2015年12月02日

納税者意識は自らを救う・続

【ハンブルク住民投票、2024年夏季五輪招致に反対】
 独ハンブルクの2024年夏季五輪招致をめぐる住民投票で29日、51.7%がこれに反対するという結果が出た。候補として残っているのは、ローマ、パリ、ブダペスト、ロサンゼルス。 独五輪委員会は首都ベルリンよりもハンブルク開催(セーリング競技は近隣キールで予定されていた)が候補都市として望ましいとして、名乗りを上げていた。しかしハンブルクとキールで開かれた住民投票で、51.7%がオリンピックとパラリンピックの開催に反対。ハンブルクのショルツ市長は「望んでいた決定ではないが、意向は明かだ」と述べた。ドイツでは1972年のミュンヘン五輪以降、五輪が開かれていない。ハンブルク五輪に反対する人たちは、112億ユーロ(約1兆5000億円)の費用は無駄遣いだと批判していた。市当局が出資を約束していた額はこの一部のみだった。2年前にはミュンヘン市民も、2022年冬季五輪の開催に反対した。今年7月には米ボストンも、住民の支持不足を理由に2024年夏季五輪への名乗りを取り下げた。2024年五輪の開催地決定は2017年9月。
(BBC、11月30日)

米ボストンに続き、独ハンブルク市民もオリンピック開催を拒否した。ハンブルクは伝統的に「ハンザ同盟の一都市」としての意識が濃厚に残っており、大ドイツに対峙するところがある。先日亡くなられたシュミット元首相も、「ハンブルク市民として」連邦功労勲章を拒否したと言われている。もっとも、ドイツの場合、ハンブルクに限らず、基本は連邦国家であるため、祝日には州や市の旗が掲げられるか、せいぜい連邦旗が並べて掲揚されるといった感じで、中央集権の権化のような日本とは大きく異なる。

それでも、やはり根本的なところで納税者意識が保たれていると言えよう。オリンピックは基本的に自分たちが納める税金によって運営されるのだから、相応の開催目的と住民利益が保証されなければならない。だが、昨今のオリンピックは運営負担が過剰になる一方で、住民の利益はむしろ阻害される傾向にある。ギリシアの財政破綻の遠因は、身の丈に合わないオリンピックを強行したことにあった。
この流れが大きく変わったのは、2001年のユーロ導入だった。導入と同時にEU諸国からの資金が流入、さらにEU域内格差を是正するためと称する「構造改革基金」で240億ドルもの「あぶく銭」が入り、インフラ建設のラッシュが始まった。アテネ・オリンピックがあれほど放漫財政となり、後に財政危機の遠因をなした理由は、当時のユーロ導入に伴うバブル状態があった。確かにオリンピックを契機に経済成長はさらに加速して2006年には7.5%の成長率を達成し、スペインやポルトガルを嘲笑うような風潮すらあったものの、長くは続かなかった。
派手な外見(成長率)に反して、実はその財政環境は酷くお粗末だった。建設ラッシュの裏では、GDPの5%に達する赤字が恒常化していたが、アテネ・オリンピック後の惨状を見ての通り、国民生活や経済に寄与しない無駄なインフラに巨額を投じた結果だった。また、EU成立を受けてトルコに圧力を掛けようと軍事費を増大させたことも裏目に出た。この辺は、東京オリンピックと対中軍事力強化を目指す日本とよく似ている。
その一方で、「成長加速」と「他の南欧諸国との競争に打ち勝つため」と称して、外国企業の誘致を競って法人税の引き下げ競争を行った結果、2000年には40%だった法人税が07年には25%になってしまい、財政赤字を加速させてしまった。
今さらながらギリシア問題を語る

イギリスの清教徒革命は、チャールズ1世が勝手に始めたスコットランド侵攻に敗北して、その賠償金を払うために議会に増税を要求、拒否した議会を武力弾圧し始めたことに起因する。
イギリスにおける清教徒革命は、国王チャールズ1世がスコットランド侵攻を行って敗北し、その戦費と賠償金に困り果てて、議会に新規課税を(高ピーに)要求したところ、議会はこれを拒否。そんな折にアイルランドでもカトリックによる蜂起が起こって、再度遠征することにもなって、議会は国王非難の姿勢を強め、その外交大権を抑制しようとしたところ、それに反発した国王が、議会の武力弾圧を試みたため、内戦を勃発させてしまった。当時のロンドン市民的には、「(国王が)勝手に戦争始めて負けておいて、その態度は無いだろう」という感じだったに違いない。
敗因は増税か?

戦争もオリンピックも「公共事業」という側面があるが、「誰のために」という視点を欠けば、痛い目を見るだろう。
東京都の場合、オリンピック用として4千億円が積み立てられているが、実際には8千億円以上かかると見られている。一方、都の税収は約4兆円。言うなれば年収400万円の家庭で100万円近いパーティーを開こうという話で、まともな理性が働けば、「あり得ない」選択肢である。
「パンとサーカス」は、愚民化政策を指す世界最古の言葉で、無償の食糧と見世物を与えておけば、市民は政治に対する関心を失い、ローマ皇帝と貴族に盲目的に従うだろう、というもの。大増税で生じた不満をオリンピックで解消し、同時に戦時動員に利用する手法は、戦前のナチスや日本軍部と同じ発想であり、日本はその一歩手前まで来ている。

【参考】
都解体構想を全面支持! 

【追記】
河野国家公安委員長は、オリンピックを開催するためには共謀罪は不可欠という旨を述べているが、これはまさに「国家祭典のために市民弾圧するのは当然」という話であろう。スターリンの大粛清もまた、「革命の成果を守るためには反革命を取り締まる必要がある」という理由から始まっており、ナチスドイツではベルリン・オリンピックを開催するために共産党員や社会民主主義者などに対する弾圧が強化された。自由と民主主義を志向するならば、市民を弾圧しなければ開催できないような祭典自体、いかなる正当性も持たないのが筋であり、「市民を守るためにオリンピックを中止します」と言うのが「正解」なのだ。
posted by ケン at 12:36| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする