2015年11月20日

鎌形路子写真展 「白を掬う collection of white」

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鎌形路子写真展 「白を掬う collection of white」
2015年11月6日(金) - 28日(土)
ギャラリー冬青 東京都中野区中央5-18-20

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15年来の同好の士である鎌形女史(通称ミッチー)の初個展。
もちろんデジタルでは無く、アナログのフィルムで撮影し、印画紙に焼いている。
もともと白かったけど、最近はますます真っ白に。モノクロと言うよりも「モノシロ」だよなぁ。
白いとはいえ、ただ飛ば(オーバー)しているのではなく、黒い部分は5番のフィルターで締めているので、決して散漫なわけではない。とはいえ、同じ師匠に教わったはずなのに、ここまで違うのも凄いよな〜〜ちなみに、私のモノクロ写真はこんな感じ。たぶん師匠の教えにより忠実的なはず。
繊細なタッチの北海道の雪景色が美しい。
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2015年11月19日

軍人勅諭の無効化と国家神道の復活

明治15年に布告された「軍人勅諭」は、「竹橋事件」と「四将上奏事件」を受けて、山県有朋が主導して作成された。竹橋事件は、西南戦争の論功行賞等に不満を抱いた近衛砲兵隊が明治帝に直訴しようと行動を起こし、戦闘に至った。実際には初回の戦闘で銃弾を使い果たし、3時間と経たずに降伏してしまったというもので、中世の蛮性が濃厚に残っていた明治初年の衝動的事件だったと思われる。とはいえ、下級士官が兵を率いて上官を殺害して御所に向かおうとしただけに、明治政府が受けた衝撃は大きかった。

四将上奏事件は、開拓使官有物払い下げ事件を受けて黒田清隆、五代友厚らの腐敗を糺すとして、鳥尾小弥太、谷干城、三浦梧楼、曾我祐準の四将軍が政府や内閣に相談すること無く、明治帝に直接上奏した事件を指す。その背景には、山県有朋・大山巌らを中心とする外征派と四将を中心とした内治派の対立があった。

この二つの事件を受けて、山県らは軍の統制を一本化する必要性を実感したわけだが、その対応として出てきた軍人勅諭は、天皇を唯一の統帥者として仰ぎ、絶対化するというものだった。これは後の明治憲法にも繋がってゆくが、全ての主権は天皇唯一人が有するものであり、軍人が天皇の主権を侵すことは許されないという考え方の下で、「軍の政治不介入」と「天皇への絶対的忠誠」の原則が盛り込まれた。これが後に、明治憲法の「統帥権の独立」となり、「軍は政府のコントロールを受けない」という昭和軍人の発想に繋がっていった。
軍人勅諭には「忠節」の項に、「政論に惑わず政治に拘わらず」とあり、当初は「軍人は政治に関与してはならない」と理解されていたものの、時を経て軽視されるようになり、「義は山獄よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」の部分が「軍人は天皇のために進んで死すべし」と強調されるようになっていった。
軍人の政治関与を戒め、軍の統帥を強化することを目的に作成された軍人勅諭だが、その目的を達することは無く、むしろ人命を軽視し、文民統制を否定するツールとして機能して終わった。

これを思い出したのは、先日神職にある友人(正確には友人の友人)の話を聞いたからだ。彼は、とある大学の神道学科を卒業して神職に就いているが、大学では何度も「神官たるもの、政治に関与してはならない。もし総代会などで政治向きの話が出たとしても速やかに退席しなければならない」と教えられたという。これが、戦前期の国家神道が、戦争動員と侵略戦争のツールとして機能したことへの反省に基づいていることは明らかだろう。
残念ながらこれは「良い話」ではなく、彼の話は「でも、神道の教えを社会で実現するのが正しい神職のあり方であり、老人たちの古い教えに従う必要は無い」として憲法改正と政教一体化へと向かってゆく。
山崎雅弘さんの新著ではないが、「戦前回帰」はまさに社会の隅々まで至っているようだ。
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2015年11月18日

約束の土地

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『約束の土地』 アンジェイ・ワイダ監督 ポーランド(1974)

ポーランド映画祭にて鑑賞。平日夜だったが、ガラガラで「これでは一週間で終了しても仕方ない」と思ってしまった。ポーランド映画は良い作品が多いだけに、認知度が低いのは惜しいところだ。

本作は、ワイダ監督が卒業した映画大学のあるウッチを舞台に、ロシア支配下の19世紀の末、繊維産業で一旗揚げようと試みる、ポーランド没落貴族、ドイツ人職人、ユダヤ人の三人の青年を描いている。三人を中心に描いているが、繊維産業に沸く都市の群像劇という雰囲気もある。3時間近い大作。
1974年の制作で、75年にモスクワ映画祭で金賞を受賞するも、公開は81年ということからも、社会主義体制下においてはやや問題のある作品と見なされていたことが分かる。実際、退廃的なパーティーや際どい性描写もあり、ソ連学徒の私からすると「ポーランド映画界(検閲)はソ連のそれよりもよほど自由だったんだな」と思わずにはいられなかった。

セットを殆ど使用せず、中世や近世の面影が残るウッチの街並みを上手に使っており、音楽も印象的な作品に仕上がっている。ウッチは実際に繊維産業が盛んだった街で、東欧ブロックが崩壊するまでは多くの工場が稼働していたようだが、今では殆どが廃墟になってしまっているという。
さすがに社会主義体制下でつくられた作品だけに、資本家や工場長が全員悪人としてややステレオタイプ的に描かれているが、主人公たちも裏取引や陰謀をめぐらし、引き抜きや籠絡など、手段を選ばずにのし上がろうと試みており、現在見ても古さを感じさせないものがある。ただ、中盤の主人公たちが金策に走り回るシーンが非常に長く、資本家の悪徳ぶりの描写が多いなど、今日的感覚からするとムダに思えるシーンがあることは否めない。同時に、肝心の主人公三人の内面や結びつき(必ずしも親友とは言えない微妙な関係)が十分に描かれておらず、今ひとつ人物にのめり込めなかった。
ワイダ監督らしく、光の使い方が巧みで、音楽も非常に印象的な作品になっている。監督の作品は、最近では『カティン』や『ワレサ』を見たが、政治的テーマが入ると思い入れが強すぎて微妙な仕上がりになってしまうようだ。
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2015年11月17日

迷宮はさらに深く:パリ連続テロ事件を受けて

【フランス、シリアのIS「首都」を空爆 パリ襲撃事件後で初】
 フランスの空軍は15日、イスラム過激派組織「イスラム国」の事実上の「首都」となっているシリア北部ラッカを空爆し、指揮所と訓練基地を破壊した。仏国防省が発表した。ISが犯行声明を出したパリの連続襲撃事件以降、同国がISを空爆したのは初めて。作戦には戦闘爆撃機10機を含む軍用機12機が参加し、20発の爆弾を投下した。軍は声明で「破壊した第1目標は、ダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)が指揮所、過激派の人員採用施設、武器弾薬庫として使用していた。第2目標にはテロリスト訓練施設があった」と述べている。
(AFP、11月16日)

【「フランスは戦争状態」 オランド大統領が宣言】
 パリの同時多発テロ事件を受けて、オランド大統領は臨時の上下両院合同会議で演説し、フランスは戦争状態にあると宣言しました。
(テレビ朝日系、11月17日)

フランス・パリで連続テロ事件が発生し、死者は130人以上に上っている。その前日には、レバノン・ベイルートにおいて2回の連続自爆テロが起こり、40人以上の死者を出している。また、10月10日にはトルコの首都アンカラでやはり2回の自爆テロが起きて100人以上の死者が出ている。
ベイルートやアンカラでのテロ事件は大きく報道されること無く、一般的にはほぼスルーされているにもかかわらず、パリでの事件については大々的に報道され、フェイスブックは「安全と平和を願う」旨の連帯表明としてユーザーのプロフィール写真に仏国旗のカラーを重ねられるサービスを開始した。このサービスは私の知人の間にも拡散しているが、「パリ市民とだけ連帯するのきゃ?ベイルート市民は放置?」「フランス三色旗の意味するものを理解しているのきゃ?」という思いはぬぐえない。
また、フランスのオランド大統領は、「今回のテロはジハード主義を掲げる過激派組織『イスラム国』による戦争行為だ」と述べているが、9月末にシリアのイスラム国支配地域に対する空爆を始めたのはフランス側であり、非対称戦争に「後方」など存在しないのは最初から分かっていたはずだ。

今回、フランスが有志連合によるシリア空爆に参戦を決めたのは、「シリア難民の増加」「アサド政権とイスラム国の武力討伐に対する欧州内国論の高まり(トルコや英国の参加)」「ロシアによるアサド政権支援」などが背景にある。フランスはただでさえ、国民の8%がイスラム教徒と化しており、中東の不穏が長期化して難民の流入が続いた場合、国家体制の基盤(共和国の原理)そのものが脅かされる危険がある。フランスの情報当局はテロの可能性を探知していたにもかかわらず、抑止できなかったため、なおさら武力行使の主張を強めてしまった側面もありそうだ。テロを行うためには、実行犯だけで無く、その数倍に上るバックアップ要員や支援者の存在が不可欠だからで、フランス社会はそれだけジハーディストに侵食されていると考えられる。

そして、フランスは国家原理的にイスラム国の存在を許容できない。共和国憲法第一条には、

「フランスは、不可分の非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。」

とあるように、フランスは宗教との決別・分離を基礎に置く共和国であり、非宗教的市民のための政治を担うことに最上の価値を置いている。その結果、宗教との関わりはプライベートな空間でこそ認めるものの、パブリックな空間では徹底的に排除するという原理が成立、それを具象化したものの一つが「公学校におけるブルカ・スカーフ着用の禁止」だった。当然のことながら、宗教政党は一切認められない。
そして、憲法に掲げている「不可分の」は、「一切の例外を認めない」という意味の厳しい決意であるため、日本のように国会議員が神社を閣僚や議員として参拝したり、疑似宗教政党が認められるようなことはあり得ない。それは、わずかな例外を認めることが、独裁を許すきっかけになるという歴史を反映しているのだ。

フランス共和国憲法が掲げる「ライシテ」が、政教分離による非宗教的統合を原理とした民族国家を意味するのに対して、イスラム国はイスラム主義による政教一致を原理とする非民族国家を標榜している。
フランスはナチズムに対する反省から、「共和国の原理」を守るための武力介入を始めとする暴力行使を厭わない性格を有している。結果、フランス社会では、イスラムやイスラム主義を標榜すること自体、「共和国の原理」に対する否定・攻撃と見なされてもおかしくないため、今回の事件のように犠牲者が出るようになれば、「共和国の危機」という反応になる。「デモクラシーと自由に対する脅威はごく身近なところに存在する」というフランス人の自覚の現れと言えよう。これは、自力でデモクラシーや宗教分離を獲得した経験の無い日本人にはなかなか理解しがたいことかもしれない。フランスが「共和国の原理」を掲げてジハーディストと徹底抗戦を唱える以上、どちらかが滅亡するまで終わらない構造になっている。

トリコロールを支持するということは、「共和国の原理」を支持するということであり、死者への追悼と同時にフランスによる軍事介入への支持を表明することになる。少なくともジハーディスト側はそう捉えるであろう。「ムスリムとジハーディストは違う」という反論もありそうだが、「共和国の原理」がムスリムの社会的アイデンティティ表明を許容しない以上、フランスとムスリムの共存は難しい。
つまり、件のFBのそれは、身もフタもない言い方をすれば、「対テロ戦争への賛否を確認するためのツール」でしかない。

対テロ戦争は「勝利無き戦争」だ。仮に今回米欧がシリアに軍事介入したとして(ロシアが介入中のためすぐには無理だが)、ジハーディストはイラクやリビア、イエメンやスーダン等に逃れて同じことを続けるだけの話で、むしろ問題の根を拡散させてしまう恐れがある。米欧の「専門家」からは、「イスラム国は弱体化しており、焦っている」という意見が聞かれるが、仮にシリア・イラクのそれが弱体化しているとしても、イスラム原理主義を糾合する勢力が無くなるわけではない。
同時にさらに難民が発生して欧州に流入し続け、欧州内の統合を脅かすことになるだろう。アメリカが軍事侵攻したアフガニスタンとイラクの現状を見れば、いい加減学習して欲しいところだが、もはや武力行使そのものが利権化しているのかもしれない。

【参考】 ラビリンス−テロ戦争 第三戦

我々日本人としては、盧溝橋事件、通州事件、上海事変を受けて、「暴支膺懲」とばかりに国論を沸騰させて日の丸を振り、中国本土に武力侵攻し、少なくとも1千万人以上の中国人を殺害したものの、8年間にわたる泥沼の戦争が続いたまま、敗戦を迎えたことを忘れてはならない。
日本がテロのターゲットになり、FBのプロフィールが日の丸一色になる日もそう遠くないかもしれない。「テロと戦う」と言うのは簡単だが、国民の犠牲は避けられなくなると明言する必要がある。そして、戦時体制はデモクラシーと人権の犠牲の上にしか成り立たない。

【参考】
文民統制と和平交渉 
華北戦記 中国であったほんとうの戦争 

【追記】
仮に現状でシリア領内からジハーディスト勢力が駆逐された場合、その「立役者」はアサド政権を支援したロシアということになり、今度はロシアの国際的威信が高まり、ロシア製兵器が第三世界を席巻するという話になりそうだ。つまり、「イスラム国掃討」は決して「米欧の勝利」にならず、むしろロシアを利した上に、米欧に対する中東の憎悪を高める結果になりかねない。
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2015年11月16日

大阪の選挙協力が意味するもの

【共産・志位委員長、大阪ダブル選での自民共闘「矛盾なし」「住民自治優先」と強調】
 共産党の志位和夫委員長は7日のテレビ東京番組に出演し、府知事・市長の大阪ダブル選で自民党推薦候補を支援していることについて「大阪の民主主義と住民自治を取り戻すことが最優先だ。その大義で協力することは矛盾でもなんでもない」と述べ、国政で対峙する自民党との共闘で大阪維新の会の公認候補と対決することに問題はないとの認識を示した。
(11月7日、産経新聞)

国政選挙では「反自公」で選挙協力と連立政権を前面に掲げるNK党が、大阪では自民党と組んで「反維新」に勤しんでいる。戦略的には十分「アリ」なわけだが、倫理的あるいは政策的、ないしは長期的にはどうなのだろうか。民主党としては、このような政党と組むことが果たして良いことなのかどうか。

歴史的に見た場合、「倒幕」を理由に同盟した薩長は、維新後に内紛を起こし、西南戦争に繋がった。内治派の長州と薩摩・大久保に対し、薩摩・西郷らが外征論(革命輸出)を唱えたことに起因する。それ以前に、倒幕を唯一絶対の目的とした結果、武力行使が優先され、外交交渉による解決を唱えた坂本一派が粛清される事態を招いている。戊辰戦争と西南戦争を軍事力で解決した結果、明治体制下における軍部の地位が相対的に上昇し、軍事志向が強まったことは否めない。

「野合」の最大のケースは第二次世界大戦のそれかもしれない。反共の英米と反資本主義のソ連が、「反ファッショ」を理由に同盟した結果、戦後の国連と冷戦体制を生み、東西対立に起因するドイツ・朝鮮の分断を実現した。日本はたまたま国土・国民を分断されること無く、西側陣営に属することができたため、戦後の繁栄を謳歌したが、歴史的には極めて偶然性の高いことだった。
そのソ連が過剰な軍事国家となったのは、ロシア革命時に日本を含む列強諸国が「反革命」で野合して軍事介入したことに起因しており、ソ連は崩壊までの70年間、そのトラウマから脱却できず、ついには現代ロシアまで引きずっているところがある。
同じく「反ファッショ」で野合したスペイン内戦の場合、「フランコ軍と戦うため」と称して共産党が他陣営に対する粛清を開始し、陰惨な結末を迎えている。

大阪の話に戻そう。大阪の場合、もともと「自公共・解同」による癒着・汚職構造が強固に存在し、政治・行政改革を許さない状況が長く続いていた。そこに橋下氏が登場して「アンシャン・レジーム」の打破を訴えたところ、利権構造外にあった中間層・無党派の支持を得て当選した。橋下派は議会対策上、KM党を取り込んで、その利権には手を付けずに、自共・解同の「既得権益」にメスを入れるが、それに対して「自共・解同」が協同して「反橋下」掲げて対峙、現在に至っている。
「自公共・解同」による癒着・汚職構造を放置したまま、「橋下ケシカラン」と言ってみたところで、大阪市民や大阪府民の理解を得るのは難しいだろう。逆に「自公共・解同」という枠組みを支持するということは、単純に「反橋下」を意味するのでは無く、「アンシャン・レジーム」を黙認するものでもある。故に、政策的あるいは政治倫理的には、「橋下改革は支持できないが、アンシャン・レジームもイヤだ」というなら、「第三の道」を掲げるべきなのだ。
それを、NK党の「民主主義と住民自治を取り戻すことが最優先」という主張に乗っかって協力してみたところで、橋下体制は打倒できるかもしれないが、それは決して府民・市民の幸福を約束するものではない。

それは国政でも同じである。確かに今の自公政権は著しく権威主義的で、デモクラシーを破壊しつつあるとすら言える。だが、そのために同じく本質的にデモクラシーを否定し、権威主義体制を志向するNK党と手を組むことは、短期的には一定の成果を上げるとしても、長期的にはマイナスにしかならない。
私的に全く理解できないのは、「民主党はNK党と協力しないと市民の支持を失うだろう」という「有り難いアドバイス」である。ナゾ過ぎるのは、こういう主張をする人たちは素直にNK党に投票すれば良いだけの話であるはずなのに、わざわざ民主党員に「協力」を呼び掛けている点である。
民主党の支持率が伸びないのは、党のスタンスと政策が不明瞭で、菅・野田路線を引き継ぐ岡田路線が「自民党の二軍」でしかないからであって、決して「NK党と協力しないから」ではない。そもそも、「左翼全体主義者と手を組まないと右翼権威主義に勝てない」党なるものは、有権者からその必要性を十分に認められていないだけの話ではなかろうか。
野党共闘するにしても、党の戦略方針を確立し、目標を明確にしなければ、ただの野合になってしまう。それが表面化したのが2009年の総選挙と鳩山内閣だったことを思い出して欲しい。ただ、今の民主党には、07年の参院選や09年の総選挙を推進するような動力源(例えば小沢氏)もなければ、支持する世論も無いだけに、現実には市民運動家が期待するようなものは実現しないとみられる。

私は別に難しい話をしていない。「安倍はイヤだ」「民主党は頼りない」と言うなら、「どうぞこぞってNK党に投票してください」と応じているだけだ。我々は、あくまで中道政党として自力救済の道を模索するのみである。
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2015年11月14日

シュミット元西独首相の逝去を悼む

【旧西ドイツのシュミット元首相が死去、96歳】
 冷戦時代に西ドイツの首相を務め、その後も積極的に政治にかかわり続けたヘルムート・シュミット氏が10日、出身地の独ハンブルクで死去した。96歳だった。独議会と私設の事務所スタッフが同日、CNNに語った。シュミット氏は1974年、社会民主党(SPD)から2人目となる首相に就任。82年に連立政権の崩壊とともに退陣し、ヘルムート・コール氏が後任に就いた。首相時代の前後には国防相、財務相、臨時の外相も務めた。その後も90年の東西ドイツ統一を経て、2002年に83歳で心臓発作を起こしバイパス手術を受けた後も、政治に関する発言を続けていた。
  訃報を受けて、国内外から追悼の声が寄せられた。シュタインマイヤー独外相はツイッターで「深い悲しみ」を表明した。北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は、シュミット氏を「欧州統合への信念を持った立派な政治家」「強固な防衛と対話は共存可能だと熟知していた、見識ある指導者」とたたえた。欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁も「欧州は偉大な指導者を1人失った」と述べ、「シュミット氏の知識と温かい人格を尊敬していた」と振り返った。
(11月11日、CNN)

ヘルムート・シュミット元西ドイツ首相が逝去されたと聞き、心からお悔やみ申し上げます。

シュミット氏は「政権を取る社会民主主義政党」のシンボル的存在であり、右派社会党の系譜を自認する私にとって目標の一つだった。ドイツ社会民主党(SPD)は、1969年から1982年までの13年間にわたって自由民主党と連立政権を組んでいたが、当初首相を担っていたヴィリー・ブラントがスキャンダル事件(秘書が東独シュタージの協力者だった)で辞任したのを受けて、国防大臣だったシュミット氏が首相の座を引き継ぎ、82年に自民党が連立を離脱するまで続いた。ただ、党首の座は左派寄りのブラントが担い続け、シュミット氏は首相ながら副党首だった。これもドイツらしい現実主義の表れであり、日本では想像しがたい。

シュミット氏は、1939年から45年まで国防軍にて兵役を担い、独ソ戦に参加、後に士官になり砲兵中尉。戦後すぐにSPDに入党し、ハンブルク市の職員となったが、再軍備後は連邦軍予備士官も担い、予備役少佐になっている。再軍備に反対した社民党にあって、国防大臣時代には、徴兵期間の短縮、国防大学の設置、長髪の容認、女性軍人の限定的導入などを実現、首相としてはパーシング2を導入、国防力増強と併行して対ソ軍縮交渉を進め、ドイツ赤軍に対して警察力の行使を厭わないという、一筋縄ではいかないリアリストぶりを見せている。
同時期の日本社会党では、左派出身の委員長が続き、自衛隊廃止論や非武装中立論が唱えられていたことを思えば、政権担当能力の点であまりにもかけ離れていたことが分かる。逆に民社党は急速に右傾化し、有事法制の制定や原発推進を訴え、韓国やチリの反共軍事独裁政権を称賛するという状況にあった。
ドイツ社会民主党は、安保・外交分野で現実主義を貫きつつ、社会保険や年金制度の整備を続け、最低賃金や労働時間短縮も進めたのである。

もっとも、シュミット氏は2000年代に入ってからも原発政策を支持しており、国防軍潔白信者であり続け、国防軍の評価見直しに対して激しく反発したというので、この点でも単純な評価は難しい。
私は一度だけ(たぶん)SM党旧本部でお見かけしたことがあるが、特別大きいわけではないものの、老齢ながら体格が良く、とにかく風格を醸し出していた記憶がある。さすが独ソ戦の生き残りというべきか、目力が凄かったことが思い出される。恐ろしくヘビースモーカーで、90過ぎても行く先々で「禁煙」が一時的に解禁されるという話だったが、どうやらどこでもタバコに火を付けてしまうのだが、誰も「禁煙です」とは言えない雰囲気だったようだ。確かNHKのインタビューでも、SM党本部での講演会でも、タバコを吸い続けていた。

日本において、自民党の永年一党優位体制と際限なき右傾化を許してしまった一因が、一人のシュミットも輩出できなかった社会党にあることを思えば、改めて「どこで道を踏み外してしまったのか」と考え込んでしまう。
ちなみに戦後卒業したハンブルク大学の卒論は、「ドイツの通貨改革と比較した日本の通貨改革」だったという。
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2015年11月13日

平田オリザ演劇展 ヤルタ会談

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ケンケンさんのお誘いを受けて、「平田オリザ演劇展」の『ヤルタ会談』を観に行く。こまばアゴラ劇場。演劇を観るのは超久しぶり。前回いつ何を見たのか思い出せないほど。初めて入るアゴラ劇場は、懐かしい舞台の香りがした。小劇場ならではの超至近距離も懐かしい。
『ヤルタ会談』
「あれ、またチャーチルさん、遅刻?」
第2次世界大戦終戦間際、米・英・ソ首脳によって行われた世界史上最大の秘密会談。
しかし集まった3人は、この国が欲しいだの、人気者になりたいだの、自分の事ばかり―。
平田オリザが柳家花緑氏に書き下ろした落語台本を、舞台版に改訂し、歴史の裏側をブラックユーモアたっぷりに描く痛快コメディ。
出演:松田弘子 島田曜蔵 緑川史絵
スタッフ:舞台監督:中西隆雄 舞台美術:杉山 至  照明:西本 彩 衣裳:有賀千鶴、正金 彩  フライヤーデザイン:京 (kyo.designworks)  制作:堤 佳奈、赤刎千久子

俳優3人による30分ほどの小品。スターリンとルーズベルト役を女性が演じ、3人とも巨漢という設定からして笑える。舞台はその名の通り、1945年2月にソ連クリミア半島にあるヤルタ行われた会談を模している。無責任にして仕事熱心な3人が、その場のノリで戦後処理を決めてゆく。本人たちは全く自覚せずに毒を吐きまくるブラックユーモアが凄い。インターナショナルを歌いながらクッキーを食べ続け、「ちょっと粛清してくる」と席を外してしまうスターリンがなかなか・・・・・・
全体でも相当なセリフ量だが、元々は落語用に書かれたもので、当然一人で演じるわけだから、落語家すごいデス。

100人も入らないような小劇場だが、平日夜の公演で満席にビックリ。さすがにテーマがテーマだからか男性が多かったものの、中高生が沢山観ていたのには驚かされた。演劇界は意外と将来性・需要あるのか?
「文化庁の助成が減らされて大変なんです」とついでに陳情受け。頑張りマス……

東京公演は18日まで。事前にチケット買わないと難しいかも。「忠臣蔵」も観てみたかったけど、都合つかず。国会閉会中は仕事は減るけど、夜の付き合いが増えるからな〜
posted by ケン at 12:05| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする