2016年03月31日

苗字廃止論

江戸期における苗字は、現代人が考えるファミリーネームとはかなり異なるものだった。例えばわが先祖である幕臣S木家の場合、おおよそ「馬一頭、銃一丁、槍三本」とそれに付随する人員の常備が義務とされた。100石超の家禄は当主であるS木T吉の個人的給与では無く、装備の維持費や従者郎党の給与まで含んだものだった。大名家は恒常的に家禄を支給し、禄の世代継承を保障する対価として、各家は軍事的義務を負う、というのが封建的契約関係だった。

もっとも現実には、幕末の長州戦争に際し、将軍家は旗本に大動員令を下すが、旗本の多くは義務化されていたはずの装備や人員を用意できなかった。太平が長く続いて、諸物価が高騰していたため、みな兵具を売り払い、郎党や中間も身の回りの世話要員程度しか雇っていなかったのだ。その結果、動員令が下りると、古道具屋と口入れ屋に幕臣が殺到、その価格が急騰し、必要な兵具と人員を確保できたのは一部に過ぎなかった。義務を果たせなくなった旗本たちは、禄を返上するのでは無く、みな隠居届けを出すことで責務回避を図った。この時点で、江戸期の封建制度は実質空洞化していたことが分かる。

話を戻そう。例に挙げたS木家というのは、この一個の軍事的最小単位を指すものであって、今日のファミリーネームではあり得なかった。むしろ今日の法人名に近い。将軍家を大企業とすると、旗本はその傘下直系の中小企業群に相当する。
興味深いことに、かつてスターリンの息子が学校で「ボクはスターリンの息子なんだぞ」と威張った際、帰宅したスターリンに「スターリンなどと言う個人は存在しない。自分もお前もスターリンなんかじゃ無いんだ」と烈火のごとく怒鳴りつけられたというが、この感覚が分からないと、伝統的な苗字というものは理解できないのかもしれない。

大政奉還を経て明治政府が樹立すると、明治3年(1870)に「平民苗字許可令」、同8年(1875)に「苗字必称義務令」が発布される。当初、全国民に苗字使用の許可が下されたものの、苗字使用は普及せず、国家による強制が必要だったことは興味深い。つまり、庶民の多くにとって一般生活に無用のものだったのだ。
しかも、苗字導入時には夫婦別姓が原則(同姓選択制)であり、夫婦同姓が制度化されたのは、明治31年の民法改正によって夫婦同姓に基づく「イエ」制度が確立した。明治9年に苗字使用を義務化するに際して、太政官法制局が夫婦別姓を採用したのは、「妻は夫の身分に従うとしても、姓氏と身分は異なる」「皇后藤原氏であるのに皇后を王氏とするのはおかしい」「歴史の沿革を無視」という理由からだった。さらに、明治31年の民法改正に際して、司法省がドイツ式の夫婦同姓案を提示したところ、当時の保守派から「日本古来の家父長制に反する」と大反発を受け、戸籍に絡めて「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」とすることで折り合いを付ける始末だった。

明治維新を経て封建的身分制度が(完全ではないが)廃止されたのは、出自が個人の身分を規定し、職業を限定することで、労働力と能力開発を大きく自己規制してしまう点にあった。これは、ヨーロッパにおいて奴隷制や農奴制が廃止された理由と同じである。資本主義に基づく経済発展のためには、身分制の廃止と労働力使用の自由化は不可欠のものだった。現代においても、ソ連の農業集団化が経済成長を阻害したことや、インドで貧困問題が一向に解決できないことも、同じ理由から説明できる。
明治政府は、全国民(当時は臣民)に苗字の使用を強制したが、同時に家父長制に基づくイエ制度を創設した。その結果、今度は女性がイエに縛られ、女性の権利は家長に委ねられ、職業の自由と能力開発の機会を奪われた。戦前においては、結婚するのも家長の許可が必要だった。第二次世界大戦において、女性の戦時動員が最も少なかった日本とイタリアは、ともに敗戦国となった。

参政権、教育権、労働基本権など市民的権利が、日本女性に完全に認められたのは、全て占領軍の指示によるものだった。マッカーサー指令が下されたのが1945年10月11日で、幣原内閣の婦人参政権導入の閣議決定は前日の10月10日になされているが、これはGHQの意向を先読みしてポーズを取っただけの話であり、「八月革命」に伴う占領軍の指導が無かったら、果たして女性参政権がいつ実現したのか分からなかっただろう。
(日本の女性解放は「アメリカの押しつけ」ですから!)

戦後、GHQの主導により女性に一定の権利が付与されたものの、女性に対する姓の強制(夫婦同姓)は存続、職業や教育の自由は与えられたものの、採用や待遇の差別は今日に至るまで改善されていない。正規・非正規を含む女性の平均年収は、男性の約半分に過ぎないが、実はこの「50%」という数字は1970年代以降変わっていない。米国の場合、1980年に65%だったものが2005年には80%を超えている。日本では、80年代に女性の総合職進出が図られたものの、90年代に非正規職や派遣が急速に増え、非正規職の大半が女性で占められた結果、女性の対男性年収比が停滞しているものと見られる。

「労働力が足りない」などと言っている政府や財界は単純にバカ丸出しなだけで、要は女性差別が女性の労働力活用を阻害しているだけの話なのだ。そのバカを補おうとして、移民や外国人奴隷(研修生)を検討しているのが現状と言える。
その女性差別の根幹をなしている一つが、女性に対する姓の強制とその根本思想であるイエ制度であることを考えれば、夫婦同姓や家父長制を残したまま、日本はこれ以上の経済成長は望めないと見るべきだ。そして、夫婦同姓を止めることができないのであれば、むしろ苗字そのものを廃止することで、女性をイエから解放して労働力としての活用を図るのが望ましい。
posted by ケン at 12:37| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月30日

改めてカジノ法案は廃案に!

【カジノ特命チーム業務凍結「五輪に間に合わぬ」】
 政府は、カジノなど統合型リゾート(IR)の推進役を担う内閣官房の特命チームの業務を当面、凍結する方針を固めた。カジノを解禁するIR推進法案の成立に見通しが立たないためだ。政府はIR開業を2020年東京五輪・パラリンピックに向けた成長戦略の目玉に位置付けていたが、政府高官は「東京五輪にはもう間に合わない。長期的な検討課題として練り直すべきだ」としている。特命チームは14年に経済産業省や観光庁などの職員ら約30人で発足し、IR実現に向けた課題や諸外国の事例などを研究してきたが、専用の事務室は近く閉鎖される。必要に応じて活動を再開できるよう、特命チームとの併任は解かない方向だ。IR推進法案は、超党派の議員連盟が13年に国会に提出したが廃案となり、15年に自民、維新、次世代の3党が共同で再提出した。ただ、カジノ解禁には「ギャンブル依存症が増える」などと弊害も指摘されており、特に公明党内で慎重論が根強い。法案を共同提出した維新が分裂した影響もあって継続審議になっている。
(3月22日、読売新聞)

ロクでも無い話ばかりが続いて、つくづくこの仕事がイヤになってくる今日この頃だが、悪い話だけでもない。
今国会は参院選の関係で5月いっぱいで終わってしまう上に、TPP関連法案が目白押しで、とてもではないがカジノ法案まで審議している余裕は無い。そのTPP関連法案ですら、様々な理由から審議が遅れており、優先順位を付けて審議している状況だ。結果、カジノ法案は成立するメドが立たなくなって、オリンピック景気のドサクサにまぎれて巨額予算付けて強行突破(天下り先の量産)するという戦略が成立しなくなった。「無理」と分かれば、すぐに「次」のネタを探しにかかるのがヤクニンであるだけに、その身代わりは早い。

だが、余裕を与えるとロクなことをしないのが官僚組織というものであり、経産省や観光庁(あるいはスポーツ庁や文科省)のように、存在そのものが経世済民に必要かどうか疑問が持たれる省庁は、自己アイデンティティを確立するために必死に「居場所」を探そうとする。今回のカジノ法案などはその典型的ケースであるだけに、この状況を放置しておけば、またぞろロクでも無い法案を出してくるだろう。その意味で、国民生活から見て必要度の低い省庁は、可能な限り縮小・廃止するべきだ。だが、50年以上にわたって自民党が一党優位体制を続けている日本の場合、政党と行政が一体化してしまって、行政改革を難しくしている。

政府調査ですら、ギャンブル依存症患者が550万人以上いることが確認されている中で、根本的対策(パチンコ廃止)を打つ前にカジノを合法化するという、政府の考えは「国家は誰のために存在するのか」という根源的課題を突き付けている。急速に貧困化が進む中で、正常な経済活動に限界が露呈しつつあるため、従来非合法としてきた経済活動を合法化することで、収奪を図ろうというのが、政府・財界の真の狙いなのだ。
国家が国民から収奪することしか考えなくなったら、もはや縮小再生産にしかならず、その国は遠からず瓦解するであろう。

【参考】
日本におけるギャンブル依存症の割合は飛び抜けて高いことが挙げられる。2012年に厚生労働省が行った調査によれば、米欧諸国におけるギャンブル依存症の割合が1%前後であるのに対して、日本では5.6%にも達しており、実数で言えば550万人以上に上るという。そして、その8割がパチンコによるものと考えられている。心療内科医に依存症として認定された人がそれだけいるということは、その倍以上の人が「依存症予備軍」にあると見て良い。また、同依存症患者の中で、賭博資金を得るために窃盗や横領などの違法行為に走った経験のあるものの割合は、男性で63%、女性で31%に上り、ギャンブル中毒と犯罪の密接な関係を証明している(厚労省調べ)。
競馬であろうがパチンコであろうが、一度依存症になってしまえば、それは「ゲーム」ではなく、「半永久的に続く中毒患者からの収奪」になってしまう。最近では競馬場などに銀行のATMなどが存在するのだから、むしろ中毒と収奪を促進している観すらある。
一般論で言えば、正業に就いている者はパチンコや競馬・競輪等に通うヒマなどあるはずもなく、現実には就業が不安定な低所得層や主婦、高齢者ほどギャンブルにはまりやすい構造になっている。
他方、例えばカジノを合法としている欧米諸国ではデポジット制を採用しているところが少なくなく、その場合、一定額を先に納めることが入場の条件となっており、貧困者の入場規制や中毒対策への配慮がなされているが、日本では一切採用されていない。
同法案には「賭博依存症対策の充実」が盛り込まれているが、これなどは「労働時間規制撤廃法案(残業代ゼロ法案)」と「過労死防止法案」のカップリングを想起させる醜悪さを示している。
国際的に見て深刻なギャンブル依存症の現状を放置したままカジノを導入することは、多少経済成長に貢献したとしても、最終的には中低所得層からの収奪と国民精神の荒廃を促進させる結果に終わるだろう。
カジノ法という焦土政策
posted by ケン at 12:42| Comment(6) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月29日

3月の読書報告

どうも2月からこの方、多忙なのと政策資料を読む機会が多いこと、さらに家ではTRPGのシナリオ作りが相まって、あまり本が読めていない。まぁこんな時期もあるだろう。

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『戦国の陣形』 乃至政彦 講談社現代新書(2016)
ちまたに評判の一冊なので読んでみたが、表題に比して内容は「結局のところよく分からない(資料に無いから)」というもので、本自体も薄い。「魚鱗」や「鶴翼」などの陣形が、「何となく」イメージで使われてはいたものの、今日のように定式化・マニュアル化されたものではなく、江戸期の軍学書で伝説化されたことで、今日に至るまで実態が分からなくなってしまっている、ということのようだ。とはいえ、武田信玄や上杉謙信の頃になると、装備別の編成や陣形について改革がなされていった模様。著者の推測部分が非常に多く、「ふ〜ん、そうなんだ」という感想しか抱けない。戦国期の合戦についても、江戸期以降の創作が多く、実態はかなり異なったという指摘はその通りなんだろう。

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『秩禄処分 明治維新と武家の解体』 落合弘樹 講談社学術文庫(2015)
明治維新の「三大改革」といえば、一般的には「徴兵制」「学制」「地租改正」とされる。だが、本書のテーマである「秩禄処分」もまたそれに匹敵するか、それ以上の革命的改革だった。何と言っても、江戸期だけで260年に渡って支配してきた武士層を、新政府官吏を除いて、いくばくかの資産を与えて全員解雇するというもので、血を見ないわけがない革命的事業のはずだった。ところが、現実にはわずかな例外を除いて無血革命に成功した。当時、士族の家禄は、新政府の予算の3分の1を占めるほどのものだっただけに、今から見れば魔法でも見るかのような話だ。とはいえ、考えてみれば、わが家は明治維新で100石超からの家禄を失い、さらに戦後の農地改革と預金封鎖で土地と資産も失ったが、「七代末まで祟れ」みたいな言い伝えは残されていない。そのナゾを明快に解き明かしてくれる良書。分量的には多くないが、非常にコンパクトに要点をまとめられている。まぁ言ってしまえば、日本人は大勢順応的に過ぎるということなのかもしれないが。ただ、思っていたよりも推進者たちが苦悩しながら取り組んでいたことは印象的だった。
posted by ケン at 13:02| Comment(2) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

右翼のヤバさと中道の難しさについて

55年体制下で自民党が半世紀にわたる一党優位体制を築き上げたのは、野党である社会党の政策を先取りして、特に社会保障制度を充実させたことが大きかった。「別に社会党である必要は無いよね?」というのが戦後有権者の多数派であり続けた。その社会党は、ついぞ自民党に代わる、かつ有権者の多数派から支持されるアイデンティティを打ち出せないまま、冷戦構造の崩壊とともに解党した。また、自民党の支持基盤は、持続的な経済成長の中で、中間団体を通じた所得分配にあったが、バブル崩壊を経て経済成長がストップし、財政赤字が恒久化して従来の分配構造の維持が難しくなった。
国旗国歌法が成立したのは1999年で、何をかを象徴していた。
1990年代の大きなメルクマールは、いわゆる「バブル崩壊」と「政治改革の失敗」だった。バブル崩壊とそれに伴う銀行救済のための財政出動により財政赤字が急増、同時に少子高齢化の急進により保険財政も急速に悪化する。
ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べられている。戦後民主主義を支え、一党支配の正統性を担保してきた高度成長がストップし、デモクラシーを危機に導いていった。
そして、政治改革の失敗により、戦後から80年代まで日本政治を牽引したエリート支配に終止符が打たれ、小選挙区制の導入に伴い、ヤンキー(反知性主義)が優位に立っていった。
国と保守派が君が代を強制するワケ・下

緩い分配構造に基づく「寛容なる保守」(ソフト路線)が難しくなり、かつ左翼の脅威が薄れた自民党は急速に右傾化、「断固たる権威主義」(ハード路線)へと傾いていった。その極めつけが第一次安倍政権だったが、経済を軽視した急速な右派政策は国民の支持を得られず失敗、民主党に政権交代する切っ掛けをつくってしまった。第二次安倍政権は、この失敗を反省して、少なくとも数字上は「経済的繁栄」を築くことで、権威主義路線への支持を広げている。

また、日本には年収300万円以下の貧困層が2500万人もいるにもかかわらず、その票が左翼政党に殆ど反映されないことも(共社で500〜600万票)、自民党の右傾化を助長している。これが仮に社会民主義政党(日本の社民党では無い)が単独で、あるいは共社で常に1千万票以上獲得していれば、自民党は中間票に気を遣わざるを得なかったはずだ。実際、1971年の参院選全国区を見た場合、自民党1775万票に対して社共が1170万票、社会党瓦解直前の92年の選挙(比例区)でも、自民党1500万票に対して社共で1150万票とかなり健闘していた。だが、2013年の参院選比例区は、自民党1846万票に対して共社で640万票になってしまい、第二・第三保守党と言える民主・維新が計1348万票を獲得している。

実は、右傾化が進んだ自民党に対して、今度は民主党が「寛容なる保守」と「なんちゃって左翼」の合同体と呼べる「小沢・鳩山路線」を掲げて政権奪取に成功する。だが、様々な理由からわずか半年で瓦解し、菅・野田路線に転向した。菅・野田路線は、TPP、消費増税、法人減税、集団的自衛権など、むしろ自民党の政策を先取りするものだった。当時の執行部は、右派票の取り込みを目論んだわけだが、現実には「いや、それなら自民党でいいじゃん」となって2012年の選挙で安倍・自民党に圧勝を許すところとなった。
その自民党は「右に寄りかかってきた」菅・野田路線への対抗上、「さらに右」を目指すところとなり、「寛容なる保守」の後継者である谷垣氏を総裁から引きずり下ろして、「ハード路線」の安倍氏を据え、権威主義体制をもって選挙に臨んでいる。この点で言うと、「後世の歴史家視点」ではあるが、民主党の菅・野田路線が自民党を「さらに右」へと追いやり、権威主義の復活に寄与してしまったと言える。

【参考】慚愧に堪えず(2010.11.12) 

安倍・自民党が吉田路線を否定して岸路線を突き進んだ結果、権威主義的体質も強化され、それとともに歴史修正主義が強まって、戦前・戦中の帝政や戦争を美化する傾向が強まっている。経済成長と社会保障によって支配の正統性を担保してきた自民党は、この2つの旗印を失いつつあり、新たな統治根拠として国家主義・権威主義に切り替えているためだ。岸信介は、少なくとも社会保障を推進したが、安倍氏は財政上の理由からこれを切り捨てざるを得ない状態にあり、その不満を愛国主義と対外戦争によって緩和・解消する方向で進めている。日本の貧困化(階層化)が進み、社会保障が切り下げられ、国民の不満が高まれば高まるほど、さらに「愛国教育」と国旗国歌の強制が進んでいく構図だ。
具体的には、対中脅威論と対テロ戦争参加を掲げ、「戦時体制」を理由に市民の自由と人権を制限、その不満を戦争と国家主義への熱狂によって解消するという構想だろう。戦前史を見た場合、1930年代に吹き荒れたテロルの嵐は、1937年の日華事変発生とともにピタリと止まり、同時に合法社会主義者、自由主義者、反戦運動家への弾圧が進められた。

安倍・自民党やその支持層の恐ろしいところは、戦前の帝政・権威主義・ミリタリズムを肯定し、その侵略性、暴力性、違法性を否定する同じ口で、現在の民主主義を否定し、暴力行使の拡大を唱えている点にある。喩えるなら、婦女暴行と連続殺人を犯した重大犯が、恩赦で出獄してきたところ、自らの犯罪性を否定、「正当防衛」などと言い張って、またぞろ拳銃やら日本刀を見せびらかしながら歩いているようなものだろう。この場合、仮に護身用ナイフの携帯が許されるとしても、それは過去の犯罪に対する深い反省が前提となるはずであり、自らの犯罪性を裁判官のせいにしているものが勝手に武装して歩いていれば、近隣住民が怯えるのは当然のことだ。
戦後の日本は、天皇制を始めとする権威主義を一部温存する代償として軍備を放棄したはずだが、いつの間にか再軍備だけ果たして、今度は不徹底に終わった民主化の殻を脱ぎ捨てて権威主義体制へと向かいつつある。
日本を占領支配したGHQは、日本の軍閥勢力を過剰評価していたことと、民主化が十分に進む前に米ソ対立が先鋭化したことがあって、急速に天皇制を中心とする権威主義の一部温存を容認、現行憲法の成立と公職追放の早期解除に進んでいった。東西対立の中で、日本を西側陣営の一員として迎え、極東の防波堤となすことは、アメリカにとって急務だった。また、最も大きい賠償請求権を有していたと考えられる中国は、国民党と共産党が激しい内戦を戦っており、国民党としては内戦を有利に戦うためにも米国の戦略に応じて、「軍部悪玉論」に賛同、「日本国民は無罪」として賠償請求権を放棄した。
(中略)
「軍部は悪くない、オレたちも悪くない」「帝政は戦後民主主義よりも優れている」「悪いことしてないんだから賠償なんかしない」「再軍備して海外派兵もビシビシやるぜ」「中国人は騒ぎすぎ」「ロシア人は領土よこせ」「韓国人は黙ってろ」などという主張が、本当に国際社会に通用すると思っているのだろうか。
周りの人間が全員狂ってしまうと、人は「ひょっとして狂っているのは自分の方なのではないか」と考え出す傾向にあるというが、今の日本はまさにそこに近づきつつあるのだろう。
分かりやすい歴史解釈のために:日本の戦後処理について

私個人は、「日米安保を肯定する限り、集団的自衛権も安保法制も完全に否定することは出来ない(でもやめて、東アジアの集団安全保障体制を模索した方が良い)」という立場に立っている。しかし、現在の自民党と右派が突き進んでいるのは、戦前の「(ナチス・ドイツの)バスに乗り遅れるな」と同じ過ちとしか思えない。
posted by ケン at 11:50| Comment(4) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

またバラマキきゃ?!

【若年低所得層に「商品券」 補正予算案、消費刺激 政府方針】
 政府は23日、景気刺激のため編成する平成28年度補正予算案の目玉として、若年層の低所得者対策を盛り込む方針を固めた。生活必需品などの購入に充てられる商品券の配布を検討する。1月に成立した27年度補正予算は高齢者への臨時給付金が柱だったが、若年層の消費の落ち込みが目立つため、ピンポイントでテコ入れを図りたい考えだ。
 これまでの低所得者対策は「賃金引き上げの恩恵が及びにくい」(菅義偉官房長官)などを理由に高齢者向けが主だった。しかし、1月の家計調査(2人以上世帯)では、34歳以下の若年層の消費支出が前年同月比11・7%減と大幅なマイナスで、全世帯平均の3・1%減と比べても落ち込みが目立った。
 政府は低迷する個人消費の底上げを図るためには、若年層の消費刺激策が欠かせないと判断。貯蓄に回る可能性が指摘される給付金ではなく、商品券の配布を検討している。低所得者の対象や事業規模などの細部は4月から詰める。
 内閣府の調査によると、21年度に配られた定額給付金は、高齢者世帯よりも子育て世帯の方が受給額から消費に回す割合が多く、今回の措置は消費底上げに一定の効果が見込めそうだ。
 低所得の高齢者に1人当たり3万円を配る27年度補正予算の臨時給付金は、与野党から「なぜ高齢者ばかり優遇するのか」などと異論が出ていた。参院選を控え、若年層向けの支援策をアピールする狙いもある。
(3月24日、産経新聞)

また選挙前にバラマキかよ!
自民党は国民を買収することしか考えてないし、霞ヶ関は政策的責任を放棄しているな。カネをバラ巻くだけなら議会も政府も要らないだろう。
特に与党の一角を占めるKM党が、伝統的にバラマキ好きであるだけに、拍車を掛けている格好だ。
政府の役割は、貧困化が進む若年層の生活水準を底上げすることにあるはずだが(国民の生活保障)、安倍政権はその役割を放棄して一時金を渡して済まそうとしている。それは自己の存在意義を否定するものでしかない。
とはいえ、たとえ形式上であれ、日本は議会と民主主義を導入しているだけに、選挙で選ばれた自民党政権の責任は有権者に帰せられる。独裁の責任は独裁者に帰せられるが、民主主義の責任は有権者に帰せられるのだ。
posted by ケン at 11:00| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月26日

気分はもう梅雪?

【民進党政調会長に山尾志桜里氏を起用へ】
 民主党と維新の党は、27日に始動する民進党の政調会長に民主の山尾志桜里衆院議員を起用する方針を固めた。山尾氏は待機児童問題をめぐる政府への追及で注目を集めており、主要ポストに当選2回の若手を据えて党の刷新イメージを強調する狙いがある。代表には民主代表の岡田克也氏が就くことが決まっており、幹事長には民主の枝野幸男幹事長を続投させることも新たに固まった。岡田氏は維新から代表代行として、松野頼久代表か江田憲司前代表を迎えたい考えだが、両者はこれまでの調整で固辞している。山尾氏は検察官を経て、2009年の衆院選で民主公認で愛知7区から立候補して初当選。12年に落選したが、14年に再選を果たした。今国会で匿名ブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」を取り上げ、安倍晋三首相を追及。待機児童問題などに取り組んでいる。
(3月24日、朝日新聞)

人気取りのために人事を利用するような組織は長く続かない。政調会長というのは、左右の幅が広すぎる党内を調整して一つの政策に集約する役割を担うだけに、高度な交渉力とタフネスが要求される。例えば、原発政策一つとってみても、民主党内には即再稼働・原発推進派から即廃止派まで大きな開きがあり、新綱領制定に際しても「2030年代原発稼働ゼロ」の当初案が「原発に頼らない社会」へと書き換えられている。「頼らない」というのは客観的指標の無い主観的表現であるため、仮に原発依存度が50%を超えていても「頼ってはいない」と強弁することも可能なのだ。だが、かような表現をとることで、左右両者を一時的に納得させるという的テクニックになっている。当選2回の山尾氏にそうした手練手管が使えるかは大いに疑問だろう。

それ以上に氏には大きな瑕疵があり、人格的に問題を抱えている。さすがにここで述べるわけにはいかないが、遠くない将来、「センテンス・スプリング」に暴露される可能性が高い。
そう考えると、むしろ氏のクビ(スキャンダルネタ)を持って自民党に投降して、所領を安堵してもらうのが吉のような気がしてならない。
いずれにせよ、この人事は敵方に調略カードを渡してしまったようなものであり、岡田執行部がそのツケを払わされる日も遠くないだろう。
posted by ケン at 17:00| Comment(4) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

批判する前に権限強化を

【<中学生虐待>警察や児相指導むなしく 自殺図り2月死亡】
 相模原市児童相談所は22日、両親から虐待を受けて児相に通所していた男子中学生が自殺を図り、今年2月末に死亡していたと明らかにした。生徒は虐待が続くため保護を求めていた。児相は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方向に向かっている」として、親の承諾なしに強制的に親から引き離す職権での保護を行っていなかった。鳥谷明所長によると、生徒が通う小学校の教師が2013年11月、生徒の額が腫れて顔に傷があるのを不審に思い、市に通報した。児相が経過を見ていた14年5月末、生徒は深夜にコンビニエンスストアに逃げ込み「親に暴力をふるわれた」と店員に助けを求め、警察官に保護された。
 児相は両親から事情を聴いた上で虐待事案と認定。虐待をやめるよう両親を指導し、6月から男子生徒と両親を一緒に毎月1〜3回程度、児相に通所させた。だが10月上旬、生徒は親の体調不良を理由に通所しなくなり、児相職員が学校を訪れて生徒と面談していた。生徒は11月中旬、近くの親族宅で首つり自殺を図って意識不明となり、重度心身障害となった。昨年6月、児相に入所して暮らしていたが、容体が悪化して今年2月末に死亡した。
児童相談所は、虐待を受けた子どもを親から引き離し、一時保護することができる。子どもの安全を確保することが目的で、情報収集や保護者への調査がしやすくなる。原則は子どもや保護者の同意を得るが、放置することが「子どもの福祉を害する」場合は、職権で強制的に保護する権限を持っている。鳥谷所長は「一人の尊い命がこういう形で失われたことについて大変深く、重く受け止めている。職権で生徒を保護するだけの緊急性、差し迫った状況はないと判断した」と説明している。
 厚生労働省は、職権による一時保護について通知で「保護者の反発をおそれて控えるのは誤り」としており、子どもの救出のための積極的な活用を求めている。厚労省虐待防止対策室は「今回の事案については事実関係を相模原児相に確認中」としている。
(3月22日、毎日新聞)

児童相談所は、基本的に都道府県の管轄だが、政令市は希望して厚労省に申請すれば設置が認められるものの、そのハードルは高く、相模原市の場合、ようやく許可が下りて設置した矢先の出来事だっただけに、不幸としか言いようが無い。
この手の事件が起きると、決まって児相や行政機関が非難される。この件でも私の知る自治体議員が「児相を厳しく追及しなければならない」旨を宣言していたが、全く人気稼業というのは度しがたいもので、果たしてこの連中がどこまで児相の実態を知っているのか、甚だ疑問がある。
私の場合、政党機関紙の編集に携わっていた時に、児童相談所の問題について調べたことがあるし、母親が児童福祉の専門家であることから、少なくともその辺の議員よりは実態を知っていると思う。

児童相談員(正確には児童福祉司など)は、「虐待された子どもを保護し、子どもに最適な進路を提示して支援する行政官」と定義されよう。理念としてはその通りで、その仕事に憧れる学生も少なくない。
だが、その実態は非常に危険を伴う仕事で、例えば児童虐待を行う親は、ヤクザやチンピラ、精神不調者、あるいは意思疎通が困難な外国人(それも滞在許可が無かったり)であるケースが多い。少し想像力を働かせれば分かると思うが、ヤクザや精神不安定な者の家に、その子どもを「奪」いに行くわけなのだから、何らかの抵抗があるのは当然なのだ。だからこそ警察官は強制執行権と武装を持っているわけだが、児相にはそれが無い。危ないことをしたくないのは誰も同じだろう。子どもを虐待していると分かっているとしても、ヤクザの家に丸腰で行くのは、とてつもない勇気と義務感が求められるが、個人的な勇気と義務感に頼らざるを得ないというのは、行政システムとして間違っている。
また、ある家庭で虐待が行われていると通報があったとしても、相談員は捜査権が無いため、「行くだけ」になってしまうケースが多いことも保護の難易度を上げている。

厳密には、法改正を経て児相にも一定の執行権が付与されたが、警察のように強いものではない上、強制権を発動させるためには非常に多くの要件が課されている。そのため、強制執行権が発動される前に、「手遅れ」となるようなケースが起こってしまう。現に、記事のケースでも両親が拒否したことで、児相側は強制執行を断念している。
全体的に見れば、日本の児童相談所は、ロクな権限も与えられていない中で、十分以上の効果を上げていると思われるだけに、個別の事件で全体が強く非難されるのは不条理にしか思えない。
また、強制執行(児童保護)などを行う際に、警察官の協力を得ることは、ようやく理解を得つつあるが、それ以外の家庭訪問時にも相談員は大勇を振るわなければならない状態に置かれており、個人的勇気に依存するシステムは改善されてしかるべきだろう。

民法が改正されて、虐待を理由に家裁が親権停止を命じられるようになったのは、わずか5年前のことであり、それも停止期間はわずか2年と短すぎるものだった。それすらも、民主党政権で無ければまず実現不可能だっただろう。日本では、虐待防止よりも親権保全が優先されており、このことも虐待を助長していると言える。
新しい男と付き合うために、わが子を養護施設に入れてしまう母親。かと思えば、「別れたから」と平然と子どもを引き取りに来る。
「医療費がかかる」「ケガ(虐待)がバレる」と受診はおろか、健康診断や予防接種すら拒否する親。
十年も連絡なかったくせに、生活保護や障害年金目当てで、突然子を引き取りに来る父親。しかも、「金はもらえない(増えない)」と分かった途端にまたトンズラしてしまう。

常人には信じられないような話だが、児童相談所では「ごく当たり前」の話であり、同様の案件を児童福祉士が一人で下手すれば何十件と抱えている。
人手不足で手が回らず、故に虐待を十分に察知できず、虐待が発覚すると、今度は「オンブズマン」などから非難されて、精神を壊していく、児童福祉行政の現場がある。
こんな親たちでも、親権は絶対的なものであり、「引き取る」と言われれば、拒否できないのが従来の法制度だった。子どもはもちろんのこと、児童福祉士たちの苦悩や心痛は察するにあまりある。
「親権の停止」に向けた民法改正はずっと以前から叫ばれてきたが、ことごとく拒否してきたのが、自民党を中心とした保守派(民主党の中にもいる)であり、「親子の絆を割くのか」というのが彼らの主張だった。
虐待防止で親権停止へ

自治体における生活保護や児童相談部門は、最も激務な上、児相については身の危険すらも伴うわけで、現実問題として配置された新人職員の多くが一年以内に辞めてしまったり、病気休職したり、あるいは異動願いを出すという。いわば、自治体業務の中でも有数の「ブラック部門」であり、その認識を持たずに批判するのは控えるべきだろう。
posted by ケン at 13:16| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする