2016年08月12日

スパイを擁護するということ

【拘束の男性、30年以上日中交流関与 11日に北京入り】
 日中友好団体幹部の日本人男性が7月中旬に訪中したまま連絡が取れなくなっていた問題で、日本政府は28日、男性が北京市内で当局に拘束されたとの通報が中国側からあったことを明らかにした。詳細は不明だが、スパイ行為に関わった疑いを持たれている可能性もある。拘束された男性は日中友好の重要性を訴え、30年以上にわたり日中交流に関わってきた人物だった。菅義偉官房長官は28日午前の記者会見で「今年7月に北京市で邦人男性1人が中国当局に拘束された旨、中国から通報があった」としたうえで、詳細については「事柄の性質上、コメントすることは控えたい」と述べるにとどめた。関係者によると、男性は中国でのシンポジウム開催などについて中国側と協議するため7月11日に北京に入り、15日まで滞在する予定だったという。男性は1980年代から日中交流事業に関わり、頻繁に中国を訪問。90年代末から00年代初めにかけて北京の大学で客員教授を務めたこともあり、中国共産党関係者らに幅広い人脈があった。10年に青年交流の推進を目的とした団体を設立し、植林事業や学生交流などを手がけてきた。
(7月28日、朝日新聞)

親しい同志が救援運動に加わると言うので、やんわりと止めたのだが、聞き入れられなかった。その同志も日中関係に深入りしており、中共関係者との接触もあるだけに、向こうがスパイ認定している者を擁護するということは、自分がその仲間であることを認めるのと同義になる。少なくとも向こうの当局はそう判断し、疑惑を深めるだけだろう。少なくとも、今後も日中関係に関わりたいなら、スパイを擁護するようなことは決して行ってはならず、縁切りするか、むしろ中共側に情報提供して協力姿勢を示すのが吉となる。逆に「友人」を助けるつもりなら、今後は中共と敵対するか、中国に行った際は自分も拘束されるくらいの覚悟を持つ必要があるが、彼にその覚悟があるのかどうか。

彼はまだ経済自由化の途上にあった中国に留学しており、ソ連最末期に留学した私と同様、「全体主義を知る」最も若い世代であるはずなのだが(北朝鮮に留学したコリアンは除く)、全体主義国家や共産党に対する恐怖心や警戒心は、どうも私の方がはるかに敏感なようだ。そして、これは属人的、個人の資質の問題では無く、他の中国留学生を見てみても、全体的に「中国帰り」の人の方がより親中的で、全体主義に対する警戒心が弱いように感じられる。
少なくとも、私の周囲の「ソ連・ロシア帰り」で、知り合いが当局に拘束されて、性善説に基づいて救援運動を行う者は多くないと思われる。ロシア業界は、非常にシビアかつシニカルな世界なのだ。

1978年、ソ連のロジネルという作家がイスラエルへの移住を決めたとき、友人の物理学者アリトシューレルが「なぜ今出て行くんだ」と問い詰めたところ、「そりゃ君のせいさ。だって君はサハロフを擁護しているから、いずれ逮捕されるだろう。そうしたら、今度は僕が君を擁護するために奔走することになるから、僕も逮捕される。だから、君のために僕が逮捕されないよう、いまソ連を出るんだ」と答えたという。
「筋を通す」人間は、遅かれ早かれこういう事態に巻き込まれる。それは、ソ連でも中国でも変わらないし、日本も遠からずそうなるだろう。政治、外交に関わる者は、権力に対してあらゆる感覚を研ぎ澄ます必要がある。

【参考】
・ダブルスパイの末路 

【参考2】
権力の恐ろしさを実感したのは、やはりロシアだった。
モスクワからパリに行く汽車に乗った際には、蘇波国境のブレスト駅で同じ客室に乗って一緒にコニャックを飲んでいたロシア人が、AKをぶら下げた軍警に連行された。
夜、街を歩いていて、突然パトカーに連れ込まれたかと思うと、民警に堂々と賄賂を要求されたこともあれば、グルジア・マフィアに銃で脅されたこともある。
が、極めつけは、国内線の飛行機から降りてきたところ、制服の民警が5、6人待ちかまえていて、そのまま連行され、空港の中にある鉄格子の中の取調室に入れられ、尋問されたことだろう。ほとんど小説か映画の世界である。

「俺いつからそんな大物になったんだ?」
「スパイ容疑で強制収容所送りか?」

と思ったものの、よく考えてみれば、相手が本気なら私服が出てきて車を用意しているはずなので、大したことはないだろうという判断に至った。
案の定、ビザ関係書類の不備と手続き不足の問題で、冷静に対処することができた。とは言え、下手な対応をしていたら、官憲が余計な容疑を加えてきた可能性は否定できない。
もちろん、逆に権力側に顔が利く場合、何でも思いのままになる。通常、数週間かかるビザが2、3日で出たこともあれば、飛行機の席がなくて、パイロット室に乗せてもらったことさえある。
ロシアで生きていくためには、ロシア語能力だけでは全く不足で、相当の個人的リスク管理能力が要求されることになる。ソルジェニーツィンやドストエフスキーの作品は、ロシアで生きていくためのバイブルでもあるのだ。
法治主義の伝統が存在しないロシアでは、現在でも権力は剥き出しの刃物のようである。
客観的に見れば、ロシアはマジで恐ろしい国で、私も散々酷い目にあってきたのだが、どうにも嫌いにならないのは、我ながら面白い限りだ。
愚劣な決断は想像力の欠如から) 
posted by ケン at 12:52| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする