2015年08月05日

バカバカしい話を真面目に:武藤氏のケース

【「戦争行きたくない」は「利己的」 自民・武藤氏が学生団体「シールズ」批判】
 自民党の武藤貴也衆院議員(36)=滋賀4区、釧路市出身=が短文投稿サイトのツイッターで、安全保障関連法案に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」の主張に対し「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考え」と批判していたことが3日、分かった。野党や専門家は「見識を疑う」と反発している。 
 投稿は7月30日付で、武藤氏は「利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」とも主張した。2日には、インターネット上の交流サイト・フェイスブックに「世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、もはや日本に課せられた義務であり、正義の要請だ」と書き込んだ。これに対し、民主党の枝野幸男幹事長は3日、国会内で記者団に「民意を受け止め政治に反映させる衆院議員として見識を疑う」と批判。国会審議を通じて追及する考えを示した。
(北海道新聞、8月4日)

日本国憲法は第9条で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定している。つまり、国家として戦争参加を全否定しているのだから、「戦争に行かない」のはむしろ国の方針に従う「正しい」主張だと言える。逆に戦争に行くことを当然とする考え方、あるいは戦争を賛美する主張は現行憲法に反するものであり、天皇、閣僚、国会議員を始めとする全ての公務員に課されている憲法遵守義務(99条)に違背している。
ここで右派は(憲法を否定しているくせに)都合良く「表現の自由」(21条)を持ち出すが、憲法遵守義務が存在する限り、憲法の存在や理念を遵守、擁護する義務を負っているわけで、何を言っても良いことにはならない。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
(日本国憲法第99条)

また、憲法13条は、
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

と規定しているが、これは個人主義が戦後日本社会を構成する1つの根幹であることを示している。個人主義の否定は、全体主義の擁護に直結するだけに、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」という憲法前文の否定を意味する。

さて、ここでロシア連邦憲法を見てみよう。ロシア憲法は第59条にて、
祖国の防衛は、ロシア連邦市民の責任であり、義務である。

と規定しており、仮にこれに基づくなら武藤氏の主張には正当性が生じる。原理的には、デモクラシーが「市民が持ちたる国」を想定している以上、全市民に主権が付与される対価として、共同体防衛の協同的義務を有するという、国家と市民間の社会契約が成立していると考えるのが普通なのだ。だが、先進国の多くでは軍事技術の進化に伴い、徴兵制が非効率となったため、軍事的な理由から徴兵が停止されているものの、市民の防衛義務が撤廃されたわけではない。
ただし、連邦憲法は同条3項で良心的兵役拒否と代替権を保障している。これは、ロシアにおいても「戦争に行きたくない」という主張が「利己的とは言えない」と認識されていることを示しており、自民党員が現代ロシアよりも権威主義化(国家に心臓を捧げるのは当然)していることを意味する。
ロシア連邦の市民は、その信条または信仰が兵役に服することと矛盾する場合、ならびに連邦法律の定めるその他の場合に選択可能な民政部門の職務にそれを代替させる権利を有する。

この点、戦後日本は非常に例外的なケースにある。休戦条件を受諾して軍部が武装解除された後、憲法制定過程で、天皇制(権威主義)を温存する代償として軍事権を放棄、国家防衛の実務を国連軍が担う前提で第9条が成立した。これは、「危険人物に刃物を持たせるとロクなことにならない」という発想に基づいているが、日本は「刃物は捨てるから人格矯正は勘弁して」という選択肢を採り、再軍備と交戦権を放棄する代わりに、天皇制や官僚機構の根幹の温存を許された。他方、ドイツは「安全な人格者なら刃物を持って良い」という選択肢を採り、徹底的な脱ナチと民主化を行うと同時に、再軍備を実現した。

昨今の自民党などの右派議員の問題点は、国際社会(国連体制・旧連合国)から断罪されたアジア太平洋戦争における日本の侵略性を否定し、戦争犯罪者として処罰されたものの名誉回復を主張するものが、同じ口で再軍備と海外派兵を唱えていることにある。これは、まさにポツダム体制が危惧した「狂人に刃物」そのものであり、中国や韓国が反発する根拠になっている。
今のドイツにおいて、政権党がナチスの政治体制や戦争指導の再評価を行い、大戦における侵略性や虐殺行為の否定を始めたら、EUなどたちまち吹き飛ぶに違いない。今の日本は、国連憲章の敗戦国条項適用を主張する国が現れたら危険な状態にあると言える。

私自身は、憲法遵守義務を有する公務員ではないが、現行憲法を否定するような言動は避けつつ、権威主義(天皇制)の排除と徹底した民主化を行う代わりに、再軍備(自衛隊の国軍化)を主張している。
その意味で、自民党議員や自民党員の間では、すでに現行憲法は遵守すべき対象ではないという認識が共有されていると見て良い。だが、憲法裁判所や憲法警察が存在しない日本では違憲行為が放置され、非物理的なクーデターを許してしまう状態にある。日本がデモクラシーの復元力をどこまで保てるのか、甚だ心許ないところに来ている。

【追記】
武藤氏の発言は「確信犯」であり、彼なりに「合理的」な選択を採っている側面がある。氏は、徒手空拳で自民党の地方支部に入り、何の政治的背景も無いところで、小うるさい地元の有力者の支持を得ながら、支部長(次期候補者)の座を維持しなければならず、それは彼の政治生命にとって最優先事項なのだと考えられる。この場合、可能な限り権威主義的(右寄り)なスタンスを示すことで、神道連盟や軍人遺族会などの「固定票」を確保し、自らの地盤に据える必要がある。仮に氏の選挙区が都市部寄りであったなら、地場産業や都市中間層に基盤を求めることも可能だったろうが、現実には氏の選挙区は地方の最深部にあり、確実な固定票を求めるには余りにも選択肢が少なかったのだろう。結果、武藤氏は過激な発言を発し、衆目を集め、「左翼からの攻撃」にさらされればさらされるほど、選挙区における基盤を強化できる仕組みになっている。似たような傾向は、米国の共和党にも見て取れるが、デモクラシーと小選挙区制の課題である。
posted by ケン at 12:38| Comment(6) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする