2016年09月06日

司法省へと回帰する法務省

【「共謀罪」要件変え改正案 テロ準備罪に 国会に提出検討】
 政府は、過去3回国会に提出され廃案となっている「共謀罪」について、構成要件を一部変更した組織犯罪処罰法の改正案をまとめた。罪名を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更し、4年後に迫った2020年東京五輪に向けたテロ対策の要の法案となる。9月に召集される臨時国会への提出を検討している。「共謀罪」は、テロ組織や暴力団、マフィアなどによる組織犯罪の未然防止が目的で、犯罪の実行行為がなくても謀議に加わることで処罰を可能にする。共謀罪の創設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案は平成15〜17年に3回、国会に提出されたが、民主党(当時)などの慎重論でいずれも廃案になった。
 こうした経緯から、法務省は「『居酒屋で話しただけで処罰される』など誤解を受けやすい」(法務省関係者)とされる共謀罪の名称を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更。これまでの法案で「団体」としていた適用対象は「組織的犯罪集団」に限定した。また、犯罪の合意だけでなく、資金集めや犯罪に使用する道具の準備など犯罪実行のための「準備行為」も構成要件に加えた。
(8月27日、産経新聞)

いきなり「準備行為」を構成要件に加えるとか、法務省はマジで容赦ないな。自公を中心とする権威主義政党が衆参ともに絶対多数を獲得したことで、「もはや国内に敵無し」と判断したのだろう。

これは、つまり1925年版の治安維持法ではなく、いきなり1941年版の改正治安維持法を導入するような話なのだ。いま少し詳しく説明したい。
当時、1925年に日ソ間の国交が樹立したことを受けて、日本国内においてコミンテルンの活動が活発化し、共産主義・反天皇制運動の拡大が真剣に危惧されていた。同時期に普通選挙法が施行されて、25歳以上の男子のほぼ全員に選挙権が付与されて有権者が飛躍的に拡大、共産党が労働者や小作人層から支持されるのではないかという懸念があった。現実には、それらは殆ど杞憂だったのだが、当時の官僚や政党人にとっては現実的な懸念だった。従って、当時にあっても「治安立法自体は致し方ないが、政府原案では国民全員が取り締まり対象になってしまう」といった批判が最も多かったらしい。

ところが、治安維持法が実際に施行されてみると、「実際の運用(適用)が難しい」などの理由から改正が要望され、戦時体制への移行も相まって、適用範囲が段階的に拡大、厳罰化も図られた。その結果、3・15事件で共産党が一掃された後にも、合法左翼はおろか、労働運動家や反戦思想家、自由主義者や宗教団体にまで適用されるに至り、「天下の悪法」の名をほしいままにしたのである。

具体的には、まず1928年の改正によって、「結社の目的遂行の為にする行為」が要件化され、組織の正式メンバーでなくとも、結社に実際に加入した者と同等の処罰をもって罰することができるようにされた。しかも、これは当時の帝国議会で会期切れ、審議未了となったところ、天皇の特別立法権である緊急勅令が施行されて強制的に成立している。
さらに1941年の改正では、「組織を準備することを目的」とする要件が加えられたことで、当局が「準備行為」と判断すれば、実質的に誰でも犯罪者に仕立て上げられるようになった。同時に予防拘禁が合法化されて、最大2年・延長可で予防拘禁所に問答無用で拘束できるようになった。

同法による検挙者数は、1939年に323人だったものが、同41年には934人に膨れあがった。さらに、41年12月9日には、対米英宣戦布告にともなう非常措置として、「内偵中の被疑事件」の検挙216人、要視察人の予防検束150人、予防拘禁を予定するもの30人、計396人の非常検束がおこなわれた。

ちなみに、治安維持法が最初に審議された際、若槻禮次郎首相は、
「世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。此法律が制定されますと、労働者が労働運動をするについて、何等かの拘束を受けると云ふやうに信じて居る者があるようであります。斯の如きは甚だしき誤解であります。」

と答弁、川崎卓内務省警保局長は、「乱用など云ふことは絶対にない」と断言している。当時、法律解釈で自己の権限拡大を狙った司法省が治安立法に前のめりだったのに対して、実際に運用者となる内務省・警察が「そこまでの緊急性は無い」「現場での適用が難しい」などの理由からやや消極的だったことは特筆に値する。

つまり歴史は、権力が暴走することを前提に法体系を構築しないと、いざという時に誰も止められなくなることを教えているのである。
貴族院の採決に際して唯一反対した徳川義親議員(侯爵、尾張徳川家当主)は言う。
司法大臣は、本案は極めて明瞭なるものであって、曖昧な点がない、之を用いるに当たって少しも疑いのあるはずがないと仰いましたけれども、果たしてさうであるかどうかと云ふことは、私は信じることが出来ないのでございます、之を立案いたしました方、立法者に於きましては成程明瞭で以て何等の疑を挿む所はございますまいが、之を実際に用いますのは立法者ではございませぬで、又必ずしも立法者と同じ心を持って居るものではないのでございます、実際此法を用います者は裁判官でも至って少いのでありまして、多くは警察官でございます、必ずしも之を誤って用いることなしとせないのでございます。外の法律と違ひまして、峻厳極まりないものでございまするが故に、一度誤って用いました其結果は誠に恐ろしいものでございます。

此法律がございませぬでも、新聞紙法、出版法、治安警察法等がありまして、朝憲及国憲の紊乱は、十分に取締まることが出来るものではないかと私は思ふのでございます。私の見ます所に依れば峻厳極まりない此法律の実際に当りまして、政府当局に果たして十分な用意がありや否や、細密な用意が欠ける所があるやうに思はれるので、私は茲に俄かに賛成出来兼ねるのでございます。

さすが自民党さんは歴史に学んでおいでだ。
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2016年09月05日

岡田さんが論壇デビュー?!

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本9月5日付けの読売新聞文化面。
我らが同志である岡田一郎氏がついに論壇デビューを果たした。
先に中公新書で刊行された『革新自治体 - 熱狂と挫折に何を学ぶか』の著者である。

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現在では「財政赤字を増やした」と負のイメージばかり語られる、1960〜70年代の革新自治体の実像を再検証した一冊。私が長年住んでいるC市もまさにこの革新自治体の先鋒的存在だっただけに、関心はあったものの、気軽に読める良書が無く、良い機会となった。当時の国政や政党の系譜から、全国の主な革新自治体の始まりから終焉まで扱っているだけに、網羅的になってはいるものの、非常に読みやすく、国政と政党との関係まで含めて分かりやすい構成になっている。詳細は、書評を書くつもりだが、負のイメージを払拭させ、現在に通じる課題を示してくれる貴重な一冊と言える。


若干の補足をしておくと、本書にはなぜか左派の側から「共産党の協力についての記載が少ない」「後世の歴史家視点すぎる」旨の批判が寄せられ、むしろ中間から右派側からの評価の方が高いくらいなのは非常に興味深い。また、確かに当時の革新自治体運動は終焉を迎えたものの、私が住むC市は民共社の連立政権が14年も続いており、隣のK市では最近まで12年間共産党政権だった。確かに全体から見れば少数派だが、決して「失われた」わけではなく、その価値と存在意義は形を変えてもなお健在なのでは無かろうか。
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2016年09月04日

無利子奨学金よりも学費値下げを!

【無利子奨学金、希望者全員に貸与…年収には条件】
 文部科学省は2017年度から、大学進学者などへの無利子奨学金について、世帯年収や成績の基準を満たした希望者全員に貸与する方針を固めた。対象となる約49万9000人分の財源として、17年度予算の概算要求で3378億円(前年度比156億円増)を要求する。無利子奨学金を受けるためには、基準となる世帯年収を下回ることや、高校の成績が5段階評定で平均3・5以上あることが条件となる。16年度にこの基準を満たしたものの、予算不足で貸与されていない学生が約2万4000人いるため、文科省はこの分を含めて予算獲得を目指す。一方、17年度から低所得世帯の学生は平均3・5を下回っても無利子奨学金を申請できるようにする。
(8月31日、読売新聞)

奨学金は当然ながら、そもそも教育扶助に年収制限を設けるべきではない。近代社会においては、「教育の受益者は個々人では無く、社会全体である」という考え方から公教育が普及してきた経緯がある。「教育の受益者は個人であり、受益者が費用を負担すべき」とする考え方はアメリカでこそ根強いものの、全体で見れば圧倒的に少数派だ。ヨーロッパでは現在でも前者のスタンスを貫いているが、イギリスや日本では後者の傾向を強め、学費の値上げが続いている。

日本を見た場合、国立大学文系の学費は、1971年で1万2千円、81年で18万円、91年で37万5千円、2012年で53万5千円。給与所得者の平均年収は、71年が101万円、81年が313万円、91年が460万円、2012年が473万円。学費が44.5倍に対して、賃金は4.7倍。大学生の半分が借金するのは当然だろう。
子どもを大学に行かせること自体が、「贅沢」になっているのだ。逆に大学側は毎年交付金を減額されて、学生と教職員から収奪するほかなくなっており、何か理由を付けて学生から金をとり、可能な限り講師を非正規にすることになる。若年層の貧困が加速し、大学の人的基盤が弱体化するという、負のスパイラルに陥っている。わが一族が人的再生産をやめたのは合理的判断だった。

学費を実際に支払うのは親・保護者だが、奨学金を返済するのは本人であり、雇用の不安定化が進む今日、大卒資格は高収入を約束するものではなくなっており、若年層の社会参入時点で数百万円からの借金を背負わせ、自立・結婚・出産などを遅延させる大きな原因になっている。つまり、若年層に借金させることは、結果的に社会の負担を重いものにしてしまうのだ。

無利子奨学金は「意味が無い」とは言わないが、まずは高等教育や後期中等教育(高校)の学費そのものを値下げする必要があり、それも年収制限を設けずに、全ての人が恩恵を受ける形にすべきだ。
ただ、個人的には大学の数が多すぎることがレベル低下とブラック化を誘発していると考えているので、そこは整理する必要があると思われる。

【追記】
ちなみに1960年代半ば、私の母が参加した「学費値上げ反対闘争」に際しては、国立大学で8千円から1万2千円、慶大で13万円から28.5万円の値上げだった。正確には調べないと分からないし、変動も激しいのだが、当時の祖父の給料は150万円前後だったと考えられる。現在の物価に直すなら、国立大学の学費(年間)が4万円から6万円に値上げされる感じで、これに対してストライキやロックアウトを行っていた。
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2016年09月02日

民進党代表選挙2016の初期情勢

民進党代表選挙が告示された。
参院選、都知事選と続いてようやく一息ついたところにまた選挙。源文マンガばりに「戦士には休息が必要だ」と言いたいところだが、「もう休んだだろう」と言われれば致し方ない。
だが、前回の代表選から1年半で代表が辞任しての選挙であり、そもそもこんなにコロコロと党首が替わる野党第一党に支持が集まるとはとても思えない。支持が安定しないからこそ、代表のクビがコロコロ替えられるという点では、悪循環に陥っている。一つには、代表任期が2年と短く、短期的な成果を挙げるべく目先の目標に血眼になってしまって、長期的視野に欠けるところが大きい。せめて衆議院の任期期間中は代表選をやらないとか、任期を3年にするなどの改革をする必要があるのではないか。

今回の代表選は、都知事選の最中に野田元首相が岡田氏に「次の代表選で君は推さない。うちの蓮舫で行く」と宣言したことを受け、岡田代表が「もはやこれまで」と都知事選投票前日に不出馬表明したことに端を発している。その背景には、参院選でこそ1千万票をとったものの、支持率自体は長期低迷している民進党に対する、「岡田代表では全く新味が無く、自民党の対立軸たりえない」とする不満の高まりがある。同時に野田派としては、NK党などとの野党連携への強い不信もあった。
蓮舫氏自身は、前回の代表選の時も出馬の意向を示していたが、推薦人が集まらずに断念したが、今回は岡田執行部を引き継ぐ形で代表選に臨んでいる。

構図としては、野田派を中心とする岡田執行部に連合系の議員が便乗する蓮舫氏、野田派を除く党内右派を糾合した前原氏、若手と菅派と維新残党の一部が支援する玉木氏の三人が争う形になっている。
だが、蓮舫氏は参議院議員であることと、人格的な問題から、特に衆議院議員の間ですこぶる評判が悪く、派閥の関係で応援している議員も消極的に見える。公表された政策・主張は党マニフェストのコピペに過ぎず、独自の主張が全く無く、「真空ぶり」を露呈している。一方で、産経新聞のインタビューでは、「私は野田佳彦ばりのバリバリの保守」などと宣言してしまっており、自ら「自民党の二軍」ぶりをアピールしてしまっている。ただ、政策とは無縁の自治体議員は「党の顔」として蓮舫氏を支持する声が圧倒的に強く、一般党員・サポーター票でも他を圧倒すると見られる。

前原氏は、かなり前から代表選出馬を準備していたようで、雑誌『世界』に掲載された対談では社会民主主義者かと思わせるほどの左傾ぶりを見せている。だが、実際の党内左へのアプローチはかなり遅れてしまった上、氏が代表だった時の「連合との関係を見直す」発言がいまだに尾を引いていて、その「前原嫌い」を払拭することはかなわず、前原氏本人の思惑とは異なり、「フタを開けてみれば右派ばかり」になってしまっている。それどころか、自派閥の議員で選対会議に出席しているのは数人という有様で、全く統制できていない。
そもそも「自民との対抗軸をつくるには左傾化するしか無い」という考えを具現化したのが、小沢・鳩山路線であったはずで、その2人を放逐した張本人が今になって同じことを言い出すのは、「笑止」でしかない。

三人目の玉木氏も、「若手」というだけで、そのスタンスはあくまで保守であり、本来は前原氏の系列にあった者だが、「旧人類の支配を脱する」という若手や「他に行き場所が無い」議員らの手助けを得て立候補に至っている。だが、知名度は低く、その政治力も全く未知数であり、党の運営や政策方針についてのスタンスも全く見えない。現実には泡沫扱いだろう。

全体的には、全く盛り上がりに欠ける選挙となっており、ごく一部の者以外は選挙自体を迷惑がっている節が強い。同時に、候補者の全員が保守系で、前原氏が左派寄りの主張をしたものの、現実の左派は「バリバリの保守」を宣言する蓮舫氏を支援、その左派も「勝ち馬に乗る」だけを目的としている有様で、個人的には「こんな代表選挙はむしろやらない方がいい」くらいの印象を抱いている。

票読み的には、蓮舫氏は一般党員・サポーター票と自治体議員票で他を圧倒しそうだが、最大票である国会議員への支持が広がらず、反発を強めそうな空気がある。前原氏は、党員・自治体議員に地味に支持されているので、基盤を固め、「蓮舫嫌い」票を集めることができれば、決選投票に持ち込めるだろう。決選投票になれば、二位三位連合が結成され、国会議員票の優位性が高まるため、蓮舫氏を上回る可能性もある。つまり、一回目の投票で蓮舫氏に「過半数をとらせない」ことがカギとなる。
現状では、一回目の投票で蓮舫氏が過半数を取りそうな気もするが、国会議員の「蓮舫嫌い」がハンパないので、決選投票にもつれ込む可能性も十分にある。現状はそんなところだろう。
総じて言えば、「とりあえず無難だが、何も変化が期待できない」岡田氏、「イケメンというだけで、強いところにすり寄ってばかりで能力的にも疑問な」細野氏、「弁舌だけは立つが、一匹狼でリーダーなど務まるわけが無い」長妻氏、「(比較的)若い女というだけの貴族院議員の」蓮舫氏という組み合わせなのだ。
私はもちろん仕事で特定の候補を支援することになるだろうが、「誰が良いの?」と聞かれれば、「イヤ、みんなダメだろう」と答えざるを得ない状況にある。それくらい民主党の人材は枯渇しているということなのだ。
民主党代表選2015の初期情勢) 
posted by ケン at 12:29| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

ノリで戦争を選ぶ日本人

先の記事「日露開戦の代償」を書くにあたって、かなり新資料を読み込んだが、あらためて驚かされたのは、当時の日本人の相当数が「いまロシアと戦争しないと大変なことになる」という集団ヒステリーに陥り、それを少壮官僚や若手政治家が利用して、内治派の元老や国際協調派の明治帝を押し切ってしまった事実だった。
それは、司馬史観が言う「明治人たちは優秀だったのに、昭和に入ると別人になってしまった」という設定自体が虚構、あるいは司馬らが「信じたかった」ものだったことを示している。

ここで敢えて説明し直すと、もともと日露開戦前、日本政府は「朝鮮半島の独占的権利を確立し、ロシアに認めさせる」ことを政治目標とし、この点については元老を中心とした内治派も、少壮官僚や若手政治家を中心とした外征派もほぼ一致していた。ただ、手段として、内治派は「あくまでも対露交渉がメイン」としたのに対し、外征派は「軍事同盟などの国際圧力を駆使し、武力行使も辞さず」というスタンスだったことが大きく異なっていた。
ところが、日英同盟が成立し、日露交渉が難航すると、いつしか「極東におけるロシアの脅威を全面的に排除する」という方向で話が進んでしまい、国内世論もどんどんヒートアップして「戦争するなら今でしょ」「やらないとか言うヤツは国賊」という流れになり、外征派としても「振り上げた拳は下ろせない」形になってしまった。
そして、ほぼほぼ成立していた日露交渉を「聞かなかった」ことにして、日本は対露宣戦布告して開戦と同時に奇襲攻撃を行った。その代償は、9万人の死者、80年にわたる借金の返済、そして身の丈に合わない軍事大国への道だった。
私が強調したいのは、政治目的を達成するために軍事力を駆使する本来の姿と異なり、当時の日本人は武力行使そのものを目的としてしまったことであり、この点、明治人も昭和人も実は大差なかったのではないか、ということである。

昨年には「日清戦争の「勝利」を検証する」を著した。
日清戦争は政策担当者の主観的には外交交渉の敗北を軍事的勝利をもって上書きすることを目的とし、政治的には朝鮮半島から清国の影響力を排除して日本の単独的影響力を確立することを目的として始められた戦争だった。
結果的に日本は軍事的勝利を収めて清国を屈服させ、客観的にも主観的にも勝利を収めた。ところが、本来の戦争目的である「朝鮮の独立(独占的支配権の前提)」については、朝鮮を清帝国圏から脱しせしめたものの親露国にしてしまい、今度はロシアの影響力を排除するために(より難敵である)ロシアと戦争する必要が生じてしまった。
朝鮮が親露国になった直接的原因は三国干渉にあるが、これは日本が清国をめぐる暗黙の国際合意に配慮せず、また他の列強の後援(了解)を得ずに清に過大な要求を行った結果、生起したものだった。
その三国干渉が切っ掛けとなって列強の対清侵略が進み、清帝室の威信は低下、財政的にも破綻して瓦解、日本は交渉相手を失うが、同時にこれを奇貨として大陸進出を図って行くことになる。日本の帝国主義的欲求を刺激したのは、日清戦争における過大な勝利と要求だった。
つまり、日清戦争も軍事的には勝利したものの、本来の政治目的は達成できず、むしろいたずらに清、ロシア、韓国の警戒心と疑心を煽る結果に終わった。やはり、「政治目的を達成するための武力」という原則は貫かれていない。日清戦争においても、同じく国論が沸騰し、元老以外の殆どで開戦論が主張されている。

一昨年には、「文民統制と和平交渉」で日華事変初頭における盧溝橋事件と南京進撃の意思決定を検証した。
この頃になると、そもそも政治目的が不明で、私も色々読み込んだが、近衛首相を始めとする政府要人が「日本の国益として何を目指していたのか」すらよく分からなくなっている。結果、日本政府は要求水準をいたずらに上げて和平交渉を自らブチ壊す一方、国民世論はマスゴミを中心に「暴支膺懲」でヒートアップし、対中武力行使を全面的に支持した。ここでも、武力行使そのものが目的と化してしまい、「武力によって獲得すべき政治目的」が分からなくなってしまっている。
敢えて昔との違いを言えば、日清戦争が「政治的失敗を武力で挽回」、日露戦争が「政治目的はあったけど、武力行使でより多くの成果が達成できそうだったし、今さらやらないとは言えないからやってみた」のに対し、日華事変は「ちょうど良いときに火が付いたので、やれそうだからやってみた」という程度でしかない。確かに症状としては、後世になるほど悪化しているものの、マキャベリズム的な思考からすると、どれも「政治家が愚劣で何も考えていないから、安易な武力行使に走った」と評価せざるを得ない。当然のことながら、これが日米戦になるともっと酷くなる。
要は、いずれの戦争もおよそ合理的判断に欠けているのだ。

他方、本ブログではソ連の武力行使に際する意思決定も検証している。「ソ連のアフガニスタン介入における意思決定過程」では、ソ連共産党指導部が「ソ連人300人殺害」という大事件が起きながらも自制を働かせ、参謀本部や外務省がそれぞれ専門的な理由から反対する中、最終的には長い議論を経て「アフガニスタンの同志からの要請は断れない」「同国に親米政権が樹立すれば弱い腹部がさらされる」「これまでの投資が無駄になる」などの理由から軍事介入を決断している。
最終的には失敗し、国際社会からも「悪」と断じられたものの、そこには少なからぬ合理的判断(明確な政治目的)と十分な議論が存在した。

プラハの春−ソ連の対応と誤算」では、チェコスロヴァキアへの軍事介入を決断したブレジネフ執行部の意思決定を検証した。経済改革と保守派の追放に始まったチェコスロヴァキアの改革が共産党による統制を失い、党内の分裂も相まって制御不能に陥り、共産党体制の瓦解とソ連・東欧ブロックからの離脱が真剣に危惧されたことから介入の決定がなされた。その介入についても、ソ連側はチェコスロヴァキア側に対して再三にわたって警告を発し、ワルシャワ条約機構(WTO)加盟国の首脳会談を複数回行い(ドレスデン、ワルシャワ、ブラチスラヴァ)、調整に調整を重ねたものの、チェコスロヴァキア側の対応に全く変化が無かったため、軍事介入の決断を下している。
この場合も、明確な政治目的が存在し、「他に手段が無い」ことが確認された上で武力行使が決断されており、善悪は別にして十分な合理性が認められる。

一般的には「ロシア人は何を考えているか分からない」と言われるが、それは内側がブラックボックス化しているため思考や意思決定が分かりづらいだけで、実はかなり理性的な議論と判断がなされている。
むしろ日露開戦時にロシア人が驚愕したように、歴史的には日本人の方が「ここで武力行使するの?」という局面で全面行使に踏み切るケースが多く、しかもそこには明確な政治目的が介在せず、意思決定過程も曖昧であるため、合理的判断が介在する余地を狭めてしまっている。
その意味で、現行憲法の第9条が全面的に武力行使を禁じているのは、「我々日本人は、何も考えないで戦争したがるから(しかも反省しないし)、最初から禁止しておこう」という措置と捉えることも可能なのだ。

【追記】
日清戦争に見られる「政治外交的失敗を軍事力で覆す」という手法は、現代でも見られる。アメリカによるアフガニスタン侵攻は、自国が養成した対ソ戦ゲリラや国際テロリストが、自らの手を離れ、さらに噛みついてきたために起こしたものだった。また、同じくアメリカによるイラク侵攻も、湾岸戦争の未処理と中東政策の失敗を軍事力によって糊塗するために行われた面がある。だが、いずれの武力行使も、軍事的には成功したものの、本来の政治目的は達成できず、むしろ米国に対する怨嗟を拡大させて、中東からの撤退を加速させる方向に働いている。
posted by ケン at 12:54| Comment(2) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする