2016年07月04日

参院選が盛り上がらないワケ

子どもが進学するし、親が要介護になってお金が足りない、近隣の治安も悪くなってきたしなどと言っている割に、「アベさんが給料増やしてくれるから大丈夫」とか「学生ローン借りるから大丈夫」とか言っている人を信用できますか、というのが今回の選挙のキモだのはず。
だが、実際にはみんな「増税先送りされたから、もうどうでもいいや」と思っているようで、選挙も全然盛り上がっていない。

最大の要因は、やはり安倍総理が先手を打って「増税先送り」を宣言し、これに同調するマスゴミはその意味するところ(アベノミクスの失敗と財政破綻の先送り)を説明せず、国民の多くが「よっしゃ、よっしゃ」となってしまっていることにあるだろう。
増税先送りの財源について、政権側は「税収の増収分で賄える」と説明したのに対し、民進党は「(赤字)国債で賄う」と返している。だが、税収増は好景気の証明でもあるはずなのに、不景気を理由に増税を先送りにするという説明は、論理が破綻しているにもかかわらず、マスゴミはそこを追及しない。自民党の主張は、まさに「朝三暮四」そのものだが、諸手を挙げて歓迎する国民があって成立している。
もっとも、一方の民進党も「若年層対策を重視」などと言っている割に、国債を発行して後世にツケを回そうとしており、どちらも不誠実極まりない。
そして、自民党は巧妙に争点を設定せず、マスゴミも選挙の争点には触れないため、何を問う選挙なのか、有権者の間に全く広まっていない。私も何度か電話掛けに従事したが、「あぁ選挙やっているんですね」くらいの反応が非常に多く、「これは厳しいな」と感じている。

安倍政権と自民党が「国民に政治に関心を持たせない」戦略を採って、成果を挙げているのに対し、投票率を上げないと勝ち目の無い野党側は宣伝に失敗している。「民共合作」の影響もあって、民進党が「改憲反対」「反戦平和」を自らの争点にしてしまった結果、大衆の関心と遊離してしまっているところが大きい。どの世論調査を見ても、有権者の関心が最も高いのは、「景気対策」「雇用」「福祉」であり、憲法や安全保障、あるいはエネルギー政策は五指にすら入らない。
私はかねてより、「党の主張は労働政策と貧困対策を主軸にせよ!」と訴えてきたが、故あってのことだった。民主党が、2007年と09年の選挙に大勝したのは、「コンクリートから人へ」「農村・地域社会重視」が、自公政権への対抗軸として認められたからだった。

・若年層対策は労働政策で 

年寄りや「意識高い」系の人々は、ついつい「自由と民主主義を守れ」という主張に走ってしまいがちだが、政治的エリートが陥りやすい陥穽である。現行の憲法と民主主義体制が、貧困を蔓延させたまま放置して、中間層の没落と低所得層の拡大を促進しているにもかかわらず、「自由と民主主義を守れ」と唱えてみたところで、ロシア革命時の立憲君主派(カデット)くらいの扱いしかされないのは当然だろう。
自国の歴史を見ても、昭和前期の社会主義政党間の競争は、反戦平和を唱えた日本無産党ではなく、軍拡と労働福祉政策を唱えた社会大衆党の勝利に終わっている。
今の日本を見た場合、自民党と霞ヶ関は、自由経済を維持しつつ、民主主義を否定して権威主義化することで、社会保障を切り捨てて危機を乗り越えようという選択肢を示している(明言しないところがタチが悪い)。これに対して野党は、「自由と民主主義を守れ!」で合同・協力を図ろうとしているわけだが、これは米国のヒラリー氏やソ連共産党保守派の主張と同じ文脈のものでしかなく、現状の諸課題への対応策にはなり得ない。一定の既得権益層には訴求力があるとしても、既得権益から外れた貧困層には「エリートのボヤキ」程度にしか聞こえないだろう。こうした状況は、歴史的に見た場合、昭和期の社会主義政党の中で「反戦平和」を訴えた日本無産党が支持を得ず、「広義国防」を訴えた社会大衆党が競争に勝ったケースが傍証となる。
そう考えると、民主主義の破棄を進める自民党・霞ヶ関への対案は、「自由と民主主義を守れ」ではなく、「自由経済・自由貿易の否定」から「統制経済の部分的導入による社会保障制度の維持」という主張になることがイメージされる。だが、貧困が急速に進んだ場合、デモクラシーそのものが支持されず、機能不全に陥る可能性が高く、その場合、国家社会主義路線の復活を考慮する必要がある。私も5年後や10年後には、国家社会主義者に変身しているかもしれない。かつての浅沼先輩のように(爆)
自由民主主義の終焉

現時点で「戦争反対」と言ってみたところで、実際に戦場に行くのは志願した自衛官でしかなく、「自分が徴兵されて戦場に送られる」という危機感は殆ど共有されていない。仮に徴兵制が敷かれていたとしても、例えば日華事変が始まった時点での徴兵率(徴兵検査を受けて召集される人の割合)は20%に満たず、現実には昭和前期の人ですら「自分が戦場に送られる」危機感は薄かったという。この感覚が、1937年の総選挙の結果、日無党の敗北に繋がったことは言うまでも無い。
確かに、今後はいわゆる「経済徴兵」の傾向が強まって、貧困層の自衛隊入隊が加速する可能性は否めないものの、それですら少なくとも形式上は「志願」であり、「戦争に行かない自由」は担保され続けるだろう。しかも、経済徴兵される貧困層からすれば、「戦争反対」の主張は、「オレの唯一の機会をも奪うのか」という反発を覚えるに違いなく、エリートが「良かれ」と思う主張が、必ずしも彼らと共有できるとは限らない。
貧困と侵略の関係は現代にも適用できる。現在の日本で排外主義やタカ派的主張が増えている背景には、1990年代から増え続け、2000年代に顕在化した貧困や中間層の没落といった要素がある。不安定な非正規雇用は全雇用者の38%を超え、その平均年収は170万円に満たない。テクノロジーの進化はますます正規雇用や常勤職を不要にする。市場の要求に従う限り、「低賃金の時限雇用」の需要は一定数維持されるかもしれないが、常勤の正規雇用の需要は今後低下の一途を辿ると見られる。不安定な非正規雇用層の増加は、国内需要の低下に直結する。日本は所得再分配機能が小さく、教育費の私費負担が大きいことから、今後貧困層の再生産と少子化を加速させてゆく公算が高い。政府や政権党としても、国内の不満を国外に向けようとするだろう。実際、現在の安倍政権が対中、対韓強硬外交に走って、一部から熱烈な支持を受けているが、その傾向が加速されてゆく可能性を考慮しておく必要がある。
現状で貧困層が拡大しているにもかかわらず、不満が爆発して国内テロや侵略主義が蔓延しないのは、団塊世代が若年の貧困層を支えていることと、デフレによって生活費が比較的安価に抑えられていたためだが、団塊世代の高齢化と円安による物価上昇によってその効果は遠からず解消されると見て良い。その時に、貧困層の不満を吸収すべき左派勢力が脆弱な日本は、急速に右傾化、侵略国家化してゆく可能性が高い。
貧困と侵略−熱狂へ向かう日本

私の主張は党内あるいは左派内で完全に孤立しているが、どちらが正しいかは選挙の結果が明らかにしてくれるであろう。
なお、志願制・経済徴兵に伴うデモクラシーの危機については別途論じたい。
posted by ケン at 12:21| Comment(5) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする