2015年12月24日

文部科学省の制限主権論・続

【<高校生の政治活動>学校への届け出検討 9県・政令市】
 文部科学省が10月の通知で新たに認めた「高校生の校外での政治活動」について、宮城、愛知など6県と横浜など3政令市の教育委員会が、デモや集会に参加する際に学校へ届け出させるかを検討していることが取材で分かった。届け出制導入の判断を学校長に委ねる自治体も10道県と1市に上る。高校生の政治活動は選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられるのに伴い認められた。専門家は高校生の活動を萎縮させるマイナス効果を懸念している。
毎日新聞は12月中旬、47都道府県と20政令市の各教委に、「高校生が校外での政治活動(集会、デモなど)や選挙運動に参加する場合、事前もしくは事後に、参加届を提出させる考えがあるか」を聞いた。その結果、宮城▽茨城▽富山▽福井▽愛知▽三重の6県と仙台▽横浜▽神戸の3市が「検討中」と回答した。
 検討する理由について、愛知県の担当者は「デモに参加した生徒の身体に危険が及んだ場合、学校が全く把握しなくて良いのか。生徒の安全面の配慮から必要との考え方がある一方、思想・信条の自由の面から問題だとする考えもあり、どうしたらいいか悩ましい」と説明した。宮城県の担当者は「校外の政治活動は保護者の保護の下、自由に行うのが基本。しかし、文科省通知には『学業や生活に支障がある場合は必要かつ合理的な範囲内で制限または禁止する』とあり、その兼ね合いを時間をかけて検討したい」と話した。
 一方、北海道、秋田、熊本など10道県と札幌市は、教委として一律の指導は行わないが、届け出制を導入するかの判断を「学校長に委ねる」と回答した。秋田県の担当者は「これまでも生徒がバンド活動などで集まる際、『集会届』を提出させている学校が多い。選挙活動については、この集会届を見直して活用する学校が多くなりそうだ」という。また、「対応は未定」としたある県の担当者は「届け出制は、参政権や思想の自由を害してしまう可能性があり判断が難しい。できれば、国が一律で決めてほしいというのが本音だ」と語った。
(12月21日、毎日新聞)

行政府が一方的に国民の主権を制限してはならない。これは憲法に規定されていることであり、「若年者」であることを理由にこれを排除することは許されない。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
(日本国憲法前文)

日本国憲法は、権力の正統性の根拠を国民に求めており、それは当然未成年者を排除するものではない。つまり、未成年者といえども、主権者の一人であって、その主権行使を排除・規制することは何者にも許されていない。逆を言えば、「未成年者」を理由に、行政府が主権を制限できるとなれば、他のいかなる属性に基づく理由においても主権を制限できることになってしまう。極論すれば、認知障害を持つ高齢者や障害者、あるいは生活保護受給者であっても、主権行使を規制することが可能になってしまう。その意味では、本来的にはたとえ刑務所の中であっても、いかなる政治活動も許容されるべきであり、欧州諸国ではその権利が保障されているケースが多く、この点でも日本はデモクラシー後進国と言える。

そして、憲法前文に「権力は国民の代表者がこれを行使」とあるように、公選法の改正によって18歳以上が投票権を得た現在、高校生であっても国民の代表者を選出する権利を有するわけで、行政府が代表選出を阻害するようなことがあっては一切ならないし、そこにいかなる例外も許されない。

ここで届け出制などを認めてしまえば、まず「学校に届け出が必要」という時点で参加希望者のインセンティヴを奪ってしまう。届け出がなされるということは、学校側に記録が残ることを意味する。それはつまり「何年何組の某は、何月何日、『戦争法案反対』等を掲げる反政府デモに参加した」等のデータが治安当局に送付されると同時に、内申書に反映され大学入試や企業面接に利用される、という話なのだ。逆の視点に立てば、「自民党青年部の歴史検証会に参加」「国会議員と靖国神社に参拝する会に参加」などという記録が内申書に反映され、就職に利用される可能性を示している。こうなると政治信条、思想への介入あるいは差別と同義だろう。近い将来、「自民党の集会に参加すると就職に有利」などという話になるに違いない。これはまさに冷戦期のソ連や東ドイツと全く同じ社会になることを意味している。

噴飯なのは、上の記事にある某県担当者の「生徒の安全面の配慮から必要」という発言である。学校や教育委員会は、生徒の学校行事外の校外活動に責任を持つ必要は無く、校外で何が起ころうと、そこは「生徒の自己責任」と「保護者の保護責任」が問われるだけのはずだ。にもかかわらず、校外活動にまで責任を取ろうとするからこそ、「生徒管理」を強化せざるを得なくなるのだ。これもまた全体主義のなせる業だろう。

繰り返しになるが、未成年者あるいは教員であるという理由で主権を制限するのは違憲であり、戦後民主主義を否定する権威主義の現れである。文科省のそれは、「社会主義陣営全体の利益のためには、加盟国の主権は制限されることがある」としたブレジネフの「制限主権論」を彷彿とさせるものであり、全く西側の自由主義や民主主義にはそぐわないものだ。
デモクラシーを全く理解せず、憲法を否定する文部科学省は一刻も早く全面解体すべきである。
posted by ケン at 13:10| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする