2016年01月23日

【宣伝】新・映像の世紀 世界は秘密と嘘に覆われた

いまのNHKには思うところ満々だが、これは必聴か?

新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
2016年1月24日(日) 午後9時00分〜9時49分
 資本主義のアメリカ、社会主義のソビエト。冷戦時代、両陣営は激しいスパイ合戦を繰り広げた。アメリカの諜報機関CIA、ソビエトの秘密警察KGB。諜報活動、破壊工作、暗殺。米ソのスパイ合戦は空前の規模で拡大した。疑心暗鬼にとりつかれた権力者は、異常な監視社会を生みだし、人々の自由を奪った。冷戦時代に東独の秘密警察シュタージが行った諜報活動の映像が公開された。夫婦がお互いに監視し合ったり、親しい隣人を盗撮するなど、人間性破壊のおぞましい映像である。一方、アメリカでも同様のことが行われていた。国内にいる共産主義者を探し出すために、盗聴、郵便開封、家宅侵入が行われた。また、CIAは秘密工作によって外国の反米政権を次々に転覆させた。
 核兵器による恐怖の均衡が続く中、米ソは直接戦うことを避け、アジア、南米、アフリカなど世界各地で代理戦争を繰り返した。
 冷戦終結から25年、情報公開が進み、舞台裏の全貌がみえてきた。CIAとKGB、FBIやシュタージ。世界を秘密と嘘が覆った。第3次世界大戦という破局に怯えた冷戦の時代を、スパイ戦という視点から見つめ直す。
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2016年01月22日

待機児童で責めるのは得策じゃ無いかと

民主党の山尾議員が待機児童問題で安倍首相を責めたことが一部ネットで話題になっている。だが、これも非常にブーメラン性が高い難題であり、単年度で「待機児童が増えた」と言って騒ぐのは得策とは思えない。「野党だからいいんじゃないか」とは言えるかもしれないし、山尾氏的には「総理を嵌めてやった!」と小躍りしているかもしれないが、「やぶ蛇」の喩えもあり、攻撃箇所や戦術はもっと慎重に選ぶべきだ。
待機児童問題については門外漢ではあるが、身内に関係者がいるため、それなりの知識があり、記事にしているので参照してもらいたい。

「待機児童ゼロ」という無謀 
保育所は何故足りないのか? 

減少傾向にあった待機児童がここに来て増加傾向に転じた理由については判然としていない。が、都市部で整備されてきた保育所の新設が頭打ちになりつつあることや、一方で保育所需要の増加傾向に歯止めが掛かっていないことが推測される。需要増については、地方で若年女性が急激に減少する一方で、都市部では従来の専業主婦層が働きに出ることで需要と供給のミスマッチが生じている。その都市部でも、駅前などの一部の保育所に需要が集中する一方で、やや不便な地域にある保育所は定数割れするような有様になっている。

待機児童問題について、行政は政治側の過剰な要求を満たすために保育所の増設を至上命題とするが、予算は限られているため、設置費用を安くしようとすると不便な場所になってしまうが、すると希望者が予測を下回るといった現象が生じている。駅近に保育所を設置するとなると、ビルの一室のような、子どもにとって非常に望ましくない環境になってしまうが、現状では「子どもの環境」よりも「大人の要望」が圧倒的に重視されており、「預けられるならどこでもいい」という傾向が強い。
特に男性は一度見ておいた方が良いが、駅近のビルの一室にある保育所の環境は酷いものが多く、「この狭い一室に無数の他人と朝から晩までいなければならないのか」と子どもに同情を禁じ得ない。
保育所も建てれば建てるほど自治体の赤字が増える構造になっている。
建設費を除く運営費だけ見ても、公営保育所で児童一人当たり年間150万円円程度のコストが掛かるが(地域や年齢による違いが大きい)、利用者が実際に支払う保育料は平均で30〜50万円に過ぎない。民間保育所でも年間100万円程度はかかる。ゼロ歳児保育になると2〜3倍のコストが必要となる。
さらに都市部になると地代や人件費の高さから、平均をはるかに上回るコストが掛かる一方、人口は地方からだけではなく郊外からも都市部への流入が続いているため増加傾向にあり、どうしても供給が需要に追い付かない。運営費は国から補助が出るが、初期費用については補助がないため、地代が高く優良物件が少ない上、「迷惑施設」と敬遠されがちな保育所の新設は非常に高コストとなり、自治体に二の足を踏ませている。
これ以外にも自治体ごとに無認可保育所に対する支援や独自の負担軽減策がなされており、要は保育所が増設され、利用者が増えるほど自治体の財政負担が重くなってゆく。
保育所は何故足りないのか?) 

学校や保育所は地域への依存が高いため、その地域の人口構成や年齢層が変化すると、需要も変化する。例えば、ある地域に大型団地が建設され、多くの若年層が入居、それに応じて学校や保育所をつくったところで、15年や20年もすると、需要が急激に減ってしまう恐れがある。だが、需要が減ったからといって、学校や保育所は民間企業のように簡単には店をたためないため、定員割れした施設が増えて行くことになり、自治体の財政を圧迫するのだ。

この問題は根が深い。従来の入所ルールである「正規職員優先」がまだまだ幅を利かせているため、夫婦で1千万円以上稼ぐ親が公立の保育所に子どもを預ける一方、年収200万円台の非正規職の一人親が子どもを高い認可保育所に預けざるを得ないみたいな話がまだまだ横行している。正規・非正規の待遇差別はここでも如実に表れている上、非正規は女性に圧倒的に多く、その割合も増加の一途を辿っている。こうした「保育格差」も是正される必要がある。

より大きな話をすれば、これは「中間層の没落」の結果とも言える。従来なら専業主婦がいたであろうホワイトカラーの中間層が非常に薄くなり、働きに出ざるを得なくなっているためだ。また、「男女共同参画」やら「一億総活躍」などと言いながら、現実には女性被雇用者の6割弱が非正規で、その割合は男性の3倍弱にも達し、女性非正規職の半数は貧困ライン以下にあるという。これは、「女性の貧困」と「男女不平等社会」の表れなのだ。
仮に日本で、均等待遇や時短労働が実現していれば、多少不便でも子どもを環境の良い保育所に預けることもできるだろう。あるいは、税収が上がれば、駅近で良い条件の保育所が建てられるかもしれない。だが、日本の労働政策は「人をできるだけ安く、そしてできるだけ長く働かせる」ことに主眼が置かれているため、子育て環境も一向に改善されない。結果、保育を増設したは良いものの、保育士が不足しているため定員を増やせず、定員を増やすために「資格無し」あるいは「準資格」でも働けるようにしようという「陰謀」がめぐらされるという悪循環に陥っている。

確かに問題になっているのは待機児童なのだが、現実には女性あるいは男性の労働環境が大幅に改善されない限り、根本的には何も解決しないのである。その意味で、「自民政権には待機児童問題は解決できない」という視点からの「決め打ち」はブーメランとなって跳ね返ってくる恐れが強いと言える。
質問した本人は「アベを嵌めてやった」と思っているかもしれないが、安倍氏からすれば「ハメ手じゃねぇか!」と怒るのは当然だろう(総理の器としてはビミョーだが)。やはり国会質問は一定の品位を持って行うべきだ。NK党のように正面から貧困と経済格差、再分配の面から責めるのが「正統派」なのである。
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2016年01月21日

先進国最低の労働生産性は当たり前

【労働生産性、先進7カ国で最低 茂木友三郎生産性本部会長「勤勉な日本が…残念な結果」】
 日本生産性本部の茂木友三郎会長(キッコーマン名誉会長)は18日、東京都内で会見し、2014年度の物価変動の影響を除いた実質の労働生産性が、前年度比1・6%減となったと発表した。減少は09年度以来5年ぶり。物価変動を加味した名目労働生産性は0・9%増の770万円で3年連続の上昇となったが、昨年4月の消費税率引き上げによる物価上昇に対して、生産性改善が進んでいない状況が明らかになった。
 また、経済協力開発機構(OECD)加盟国で比較すると、34カ国中21位。この順位は05年から続き、主要先進7カ国としては最も低い状況だ。茂木会長は、「日本は勤勉な国で、生産性が高いはずと考えられるが、残念な結果だ」と評価した。さらに、産業別で見ると製造業では米国に対し、7割、非製造業では5割の水準にとどまっている。なかでも飲食・宿泊が26・8%、卸売・小売が42・9%となるなど、サービス産業が依然低水準だ。茂木会長は「労働人口が減少する日本が国内総生産(GDP)600兆円を達成させるためにも、生産性の向上が必要で、特にサービス産業の改善が求められる」と語った。
(12月18日、産経新聞)

生産性本部の会長は、労働生産性の意味も知らないらしい。辞書的に説明すると、労働生産性とは、労働力の投入量と物・サービスの生産量・付加価値との比率を指す。記事には無いが、トップとは2倍近い差が開いてしまっている。
労働生産性が低い理由は、単純に日本の労働時間が凄まじく長いために過ぎない。つまり、生産力を高めるために業務の効率化を行うのではなく、ひたすら労働力を投入しているだけなので、生産量は増えても生産性は低いままという状態なのだ。超長時間労働に伴う残業時間と残業代の多さが、コスト増に直結して生産効率を下げている。

その原因と背景にあるのは、超長時間労働を許容する労働法制や企業文化にある。日本は、戦後のGHQ改革によって労働法制が成立し、労働組合が認められ、労働時間規制がなされるようになったが、実際には「ザル」で、使用者は労働組合の間にサブロク協定が結ばれると時間外労働が可能になっている。この時間外労働も、法定上は「1週間に15時間以内」となっているが、現実に超過労働が摘発されることはまずない。そもそも摘発する側の厚生労働省内で超過勤務が横行しているのだから、「貴方もやってますよね?」と言われて終わりなのだ。つまり、日本は法制上、「働かせたい放題」となっている。しかも、政府はすでに形骸化している法定労働時間そのものの撤廃や、残業代の支払い停止すら目論んでいる。今年の国政選挙で自民党が勝利した場合、労働法制が大きく改悪されて、残業という概念そのものが撤廃されるだろう。結果、さらなる長時間労働が横行し、労働生産性はますます低下してゆくものと思われる。

興味深いのは、本来「残業」は使用者が労働者に「命じる」ことをもってのみ成立するはずで、労働者が勝手に「自分残業します」と言うだけでは成立しないはずなのだ。ところが、現実には殆どの場合、労働者は管理職の命令無しで自主的に残業し、認められてしまっている。これは、「命令なければ残業ではなく、残業で無ければ残業代を払う必要は無い(けどお情けでちょっとだけ出してやる)」という会社側の都合もあるのだが、日本では基本給が非常に低く抑えられているがために、特に家族持ちの場合、残業代を前提にしなければ生活できないという事情がある。つまり、労使が共謀して超長時間労働を許している。
象徴的なのは、学校教員の場合、(形式上)残業込みの給与となっているが、実際には週20〜40時間の残業が普通になっている。しかも、業務の6割以上は教職と関係のない仕事であり、これを半分以下に減らせば(例えば部活と学校行事を全廃する)、問題の大半は解決できるはずなのだが、教職員組合は何の活動もしていない。要は自分で自分のクビを締めているのだ。

その結果、日本の企業では、労働者の残業を前提として、仕事量や予算措置が決められ、仕事が配分されるため、誰も定時に終われないという環境が常態化している。労働は長時間化すればするほど効率が悪くなるのは当たり前で、勤務開始から数時間以内と連続勤務10時間の後で仕事の効率が違うのは当然だが、日本社会では全て「根性」で片付けられている。
こうした発想は、旧軍と非常によく似ている。例えば日本軍の『作戦要務令』の「行軍」には、
「而して軍隊は、堅忍不抜、克く困難なる地形、天候をも克服し、連日長距離に亙る行軍を敢行し得ざるべからず。」

とあるように毎日超過勤務して量をこなすことが大前提となっている。他方、ドイツ軍の『軍隊指揮』を見ると、
「行軍の実施を確実にして且行軍後における軍隊の余裕綽々たるは、諸般の企図に効果を得る要素なり。」

とあり、移動距離よりも行軍後に部隊の戦闘力を十全に発揮することを重視している。日中戦争の回顧録を読んでいると、「戦場に着いた時には疲労困憊だった」とか「目的地に着いて周りみると、小隊は半分になっていた」みたいな話が散見されるし、南方に出征した兵士の回顧では、裸足の兵に白米18kgが渡されて「補給はこれきりだから大事に喰え」と言われている。日本の組織のブラック性は70年前から全く変わっていない。
ちなみに、ソ連軍(労農赤軍)の『赤軍野外教令』には、
「行軍計画を周到ならしむることは、指揮官及び幕僚の最も重要なる責務に属す。行軍は、適時各部隊をして所命の地区に到着せしむるのみならず、軍隊の体力気力を維持し、軍隊及び各種資材の常続的戦備を保障し、企図を秘匿し、且つ敵の不意に常時得ざるべからず。」

とあるように、やはり兵士が行軍後に疲労困憊して戦闘力を低下させないよう配慮している。しかも、行軍の責任が指揮官と幕僚にあることも明記している。また、隊の編成や宿舎の手配などに時間を費やして兵を疲れさせるな旨まで記載されているという親切ぶりだった。
現実のソ連軍がどうだったかはともかく、少なくとも日本軍が兵卒(国民)を使い潰すことを前提に設計されていたのは間違いなく、その伝統は今の日本の会社組織を始め社会の隅々まで引き継がれている。

日本の非効率を重視する「伝統」は組織の上層部・管理職まで染まっている。組織のトップが、業務や組織の効率化を追求しない結果、大人数参加の不要不急の長時間の会議がやたらと多かったり、意味不明の社内行事が行われたり、誰も読まない豪華な社内報がつくられたりしている。本業にあっても、手続きの簡素化、事業の廃止や部門の統廃合がなかなかできないのも、効率を重視しない日本型組織の弱みになっている。そのツケは下に行けば行くほど大きくなり、国民を疲弊させている。このツケの最大の影響は「少子化」となって現れている。
ところが年寄りどもは、労働生産性の意味すら理解せずに「勤勉さが足りない」とばかりに、さらに労働強化を図ろうとしているのだから、度しがたいにも程があろう。
日本軍歩兵は作戦時に20日分の食糧を携行するが、1日の白米配給量は6合(900グラム)であり、20日分で18kgになったという。これに対してドイツ軍歩兵は5食分を携行しただけだった。当時の日本人男性の標準体格が身長160cm強で体重60kg弱であったことを考えても、行軍時の負担は想像を絶するものがある。これは日本軍の兵站システムが脆弱であったことに起因する。一般的には近代的軍隊における戦闘部隊と兵站機能の割合は3対7から4対6であると言われ、赤軍はこれが5対5であったために1944年以降の対独反攻が何度も中断することになった。だが、日本軍に至っては、5対5以下の6対4に近いとされ、圧倒的に兵站機能が軽視された(現代の米軍は2対8に近づいているらしい)。日本軍の歩兵中隊の場合、戦闘員173名に対して後方支援要員はわずか7名に過ぎなかった。他方、ドイツ軍の1944年型歩兵中隊が、戦闘員115名に対して後方支援要員を53名も有していたことは、当時の日本軍人には想像もつかなかったに違いない。
しかも、日本軍で配給されたのは、現代的なレーションではなく、白米が直に支給され、兵士各自が自炊しなければならなかったため、戦場では炊飯時の煙が敵の砲爆撃を誘うことになり、水に漬けただけの米を食べざるを得ないなど極めて劣悪な環境におかれた。「勤務中に食事する時間など無いはずだ」という某ブラック社長の発言は旧軍の伝統を継承していると言える。また、日本軍には中隊レベルに靴や軍服を修理する機能が無く、靴や軍服の破損を直せずに裸足のままの兵が多数おり、劣悪な衛生環境が強いられ、破傷風や風土病に対して極めて脆弱だった。隊内で靴の盗難や強奪が頻発したことも良く知られている。大本営の拙劣な作戦指導も相まって、日本軍は戦没者の6割を占める140万人を餓死・戦病死させた。
(野戦教範に見る日本のブラック性について)

【追記】
各国の教範を読んでいて興味深いのは、日本軍が「完全無比な兵士」を前提としているのに対して、ソ連軍は「兵卒はマニュアルに書いてある通りにやれば良い」と考えていたことだ。その結果、日本軍では常に超人的な命令が横行して無理に無理が重ねられた一方、ソ連軍では「マニュアル兵士」が横行して硬直的な指揮が常態化した。また、日本軍では積極性過剰、ソ連軍では慎重性過剰な傾向が濃厚だった。例えば、1942年8月にガダルカナルに上陸した日本軍の一木支隊の隊長だった一木大佐は、陸軍歩兵学校の教官を務めていた経歴を持っていた。だが、その実戦では、イル川に捜索隊を出したところ米軍と交戦して全滅、敵情が不明なまま、突撃を命じて部隊は全滅、大佐は連隊旗を焼いて自決している。これは歩兵操典の「敵情の不明等の理由により躊躇(せず)」旨を反映した「行軍即捜索即戦闘」という作戦計画に基づいたものだったが、根拠の無い積極性が徒となった形だった。「モーレツ社員」を前提に業務の割り振りや労務計画が立てられている現代日本は昔から何も変わっていないのである。

【参考】
野戦教範に見る日本のブラック性について・上 
野戦教範に見る日本のブラック性について・下 
・『各国陸軍の教範を読む』 田村尚也 イカロス出版(2015)
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2016年01月20日

限定合理性の一典型−大阪市給食の場合

【<大阪市立中>給食3割弱が食べ残し 全国平均の4倍】
 大阪市立中学校の生徒が給食の3割弱を残していることが市教委への取材で分かった。全国の小中学校平均の4倍に上る。残飯になった食材費は推計年5億円で、食材費全体の約25%だった。大阪市は仕出し弁当を配る「デリバリー方式」を採用し、食べ残しの多さが問題となっているが、実態が明らかになるのは初めて。
 市教委によると、16校を抽出し、今年度の1学期で月2回、おかず、米飯、牛乳の食べ残しの割合を重さで調べた。残飯になった年間食材費も推計した。その結果、おかずは30%が残され、無駄になった食材費は4億4000万円となった。米飯は17%で3700万円、牛乳は9%で3300万円だった。おかずは食中毒防止のため10度以下で保存され、生徒から「冷たい」「味気ない」との声が出ており、多く残ったとみられる。
 全体の残食率は3割弱だった。環境省の調査では、小中学校の全国平均は昨年度6.9%。大阪市と同じく調理を民間委託する名古屋市立中学校でも10.5%だった。大阪市の中学校給食は今年度、全1、2年生と一部の3年生の計約4万1300人が対象で、来年度からは全生徒(約5万6000人)に拡大する。
 給食の食材費は原則として自己負担(1食300円)。今年度は165日前後を提供する予定で、食材費の合計は約20億4400万円。一方、業者の調理・配送費用は市が支出しており、今年度は約18億円を計上している。市は校舎に調理室を整備する「自校調理方式」か、近隣の小学校でつくった給食を配膳する「親子方式」への移行を計画している。吉村洋文市長は2019年度までに改める意向を示しており、この問題は14日の市議会本会議でも取り上げられる予定だ。
(1月13日、毎日新聞)

Aにとって合理的なことが、Bにとっても合理的とは限らない。よく考えれば当たり前の話だが、なかなか一般的には理解されない。
学校毎に校内で給食をつくるというのは、確かに行政側としては不合理な話で、配食サービスが充実した今日では外注した方が財政的にも組織的にも合理的なのは間違いない。そして、行政から給食の外注を受けた業者としては、経済性を重視して味を犠牲にし、安全性を重視して冷温保存するのが合理的ということになる。だが、結果的には記事にある通り、「冷たい」「まずい」ということで食べられなくなってしまうのでは元も子もない。
結局のところ、「誰のための給食か」という大原則を外して、一部の人間が主張する経済合理性を追求した結果、給食の本来の意義が失われてしまったことを示している。特に大阪市の場合、家計環境が厳しい家庭の小中学生に、学用品や給食代などを援助する「就学援助制度」の支給対象者の割合が3割にも達しており、「昼食に十分な栄養のある暖かい給食を取る」ことが子どもの生活に欠かせない状態であることが分かる。

本来、「公共」は民間では提供できないインフラやサービスを市民に供給するために存在するが、財政赤字を背景に「民にできることは民に」という一見分かりやすいスローガンが支持されて民間委託が進められた結果、公共の本質が失われつつある。例えば、公共バスが良い例で、自治体などで運営してきた交通機関が民間委託された結果、ルートや本数が大きく削られて「民間では提供できない市民の足」が失われ、ますます地方の衰退を加速している。
公共の役割の再構築は、民主党を始めとする野党で再検討すべき重要課題の一つと言えよう。
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2016年01月19日

世代交代のタイミング

【民主重鎮、相次ぎ引退 輿石・北沢・江田氏… 世代交代の波】
 夏の参院選を機に、民主党に世代交代の波が押し寄せている。政権時代に党幹事長を務めた輿石東参院副議長(会派離脱中)が改選となる参院選に出馬しない意向を固め、ほかにも70代の閣僚経験者らが続々と引退を表明しているためだ。
 夏の参院選で改選を迎える70歳以上の民主党参院議員は6人。このうち輿石氏に加え、北沢俊美元防衛相、江田五月元参院議長、直嶋正行元経済産業相が引退。残る前田武志元国土交通相は引き続き比例で出馬し、今回から改選数が2から1に減る新潟選挙区選出の田中直紀元防衛相は比例に転出する。ただ、非改選議員に70歳以上は1人もおらず、党の若返りは一気に進むことになりそうだ。
 岡田克也代表は15日、都内で記者団に対し、後継候補にめどがついた北沢氏ら3人の引退について「立派な見識を持った方々で、非常に惜しい」と述べた。同時に「世代交代ということもあって判断されたことだ。尊重されなければいけない」と語り、後継者の当選に向けた協力を求めた。
 衆参同日選が取り沙汰される中、焦点となるのが衆院のベテラン議員の去就だ。菅直人元首相や横路孝弘元議長ら当選10回以上の議員に対しては「勇退していただければ世代交代を進めるチャンスになる」(若手)との声も出ている。かつて中枢を担った重鎮から若手への世代交代が進めば、いまだに引きずる政権時代の負のイメージの払拭につながる可能性もある。
(1月16日、産経新聞)

民主党の大物議員が続々と引退する。参議院では、輿石(教組)、北沢(保守)、江田(社民連残余)、直嶋(自動車)氏らが引退表明し、衆議院では横路(節雄の息子)、赤松(勇の息子)、川端(ゼンセン)氏らの引退が取り沙汰されている。もっとも衆院の方は、後継選定が進んでいないため、衆参同日選となると間に合わずに「もう一度」となる可能性もある。

古来、世襲や世代交代のタイミングとは難しいもので、王政や封建領主が倒れる最大の理由は後継をめぐる混乱にある。それは、現代日本の選挙制度にすら当てはまる。日本の場合、比例代表制ではなく選挙区制が主であるため、「地盤、看板、カバン」の「3バン」が選挙の当落を大きく左右するためだ。それは中選挙区制でこそ著しかったが、小選挙区制でも基本的には変わらない。

本来、世襲は当主が健在のうちに後継者に譲って隠居するケースの方が上手く継承できる上に全体的に不満も少なく済む。当主の威光をもって後継指定すれば、堂々と否を唱えるのは難しく、後継者に不満があるものでも隠居に訴えるというルートも残されるためだ。だが、頭では分かっていても思ったようにはいかないのが世の常。
戦国大名として名をはせた武田信玄も、長男を廃嫡した後、勝頼を正式な後継とせずに「、孫・信勝の後見」という曖昧な立場にしたまま死亡した結果、勝頼は「当主の名代」という形で采配を振るうことになり、家臣の統制が緩んでしまった。徳川家康や黒田如水のように、息子に家督や地位だけさっさと譲って実権や影響力を保持している方が上手く行くのだ。

もっとも、国会議員の場合は選挙のタイミングでしか世代交代できないため、参議院なら6年後を見越す必要があるし、衆議院に至ってはいつ選挙があるか分からない。本来であれば、有利な時に権力移行するのが最も望ましく、実際自民党は2012年の「消費税解散(民主崩壊)」時に多くが世襲に成功している。これは、自民党に権力世襲の知見があるためで、「勝てる時に世襲を果たす」ことの有利が理解されていたためと見られる。だが、民主党にはこうした知見が無いため、2010年の菅政権時のような「まだ有利」という時に世代交代を果たさず、「自分が出るなら勝てるから」という理由でベテランがこぞって出馬した結果、全く勝ち目の無くなった今日になって皆引退し、「ぺんぺん草一本残らず」になりかねない情勢となっている。
勝てそうな時に引退する大物の支援を受けるからこそ、優秀な後継者も名乗りを上げる可能性があるが、全く勝ち目が無いとなると、誰も後継志願するものがおらず、自然消滅するところとなる。参議院でいえば、長野や岡山は社会党色が強かったり、保守が分裂していたりと他に比べれば有利な条件があった地域なのだが、現状のように彼我の戦力差が隔絶してしまうと、どうにもならないだろう。
posted by ケン at 12:44| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

秘密保護法で決算不要に?

【<特定秘密>「検査院に提出」通達…施行後1年出さず】
 特定秘密保護法に基づき秘密指定された書類について内閣官房が、会計検査院から要請があれば提供するよう求める通達を関係機関に出していたことが分かった。検査院は法案閣議決定前の2013年9月、秘密指定書類が会計検査に提出されなくなる恐れがあるとして「すべてを検査するとした憲法90条の規定上、問題」と法案の修正を要望した。内閣官房は応じず、代わりに「遅滞なく」通達を出すことを約束していたが、14年12月の法施行後1年以上出していなかった。
 内閣官房によると、通達は昨年12月25日付で「秘密事項について検査院から提供を求められた際には、提供していると承知しているが、法の施行によりこの取り扱いに何らの変更を加えるものではない」としている。防衛省、外務省など特定秘密の指定権限を持つ20の行政機関に出した上で、今月8日に検査院に内容を説明した。
 13年10月に内閣官房と検査院が合意した通達案では「検査院が特定秘密を利用するときには、『(秘密保護法が秘密提供をしなくてよい場合とする)我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれ』はないと解される」と明示していた。しかし、この部分は今回の通達に盛り込まれなかった。
 内閣官房は「明示的には盛り込まなかったが、これまでの取り扱いと変更はないとしており、趣旨は含まれる。そもそも秘密保護法は憲法上問題があるとは認識していない」と説明。通達の遅れについては「実際の運用を見つつ、適切な時期に出そうと考えていた」とコメントした。
 会計検査院法規課は「法令協議の過程で、検査院が内閣官房に伝えていた内容が反映されており、検査に必要があるとして要求した場合には、各省庁から特定秘密が適切に提供されると考えている」とコメントした。
(1月12日、毎日新聞)

2年前に秘密保護法が審議された際、私も記事にあるような懸念を覚えて会計検査院の担当者を呼んでレクを受けたが、「内閣官房と調整して、秘密指定に関わる事項でも会計検査院に適切に情報提供されるようになっているので、懸念されるようなことにはならない」旨の回答があった。当時は他にも質問すべき事項が山積みされていたため、この点からの質問は見送ってしまったが、今から思えば、やらない手はなかったかもしれない。

戦前の軍部には「臨時軍事費特別会計」という魔法の財布があって、一般会計とは別に組まれ、概要のみが提示されて一括審議され、しかも会計法の適用外として予算の流用や前払い、概算払いなど軍の自由裁量が認められ、帝国議会はおろか、大蔵省や会計検査院のチェックすら働かないシステムになっていた。
秘密保護法を除外しても、現状で復興特別会計はかなりザルとなっていて、議会や検査院のチェックが十分に及んでおらず、闇の中になっている。新国立競技場建設をめぐる会計も恐ろしく杜撰だったことは記憶に新しい。そこに秘密保護法によって、防衛費や外交費の多くが検査対象外となれば、もはや「行政府の予算執行が適切かどうかをチェックする」という議会の存在意義が失われてしまう。

象徴的な例を挙げれば、2003年から09年にかけて米軍の後方支援として(表向きは復興支援)自衛隊をイラクに派遣するために要した費用は直接費用だけで1200億円以上に上るとされているが、イラク戦争の開戦経緯と戦争支持決定を検証した政府(外務省)の報告書はわずかA4で4枚(うち表紙一枚)という形でしか公表されなかった。要は、直接費用で1200億円をかけ、陸海空で1000人以上の規模でなされた海外派兵を行った根拠について、政府は主権者・納税者たる国民に対して説明・開示を拒否したのである。これでは、勝手に徴税して勝手に軍を動かして戦争を始めてしまう17、18世紀の英王室と同レベルであり、日本の国会は当時の英議会よりもレベルが低いことを意味する。
イギリスの清教徒革命は、国王チャールズ1世がスコットランド侵攻を行って敗北し、その戦費と賠償金に困り果てて、議会に新規課税を高ピーに要求したところ、議会はこれを拒否。そんな折にアイルランドでもカトリックによる蜂起が起こって、再度遠征することにもなって、議会は国王非難の姿勢を強め、その外交大権を抑制しようとしたところ、それに反発した国王が、議会の武力弾圧を試みたため、内戦を勃発させてしまった。

また、フレンチ・インディアン戦争で財政危機に陥った英国議会は、「植民地の維持費は植民地で」の方針から、植民地からの砂糖に(のみ)課税する砂糖法を可決し、さらに植民地における印紙に新規課税をなし、その上「東インド会社が輸入する茶だけは無税」という茶法を成立させるに至り、有名な「代表なくして課税なし」のスローガンの下、英国本土による独断支配を拒否する空気が強まった。そこに英国王ジョージ3世が軍隊を介入させたため、アメリカ独立戦争が勃発してしまった。
その独立戦争で英国は増税を余儀なくされるが、議会は増税を承認する代わりに軍事支出の予算科目の細目開示を要求した。それまでは軍事費全体で一括審議されていたものが、1789年から予算科目の区分と細目別の審議がスタートした。

政府の戦争遂行に対して、主権者あるいは納税者の立場から監視と統制を行い、正当な支出であるかどうかを検証するのが本来の議会の役割であり、その権限を強化してきたのが議会史の根幹だった。外交と戦争の情報が秘匿されるというのは、デモクラシーと議会制度の明らかなる逆行であり、行政府の暴走を許すことにしかならない。
集団的自衛権と秘密保護法

しかも、日本の場合、情報公開法と公文書管理法が不十分であるため、秘密指定された情報や資料が永遠に指定解除されなかったり、あるいは指定解除される前に廃棄処分されたところで、これを止める術もなければ担当者を罰することもできないため、実質的に「廃棄し放題」となっている。結果、予算執行が適切だったか、予算付け自体適切だったのかなどの政策評価や歴史検証ができなくなっており、誤りを正すことを不可能にしている。
軍事費のチェックが効かなくなった戦前の日本がどのような末路を迎えたか、改めて思い返すべきである。
posted by ケン at 13:11| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月16日

1月の読書計画(2016)

当初、年末年始は読書を充実させようと思っていたものの、いざ休みに入ってみると、「どうも頭が疲弊気味」と思うようになり、頭脳を休める方向に方針転換した。そのため、「積ん読」が増えてしまったが、「そこはそれ」としたい。

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『歴史としての冷戦−力と平和の追求』 ジョン・ルイス・ギャディス 慶応大学出版会(2004)
冷戦研究の泰斗として、「対称的封じ込め」と「非対称的封じ込め」政策の概念を提唱されたギャディス教授による冷戦研究の集大成。特にソ連崩壊後に公開された東側資料をふんだんに使うことで、東側からの視点を充実させている。ただ、色々はしょってしまうと「冷戦はスターリンの妄想に始まった」とする教授の見解には違和感を覚える。過剰なまでの防衛意識はスターリンの特質ではなく、ロシア人に共通するものであり、また十月革命後の列強介入がボリシェビキの恐怖政治を固定化させてしまったところが大きのであって、スターリン個人の責任にしてしまうのはどうだろうか。

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『ウクライナ 2.0』 塩原俊彦 社会評論社(2015)
ウクライナ紛争についての解説は、欧米視点からのものが溢れかえっており、ソ連・ロシア学徒の私からするとただのプロパガンダにしか見えないものばかりとなっている。私がウクライナ問題で何か書けば「ロシア寄り」と言われるのに、巷に溢れる解説は「欧米寄り」と非難されないのは、どういうことだろうか。著者の塩原先生は、直接お会いしたことはないものの、私以上にそれを感じておられるようで、現代ロシア軍事研究の知見(本職は経済)を生かして本書を出版されている。本書を読むと、私などよりも「ロシア寄り」に思えようが、塩原先生は『ロシアの軍需産業』を書いたことで、ロシア当局から要注意人物と見なされているほどなのだ。ウクライナが、「新冷戦」の最前線である以上、ロシアと米欧の利権と権力が最も激しく衝突する「角逐場」であることは間違いなく、そこに「どちらが正しい」などということはあり得ない。ただ、ロシアに関する基本的知識が無いと難しいのと、横書きなのが難点となっている。恐らく今の日本で「ロシア側の視点」を交えてロシア情勢を解説しているのは、公式的には塩原先生と上野先生くらいしかおられないのではなかろうか。

『蘇我氏−古代豪族の興亡』 倉本一宏 中公新書(2015)
どういうわけか最近連続して出版されている古代蘇我氏研究の中から手頃そうなものを選ぶ。ここでも他の歴史と同じことが見られるが、「乙巳の変において、中大兄皇子らが、専横と悪徳を極めた蘇我氏を倒して政治を正した」というのは「勝者の歴史」に過ぎず、近年の研究では、むしろ蘇我氏が統治機構の近代化や現実的外交を進めたのに対し、保守派の中臣鎌足らが反動クーデターを起こし成功した、という理解が近年の歴史研究の主流となっている。そして、新たに成立した天智帝政権は、半島介入政策を進め、百済支援軍を派兵、「白村江の戦い」で大敗し、その反動で「壬申の乱」が起こる。私的に古代史は全く不明なだけに、この機会に少し知識を蓄えようと思った次第。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする