2015年08月18日

安保は憲法に優先するか?

軍事力は国力の重要なコンポーネントの一つであるが、わが国は、もしその必要があるときも、軍事力の行使については、極めて抑制的にそれを行使する。その大原則、方針にかなったものでなければならない。憲法の学者の中では、今回の法案については、憲法違反であるという考えられる方が多いと承っている。(中略)今回の法案はもちろん、憲法上の問題を含んでいるが、同時に、安全保障上の問題である。もし、今回の法案についての意見を、憲法の専門家の学会だけでなく、安全保障の専門家かなる学会で、同じ意見を問われれば、多くの安全保障の専門家が今回の法案に、かなり肯定的な回答をするのではなかろうか。学者は憲法学者だけではないということ。

7月13日の衆議院安保特公聴会における同志社大学長・村田晃嗣氏(KM党推薦)の発言。国際政治学者や軍事・安全保障の専門家には、この手の「国際情勢が大きく変化し、憲法の理念が現実にそぐわなくなってきた以上、現実への対処は憲法に優先される」という説を唱えるものが多く、政府の立法や主張も基本的にこの説の上に成り立っている。

こうした理解は何も最近始まったものではなく、そもそも自衛隊の成立からしてそうだった。
日本国憲法の草案策定に際しては、社会党系の学者(高野岩三郎や森戸辰男など)がつくった草案ですら再軍備を前提としており、非武装や交戦権放棄など全く考えていなかった。ところが、幣原喜重郎らによって、天皇制(国体)を始めとする権威主義を温存する代償として軍備放棄する案が提出され、GHQとの協議を経て平和主義の第9条が成立した。これは自国防衛を放棄したのでは無く、将来成立するであろう国連軍が日本国の防衛を担うことを前提としており、国連軍への参加まで否定するものではなかった。ところが、実際には常設の国連軍は成立せず、米軍が国連軍に替わって日本防衛を担うことになった。そこに朝鮮戦争が勃発し、在日米軍が朝鮮半島に渡ることで、日本に軍事的空白ができると同時に共産革命の脅威(結果的には妄想だった)が発生、米軍の補助部隊として警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が成立した。歴史的には自衛隊は「自力防衛の実力組織」であると同時に、「反革命治安部隊」としての色合いがあった。60年安保に際して岸総理が治安出動を要望したことは記憶に新しい。
外部からの侵略に対しては、将来国連が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。
「防衛白書」2013年度版

その自衛隊が発足する直前の1954年6月2日には、参議院において「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」がなされているが、諸先輩方はすでに今日の事態(拡大適用)を危惧していたことが分かる。
本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。右決議する。
(自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議、1954年6月2日、参議院本会議)

だが、先輩たちの御意思に反して、自衛隊の海外派兵は1991年の湾岸戦争を機に解禁され、2006年には自衛隊法改正によって付随任務から本来任務に変更、以後今日に至るまで、3度にわたる多国籍軍の後方支援(ペルシャ湾、インド洋、イラク)、8度にわたるPKO参加(南スーダンは現在も継続中)を始め、30回近い海外派兵が行われている。
PKO協力法は、湾岸戦争において日本が資金協力に留まったことに対して政府、自民党などから批判が出て、軍事的な国際貢献を積極的に進めるべきだとの主張に基づいて策定された。

ところが、2001年の911テロ以降、米国が国連を無視した独自の武力行使を増やすにつれて、PKO法では対処できなくなると同時に、その都度米軍を支援するための特別法を制定することのリスクや限界が生じていった。特に2007年の参院選で衆参逆転現象が生じてテロ特措法が期限切れに終わり、インド洋における海上自衛隊の給油活動が「中断」するに至り、外務・防衛官僚や自民党安保族を中心に危機感が高まった。彼ら的には、「アフガニスタンに陸自を出すくらいなら、インド洋で給油活動するくらい安いもの」であり、給油中止によって宗主国から「給油しないなら陸自を出せ(ゲリラ討伐に参加しろ)」と言われるのではないかという恐怖感を共有していた。
そして、イラク戦争の失敗とリーマンショックに象徴される、アメリカの国際的影響力の低下に伴い、「米軍のアジアからの撤退」が時間の問題となるに連れて、外務官僚と自民党親米派に「同盟国から見捨てられる」という恐怖感が高まり、「アメリカの国際戦略により積極的に協力しなければ、米側から日米安保を切られる」という主張が霞ヶ関と永田町を支配していった。こうして出てきたのが、今回の一連の安保法制である。

ここまでの流れを見る限り、自衛隊設置にしてもPKO協力法にしても、社会党などによる「軍国主義の復活」「歯止めが利かなくなる」との反対が杞憂だったことは否めない。だが、それはたまたま政府の運用が慎重であったことや、一定の数を持つ批判的野党の存在が歯止めになってきたことも確かだ。そして、同時に自衛隊の戦力(名目上は実力)も拡大の一途を辿り、今日では世界有数(軍事費で世界6〜8位程度)の戦力を有するに至っている。憲法第9条には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と記されているが、規模にして世界2位とも3位とも言われる海上自衛隊をして「戦力じゃありませんから!」と主張してみたところで、全く説得力が無い。
そして、今回の安保法制が成立すれば、世界有数の戦力を有する自衛隊の海外派兵が政府の判断1つで自由に行われるようになり、米軍などに対する後方支援、兵站支援、弾薬・燃料供給が恒常的に可能になり、しかもその実態については特定秘密保護法によって一切明らかにされないという事態が生じる。これについても、交戦中の軍隊に対する補給活動や、兵站線保持活動をして「これは憲法で禁止されている武力行使には当たらない」という政府答弁になるわけだが、仮にそこで交戦が行われたとしても秘密保護法で隠蔽されてしまえば、議会で問えない仕組みになっている。

最近では総理や官房長官が必死の形相で「非核三原則は守る」「徴兵制はあり得ない」などと主張しているが、つい先日まで「集団的自衛権は憲法違反になるので行使できない」と主張していた政府が「限定容認」に転じたのに、同じ口で非核三原則や徴兵制は守りますと主張してみたところで、全く説得力が無いのは当然だろう。

【追記】
某同志に言わせると、国際政治学という「学問」自体が米国発祥の、米国の覇権に奉仕する学問なのだから、「国際政治学者」を自称する者はすべからくアメリカへの奉仕者であると認識すべきだ、とのこと。
posted by ケン at 12:27| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする