2015年12月23日

シルヴィ・ギエム引退公演「ライフ・イン・プログレス」

lifeinpro.jpg
「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」
振付:ウィリアム・フォーサイス  音楽:トム・ウィレムス

「ドリーム・タイム」
振付・演出 :イリ・キリアン  音楽:武満徹 オーケストラのための「夢の時」

「テクネ」
振付:アクラム・カーン 音楽:アリーズ・スルイター

「デュオ2015」
振付:ウィリアム・フォーサイス 音楽:トム・ウィレムス

「ヒア・アンド・アフター」
振付・演出:ラッセル・マリファント  

「バイ」
振付:マッツ・エック 音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン ピアノソナタ第32番 Op.111 第2楽章

ついにシルヴィ・ギエム嬢が引退。私は特別ファンというわけではないのだが、友人が誘ってくれたので観に行くことになった。上野の東京文化会館に行ってみると、一階の右手側2列目という凄い席だった。オーケストラのスペース(ピット)があるとはいえ、ダンサーの表情や筋肉の動きまでハッキリ見える距離である。
東京公演の四日間全て売り切れということで、超ラッキーだった。

あのサイボーグのような肉体と舞踏はさすがに50歳が限界ということなのだろうか。あるいは社会運動に目覚めてしまい、余生はそっちで生きて行くということなのか。
カーテンコールでは、オケスペースの上まで来てくれたので間近で見ることができたが、思っていたよりも小さかった(でも170cmないくらい?)のと、意外と可愛らしい顔だった(何せマドモアゼル・ノンだから)のが意外だった。存在の大きさが際立っていた証左かもしれない。
ギエム嬢の舞台は、大昔に偶然モスクワで「ボレロ」を見た以外、世界バレエフェスタで何度か見たくらいしかない。私がモダンやコンテンポラリーにさほど興味が無いからなのだが。

「イン・ザ・ミドル…」は昔世界バレエで見たと思うが、良く覚えていない。舞踏に特化した作品で、振付師が「やれるものならやってみろ」とダンサーに挑戦したかのような難易度がある。緻密に構成されており、ダンサー同士の息がピッタリ合わないと意味を失ってしまう。
ギエム嬢ではなく、東京バレエ団によるものだったが、なかなかにシャープでキレがあり、引き締まった舞台になっていた。相当練習したのだろう。川島麻実子さんカッコ良かったデス。もっとも、フォーサイス作品ということを考えれば、キレが良すぎることで「ねちっこさ」が失われているとは言えるかもしれない。
それにしても、前にも述べたと思うが、最近は日本の女性ダンサーもシルヴィばりに「サイボーグ化」しているなぁと。今回は舞台の目の前で見たから良く分かるが、とにかく背筋が凄い。筋肉が段々と盛り上がっているわ。一度どうなっているか触ってみたいくらいw

「テクネ」は、私がイメージするギエム嬢にピッタリの作品だった。インド人振付師の作品らしいが、一本の木の周りを虫のように這いずり、飛び跳ねる様は、自在であると同時に強靱であり、「さすが」と惚れ惚れさせられる。引退公演でも新作を演じようとする嬢のスタンスそれ自体が、彼女の有り様を物語っているように思える。本作をきっちり仕上げられる内に引退する、ということなのかもしれない。

「バイ」で終わる辺りも彼女の美学なのだろうか。映像との組み合わせが非常に美しく、敢えてダサいオバさん服で軽快に踊り上げるところがまた魅力的。何とはなしに哀しげな雰囲気が漂うのは、こちらが「最後」と思っていることも影響していたかもしれない。

カーテンコールでは客席が総立ちになり、ギエム嬢も何度もピットまで出てきて涙を浮かべながら手を振っていた。私もつられて涙が出そうに……ありがとうございました!
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | バレエ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

オリンピック開催中止で国家理性を発揮せよ

【東京五輪費用、1兆8千億円 当初の6倍、大幅な公的資金投入避けられず 大会組織委試算】
 2020年東京五輪・パラリンピックに必要な会場整備や大会運営費が約1兆8千億円に上ることが18日、大会組織委員会の試算で分かった。大会への立候補段階では約3千億円と見込んでおり、費用は当初の6倍に膨らむことになる。組織委では費用削減に向けて東京都や国との協議を急ぐが、最終的に大幅な公的資金の投入は避けられない見通し。組織委は今後、都民や国民が納得する説明を求められる。
関係者によると、組織委がスポンサーやチケット収入などで集められる資金は約4500億円と想定。しかし、仮設競技会場の整備費や施設の賃借料、テロ対策の強化といった警備費などが当初の見込みを大幅に上回ることが判明した。費用の大幅な増加は人件費や資材の高騰などを要因とするが、選手らを輸送する首都高速道路に専用レーンを設置するための補償費や、会場周辺の土地賃貸料など当初は見込んでいなかった負担によるものもある。これに国や都の会場整備費を加えると運営費は2兆円以上に上る。東京五輪の開催計画を記した「立候補ファイル」では、組織委の運営費は3013億円、東京都が会場の新設などで支出する額は1538億円の予定だった。
 五輪の経費をめぐっては、組織委の森喜朗会長が7月、日本記者クラブでの記者会見で「(大会経費が)2兆円を超すことになるかもしれない」と述べていた。12年ロンドン大会でも大会運営費が当初見込みを大幅に上回る約2兆1千億円となり、多額の公的資金が投入されている。
(12月19日、産経新聞)

色々突っ込みどころ満載なのだが、ロンドン大会の運営費が2兆円を上回ったのに、なぜ東京大会の運営費が3千億円で収まるのか、ナゾ過ぎる。恐らく、組織委員会(準備委員会)はハナから分かっていて、運営予算を低く見積もった上で、「こんなに安く出来るからボロ儲けですよ」と煽り、世論の支持を得たのだろう。開催が決まってしまえば、あとはいくら掛かろうが「後の祭り」だからだ。オリンピックの開催返上は国家の威信に関わるだけに、出来ないだろうという想定だったと見て良い。こうした話はよく見られるが、その最たるものはインフラの需要予測だろう。
静岡空港の需要予測は国内線で「106万人」とされたが、現実の開港一年目の利用者は42万人に足らず、40%に満たなかった。上海線を除く国内・国際線の合計61万5千人も、予測の44.6%にとどまった。しかも運航している飛行機が全て満席だったとしても90万人にしかならなかった始末。
この「106万人」という数値も、当初は97〜109万人の中で5つのパターンが提示され、その中から上から2番目が選ばれていた。
静岡県は、住民説明会でも県議会でも、「需要予測は審議された妥当なもの」などと説明してきたが、需要等検討委員会の委員長は開港一年を受けてのインタビューで、「需要予測には日本航空の経営破綻もリーマン・ショックも入っていない。予測が過大だったというより、需要があまりにも少ないということ」と強弁している。

ダムをめぐる水道の需要予測も同じだ。水需要は一年で最も水が使われる日の配水量を算出する。
東京都の場合、1970年には、85年に一日931万トンが必要になると想定していた。だが、実際の水需要は78年の645万トンをピークに、2010年には490万トンまで減少してしまった。
にもかかわらず、需要予測だけは上昇を続け、2003年時点の予測では同13年に600トンになるとしていた。
こうした過大な需要予測が八ツ場ダムなどの建設推進の原動力となっている。
需要予測の甘さは愚劣さ故か?
太平洋戦争期の船舶損失予測は、今回の件により似ているかもしれない。日米開戦前に日本海軍が予測した船舶損耗量は、開戦一年目が70万トン、二年目が60万トン、三年目が40万トンだった。同様に企画院による予測は、一年目が80万トン、二年目が60万トン、三年目が70万トンだった。だが、実際の損耗は96万トン、169万トン、392万トンに及んだ。海軍による予測の3.8倍の船舶が撃沈され、開戦三年を経た時には日本の通商・資源輸送ルートはほぼ壊滅していた。
ところが、日米開戦前に通商破壊を行っていたドイツは、1941年5月に30万トン以上、その後も月平均で20万トン以上(年300万トン近く)の連合国船舶を撃沈していた。同盟国の日本がそれを知らないはずは無い。
日本軍や政府が予測に用いたデータは、第一次世界大戦におけるドイツの通商破壊戦であり、予測を立てた担当者は軍令部の作戦や情報担当ではなく、全く別の動員課のものだった。彼は資源調達の点から強硬な早期蘭印攻略論者だったらしい。要するに、セクショナリズムから来る組織的利害が「開戦」を前提とするための数値を出してきたのである。
そして、この予測が政策決定者たちに日米開戦に楽観的な見通しと無責任をもたらした。

「費用は必ず過少に見積もられる」「利益は必ず過大に見積もられる」「損失は必ず過少に見積もられる」などのことは、今日では行動経済学でも証明されており、公共事業はこれを前提に当時者以外の第三者が需要予測や見積もりを行うように推奨されているものの、その「第三者」を選ぶのが当時者である以上、恣意性を排除して中立的・客観的な予測を出すことを困難にしている。
公共事業の全てを排除できない以上、その損失を最小限度に止めるための方策が講じられるべきだ。英国議会は、国王による無益な戦争(公共事業)を抑止するために、今日の予算審議機能を獲得、深化させてきた。ところが、日本では、ほぼ単一の政党が議会を占有し、行政府と結託して予算獲得競争の一員(当時者)となってしまったため、本来の予算審議機能や決算審議機能が発揮されない状態が続いている。特に、1964年の東京オリンピック開催に伴い、それまで禁じられてきた赤字国債の発行が実質的に解禁され、財政の健全性が歪められてしまった。
議会制度は、与野党が絶えず入れ替わることで相互監視機能を発揮し、予算審議や行政監視の機能を果たす設計の上に成り立っているが、日本では政権交代が発生しないため、自民党と官僚機構の利益を最大化する予算が延々と続いてしまっているのだ。
オリンピック関連予算も同様で、本来国民の生活に全く寄与しない予算が、十分な議論もなく成立してしまうのは、議会の本来の機能が発揮されていない証左と見て良い。政権交代が無いから、自民党も官僚組織も一切責任を問われず、「やりたい放題」になってしまっている。

今回の東京オリンピックに限れば、1964年のそれよりもはるかにムダ(後日利用されない)と分かっているインフラに投資した挙げ句、何の利益も出さずに国民生活をむしろ妨げることになる治安強化に巨額の資金が投じられることが分かっているだけに、オリンピック後に来るであろう「平成33年不況」は、「昭和40年不況」をはるかに上回るものとなることはほぼ確実と見て良い。
しかも、今回はすでに歳出の半分近くを赤字国債で賄っている状況なだけに、大規模な財政出動で危機を乗り越えるという手段が封じられてしまっており、最初から「打つ手無し」になってしまっている。
「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです。」
(猪瀬直樹氏による都知事当時の2012年7月27日のツイッター)

一体何が「誤解」だったのか。権力者は自らの失政を被支配者の「誤解」として糊塗する傾向があるが、猪瀬氏は政策担当者として説明責任を果たす義務がある。
対米開戦と同じくらい敗北が分かりきっている東京オリンピックは、今からでも返上して、国家理性を発揮し、後世への戒めとすべきである。
posted by ケン at 12:17| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

高額療養費制度など見直しへ

【高額療養費制度など見直しへ 歳出抑制案】
 政府の経済財政諮問会議の下に設置された有識者会議は、財政再建に向けて歳出を抑制するための実行計画の案を取りまとめ、医療費の自己負担に上限を設けている高額療養費制度を、来年末までに見直すことを盛り込みました。
政府は、2020年度までに基礎的財政収支を黒字化する目標の達成に向けて経済財政諮問会議の下に有識者会議を設置して、今後5年間の歳出を抑制するための実行計画の検討を進めていて、このほど有識者会議がその案を取りまとめました。それによりますと、最も歳出規模が大きい社会保障費を巡って、医療費の自己負担に上限を設けている高額療養費制度を来年末までに、現在、自己負担が原則1割になっている75歳以上の高齢者の医療費の窓口負担を3年後までに、それぞれ見直すことを目標に掲げています。
また、医療費の削減に向けて自治体や企業の健康保険組合などに働きかけ、2020年までに、40歳以上の人の健康診断の受診率を80%以上とし、メタボリックシンドロームの人口を2008年度と比較して25%減らすなどしています。有識者会議では、この計画案を7日の経済財政諮問会議に示し年内に決定したいとしていますが、社会保障費の国民負担の増加につながるだけに、政府・与党内で今後議論となることも予想されます。
(12月7日、NHK)

またぞろ旧式左翼が「医療の切り捨て」などと騒いでいるが、対案も示さずに無責任に騒いでいるからこそずっと「サヨク」でしかないことに、いい加減気づくべきだ。医療費については、過去に十分説明しているので、再掲を中心に進めたい。
財政的には公的医療保険制度はすでに破綻状態にある。
2010年度の保険支出(政管、組合、国保の合計)が29兆5千億円であるのに対して、保険料収入(同)は17兆6億円に過ぎず、12兆円近い赤字を出している。この赤字は、国庫負担の4兆9千億円と地方自治体などの負担による8兆円で賄っている。この上、保険外の公費医療(結核ほか)がある。現実の公的医療保険制度は、保険料収入全てで70歳以上の医療費を賄うだけの額にしかなっていない。

国庫負担は1970年度の4千億円に始まり、80年には2兆7千億円、95年には4兆を越し、今や5兆円に達しようとしている。これ以外に公的年金の国庫負担が10兆円を越しており、医療と年金の国庫負担だけで税収の3分の1以上になってしまい、一般歳出を圧迫している。健全な財政を保っていれば、他の公的サービスの提供に深刻な影響が出ているはずだが、税収を上回る国債を発行することで毎年凌いでいるだけなのだ。
公債は将来世代に対する負債であり、建設国債のような「投資」であるならば回収できる可能性もあるが、赤字国債は少子化に伴う生産と消費の低下に際しては額面以上に重くのしかかってくる恐れが強い。
実際、非正規雇用や不安定雇用の増加に伴い、若年世代の給与所得は低迷しており、保険料収入も横ばい状態だ。例えば、2000年度の保険料収入が15.8兆円に対して10年度は17.5兆円で増加分は1.7兆円に止まる。一方支出は23兆円から29兆円と6兆円も増加しており、その差は今後さらに拡大してゆくと見られる。
保険料の高騰を抑えるために税金を投入すると国債発行額が増え、保険料を上げると納付率が低下して収入が伸び悩むほか無保険者が増えるという悪循環が固定化している。2025年度には年金を含む社会保障給付額は150兆円に迫ると試算されており、このうち60兆円が税金等になる見込みだが、現在40兆円足らずの税収が12年後に1.5倍になるというシナリオは非現実的であり、足りない分は国債を増刷する他ないだろう。こうして国債発行が際限なく拡大してゆく。
医療費の肥大化続く

私が冒頭に掲げた記事を「無責任」としたのは、医療費が「保険料」「窓口負担」「税金」でしか成り立っておらず、要は「誰がどこで負担するか」という話であるにもかかわらず、ことさらに「国民負担の増加」を強調するからだ。自分(国民)たちが使う医療を自分が払うのは当然であり、国家が打ち出の小づちをもって治療してくれるわけではない。利用者負担を減らす、ないしは現状維持を貫く場合、医療従事者の報酬を減らすか医療を必要としない健康者の負担を増やすほかなく、医療従事者の報酬を減らせば提供される医療の水準が下がるだけの話である。保険制度や医療制度の全体像や将来像を考えないで、一方的に現在の利用者目線に立つ姿勢はコミュニストどものそれと全く変わらない。
(「安心できる社会保障」はリアルか?)

高額療養費制度も同じである。少子高齢化と医療の高度化に伴って、高額療養費制度の利用者と費用も高騰する一途にある。少しデータが古いのだが、2001年から2010年までの10年間で高額療養費の給付は8312億円から1兆9789億円へと2倍以上に増えており、利用者は3倍に達して、なお増え続けている。自己負担額(現役収入)については、20年前に6万3600円だったものが、今では「8万100円+医療費の1%」になっているとはいえ、この程度の上昇で済んでいた方が奇跡的だろう。
そして、今回の見直し案は、低中所得層の自己負担をできるだけ据え置きつつ、高所得層の負担を増やすというものであり、保険や医療財政の内実を知るものからすれば「焼け石に水」でしかない。むしろこの程度で同制度が存続するのであれば、利用者としては感謝すべきだろう。

保険や医療財政の成り立ちを知れば、無責任な言動は控えられるはずだ。例えば、超単純計算で1千万円かかる高額医療を使ったとして、自己負担は20万円で済んだとしても、残りの980万円は健康保険と税金で賄われているのである。現に私の知人には、一億円近く掛かった子どもの治療費が国と都の制度により自己負担ゼロとなったものがいる。
より具体的な数字を挙げるなら、75歳以上の高齢者が使う医療費88万円のうち、自分で払っているのは16万円ほどで、40万円は税金の補填、32万円は現役層の保険料からの転用によって賄われているのだ。その高齢者はさらに増える一方なのだから、そんな制度が「長く」どころか「短く」すら続かないことはもはや明らかだろう。
皆が医療を使えば使うほど、現役層の保険料負担や納税負担が上がるだけの話であり、「手術代が安く済んだラッキー」というのは無自覚にも程がある。高額医療と高齢者医療に対する制度・保険適用に一定の歯止めをかけない限り、近い将来破断界が来るのは間違いない。

保険財政が既に破綻しているにもかかわらず、「選挙で落ちるから」それを指摘できない点にこそ、デモクラシーの最大の弱点があることも確かである。
posted by ケン at 12:40| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月20日

今週のヲタ生活(2015.12.20)

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相田先生の「1518!」は同人版のリメイクだけど、同人版の方が微妙に良かった気がする。何がと言われると説明難しいのだが・・・・・・もちろんダメ出しするわけじゃないけど。
「ゴールデンカムイ」はブレることなく相変わらずだけど、もうちょっと本編を進めてよと思う。何の話だったっけ?と。
「乙嫁」も変わらず凄い描き込みぶりで画を見ているだけで満足してしまう。やはり一度は中央アジアに行かないと。やっぱウズベクかなぁ。
「カナン」もアジアでかぶるけど、こちらはいよいよクライマックスなので、先が待ち遠しい。芝村先生は筆が速いので安心デスが。
「グランクレスト」は・・・・・・この薄さはどうよ!!水野先生はちょっとお偉くなりすぎたのでは・・・・・・
posted by ケン at 18:20| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

夫婦別姓は法改正で実現を!

【<最高裁>夫婦同姓規定「合憲」 再婚禁止6カ月「違憲」】
 夫婦別姓を認めず、女性だけに離婚後6カ月間の再婚禁止期間を定めた民法の規定が違憲かどうかが争われた2件の訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は16日、「100日を超えて再婚を禁じるのは過剰な制約で違憲」とし、「夫婦同姓規定には合理性があり合憲」とする初判断を示した。国の賠償責任は認めず、原告の上告はいずれも棄却した。最高裁が法律の規定を違憲としたのは10例目。
 両規定は「家」制度を定めた明治民法に盛り込まれ、戦後も引き継がれた。大法廷は夫婦同姓規定についても「制度の在り方は国会で判断されるべきだ」と言及し、家族制度全体の見直し論議を求めた。大法廷は、結婚や家族を巡る法的紛争は社会状況を踏まえ、それぞれの時代に応じて総合判断すべきだと指摘。再婚禁止期間の規定は「父親の推定の重複を避ける趣旨で設けられたもので合理性がある」とした。だが離婚や再婚の増加で「再婚の制約をできる限り少なくする要請が高まっている」と述べ、原告の女性が再婚を決断した2008年には「100日を超える部分は法の下の平等や結婚の自由を保障した憲法に違反していた」と判断した。国家賠償請求については「規定はこれまで違憲とはされておらず、国会が長期にわたり立法措置を怠ったとは評価できない」と退けた。
 一方、夫婦別姓訴訟で大法廷は、原告側が主張した「姓の変更を強制されない権利」を「憲法上保障されたものではない」と否定。同姓には家族の一員であることを実感できる利益があるとした。そのうえで「女性側が不利益を受ける場合が多いと推認できるが、通称使用の広がりで緩和されている」と指摘。夫婦同姓規定は「結婚を巡る法律に男女平等を求めた憲法には反しない」と結論付けた。そのうえで、選択的夫婦別姓制度について「合理性がないと断ずるものではない」と付言し、国会での議論を促した。
 再婚禁止期間は裁判官全15人が違憲とし、うち2人は禁止自体を違憲とした。夫婦同姓は10人が合憲とし、女性全3裁判官を含む5人が違憲とした。判決を受け、法務省は16日付で離婚後100日を超える婚姻届を受理するよう自治体に通知した。政府は早ければ来年の通常国会に再婚禁止期間を100日とする民法改正案を提出する。
(12月16日、毎日新聞)


夫婦別姓については、すでに見解を述べているが、日本では別姓が「伝統」であり、夫婦同姓こそが帝政時代の「イエ制度」創設に伴う新封建制とも言うべき存在だった。夫婦同姓の強制は、帝政期の権威主義の残滓であり、自由主義や民主主義に反する存在なのだ。

日本は第二次世界大戦の敗北により、国家構造の改変を求められたが、それは帝国憲法の改正という形で行われた。行政機関を始めとする国家の基本構造は、軍部の解体と内務省の分割が行われただけで、戦犯処理やファシスト等の公職追放も冷戦の勃発に伴って不十分に終わり、権威主義体制そのものは否定されないまま、戦後を迎えてしまった。その意味で、日本は「市民革命」を経ないまま、「外圧」と国際政治状況によってデモクラシーを導入しただけの話で、リベラリズムもデモクラシーも十分に浸透しておらず、権威主義の復活を許している。
裁判所も明治帝政の権威主義を構成する一部である以上、その思考源は帝政権威主義であって、リベラリズムやデモクラシーではなく、その判決に期待できるはずもない。確かに単純な法文上は、夫婦同姓をしてイコール違憲とすることは難しいかもしれないが、そもそも姓名の強制がリベラリズムやデモクラシー違背するものであることは明らかであり、司法の自立を考えても、厳格すぎる法解釈は避けるべきだった。とはいえ、判決は立法府に法改正を促すものと解釈できることも確かだ。

夫婦別姓は、裁判所による違憲判決ではなく、憲法によって国の最高機関と認められている立法府たる国会で、堂々と実現すべきであり、そのためには全ての権威主義者=自公ほかを選挙でことごとく落選させる必要がある。それが難しいというのは、日本においてリベラリズムとデモクラシーが全く定着しておらず、19世紀的な権威主義が残っていることを全世界に示すものでしかない。

権威主義者たちの主張はすでに破綻している。一方で労働力の不足から、女性の労働動員を最大化しようとして「女性活躍」だの「女性の管理職を30%に」とか叫んでいるのに、それを阻害するようなことしかしていないからだ。
第一次世界大戦後に欧州で女性の参政権が認められるようになったのは、女性の戦時動員が図られたためであり、一次大戦に本格参戦しなかった日本では女性参政権が認められなかった。二次大戦でも日本における女性の戦時動員は世界最低水準だったが、敗戦に伴う休戦条約の履行条件として女性参政権が認められた。つまり、日本における女性の権利は全て内発的な理由ではなく、外圧によって実現したものであるため、GHQ改革以上の権利譲渡は一切否定される傾向が強い。

日本は遠くない将来、一度は権威主義体制が復活してデモクラシーを否定しそうだが、今度こそは市民革命によってあらゆる権威主義を否定する必要があると、最近思うようになっている。
posted by ケン at 16:39| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

慰安婦問題が解決しない構造

【日韓「慰安婦」妥結、年越しへ…局長協議平行線】
日韓外務当局による局長協議が15日、東京都内で行われ、慰安婦問題を巡る議論は平行線に終わった。次回協議が年内に行われる予定はなく、日韓両政府が目指す慰安婦問題の「妥結」は、年明け以降に持ち越された。この日の協議は、外務省の石兼公博アジア大洋州局長と韓国外交省の李相徳(イサンドク)東北アジア局長が出席し、約3時間にわたって行われた。慰安婦問題について、日本側は1965年の日韓請求権・経済協力協定で法的に解決済みとの立場を維持したのに対し、韓国側は日本政府による謝罪や法的賠償を求め、溝は埋まらなかった。協議終了後、石兼氏は「早期妥結に向けてお互い積極的な姿勢で臨んでいるが、なかなか簡単ではない」と記者団に語った。
(12月15日、読売新聞)

慰安婦問題については、右派からは「問題自体存在しない」、左派からは「早急な謝罪と賠償を」という決して相容れない主張がなされており、解決を困難にしている。日本政府としては、「問題の存在は認めるが、賠償は基本条約で解決済み。とはいえ、日韓関係を考えて(アメリカもうるさいから)政府としてできることはやりたい」というスタンスをとり続けている。このスタンスは基本的にブレていない。私は左翼だが、旧式とは異なるので、政府に近いスタンスをとっている。

この問題については、韓国側の事情がより大きく影響している。韓国政府は基本的に90年代後半まで「日本政府に公式謝罪は要求するが、賠償は請求しない(韓国政府がやるから)」というスタンスをとってきた。そのため、河野談話が発表され、それをもって「一件落着」となるはずだった。さらに、村山政権が「アジア女性基金」を設立して、個人補償(見舞金)が支払われたものの、被害者の全てに行き届かなかった。韓国内で民間補償を拒否して国家賠償を請求する過激派が市民の支持を得たためだったが、その結果、見舞金を受け取った方が少数となり、被害者内での対立を激化させる結果となった。その後韓国内では、金大中大統領の頃から公式対応に変化が生じ、2000年代には米国に飛び火して、米国下院で日本政府に謝罪要求決議がなされ、これが日本の右派を刺激、ますます問題をこじらせていった。そして、2011年に韓国の憲法裁判所で「(韓国)政府が慰安婦問題の解決に向けて十分な努力をしていないのは違憲」という意味不明の判決を下し、さらに韓国内の政情不安が政治家たちを「反日」へと動かしていった。

外務省などで日韓交渉を担当した者から聞いた話では、日本側が何か提案し、韓国側と協議して何らかの妥結を見ても、韓国側が本国に持ち帰ると「やっぱりダメでした」という話になり、「じゃあ、そちら(韓国側)から案を提示してください」と返すと、「いや、それは困るから日本側から案を出してください」という交渉が延々と繰り返されているという。
つまり、日本における北方領土問題や拉致問題と同じで、「問題」が存在することに意味があるのであって、ごく一部の本物の当時者以外は誰も解決を望んでいない、ということらしい。要は「日本ケシカラン」と言い続けるための環境こそが大事なのであって、それを本気で解決しようとすると「民族に対する裏切り」などのレッテルを貼られて攻撃されるだけで、何も良いことはないのだろう。まさに北方領土問題や拉致問題と同じ構図なのだ。
逆を言えば、こちら(日本側)から何かしようとすればするほど、「掛かったな、馬鹿め」と言われるのがオチという状態にあり、当分の間は静観するほか無さそうだ。
posted by ケン at 12:42| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月16日

マッチポンプで新幹線販売

【日印が原子力協定合意 首脳会談、新幹線に借款1.4兆円】
 安倍晋三首相は12日、インドの首都ニューデリー市内の迎賓館でモディ首相と会談した。両首脳は、日本の原発技術をインドに供与することを可能にする原子力協定の締結で原則合意した。詳細を詰めた上で署名する。また、インド西部ムンバイ−アーメダバード間の高速鉄道計画に日本の新幹線方式の導入でも合意した。総事業費約1兆8千億円のうち、最大で約1兆4600億円の円借款を供与する。両首脳は「歴史的友好関係のある日印両国の緊密な協力は戦略的観点からも極めて重要だ」との認識を共有した。
 原子力協定をめぐり、安倍首相はモディ首相に、インドが核実験を行った場合、日本が協力を停止することを伝え理解を得た。この条件はインドが米仏と締結した協定には入っていない。高速鉄道計画では円借款の供与条件を償還期間50年(据え置き期間15年)、利子率年0・1%と「過去にない破格の設定」(日本政府筋)で合意。日本は今後、残る6路線についても新幹線方式の採用をインド側に働きかけていく。
 安全保障面で両首脳は、中国の脅威を念頭に、インド洋で行われる米印海軍の共同訓練「マラバール」への海上自衛隊の恒常的参加を決定し、歓迎した。両政府は12日に防衛装備品や技術移転に関する協定と秘密軍事情報保護協定にも署名した。海上自衛隊の救難飛行艇「US2」の輸出については引き続き協議する。
(12月13日、産経新聞)

何つーか、コメントする気も失せてくる話。要するに「カネは自分が出すから貴君が買ったことにしてくれ」ということ。その財源はもちろん国民が納めた税金であり、儲かるのはJRや川崎重工などの業界(それとインド)だけだ。
事業費の大半は円借款で、その償還期間は50年、さらに据え置き期間15年という優遇ぶりだが、それまで日本経済が耐えられる保証はなく、ハイパーインフレで無価値になる可能性も十分にある。
確かに中国がなりふり構わぬタダ同然の売り込みによって、インドネシアの買収に成功したため、インドはアジアにおける「最後の砦」となっていた観はあるが、今度はインド人に足下を見られ、タダ同然で買い叩かれたのだろう。インドは「対中安全保障」の観点で、日本が連携できる数少ない国の一つだが、インドからすれば高速鉄道の導入先は必ずしも日本である必要は無い。

さらに核協力の他に、安倍首相は、3兆5千億円のODAを約束している。政府は、税収が歳出の半分しか無い状況下で、中国と対抗するために軍備を増強し、インドに無返済覚悟で巨額の投機を行い、その一方で肝心の国内では増税しつつ国民生活水準の切り下げを進めている。一体全体誰のための国家であり政府なのか、納税者意識とデモクラシーを支える一員であるという意識が欠如した結果、少数寡頭による「国家のための国家」が形成されてしまっている。
posted by ケン at 12:12| Comment(1) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする