2015年09月30日

日本国債の格付けは下がる一方

【S&P、日本国債1段階格下げ「経済好転の可能性低い」】
 米格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は16日、日本の国債格付けについて、「AAマイナス」から「Aプラス」へと1段階引き下げたと発表した。「デフレ脱却や経済成長をめざした政府の経済政策が、国債の信用力の低下傾向を今後2〜3年で好転させる可能性は低い」として、安倍政権の経済政策「アベノミクス」の効果が見込めないことを理由に挙げた。格付けは、借金の返済能力を判断したもので、S&Pが日本国債の格付けを下げるのは2011年1月以来、4年8カ月ぶり。Aプラスは21段階あるS&Pの格付けのうち上から5番目。AAマイナスの中国や韓国より悪くなり、アイルランドと同水準となる。安倍政権は6月末、政権の成長戦略である「骨太の方針」と、20年度までの財政健全化計画を決定。高い経済成長と税収増によって財政健全化を進めていく姿勢を鮮明にした。
(朝日新聞、9月17日)

国会終盤の多忙にかまけて見逃してしまっていたようだ。S&P社が日本国債の格付けを引き下げたことにより、Moody’s、Fitchの2社を含めて大手三社の日本国債の格付けが全て中国と韓国を下回る結果になった。ちなみにS&P社のA+はスロヴァキア、アイルランドと同格、Moody’s社のA1はチェコ、エストニアと同格、Fitch社のAは中国、チェコ、スロヴァキアの一段下というレベル。

S&P社の説明を続けると、経済成長率の鈍化で2011年度から14年度の間に、日本の国民1人当たりの平均所得が減少、日本経済がデフレから脱却できずにいることや、巨額の財政赤字を抱えていることを指摘。また、先進国で最悪の水準にある財政状況を「信用指標における重大な弱み」とした上で、2014年4月に消費税率を8%に引き上げたが、高齢化で年金や医療などの社会保障費が膨らむため、さらに財政が悪化すると懸念を示している。

これに対し、麻生財務相は9月18日の記者会見で、「格下げで長期金利がどれだけ上がったか。市場は反応していない。格付け会社の影響力がなくなった」と反論しているが、どうであろう。
「アベノミクス」の旧「三本の矢」の一つである「異次元緩和」は、日本銀行が日本国債を無条件で大量に購入し保持し続けることで、長期金利の上昇を抑えると同時に、政府が歳出を増やして市場に現金をバラ巻くという構図の上に成り立っている。市場の通貨流通量が増えれば、通貨価値が下落し、相対的に物価が上昇、デフレを脱却するというのが財務省のシナリオで、これを日銀に強要するために財務官僚の黒田氏を日銀総裁に据えているのだ。
故に長期金利が上昇しないのは、日銀が国債を保持している間だけの話なのだが、日銀が借り換え続ければ、政府の財政規律が緩み、歳出の無制限拡大を許す恐れがある。実際、安倍政権下で大型公共事業が続々と計画されている。逆に、日銀が国債を手放すと、長期金利が上がり、民間が保有する国債は金利を付けて決済しなければならないため、国民の税負担が増えることになる。
要するに日銀の「異次元緩和」は「今のところ問題ありません」というだけで、長期的には大きなリスクを抱えたまま、「どっちに転ぶか分からない」ものなのだ。言うなれば、今の日本は負けが込んでいるギャンブラーが借金して穴に賭けているようなものであり、格付け会社が格付けを下げるのは、むしろ彼らが健全な証拠である(米国債については別の話)。
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2015年09月29日

9月の読書報告(2015)

精神的にハードな一カ月で、まともに本も読めなかった。当分は政治の話なんかしたくない気分。

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『戦前回帰 「大日本病」の再発』 山崎雅弘 学研(2015)
既出

『信玄の戦略―組織、合戦、領国経営』 芝辻俊六 中公新書(2006)
タイトルに難があり、内容と異なる。基本は、最新の知見を反映させた武田信玄の通史であり、淡々と時系列的に武田氏の版図拡大を追うものになっている。筆致こそ平板なものの、内容は手堅く、戦国好きとしては知識を更新するためにも抑えておきたいところ。改めて読むと、信玄が慎重派で、国人衆を中心とする集団指導体制を重視した一方、戦略的には一貫性が無く場当たり的な印象が強いイメージ。ただし、家臣団の形成(軍制の充実)や国内統治の精緻化(特に治水と伝馬)に力を尽くしている。新書ではあるが、基礎文献としての価値があると思われる。

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『本能寺の変 431年目の真実』 明智憲三郎 文芸社(2013)
色々話題になった「歴史ミステリー」本。明智氏の末裔で在野の研究者である筆者が、後世の軍記物を排除して、可能な限りの当時の一次資料を精査、従来の定説となっている「怨恨説」や「単独犯行説」を否定、新たな説(他でも見られるものだが)を打ち出している。確かに読み物としては面白く、相応の説得力もあり、従来の説がいかにいい加減なもの(改竄された歴史)なのかは良く分かるのだが、全体としては(当然ながら)傍証と推察のみであり、途中から「ストーリーありき」の印象が強くなってしまう。「言いたいことは良く分かるんだけど……」としか言えないが、色々考えさせられるものがあり、一読に値する。例えば、「唐入りのタブー」は政治を生業とするものとして非常に納得のいくものがある。豊臣政権下で起きた粛清が、「唐入り反対者」をターゲットになされたものという解釈は、昭和前期の治安維持法を軸とした粛清が「対ソ戦論者」「対中慎重派」「平和主義者」をターゲットにしたものであったことを彷彿とさせる。古来、日本では大陸進出派と慎重派が激しく争う歴史がある。例えば、蘇我入鹿暗殺に象徴される乙巳の変では、半島積極介入派の天智天皇が主導権を握った結果、白村江の戦いに参戦し、大敗するに至った。その後に起きた壬申の乱は、大陸進出失敗の責任と政策変更を求めるものという側面もあった。西南戦争は征韓派による反乱であったし、二二六事件は対ソ戦重視派(北進論)による反乱、人民戦線事件は平和主義者(対中戦反対者)の粛清だった。今日でも先頃成立した安保法制が対中強硬論を前提としたものであることを考えれば、いつどうなるか分からないことを改めて思い知らされる。
posted by ケン at 12:28| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

岸田外相訪ロの意味

【<日露外相会談>ラブロフ氏「北方領土は議題ではない」】
 1年7カ月ぶりに21日開かれた日露外相会談では、平和条約締結交渉の再開にはこぎつけたものの、北方領土問題を巡る両国の立場の違いが際立ち、問題解決の難しさを改めて印象付ける結果となった。政府が目指すプーチン大統領の年内来日実現に向けた道のりは険しそうだ。
「私から領土問題を取り上げ、日本の立場を明確に伝えた」モスクワのロシア外務省別館で開かれた21日の会談後の共同記者会見。岸田文雄外相は自らの発言の冒頭で、こう強調した。隣でうんざりした表情で聞いていたラブロフ外相はその後、「北方領土については協議しなかった」と切り出し、「北方領土というのは我々の対話の議題ではない」と指摘。岸田氏は不満げな表情を浮かべた。安倍政権は領土問題の解決を最も重視しており、岸田氏は会談で、北方四島の帰属問題を解決した上で平和条約を締結するとの主張を伝えた。ただ、会談前から「領土問題で大きな進展は望めない」と想定し、まずは事実上中断している平和条約交渉に関する次官級協議再開の糸口を探ることに成果を絞っていた。
 会談では、2013年4月に安倍晋三首相とプーチン大統領が合意した共同声明の内容を再確認した。しかし声明は「『平和条約問題』の双方に受け入れ可能な解決策を作成する交渉を加速化させる」としており、「領土交渉」の文言はない。このあいまいな点が、ロシア側に「平和条約問題には領土問題は含まれない」との主張を許す余地を与えてきた。戦後70年の今年、プーチン政権は「南クリル諸島(北方領土)は第二次世界大戦の結果、ロシア領になった」との認識を繰り返し表明しており、会談でもラブロフ氏はその歴史認識に立つ強硬姿勢を崩さなかった。平和条約交渉についても、会見で「この問題で前進できるとすれば、戦後の歴史の現実を日本が認めたと明確に確認できた時だ」と指摘した。日本が第二次世界大戦の敗戦国として、北方領土をロシア領だと認めない限り、平和条約締結もありえないとの姿勢だ。
 プーチン氏の年内来日についても、両国でいったん合意したにもかかわらず、実現の見通しは立たなかった。日本外務省は会談後、「今年の適切な時期の来日を目指して準備を進める」と説明したが、ラブロフ氏は会見で「前提条件をつけるのは非生産的だ」と述べた。ロシアが受け入れられないような要求を日本側が突きつければ、プーチン氏の訪日延期も辞さない構えを示したと言える。
(毎日新聞、9月22日)

外相会談における北方領土問題について、日本とロシアの主張が異なっている。日本側は「4時間半の交渉のうち半分以上を費やした」(菅官房長官)と主張する一方、ロシア側は「領土問題については議論しなかった」と述べている。さて、実際はどうだったのだろうか。

現段階では特に情報が無いため推測するしか無いが、恐らく岸田外相は実際に会談の中で多くの時間を費やして日本側の主張を延々と述べ立てたのだろう。だが、ロシア側はただ耳を傾けていたか、一々他の話題で返していたものと思われる。この構図は、安保法制の審議と同じで、野党の質問に対して閣僚は正面からは一切答えず、ただ自説を述べるか、聞かれてもいない話題を延々と述べるという対応に終始した。もちろん、岸田氏も当該者の一人である。さんざん自分たちが国内でやってきたことを、ロシア人にされる立場になった岸田氏はどう思ったことだろう。

そもそもロシア人的には、「北方領土交渉」などというものは「あり得ない」ネタである。日ソ共同宣言(条約)で、「平和条約締結後に二島(歯舞、色丹)を日本側に引き渡す」と決めている以上、日本側の「国後・択捉の返還要求」は同宣言を否定する新たな領土要求でしかなく、ロシア側が認めないのは当然のことだ。
ロシア側(プーチン氏)は、日ソ共同宣言の遵守を何度も述べており、平和条約締結を推進するスタンスを示しているが、これは共同宣言で決めた二島に対する「プラスアルファ」の部分で交渉の余地があるという示唆であって、国後や択捉の交渉を許すものではない。あるいは、条約外でかつ、数十年に渡って住民が住み着いている国後や択捉を「譲渡」するとなれば、日本側は相応の対価を示すべきだが、日本側の主張は「不法占拠だから(すぐ)返せ」の一点張りで、そこも交渉の余地など無い。
その意味では、ロシア側は「領土交渉には一切応じなかったが、平和条約の交渉は行った」という信号を送ったに過ぎないかもしれない。

逆に日本側としては、「平和条約交渉を行ったけど、領土問題は全く進展しませんでした」とは言えない状況にある。これは、そもそも日ソ共同宣言の交渉時に、「ダレスの恫喝」があり、宗主国から平和条約の締結を止められたことに由来する。その際に、平和条約を締結しない理由として、日本側が「北方領土」という解決不能な問題を自らでっち上げ、その後国内向けの反共宣伝としても利用して60年が経過してしまったがために、今さら「北方領土問題なんて実は存在しないんです」とは言えない状態にある。

いまだに笑えるのは、北方領土問題について述べる論者の殆どが日ソ共同宣言すら読んでいないことである。同条約の内、「賠償・請求権の放棄」「平和条約・領土」の項目で、日本側は領土請求権を放棄していると同時に、「平和条約締結後に二島引き渡し」で合意している以上、ロシア側としては「何を終わった話蒸し返しとるんじゃあ?」と言いたいに違いない。

今回、日本側が訪ロにこだわったのは、安保法制の成立に伴う極東アジアの緊張を少しでも緩和しつつ、日中対立時にロシアを少しでも中立寄りにさせるためだと考えられる。また、同じく安保法制によって低下した支持率を日露外交によって挽回しようという思惑もあるだろう。
日本側としては、「ウクライナ問題に伴う経済制裁で崩壊寸前のプーチン政権はすぐにも折れるに違いない」という甘い読みがあったのだろうが、実際に行ってみると超強気のラブロフ外相に対して、一方的に要求を述べるに止まったものと思われる。
ロシア側としては、日本がウクライナやシリアの問題で味方になってくれるわけでないことは百も承知であり、経済協力などと言ってもたかがしれている。冷戦期に喩えるなら、東ドイツの外相が来るようなもので、宗主国の意に反する外交などできない以上、馬鹿にされて足下を見られるのは当然のことなのだ。
安倍政権の外相の訪ロなど記事にする価値すらビミョーなネタでしかない。

【参考】
・ダレスの呪縛 
北方領土問題についての基本的理解 
安倍訪ロをどう見るか―北方領土問題は解決しません
posted by ケン at 13:04| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月27日

りゅうおうのおしごと!

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『りゅうおうのおしごと!』 白鳥士郎 GA文庫 既刊一巻

「のうりん」の白鳥先生の新作。「のうりん」はアニメで見ただけだけど、白鳥先生らしい取材力がよく反映されている。設定や演出にラノベ要素が用いられているものの、骨格部分はなにげに手堅い作品に仕上がっている。まだ一巻なので、小学生女子が押しかけ弟子になるまでを描いているに過ぎないが、多少の将棋知識があればニヤリとさせられる表現、熱い少年漫画展開、白鳥製変態描写など、無数の魅力があり、「名作」を予感させる出来になっている。敢えてコテコテの関西(将棋会館)を舞台にしているところも面白い。
白鳥先生、今後も期待してマス!!
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2015年09月26日

祝・完結!イエスタデイをうたって

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『イエスタデイをうたって』全11巻 冬目景 集英社

11巻出すのに18年とか、まさに「終わっただけでも奇跡」と言って良いレベル。最初から最後まで見捨てなかった自分を褒めたいくらいの気持ちだ(爆)当時まだ20代だったのにもう初老デスから!
私の場合、まず『黒鉄』から入り、『羊のうた』を「名作」と評価して、『イエスタ』に来たわけだが、『黒鉄』は永遠に止まっていそうな気配。まぁ私も年を経て、若いときのようにがっついてはいないので、「出たら読もう」くらいの境地になっていたのかもしれない。
一年の内で連載数回というレベルでは、すでに「連載」と言えるのかすらビミョーで、それに耐えることが、冬目ファンであることの最低条件になる。

このリアルな時間差は作品内にも表れていて、登場人物は携帯電話を持って居らず、みな自宅の「黒電話」で話している始末。今となってはそれがノスタルジーを醸し出していると言えなくも無い(たぶん、それはイエスタデイではない)。もっとも、1997年には携帯はそれなりに普及していたはずなのだが。

しかも、言ってしまえば身もフタもないが、地味な登場人物がほぼ全員ひたすら(11巻分)ウジウジと片思いするという、「これは本当に恋愛物なのか?」という疑問符すら沸いてくる話で、このローペースやウジウジ感に耐えられる人が何人いるだろうかとも思える。にもかかわらず、本作が魅力的であるのは、地味ながらも登場人物の感情が繊細に表現され、どこか感情移入しやすいからだろうと思われる。かくいう私も、ヒロインの一人がかつて憧れた女性にダブって見えてしまい、手放せなくなってしまったところがある。

ラストの感想では、7〜9巻くらいで風呂敷を広げすぎてフラグの回収が不可能になったのでは無いかと恐れていたが、10巻から急にフラグ回収に走り始めたので、「いよいよ終わってくれるか」と思っていたら、11巻でいきなり終わってしまった。確かにフラグは一応回収されているのだが、何と言うか「回収のための回収」という感じがしなくもない。「勘違いエンド」に至っては、「この11巻は何だったんだ〜?!」と爆発しそうにもなるが、「こうなることは、分かっていましたよね?」と作者に言われれば、「はい、そうです」と答えてしまいそうで、この辺もスッキリしない。とはいえ、それでも18年前の作者だったら「主人公全員不幸エンド」もあり得ただけに、まぁ「なるようになったんだな」と自分を納得させている。
その割を食った形になったのがリオさんで、その男前ぶりはいちばん魅力的だった気がする。

いや、不満ばかり述べているけど、良い作品ではあるのデス。冬目先生、長いことありがとうございました!
posted by ケン at 19:10| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月25日

労働者派遣完全解禁で進む貧困化

【<労働者派遣法改正>財界期待大 「正社員」の規制緩和へ】
 企業が同じ職場で派遣労働者を使える期間の制限(最長3年)を事実上撤廃する労働者派遣法改正案は9日の参院本会議で、自民、公明などの賛成多数で可決された。施行日などが修正されたため、法案は衆院に回付され、11日の衆院本会議で可決、成立する。成長重視の安倍政権は今後、「多様な働き方」を促すため、労働基準法改正を狙う。一部の高所得者の労働時間規制を外すことが柱で、次は「正社員」が規制緩和の標的になる。
 現行の派遣法は、企業が同じ職場で派遣労働者を受け入れることができる期間を最長3年(通訳など専門26業務は無期限)と定めている。改正案は、専門26業務を廃止し、派遣期間の上限を一律に3年に設定するが、労働組合などの意見を聞いて人を入れ替えれば派遣労働者を使い続けることが可能になる。施行は9月30日。
 一方、労働基準法改正案は、今国会に提出されたものの、野党側の批判は強く、今国会での成立は見送った。だが、政府は次の国会に向け強い意欲を示す。法案の柱は成果型労働制(高度プロフェッショナル制度)の導入。残業手当を支払うなどの労働時間規制が外れるため、「残業代ゼロ法案」との批判がある。対象者は専門性が高く年収「1075万円以上」の人に絞られる。
 ただ、当初は例外的に認めていた労働者派遣制度が今は原則自由になるなど派遣法は規制緩和を重ねてきた。労働界には「将来、対象が大幅に広がるのではないか」との懸念が強い。これに対し、経済界は強く期待する。榊原定征経団連会長は7日の記者会見で「労働時間に縛られず、成果で評価される制度だ。将来は業種を広げる方向で検討してほしい」と述べた。 9日の参院本会議では、同じ職務の労働者に同じ賃金を支払うことなどを求める「同一労働同一賃金法案」が自民、公明、維新などの賛成多数で可決、成立した。
(毎日新聞、9月9日)

今回の派遣法改正により、これまで26業務を除き最長3年となっていた企業の派遣労働者受け入れ期間の制限が廃止され、企業は3年ごとに労働者を入れ替えれば、同じ職場で継続的に派遣を利用し続けることができるようになった。派遣労働者は「臨時的」「一時的」な業務代替を担うとされてきた建前が撤廃され、「恒常的な代替労働力」として扱われる。これにより、派遣労働者の固定化が進み、企業では正社員から派遣への置き換えが進む可能性が高い。また、今回の改正では、下記のような労働者派遣にかかる根本的課題について全く改善されておらず、ひたすら企業側にとって「使いやすくなる」改正となった。

・雇用の不安定性
・労使交渉の保証
・派遣元と派遣先とのコンプライアンス
・教育訓練などの機会保証
・キャリアアップの機会保証


派遣法と同時に成立した「同一労働同一賃金法」も相当に酷いことになっている。マスゴミは内容を報じないため、あたかも派遣労働者と正社員の賃金が同一になるかのような錯覚を与えているが、実情は全く異なる。そもそもこの法律は、「将来的に均等待遇法をつくる」という文書に過ぎず、拘束力を有する法律としての実態が無い。それも「一年以内につくる」がいつの間にか「三年以内」に先送りされた上、肝心の法律制定自体が必須義務から努力義務にされてしまった。さらに、周到なことに、均等待遇の内容すら、「均等の実現を図る」から「業務の内容及び当該業務の責任の程度その他の事情に応じた均等な待遇」などと変更している。つまり、「正社員と派遣では事情や業務内容が異なる」ことを理由に均等待遇を拒否することが容認され、全く骨抜きにされてしまったのだ。

安倍政権の経済・産業政策が、「労賃のダンピングによる競争力強化」に力点を置いている以上、次は労働基準法改正による「残業という概念の廃止」「ブラック企業の合法化」がなされることになるだろう。いわゆる先進国の中で、日本は最もマルクスが言う「搾取」が公然と進んでいると言えよう。

【追記】
財界は二言目には「成果に見合う賃金体系」と言うが、日本の雇用は職能ではなく、全人格ごとの採用であるため、成果を計る基準が公正に設定できない構造になっている。日本における雇用契約には労働内容の規定が無いため「成果を計る基準」が労使間に存在せず、使用者が一方的に基準を押しつけてくることが可能だからだ。結果、企業側は労働者に際限なきノルマを課し、勝手に設定した「成果」を求める構図になっている。

【追記2】
個人的には、騒ぎになった安保法制よりも、この派遣法改正や先送りされた労基法改正の方が大きな問題だと考えている。これらの労働法改悪が進み、国民が貧困化すればするほど、戦争に対する支持が高まることは、昭和の歴史によって証明されている。日本では高齢者が多いためか、平和運動への理解は高いものの、労働運動に対する理解は極めて低い。そもそも労働組合がつくれない、ストライキが打てない国に自由など存在しないのである。
posted by ケン at 12:42| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月24日

避難勧告の難しさについて

【62万人超に避難勧告、避難者96人…川崎】
川崎市が一時、市内の人口の4割に上る62万人超に避難勧告を出したことを巡り、市は10日、「被害の実態に合っていない」として基準を見直す考えを示した。市は今回、気象庁と神奈川県が発表した土砂災害警戒情報を受け、がけ崩れの恐れがある急傾斜地を中心に、川崎区以外の全6区に避難勧告を発令。実際の被害は、勧告しなかった川崎区で床上浸水が5棟あり、避難者は最大42世帯96人だった。県砂防海岸課によると、避難勧告は各市町村が対象世帯を決定する。市危機管理室によると、県が指定した土砂災害警戒区域に該当する町名をすべて挙げ、高層マンションなども含め居住者全体を計算したため、28万世帯62万人超になったという。同室は「現行基準ではこのような数字の出し方しかできない。これからは対象区域の住民の数え方を実態に近づけたい」と説明。現地調査を行い、より正確な対象者数の算定を目指すという。
(読売新聞、9月11日)

【常総市長、避難指示なしで謝罪 「決壊想定していなかった」】
 関東・東北水害で、大規模な被害が出た茨城県常総市が鬼怒川の堤防の決壊前、沿岸の一部地区に「避難指示」や「避難勧告」などの情報を出していなかった問題で、高杉徹市長は13日に記者会見し、情報を出さなかったことを認めた上で「大変申し訳なかった」と謝罪した。高杉市長は「決壊は想定していなかった。越水の想定だったため、住民から連絡があった地域にしか連絡しなかった」などと説明した。堤防は10日午後0時50分ごろに決壊。市は、上三坂地区など6地区約350世帯の住民には決壊後の午後2時55分になってから避難指示を出していた。
(共同通信、9月13日)

川崎市は多摩川下流域に住む62万人に避難勧告するも、実際に避難したのは100人に満たなかった。だが、あと半日あるいは数時間も豪雨が続いていたら、どうなっていたか分からなかっただけに、川崎市の対応に問題があったとは思えない。「堤防が決壊しなかった」というのは結果論に過ぎない。

たまたま、その逆のケースとなったのが常総市だった。だが、数年前の話になるが、私は「鬼怒川水系の水量が少なくて観光業は危機的状態(何とか水量を増やしてくれ)」旨の陳情を受けたことがある。今回、鬼怒川で越水した常総市若宮戸の鬼怒川左岸の堤防は、前年にソーラーパネル設置工事で、高さ2m、長さ150mが削られ、実質的に堤防のない状態になっていたが、これは同川が恒常的に水量不足だったことを受けての判断だったと見られる。確かに堤防を削ったことに対する行政責任は問われてしかるべきだが、避難勧告の判断が遅れたことについては同情の余地があると考えられる。それらを考えると、常総市長の「謝罪」は日本社会では止むを得ないとしても、問題はそこなのかと思わざるを得ない。
posted by ケン at 12:39| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする