2015年12月07日

711ようやくブラック認定

【ブラック企業大賞に「セブンイレブン」、「アリさん」引越社には「アリえないで賞」】
 パワハラや長時間労働、賃金未払いなどを従業員に強いる悪質な企業を選出する「ブラック企業大賞2015」の授賞式が11月29日、東京都内で開かれ、セブン-イレブン・ジャパンが大賞に選ばれた。今年で4回目となるブラック企業大賞は、弁護士やジャーナリストなどでつくる実行委員会が主催。今年ノミネートされた、セブン-イレブン・ジャパン、暁産業、エービーシー・マート、フジオフードシステム、明光ネットワークジャパン(明光義塾)、引越社関東(アリさんマークの引越社)の6社から大賞を選出した。セブン-イレブン・ジャパンは、フランチャイズ加盟店主の見切り販売を妨害するなど、過酷な搾取をおこない、そのしわ寄せが学生アルバイトに及び「ブラックアルバイト」が問題化しているとして、ブラック企業大賞に選ばれた。このほか、「ブラックバイト賞」が、個別指導塾「明光義塾」を運営する明光ネットワークジャパンに贈られた。「ウェブ投票賞」は、アリさんマークで知られる株式会社引越社関東が、ウェブ投票で他のノミネート企業を大きく引き離す11875票を獲得して、受賞した。引越社関東は「アリえないで賞」にも選ばれた。「特別賞」にはパワハラで未成年の労働者が自殺に追い込まれたとして、暁産業株式会社が選ばれた。
(弁護士ドットコム、11月29日)

自分もいまさらながら過去ログを調べてみたところ、コンビニのブラック性を指摘する記事は書いていないようで、人のことは言えないかもしれない。仕える議員が労働・経済分野にいないと、どうしても弱くなってしまう。自分は関わってはいなかったので、うろ覚えだが、確か民主党政権、特に鳩山政権の時にはフランチャイズ法を制定して、加盟店の権利を拡充する方向で検討していたはずだが、やはり菅・野田体制下で右傾化する中で埋没してしまったのだろう。

コンビニエンスストアやフランチャイズ方式のブラック性は、労使関係のブラック性よりも複雑な問題で、より難儀と言える。労使のそれは、単純に労基法の問題で、日本の現行システムでは中小企業が労基法を守らず、監督署の規模が小さすぎて違法・脱法行為が放置されていることに主な原因がある。三六協定の問題はあるにしても、中小企業が労基法を厳格に遵守すれば、現状のブラック企業問題の大半が解決されるはずだ。要は、立派な刑法(労働法)はあっても、警官(労働監督官)が全く足りて居らず、機能していない状態と言える。

だが、フランチャイズ方式の場合、店主はオーナーにして個人事業主であるため、労働者の諸権利が認められず、本部との契約と借金に縛られ、一方的かつ半永久的に収奪され続ける運命にある。「独立開業」「良い場所だから開店すれば儲かる」などという甘言に乗せられて、ひとたび加盟契約を結んでしまうと、蟻地獄にはまってしまう。経営が行き詰まって、借金も返せずに自殺に追い込まれるオーナーは数知れないが、広告と販売の二大拠点であるコンビニ・チェーンに対して大手マスゴミは無力であり、その実態は全く報道されない。

例えば、コンビニ店舗の粗利益(売り上げ全体から売上原価を引いたもの)に対する本部のチャージ率は30〜75%以上に上ると言われる(パーセンテージは土地建物の有無で異なる)。ここがすでに落とし穴で、オーナーは契約時に「売上原価には、商品廃棄分や盗難や紛失分は含まれない」と言われ、「じゃあ丸儲けか」と早合点してしまうが、何のことはない本部が収奪しているだけの話なのだ。
しかも、コンビニの商品は原価が非常に高く設定されているが(本部は大量購入で安く仕入れている)、加盟店は一切交渉できない契約になっている。さらに、本部は常に需要以上の商品発注を強制し、賞味期限切れの弁当は厳格に廃棄させ、割引販売などは一切許されない。

そして、儲かるコンビニがあると周辺に開店してゆく戦略が採られているため、いくら頑張っても、さらなる無理ゲーが要求される仕組みになっている。
また、加盟店契約を結ぶ際には、家族2人以上が働けることが前提となっている上、契約期間は15〜20年と非常に長く、アルバイトを確保できないと家族が何時間でも働かざるを得なくなる。一日15時間労働、三食とも廃棄弁当の店長などザラにいるという。当然24時間営業が強制されるため、店を閉めることは一切許されない。今日では、中国や韓国からの留学生の間でコンビニバイトの重労働、過剰シフト、賃金未払いなどのブラック性が知れ渡り、十分なバイトが確保できなくなっている。
そこで廃業しようとすれば、数百万円とも1千万円以上とも言われる「違約・損害賠償金」が要求され、家族そのものに「死の宣告」が下される。

コンビニ経営は麻薬以上に「ダメ。ゼッタイ。」の契約であるが、新聞と雑誌の収益源であるためマスゴミは取り上げず、テレビなどは広告源であるためやはり報道しない。そして、巨額の政治献金を自民党に行うことで、フランチャイズ規制法の制定を許さず、絶対的な収奪構造を維持している。
日本社会は真っ黒に染まっているのだ。
posted by ケン at 13:06| Comment(6) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月05日

ガールズ&パンツァー 劇場版

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『ガールズ&パンツァー 劇場版』 水島努監督 日本(2015)



「神作」の呼び声高い劇場版ガルパンを観る。確かに「ゴッド級」だった。公開から10日も経っているからもう大丈夫だろうと行ってみたら、ほぼ満席でギリギリ端っこに座れたという人気具合。色々親切設計が施されているが、映画から入る人がそんなにいるのだろうか。

考えていた以上に「戦車戦」が充実しており、かなりの時間を割いているが、ストーリーやキャラクターが軽視されているわけでもなく、むしろ活かされていると言って良い。作画等も非常に丁寧な仕事で、公開が遅れたのも肯ける。笑いも泣き(?)も感動もありで、良い意味で凝縮されている。確かにこれはまた「聖地巡礼」が活性化するはずだ。
大画面の中、大洗の街を世界各国の戦車が縦横無尽に走り回り、非常にリアルかつ大音量でつくられているため、アニメながらリアリティを感じてしまう。カメラ・アングルも上手で、様々な見せ方が工夫されており、臨場感を盛り上げている。この辺の魅力は映画館でしか味わえないだろうから、私ももう一度くらい観に行くかもしれない。だからこその超満員なのだろう。さすがに野郎ばっかりだったが。期待した『フューリー』がガッカリだっただけに、本作の良さも際だったかもしれない(笑)

戦争映画のモチーフがふんだんに使われているところもマニア的にはニヤリとさせられる。ちょっと気づいただけでも、「西部戦線異状なし」「二百三高地」「1941」などがあり、同作を観たことのあるものなら楽しみ倍増だろう。

戦車的には、「これは戦車じゃねぇだろ!」と突っ込みたいものもあったが、それがまた圧倒的な存在感なので、これも迫力の大画面で観て欲しいところだ。自分が唯一分からなかったのは、フィンランド製のBT−42だった。

一人ミョーにロシア語がリアルだなと思ったら、ジェーニャさんだった。逆に日本語上手いのにビックリな有様。なお、ジェーニャ・パパのリアル戦車体験についてはこちらを
とにかく手放しでお薦めできる一作デス!

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劇場配布特典なのデス。
posted by ケン at 08:00| Comment(4) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

戦時体制化するデモクラシー

【デモ暴徒化、200人拘束=環境保護訴え「人間の鎖」―パリ】
 国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)の開幕を翌日に控えたパリで29日、環境保護を訴える有志ら約4500人(警察発表)が「人間の鎖」をつくった。暴徒化した一部参加者が警官隊と衝突し、催涙ガス弾で鎮圧される騒ぎも発生。けが人はなかったものの、カズヌーブ内相は騒動に関わった208人の身柄を拘束したと発表した。
 同時テロの再発が懸念されるパリでは、治安当局からデモや集会の自粛要請が出ている。しかし、参加者は「次世代に明るい未来を! 」と主張し、原発・化石燃料依存からの脱却を求めた。南仏から訪れたベルギー国籍のパトリック・ドゥブクラーさん(57)は「温室効果ガスを減らすという言い訳の下に原発を推進するフランス政府のやり方はおかしい。自粛要請を気にせず声を上げるべきだ」と話した。
人間の鎖は、同時テロの舞台となったパリ中心部のバタクラン劇場前や、その近くのレピュブリック広場などで実施。現場周辺は地下鉄の駅が一時閉鎖され、機動隊が周囲を取り囲み、物々しい雰囲気に包まれた。オランド大統領は暴徒に対し、「破壊行為と環境保護は何の関係もない」と怒りをあらわにした。 
(時事通信、11月30日)

いかにもロイター系列の記事で事実が相当歪められている。実際には、フランス政府がCOP21に関するデモ・集会を禁止(自粛要請ではない)したことを受け、環境団体が集会を強行、解散を命じた警察隊と衝突したというのが真相らしい。ただし、現地の情報によれば、当初警察は弾圧するつもりはなかったものの、市民団体側の一部が警察を挑発して暴発させたという話もある。
先の稿でも述べたことだが、デモクラシーの政治的安定を脅かすことで、大衆を恐怖させ、治安強化の名の下に市民の基本的人権や自由を制限、デモクラシーの正統性そのものに打撃を与えるという、テロリストの目論み通りになっている。

ジハーディストのテロを理由に、戦時下宣言を行い、市民の自由権を禁止できるとなれば、政府の権力と裁量は際限なく拡大してゆくだろう。
戦前の日本で、共産党が禁止された後も活動が許されていた無産政党や労農派グループが一斉摘発を受けたのは、日華事変が始まって5カ月後の1937年12月だった。
現代日本においても、一度大規模テロや日中国境紛争が起きれば、国会や首相官邸前で行われている護憲集会や反原発デモは即時禁止されて、市民団体は一斉摘発を受ける恐れがある。それに向けて、公安や公調がデモ参加者の写真を撮り、リスト化を進めている(なお、フランスの警察はデモ参加者の写真を撮ったりなどしていない)。
特定秘密保護法、継続審議中の無制限の盗聴を許す改正刑事訴訟法、そして共謀罪と、全て一般市民を取り締まるための法律であり、その行き着くところは戦前の日本、あるいはソ連や東ドイツでしかない。

あとは「テロルの効用について」から一部再掲しておく。
一般的にテロリズムと言えば、一連の9・11テロや中東における自爆テロ、あるいは日本の地下鉄サリン事件などが思い出され、社会に対して直接的被害を与えることが目的であるかのように考えられており、政府やマスコミもそのように捉えている。だが、本来のテロルの効用は、文字通り社会・大衆に「恐怖」を植え付け、熱狂を促進させ、価値観の変容を強制することにある。

昭和のテロリズムは、個々の政治家や財界人や学者を死傷させたことではなく、明治憲法に明文化されていない多元支配の構造(明治末年から大正期にかけて理論化された)を否定し、天皇による一元支配と擬装された軍部支配を実現した点に真の効果がある。同じ意味で、大正期の国際協調主義を否定し、軍国主義を促進させた点も大きい。テロルの副次的効果として、マスコミが便乗して大衆を扇動、リベラル派の知識人が沈黙し、官僚が自らこぞって国家主義・軍国主義に転向していった。また、(左翼)テロに対する警戒を理由に治安維持法などが制定されて恐怖支配が正当化された。

ここで問題なのは、テロルが大衆の熱狂と暴力の容認を生み出す点である。1932年の血盟団事件では、茨城県の若者らが井上準之助前蔵相と団琢磨三井財閥総帥を暗殺したが、裁判に際しては30万通を超える減刑嘆願書が届き、犯人を英雄視する傾向が広まっていった。続く5・15事件では、首相官邸が襲撃されて総理大臣が暗殺されるが、犯人の裁判には100万通を超える減刑嘆願書が届き、嘆願のための自害まで起きた。その結果、反乱罪は適用されず、共同謀議による禁固刑に終わった。
アメリカにおける9・11事件に際しては、米国内でイスラムに対する憎悪がかき立てられ、アフガニスタン侵攻に対する支持は軽く9割を超え、市民権や人権を制限する愛国法の採決に際して上院で反対したのはわずか1名に止まった。
1930年代のソ連における大粛清も、その発端は大衆的人気のあったキーロフが暗殺されたことで、スターリンが犯人捜しを始めたことにある。

オルテガ・イ・ガセは『大衆の反逆』で大衆社会を、ある価値観が社会を構成して大衆を啓蒙するのではなく、「何となく多数」の価値観が基準として「何となく」共有されている社会であると規定している。そこでは「皆が言っていること」が常識で、「皆が信じていること」が真理で、「皆が望んでいること」が希望、ということになる。
テロリズムは、この「何となく」と「皆」を強制的に変容させる力を持っている。何となく共有されていた天皇機関説は暴力的に否定され、リベラル派の知識人が沈黙することで天皇主権説が「皆」となり、軍拡と侵略が「希望」へと変わっていった。
アメリカでは、国際協調主義と寛容の精神が否定され、対テロ戦争の貫徹が「真理」となり、そのために市民的権利が制限されるのは「常識」となった。
(中略)
土井たか子元議長が逝去して、親族が密葬を済ませて一週間後に公表、関係者が「葬儀をするとしても会場を貸してもらえるかどうか」と言っていることは、すでに右翼によるテロルの効用が社会全体に浸透しつつあることを示している。
posted by ケン at 12:27| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

マリインスキー劇場 愛の伝説

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バヌー:ウリヤナ・ロパートキナ
シリン:クリスティーナ・シャプラン
フェルハド:アンドレイ・エルマコフ
宰相:ユーリ・スメカロフ


マリインスキー・バレエ団による「愛の伝説」を観る。日本では無名に近い演目だが、有吉先生の『Swan』を読むくらいのバレエ好きなら知っているかもしれない。ロシアというよりもソ連の作品だけにさらにマイナーだ。だが、ホールはほぼ満席で、意外と男性(しかも私含めて一人客)が多かったのは興味深い。ロパートキナ効果かもしれない。

原作はトルコ共産党員にして詩人のヒクメット、作曲はアゼルバイジャン人にしてショスタコーヴィチの弟子筋に当たるメリコフ。この時点で、ソ連らしい国際色が見られる。そして、振付のグリゴローヴィチは90歳近くでまだ健在であり、現代作品なのだ。
ロシアでは今でも上演されるが、外国で上演されるのは珍しく、日本では初めてとなる。それどころか、マリインスキーが外国で本作を上演するのも初めてだというから、非常に名誉なことだろう。日本におけるバレエ人気(世界最大数のバレエ教室)、特にロシア・バレエへの支持を裏付けている。

内容的には、ぶっちゃけ、主人公が自己犠牲を捧げて民衆を救うも、本人たちは誰も救われない、みたいなトルコというよりはロシア・ソ連的な感じで、ビミョー感溢れているのだが、そこはバレエと割り切って見るべきだろう。まったくロシア人の不幸エンド好きにも困ったものだ。

本作は私も初めて観るのだが、とにかくダンサーに凄まじい体力と精神力を要求する演目だった。ただでさえ三幕八場で2時間超という長い作品なのに、激しい振り付けが多い上に、群舞に至るまで高度な技術が要求されるのだ。「コール・ド・バレエにそれは無いだろう。こんなの出来るバレエ団は、世界に数える位しかないんじゃね?」というのが素直な感想。しかも、『スパルタクス』も振り付けたグリゴローヴィチらしく、とにかく男性のみの群舞が次々と続き、随分とマッチョな仕上がりになっている。確かにこれははまる人ははまるだろう。ただ、本作の魅力を満喫するには、東京文化会館ですら手狭だったように思え、窮屈な感じは否めなかった。ロシアから男性群舞要員や管弦楽団まで連れて来ていることからも、どうやらこれは国策による、採算度外視の上演だったのだろう。

私的にはロパートキナ様が観られれば十分なのだが、こちらは絶対の安定感。身体の隅々までコントロールが行き届き、全てが滑らかに自然に動いて、ピタリと止まり、微動だにしない。その表現力も隔絶しており、バレエとは思えない演技力を見せていた。彼女の演技を観るために1年待ったと言っても過言ではない。
それでも本作のヒロイン役は出ずっぱりで、高難度の演技が続くだけに、40歳を超える彼女の肉体に掛かる負担は非常に大きかったように見受けられた。

男性としては、フェルハド役のエルマコフよりも、宰相役のスメカロフの方がイケてた気がする。非常に力強く、悪く言えば荒々しい暴風のように飛び回るのが私の好みに合っていた。ただ、やはり舞台がやや手狭で窮屈感が否めない。東京文化会館でも狭いとなると、日本で上演できる会場は無いのかもしれない。

これを期に、日本ではマイナーな演目をどんどん紹介して欲しいと思う。
次はギエムの引退公演〜〜
posted by ケン at 12:17| Comment(2) | バレエ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

納税者意識は自らを救う・続

【ハンブルク住民投票、2024年夏季五輪招致に反対】
 独ハンブルクの2024年夏季五輪招致をめぐる住民投票で29日、51.7%がこれに反対するという結果が出た。候補として残っているのは、ローマ、パリ、ブダペスト、ロサンゼルス。 独五輪委員会は首都ベルリンよりもハンブルク開催(セーリング競技は近隣キールで予定されていた)が候補都市として望ましいとして、名乗りを上げていた。しかしハンブルクとキールで開かれた住民投票で、51.7%がオリンピックとパラリンピックの開催に反対。ハンブルクのショルツ市長は「望んでいた決定ではないが、意向は明かだ」と述べた。ドイツでは1972年のミュンヘン五輪以降、五輪が開かれていない。ハンブルク五輪に反対する人たちは、112億ユーロ(約1兆5000億円)の費用は無駄遣いだと批判していた。市当局が出資を約束していた額はこの一部のみだった。2年前にはミュンヘン市民も、2022年冬季五輪の開催に反対した。今年7月には米ボストンも、住民の支持不足を理由に2024年夏季五輪への名乗りを取り下げた。2024年五輪の開催地決定は2017年9月。
(BBC、11月30日)

米ボストンに続き、独ハンブルク市民もオリンピック開催を拒否した。ハンブルクは伝統的に「ハンザ同盟の一都市」としての意識が濃厚に残っており、大ドイツに対峙するところがある。先日亡くなられたシュミット元首相も、「ハンブルク市民として」連邦功労勲章を拒否したと言われている。もっとも、ドイツの場合、ハンブルクに限らず、基本は連邦国家であるため、祝日には州や市の旗が掲げられるか、せいぜい連邦旗が並べて掲揚されるといった感じで、中央集権の権化のような日本とは大きく異なる。

それでも、やはり根本的なところで納税者意識が保たれていると言えよう。オリンピックは基本的に自分たちが納める税金によって運営されるのだから、相応の開催目的と住民利益が保証されなければならない。だが、昨今のオリンピックは運営負担が過剰になる一方で、住民の利益はむしろ阻害される傾向にある。ギリシアの財政破綻の遠因は、身の丈に合わないオリンピックを強行したことにあった。
この流れが大きく変わったのは、2001年のユーロ導入だった。導入と同時にEU諸国からの資金が流入、さらにEU域内格差を是正するためと称する「構造改革基金」で240億ドルもの「あぶく銭」が入り、インフラ建設のラッシュが始まった。アテネ・オリンピックがあれほど放漫財政となり、後に財政危機の遠因をなした理由は、当時のユーロ導入に伴うバブル状態があった。確かにオリンピックを契機に経済成長はさらに加速して2006年には7.5%の成長率を達成し、スペインやポルトガルを嘲笑うような風潮すらあったものの、長くは続かなかった。
派手な外見(成長率)に反して、実はその財政環境は酷くお粗末だった。建設ラッシュの裏では、GDPの5%に達する赤字が恒常化していたが、アテネ・オリンピック後の惨状を見ての通り、国民生活や経済に寄与しない無駄なインフラに巨額を投じた結果だった。また、EU成立を受けてトルコに圧力を掛けようと軍事費を増大させたことも裏目に出た。この辺は、東京オリンピックと対中軍事力強化を目指す日本とよく似ている。
その一方で、「成長加速」と「他の南欧諸国との競争に打ち勝つため」と称して、外国企業の誘致を競って法人税の引き下げ競争を行った結果、2000年には40%だった法人税が07年には25%になってしまい、財政赤字を加速させてしまった。
今さらながらギリシア問題を語る

イギリスの清教徒革命は、チャールズ1世が勝手に始めたスコットランド侵攻に敗北して、その賠償金を払うために議会に増税を要求、拒否した議会を武力弾圧し始めたことに起因する。
イギリスにおける清教徒革命は、国王チャールズ1世がスコットランド侵攻を行って敗北し、その戦費と賠償金に困り果てて、議会に新規課税を(高ピーに)要求したところ、議会はこれを拒否。そんな折にアイルランドでもカトリックによる蜂起が起こって、再度遠征することにもなって、議会は国王非難の姿勢を強め、その外交大権を抑制しようとしたところ、それに反発した国王が、議会の武力弾圧を試みたため、内戦を勃発させてしまった。当時のロンドン市民的には、「(国王が)勝手に戦争始めて負けておいて、その態度は無いだろう」という感じだったに違いない。
敗因は増税か?

戦争もオリンピックも「公共事業」という側面があるが、「誰のために」という視点を欠けば、痛い目を見るだろう。
東京都の場合、オリンピック用として4千億円が積み立てられているが、実際には8千億円以上かかると見られている。一方、都の税収は約4兆円。言うなれば年収400万円の家庭で100万円近いパーティーを開こうという話で、まともな理性が働けば、「あり得ない」選択肢である。
「パンとサーカス」は、愚民化政策を指す世界最古の言葉で、無償の食糧と見世物を与えておけば、市民は政治に対する関心を失い、ローマ皇帝と貴族に盲目的に従うだろう、というもの。大増税で生じた不満をオリンピックで解消し、同時に戦時動員に利用する手法は、戦前のナチスや日本軍部と同じ発想であり、日本はその一歩手前まで来ている。

【参考】
都解体構想を全面支持! 

【追記】
河野国家公安委員長は、オリンピックを開催するためには共謀罪は不可欠という旨を述べているが、これはまさに「国家祭典のために市民弾圧するのは当然」という話であろう。スターリンの大粛清もまた、「革命の成果を守るためには反革命を取り締まる必要がある」という理由から始まっており、ナチスドイツではベルリン・オリンピックを開催するために共産党員や社会民主主義者などに対する弾圧が強化された。自由と民主主義を志向するならば、市民を弾圧しなければ開催できないような祭典自体、いかなる正当性も持たないのが筋であり、「市民を守るためにオリンピックを中止します」と言うのが「正解」なのだ。
posted by ケン at 12:36| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

真珠湾攻撃はハナから無通告のつもりだった?

太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃は、1941年12月8日(ハワイ時間で7日)の未明に行われたが、外交的には駐ワシントン日本大使館の手続きが遅延し、米国側に手交したのは戦闘開始から1時間も遅れるところとなり、米国側から「日本軍による卑怯な騙し討ち」と非難され、「リメンバー・パールハーバー」のプロパガンダを打たせるところとなった。この点については、「米国機関による遅延工作」や「日本軍側による遅延工作」などの陰謀論じみた関係も取り沙汰されている。ただ、一般的には阿川弘之の小説『山本五十六』や各種映画に象徴されるように、事前通告(宣戦布告)に失敗したとの連絡を受けた山本五十六連合艦隊司令長官が悲痛の表情を浮かべるのが常で、「本来は戦闘開始直前に米政府に宣戦を通告するはずだった」との理解が定説になっている。ところが、最新の歴史研究は「事前に宣戦通告するつもりだった」との見解に疑問符を付けている。
まず、肝心の「帝国政府の対米通牒覚書」を見てみよう。カナはかなに直し、句読点を加えた。
帝国政府は「アメリカ」合衆国政府との間に友好的了解を遂げ、両国政府共同の努力に依り、太平洋地域に於ける平和を確保し以て、世界平和の招来に貢献せんとする真摯なる希望に促され、本年四月以来合衆国政府との間に両国国交の調整増進、並に太平洋地域の安定に関し誠意を傾倒して交渉を継続し来りたる処、過去八月に亘る交渉を通し合衆国政府の固持せる主張、並に此間合衆国及英帝国の帝国に対し執れる措置に付、茲に率直に其の所信を合衆国政府に開陳するの光栄を有す。
(中略)
思うに合衆国政府の意図は英帝国その他と苟合策動して東亜における帝国の新秩序建設による平和確立の努力を妨碍せんとするのみならず、日支両国を相闘わしめ、以て英米の利益を擁護せんとするものなることは今次交渉を通じ明瞭となりたる所なり、かくて日米国交を調整し合衆国政府と相携えて太平洋の平和を維持確立せんとする帝国政府の希望はついに失われたり、よって帝国政府はここに合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得ずと認むるの外なき旨を合衆国政府に通告するを遺憾とするものなり。

原文は長文なのでかなりはしょったが、要は「これから貴国と戦争する」とは一言も述べておらず、対米交渉の打ち切りを伝え、「遺憾」を表明しているに過ぎないのだ。この「対米通牒」を素直に読んで、「日本は戦争するつもりだ」と思うものはいても、「これは日本による宣戦布告だ」と思うものはまずいないだろう。
1907年に成立した「開戦に関するハーグ国際条約」に、日本は同12年に加盟しているが、その第一条「宣戦」は以下のように規定している。
理由を附したる開戦宣言の形式または条件附き開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭かつ事前の通告

日本の「対米通牒」はどう読んでも国際条約の条件を満たしておらず、日本側が「最後通牒」と強弁したところで、国際的に通用するものではなかった。
また、日本側が手交したのは「覚書」(メモランダム)という形式で、外交文書の格付けにおいて下位に位置づけられている。外交文書は、大まかに言って、

1.条約:議会の批准が必要
2.協定:批准の必要は無い
3.口上書(ノート):公式な信書
4.覚書(メモランダム):略式の文書、附帯文書など


に分類される。口上書は、例えば国として正式な条約案を提示したり、あるいは正式に抗議や事実確認、または謝意表明する場合にも使われる。これに対し、覚書は、条約の附帯文書として細部の確認事項を記載したり、あるいは一国の外交担当者が「今の段階では、わが国はこう考えている」と他国に通達する場合に使われる。

口上書の典型例としては「ハル・ノート」が挙げられるが、正式には「合衆国及日本国間協定の基礎概略」であり、その冒頭に「極秘、一時的且拘束力なし」とあるように覚書的要素もあるものの、あくまでもアメリカとして正式な意思表明として考えて良い。
覚書の典型としては、例えば1956年9月7日のダレス米国務長官による「日ソ交渉に対する米国覚書」で、
(前略)米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞群島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。米国は、このことにソ連邦が同意するならば、それは極東における緊張の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考えるものである。

とあるように、「アメリカは北方四島は日本のものだと思っているから、安直にソ連と妥結するなよな」と低強度の国家意思の表明として使われている。
つまり、日本政府が対米通牒をわざわざ口上書では無く、覚書にしたのは、最後通牒としての度合いを低く見せ、米国側に「開戦意図を悟らせないけど、ほのめかす」意図があったものと見て良い。少なくとも正式な最後通牒ならば、口上書にする必要があったのだ。
実際、米国は事前に「対米通牒」を暗号解読として内容を把握していたが、何の対応も取っていない。このことは、「アメリカは真珠湾攻撃を知っていてやらせた」という陰謀論の説明として用いられているが、現実には「現行の対米交渉の打ち切り通告」として理解、処理されただけのことだったようだ。そして、これこそが外務省の狙いだったのでは無かろうか。
外務省は、開戦通告のあり方を検討するに際して、「正式な開戦通告」「日露戦争式の自動開戦方式(最後通牒)」「独ソ戦型の無通告」などを検討し、「今次大戦では無通告型も散見される」との意見も出ていたことは、傍証として強調しておきたい。

「対米通牒」の内容について、東郷外務大臣は当初開戦通告を明確にしたものを想定していたようだが、閣議決定と昭和帝への上奏が不可欠であることがネックとなり、上奏不要の「交渉打ち切り」に書き換えた経緯があるらしい。この点についても、日本の霞ヶ関はどこまでも自分のことしか考えない体質であったことが伺われる。

さらに言えば、日本陸軍によるマレー半島上陸は真珠湾攻撃よりも1時間20分も前に開始され、英国に対しては事前無通告開戦となった。しかもこの際、日本軍第5師団はマレー国境のタイ領シンゴラに上陸して、タイ軍や同警察と交戦している。日泰軍事協定が結ばれるのは、日本軍がバンコクに進駐した後のことで、この点も完全に国際法に違反していた。
太平洋戦争の「開戦詔書」に、日清・日露戦争時にはあった「国際法を遵守する」旨の記載が無かったのは、タイ領への無通告進駐を前提とした「確信犯」であったという。徳川義寛『侍従長の遺言』には、東条首相が開戦詔書案を上奏した際に、この点に気づいた昭和帝が指摘したところ、「陛下、ひいては日本が嘘をつくことになってしまいます」と強弁し、強引に認めさせた旨が記されている。

なお、参謀本部『大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌』には、「開戦の翌日宣戦を布告す。宣戦の布告は宣戦の詔書に依り公布す」と残っている。
posted by ケン at 12:17| Comment(2) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする