されるので、なかなか客観的な評価は難しいのかもしれない。とにもかくにも、一族に「日本のいちばん長い日」の直接的関係者がいたにもかかわらず、全く内輪話を聞けなかった(伝わっていない)のは残念でならない。
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2015年08月12日

8月の読書計画(2015)

完全に夏バテ・モードの上、国会会期中でお盆休みも2日だけなので、どこまで読めるかは分からないけれど。

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『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』イエルク・ムート 中央公論新社(2015)参謀本部の歴史を語るものはあまたあれど、士官教育の全容を記したものは意外と少ない。しかも、米独の士官学校を比較しているので、非常に興味深い。我々はつい、「敗北したドイツと勝利したアメリカ」という視点から先入観を抱いてしまうが、実態はかなり異なるようだ。ドイツの将校教育を模しつつも、民主国家で成立した米士官学校が、非常に硬直的で閉鎖的な教育に終始したのに対し、保守的で権威主義なはずのドイツの士官学校が実践的で一定の自由が保障されていたという。

『ロシア革命と日本人』 菊池昌典 筑摩書房(1973)
当時の日本人がロシア革命をいかに評価し、それに続くシベリア出兵についてどのような議論を交わしたのか、を検証した貴重な一冊。シベリア出兵に際して政府は正当性の証明に難儀するが、結局のところ「人道的出兵」「日英同盟の義務」「東洋平和の護持」という説明をなした。昨今の海外派兵をめぐる議論と非常に論点がかぶっており、興味深い。

『シベリア出兵従軍記』 高島米吉 無明舎出版(2004)
「日刊山形」の従軍記者が書き残した記事や手記、スケッチを子孫がまとめたもの。シベリア出兵の当時者の一次資料は殆ど出版されておらず、貴重な一冊と言える。

『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』 山本武利 岩波現代全書(2013)
連合軍による占領直後から内務省に替わって行われたGHQ検閲の実態に迫る。日本では、占領解除直前に大量の証拠が廃棄されたものの、米国立公文書館に残された資料から検閲組織と構造を探っている。また、緒方竹虎や永井荷風などの日本人がどのように関わっていったかも明らかにしている。分量的にはやや物足りないものの、「民主化支援」から「赤狩り」に至る経緯から、反米宣伝の取り締まりと親米宣伝の推進まで、興味は尽きない。占領期研究には欠かせない視点の1つ。

『坂口安吾 百歳の異端児』 出口裕弘 新潮社(2006)
先日亡くなられた出口先生の安吾論。積ん読状態だったので、この機にちゃんと読んでおこう。
posted by ケン at 13:11| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする