2015年12月14日

琉球帰属問題が表面化する日

安保法制の審議が難航した先の通常国会後半期に、安倍政権は辺野古新基地建設を一時停止させたが、安保法制が成立するとこれを再開、現地行政や住民の抵抗を排除し、強硬姿勢を見せている。日本本土では殆ど報道されないが、現地では抵抗運動に対して本土では考えられないような暴力的弾圧をなす一方、行政府を通さずに直接住民にカネをバラ巻くといったことがなされている。
各級選挙で「基地建設反対」の民意が示されているにもかかわらず、交渉を拒否して基地建設を強行する安倍政権に対し、沖縄では「自治の否定」「民主主義の否定」と反発が強まり、県知事が国連人権理事会で報告するに至った。これに対し、本土の右派は「沖縄に先住民などいない」と反論、武力弾圧をも辞さない姿勢を示している。

ソ連学徒としては、バルト独立問題が想起される。ソ連崩壊の序曲となったバルト三国の独立は、もともとバルト海の環境保護を訴える市民団体に対する弾圧に始まり、それが駐留ソ連軍の縮小という主張に繋がり、弾圧が強まるほど「連邦制(自治)の否定」という声が高まって、バルト・ナショナリズムが急進化していった。ソ連政府が内務省の特殊部隊を投入した時には、すでに手遅れになっていたのである。
こういうと、「ソ連が独ソの密約に基づいて占領併合したバルト三国と沖縄を一緒にするな」と言われそうだが、近年の歴史研究によると、明治政府による琉球併合の合法性に疑問符が付けられている。

いわゆる「琉球処分」は、1872年の琉球藩設置から79年の沖縄県設置とその後の日清交渉に至る10年ほどの一連の過程を指す。当時、琉球は琉米、琉仏、琉蘭の3つの条約を締結しており、外交自主権を有する独立国だった。国際政治学者を自称する北岡某などは、「十七世紀以来、事実上琉球王国を支配していたのは薩摩」などと主張しているが、その論法だと「1945年から89年まで東欧諸国を支配していたのはソ連」ということになってしまい、当時のポーランドやハンガリーの独立を否定してしまうだろう。逆を言えば、「今現在、日本を事実上支配しているのはアメリカ」とも言えるのだが、これぞ北岡氏の真意なのかもしれない。もちろん、江戸後期に琉球王国が薩摩の強い影響下にあったことは、私も否定しないが、それを言うなら清国からも同様の影響下に置かれており、むしろ清帝室から冊封を受けていたという点で、公式的には清の方に分がある。冷戦期には、フィンランドもソ連の強い影響下にあったこと、あるいは18世紀にタイが英国と仏国に挟まれた状態にあったことを思い出せば、「両属」「中間中立」というものの複雑さが想像できるはずだ。

そして、1879年の廃藩置県に伴う沖縄県設置に際しては、日本政府は熊本鎮台分遣隊を派兵して首里城を占拠、琉球国王(藩主)を東京に拉致して人質とした上で、「沖縄県設置」を宣言した。この点は明確に武力併合であり、合意文書があるとしても武力脅迫によるものだった。

論者によっては、1874年の台湾出兵に伴う日清互換条款によって沖縄の日本帰属が確定したというものもいる。ところが、同条約を読んでみると(原文は漢文で非常に読みづらい)、どこにもそのような記述はなく、それを類推させるような項目すら無い。日ソ共同宣言と同じで、政府系の論者はロクに条約の内容を読まず、あるいは故意に無視して主張しているので要注意だ。しかも、互換条款の締結後も琉球は清国と以前の冊封関係を維持しており、その点でも「清が琉球の日本帰属を認めた」ことにはならない。

日本政府が沖縄を武力併合すると、日本や清国などの外字新聞で琉球処分に対する批判の声が高まり、欧米列強が関心を示したため、明治政府は清国との国境線画定交渉に挑んだ。中でも最も有名なのは、元米国大統領グラントによる裁定で、沖縄本島以北を日本、宮古島から八重山諸島を清とする「分島改約案」が提起された。この交渉は成立寸前まで行ったものの、最終的に清朝側が調印を拒否して未成立に終わった。その理由については、いまだ研究途上にあるようだが、どうやら琉球国王の親族らから「琉球を分割してくれるな」という嘆願がなされたことが一つの理由になっているようだ。とはいえ、仮にこれが成立していたら、尖閣諸島は今ごろ中国のものになっていただろう。
現実には、日清国境交渉はその後停滞したまま、日清戦争を迎え、下関条約で台湾・澎湖諸島が日本に割譲された。しかし、同条約は琉球の帰属問題に触れておらず、事後追認のような形になってしまっている。

第二次世界大戦以降については、カイロ会談の前後に蒋介石が、米ルーズベルト大統領から琉球・沖縄の帰属について相談を持ちかけられている。だが、中華民国政府・国民党内では議論が分かれ、「中米共同管理案」や「非軍事化を条件に日本帰属を認める」などの案が上がったものの、戦後の対日関係と対共産党戦など総合的に考えて、ルーズベルトの提案には乗らなかったようだ。この辺のことも未解明のことが多く、今後の研究に期待したい。
だが、国共内戦を経て国民党は後悔したらしく、1953年の奄美群島返還と同71年の沖縄返還に際して、国民党政府は抗議声明を出している。とはいえ、サンフランシスコ講和条約に参加しなかった(呼ばれなかった)同政府は、1952年に日華平和条約を締結するも、その際日本政府に沖縄帰属問題を持ち出すことはなかったため、「後の祭り」と化している。ただ、そうは言っても、中華民国政府が琉球の日本帰属を認めたことは一度も無い。そもそも、米国からして、日本に返還したのは沖縄の施政権のみであって、その帰属と領有権について正式に表明しているのか定かでは無い(少なくとも私は確認できなかった)。
また、中国共産党については、正式な文書で沖縄の帰属を確認したことはないものの、毛沢東が沖縄の日本帰属を認めた経緯もあって、現政府が急に沖縄の領有権を主張するということは無さそうだ。ただ、民間レベルでは、中台の関係が深まり、琉球帰属問題への意識が高まってくる可能性があり、そうなると日中関係次第でどちらに転ぶか分からない。

結論としては、琉球・沖縄の帰属は本土人の大半が考えているほど「確実」なものではなく、沖縄で先住民意識が高まって国連や国際司法裁判所に提訴するような事態になれば、国府政府や中共政府が介入してくる余地が残されている。それだけに、日本政府としては、沖縄・琉球の統合についてもっと配慮すべきなのだ。ところが、安倍政権は沖縄をむしろ植民地のように扱い、琉球人を国民統合から排除するような政策を強行している。その行き着くところは言うまでも無かろう。
posted by ケン at 12:42| Comment(6) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする