2015年11月14日

シュミット元西独首相の逝去を悼む

【旧西ドイツのシュミット元首相が死去、96歳】
 冷戦時代に西ドイツの首相を務め、その後も積極的に政治にかかわり続けたヘルムート・シュミット氏が10日、出身地の独ハンブルクで死去した。96歳だった。独議会と私設の事務所スタッフが同日、CNNに語った。シュミット氏は1974年、社会民主党(SPD)から2人目となる首相に就任。82年に連立政権の崩壊とともに退陣し、ヘルムート・コール氏が後任に就いた。首相時代の前後には国防相、財務相、臨時の外相も務めた。その後も90年の東西ドイツ統一を経て、2002年に83歳で心臓発作を起こしバイパス手術を受けた後も、政治に関する発言を続けていた。
  訃報を受けて、国内外から追悼の声が寄せられた。シュタインマイヤー独外相はツイッターで「深い悲しみ」を表明した。北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は、シュミット氏を「欧州統合への信念を持った立派な政治家」「強固な防衛と対話は共存可能だと熟知していた、見識ある指導者」とたたえた。欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁も「欧州は偉大な指導者を1人失った」と述べ、「シュミット氏の知識と温かい人格を尊敬していた」と振り返った。
(11月11日、CNN)

ヘルムート・シュミット元西ドイツ首相が逝去されたと聞き、心からお悔やみ申し上げます。

シュミット氏は「政権を取る社会民主主義政党」のシンボル的存在であり、右派社会党の系譜を自認する私にとって目標の一つだった。ドイツ社会民主党(SPD)は、1969年から1982年までの13年間にわたって自由民主党と連立政権を組んでいたが、当初首相を担っていたヴィリー・ブラントがスキャンダル事件(秘書が東独シュタージの協力者だった)で辞任したのを受けて、国防大臣だったシュミット氏が首相の座を引き継ぎ、82年に自民党が連立を離脱するまで続いた。ただ、党首の座は左派寄りのブラントが担い続け、シュミット氏は首相ながら副党首だった。これもドイツらしい現実主義の表れであり、日本では想像しがたい。

シュミット氏は、1939年から45年まで国防軍にて兵役を担い、独ソ戦に参加、後に士官になり砲兵中尉。戦後すぐにSPDに入党し、ハンブルク市の職員となったが、再軍備後は連邦軍予備士官も担い、予備役少佐になっている。再軍備に反対した社民党にあって、国防大臣時代には、徴兵期間の短縮、国防大学の設置、長髪の容認、女性軍人の限定的導入などを実現、首相としてはパーシング2を導入、国防力増強と併行して対ソ軍縮交渉を進め、ドイツ赤軍に対して警察力の行使を厭わないという、一筋縄ではいかないリアリストぶりを見せている。
同時期の日本社会党では、左派出身の委員長が続き、自衛隊廃止論や非武装中立論が唱えられていたことを思えば、政権担当能力の点であまりにもかけ離れていたことが分かる。逆に民社党は急速に右傾化し、有事法制の制定や原発推進を訴え、韓国やチリの反共軍事独裁政権を称賛するという状況にあった。
ドイツ社会民主党は、安保・外交分野で現実主義を貫きつつ、社会保険や年金制度の整備を続け、最低賃金や労働時間短縮も進めたのである。

もっとも、シュミット氏は2000年代に入ってからも原発政策を支持しており、国防軍潔白信者であり続け、国防軍の評価見直しに対して激しく反発したというので、この点でも単純な評価は難しい。
私は一度だけ(たぶん)SM党旧本部でお見かけしたことがあるが、特別大きいわけではないものの、老齢ながら体格が良く、とにかく風格を醸し出していた記憶がある。さすが独ソ戦の生き残りというべきか、目力が凄かったことが思い出される。恐ろしくヘビースモーカーで、90過ぎても行く先々で「禁煙」が一時的に解禁されるという話だったが、どうやらどこでもタバコに火を付けてしまうのだが、誰も「禁煙です」とは言えない雰囲気だったようだ。確かNHKのインタビューでも、SM党本部での講演会でも、タバコを吸い続けていた。

日本において、自民党の永年一党優位体制と際限なき右傾化を許してしまった一因が、一人のシュミットも輩出できなかった社会党にあることを思えば、改めて「どこで道を踏み外してしまったのか」と考え込んでしまう。
ちなみに戦後卒業したハンブルク大学の卒論は、「ドイツの通貨改革と比較した日本の通貨改革」だったという。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする