2015年11月10日

夫婦別姓は当たり前・続

【夫婦別姓訴訟で弁論=再婚禁止期間も―年内にも憲法判断へ・最高裁大法廷】
 夫婦別姓を認めず同姓を定めた民法の規定と、女性にだけ離婚後6カ月(約180日)間の再婚禁止を定めた規定について争われた2件の訴訟の上告審で、原告らと被告の国双方の意見を聞く弁論が4日、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)で開かれ、結審した。早ければ年内にも、二つの規定が合憲か違憲かの判断がそれぞれ示される見通し。判決期日は後日指定される。
 夫婦別姓訴訟の原告は東京都と富山市、京都府に住む39〜80歳の男女5人。弁論で原告側は「多くの女性は改姓を強いられたと実感している。規定は憲法13条に由来する氏(姓)の変更を強制されない自由を侵害し、婚姻の自由を保障する憲法24条にも反する」と主張。国側は「憲法を根拠に、国民に選択的夫婦別姓制度の創設を求める権利が保障されているとは言えない」と反論した。
 再婚禁止期間訴訟の原告は、岡山県総社市の30代女性。2008年3月に前夫と離婚し、同年10月に現在の夫と再婚した。法の下の平等を定めた憲法14条などに違反する規定のために再婚が遅れ、精神的損害を受けたと訴えている。弁論で原告側は「規定は性別による差別で、必要以上の制約を女性に課している。再婚禁止期間を設ける必要性自体が存在しない」と主張。国側は「父親推定の重複を回避し、争いを未然に防ぐという立法趣旨は合理性がある。6カ月間とされたのは、前夫の子の妊娠を知らずに再婚するのを防ぐためだ」と反論した。
(時事通信、11月4日)

「世界一の人権大国」を自称する日本が、選択的夫婦別姓すら導入できず、女性に夫の姓を強要する制度を放置しているというのは、客観的に見ると笑い話かアネクドートにしかならない。だが、政府も自民党も本気で「夫婦同姓が当然」と考えている辺り、やはり明治帝政に対する郷愁が強いのだろう。
これも過去ログで何度も触れていることだが、改めて保守派の主張に反論しておきたい。

「夫婦同姓は日本の伝統」:日本で夫婦同姓が制度化されたのは、明治31年の民法改正が起源。それまでは夫婦別姓が基本で、同姓を選択できただけだった。明治以前は夫婦別姓が基本で、武家に嫁いだ女性も姓は実家のものを名乗っていた。つまり、夫婦同姓の「伝統」はわずか100年のものでしかない。「同姓は日本の伝統」などというのは、「鎖国は日本の古法」と叫んでいた幕末のテロリストどもと同レベルの無教養だと言える。ちなみに源頼朝と結婚したのは「北条」政子であり、足利尊氏の母は「上杉」清子、同妻は「赤橋(北条)」登子、足利義政に嫁いだのは「日野」富子であることを思い出してもらいたい。皇室でも同様で、桓武帝の母は「高野」新笠、後醍醐帝の母は「五辻」忠子である。幕末の例で言えば、徳川慶喜の妻は「一条」美賀子だった。そもそも、明治9年に苗字使用を義務化するに際して、太政官法制局が夫婦別姓を採用したのは、「妻は夫の身分に従うとしても、姓氏と身分は異なる」「皇后藤原氏であるのに皇后を王氏とするのはおかしい」「歴史の沿革を無視」という理由からだった。さらに、明治31年の民法改正に際して、司法省がドイツ式の夫婦同姓案を提示したところ、当時の保守派から「日本古来の家父長制に反する」と大反発を受け、戸籍に絡めて「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」とすることで折り合いを付ける始末だった。

「家族の一体性が失われる」:夫婦同姓が強制されている国は、いまやインドとトルコを残すのみとなっているが、そのトルコすらも制度改正されて、混合姓(ミドルネーム)の選択が可能になっている。インドの場合は慣習であって、法律で夫婦同姓が規定されているわけではないという。タイでは2005年に選択的夫婦別姓が導入された。フィリピンでは、混合姓が採用されていたが、2010年に法改正されて選択的夫婦別姓が導入された。右翼の論理が正しいとすれば、日本とインドがその他の国々に比して家族の一体感が強固であることが証明されなければならない。が、そんな分析は存在しない。あるいは、近年別姓が選択できるようになったタイやフィリピンで、以前に比して家族崩壊が進んだという事実も確認できない。むしろ日本における家族共同体は同姓制度にもかかわらず、弱体化の一途を辿っている。つまり、姓名の問題でないことは明らかだ。

夫婦同姓を導入しない国の主張は、「婚姻後に姓が変わると出自が分からなくなる」というものが大多数であり、家族共同体と出自は不可分のものという考え方である。これは非常に良く分かる。というのも、ケン先生の家の場合、祖母2人が養女となったため、祖父2家と祖母2人の実家と養家の計6家の系統があり、父が父方祖母の姓を引き継いだため、私も同じ姓を名乗っているものの、それは全く血統を表していないのだ。また、母方の叔母は、母方祖母の養家の姓を引き継いだため、母方家族と同居していたわが家の門は3つの姓が並んでいた。つまり、母方祖父の姓、母方祖母の養家の姓、そしてわが父方祖母の養家の姓である。これでは、誰がどこの出自なのか、よほどきちんと記録を残しておかないと分からない。要は、「姓の統一」と「家族共同体の護持」は何の関係も無い。

日本のように養子縁組が頻繁に行われる社会の場合、姓は血統を保証するものではなく、家業や家職の継承に力点が置かれている。小説やテレビの時代劇を見れば一目瞭然だが、家騒動の多くは「家業ないし家職の継承をどうするか」が原因となり、「誰に継がせるか」で争議が起きている。つまり、「血統の護持」よりも「暖簾の存続」や「何々組某家何十石の継承」こそが重要なのだ。むしろ明治後半から昭和にかけて日本社会を拘束したイエ制度の窮屈さと不自然さは、夫婦同姓という新制度が日本人に馴染まなかったことの現れと見るべきなのだ。

そもそも、我々が導入を主張しているのは姓選択制なのだから、同姓にしたい人は同姓にすれば良いのだから問題ないではないか。姓名の強制は人権侵害ではないのか。近代原理に反しないのか?むしろ夫婦別姓こそが日本古来の伝統である。
「姓の強制は個人の尊厳に反しない」と主張する「人権大国」など、まさに僭称でしかない。
posted by ケン at 12:30| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする