2016年01月07日

ロシアン・スナイパー

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『ロシアン・スナイパー』 セルゲイ・モクリツキー監督 ロシア・ウクライナ(2015)



この年末年始はまとまって休めたので、録りためたアニメや借りてきたDVDをまとめて見ることができた。その中でもわざわざ「外した」一作を先に紹介する辺り、我ながら自分の「ロシア帰り」的な屈折を覚える。
本作は、二次大戦における女性狙撃兵として、「戦果309人」を上げてソ連邦英雄となったリュドミラ・パヴリチェンコを主人公に据えている。邦題を見ると、『アメリカン・スナイパー』のパチモンにしか思えないので失敗だろう。とはいえ、原題は「Битва за Севастополь」(セヴァストポリの戦い)であり、これはこれで「クリミア戦争?」と勘違いしてしまうので、名付けに苦労はしたのだろう。でも、この邦題は無い。

何がダメかと言えば、ロシア映画なのに本作が「ハリウッド」になってしまっている点だ。回想に始まり、回想と本編を繰り返しながら、現在(作品上の)へと繋がる展開、ムダに力点が置かれている恋愛シーン、やたらと派手なCGもさながら、全体的に「こんな凄い人がいたんですよ、感動ですよね」みたいな「感動の押しつけ」。「これじゃない〜」観がハンパ無いのだ。
ソ連・ロシア映画の特徴は「低感動」「地味」「自虐的」であるだけに、「ロシア人がハリウッド映画撮れば受けること間違いない」と勘違いした結果であることが丸わかりなのだ。

確かに個々の戦場描写はなかなかリアルだが、「リアル」を意識しすぎて皆「どこかで見たような」映像になってしまっている。また、CG映像も良く出来てはいるのだが、どうしても「一狙撃兵の話にそこまで派手なCGが必要なの?」と思ってしまう。要は描写過剰、演出過多なのだ。高度な撮影技術や映像をつなぎ合わせれば良い作品ができるわけではない、という一つの例かもしれない。演技的に悪くないだけに惜しいものがある。本作と比較すると、『ホワイトタイガー−ナチス極秘戦車・宿命の砲火』の方がロシア映画の伝統を引き継いでいる点でよほどマシだったと言える。そもそも「ロシア人と英雄(ヒロイズム)」という組み合わせにも違和感があり、そのロシア人が「英雄の悲劇」を描こうとした点も失敗の理由だったかもしれない。
とはいえ、『戦争は女の顔をしていない』を読んだものとしては、女性兵士の戦場参加というものがどのようなものであったかを視覚的に確認する素材として評価したいとは思う。

もう一つ、ウクライナ内戦(休戦)中のこの時期に、ウクライナ女性を主人公に「セヴァストポリ要塞戦」を舞台にした作品がつくられた背景を考えると、やはり「ロシアとウクライナは一つなんだ」というプロパガンダ性が透けて見えてしまう。この点も「何だかなぁ〜」と思わせる一因になっているようだ。
色々と「残念」な作品である。
posted by ケン at 12:40| Comment(4) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする