2016年08月31日

部活動の全面廃止に向けて・続

【新人教員「過労死ライン」超え 部活指導が負担 名古屋】
 今年4月に新たに着任した名古屋市立中学校の新任教諭の「残業時間」が、月平均で100時間に迫ることが愛知県教職員労働組合協議会(愛教労)の調査でわかった。国が定める「過労死ライン」(月平均80時間)を超えていた。主な要因には、部活動の対応などがあるという。
 愛教労が22日、発表した。市立中の教諭はパソコンで出退勤時間を記録しており、市教委が行った初任者研修会の対象者65人全員分のデータを愛教労が分析した。勤務時間(午前8時15分〜午後4時45分)以外の在校時間を「残業」と見なした。
 月別平均は赴任直後の4月が93時間、5月が89時間、6月が98時間で、毎月20人以上が100時間超だった。最多では4月に177時間、6月に197時間の教員がいた。ほとんどが部活顧問を担当していた。
(8月23日、朝日新聞)

中高の教員は授業後に部活指導をして、それが終わってから各種事務作業と翌日の授業準備をするので、普通に夜10時以降まで「残業」になってしまうが、教職員の給与には「教職調整金」が含まれているため残業代が出ない。そもそも部活動は、正式な職務ではないため、「業務」として認められるのかどうかも定かでは無いという事実があり、問題をこじらせている。

ディープな部活になると、土日も練習、大会、合宿などがある上、当然のように代休も無いため、大会前などになると下手すると「一カ月間休みなし」のような状態に陥る。担当した部活動によって、教員の時間的余裕に大差が生じることも問題だ。

さらに深刻なのは、残業が月100時間以上になると産業医の面談・診察を受けなければならなくなるため、残業報告を同100時間未満に偽装している事実があること。これも「ごく当たり前」に行われているようだ。上記の記事でも、平均残業時間が「100時間のギリ手前」であることも傍証となる。

別の調査では新任教員の6割以上がクラス担任を任されており、3年以内の退職が高止まりすると同時に、全体的にも精神不調による休職者が増加、教員定数を満たせない学校が多くを占め、それを臨時教員がカバーするが、その臨教の待遇は恐ろしく悪く、教職の質を悪化させている。

教員の勤務時間に占める部活動の割合は10〜20%に上り、これに学校行事とクレーム対応を合わせると軽く30%を超える。日本における教員の平均勤務時間は週約55時間で、この30%を削除すると38時間になって、OECD諸国平均となる。同時に、勤務時間に占める授業関連の割合は5割超に達するが、これはまだOECD平均の65%には届かない。教員を授業に集中させるためには、まだまだ「ムダ」を排する必要があるが、まずは最低線として学校の部活動を全面的に廃止する必要がある。

学校は「市民として社会生活に必要な知識を習得する」空間であり、部活動はその目的を阻害してまでやらなければならないものではない。学校教育の本来目的に反するものは全面的に整理し、本来目的である学習のパフォーマンスを向上しなければならない。劣悪なパフォーマンスの教育を受けて、損をするのは大人や保護者では無く、子どもたち自身であるが、子どもは政策判断や意思決定に参加できるわけではないため、我々がその責を負う必要がある。
posted by ケン at 12:09| Comment(4) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

液状化進む民進党−静岡の場合

【<民進静岡1区、解散>県連、新支部設立へ 次期衆院選 分裂】
 民進党静岡1区総支部が、26日の緊急役員会で大半の役員の集団離党と総支部の解散を決めた。党県連は新たな総支部組織を設立する構えで、次期衆院選は分裂して戦う構図となる。  1区総支部は役員会で、候補者として弁護士青山雅幸氏(54)の支援を改めて確認。会合後の記者会見で、総支部長代行の小長井由雄県議は、浜岡原発の廃炉を求める訴訟に関わっていたことを理由に党県連が青山氏を擁立しなかった経緯を説明し、「県連と党本部が、(党を)一番底で支える総支部の意思を尊重しなかった」と批判した。
 一方、党本部は元会社役員福村隆氏(52)の擁立を決めている。党本部の決定を支持したため、この日の役員会への出席を認められなかった鈴木智県議は「残念の一言だ。党本部の結論に従ってまとまりたかった」と話した。党県連の岡本護幹事長は「離党、解散は熟慮した結果であり、止めるものではない。残った人たちで新たな気持ちでやっていく」と話した。
(8月27日、静岡新聞)

民進党で内部崩壊が進みつつある。
静岡で起きた本件の場合、地元支部が脱原発派の弁護士を擁立したことに対し、連合静岡が大反発、連合系議員が役員の大半を占める県連で公認を拒否された。その静岡県連は、別の候補を立て、支部との調整も不十分なまま本部に公認申請したところ、事情を十分に把握していない本部がそのまま認めてしまった格好となった。
構造的には、脱原発運動を始めとする市民派と原発を推進する労組・連合派が派閥抗争を行い、多数派の後者が少数派の前者を実質的に追放した形と言える。

問題となった衆院選候補を比較すると、支部が擁立した青山氏は、消費者問題、医療訴訟、行政訴訟などをライフワークとする地元の弁護士であるのに対し、県連・連合が擁立した福村氏はメリルリンチ証券の役員を長く務めた金融エリートである。
候補者の人柄や人物像までは分からないが、どう考えても青山弁護士の方が野党第一党である民進党に相応しい、「国民生活に密着した」候補であり、金融エリートの福村氏は「なんで自民党じゃ無いの?」と首をかしげざるを得ない候補と言える(いかにも旧民主や「みんな」が好みそうな出自なのだが)。

もともと民主・民進党の組織運営はトップダウン式な上に非常に閉鎖的で、肝心の「トップ」は労組・連合系の議員が大勢を占めているため、意思決定がクローズドな上に硬直的な傾向が強い。特に、民主党政権の瓦解を経て、基盤の弱い市民派議員の多くが議席を失ったため、現在も議員に地位にあるのは連合系議員ばかりになってしまっている。
特に静岡の場合、自動車や電機などの民間労組が非常に強い影響力を持ち、原発にもリニア・空港にも集団的自衛権にも賛成しているため、殆ど自民党の別働隊(衛星政党)の様相だ。

それでも、まだ話し合いが持たれ、支部の決定を尊重する県連は団結が保たれているが、静岡のように労組系が圧倒的な影響力を有する県連の場合、少数派を強圧しにかかるので、集団離党・分裂するほかなくなる。こうしたケースは、表沙汰になっていないだけで、民進党が全国で抱えるリスクだと考えられる。2年以内に総選挙が行われることや、NK党との共闘問題も考慮すれば、今後も同様の事件が起きる可能性は十分にある。
実際、沖縄は組織そのものが消失、大阪もほぼ壊滅状態にある。

なお、私事で恐縮だが、ケン先生も離党届を提出した。理由は、舛添問題が起きた際に、後輩である党支部幹事長の都議に電話して、「絶対舛添を辞任させるな、より酷い都知事が出てくるのは間違いないから」と忠告し、「おっしゃる通りです、大丈夫ですから」との回答を得た翌々日に、「舛添ケシカラン、不信任決議に賛成する」という記者会見をやっているのを見て、ブチ切れて「説明しに来い!」とメールしたものの、その後なしのつぶてになったからだ。これは直接的な原因に過ぎず、もともと支部会議も開かれない、日常活動も無い民主・民進党の党員であることに「党費を取られているだけ」という強い不満があったことが大きい。
国政ではただでさえ立ち位置不明なところに維新残党と合流したことでますます野合が進み、「自民党に行けなかった」二軍的エリート人材ばかりの議員構成にも不満があり、私自身も有権者に対して説明責任を果たせなくなりつつあることに自責の念を強くしていたことも影響している。

ぶっちゃけ民進党は解散・再編すべきである、というのが率直な感想だ。
posted by ケン at 12:29| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

国家から見た五輪開催の意義

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NHKの朝のニュースが「五輪開催のメリット」を解説している。
それによると、

@ 国威発揚
A 国際的存在感
B 経済効果
C 都市開発
D スポーツ文化の定着


とのこと。まさに1940年の「幻の東京五輪」と全く同じ「民族の祭典」の発想であることが分かる。国威発揚を目指す国家と、資本の独占を目論む企業群の融合だ。そこには、市民の生活や個人の生き方と調和させて、人間の尊厳と平和な社会を創造してゆこうというオリンピズムの精神は微塵も感じられない。

五輪憲章はオリンピズムを以下のように説明している。
A.オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。
B.オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある。
C.オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。
D.スポーツをすることは人権の1つである。
E.スポーツ団体はオリンピック・ムーブメントにおいて、スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し、自律の権利と義務を持つ。
F.このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。
G.オリンピック・ムーブメントの一員となるには、オリンピック憲章の遵守およびIOC による承認が必要である。

つまり、五輪憲章を遵守する意思のない日本国や東京都には、そもそも五輪運動の一員たる資格が無いのである。
東京五輪はいますぐに開催権を返上すべきである。

なお、ケン先生は五輪廃止論者である。

【追記】
2020年の東京五輪に向けて建設ラッシュが進んでいるが、他方で1964年の東京五輪時に建設したインフラ群が耐用年数を超え、更新が進まずに急激に老朽化率が上がっている。数年前に起きた御徒町駅の大陥没事故や中央道トンネルの崩落事故はその象徴と言える。東京の場合、下水化率100%と巨大な首都高が徒となっているわけだが、その更新がどうなっているのか、五輪開催で予想される2兆円からの赤字問題も含めて地元都議に説明要求しているが、なしのつぶて。やはりミンチン党など要らないのではないかと思ってしまう。
posted by ケン at 12:54| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

ウルフ・ホール

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英ドラマ『ウルフ・ホール』(2015)を見る。何ヶ月も前に録画していたのだが、まとめて見る時間というか、精神的余裕がなく、先延ばしにしていた。選挙の代休を含めてまとめて休む時間ができたので、ようやく鑑賞できた。何せ映画4本分、まとめて見たかったのだから仕方が無い。
英国では名作の誉れ高いようだが、確かに「名作」と呼ぶに相応しい、濃密かつ重厚な出来で、演技も素晴らしかった。

16世紀半ばのイングランド、国王ヘンリー8世の宰相格であるウルジー枢機卿の秘書・弁護士を務める、トマス・クロムウェル(護国卿の大叔父)が主人公。この時点で相当地味な印象だが、あくまでもクロムウェルは「猿回し」の役であり、主題はヘンリー8世をめぐる宮廷闘争の歴史劇である。
しかも、冒頭でウルジーは国王の寵愛を失って凋落、主人公は助命と名誉回復に奔走するが、その手腕が認められて、国王の書記官に命ぜられてしまう。しかも与えられた使命は、王妃キャサリンとの離婚仲裁(ローマ教会に婚姻不成立を認めさせる)であり、主人だったウルジー失脚の首謀者でもあるアン・ブーリン(エリザベス一世の母)との婚姻だった。もともとクロムウェルは、卑賤の身から金融業で成り上がっており、戦争好きで放漫財政を主導するヘンリーを苦々しく思っている節があり、何重にも気の毒としか思えない。だが、一切の感情を排して、遠回しな皮肉を交えながら、ヘンリーやアンに仕えるクロムウェルの姿は、まさに我々政治家秘書の鏡と言える。また、この一見無感情なのに、非常に微妙な心の揺れを見せるクロムウェル役マーク・ライランスの演技は誠に見事だ。

基本的に宮廷の権力闘争が中心で、派手な戦争シーンもなければ、華麗な愛憎劇もなく、演技も抑制的で、どこまでも地味なのだが、可能な限り史実を忠実に再現しており、重厚な演技と演出で、どこまでもリアリティを追求し、見ている者を飽きさせない完成度に仕上がっている。こういう「リアル大河」路線は、日本でもNHKが『平清盛』で試みたものの、全く受け入れられること無く挫折してしまった。この辺は、テレビ視聴者の「民度」の問題なのか、歴史ドラマに求めるものの違いなのか、よく分からない。

内容・時期的には、同じく英ドラマ『THE TUDORS〜背徳の王冠〜』と丸かぶりなのだが、改めて比較すると、TUDORSがいかにド派手(淫乱)さを追求したソープ・ドラマ(昼ドラ)であったかが思い知らされる。まぁあれはあれで、カネのかけ方を含めて尋常ならざるド派手ぶりがウリで、嫌いではなかったのだが、シーズン2辺りで食傷になってしまった。

評価とは全く関係ないのだが、この時代は「トマス」が大流行していたようで、主人公の他にも、主な登場人物のうち、ウルジー卿、モア卿(『ユートピア』の作者)、ノーフォーク公(アンの伯父)、ブーリン卿(アンの父)が「トマス」であり、制作側も苦労しただろうなと。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月26日

レンホーは党代表に相応しいか?

【民進党代表選 蓮舫代表代行「岡田克也代表はつまらない男!」 三下り半?ブラックジョーク?外国人記者も爆笑】
 民進党の蓮舫代表代行は23日、日本外国特派員協会で記者会見し、9月2日告示の党代表選に立候補するにあたり、「民進党のイメージを思いきり変えたい」と意気込みを語った。  同時に「ここは大事なので編集しないでいただきたい」と前置きした上で「私は岡田克也代表が大好きだ。ただ1年半、一緒にいて本当につまらない男だと思った」と軽口をたたいて外国人記者らの笑いを誘った。直後には「人間はユニークが大事。私にはそれがあると思う」と述べて自信ものぞかせた。会見は通訳を交えて行われた。
(8月24日、産経新聞)

どうでもいい話ではあるのだが、これでは「やはり民進党ではダメだ」と思われるだけだろう。トランプ、イシハラ、ハシモトらのように「下品をウリにする」路線で行くなら、それもアリかもしれないが、彼女はそれを望んでいないだろう。

それでも人格は自然とにじみ出てしまうもの。かつて紹介したことがあるが、今回は許せないものがあるので実名を挙げて告発したい。
民主党政権時代、彼女が議員会館でエレベーターに乗っていたところ、90近い老軀をおして上京してきた楢崎弥之助先生が杖を突きながら乗ろうとしたとしたのを見て、「これは議員専用ですから、一般の方は向こう側にあるエレベーターをつかってください」と言い放った事件があった。これは、私の同志が偶然その場に居合わせたので、間違いない。

党内でも自分に敵対姿勢を見せる者に対しては、徹底的に嫌がらせをし、権力をもって報復行為を行い、ロクでもない噂を流すことで知られており、恐がられていると同時に一部からは蛇蝎のように嫌われているが、大衆受けはするので、批判が表に上がらない。
こういう点は、ハシモトに似ていると言える。イシハラにしても、旧東京二区から衆議院に出馬していた頃、同じ選挙区で自民党から出ていた新井将敬に対し、民族(出自)差別に基づく陰湿な選挙妨害(怪文書や流言)を繰り返していた。この連中には、現代のネトウヨなどに通じる何かがある。
全てに対して恐ろしく冷酷で、人倫を欠き、その点を恬として恥じない精神である。

いま野党第一党の民進党に求められるのは、安倍一派に象徴される「冷酷な政治」へのアンチテーゼである。安倍一派は、権威を振りかざし、国家機関と大企業を優遇し、国威発揚と国権拡大を追求する一方、人命、人権、市民生活に対して恐ろしく冷淡な姿勢を見せている。
そのオルタナティブは、「人に優しい政治」でなければならないはずで、それをレンホーが担うのはどう見てもムリであろう。当面、自民党は安泰そうだ。

バカばっか!

【参考】
まともな人間は議員なんてならない? 
posted by ケン at 12:02| Comment(4) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月25日

オックスフォードの自分を変える100の教え

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『オックスフォードの自分を変える100の教え』 岡田昭人 PHP研究所(2016)
【目次】
信念の章
学習の章
勇気の章
対話の章
決断の章
愛情の章
運命の章

恩師の新著。ビジネス書というか、自己啓発本であり、正直なところ私の苦手とする分野で、どう評価したら良いのか分からない。そもそも「自分を高めたい」とか「人生で成功したい」などという欲望から程遠いところで生きているので、ムリというものだろう。
かいつまんで言えば、オックスフォードでエリートが身につける思考や行動の習慣について、分かりやすく解説したものだ。色々な教訓がスマートに書かれている。

だが私は、「大切なことはすべて武家とロシアが教えてくれた」を旨としており、本質的には蛮性と親和的であるため、どうにも「スマートなエリート論」に抵抗を覚えてしまう。恐らくは同じ理由から、小さい頃に父に叩き込まれた『論語』が嫌で嫌で仕方なかったのを思い出す。

まぁ今日は恩師の新著の紹介ということで。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

日本人は戦争を選択したのか?

【安保法、7割が「理解進まず」=「危険高まった」も過半数−時事世論調査】
時事通信の8月の世論調査で、昨年9月に成立した安全保障関連法の内容について理解が進んだか尋ねたところ、「進んだとは思わない」と答えた人が76.0%に上った。また、同法成立により、日本が海外の紛争に巻き込まれる危険が「高まったと思う」との回答は55.9%だった。同法に対する国民の理解が進まず、懸念が根強い実態が浮き彫りとなった。安保法への理解が「進んだと思う」との回答は全体で9.0%にとどまった。自民党支持層に限っても、理解が「進んだと思う」は15.1%で、「進んだとは思わない」が68・6%と大きく上回った。安倍政権は安保法により「抑止力が高まった」と強調しているが、調査では、海外の紛争に巻き込まれる危険について「高まったとは思わない」と答えたのは27.1%だった。自民党支持層でも「危険が高まったと思う」が46.2%で、「高まったとは思わない」の39.1%を上回った。
 調査は4〜7日、全国の成年男女2000人を対象に実施し、有効回収率は64.3%。
(8月12日、時事通信)

代議制民主主義は、主権者が政策決定を政治家に委任し、委託された政治家が有権者に説明責任を果たすことで成り立っている。だが、安保関連法や、その前の特定秘密保護法では、立法事実や根拠が曖昧なまま、法律の必要性や運用方法についても明快な答弁がなされることなく、成立させてしまった。
有権者から主権を委託された政治家が、政策決定や立法について十分な説明を行わないことは、代議制民主主義の存在意義を脅かしていることになるが、当の政治家たちは認識しておらず、このこと自体がデモクラシーを危機へと導いている。

安保法制をめぐる問題点については、少なくとも本ブログ上では十分に説明していると自負しているが、ここは簡単に繰り返しておきたい。
問題はアメリカの国力と国際的影響力が減退する中で、東太平洋における「対中封じ込め政策」がいつまで機能し、採択され続けるか、である。現時点ではまだパワーバランスが米国寄りで成り立っているものの、米国の優位が保持されるのは時間の問題であり、このバランスが中国に傾けば傾くほど、日米同盟でアメリカが背負うリスクとコストが大きくなってくることになる。

アメリカには、すでに海外に巨大な軍隊を駐留させるほどの国力がなく、日本の防衛は日本が自分で賄うように促してきたが、日本側はこれを「見捨てられ」と解釈して「中国の脅威」と「日米同盟の強化」を謳うようになっていった。
ここで言う「同盟強化」とは、米国側が負っているリスクとコストを日本側が一部肩代わりするというもので、具体的には米軍が世界各地で行っている軍事行動の一部を自衛隊が担うことであり、これを総括して「集団的自衛権の行使容認」と説明されるはずだったが、安倍政権が小細工を弄してとってつけたような説明に終始した結果が、この世論調査に反映されている。
例えば、安保法制の審議に際して、政府・自民党は以下のような答弁に終始した。

「今回容認される集団的自衛権は、(個別)自衛のためのものであって国際法上の集団的自衛権とは別物」

「本法成立で自衛隊員のリスクが増えることはない」

「敵が攻めてきたら自衛隊はすぐに待避するから戦闘にはならない」

「一般的な武力行使はしないが、機雷掃海は例外」

「他国の戦争に巻き込まれることはあり得ない」


などの説明がなされたものの、どれも「そんなワケねぇだろ!」と野党に一括され、より具体的な説明が求められたにもかかわらず、ロボットのように同じ答弁を繰り返すため、ますます反発を強め、審議を迷走させてしまった。

現実には、1999年にアメリカを中心とするNATO軍が、国連安保理におけるロシアの拒否権発動を無視して空爆を強行、2003年には同じくアメリカを中心とする有志連合が、国連安保理の決議を待たずに(否決されそうだったため)イラクに侵攻したことに象徴されるように、武力行使のハードルはむしろ冷戦期よりも低下していると見られ、それだけに「米国との同盟強化」は自衛隊の参戦機会を増やすことはあっても、減らすことは決して無い。結果、「(安保法成立により)他国の戦争に巻き込まれることはあり得ない」という政府答弁は、全く現実性に欠けるもので、主権者に対する説明責任を果たしているとは言えないものになっている。
90年代以降の国際情勢の変化の中で、日本は日米同盟を主軸とした「力による大陸封鎖」路線と、国連協力とアジア協調を主とした「新たな集団安全保障体制の構築」(非対称封じ込め)の二つの選択肢が遡上に上がったものの、90年代半ばには外務省から国連中心主義派がパージされて前者に大きく傾いていった。
「日米同盟堅持」路線は、政策転換にかかるコストが掛からない代わりに、「同盟を維持するコスト」が高まっており、日本(霞ヶ関と自民党)としては同盟コストを支払うために「米国の世界覇権維持に対する協力強化」という選択肢を採ったと考えられる。
この一連の考え方は、私自身は首肯し得ないものの、政策判断としては十分な合理性を備えており、理解は出来る。例えば、

「中国の脅威がかつてなく増大しているが、対抗すべき基軸となる米国はアジア関与を弱めている」

「中国の脅威に対しては、アメリカと連携してこれを封じ込める必要がある」

「だが、米国は衰退傾向にあり、日本はそれを補うだけの軍事的貢献をしなければ、アメリカはアジアから手を引くだろう」

「東アジアの軍事バランスを維持するためには、日米同盟をより強化する必要があるが、アジアから退場しようとしているアメリカを繋ぎ止めておくためには、日本が全世界で積極的にアメリカの軍事行動を支援しなければならない」

という論理で首尾一貫主張していれば、維新や民主のような自民党の補完政党は反論の術を失い、ここまで図に乗ることはなかったものと思われる。維新にしても民主にしても、安全保障政策の基本を「日米同盟基軸」としている以上、対中国戦略として「力による大陸封鎖」路線しか選択し得ないからだ。
自民党は本音で安保を語るべき

同時に議会制民主主義という点では、野党がお粗末だった。
民主党内は超大ざっぱに言って、右派と中間派と左派に3分しており、右派は集団的自衛権行使を容認、左派は反対、中間派は「野党だから反対」という感じで、もし民主党が政権にあったとしたら中間派が賛成に回り、党は「行使容認」を決めたであろう。
その意味で、民主党に期待を寄せる方には申し訳ないが、民主党は「野党だから」反対しているだけで、その内実は非常に無責任かつ無分別だと言わざるを得ない。
繰り返しになるが、「日米同盟は維持します。でも集団的自衛権は認めません、個別的自衛権で対処します。今まで通りの国際貢献は続けますから問題ありません」という民主党の主張は、仮に政権を再奪取したところで早々に米国からクレームが付けられて、鳩山氏が基地移転を撤回したのと同様の大恥をかくことになるだろう。
集団的自衛権行使や海外派兵を本気で回避したいのであれば、NK党か社民党に投票するほか無いと思われるが、NK党の場合は「右翼権威主義を忌避するために左翼全体主義を選ぶ」という選択肢に他ならないし、社民党はすでに政党として機能しているとは言えない状態にあり、これも選択肢になり得ない。党員組織を基盤とする民主的左翼政党の設立は、我々にとって常に大きな課題である。
安保法制衆院通過を受けて雑感

結局のところ、国民は十分な説明を受けぬまま、日本の「参戦」を迎えることになるだろう。だが、徴兵制が敷かれるわけではないため、「カネで雇われた自衛隊がどこか遠くで戦っているみたい」との認識から抜け出せず、政府による情報統制もあって、「本土テロ」でも起きない限り、戦争を実感することは無さそうだ。
だが、昭和の歴史が示しているのは、日支事変・日中戦争の勃発が議会と政党政治に終止符を打ったという事実であり、そこは改めて強調しておきたい。

【参考】
・昭和史再学習A 

【追記】
戦後の造語ではあるが、「大正デモクラシー」の原点は、日露戦争のポーツマス講和条約の内容に反発して起きた日比谷事件などの一連の暴動に起因するという説がある。これは、当時の政治家が十分な説明責任を果たさず、虚偽の戦果報告を行い、条約の締結過程を秘匿したことに対し、有権者が不満を表明したことに始まった。もちろん当時の日本は民主主義体制ではなかったものの、代議制議会が設置されて間もない時機であり、市民が「委任と説明責任」の相互関係を自覚する端緒となった。
posted by ケン at 12:23| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする