2016年04月29日

【事前ノート】ペレストロイカを再検証する

狭い業界だから誰とは言わないが、歴としたロシア・ソ連研究者が「ゴルバチョフは、自らの改革のスピードについていけなくなって、行動不能に陥り、支持を失っていった」旨を述べているのを見て驚かされた。また、ゴルバチョフがインタビューで、ソ連崩壊の一因として「原油安」や「チェルノブイリ」を挙げているのにも、「おいこら、ちょっと待てや!」と声を上げてしまった。さらには、大御所の先生までもが、「1990年頃には、ソ連という国は事実上の社会主義離れを遂げつつあった」と書いているのを見るに至り、絶望的な気分にさせられた。一つには、歴史学や政治学の視点と、経済学の視点では、評価が異なりうることがあるのだろうが、現地で生活した者として、また今現在政治の現場にある者として、違和感を覚える見解ばかりだった。
「ソ連はなぜ崩壊したか」は、私にとって非常に重要なテーマの一つであり、ずっと細々と資料を読み込んできたが、定説化しつつある評価がどうにも納得がいかないので、一念発起して中間報告的な記事を書こうと準備している。

日本における一般的なペレストロイカの評価は、大きな危機意識を持ったゴルバチョフが共産党書記長の座について「上からの改革」を進めると同時に、「下からの運動」を推奨したところ、改革のスピードが現実に追いつかなくなり、保守派と急進派の板挟みになったゴルバチョフは身動きが取れなくなって、大衆的支持を失っていった、というストーリーに基づいている。それは、優秀な指導者が孤軍奮闘するも、時代の大波に飲み込まれて挫折していったというストーリーであり、大衆の判官贔屓を刺激するものではある。
だが、経済史の側面を注視すると、悲劇よりも喜劇的とすら言える流れが観測される。

例えば、ペレストロイカは1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとともに始まったと見て良いが、その目的は文字通り「(国家)再建」にあった。話は前後するが、結果的にソ連を崩壊させたのは財政的要因が大きく、一義的には市場経済化による経済成長を実現できなかったこと、二義的にはアメリカとの軍拡競争の財政負担に堪えられなくなったこと、三番目の理由として同盟国支援の経済負担に堪えられなくなったことがある。
つまり、ゴルバチョフがどこまで自覚的だったかは別にして、ペレストロイカの急務として挙げられるのは、「市場経済化による経済再生」「軍備負担の削減と軍需産業の民需転換」「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」、そしてもう一つ加えるなら、市場経済化と関連して「補助金漬けの赤字財政の解消」があった。

ところが、ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。大御所が指摘するところの「社会主義離れ」とは裏腹に、現実は全く「社会主義離れ」ができなかったのだ。

社会主義体制下では「存在しない」とされた財政赤字を実質的に補填していたのが、資源輸出だったわけだが、1980年代後半には原油価格が低迷し、その赤字補填力は失われていった。ゴルバチョフはこれをペレストロイカ失敗の要因の一つに挙げているわけだが、凄まじい放漫財政を放置したまま、外的要因による歳入不足に失政の責任を負わせるのは、為政者として公正な評価とは言えない。なお、西側では、チェルノブイリ事故処理費やアフガニスタン戦費が財政に大打撃を与えたと今日でも信じられているが、89年で前者は60億ルーブル、後者は50億ルーブルで、歳出に占める割合は各々1%程度と、一国を崩壊させる要因と言えるものではなかったことが分かっている。

つまり、1990年の時点でペレストロイカの改革は殆ど進んでおらず、目標達成の目処すら立っていなかった。かろうじて合格点を出せるのは、「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」であったが、それは他の問題をカバーできるほどのものではなかった。
卑俗に喩えるなら、ゴルバチョフは、四教科の宿題を出されながらも何一つまともに終わらせることなく、新学期を迎えてしまった小学生でしかない。

ゲームで喩えるともっと分かりやすい。GJ社の『信長最大の危機』は、織田信長が、「浅井・朝倉」「本願寺」「三好三人衆」などの敵に囲まれる中、さらに「武田」「毛利」「上杉」から攻め込まれるシチュエーションになっている。後半の強敵のうち最も早く参戦するのが武田信玄なのだが、武田が参戦する前に「浅井・朝倉」「長島一揆」「三好三人衆」のうち最低2つ片付けられる(滅亡させる)かどうかが、織田家勝利のカギとなっている。これを我々は「宿題」と言うわけだが、宿題を片付ける前に武田が参戦してしまうと、兵力の集中ができず、武田に有効な打撃を与えられないため、そのうち毛利と挟み撃ちにあって投了せざるを得なくなる。逆に「宿題」をきちんと片付けられれば、信長は余裕を持って信玄と対峙できるので、信玄側も防勢に立たざるを得なくなる。
ゲームプレイヤーとしてのゴルバチョフは、「浅井・朝倉」も「長島一揆」も手を付けぬまま、武田と毛利に攻め込まれて瓦解してしまった信長みたいなものだった。そこでもう一度、1990年時点のゴルバチョフの宿題進捗度を確認してみよう。
・市場経済化による経済再生:企業民営化率1%、自由価格率5%

・軍備負担の削減と軍需産業の民需転換:軍事費ほぼ横ばい、軍需部門における民生品生産は統計上40%を超えるも実態は微妙。

・同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化:対社会主義国貿易比率は86年の67%から89年で62%に。駐独ソ連軍の撤退開始は89年。

・補助金漬けの赤字財政の解消:食糧価格調整金、企業補助金ともに割合増加。

これを見て、合格点をやる教師はいないだろう。ペレストロイカでゴルバチョフが優先すべきは、「民主化」ではなく「経済再生」だった。国営企業の民営化を促進し、価格を含む流通の自由化を進め、重工業偏重を改めて資本をハイテク産業と軽工業に充て、国家財政を食い潰していた各種補助金を大幅にカットして健全化する必要があった。だが、現実にはどれも実現すること無く、時間切れを迎えたのが、ペレストロイカだった。ゴルバチョフの失敗は、経済改革で発動すべき強権を、自らの民主化改革で手放してしまい、制御不能に陥ってしまったことにある。また、ゴルバチョフ自身も、時期の確認はできないが、ペレストロイカ末期にスリューニコフ経済担当書記が、軍需部門の投資予算を民生消費財の購入に回す提案を行った際に、これを拒否していることからも、どこまで「ゲーム(勝利条件)」を理解していたか疑問符を付けざるを得ない。
ゴルバチョフは、「改革派」として政治局でも中央委員会でも満場一致で選出されながら、いざ諸改革を進める段になると、共産党員はほぼ例外なく抵抗していた。「総論賛成各論反対」の極地とも言える現象だったが、これを排除するためには、スターリンばりの強権が必要であることに、本人は最後まで気づかなかった、あるいは考えないようにしていたと見られる。
これらを全てゴルバチョフ個人の責任に帰するのは無理があるものの、「分かっているはずの宿題をやらなかった(できなかった)」理由と原因については明確にする必要がある。それは、今後の日本の運命を占う上で貴重な教訓となるはずだ。

【追記】
ゴルバチョフは、言うなれば、無自覚なまま西側社会に対して「接待プレイ」を演じて自国を崩壊させてしまったゲームプレイヤーだった。その「接待プレイ」故に、西側では今日に至るまで高く評価されているが、ロシアでは今日でも最低級の評価しか与えられていないのは、以上の理由から説明される。2011年にレヴァダ・センターが行った世論調査では、ロシア人の6割が「ソ連解体は回避できた」と回答、「解体は必然的だった」の約2倍に達している。もっとも同調査では、半数がペレストロイカそのものに否定的であり、改革開始から四半世紀を経てもなお、ソ連型システムに疑問を抱いていないことを示しており、その評価は単純にはできないことも確かだ。
ソ連崩壊後、エリツィン政権下でソ連の工業資本は西側に買い叩かれたが、その全評価額はわずか50億ドルに過ぎなかった。エリツイン政権は、国営企業の株式と交換できるバウチャーを発行し、国民に無償で配布、国民はこれを委託・直接投資して、民営化が図られた。しかし、現実にはバウチャーの買い占めと転売が行われ、大衆の多くが資産を失い、巨大財閥が誕生し、現在に至るまでその禍根を残すこととなった。プーチン氏が、オルガルヒ(巨大財閥)を叩いて絶大な支持を得ているのも、ここに理由がある。これが理解できない、あるいは無視しているがために、メディアに登場するロシア分析は常に全く的外れのものばかりとなっている。

【追記2】
1989年から頻発した炭鉱ストにおける労働者側の要求の一つに、「月800グラムの石鹸の増配」というものがあった。アメリカと世界を二分していたはずのソ連と共産党政府は、この程度のものすら供給できず、ストライキされてしまうような存在であったことを、再確認しておく必要がある。つまり、社会主義を云々する以前に、統制経済・計画経済であるにもかかわらず、全く統制も計画もできなくなって、自由経済・市場経済に移行しようとして、それもできなかったのが、ゴルバチョフ政権の実情だった。
posted by ケン at 01:00| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

焼け石に水の保育士給与増

【<保育士>月給2%増、総活躍プラン明記へ…政府・与党】
政府・与党は、保育士の給与について月額2%の引き上げを盛り込む方針を固めた。5月中にまとめる「ニッポン1億総活躍プラン」に盛り込む方向だ。さらに、給与水準を他産業並みに引き上げることを念頭に、「競合する職種との賃金差をなくす」と明記する。保育士の給与を改善することによって保育士不足の解消を図るのが狙いだ。保育士の平均給与は約22万円で、全産業平均の約33万円より約10万円低く、特に物価の高い都市部では、低賃金を理由に保育士を離職する人が多い。一方、保育士資格を持ちながら離職している人は約70万人に上るとみられる。政府は2017年度末までに、保育施設を50万人分増やす目標を掲げており、保育士は約9万人不足するとされる。給与改善策により保育士が離職するのを防ぎ、資格のある人には保育職場に出ることを促したい考えだ。政府・与党は月給を2%(4000〜5000円)上げるために約400億円の財源を確保する方向で調整している。ただ、消費税率10%引き上げが見送られた場合は再検討する。
(4月16日、毎日新聞)

保育士の給与が22万円から5千円増えたところで、「5千円増えたから、また保育士やろうかな」と思う者がどれだけいるだろうか、という話である。この給与であれば、派遣社員をしている方が労働環境的にはるかに楽であり、むしろ全体的な人手不足の中で派遣単価が上がっているだけに、「派遣の方がずっと良い」という状態になっている。

保育士の資格取得者が70万人も同職に就いていないのは、「給与の低さ」の他に労働環境の劣悪さがある。特に近年、早朝保育や延長保育が普及しており、早番だと朝5時出勤や6時出勤で15時まで、遅番だと10時から20時、11時から21時という勤務体系になっている。しかも、恒常的な人手不足から定時では退社できないケースも多く、かつ残業してもサービス残業にされてしまうことが非常に多いといわれる。この辺は、十分に実態調査されていないため、そのブラック性が殆ど知られていないことも、資格者の離職を促進している。「都合の悪いことは調査しない」というのは、東西を問わず権力に共通するものだが、日本ではその傾向が著しい。

要は保育時間を「9時〜5時」で限定して、勤務時間の安定を図れば、たとえ給与を22万円に据えたとしても、保育士の安定確保は可能だろうと考えられる。
逆に早朝保育を実施するなら、「早朝労働」の市場価格に対応した保育料を設定して、保育士の給与に反映させる必要がある。だが、現実には保育料は実質的に公定価格であるため、早朝や延長保育の価格は相場よりも著しく低く抑えられているため、結果的に保育士の給与にも反映されず、そこを公費負担で補おうとするため、税金で400億円補填するという話になっている。

この問題を解決するには、二つの選択肢がある。一つは、6〜9時と17時以降の時間外保育の保育料を5割増しとか10割増しにするというもの。これによって、時間外保育の利用者そのものが減り、保育士の時間外勤務を減らせると同時に、給与増の原資ができる。もう一つは、時間外保育そのものを大きく規制し、同時に子育て中の勤労者に法律で「保育時間」を保障、キャリア上の不利とならぬようにすることである。
そもそも長時間保育を余儀なくされている、日本の労働環境そのものが著しくブラックである上、小さい子どもを長時間、閉鎖空間で複数の他者と同室させることも、情操教育上大いに問題がある。

焼け石に水の改革はむしろ害悪でしか無い。
posted by ケン at 12:20| Comment(3) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月27日

同日選はまだアルか?

4月24日の衆院補選は、与野党の一勝一敗に終わった。プロ市民や民進党執行部の中には「北海道5区もいける」との楽観論が流布していたようだが、我々「プロ秘書」の間では「5千から1万票差で負ける」との観測がなされていた。私も「投票率45%で1万票差で負ける」と予測していたが、実際には投票率は57%という高い数字を示した。投票率が高かったにもかかわらず、野党候補が負けたことは、それだけ政権の支持が硬かったことを意味する。災害の発生が政権側に有利に働いた可能性は否めないものの、もともと自民党の地盤が弱い上に、TPPで逆風が吹いているはずの北海道で、野党統一候補が1万票以上の差を付けて負けたことは、野党側にとって楽観できない情勢にあることを示している。同時に民進党執行部が楽観視していたことは、彼らの無能ぶりを露呈してしまった。

朝日や毎日新聞などは、「同日選見送り」などと報道しており、私の周囲でも、官僚を含めて同様の見方をする人が増えている。だが、それもまた楽観論であろう。

補選の結果は、「野党が結集すれば、政権党に十分に対抗できる」ことを示したと同時に、政権党側に「今ならば政権党側が勝てる(が、将来的には分からない)」と思わせる数字だった。
「公的資金を投じて株価を支え、企業経営は資金を無制限に供給して支える」という「アベノミクス」がすでに限界を迎えている中で、熊本地震が起き、いつ破断界が来てもおかしくない状況にある。少なくともピークは過ぎているだけに、下降線を辿る中で選挙を行うのか今のうちに行うのかという判断になっている。
この状況下で同日選を回避した場合、まず7月に参院選をやって自公側は一定の勝利を収めるだろうが、同時に野党共闘の「成果」も一定程度示されるため、衆院選に向けて共闘態勢が強化されてゆくことになるだろう。自民党としては、来年4月の消費再増税の前に解散・総選挙せざるを得ない状況にあるため、年内には「準備の整った野党」「さらなる景気悪化」という悪条件下で選挙することになりそうだ。
であれば、「景気悪化が進む前」「野党共闘が進む前」「民進党と連合の協力が不十分」などの条件下にある衆参同日選を7月に強行する方が「マシ」と判断するのが合理的だ。とはいえ、「大地震が起きたばかりなのに」という民意の反発(危機下における政治的空白)も想定されるだけに、最終的には安倍総理が「どっちをとるか」という話になる。

最終的にどうなるかは予断を許さないが、少なくとも「同日選見送り」という報道はミスリードと言えそうだ。

【追記】
北海道の補選では、40代以下の若年層が自公を支持、50代以上では野党有利という結果が出た。これは「リベラル」な主張が、戦後民主主義の受益層に親和的ながら、若年層からは支持されにくくなっていることを示していると考えられる。シールズがもっぱら団塊世代以上から人気を博しているのに比して、若年層には浸透していないことも、同じ傾向が読み取れる。詳細は後日に譲るが、「自由、反戦平和」と「労働、社会保障」を区別して主張しない限り、今後多数派の支持を得るのは難しくなっていくと想定される。

【参考】
自由民主主義の終焉 
posted by ケン at 12:03| Comment(5) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月26日

連合が自民傘下になる日

【連合、民進との関係格下げ 「連携図る」に変更 旧維新系を牽制】
 連合は民進党との当面の関係について、旧民主党時代の「連携、支援を強化」から「連携を図る」との方針に見直すことが13日、分かった。14日の中央執行委員会で方針を決める予定。民進党は旧民主党と旧維新の党が合流して旗揚げしたが、旧民主党を支援してきた連合としては一定の距離を置く姿勢を示すことで、官公労批判を繰り返してきた旧維新の党側を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。ただ、夏の参院選に向けた民進党の選挙公約を見定め、民進党が連合の掲げる政策を共有できる政党だと判断できれば「参院選に向け政策協定を締結する」としており、支援の継続に含みを残している。民進党は参院選比例代表に連合の組織内候補12人を擁立する。連合は平成28〜29年度の運動方針で「民主党との連携並びに支援を強化し、政策実現を目指す」と明記している。
(4月14日、産経新聞)

連合の中でも旧同盟系の民間労組は、なぜ自民党に鞍替えしないのかナゾでしかない。日本の場合、労働組合と言っても、労働者個々人の権利を擁護する存在では無く、利権団体の趣が強い。労働者個人と会社の間にトラブルが生じた場合、組合は「組合員全体の利益を考えて」使用者側に荷担、ないしは労働者を見捨てるケースが非常に多い。せいぜいのところ、弁護士を紹介して終わりという感じだ。いわゆる「労使一体」である。キャリアの面でも、日本の企業では、出世する上で組合幹部を経ることを重視するケースが多い。
7人いる歴代会長のうち、三代鷲尾、五代高木、現神津の三会長が東大出身であることに象徴されるように、連合はすでにブルーカラーのユニオンではなく、官公労や大企業の「エリート社員互助会」と呼ぶ方が相応しくなってしまって、とても「労働者代表」とは言えない存在と化している。
日本企業におけるキャリア形成の上でも、特に大企業を中心に労組活動への参加が推奨されており、労組幹部を経て管理職に至る道がキャリア形成の常道になっている。その結果、労使一体化が進み、資本家と労働者の利害の境が見えづらくなっているのが一般的だ。私が冒頭に挙げたNHKのケースは典型例で、「会社のためにならない組合員は追放すべき」という考え方が完全に普及している。同じような傾向はフランスなどでも見られる。
「連合は誰のために?」

この日本型キャリアの意味するところは、同じ人間が、30代までは労働側として民主党(民進党)を支援し、40代以降は経営側として自民党を支援するということである。言い換えれば、日本の大企業は野党で自民党応援団を育てているのだ。将来自民党員になることが分かっている連中が、まじめに野党を支援するワケが無いのは当然だろう。
同時に、将来のキャリア(利権)が約束されているが故に、組合幹部ほど組合員個々人に対して恐ろしく冷淡、残酷になることができる。非正規社員や派遣社員の増加が、さらにこの傾向を助長する。人員削減に際して、労働組合が経営側に協力的なのは、正社員の雇用を守るために、非組合員である派遣や非正規のクビを切ることに何の躊躇も抱かないためだ。経営側にとっても、派遣や非正規の処遇を操作することで、容易に労働組合の支持が得られ、しかも彼らの恨みは組合に向けることが可能であるため、何重にもメリットがある。

さらに言えば、産業別労働組合というシステムが、労働者と使用者の利害関係を一致させている。例えば、電力や電機はこぞって原発推進だし、繊維、基幹(鉄鋼・重工業)、自動車は軍備拡張に大賛成という具合である。結果、産別労組としては、微温的な民進党を支援するメリットは薄く、原発推進や軍拡を明確に掲げている自民党に親和的となるのは避けられない。
また、「労働者の待遇改善」の点でも、平均年収が600〜700万円に達する連合組合員の場合、賃上げ要求が主となり、次いで高度成長期に獲得された「既得権益」の護持が重要となる。自由競争が激化する中、それらの「原資」は、人件費削減でしか得られないため、その犠牲となるのは非正規社員か、下請けの中小企業ということになる。本来であれば、経営側と闘って労働分配率の向上を目指すのが筋だが、「いずれは自民党員の経営側」になる組合幹部たちが、将来の「自分たちのパイ」を削るという選択肢をとるわけがない。
「経営側と闘う」という選択肢が無い以上、「政権党にお願いして、経営側に頼み込んでもらう」というのが「次善の策」ということになる。連合幹部が、頻繁に官邸と折衝しているのはそのためだろう。現状で、連合が民進党を支援するのは、「いきなり自民に投降しても足下を見られるだけ」という要素もあるが、より現実には「どちらに政権が転んでも大丈夫なように」という保険の意味合いが強いとみられる。
2012年の総選挙の投票先について、某産別が調査したところ、民主党に投票した組合員は20%程度だったという。組織としての労働組合と個々の組合員の政治的志向は隔絶する一途にあるようだ。

労働者が「正規」と「非正規」などに分断され、非正規の割合が増えるほど、正社員の特権が顕在化し、自らの権益を守るために経営側に傾く選択が「合理的」となる。その権益を保護しようとすればするほど、経営側への協力を強化するか、非正規に対する弾圧を強めるかの二者択一が余儀なくされる。
それでも与野党の勢力バランスが拮抗しているなら、野党を支援することで自らの影響力を誇示できたが、すでに連合には組合員数の票すら出す力が無く(家族はおろか本人も投票しない)、民進党は衆議院に100議席もない少数政党の上、次の総選挙では現状維持すら困難な有様にある。とすれば、「消えて無くなる前に少しでも高く身売りしておくのが吉」と考えるのが道理だろう。冒頭の記事にあるような「維新の党を警戒して」などというのは明らかにミスリードである。

【追記】
先の選挙で落選した私の前ボスは、いまや上京時は四列座席の夜行バスを使うほど落剥しており、涙が出てきそうになる。ところが他方では、引退した連合組織内議員が毎年のように愛人を連れてビジネスクラスで海外旅行を満喫しながら、党や組合にカネを無心しに来ているのを見ていると、「この赤い貴族が!」と汚物を投げつけてやりたい気分にさせられる。
posted by ケン at 12:33| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月25日

報道の自由が72位に

【報道の自由「極めて確保」 菅氏、ランキング下落に反論】
 「表現、報道、編集、そうした自由は極めて確保されている」。菅義偉官房長官は21日の記者会見で、国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)による2016年の「報道の自由度ランキング」で、日本の順位が前年より11下がって72位だったことへの受け止めを問われ、こう語った。菅氏は「我が国は放送法で編集の自由が保たれている。憲法においても表現の自由が保障されている」と主張。14年末に特定秘密保護法が施行されて1年以上が経つなか、「報道が萎縮するような実態は全く生じていないのではないか。政府としては、引き続きこの法律の適正な運用を果たしていきたい」と述べた。国境なき記者団は、特定秘密法の施行により「多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」と指摘。「とりわけ(安倍晋三)首相に対して」自主規制が働いているとの見解を示している。
(4月22日、朝日新聞)

「報道の自由が59位に」を書いたのが2年前。そこからさらに下落を続けている。権威主義者が政権に就き、権威主義化を進めているのだから当然だが、安倍政権が続けば、2年前に書いた「私のイメージでは、グルジアやモンゴルのいる80番台くらいが適当」が実現する日も遠く無さそうだ。
ロシアなどでは政府に都合の悪い報道を行った機関には検察権力が介入したり、金融機関に対して融資停止の圧力が加えられる。他方、日本の場合、尖閣問題で取材に来た記者に対して、某議員が「領土問題は存在しないという従来のスタンスでは何も解決しない。まず問題は存在するという前提で対話を進めなければ、向こうも全く応じないだろう」旨を述べたところ、その記者は「それは政府見解と違いますが、よろしいのですか?」と聞いてきたという。

日本における「報道の自由度」の低さが、やや特殊なのは、権威主義体制下にある諸外国では公権力がメディアに直接圧力を掛けて報道と拘束する傾向があるのに対して、日本では政府から特権を付与されたメディアが自主的に政府の情報統制に協力しているところにある。その結果、日本政府や自民党は特別な法律や闇で圧力を加えることもなく、メディアは自主的に公権力側に都合の良い情報しか流さない構図になっている。

「国境なき記者団」の主張と、政府の主張に大きな隔たりがあるのは、ここに原因がある。つまり、日本では形式上の「自由」は担保されているものの、大手メディアが寡占状態にあるのは政府から付与された特権のためであるため、特権を管理する政府に不利な情報は、メディア側の自己保身上出さない。官房長官の「自由は担保されている」という発言の裏には、「メディア側が自主規制しているだけで、オレらは何もしてない」という意味がある。また、メディアはメディアで「オレらは、自分の都合で情報を取捨選択しているだけであって、自由にはやらしてもらっている」と思っているだろう。
一方、NGO側の認識不足は、日本の問題が秘密保護法や安倍政権に起因すると考えている点にある。確かに秘密保護法の影響は否定できないが、これは菅・野田政権下で準備されたものでもある(報道の自由度11位は鳩山政権時のもの)。民主党政権はその大部分の期間でメディアからの攻撃にさらされ続けたが、これは民主党政権がメディアの既得権益に手を付けようとしたためだった。その特権とは、

・記者クラブ:政府から情報提供の独占的便宜
・再販制:独占禁止法の例外
・クロスオーナーシップ:印刷媒体と電波媒体の寡占
・電波許可制:政府による放送統制
・軽減税率:免税特権


が象徴的だ。メディアが寡占状態になるほど、公権力との癒着が進み、「一心同体」になるため、不利な報道は控えるところとなる。
分かりやすい例を挙げるなら、大手メディアがオリンピックのスポンサーとなった結果、オリンピック反対論やオリンピックに絡む不正については、殆ど報道されなくなっている。これも、メディアが寡占状態にあり、スポンサーになれるだけの資本と権力を有しているがためで、結果として公権力と一体化してしまっている。これが、秘密保護法や安倍政権の問題では無いことは明らかであり、あくまでも日本社会におけるメディアの在り方を問うてこなかったことに起因している。ただ、歴史的には、戦争中に報道統制を強化するために、政府がメディアの統合を図ったことが、無反省に戦後に引き継がれてしまったところはある。

要は、日本のメディア界自体が権威主義体制に極めて親和的であるため、権威主義体制が確立すると、自ら進んで一体化しようとするインセンティブが働いてしまう。安倍政権は確かに問題だが、これを替えたところで「首のすげ替え」にしかならない。本質的には、現在大手メディアが有する諸特権をことごとく廃し、寡占状態にある新聞社や放送局を大分割することこそが、不可欠なのだ。

【追記】
政府側の対応が相変わらず酷い。「主旨を踏まえて改善して参ります」とだけ言えば良さそうななのに、ランキングされた当時者が「不当だ!オレを悪者にする陰謀だ!」などと騒ぎ立てれば、悪印象しか持たれないのは当然だろう。
posted by ケン at 12:08| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

弁当ツイートに見るマスゴミ人の問題点

【弁当ツイートで炎上の毎日放送・山中アナ、局には400件超える抗議殺到】
 熊本で地震の取材にあたっていた大阪・毎日放送(MBS)の山中真アナウンサー(39)がツイッターで弁当など自身の食事に関する投稿を連発し、「遠足気分のアナウンサー」「食料持参しろよ、被災者に迷惑かけるな」などと批判されていたことが19日、分かった。山中アナは「被災地のみなさんに不快な思いをさせてしまいました」とツイッターで謝罪。問題のツイートを削除した。
 同局によると、山中アナは15日から熊本入り。16日夜、ツイッターに「やっと今日の1食目。食料なかなか手に入りにくいです」と書き込み、弁当の画像を投稿した。17日にも「ホテル前のラーメン屋さんがやっているのでそこで夕食頂きます」と投稿。現地では食料の入手が困難な状況が続いており、ツイッターには「被災しとる人の横でも食べれますか?」「あなた以上に現地の方は食料を求めている」(原文ママ)などと批判が殺到した。
 同局にもこの日午後5時までに、400件を超える抗議の電話やメールが殺到。広報部は「あまりにも配慮に欠ける行為だった」と謝罪した。山中アナはこの日、大阪に戻って情報番組「ちちんぷいぷい」に生出演したが、ツイートについての言及はなかった。
(4月20日、スポーツ報知)

結局のところマスゴミ人の問題は、「自分たちは他者のプライバシーや悲劇を商品化して売りさばくことで生活している」という自覚が無いところに起因する。私の周囲にいるマスゴミ人も、飲めば「ふるさと納税で和牛10kgもらったけど食い切れない」だの「俺も租税回避できないかな」だの言いつのり、フェイスブックを見れば「外車を乗り回してフレンチのフルコース」みたいな自慢話という具合で、その連中が「被災地はこんな大変なんですぅ〜」と報道している。それがあからさまなところに、SNSでホンネを語ってしまうのだから、反発を喰らうのは当たり前だろう。
少し昔であれば、報道陣がいくら給料をもらってどんな生活をしているかなど、業界人しか知らなかったが、今日ではSNSでダダ漏れになってしまっているわけで、その辺も考慮して行動しないと、手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。そこはまさに自己責任の世界であろう。
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2016年04月22日

自由民主主義の終焉

現状、私の周囲には「リベラル派の結集を」とか「デモクラシーを守れ」的な主張をする人が多いわけだが、果たしてリベラリズムとデモクラシーは我々が直面する経済的課題を解決するのか、という根源的疑問がある。貧困が加速している背景には、自由経済と自由貿易があるわけで、同時に貧困層の増大がデモクラシーへの不信を強めている。にもかかわらず、「自由と民主主義を守れ」と主張してみたところで、支持が広がらないのは当然なのではないか。
例えば、ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べておられる。米欧日で起きているのは、まさにこれなのだろうと考えられる。

デモクラシーは主権者間の平等に、権力の正統性を置いているが、経済格差が深刻化し、平等性が侵害されている今日、その正統性が揺らいでいると見て良い。
近代国家の命題は、例外なく工業化(経済成長)にあり、それは権威主義国家であれ、民主主義国家であれ同じだった。だが、いざ工業化が実現すると、国家は命題を失うと同時に権力の正統性が危機を迎えた。この危機に際し、西側は消費社会とグローバル化で乗り越えるが、ソ連・東欧ブロックは産業構造のシフトに失敗、権威主義国家の権力源泉である権威そのものが国民の信頼を失って瓦解していった。
他方、西側は産業構造のシフトに成功したものの、今度はグローバル化と激しい自由競争にさらされる中で、経済格差と貧困が進行、民主主義国家の権力源泉である平等性を喪失しつつある。そして、平等性の喪失に対して、現行の政党や議会がほぼ無力であることが、デモクラシーへの不信となり、権威主義や排外主義への支持の源泉となっている。

基本的には、市場を自由化すれば自由化するほど、グローバル化すればグローバル化するほど、市場内の競争が激化すると同時に、比較劣位にある産業が危機にさらされやすくなって、生活者の経済基盤が不安定になる構図になっている。だが、西側を支配するエリート層は、自由経済の恩恵を受けることが最も大きい層であるがために、これを是正するインセンティブが全く無い。
具体的には、日本の政党のTPPに対する態度を考えれば分かりやすい。自由貿易を促進するTPPは、確実に貧困と経済格差を大きく拡大させる。自民党は、TPPに反対することで貧困層の支持を得て政権奪回を果たしたが、その主張をあっけなく翻して推進役に回ってしまった。一方、民主党はといえば、鳩山政権は一切触れることが無かったにもかかわらず、官僚統制下にあった菅政権が成立すると、途端にTPP推進を打ち出した。そして、今日でも色々野党として文句はつけているが、「TPP推進」のスタンス自体は撤回していない。結果、日本の国会議員の9割以上が「TPP賛成」になっているが、この状況を生み出したのが「議会制民主主義」であるだけに、デモクラシーに対する不信は今後ますます加速して行くものと見られる。

少し視点を変えてみよう。ソ連・東欧ブロックが崩壊したのは、統制経済と権威主義を同時に二つとも破棄・転換しようとして制御不能に陥ったことが大きい。これに対して、中国とベトナムは統制経済のみ放棄することで危機を乗り越えた。今のロシアでゴルバチョフ氏の評価が恐ろしいほど低いのは、ここにも一因がある。そして、今度は、西側ブロックが、自由経済と民主主義の二つを同時に維持するのが困難な状況に陥っていると考えられる。
米国大統領選挙を見た場合、自由経済と民主主義という従来路線の筆頭にヒラリー氏がいて、そのアンチテーゼとして、自由経済に否定的なサンダース氏と、共和党側にデモクラシーに否定的なトランプ氏がいる構図で、対立軸と選択肢がある。ヒラリー氏が苦戦している背景には、「従来の自由民主主義路線では、現状の諸課題は何も解決できないのでは?」という不信があるからだろう。言うなれば、ヒラリー氏の主張は、1985年のソ連で「ペレストロイカなど必要ない」という共産党保守派のそれなのだ。

今の日本を見た場合、自民党と霞ヶ関は、自由経済を維持しつつ、民主主義を否定して権威主義化することで、社会保障を切り捨てて危機を乗り越えようという選択肢を示している(明言しないところがタチが悪い)。これに対して野党は、「自由と民主主義を守れ!」で合同・協力を図ろうとしているわけだが、これは米国のヒラリー氏やソ連共産党保守派の主張と同じ文脈のものでしかなく、現状の諸課題への対応策にはなり得ない。一定の既得権益層には訴求力があるとしても、既得権益から外れた貧困層には「エリートのボヤキ」程度にしか聞こえないだろう。こうした状況は、歴史的に見た場合、昭和期の社会主義政党の中で「反戦平和」を訴えた日本無産党が支持を得ず、「広義国防」を訴えた社会大衆党が競争に勝ったケースが傍証となる。

現代の広義国防派? 

そう考えると、民主主義の破棄を進める自民党・霞ヶ関への対案は、「自由と民主主義を守れ」ではなく、「自由経済・自由貿易の否定」から「統制経済の部分的導入による社会保障制度の維持」という主張になることがイメージされる。だが、貧困が急速に進んだ場合、デモクラシーそのものが支持されず、機能不全に陥る可能性が高く、その場合、国家社会主義路線の復活を考慮する必要がある。私も5年後や10年後には、国家社会主義者に変身しているかもしれない。かつての浅沼先輩のように(爆)

なお、以上はあくまでも思考実験の段階に過ぎず、是非とも同志諸兄と良く検討して、理論武装を進めたいので、ご協力のほどお願い申し上げます。
posted by ケン at 12:17| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする