2016年09月10日

蓮舫氏国籍問題の諸相・補

先の稿について、歴史的経緯を補足しておきたい。

台湾は、1895年4月に締結された日清講和条約(いわゆる下関条約)によって清国から日本に割譲された。だが、締結時には日本はまだ台湾を占領下においておらず(休戦4日前に膨湖島を占領したのみ)、5月には在台漢人を中心に「台湾民主国」の建国が宣言された。これを受けて、5月末に日本軍が台湾に上陸し、「乙未戦争」が始まった。台北はすぐに陥落したものの、全島でゲリラ戦が展開され、平定は11月になった。日本軍は、7万6千人が上陸、5千人以上の死傷者を出しており、抵抗の大きさが伺われるが、日本の教科書や歴史書に書かれることは殆ど無い。

下関条約は第5条で、台湾住民に対し、2年の期限内に退去しない場合には「日本国の都合により日本国臣民とみなすことあるべし」と定め、日本政府の裁量で日本国籍の取得を認める方針を示した。ただ、これは漢人・漢族に限った話で、先住民については「化外の民ゆえに皇民として教化できた暁には臣民と認める」という方向性だった。

1896年3月には、「台湾に施行すべき法令に関する法律」が施行され、台湾における立法事項は、帝国議会等の立法をそのまま適用するのではなく、台湾総督の律令(命令)をもって施行する方式が採用された。これが「外地」の誕生となる。
同時に国勢調査が進められ、「台湾戸籍」がつくられるが、内地の戸籍との互換性がなく、婚姻や養子縁組に大きな支障があった。これが緩和されるのは、1933年のこととなる。
なお、「台湾戸籍」はあくまでも本島人を対象にしており、先住民については「蕃社台帳」に登録された。
そして、戸籍の本籍が内地にあるか外地にあるかで、同じ日本臣民の中で「内地人」と「外地人」に区別がなされた。その外地人の中でも、「本島人」と「蕃人」に分けられた。
戸籍には「本籍不動(本籍転属禁止)の原則」があり、抜け穴が無いわけではなかったものの、同じ帝国内に深い溝があったことは強調しておくべきだろう。

帝国とは複数の国家・領域や勢力・民族を支配する体制(システム)を指す。一般的には帝国というと、一民族が他民族を抑圧的に差別して支配するシステムというイメージが強いが、実情はそうではなく、むしろ単一性の高い民族国家の方が少数民族に対する抑圧が強い傾向がある。これは多民族国家を前提として国民統合を図る帝国と、一民族の自存を目的として国家共同体を存立させている民族国家との違いによるところが大きい。
大日本帝国の場合、江戸幕藩体制を統合する目的で帝国を建国し、「大和民族の統合」については一定の成果を挙げたものの、台湾や朝鮮を併合するに及び、帝国の原理を逸脱してしまった。結果、第二次世界大戦において日本は植民地からの戦時動員に難儀することになる。

1937年7月に日華事変・日中戦争が勃発すると、日本はあっという間に兵力不足に陥る。総力戦体制への移行が課題となる中で、戸籍法が施行されていない植民地からは徴兵することができなかったためだ。
台湾では、1942年4月に陸軍志願兵制度が施行され、43年9月には東条内閣が45年度より徴兵を実施することが閣議決定した。これを受けて、43年11月に兵役法が改正されて、「戸籍法又は朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受くる者」の文言が削除され、戸籍法の適用有無に関係なく兵役義務を課すことができるようになった。動員された台湾人は20万7千人に及び、戦死者は3万人だった。
なお、徴兵制の施行に伴い、1945年4月には衆議院議員選挙法が改正されて、台湾には5名の議席割り当てがなされたものの、総選挙は行われないまま終戦を迎え、同年12月には参政権も停止された。この時も、選挙人資格は「15円以上の納税」という要件が課されており、差別は解消されなかった。

1952年に日華平和条約が発効すると、発効時点で台湾戸籍に入っていたものは自動的に台湾人として扱われ、日本国籍を喪失、内地戸籍にあったものは引き続き「日本人」となされた。この際、現住所や生活基盤の場所などについては、一切の考慮がなされることなく、ただ機械的に本籍地で振り分けがなされた上、台湾人には日本国籍を留保する権利すら与えられなかった。これは、当事者の合意無くして国籍の変更を強要したことを意味し、近代国家の国際慣行(国籍選択権の担保)に反するものだった。
日本国籍を失った台湾人が、日本国籍を取得するためには、他の外国人と同様、帰化申請を行う必要があった。1950年5月に施行された新国籍法は、「日本国籍を失った者」に対して3年以上の居住によって帰化を認めるという要件緩和条項が設けられたものの、旧植民地人はこれに該当しない、というのが政府・法務省の見解だった。
当時、少なくない数の反国民党(反重慶政府)系の台湾人が、「国民党政府に引き渡されるとなると、我々の生命の保証はないから、何とか日本国籍にしてくれ」と日本政府に泣きついたものの、極めて冷淡に拒否されたという。

本稿において重要なのは、蓮舫氏の父君が旧帝国臣民で、日本国籍保持者だった点である。自国の過失により、敗戦という事態を招き、あまつさえ忠義を尽くした植民地臣民に対して日本国籍選択の権利すら与えずに、他国に放逐したという自覚を持たずに、台湾との重国籍を批判するのは、あまりにも無責任ではなかろうか。
帝国を肯定・否定するにかかわらず、我々は、大日本帝国の負債を背負っているのである。

【参考】
『戸籍と国籍の近現代史−民族・血統・日本人』 遠藤正敬 明石書店(2013)
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする