2015年10月31日

10、11月の読書計画(2015)

国会が閉会し、ようやく一段落してゆっくり本を読めるようになった。体調も回復したし、臨時国会も開かれなさそうなので、じっくりと勉強したい。

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『監視国家 東ドイツ秘密警察に引き裂かれた絆』 アナ・ファンダー 白水社(2005)
豪州のジャーナリストが統一後のドイツでシュタージの職員や監視対象者にインタビューして回るドキュメンタリー。統一後も監視のトラウマに苛まれる被害者や、今もなお秘密警察の活動を正当化する元職員など重苦しい話が続く。監視国家や秘密警察の実態を知るには良いが、シュタージの全容や監視システムを学ぶためにはやはり学術的な研究が欲しいところ。

『ハンガリー革命1956』 ヴィクター セベスチェン 白水社(2008)
1956年のハンガリー事件の全容を追う。ドキュメンタリーだが、最新の資料やインタビューを駆使して精度を上げている模様。だが、どうしても蜂起側の視点が強く、内情だけでなく、当時の国際環境や経済情勢についても併行して学ぶ必要がありそうだ。

『東欧革命―権力の内側で何が起きたか』 三浦元博 岩波新書(1992)
旧体制の資料公開が不十分な段階での解説だが、逆に同時代ならでは臨場感がある。

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『外務官僚たちの太平洋戦争』 佐藤元秀 NHKブックス(2015)
二次大戦後に軍部が解体されたことで、日本の戦争責任は全て軍部、特に陸軍に押しつけられた観があるが、実際には、好戦的な国民世論を背景に、マスコミが煽動、軍部と外務省と議会が先を争うように侵略を進めていた。戦後の歴史評価では、吉田茂や東郷茂徳の功績ばかりが強調される外務省だが、実際は枢軸派と英米派が対立し、枢軸派が主導権を握っていた。対中交渉や対米交渉が上手くいかなかったのも、現在では全て軍部のせいにされてしまっているが、実相はかなり異なるようだ。

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『蒙古襲来』 服部英雄 山川出版社(2014)
元寇研究の最新の知見で、学術色が強いため、読みやすくは無いが、重要と判断。我々のような初老世代ではまだ「蒙古の大軍が襲来し、バラバラで統制の取れていない鎌倉幕府軍は鎧袖一触で壊滅するも、台風が来て蒙古軍の船舶の多くが沈み、撤退した」という感じで教わったが、最新の研究では多くが否定されている。まず日本側は蒙古軍襲来に向けて相応の準備をしており、上陸後も一進一退で戦っていた。また、教科書にも出ている「神風」に至っては、両軍の一次資料のどこにも見られず、後世の作り話だったことが判明している。逆に蒙古側は撤退した理由として(実際には大したことの無かった)台風を挙げていたようだ。元寇知識をアップデートしておかないと。
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2015年10月30日

顔のないヒトラーたち

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『顔のないヒトラーたち』 ジュリオ・リッチャレリ ドイツ(2015)

ドイツ敗戦から10余年の1958年、経済復興が進む西ドイツ・フランクフルト。一人のジャーナリストが、元ナチス武装親衛隊員(SS)が市内の小学校で教員を務めていることを地方検事局に訴えるも、「まぁそんなこともあるわな」「何を今さら」と流されてしまう。だが、正義感溢れる若い検事は「国の方針(公職追放)や民主主義に反する」と義憤を覚え、アウシュヴィッツの生き残りの一人であるユダヤ系の検事総長の支持・指導を得て立ち上がる。ところが、検事局内の若者は「アウシュヴィッツ?何それ?」「ナチのプロパガンダの話でしょ」と誰も知らないし、興味を持とうともしない。また、老人たちは「古傷をえぐるな」「そんなことして何の意味がある」「戦争裁判はニュールンベルグで済んでいる」とばかりに妨害してくる。主人公は、孤軍奮闘を強いられるが・・・・・・

以下、ネタバレ注意!



原題は『沈黙の迷宮の中へ』であり、こちらの方が本作のテーマに相応しい。戦争が敗北に終わり、国が分割され、戦勝国に断罪されて、ようやく再出発したばかりのドイツで、しかも家族や周辺に従軍者や元ナチ党員がいくらでもいる中で、「身内」から「自分たちの手で戦争犯罪を裁こう」と言ったところで、目をそらして沈黙するものが多いのは当然だろう。だが、苦労して加害者や被害者の重い口を開かせてみると、全く想像だにしなかった新事実(後世の我々は知っている大虐殺)が明らかになり、知りたくも無いことを次々と知らされてしまう。すると、自分でも何が正義で果たして自分に裁く権利があるのか、迷宮と闇の深みに落ちてゆくことになる。

主人公は架空の人物らしいが、検事長やジャーナリスト、アウシュヴィッツの親衛隊員の数々などは実在の人物で、リアリティを高めている。元親衛隊員・看守たちは今では普通の一市民として暮らしており、検事の中には党員では無いが元国防軍人もいて、主人公の身内にすら関係者がいるということで、問題の根の深さを浮き彫りにしている。
とはいえ、日本の場合、軍部独裁期の大臣が戦後首相になり、特高出身者が防衛庁長官や警察官僚を務めているのだから、よほど根が深い。

本作のキーマンとなっているバウアー検事長は、ユダヤ系なのだが、これはドイツ社会民主党(SPD)のクルト・シューマッハーが戦後亡命先のスウェーデンから呼び寄せて同地位に据えたという経緯がある。ただ、分かりにくいのは、「検事総長」といっても連邦では無く、フランクフルトを州都とするヘッセン州検事局の話であり、任用制の法曹一元制度であるため検事になったり、弁護士になったりする等の点で、ドイツの政治社会制度が分からないと「あれ?」と思う点はあるだろう。

私的にポイントが高かったのは、検事長が主人公に「こんなこと(アウシュヴィッツ裁判)ができるのは今の政権のうちだけだぞ」と発破を掛けていた点。これはもちろんSPDのことを指しており、ヘッセン州では戦後長いこと社会民主党が州議会の第一党を占め、1946年から87年までの間、州首相の座を確保し続けていた。検事長の人事も、こうした政治情勢が反映されているわけだが、この点も日本人には分かりづらいかもしれない。
とはいえ、この点についても、日本社会党は多くの戦犯や元ファシストを抱え、(党としてではないが)東京裁判におけるBC級戦犯の擁護運動も支援しており、大幹部の三輪寿壮は岸信介の弁護を担当した。後に岸は総理になるが、これはドイツに喩えるなら、ゲーリングが戦後死刑を免れて総理になるようなものと言える。結局、社会党は戦争犯罪について基本的に「沈黙」を守り続けたわけで、SPDの歩んだ道と大きく異なる。戦前のファシズムや天皇制、あるいはマルクス=レーニン主義を克服できず、デモクラシーへの理解が未熟だったことは、社会党が、戦後政治の中で政権交代を担える党となり得なかった理由の一つと言える。

もっとも、実際のアウシュヴィッツ裁判は、1958年に捜査が開始され、63年に公判が始まったものの、それだけ捜査が難航したことが伺われる。また、当時の世論調査では過半数が裁判そのものに反対しており、それだけ「迷宮」が深かったこと、そして日本では裁判自体が成立しそうにないことを示している。「正義の希求」や「真実を明らかにする」ことに対する欧米人の信念あるいは個人の強さと、日本人の無関心度・同調意識は余りにも対称的だ。

映画全体としても非常にバランスが良く、役者も老若ともに好演技で(特に検事長訳のゲルト・フォス氏)、重いテーマの割に上手く恋愛要素や当時の音楽を組み入れて「見続けられる」ように設計されている。この手の映画は往々にして「心折設計」になりがちだが、本作は程よく「親切設計」になっており、高く評価したい。
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2015年10月29日

米中開戦?無いわ〜〜

【米軍艦、中国人工島付近を再び航行へ 当局者】
 米海軍は、中国が南シナ海に建設中の人工島付近にさらなる艦船を派遣する予定だと、米当局者が27日、明らかにした。米海軍のイージス駆逐艦「ラッセン」は現地時間の同日朝、周辺国による領有権争いの的となっている南沙諸島で中国が自国領土と主張している人工島のうち少なくとも一つの12カイリ内に進入。これに中国政府は激怒し、駐中国米大使を呼び抗議した他、「主権に対する脅威」と強く非難した。
 匿名を条件にAFPの取材に応じた米当局者は、米軍が人工島付近の航行を「再び実施する」と言明。「国際水域においては、自由な時間と場所で航行する」と語った。また、上院軍事委員会の公聴会で証言したカアシュトン・カーター国防長官も、人工島周辺の12カイリ水域内でさらなる活動を行うことを示唆。「われわれは、国際法で認められている場所であればどこでも飛行・航行し、作戦を展開する、という原則にのっとって行動している」と述べた。
 複数の諸国が領有権を主張している南沙諸島で、中国が岩礁を埋め立てて軍事施設の支援につながるような人工島を造成し始めて以来、同海域をめぐる緊張は高まる一方となっている。中国は、この人工島周辺を領海と主張しているが、米政府はこれを認めない意向を繰り返し表明している。
(AFP、10月28日)

ネット上では、「米中開戦で海自参戦?」「高慢な中国を日米で一撃粉砕」などと盛り上がっており、政府関係者からも「遅きに失したかもしれないが、良くやった!」という声が聞かれ、盧溝橋事件後の日本の国内世論が思い出される。

【参考】 文民統制と和平交渉 

だが、ウヨウヨな皆さんが願うような事態にはなりそうにない。
中国は夏以降、米国債を売却し続けているが、ロシアやノルウェー、あるいは少なくない新興国も同調している。これは、中国経済の減退とともに、原油安に対応した措置と考えられるが、米国債の利回りが低すぎる点も指摘されている。結果、FRBは2兆5千億ドル近くも国債を保持してしまっている。
また、ここ数年続いている予算編成の問題では、今年も9月末に暫定予算が成立、さらに与野党の合意も成立して、ひとまずデフォルトと「政府閉鎖」を避けられたものの、根本的には何ら解決しておらず、戦争できるような財政状況には全く無い。
一方で中国は、9月に米国のボーイング社に対して旅客機300機を注文しているが、その契約額は380億ドル(約4兆5千億円)に上るとされ、米中関係が悪化すれば、中国側は契約破棄カードを切ることになるだろう。それに対する非難の声は、オバマ政権に集中することになるだけに、アメリカ側は「出来レース」程度のことしかできない。

では、何故このタイミングで南シナ海へ?という疑問が生じるわけだが、恐らくは中東における失策を糊塗すると同時に、中東不介入の理由を南沙に求めるという狙いがあるものと思われる。アメリカはシリアでもパレスチナでも対イスラム国でも何の成果も上げておらず、批判が高まっているものの、積極的に介入する余裕も無ければ、意図も無いだけに、「中東には介入しない」理由を他につくりたかったのだろう。

笑えることに、9月4日に米アラスカ州沖で、中国海軍の軍艦五隻が米領海内に侵入したが、米国側は国際法で認められた「無害通航」との見方を示している。その後、習近平主席が訪米して380億ドルの契約を結び、その前後に「出来レース」の話をつけたと思われる。
日本のマスゴミは殆ど報道していないが、米軍艦の南沙進入の直前、カービー国務省報道官は、公海における航行の自由を示すための作戦だと説明。「こうした作戦は私自身、海軍時代に何度も経験している」「航行の自由を守るために影響力を行使することは、海軍の存在意義のひとつだ」と述べている(CNN)。
つまり、米中ともに「この辺までは互いにOKしようよ」という線引きをしただけのことなのだ。

別の例を挙げれば、先の日米新ガイドラインの策定に際して、アメリカは中国側にその内容を公表前に通知しているが、このことは日本側には伝えられなかった。つまり、アメリカはアジアで中国と本気で対立するつもりなど全く無いのだ。
むしろ深刻な脅威は、今後日本が「バスに乗り遅れるな」とばかりに尖閣諸島周辺に海自を出動させ、本格衝突の芽をつくることにあるだろう。
posted by ケン at 12:19| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月28日

新年早々に通常国会?

【通常国会召集は1月4日で調整 政府・与党、例年より前倒し】
 政府・与党は24日、来年の通常国会を例年の1月下旬から前倒しし、1月4日に召集する方向で調整に入った。外遊中の安倍晋三首相が28日に帰国した後、最終判断する。複数の政府・与党幹部が明らかにした。野党は秋の臨時国会召集を要求しているが、政府・与党は首相の外交日程などから見送る方針で、その代わりに通常国会の召集を早めて批判をかわしたい考えだ。また、経済対策となる平成27年度補正予算案や28年度予算案の審議を早く始め、4月以降に行う環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の国会承認などに余裕を持たせる狙いがある。
 来年は7月に参院選が行われる予定で、通常国会の大幅延長は困難。通常国会は国会法で1月中の召集が「常例」とされているが「可能な限り召集を早めたい」(自民党幹部)として4日召集案が浮上した。また、この案は選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる来年6月19日の改正公職選挙法の施行とも関係がある。政府・与党は次期参院選から実施する方針で、その場合の最も早い参院選の日程は「6月23日公示、7月10日投票」となる。1月4日召集の場合、会期は6月1日までの150日間で、会期を延長しなければ閉会から参院選まで日程的な余裕が生まれる。政府・与党はTPPの国会承認で批判が強まることを懸念しており、国会承認の時期と参院選をできるだけ遠ざけて、影響を軽減したいとの思惑もある。
(産経新聞、10月25日)

野党からの臨時国会開会要求に対し、政府・与党は臨時国会を開会しない代わりに、新年早々に通常国会を召集する対応を検討している。確かに憲法では、衆参各院の4分の1の議員が臨時国会召集を要請した際には、応じなければならない規定がある。だが、国会召集の時期については明示的な記載が無いため、開会は拒否できないものの、先送りすることはルール上可能と言える。
野党や反体制派は「憲法違反」と批判しているが、現実問題として国会召集は難しく、少なくとも全体的に内容のある議会にはなりそうにない。政府が主張するとおり、11月は首相の外交日程が多く、開会・所信表明を行う日程の調整からして困難を伴っている。しかも、12月には予算編成がピークとなるため、閣僚の議会出席や官僚の対応が難しくなる。もちろん、外交や予算編成よりも重大な課題がある場合は、議会の招集は優先されてしかるべきだが、野党の要求は、未成立のTPPで政府・与党を叩きつつ、通りもしない安保廃止法案を出して国民大衆にアピールしたいというだけの話に過ぎない。

とはいえ、「新年早々の通常国会」には自公側の思惑がある。それは、自公共に「参院選を早く終わらせたい」というものだ。まず、自民党としては、野党の連携や候補者が整う前に選挙してしまいたい。政府としては、かりそめの株価上昇や景気がどこまで保つのか不透明であり、TPPという爆弾を抱えている以上、これも早く選挙をやってしまいたい。KM党は、自らの組織体質故に(選挙毎に住民票を移動させる)、衆参同日選は避けたい思いが強い。消費再増税が再来年(2017年4月)に行われる以上、その前、現実的には来年中には衆議院の解散・総選挙が行われることはほぼ確定している。仮想イメージとしては、7月頭に参院選を行い、9月に臨時国会を召集して大型補正予算によるバラマキをした上で、11月解散12月総選挙という感じで考えているようだ。この場合、KM党としては、衆参同日選を避けた上で、軽減税率をアピールできるだけに「十分」だろう。

政府・与党はいわば手の内をさらけ出しているような状態にあり、野党にとっては有利な情勢のはずだが、果たしてバラバラの野党が上手く連携して政府の弱点を突けるのか、野党主導で選挙の争点設定を行えるかどうかがカギとなるだろう。
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2015年10月27日

自己主張する同盟国

【カナダ、対IS空爆作戦から撤退へ 次期首相、米大統領に通達】
 カナダ総選挙で勝利し、新首相に就任することが決まった自由党のジャスティン・トルドー党首は20日、バラク・オバマ米大統領と電話会談し、カナダ軍の戦闘機がイラクとシリアで実施するイスラム過激派組織「イスラム国」に対する戦闘任務を終わらせる方針を伝えた。トルドー氏は同日の記者会見で、「約1時間前、オバマ大統領と話し合った」と表明。カナダは「対ISIL有志連合の強力な一員」であり続ける一方で、オバマ大統領には「戦闘任務の終了をめぐる私の公約」を明確に伝えたと述べた。撤退の時期については明らかにしていない。
 カナダは昨年、CF18戦闘機を2016年3月までの期限付きでシリアとイラクに配備。さらに、イラク北部のクルド人部隊を訓練するため約70人の特殊部隊を派遣した。トルドー氏は選挙中の公約で、戦闘機を本国に引き揚げ、戦闘任務を終了させると明言。一方で、訓練のための部隊派遣は継続するとしていた。
(AFP、10月21日)

対同盟国外交であっても、政権交代によって方針転換することが可能なことを示す好例。カナダは以前にも、イラク戦争に対する米国の出兵要請を断ったことがある。カナダとアメリカは、互いに最も広大な国境を共有する最重要国同士だが、カナダはヴェトナム戦争にも出兵せず、むしろ米軍からの脱走兵を保護した歴史すら持ち、TPPでも激しい交渉を行っている。

今回、カナダの総選挙で勝利したのは、第三極と言える自由党だったが、TPP参加を明言すると同時に、対イスラム国攻撃からの撤退を宣言することで、米国とは一定の距離を保つバランス外交を掲げている。カナダが人口規模と経済規模において、アメリカの10分の1でしかないことを考えれば、その自立性は特異的かもしれないが、逆に「長大な国境を共有している」「その他の脅威を共有していない」ことが、アメリカに対する圧力になり、一定の発言力を保持できているとも考えられる。
日本の場合、単独ではどうしても中国ともロシアとも対抗できないため、中ロと和解しない限り、自然と米国に依存せざるを得ない構造になっている。故にアメリカも日本の独自外交を妨害する構図が出来上がっている。

大多数の日本人にとっては意外に思われるかもしれないが、冷戦期のワルシャワ条約機構も、西側からは「ソ連の衛星国」と言われながらも、なかなかに自己主張していた。例えば、1968年に起きた「プラハの春」に際しては、東独、ポーランド、ブルガリアが早期介入を唱えたのに対して、ハンガリーが慎重論、ルーマニアとアルバニアは介入反対を明言、ソ連は早期介入を見送ったものの、最終的には介入を決断した。ルーマニア共産党のチャウシェスク書記長は、プラハへの軍事介入から三カ月後に行われた国民会議において、ブレジネフの制限主権論を正面から批判している。
アンゴラ内戦に際しては、ソ連は自らは出兵しなかったが、東ドイツとキューバが出兵して、MPLA(アンゴラ解放人民運動)を支援している。1981年のポーランド危機に際しては、東独、チェコスロヴァキア、ブルガリアが軍事介入を主張するも、ハンガリーとルーマニアは反対、ソ連も反対を支持して介入は見送られた。ワルシャワ条約機構が足並みを揃えて介入したのは、アフガニスタンくらいのものだった。

「積極的平和主義」を掲げ、集団的自衛権を容認した日本は、これからどうするだろうか。
posted by ケン at 12:29| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

いじめ撲滅運動なるムダ

安倍内閣が成立して以降、体罰を推進してきた連中が文科省の大臣や政務官に就くようになっている。(学校教育法で禁止されている)体罰を容認する口で、そのまま「いじめ撲滅」を言うのは、国家テロを容認する論理と同軸線上にある。だが、自民党政権にできる「いじめ撲滅」など、せいぜいのところ「道徳教育の強化」や「カウンセラーの増員」程度のことであり、成果が上がることは無いだろう。
この問題についてはすでに述べているが、今回は制度派経済学・行動経済学の視点から「学校がいじめに対応できないワケ」を説明したい。

【参考】

道徳でいじめ解消という愚 
世界はこうしていじめと闘う 

日本の教育現場では、いじめは「あってはならない悪」として認識されている。これは、電気事業者における原発事故や軍隊におけるいじめと同じで、まず「あってはならない不祥事」という設定が、組織内の隠蔽を加速させる構図になっている。これは組織人の立場に立って考えてみれば、「不祥事が発生したことでマイナス評価を受けるくらいならば、隠蔽する方が良い」と判断するのが組織人として「合理的判断」となる。それが部署単位で行われた場合、同調バイアスや現状維持バイアスがますます強くなる。東芝やフォルクスワーゲンの場合、これが社全体で行われた格好だ。

現状維持バイアスは、不祥事隠蔽の基本要素なので、まずここから説明しよう。現状維持バイアスは、「今のままで問題ないんだから、今のままで良いだろう」という心理傾向を指す。
労働がキツくて給料も安いのに、転職する気力が起きないのは、失職するリスクと転職に掛かるコストが、現在抱えている不満を上回っているからだ。特に日本の場合、失業保険の給付が失業者の2割に対してしか行われておらず、中途雇用市場が非常に未熟であるため、リスクとコストが肥大化、労働市場が硬直化しているという問題がある。より身近な話をするならば、ランチに何を食べるかで悩んだ時に同じ物を食べる確率が高いのは、新しいランチを開拓するコストと、「当たり」を引く確率を比較して、「いつもの」を無難と考えてしまうからに他ならない。

これは教員の立場に立って考えて欲しい。教員としてイジメを内包する学級を担当したとして、イジメと対峙して問題解決に掛かるコストと、イジメを解決した際に得られる便益を天秤に掛けた場合、前者の方が巨大であることは明らかすぎる話であり、現状で目に見える問題が発生しているので無ければ、自分が担任している間は「問題が表面化しないように動く」のが、組織人として「合理的」な判断となる。
かつての教員は、地域社会で大きな権威を有しており、イジメ発生の抑止力となると同時に、問題解決に掛かるコストも小さくしていた。教員に苦情を言う親がいなければ、結果はどうあれ、問題解決に掛かる交渉コストが小さいのは確かだろう。ところが、教員の権威が地に堕ちた結果、生徒は教員に服従せず、保護者はモンスター化したため、問題解決に投入するコストが肥大化してしまった。それに対して、学校組織では「イジメが無いのは当たり前」という認識であるため、仮にイジメを解決したところで「正常化された」で終わってしまい、教員の評価や権威向上に殆ど寄与しない。つまり、教員個人にとって、イジメを解決するためのインセンティブは殆ど無いのが現状なのだ。

そして、もう一つの同調バイアス。これは、組織内では取りあえず多数派に同調するのが無難とする心理傾向を指す。実際にイジメを行う子どもは数人でしかないのに、被害者以外の全員が加害者側に荷担、ないしは見て見ぬフリをするのは、この同調バイアスで説明される。実は、これは教員にとっても同じで、教員の権威が極限まで低下した結果、教員一人では加害生徒と対峙することが難しくなっており、学級内秩序を維持するために教員が加害者と手を組むケースが増加している。また、学校組織内でも「イジメは存在してはならない悪」という認識が共有されているため、教員としては「自分のクラスでイジメが発生している」と宣言するコストが肥大化してしまっている。
日本では家庭でも学校でも、「自らの頭で考えて、自らの意見を言う」ことを「良くない」こととして教えてきた伝統(但し江戸期以降)があり、この同調バイアスは世界でも群を抜いて強いとされている。

福島原発事故も基本的には同じ構造で、「巨大津波が起こる可能性」は認知していても、東電内では「原発事故は起きない」という認識で統一されていたため、「津波のリスクを指摘して、巨大組織を動かして、上司と敵対する」コストと、「(低いと思われるが)原発事故が起きるリスクを手当てする」便益を考慮した場合、組織人としては「見なかったことにして自分が担当の間は津波が起きなければOK」と考えるのが「合理的」だった。
二次大戦において、少なくない数の軍人が「対米開戦は無謀」「インパールとかあり得ない」などと考えていたにもかかわらず、数人の例外を除いて誰も口に出来なかったのも、現状維持バイアスと同調バイアスから説明できる。
組織人としての教員個人からすれば、「イジメ解決とかバカがすること」「一年間耐えられればOKなんだから」と考えるのが、「合理的」なのだ。

イジメは、閉鎖的空間に多数の人間を入れて長期間拘束した結果、秩序維持のために自然発生するものであり、いかなる組織でも起こりうる問題なのだ。本気でイジメを減少させたいのであれば、まず「不祥事」「悪」とする認識を止め、「いつでもどこでも起こりうる問題」と改める必要がある。その上で、学級制度を廃止して、単位制に移行、授業が終わったら速やかに下校を強制するのが望ましい。学級制度を廃止できない場合は、クラス単位をよほど小さくする必要がある。学級単位を小さくすればするほど、多数派の形成が困難になり、教員の権威が相対的に高まるためだ。そして、生徒に対しては「イジメは暴行障害あるいは脅迫罪に該当する犯罪行為」であることを教えると同時に、犯罪に遭遇した場合の法的対処(証拠を取って告発する)を叩き込むのが良い。
また、イジメに対しては第一撃に際して断固たる態度を取った場合、それ以上続けられないケースが多いというデータもあり、「自分の意思をきちんと表明できる」人を育てるという視点も必要だ。だが、デモに参加しただけでバッシングを受ける日本の現状では、理想論に近いのかもしれない。
いずれにせよ、「いじめをなくすために道徳教育を強化する」と言う自民党が学校教育を悪化させることはあっても改善させることはあり得ない。
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2015年10月24日

ヒトラー暗殺、13分の誤算

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『ヒトラー暗殺、13分の誤算』 オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督 ドイツ(2015)

名作『ヒトラー最期の12日間』を撮ったヒルシュビーゲル監督の新作。1939年11月8日、ミュンヘンで起きた「ビュルガーブロイケラー暗殺未遂事件」の首謀者を描く。同事件では、ヒトラーが予定を早めて演説会場を去った後、ビアホールで爆発が起き、7名の死者と63名の負傷者を出した。首謀者たる主人公は、同日夜にスイス国境で逮捕される。一介の家具職人が、「総統暗殺」などという大それた行動に出たのは何故か、その動機と背後関係を徹底捜査するように総統命令が下されるが・・・・・・

以下、ネタバレ注意!



「最期の12日間」とは打って変わって、大戦前が主な舞台となる。暗殺未遂事件は必ずしもメインでは無く、1930年代初頭よりナチスが政権を取って、社会がファシズム色に染まってゆく中で、自由や宗教的価値観を捨てられず、ナチスに同化できない青年が疎外感を深め、静かに正義感を燃やしてゆく様が描かれている。
特に地方(南部)の小さな村が、少しずつナチズムに染まってゆく様は秀逸で、私も自分の周囲がネトウヨ色に染まりつつあるのを目の当たりにしているだけに、他人事では無いリアリティがあった。

ヒルシュビーゲル監督らしく、さすがにナチスの親衛隊長やゲシュタポは「いかにも」な感じで描かれているものの、地区指導者は「ナチだけど良い村長」くらいの役回りで、取り調べを行う刑事部長は党の命令と職業意識と良心の狭間に悩まされるという、重層的な作りになっている。
そもそも主人公は、政治的良心から「独裁者暗殺」「戦争(破局)防止」を目論むものの、その手段はテロリズムであり、無数の犠牲者を出してしまう。本作はこの点も公正に描いており、人格も含めて、決して主人公を英雄には仕立てていない。
「目的は手段を正当化し得るのか」は本作の重大なテーマの一つと言える。

監督はインタビューで、「生まれた世代を問わずに我々は『加害者の国』としての心を持っていなければ、感じてなければいけないと思います。自分たちの犯した罪と相対し、そして相対し続ける事が大切です」と述べているが、日本人にとっては耳の痛い話であり、「逆コース」が現在進行形の日本でこそ広く見られるべき作品だろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする