2016年07月19日

関白秀次の切腹

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『関白秀次の切腹』 矢部健太郎 KADOKAWA(2016)

ちょっと前まで司馬遼の「殺生関白」が基本イメージだっただけに、今回の大河ドラマの秀次象はかなり改善されている。だが、それでも「気弱でお人好しなだけの坊ちゃん」になってしまっているのが惜しい。

史実的には、近江八幡の城下町は戦国期で唯一、上下水道が整備され、関東征討に際しては小田原城の公文書や金沢文庫を掠奪から守っている。また、小田原攻めの前哨戦となった伊豆山中城は、総大将として強襲を選択し、半日で陥落させた。北条氏降伏後の「奥州仕置」も名目上の責任者だったかもしれないが、無難にやり遂げている。
一般的には、十代で参戦した小牧・長久手戦の失敗だけを取り上げて無能者扱いされているが、現実には16歳あるいは12歳の若造が指揮するわけではなく、その責任は参謀・寄騎の責任に帰せられるべきだ。この一件をもって「凡庸」「無能」とするのは公正とは言えない。少なくとも、これ以外に大きな失策はしておらず、むしろ困難な任務を無難にこなしている観がある。朝鮮出兵にも反対だったようで、その辺から秀吉との軋轢が生まれたようだ。

近江八幡では、近代に至るまで「名君」と評価され、当時のキリスト宣教師たちは「太閤と違って、温厚な人柄で万人から愛された」と記しており、切腹に際しては多数の殉死者も出している。その遺臣は、石田三成に召し抱えられ、関ヶ原戦では最後まで奮戦した(これも従来説では真っ先に逃亡したことにされている)。舞兵庫(前野忠康)などはその典型だろう。
権力は常に自らを正当化するために政敵を貶め、自身を美化すべく、歴史を改竄するのだ。

本書は、秀次切腹(事件)にまつわる様々な説を、一次資料を中心に再点検して検証している。従来説の殆どが江戸期に書かれた二次資料を基にしているため、豊臣秀吉や江戸幕府の意向が強く反映され、「殺生関白」のイメージが形成されたのだろう。果たして、秀吉は最初から秀次を殺すつもりだったのか、一族処刑の背景にあったものは何だったのか。歴史検証の限界はあるものの、十分に説得力のある検証で通説を否定している。
改めて「通説を疑う」ことの重要性を認識させられる一冊である。
posted by ケン at 12:44| Comment(2) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする