2016年08月05日

今年サイコーの妄言?

凄いの見つけちゃったから記録しておこう。
K・H民進党参議院議員のツイート(07/31)。
「私が民進党代表になれば、解釈改憲のインチキを世論化し、臨時国会の開始から三週間で安倍政権を倒閣することができる。しかし、代表戦には20名の国会議員推薦が必要であり、それだけの政治力はない。従って安倍政権を年内に打倒する信念、戦略、実行力を有する者のみを代表として選ぶ運動をしたい。」

こいつ何言っちゃってるんだ?要は、

「俺が生徒会長になれば、すぐにも横暴な理事長を辞めさせることができる。だが、自分には生徒会長になれるだけの人望がないから、理事長を辞任させられる実力を有する者だけを生徒会長にする運動に専念する」

ってことなんだろうけど、名言すぎるな、おい。
posted by ケン at 09:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

6、7月の読書報告(2016)

91+-BKuSx3L.jpg
『革新自治体 - 熱狂と挫折に何を学ぶか』 岡田一郎 中公新書(2016)
同志の新著。現在では「財政赤字を増やした」と負のイメージばかり語られる、1960〜70年代の革新自治体の実像を再検証した一冊。私が長年住んでいるC市もまさにこの革新自治体の先鋒的存在だっただけに、関心はあったものの、気軽に読める良書が無く、良い機会となった。当時の国政や政党の系譜から、全国の主な革新自治体の始まりから終焉まで扱っているだけに、網羅的になってはいるものの、非常に読みやすく、国政と政党との関係まで含めて分かりやすい構成になっている。詳細は、書評を書くつもりだが、負のイメージを払拭させ、現在に通じる課題を示してくれる貴重な一冊と言える。

『代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す』 待鳥聡史 中公新書(2015)
デモクラシーに対する不信が高まり、ポピュリズムが蔓延、強権的なリーダーが目立つ中、代議制民主主義とは何か、何を目指す制度なのかを再検証している。直接民主主義が物理的に不可能な中で、有権者は政治家に政策決定や官僚監視を委任し、政治家は官僚に政策実行を委任すると同時に、有権者に対して説明責任を負う。だが、どのようにして政治家を選出し、政治家に何をどこまで委任するかについては、様々な制度が存在している。この委任と責任の関係を、良く整理して明快に説明している。新書としては、非常に濃い内容だが、プロフェショナルとしても考えさせられるところの多い一冊である。

51lVdtz5yLL.jpg
『タックス・ヘイブン―逃げていく税金』 志賀櫻 岩波新書(2013)
日本では数少ない専門家(故人)が、世界規模の脱税・節税・租税回避のカラクリを解説する。専門的すぎて分かりづらい部分もあるが、基本的には解説書と言うよりもノンフィクション的な感じで、前のめりに読んでしまった。これも一度目を通しておいて損はしない一冊。

『EU騒乱:テロと右傾化の次に来るもの』 広岡裕児 新潮選書(2016)
難民、テロ、財政難、右傾化、そしてこれらに起因する反EUの動きを在仏40年のジャーナリストがレポートする。欧州で起こっていることの全体像を把握するにはちょうど良い一冊かもしれないが、民主主義やEUを肯定するスタンスで書いている上、定型的な西側自由主義史観に基づいているため、「いかにも外務省ご推奨」的な公式見解に陥ってしまっている。

91K37cSvGML.jpg
『ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙』 マリー・ムーティエ他 河出書房新社(2016)
二次大戦中の普通のドイツ軍兵士の手紙を、1万6千通余のアーカイブから厳選したもの。それだけと言えばそれだけなのだが、現実のドイツ兵が戦場で何を考えて戦っていたのかを見る点で貴重な資料となる。映像や将軍の回顧録からは分からない実相がある。

『日本会議 戦前回帰への情念』 山崎雅弘 集英社新書(2016)
既出

『関白秀次の切腹』 矢部健太郎 KADOKAWA(2016)
既出
posted by ケン at 12:57| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月03日

またハズレしかないガチャ−民進党代表選挙

【民進代表、後任争い混沌…岡田氏が不出馬表明】
 民進党の岡田代表が9月の代表選への不出馬を表明したことで、政治路線をかけた後任争いは混沌としてきた。岡田氏の続投を見込んでいた主流派グループは、共産党を含めた野党共闘路線の継続を掲げ、候補者選びを急ぐ構えだ。一方、保守系議員らは路線転換を図ろうと勢いづいている。岡田氏は30日の記者会見で、「今まで成し遂げてきたことをさらに肯定的に前に進める方が(次期代表として)ありがたい」と述べ、野党共闘の堅持に期待を示した。後継候補には、岡田氏に近い野田前首相グループの蓮舫代表代行が取りざたされている。 岡田氏は27日、野田氏と会談。翌28日には野田氏が蓮舫氏と会合を持った。代表選の対応を協議したとみられる。蓮舫氏は知名度が高く、48歳の若さを前面に世代交代を打ち出すこともできる有力候補として浮上している。
(7月31日、読売新聞)

6月から参院選、都知事選と来て、今度は代表選をやるという。まぁ都知事選は政治的良心から動員を拒否したとはいえ、3カ月以上も続けて何らかの選挙に関わることを意味する。しかも、参院選を含めて全て補助的業務、ボランティア(党員義務)であって、自分の本来業務ではないだけに、ますます「また選挙かよ!」という思いが強い。まして、どれも負け戦の上に「ハズレしか入ってないガチャ」なのだから、なおさら徒労感ばかり覚える。

今回の代表選は、都知事選終盤まで岡田氏が継続意思を示していたが、投票日前日に前言を翻して出馬辞退を宣言した。これは、執行部を支えていた主流派の野田氏が、直前に「次はレンホーで行くから」と引導を渡したことに起因すると見られている。岡田氏は、レンホーに乗ることで影響力の温存を図ろうとしているのだろう。前回の代表選で惜敗した細野氏も、支持が広がらず、今回はレンホーの「勝ち馬」に乗ろうとしているようだ。

今のところ、レンホーの他にマエハラが名乗りを上げているようだが、前者は参議院議員で基本的に首班指名の対象になり得ず、野党第一党の党首には相応しくない。参議院はともかく、衆議院議員の支持を得るのは難しいだろう。ただ、党員投票では圧倒的支持を得る可能性があり、「勝ち馬に乗る」傾向が強まれば、有力候補となるだろう。後者は、党代表として失敗(永田メール事件)の烙印を押されている上、岡田現代表と同様、「古い顔」の象徴で「また(まだ)お前なのかよ」の印象は否めない。
能力的には、レンホーはおよそ野党第一党の党首が務まるような器ではない。自意識過剰の自信家で、人の意見を聞かず、同時に大所帯をまとめられるような手腕も人望も無いからだ。その点は、まだ失敗も含めて経験を積んでいるマエハラの方がマシだろうが、自民党に対抗できるような政策軸は持ち合わせておらず、「自民党の二軍化」がさらに進んでしまいそうだ(意外とリベラル・社民側に傾斜しつつあるという噂もある)。
他にも色々希望者はいるようだが、どれも小者ばかりで、20人の推薦人すら集められない可能性が高い。野党第一党ではあるが、人材的には既に払底しており、残念ながら、私が推薦できる議員は1人もいない。

代表選のことは、しょせん内輪の話な上、国政に大した影響など与えないので、どうでもいい。もっと大きな問題は別にある。

安保法制のような重要法案を含めて、マスコミが政策や法案の取材で来るのは月に1、2度でしかないのだが、党首選やスキャンダルになると、一時間毎に記者が来て、下手すると外でタムロして待っているくらいになる。
代議制民主主義は、本来、有権者が主権を政治家に委託し、政治家は政治判断を下して、その実施を官僚に委任する。政治家は官僚を統御しつつ、その政治判断について有権者に説明責任を果たすことで成り立っている。メディアは、政策や法律に関する政治判断についての説明を有権者に伝えるのが、デモクラシーの機能上の役割なわけだが、実際には日本のメディアは政局とスキャンダルしか報じず、政策と法律については霞ヶ関の発表を垂れ流すだけの存在になっている。
デモクラシー下のメディアは、有権者が委任した政治家が官僚を民主的に統制できているかを監視すると同時に、政治家が行う法律や政治判断の説明が妥当であるかどうかを検証する役割を担っている。同時に政治家が選挙公約に反していないか、反したなら反した理由と過程を問いただす義務がある。だが、日本のマスメディアは、霞ヶ関と自民党の公式発表を垂れ流すだけで、全く本来の義務を果たしていない。
いっそのこと、日本の報道事業は外資系に丸投げした方が良いのでは無いかとすら思われるほどだ。
posted by ケン at 13:04| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月02日

授業を増やせば良いのか?

【授業年35時間増、文科省が対策へ 小5・6、2020年度から】
 2020年度から始まる小学校の新学習指導要領で、5〜6年生の授業が年間980時間(1時間は45分)から1015時間に増える。一方で文部科学省は、1週間あたりの授業のコマ数を今より増やすのは難しいともみている。増える35時間分をいつ、どのように教えるか。文科省は20日、時間割づくりなどを考える会議を始め、対策に乗り出す。授業時間が増えるのは20年度から正式な教科になる英語。いまは年間35時間の「外国語活動」だが、教科化で2倍の70時間になる。週1コマから2コマに増える計算。
(7月20日、朝日新聞)
月に3〜4時間ほどになるのだろうが、どこで増やすんだ?土曜授業を増やすか、休みを削るか。無難なのは行事をやめることだけど、それはしないんだろうな。結局のところ、詰め込み式に逆戻り。他方で教員は減らす方向なんだから、先生のなり手もいなくなるだろうに。
同じく朝日の記事。
文科省が、諮問機関「中央教育審議会」に示したのは、休み時間を利用する15分程度の「短時間学習」に分割したり、夏休みなどを使ってまとめて授業したりする案。45分授業を60分に延ばす案もあったが、最終的には各学校が判断する。
(3月2日、朝日新聞)

すでに小学校の時間割は相当キチキチになっていて、北海道や東北でなくとも8月後半から2学期が始まっているし、土曜登校も増える一方だ。その上、運動会、学芸会、文化祭など年がら年中学校行事があり、生徒も教員も保護者も常に何かに追われている。ただでさえ、共働きが急増してPTAの役員のなり手がいなくなっているのに、こちらも負担ばかりが増えて、その不満が教員にぶつけられ、過重労働と保護者対応のストレスで精神不調に陥る教員が続出している。

精神の不調を訴える者は、民間企業では多くても1〜2%(ブラック企業は別にして)と言われるのに対し、官公庁は3〜5%、これが学校では7〜10%に上るという。だが、官公庁などの場合、まず解雇や強制退職はなされないため、休職扱いで定員の補充はされず、現場は定員不足のまま対応を余儀なくされる。いまや小中学校では、新任あるいは2年目の教員が担任を持たされるのが当たり前になってしまっている。
教員の労働時間は、OECD諸国平均の1.5倍ながら、授業の準備や生徒指導にかける時間は平均程度であり、具体的には週15時間も事務作業や部活動などの「本来業務外」の仕事に費やされている。全教のデータだが、月100時間以上の教員の割合は小学校34%、中学52%という数字もある。そこに今度は、小学生向けの英語指導の研修が課されるのだから、またぞろ倒れる者が続出するだろう。
こうした実態を踏まえずに、単純に授業時間だけ増やすのは、補給物資も援軍も出さずに、作戦目標のハードルだけ上げる、旧日本軍を彷彿させる。

教員の働き過ぎ−今さらながら 

授業を受ける生徒の側に立ってみても、キチキチのカリキュラムと時間割で全く余裕が無いところに、過労状態の先生から教わるのだから、効率など良いはずが無い。
ただでさえ、日本の英語教育は「中高大と10年もやってまともに話せない」などの批判が強く、「効率が悪い」と評価されているのに、指導方式や学習方法を再考せずに、単純に授業時間だけ増やしたところで、徒労に終わる可能性が高い。「義務教育で達成すべき学習目標」をきちんと定義せずに、いたずらに授業時間だけ増やすのは、砂漠に水をまくような話だ。
現実における中等教育の標準カリキュラムでは、英語は週3コマだったものが、ようやく昨年(今年度)から4コマに増やされたものの、一教室の生徒数は相変わらず40人のままであり、2012年に文科省が行った調査では、全国の公立校の英語教員で英検準一級の取得者は中学で28%、高校で52%にとどまっている。
文科省が考えている直接法(英語のみによる英語教育)を導入するとなれば、少なくとも一クラスを15人以下にする必要があり、その上で授業数も週に6〜8コマ程度は必要だろう。それは完全な英才教育であり、英語嫌いの子どもや外国語習得に難のある子どもにとっては地獄でしかない。仮にこれが実現したとしても、国内の日常生活で英語を使う必要が殆ど無い日本で、政府が望む水準に達成するのは、やはり2〜3割以下になるだろう。
だが、初中等教育に求められるのは、「市民生活、社会生活に必要な能力」「デモクラシーを構成する一員としての素養」であり、そこに「英語がペラペラであること」が含まれるのかと言えば、疑問しか覚えない。
英語学習に高いハードルを求めるために、他の教科を犠牲にすることが、義務教育の本来目的に合目的であるか、今一度よく考える必要がある。
英語教育におけるポピュリズム) 

子どもにとっては苦痛の時間が増えるだけ、教員にとっては労働時間と保護者からのクレームが増えるだけ、でも英語能力は殆ど伸びない、という結果になることはほぼほぼ間違いないと見られるだけに、愚策としか言いようが無い。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

鳥越氏が負けたワケ

【宇都宮氏が明かす、鳥越氏の応援演説しなかった理由】
 元日弁連会長の宇都宮健児氏と、同氏を支援する「希望のまち東京をつくる会」は31日、文書を発表し、野党統一候補となった鳥越俊太郎氏の応援演説を行わなかった件に関する経緯を明らかにした。文書の冒頭で、双方が数回の調整を行ったものの、結果的に合意に至らなかったとしている。
宇都宮氏と同会は、鳥越氏の陣営から応援要請があったことを受け、7月27日付で鳥越氏宛てに文書を送付した。その中で、築地市場の移転作業を停止し、関係者を入れて計画を見直すことなど、7つの政策の実現に向けて誠実に努力することを求めた。さらに「女性の人権問題について」と題し、「週刊文春」と「週刊新潮」で報じられた女性問題について「鳥越候補自らが記者会見など公開の場で説明責任を果たし、被害者女性への配慮を示すこと」を求めた。文書の中で、宇都宮氏と同会は「鳥越候補は、根拠を述べることなく『事実無根』として、刑事告訴まで行っています。しかし、私たちはこの記事そのものから見て、事実無根と考えることはできません。むしろ、女性とその関係者の証言まで否定することは、被害女性に対するさらなる人権侵害となる可能性があります」と指摘した。加えて、鳥越氏がテレビなどの討論会を欠席していることに対しても「明日(28日)朝以降、候補者間の政策討論等の機会があるならば、欠席しないこと」とも求めた。
 鳥越氏サイドから返答があったことを受け、宇都宮氏と同会は、翌28日に再び鳥越氏宛てに文書を送った。その中で、鳥越氏の女性問題に関する返答に対し「具体的な報道内容を見る限り、これを『事実無根』として退けられる案件とは考えられません。また、『事実無根』だとする説得力ある反証も挙げられていません」「被害を受けたという女性がおられる以上、都知事候補として、どのような事実があったのかを自ら公開の場で説明し、被害女性および都民の納得を得る責任があると考えます」と指摘した。その上で、宇都宮氏は「私はこれまで多くの人権問題に携わってきました。その原則をここで曲げることはできません。鳥越候補がこれまでの対応を撤回せずに説明責任を果たされないとすれば、きわめて遺憾ではありますが、都民に対してあなたを都知事にふさわしい方として推挙することができず、応援に立つことはできません」とつづった。女性問題について説明責任を果たさなかった鳥越氏の姿勢が、宇都宮氏が応援演説に立たなかった、最大の要因だったことが明らかになった。
(8月1日、日刊スポーツ)

都知事選は、小池氏が圧勝、鳥越氏は増田氏にも負けて、小池氏の半分以下の得票に終わった。投票率は59%と、近年では高い方であったにもかかわらず、全650万票のうち自民党の主流派と反主流派で470万票(70%以上)も獲得したことは、他党派や無党派からも小池氏に流れたことを示しており、いよいよ「ワイマール化」「デモクラシーの空洞化」が進んでいる。

小池氏が圧勝したのは、小泉純一郎氏の手法を上手く真似して「自民党と闘う孤高の女戦士」を演出して、保守層のみならず、野党や無党派の支持をも得たことが大きい。今回の選挙では、NK党の支持層からも票が小池氏に流れており、その深刻さが伺われる。
増田氏は、自公の組織票に基盤を置いた手堅い選挙をやったものの、「利権集団の傀儡」という印象を払拭できないまま、自公の支持層も固められずに終わった。
鳥越氏については、先にも指摘した通り、宇都宮氏を辞退させた悪影響が予想以上に大きかったようだ。一部の「意識高い」層が、「反ファッショ統一戦線で鳥越を」と呼び掛けたものの、浸透度は低かった。民進党支持層に至っては、鳥越5割、小池4割という有様で、都議団の中立化が響いた格好だ。「野党共闘」とはいえ、共闘者が内部分裂しているのだから、その効果が半減するのは当然だろう。このことは、十分な合意の無い、トップダウン式の共闘の厳しさを示している。

だが、鳥越氏に関しては、候補選定プロセスや組織上の課題以上に、属人的な条件が悪すぎた。全て上の記事に書かれている通りで、「説明責任」という、有権者が候補者に主権を委任する際の条件(対価)を満たせなかったのだから、マスコミや司法対応でむしろ不信感が高まってしまった観がある。左翼人は「スキャンダル報道で票を減らした」と騒いでいるが、私に言わせれば、危機対応・リスク管理の拙さこそが問題だったのであって、二言目には陰謀論を唱える旧式左翼が支持されないのは当然だろう。

さらに決定的だったのは、選挙中はさすがにほのめかす程度しか書けなかったが、ネトウヨが指摘していた「認知症の疑い」である。鳥越氏が立候補を決めたのは、告示日前日だが、告示されて数日後には、「演説原稿を渡しても覚えられない」「長時間話すと支離滅裂になる」といった話が聞かれるようになり、「日に二、三箇所の街頭演説」「本人が話すのは3分以内」といった事実が傍証となっていた。
どうやら認知症の初期症状のようで、選対本部もそれを隠蔽するのが関の山だったらしい。これで選挙しろというのがムリな話で、そもそも鳥越氏を連れてきた岡田代表は、投票日前日に代表選不出馬を宣言、自らの敗戦責任を認めてしまったが、あまりにも無責任な対応だった。

鳥越氏は「負けるべくして負けた」と言えるが、岡田氏の狙いは裏目に出て、不満と遺恨が強く残る、野党共闘に大きな影を落とす結果となった。知名度頼みの限界とも言えるが、小池氏を見た場合、知名度なくしては当選もおぼつかないとも言えるだけに、大きな選挙における候補の選定がいかに難しいかも示している。

【追記】
「もしケンちゃん(が候補)だったら何を主張した?」と聞かれた。私であれば、「東京五輪返上」のワンイッシューで勝負しただろう。運営費が最低で1兆8千億円、対して収入が最大で4千億円でしかない東京五輪は、それ自体が最大のムダである。また、小池氏は五輪開催のために財産接収の可能性まで言及し、治安維持のためとして公安や公調が急速に肥大化する中、基本的人権を制限しなければ開催できない五輪は、近代国家の基本的価値を侵害するものでしかない、という認識である。世調では、五輪賛成が6割、反対が4割で、賛成票が二分されている以上、反対票をまとめれば十分に勝機があったはずで、むしろ「五輪の是非」に争点を持ち込むことで、相手方の分裂を誘い、対応を難しくさせたはずだった。それ以外には(あえて言うなら)、「海外出張を半分に」「天下り(都外郭)団体を半分に」を主張しただろう。個人的には、巨大な権限を有しながら行使できない知事を補強するために、政治任用ポストを増やすことを提唱したい。知事と議会が対立すると、副知事すら決められないし、都官僚が強大な権限を有して知事を妨害する現状は大いに改善されねばならない。これは諸刃の剣であることも確かなのだが。東京分割論も主張したいけど、これはどうかなぁ。

【追記2】
もっとも、宇都宮氏は宇都宮氏で、「人の話を全く聞こうともしない人」という評価があり、弁護士内ですら必ずしも評判は良くなく、現実にはなかなか難しかったかもしれない。
posted by ケン at 12:43| Comment(2) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする