2015年11月06日

大学からパンピーが消える日

【財務省の運営費削減方針に懸念=国立大協会が声明】
 財務省が国立大学の財政的自立を促すとして、自己収入を年1.6%ずつ増加させ、国からの運営費交付金は年1%ずつ減らすという方針を打ち出したことに対し、国立大学協会(会長・里見進東北大総長)は27日、「国立大の現状にあまりにも配慮を欠いており、大学の役割を果たせなくなる」と懸念する声明を出した。声明は2004年の法人化後、運営費交付金が1470億円減らされていることなどに触れ、自己収入を増やすために授業料を引き上げれば経済格差に伴う教育格差を生むと強調。各大学も改革に取り組んでいるが、達成には基盤的経費である運営費交付金の確保も不可欠だと訴えた。 
(時事通信、10月27日)

NK党を始めとする旧式左翼は「学費40万円値上げ!」などと大騒ぎしているが、これは、「毎年の運営交付金減額分を全て学費値上げに充てた場合、16年後には現在より40万円高くなる」というものであって、来年から40万円上がるという話ではない。明らかなミスリードないしプロパガンダであり、こんな主張をする連中と政権を共にすべきではない。

とはいえ、日本の高等教育が危機に瀕していることは間違いない。国立大学では、2004年以降、人件費を大幅に削減しており、常勤講師や事務職員の多くを非常勤・非正規にするとともに、教員の事務負担を増やすことで事務方の人件費の削減に努めてきた。人件費のコストカットはすでに限界に達しており、自己収入を増やさない限り、これ以上の交付金の減額分は授業料に転嫁する他ないだろう。こ
だが、自己収入を増やせる可能性があるのは、高度な理系大学と都心部に土地を有する大学のみで、地方の大学や文系しか無い大学は資金調達の望みが殆ど無い。現状のままであれば、確かに「16年後に学費100万円」という線は十分にある。

学生側視点からすれば、すでに現状の文系大学で50万円を超えており、私が学生だった頃に比べて20万円も上がっている。他方、親などからの生活費の仕送りは2000年時に12万円近くあったものが、今では9万円台にまで落ちており、学生の負担は上昇する一途にある。その結果、すでに学生の約半数が奨学金(学費ローン)を借りており、卒業時の返済額は200〜300万円に上るという。これが若年層の結婚や出産を遅らせる原因になっていることは間違いない。
貯蓄ゼロ世帯の割合を見た場合、2000年には12.4%だったものが、2014年には38.9%へと3倍以上に増えている。大学生の半数が、数百万円の借金を抱えて就職していることを考えれば、当然の話であり、この割合は今後さらに増えてゆくものと見られる。

このような現状の中で、文科省は「大学の世界ランキングを上げろ」「学生の学力水準を何とかしろ」と叫び続けているわけだが、実際の政策はその主張に逆行するものでしかない。大学教育のクオリティを上げようとするなら、教員と学生が勉学・研究に専念できる体制をつくることこそが必須なはずだが、文科省の政策は教員に金集めと事務を押しつけ、学生にアルバイトと借金を強要するものでしかない。国立大学が人件費の抑制を進めた結果、教育と研究の水準が低下していることは、文科省の政策が「生き延びたければ自分の足を喰え」というものであったことを示している。
こうした文科省のスタンスは、『ヒトラー最期の十二日間』で「シュタイナー戦闘団はまだ来ないのか?!」とヒステリーを起こす総統を彷彿とさせる。

ま、「終わってる」ということだ。自民党を支持してきたツケを自分たちで支払うだけの話なのだが。ただ、当の学生からすれば、「俺が支持したわけじゃねぇ!」と言いたくもなるだろう。
posted by ケン at 12:34| Comment(3) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

ブレア元首相、イラク戦争で謝罪

【イラク進攻は「誤りだった」、ブレア英元首相が謝罪】
 英国のトニー・ブレア元首相は25日に放送されたCNNの単独インタビューで、米国の主導による2003年のイラク進攻について、「誤りだった」と認めて謝罪した。ただ、サダム・フセイン元大統領を排除したことは後悔していないとした。ブレア氏はインタビューの中で、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する。(フセイン元大統領は)国民などに対して化学兵器を集中的に使用していたが、それは我々が考えていたような形では存在していなかった」と明言した。
米英政府はフセイン政権が大量破壊兵器を保有しているという報告を根拠に、イラク進攻を正当化した。だがその報告の根拠となった情報は間違いだったことが後に分かった。この戦争とフセイン政権の崩壊によりイラクは混乱に陥り、宗派対立が激化して国際テロ組織アルカイダが勢力を増し、後に過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が台頭した。長引く戦争で何万人ものイラク国民が犠牲になり、米兵4000人以上、英兵179人が死亡した。
 当時のブッシュ米大統領の最も有力な同盟国だった英国の首相として参戦を決めたブレア氏は、この決断のため、どこへ行っても批判が付きまとった。ブレア氏は情報の誤りのほかにも「計画の誤りや、政権を排除すればどうなるかという認識の明らかな誤り」もあったとして謝罪。ただしイラク戦争についての全面的な謝罪にまでは踏み込まず、「サダム(フセイン元大統領)の排除については謝罪し難い。2015年の現代から見ても、彼がいるよりはいない方がいい」と強調した。フセイン大統領は30年以上続いた独裁政権下で国民を抑圧し、隣国のイランやクウェートに戦争を仕掛け、イラク北部のクルド人に対して化学兵器を使ったとされる。しかしイラクでは今も宗派対立が続き、イスラム教スンニ派の過激派組織であるISISの脅威にさらされる状況が続く。
 ブレア氏は、2003年のイラク進攻がISIS台頭を招く根本原因だったという見方には「一片の真実」があると述べ、「もちろん、2003年にサダムを排除した我々に2015年の状況に対する責任がないとは言えない」と指摘。「だが同時に重要なこととして、第1に、2011年に始まった『アラブの春』も現在のイラクに影響を与えた。第2に、ISISはイラクではなくシリアの拠点から勢力を拡大した」と分析した。さらに、欧米の介入についての政治的論争はまだ結論が出ていないと述べ、「イラクでは介入を試みて派兵した。リビアでは派兵せずに介入を試みた。シリアでは一切の介入を試みず、政権交代を要求している」と指摘。「我々の政策はうまくいかなかったかもしれないが、それに続く政策がうまくいったのかどうか、私にははっきりしない」と語った。イラク進攻の決断を「戦争犯罪」とする見方もあると指摘されたブレア氏は、あの当時は自分が正しいと思ったことをしたと強調、「今になってそれが正しかったかどうかは、それぞれで判断すればいい」との認識を示した。
(CNN、10月26日)

内容はともかく、かつて最高権力の座にあった者が、自らの政治判断について誤りを認め、謝罪するというのは、日本ではまず見られない。いや、アジア全体でも稀な気がする。かつて、ゴルバチョフはカティン事件についてポーランド側に対し謝罪を表明しているし、ハンガリー社会主義労働者党書記長だったカーダールはその遺書で「政治活動で私が誤りも犯したことは間違いない」と認めている。ポーランドのヤルゼルスキも「(ソ連軍介入という)大きな悲劇を避けるため」という文脈下ではあるが、「小さな悲劇」である戒厳令をについて「申し訳なかった」と謝罪している。

ところが、日本では、村山談話を除けば、せいぜい鳩山元首相が沖縄で基地問題の政策転換について謝罪したことくらいしか思いつかない。日本全土を灰燼に帰した責任者の一人である岸信介は米国と取り引きして出獄し首相になり、侵略の片棒を担いだ浅沼稲次郎は自らの責任に頬被りして親中派の「平和の闘士」になり、公約違反の増税・TPP・集団的自衛権を推進した菅直人は政権交代後、堂々と反対派と行動を共にしている。日本では少なくとも政治家は「恥知らず」が必須スペックになっているのではなかろうか。

もっとも、ブレア氏の「謝罪」は「情報が間違っていた」「フセイン排除後の見通しが甘かった」点を述べているのみで、イラク侵攻そのものに対する開戦判断については誤りを認めてはいない。この辺は弁護士らしいとは言えるが、それでもキリスト教徒(カトリックに改宗)らしい、良心に対する真摯さが表れている。
元権力者が政策判断の誤りを認めることは、過去の政策の検証を容易にするが、日本の場合、そもそも公文書管理法がザルであるため検証できない上に、全体主義国のように国家無謬論が政官界を支配しているので、公正な政策検証はおろか、第三者による検証機関すらロクに設けられない状態にある。
例えば、自衛隊に関する機密「防衛秘密」のうち、秘密指定の解除後に国立公文書館に移され保管されている文書が一件もなく、自衛隊によるイラク出兵については議会で検証されることはなく、政府による検証はA4ペーパー4枚で「問題なし」に終わった。

安保法制の成立により、自衛隊の海外出兵はさらに増えてゆくと思われる。特に国連PKOは、その主要な役割を「停戦監視」から「住民保護」に転じており、「住民保護のためには武装集団等との戦闘も辞さない」方針を明らかにしているだけに、例えば陸自が南スーダンに全面派兵となれば、戦闘参加する可能性が高まっている。
ところが、日本国憲法は交戦権を認めておらず、安保法制の審議に際して政府は「交戦権は無いが、自衛権はある、その自衛権は個別的か集団的を問わない」と説明した。結果、自衛隊は交戦権を持たないまま、PKOを任務を果たすために武装集団等との戦闘に加わることになるが、日本の政府にも議会にも、自衛隊の戦闘行動を検証するだけの手段が無いのが実情だ。

「国は決して過ちを犯さない」という国家無謬論が、公文書管理を杜撰に師、歴史検証を許さない体質をつくっている。我々がまず打倒すべきは、霞ヶ関と永田町を支配する国家無謬論なのである。
posted by ケン at 12:25| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月04日

民主党は基地問題の対案を!

【民主・岡田代表「対案困難」辺野古を堅持 知事と初会談】
 翁長雄志知事は20日、民主党の岡田克也代表と党本部で初会談し、名護市辺野古の新基地建設問題について意見交換した。会談後、岡田氏は記者団に「政府には沖縄に寄り添う姿勢がない。集中協議を1カ月で打ち切り、工事を再開したことは極めて遺憾であり、今の(辺野古新基地建設の)やり方は反対だ」と政府の姿勢を批判した。
 一方、普天間飛行場問題の解決策については「対案がない中で無責任に辺野古反対とは言えない」と述べ、辺野古への新基地建設は容認する立場であることを明らかにした。翁長氏にも会談で伝えたという。岡田氏は対案を模索するか問われたが、「われわれが与党時代もさまざまな案を検討したが見つからなかった」と否定。対案を見つけるのは困難だとの見方を示した上で、政府に努力を求めた。この日の会談は民主側から持ち掛けて実現。党本部の枝野幸男幹事長、県連の花城正樹代表、清水磨男幹事長らが同席した。
(沖縄タイムス、10月22日)

岡田氏は一体何しに沖縄まで行って、知事に会ったのだろうか?野党第一党の代表が、与野党対立の最前線である沖縄へ行って、「政府案しかありません」と言うのだから、「バカじゃ無いの?!」と生卵を投げつけてやりたい気分だ。

民主党は鳩山政権期に普天間基地移設問題に手を出して失敗、米帝と外務省とその指示に従ったマスゴミの一斉攻撃に晒されて退陣した。その後、菅政権でいち早く辺野古移設を表明し、続く野田内閣でも推進してきた。その結果、2012年の総選挙において沖縄県で獲得した民主党の比例票は社民、NK党すら下回り、第6党となってしまった。最新の報道では、沖縄県内の民主党員はわずか3人だけだという。1989年の東欧革命後の東欧各国の共産党の方がよほどマシだった。
岡田代表は、それほど不人気な政策を、野党に転落して「二度と復活は無い」と言われる中、敢えて続けようとしているのだから、逆に「外務省に弱みでも握られているのでは?」と勘ぐってしまう。

民主党は、菅・野田内閣が掲げた政策が全く支持されなかったため、2012年の総選挙で歴史的敗北を喫し、そのまま政策転換せずに2014年の総選挙に臨んで「微増」に終わっている。このことは、菅・野田路線が「自民党と同じことやるなら自民党にやらせればいいじゃん」という評価が下されたことを意味するのであり、ごく当然の結果だった。にもかかわらず、二度の総選挙で大敗を続けた総括をせずに、いかなる政策転換もしていないのが、現在の岡田体制なのだ。
さらに今回の安保法案の審議で野党としての存在意義を完全にNK党に奪われた形になっており、来年の参院選と総選挙をどうやって戦うつもりなのか全く分からない。

まず民主党は、菅・野田路線を完全に放棄し、鳩山・小沢路線に回帰するか、新たな方針を打ち出さねばならない。その際、沖縄問題は重要なキーとなるだろう。最も重要なのは、「辺野古基地案の放棄、ないしは見直し」であり、続いて対案を提示することにある。
アメリカは、「堕ちた英雄」といえど、自由主義陣営の盟主であり続けているだけに、外国基地の存続は「周辺住民の理解を前提とする」原則を、少なくとも建前上は崩していない。普天間基地と辺野古基地案は、「住民の支持が無い」典型例であるはずだが、日本政府が「住民の理解は十分に得られている」と米国側に公式通達しているため、正当化されている。鳩山政権の時であっても、鳩山氏が堂々と「普天間と辺野古基地はともに住民の支持が無い」と表明していれば、米国側としては建前上ゴリ押しできなかったはずだ。アメリカが裏で工作してくれば、マスコミ(フランスとかロシア?)にリークしてやれば良いし、もし失敗したとしても沖縄県民にここまで嫌われることは無かったと思われる。

そもそも、米国では「基地存続派(ジャパンハンドラー)」と「本土撤退派(再編派)」が意見対立しており、前者が自民党・霞ヶ関と手を組んでいる以上、民主党は再編派と連携すべきだったのだが、米国側にコネクションを持たなかったため実現できなかった。野党外交の重要性を示す一例だろう。
その上で、民主党は辺野古案に替わる代案を用意する必要があり、現状で可能性があるのは3つ考えられる。

@ 米海兵隊本土撤退案(ハワイかテニアン)
A 岩国基地移設案
B 嘉手納基地統合案


中国軍の近代化が進んでいる現状下で、ミサイル攻撃の範囲内である沖縄に米軍基地を置く意味は大きく失われており、軍事的には中東にアクセスする中継基地の役割しか果たさなくなっている。特に海兵隊を置く意味は殆ど無く、実際に駐留している要員は非常に少ないと言われる。日米安保上の役割について言えば、自衛隊が敵国の第一撃を止め、米軍の支援下で反撃するという設計になっている以上、アメリカにとって米軍を第一線に置くことは、自らが紛争主体になってしまうリスクがあることを意味し、そのリスクを重く見る再編派は本土撤退を主張している。ところが、日本政府は「米軍を第一撃に巻き込むために沖縄に貼り付いておく必要がある」と考えており、それが世界に類を見ない「思いやり予算」となって、「宗主国に軍の駐留を懇願する」という状況が現出している。
現実には、中国の国力が増して東アジアのパワーバランスが中国側に傾くほど、米国にとってはリスクが増すと同時に、日本にとっての米軍の価値も増すだけに、在日米軍の駐留コストも急騰するところとなる。具体的には、米国内での基地存続派と再編派の対立が高まると同時に、基地存続派にしても日本側に米軍駐留を「高く」売りつけないと国内に説明が付けられなくなってしまう。結果、日本政府は今後ますます「アメリカの言いなり」にならざるを得なくなるだろう。

問題を根本的に解決し、東アジアの安定と沖縄と日本の平穏を両立させるためには、米軍の本土撤退しかない。だが、そのためには米国内の再編派と緊密に連携を取り、霞ヶ関の日米枢軸派と対抗する必要があるが、民主党にも他の野党にもそれだけの政治力も外交力も無い。
次善の策としては、国内最大級の岩国基地への移転が考えられる。これは、「沖縄の負担を本土が引き受ける」という点で、沖縄県民の要望を実現しつつ、内地の日米枢軸派にも配慮しており、実現可能性ということでは最も高い。幸か不幸か、山口県は自民党の牙城であり、自民党県連を賛成派と反対派に分裂させる効果も期待できる。とはいえ、米軍としては中東から遠くなってしまう点で、あまり使い勝手は良くないかもしれない。
第三の嘉手納統合案は、移設コストが最も低い点で「分かりやすい」案ではあるが、那覇空港の拡張工事と軍民共用の拡大が必要となることを県民と米国側に理解してもらわなければならない。それに失敗して実現しなかったことを考えると、沖縄県民の中央不信が高まっている現状で強行しても実現可能性は低いと思われる。

どの案にするにせよ、民主党、そして野党が避けて通れないものであり、この点については対案無くして参院選を戦うのは難しいであろう。
posted by ケン at 12:11| Comment(3) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月02日

猟犬の國

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『猟犬の國』 芝村裕吏 角川書店(2015)

マージナル・オペレーション』『遙か凍土のカナン』の芝村先生による書き下ろし作品。
「何事もないのが一番いい。そのためならどんなこともする」をモットーとする、日本の名も無き諜報機関「イトウ家」を舞台に、非公式工作員と警察から出向した新人の正規職員のドタバタを描く。「イトウ家」はマジオペにも出てくるし、新人のヒロインもどうやらマジオペに出てきたその人らしく、物語的に繋がっている設定なのだろう。
恐らく公安調査庁をモデルとしているようだが、実物よりはかなり理想化されているようにも見られる。確かに「これ位は頑張って欲しいよね」と言いたくなる気持ちは分からなくも無い。

他の作品と同様、淡々とした筆致でどこか煙に巻くような描写もあり、会話に至ってはラノベ同然なのだが、中身的にはなかなかディープで深刻。この点でもやはりマジオペと同軸線上にあると言えよう。国会議員を協力者にし、警察と取り引きし、ヤクザを裏から操り、敵国の工作員をパージする。淡々と読み進んでしまうが、意外とえげつない。諜報機関としては当然のことなのだが、筆致と内容の落差が相変わらず面白い。スパイものと言うと、どうしても対外諜報で派手に活躍する話を思い浮かべてしまうが、基本的には地味な防諜任務を主としており、「確かに現実はこんなモンなんだろうな」と感じさせるリアリティがある。

主人公に敢えて日本人では無く、「日系人?」を据えている辺りも巧妙で、やはり深刻ながらもニヤリとさせてくれる。新人の元女性警官も、バカっぽく見えてしまうが、ズブの素人が突然こんな業界に投げ込まれれば、当然の話で、面白おかしく描かれているだけの話だろう。

マジオペやカナンほどの読みやすさは無いものの、国内の諜報機関を扱った一風変わったスパイものとして貴重な一冊と言えよう。
まぁ思い出したくも無いT元の話を思い出してしまったのも、少し前に本作を読んでいたからに違いない(爆)
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする