2015年12月31日

衆参同日選挙の何故

某同志に「来年の衆参同日選挙って本当にあるのかなぁ。衆議院で3分の2を有している現状で、それを失うかもしれない賭けに出るとは思えないんだけど、KM党も反対してるわけだし」と言われる。確かにそれは一理ある。私も自説を絶対視するものではないが、それでも衆参同日選の可能性は非常に高いと考えている。

その理由として、再来年2017年4月の消費再増税の後は景気が悪化する可能性が高く、いずれにせよその前に選挙せざるを得ないが、そうなると選択肢的には、夏の同日選か晩秋ないし冬ということになる。同日選をやらないとすると、選挙は2回に分けて行われることになるが、その場合、仮に参院選で自民党が大勝すると、有権者のバランス感覚が働いて野党が有利になる可能性が高い。すると、自民党は負けないまでも、現有議席の維持は難しいかもしれないのだ。

また、野党側から見ると、民主党は、選挙実務の大半を労働組合に依存しているので、同日選は非常に不利となる。労組の組織力は自身の参院候補に投入されるため、衆院候補の支援まで手が回らなくなるからだ。同様の事情は、自民党の業界団体にも共通するところはあるものの、自前の組織力を持つ自民党は地力の差で民主党を圧倒するだろう。資金力の点でも、自民党には財界から献金が溢れかえっており、民主党を圧倒、不安は無い。

そして、安倍首相の心情を鑑みた場合、任期4年の衆議院で解散権を持っている中で、「確実に勝てる半年後(任期一年半)」と「政治情勢が見通せない3年後(任期四年)」の、どちらで勝負を賭けるのか(ダイスを振るのか)、という話になる。ゲーマーなら大半の人が前者を選ぶだろうが、これは「どうせやらなければならないのであれば、確実に戦果が上げられる時にやる」という発想である。悪い例になってしまうが、太平洋戦争における日本の真珠湾攻撃が、まさにこの発想だった。
確かに衆議院の3分の2を失ってしまうと、仮に参議院で3分の2を確保しても改憲できなくなってしまうので、リスクがあることは間違いない。だが、勝負をするというのはリスクを取ることを意味する。夏の参議院選挙で3分の2を得られないのであれば、衆議院だけ3分の2を持っていても大きな意味はなく、この点でも勝負する価値がある。

KM党については、軽減税率において官邸が、自民党内や財務省の反対を押し切って強行したことで十二分に恩を売っているだけに、その点を指摘してやれば、KM党は渋々OKする以外に無いだろう。

そうは言っても、まだ半年あるだけに、最終決断はもっと先のことになるだろうが、来年4月に行われる衆議院補欠選挙(北海道)の結果が、大きな目安となるであろう。

【追記】
本年もご愛読ありがとうございました。良い年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。
posted by ケン at 19:53| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月30日

カレンダー完成

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記事が遅れてしまいましたが、私が参加しているカラーネガ写真のプリントワークショップで作成したカレンダーが完成しました。一人一枚で12人参加して一年分の計算です。みな趣味嗜好がバラバラなので統一感は無いですが、季節感はギリギリ確保できているかなぁと。
ちなみに私の作品は昨夏に行ったフランス・アルザスのコルマールで撮ったもの。小さいながら、中世の町並みがそのまま残っている、とてもきれいな町です。ちなみに、ジャン・ラップ将軍の故郷でもあります。写真機は、フジのGF670、21世紀になって作られた貴重な蛇腹カメラなのです。

ブログはもちろんのこと、こういう趣味でも長く続けるというのは難しいようで、WSが始まって15年近くたちますが、気づいてみれば私は一番の古株になってしまっています。まぁ私も今では細々続けているだけですし、いろいろな資材が年々高騰しているので、どこまで出来るかも分からないのが実情ではあります。
でも、いろいろな意味でアナログ感は残して行きたいなぁと思っています。

正直なところを言えば、カレンダーや写真集よりもグループ展の方が好きではありますが、なら個展やれと突っ込まれそうで。確かに前に個展やってから10年経っているからなぁ。でも、今のペースではとても統一感ある作品群をつくれないから、やっぱ個展は難しいでしょう。

さて、カレンダーは懇意にしている方にはすでに送っておりますが、まだ何部か余裕がありますし、師匠のところにも余裕分があるので、希望される方がありましたら、ご連絡ください。
posted by ケン at 20:18| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月29日

国民死して新聞あり?!

【軽減税率 3党合意にも違反していない】
 2017年4月の消費税率引き上げに合わせた軽減税率導入に対し、民主党が反発している。政府・与党は、適切に反論するとともに、丁寧な説明に努めねばならない。民主党の岡田代表は、約1兆円の財源を要することについて「財政再建の旗を降ろすのか。1兆円のバラマキで参院選を乗り切ろうということだ」と決めつけた。やや性急で、近視眼的な批判だ。医療などの自己負担額に上限を設ける「総合合算制度」の見送りで4000億円の財源は既に確保された。残りについても、たばこ増税案などが浮上している。将来の社会保障費の増大を考慮すれば、消費税の再増税は不可避だ。これにも備える軽減税率の導入は財政再建に逆行するまい。
民主党は、消費増税の低所得者対策として「給付付き税額控除」の導入を主張している。所得税の課税対象者に減税し、免除者には給付金を支給する制度だ。しかし、軽減税率に比べて分かりにくく、消費者の痛税感も緩和されないのではないか。給付付き税額控除は、所得を正確に捕捉できなければ、不正受給の恐れがある。対象の線引きが政治裁量となり、大盤振る舞いになる可能性も指摘される。政権担当時に「子ども手当」などが頓挫した経験を思い起こすべきだ。枝野幹事長が総合合算制度の見送りについて、消費増税を決めた12年6月の民主、自民、公明の3党合意の「明確な違反だ」と批判しているのも疑問である。
3党合意に基づく社会保障・税一体改革関連法は、総合合算制度や給付付き税額控除を検討するとしているだけで、3党が導入に合意したわけではない。関連法には、軽減税率の検討も盛り込まれている。批判は当たらない。枝野氏は「3党合意は破棄された」と断じ、10%への引き上げに反対する可能性も示唆した。民主党と統一会派を組む維新の党も、民主党と歩調を合わせる構えだ。おおさか維新の会、共産党なども反対している。仮に増税が予定通り実施できなければ、それこそ財政再建が一層遠のいてしまう。民主党はそんな無責任な対応は避けるべきだ。見過ごせないのは、枝野氏が新聞への軽減税率適用に関して、「新聞よりも水道や電気が必需品だ」と発言していることだ。民主主義や活字文化を支える重要な公共財である新聞や出版物に対する理解を欠いていると言わざるを得ない。
(12月20日、読売新聞社説)

爾後読売新聞がいかなるテロに遭おうとも一切擁護しないことをここに宣言する。デモクラシー下において御用新聞は「百害あって一利無し」であり、むしろその存在自体がデモクラシーとリベラリズムへの挑戦、阻害要因でしかない。
政府・政権党に泣いて懇願して免税特権を得たような「マスゴミ」が、デモクラシー下の役割である「権力監視」を遂行できるはずがない。いや、権力側が「安全」と判断したからこそ、特権が付与されたのだから、大手新聞は最初から監視機能を果たすつもりもないと見るべきなのだ。

権力に魂を売り、現状でも溢れるほどの特権を享受している大新聞が、さらに特権を得たにもかかわらず、このような言辞を弄することは国民に対する侮蔑であり、宣戦布告と見て良い。国民は消費増税によって塗炭の苦しみを強要されるにもかかわらず、自分たちのみが税を免れることに恬として恥じないどころか、逆ギレして攻撃を始めるとは何事だろうか。
しかも、その特権は市場を独占している大新聞に限られ、小新聞やミニコミ誌には適用されない。それはつまり、マスコミへの新規参入障壁がさらに高くなると同時に、大新聞の寡占がますます進むことを意味しており、この点でも自由主義に反している。そして、特権層と権力者の癒着が進み、そこから外れる層は操作された情報のみがあてがわれ、疎外されてゆく。ただでさえ脆弱な日本の自由と民主主義はここに死んだのだ。

私の要求は、全国紙は10以上、ブロック紙は2つ以上に分割、現有するあらゆる特権−記者クラブ、再販制、クロスオーナーシップ、免税特権等の全てを廃止することにある。その日が来るまで、あらゆる新聞、テレビの排斥・不買運動を進めなければなるまい。
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2015年12月28日

国会議員の育休をどう考えるか

国会議員の育休ってどうなんですか?と聞かれる。
一般論としては、男性の育休取得は推奨されるが、国会議員は被雇用者では無いため、事情が異なる。議員は国民から主権を付託されているからだ。議員が長期休暇を取った場合、その間、その議員に主権を付託した有権者の主権は行使されないことになってしまう。つまり、主権の一部侵害である。有権者が一時的な主権不行使について、あらかじめ承諾し、その人を代議員に選んでいるならば、まだ説明も付くが、現状ではそうした制度設計や選挙になっていないため、代議員制度そのものを否定することになってしまうからだ。
従って、議員の育休を認めるにしても、一時的主権不行使の原則を確立するか、あるいは育休取得者の代理(議員の代理、主権代行者の代理)を認めるようなシステムを構築しないと、代議制の根幹を揺るがすことになる。つまり、新法制定が大前提というのが、私の見解である。

もう一つの視点としては、一般の育休制度とのバランスがある。現状で育児休暇を取得した被雇用者は給与の5〜7割が保証されるが、議員の場合、制度外にあるため単純に議会に請暇願いを出すだけとなって、歳費の100%が保証される。主権代行者としての責務を果たさないものに対して、一般国民以上の給与保証がなされるという話になり、「新たな議員特権」と見なされる恐れがある。これを回避するためにも、新法を作る必要があるだろう。
posted by ケン at 12:43| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

3デイズイントレンチ

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2011年制作のロシア製テレビドラマ。1話45分で全4話。
原題は、「Три дня лейтенанта Кравцова」(クラツォフ中尉の三日間)なので決して外してはいないが、酷い邦題だ。



1944年晩夏、場所は明記されていないが、「葡萄が実るな」とか言っているところを見ると、たぶんウクライナの設定。ドイツに向けて進撃を続けるソ連軍は、補給不足により停止するが、ドイツ軍もまた高台にある風車から砲兵観測を行いつつ、強固な陣地を構え、戦線は膠着状態にある。
舞台となる中隊は名ばかりで、1個小隊ほどの人数も微妙な定数不足に陥っている。そこに士官学校を即席で卒業した若い中尉が中隊長として赴任してくるところから、物語が始まる。
その赴任途上、トラックの運転手から「統計学的に、小隊長の大半は三日以内に戦死している」などと聞かされた上、ドイツ軍の空爆に遭ってトラックを失ってしまうのだから、開始早々から「ロシア人の自虐っぷりだよ〜」と思ってしまう。

歩兵による塹壕戦を主体にした戦場の日常を描いており、戦闘シーンはあるものの、戦車も航空機も出てこない塹壕戦なので、基本的には地味な作品と言える。だが、奇をてらうことなく、美化することもなく、生の戦場を描いている。無能な上層部もいれば、有能な上官もいるし、政治将校もことさら悪し様に描くことなく、良い面も悪い面も出しており、「実際こんな感じだったのかもね」と感心させられる部分が多い。

独ソ戦も1944年ともなると、負けているドイツ軍は当然ながら、ソ連側も人的資源が枯渇しており、「そもそも兵士にできるような男子がいない」という状態になっていた。故に何十万人という女性が動員され、最前線で戦闘任務にも従事したわけだが、そんなことをしたのはソ連だけだった。
本作でも、連隊とか大隊という言葉こそ出てくるものの、どう見ても数が足りていないようで、主人公が配置される中隊も一個小隊ほどの人数しかいない始末。しかも、やけに老兵が多く、逆に補充兵は18歳になったばかりという感じ。これも長く戦っている軍隊に見られる傾向で、戦死傷するのはまず若手で、次いで中間層が離脱、ベテランだけが残っていくと言われる。これは、決して無理をせず、戦場感覚に研ぎ澄まされたものだけが、生き残ることを表している。
また、これも独ソに共通することだが、戦争末期には深刻な将校不足に陥っており、特にドイツ軍歩兵部隊では小隊長の大半が下士官(曹長級)という状態にあった。本作でも、即席錬成の若い中尉がいきなり最前線に投入されるが、全く珍しいことではなかったし、「新人小隊長の大半は三日以内に戦死」というのもあながち誇張とも言えなかったようだ。

「凄い」「お薦め」という程ではないが、見て損(ガッカリ)するようなものではなく、マニア向けの佳作というところだろうか。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月25日

ライン(国境)の向こう

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劇団チョコレートケーキ with バンダ・ダ・コンチャンによる「ライン(国境)の向こう」を観る。
まぁ知ってる俳優さんは、戸田恵子先生(マチルダさ〜ん)、近藤芳正氏、小野賢章くん(黒子テツヤ)くらいというお寒いファンぶりなんだけど。
そもそもフルの演劇舞台を観ること自体、10年以上ぶりだし、芸術劇場なんて20年ぶりくらいかも。最後に観た演目すら覚えてない……
あの手を伸ばせば舞台に届きそうな、舞台との距離感が非常に懐かしく、良い感じだった。プロの舞台は発声からして違うなぁと。あの発声と距離感こそがライブ感覚であり、舞台の魅力なのだと再認識。
史実では免れたものの、二次大戦に敗れた日本が南北に分断され、東西両陣営に分かれて対立、その国境となってしまった東北の山村という設定、なかなか良い。ソ連帰りとしては、表現・演出が色々緩いようにも思えるが、戦後すぐで分断されたばかりという状況を考えれば、まぁあんなものかもしれない。ドイツだって壁が出来るまでは色々緩かったわけだし。深刻な内容ではあるが、ある程度笑えるシーンも挟んで重くなりすぎないように考慮されている。
戸田先生は「さすが」としか言いようが無いが、「北」の国境監視兵役の岡本篤氏が若いながらなかなかの存在感を示していたのが印象的だった。

前売りは全て完売、話では当日券は若干あるみたいデス。1月の公演分は余裕あるようなので是非。若い人が非常に多く、演劇は意外に廃れそうにない。
チケット取り置き、当日精算という仕組みも超懐かしかった〜〜
[大阪公演]@富田林すばるホール
2016年1月9日(土)開演15:00
問合せ 0721-25-0222

[藤沢公演]@藤沢市湘南台文化センター 市民シアター
2016年1月10日(日)開演18:00
問合せ 0466-28-1135

[所沢公演]@所沢市民文化センターミューズ
2016年1月15日(金)開演19:00
問合せ 04-2998-7777

[水戸公演]@水戸芸術館ACM劇場
2016年1月17日(日)開演13:00/17:30
問合せ 029-227-8123
posted by ケン at 13:03| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

文部科学省の制限主権論・続

【<高校生の政治活動>学校への届け出検討 9県・政令市】
 文部科学省が10月の通知で新たに認めた「高校生の校外での政治活動」について、宮城、愛知など6県と横浜など3政令市の教育委員会が、デモや集会に参加する際に学校へ届け出させるかを検討していることが取材で分かった。届け出制導入の判断を学校長に委ねる自治体も10道県と1市に上る。高校生の政治活動は選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられるのに伴い認められた。専門家は高校生の活動を萎縮させるマイナス効果を懸念している。
毎日新聞は12月中旬、47都道府県と20政令市の各教委に、「高校生が校外での政治活動(集会、デモなど)や選挙運動に参加する場合、事前もしくは事後に、参加届を提出させる考えがあるか」を聞いた。その結果、宮城▽茨城▽富山▽福井▽愛知▽三重の6県と仙台▽横浜▽神戸の3市が「検討中」と回答した。
 検討する理由について、愛知県の担当者は「デモに参加した生徒の身体に危険が及んだ場合、学校が全く把握しなくて良いのか。生徒の安全面の配慮から必要との考え方がある一方、思想・信条の自由の面から問題だとする考えもあり、どうしたらいいか悩ましい」と説明した。宮城県の担当者は「校外の政治活動は保護者の保護の下、自由に行うのが基本。しかし、文科省通知には『学業や生活に支障がある場合は必要かつ合理的な範囲内で制限または禁止する』とあり、その兼ね合いを時間をかけて検討したい」と話した。
 一方、北海道、秋田、熊本など10道県と札幌市は、教委として一律の指導は行わないが、届け出制を導入するかの判断を「学校長に委ねる」と回答した。秋田県の担当者は「これまでも生徒がバンド活動などで集まる際、『集会届』を提出させている学校が多い。選挙活動については、この集会届を見直して活用する学校が多くなりそうだ」という。また、「対応は未定」としたある県の担当者は「届け出制は、参政権や思想の自由を害してしまう可能性があり判断が難しい。できれば、国が一律で決めてほしいというのが本音だ」と語った。
(12月21日、毎日新聞)

行政府が一方的に国民の主権を制限してはならない。これは憲法に規定されていることであり、「若年者」であることを理由にこれを排除することは許されない。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
(日本国憲法前文)

日本国憲法は、権力の正統性の根拠を国民に求めており、それは当然未成年者を排除するものではない。つまり、未成年者といえども、主権者の一人であって、その主権行使を排除・規制することは何者にも許されていない。逆を言えば、「未成年者」を理由に、行政府が主権を制限できるとなれば、他のいかなる属性に基づく理由においても主権を制限できることになってしまう。極論すれば、認知障害を持つ高齢者や障害者、あるいは生活保護受給者であっても、主権行使を規制することが可能になってしまう。その意味では、本来的にはたとえ刑務所の中であっても、いかなる政治活動も許容されるべきであり、欧州諸国ではその権利が保障されているケースが多く、この点でも日本はデモクラシー後進国と言える。

そして、憲法前文に「権力は国民の代表者がこれを行使」とあるように、公選法の改正によって18歳以上が投票権を得た現在、高校生であっても国民の代表者を選出する権利を有するわけで、行政府が代表選出を阻害するようなことがあっては一切ならないし、そこにいかなる例外も許されない。

ここで届け出制などを認めてしまえば、まず「学校に届け出が必要」という時点で参加希望者のインセンティヴを奪ってしまう。届け出がなされるということは、学校側に記録が残ることを意味する。それはつまり「何年何組の某は、何月何日、『戦争法案反対』等を掲げる反政府デモに参加した」等のデータが治安当局に送付されると同時に、内申書に反映され大学入試や企業面接に利用される、という話なのだ。逆の視点に立てば、「自民党青年部の歴史検証会に参加」「国会議員と靖国神社に参拝する会に参加」などという記録が内申書に反映され、就職に利用される可能性を示している。こうなると政治信条、思想への介入あるいは差別と同義だろう。近い将来、「自民党の集会に参加すると就職に有利」などという話になるに違いない。これはまさに冷戦期のソ連や東ドイツと全く同じ社会になることを意味している。

噴飯なのは、上の記事にある某県担当者の「生徒の安全面の配慮から必要」という発言である。学校や教育委員会は、生徒の学校行事外の校外活動に責任を持つ必要は無く、校外で何が起ころうと、そこは「生徒の自己責任」と「保護者の保護責任」が問われるだけのはずだ。にもかかわらず、校外活動にまで責任を取ろうとするからこそ、「生徒管理」を強化せざるを得なくなるのだ。これもまた全体主義のなせる業だろう。

繰り返しになるが、未成年者あるいは教員であるという理由で主権を制限するのは違憲であり、戦後民主主義を否定する権威主義の現れである。文科省のそれは、「社会主義陣営全体の利益のためには、加盟国の主権は制限されることがある」としたブレジネフの「制限主権論」を彷彿とさせるものであり、全く西側の自由主義や民主主義にはそぐわないものだ。
デモクラシーを全く理解せず、憲法を否定する文部科学省は一刻も早く全面解体すべきである。
posted by ケン at 13:10| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする