2016年10月06日

ヤクニンは「言い値の4倍」がキホン

【東京五輪開催費、3兆円超=競技施設大幅見直しを提案−都調査チーム報告】
 2020年東京五輪・パラリンピックの関連予算を検証している東京都の調査チームは29日の都政改革本部(本部長・小池百合子知事)の会合で、競技施設の整備費や警備コストなどが膨らみ、今のままでは大会開催費の総額が3兆円を超えるとの推計を明らかにした。調査チームは同日公表した報告書で、経費を縮減するため、都が整備するボート競技場など3施設について、都外の施設活用に変更するなどの大幅な見直しを求めた。これを踏まえ、都は具体的な検討に着手する。小池氏は席上、「大変重い提言だ。ベストのソリューション(解決策)を見つけていきたい」と表明。「レガシー(遺産)のある東京大会ができると確信しているし、成功させなければならない」と語った。
 開催費は招致段階で7340億円と見積もられていた。しかし、報告書によると、新国立競技場など競技施設や周辺インフラの整備だけで経費は7640億円。このうち、約800億円と見込んでいた仮設施設(大会後に撤去)の建設費が2800億円程度に膨らむ。
 さらに、大会中の警備や輸送などに1兆2000億〜1兆6000億円の費用が掛かると試算。割高な工事発注など、都の予算管理の甘さの影響でコストがさらに増え、全体では3兆円を超える可能性があるという。
 このため調査チームは、大会後も活用する恒久施設として、都が新たに建設する七つの競技会場のうち、3施設の大幅見直しを提案。(1)ボートやカヌーの会場となる「海の森水上競技場」(整備費491億円)は、「復興五輪」の観点からも宮城県登米市のボート場活用などに変更(2)競泳会場の「アクアティクスセンター」(同683億円)は、近くの東京辰巳国際水泳場の改修や規模縮小で対応(3)バレーボール会場の「有明アリーナ」(同404億円)は、既存の展示場改修や規模縮小で対応−の検討を求めた。いずれも、五輪後の利用者数などの見積もりが過剰で、費用対効果が不透明だと指摘。ただ、既に着工している施設もあり、計画を見直す場合は、国際オリンピック委員会(IOC)などとの協議が必要となる。また、組織委員会が受け持つとしている仮設施設の整備をめぐる役割分担見直しも提案。自転車競技会場の「有明BMXコース」など都内に建設する5施設は都が整備費を負担し、他県に立地する施設は地元自治体が国の財政支援を受け整備するよう求めた。
(時事通信、9月29日)

東京五輪運営費の見積もりが7300億円から3兆円超に。この業界では歴史的に「ヤクニンの見積もりの4倍」が相場である。
日清戦争の開戦に先だって、陸軍は「平時編制の一個旅団2千人」を朝鮮に派兵すると説明、伊藤博文首相は「多すぎる」と躊躇するもこれを説き伏せて、実際には戦時編制8千人を出して清国軍に襲いかかった。伊藤よりも慎重派だった明治帝はいい面の皮で、「朝鮮に派兵しても決して戦争にはなりません」と説明されていたにもかかわらず、いざ戦端が開かれるとすぐに宣戦詔書案が持参され、怒り狂っている。

日露戦争時に外債の募集に当たった高橋是清は、最初に戦費にいくら掛かるか聞いたところ、「4億5千万円」と説明され、税収が2億円に満たない当時、「集まるわけが無い」と悲痛な思いで渡航した。今日の金額に直せば、「戦費120兆円かかるから、よろしく頼むよ」と言われるような話で、絶望的になるのは当然だった。だが、実際に掛かった戦費は19億円に及び、外債だけで8億円となった。その負債は、借り換えに借り換えを重ね、完済したのは終戦から80年後の1986年のことだった。

シベリア出兵に際して、外交調査会で出兵兵力と展開先を尋ねた犬養毅は、外務省から「平時編制一個師団、ウラジオストク周辺に限る。ただ、チェコ軍救援の必要が生じれば、もう一個師団をシベリア方面に送るかもしれない」と説明を受けたが(平時2個師団は最大1万8千人)、現実には戦時編制4個師団、実兵力7万4千人が、シベリア全土、イルクーツクに至るまで展開するところとなった。
これも陸軍の計画では、沿海州に2個師団4万3千人、ザバイカル方面に5個師団10万8千人の、計7個師団15万人超を展開させ、さらに6個師団を内地に待機させることになっていた。
「米国と協調してチェコ軍団(3万4千人)を救援する」という名目は建前で、シベリアを支配、ないしは属国をつくることが真の狙いだった。

健全かつ一定の強度を持った野党が存在しないと、官僚の暴走に歯止めを掛けることは出来ないのだが、どうも日本史上、まともな野党が存在した試しがないのではないかと思われて仕方ない。
東京五輪の私物化と暴走は、一義的にはイシハラ知事と自民党と都官僚の共謀(凶暴?)によるものだが、本来それをチェックして歯止めを掛けるべき有力な野党が存在せず、その役を担うべき民主党が、五輪開催に同調してしまったことにこそ真の問題がある。代議制民主主義の不在である。

例えば、ヴィルジニア・ラッジ・ローマ市長は、「1960年のローマ五輪の負債すら完済していないのに、また大借金するのか!」と立候補を取り下げた。健全な民主主義が機能するというのは、こういうことである。
日本政治はすでに腐海の底に沈んでいる。
posted by ケン at 12:17| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

英語で授業するという愚劣

文科省は将来的に、大学における一般教養授業の3分の1から半数を英語で行う方針を打ち出している。高等教育機関は独立性が保障されているものの、日本の場合は欧米諸国より従属度が高いこともあり、多くの大学で検討が進んでいる。私が大学院で学んだTG大なども率先して検討しているようだ。だが、これほど愚劣な方針は無い。
普通に考えて、日本語を母語とする教員が同学生に授業しても十分には理解されないのに、英語が得意なわけでもない教員が、英語を十分に理解できない学生に、高等教育の教授科目を教えるのだから、ますます理解度が下がるだけの話で、「誰得」な話なのだ。

正確な数字については様々な議論があるようだが、一般的に学校で教員が発信する情報のうち、生徒が受けとめて理解できるのは平均で3〜4割程度らしく、大学以上になると2〜3割程度になってしまうという。
さらに、それを外国語で行う場合、その外国語を理解する者でも2〜3割程度しか入らないと言われる。つまり、大学において英語で授業する場合、学生は教授が発する情報の10%以下しか身につかないことを意味する。
もともと大学の教員は、高校以下の教員と異なり、教授法の訓練を受けておらず、本来的には教育そのものが職務でないこともあって、「学生に理解させる」インセンティブに欠ける。そこに英語で教えろと言うのだから、ますますクオリティを低下させる結果にしかならない。
要は、文科省も大学も、自ら教育の非効率化を進めているのだから、「バカじゃ無いの!」としか言いようが無い。

私もロシアの大学で教えていた経験があるだけに確信を持って言うが、外国語で授業するというのは、準備も含めて母語の何倍もの時間とストレスが掛かる。しかも、それを日本の大学で日本人相手にやれと言うのは、全く意味が分からない。

グローバル化云々という話であれば、英語教育の特化機関やコースをつくって一年間集中してやらせて卒業を一年間遅らせれば良いだけの話で、その方がよほど効率性が高く、教員にとっても学生にとっても大学にとっても良いはずだ。

もっとも、先に述べた通り、この数年で言語工学は驚異的な進化を遂げ、機械翻訳の精度は非常に高くなっている。10年以内にも、大多数の翻訳は機械で足りる時代が実現する勢いであり、それを考えれば、文科省や大学機関の先見性の無さと愚劣ぶりが際立っていると言える。その意味では、日本の大学に通うこと自体、馬鹿げているとも言えなくも無いのだろうが。
同時に、「母語で高等教育が受けられる」という優位性を放棄しようとしている日本政府は、存在自体が売国的であり、Nation states=民族国家の名を冠するに値しない存在と化しているのだ。
posted by ケン at 13:39| Comment(4) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月04日

急進化する自動翻訳技術

【話した言葉、すぐに翻訳…五輪へ官民で技術開発】
 政府は2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、話した言葉を瞬時に別の言語に翻訳する自動音声翻訳技術の開発を加速させる。訪日外国人の急増で翻訳の需要が高まっているためだ。15年度からの5年間で計約100億円の予算を投じ、官民を挙げて取り組む。20年頃には自動翻訳機による「おもてなし」が実現する可能性がある。「一列に並んでください」。メガホンを口にあてて日本語で話すと、メガホンのスピーカーからは英語や中国語に翻訳された合成音声が出てきた。パナソニックが開発中のメガホン型の自動翻訳機だ。駅や観光地など不特定多数の外国人が集まる場所で、一斉に案内をするのに効果を発揮する。東京都が今月行った防災訓練でも避難誘導に使われた。
(9月26日、読売新聞)

このネタも繰り返し扱っているが、容赦されたい。

10年前、TG大の大学院である教授から「自動翻訳技術はこの10〜15年で確立する」と言われ、「なるほどそうかも」と思ったものだが、現状はほぼ実現する見込みだ。特にこの数年、「単語の置き換え」からユーザー参加型のディープラーニングに軸足が移ったことで飛躍的に精度が向上している。
まず画像認識と音声認識の精度が向上し、さらにネットワークから得たビッグデータが認識精度を高めている。SNSの普及により、会話とコミュニケーションのデータが無限大に拡大したことも影響している。
今のところ、FBの翻訳機能をみても使える気はしないのだが、ゲーム関係の翻訳はかなり自動化が進んでおり、その精度も日に日に上がっている。使えば使うほど精度が上がるのだから当然だろう。将棋や囲碁のレベルがプロ並みになったのも、ディープラーニングを導入したからであり、古今東西すべての棋譜を収集して学習し最善手を導き出すに至っている。

一方で、人間の学習能力はさほど向上しておらず、様々な環境要因や精神状態に左右されすぎるのは昔と変わらない。外国語教授技術は向上しているものの、だからといって外国語学習が以前に比して飛躍的に効率化したという話は聞いたことは無い。実際、日本における英語教育の水準は以前と変わらず、故に小学校から必修にする方向にあるが、砂漠に水を蒔くような話でしかない。
自動翻訳の技術革新により、殆どの学習者が十年学んでもロクに話せないし、書けないような外国語学習は、間もなく陳腐化するだろう。

「それでも機械翻訳は間違うし、精度も不確かだ」という反論に対しては、「では人間が話す言語は、母語であれ外国語であれ、間違わないのか?」で十分だ。たとえ母語話者同士の会話であれ、100%の意志疎通が図られているということは無く、様々な誤解や認識ギャップを抱えながら、コミュニケーションを交わしている。普段、普通に会話していて「会話が成立していない」と感じることなど、山ほどあるだろう。世の恋人が別れる最大の理由は、コミュニケーションの不成立によるもので、これは意思疎通が不十分だったことに起因する。
つまり、言語に限らず、コミュニケーションに不正確さや認識差は常に存在するものであり、「100%」を求めるのでは無く、「ギャップを受け入れ、楽しむ」くらいの感覚こそが必要なのでは無いか。最近、私は対話型人工知能「罵倒少女」にはまったが、あれはなかなか良かった。来年から本格始動するらしいので、楽しみだ。

AIが自分で意味を理解して翻訳できるようになるためには、もう10年ほどかかるようだが、もはや「すぐそこ」まで来ているのは間違いない。
posted by ケン at 12:28| Comment(3) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

無理目の外国人看護師・介護士

【外国人看護師・介護士、難しい定着「もう疲れ果てた」】
 経済連携協定(EPA)で外国人の看護師や介護福祉士を受け入れて8年。インドネシア、フィリピン、ベトナムから計4千人近くが来日し、600人余が国家試験に合格した。労働力として期待される一方、合格者の3割以上は帰国などEPAの枠組みから離れた。「定着」はなぜ難しいのか――。8月下旬、介護福祉士のインドネシア人女性(31)が6年半暮らした日本を離れ、母国に帰った。大きな段ボール箱一つ分は、介護と日本語の勉強の本で埋まった。「もう疲れ果ててしまった」
 来日前はインドネシアで小児科の看護師として働いていた。EPAの募集を知ると、アニメで憧れた日本に行けると夢が膨らみ、2009年に応募した。来日後、4年間は施設で働きながら研修をする。仕事は楽しく、覚えた日本語で利用者と冗談を言い合った。夕方には自習時間があり、月2回は日本語教室に通わせてもらった。日本の制度や専門用語は難しかったが、過去の問題を頭にたたき込み、14年に介護福祉士の試験に合格した。ところが、合格後に生活は変わった。国が補助金をつけて施設に研修を義務付けているのは合格するまで。勉強の時間はなくなり、家賃の補助も出なくなった。合格しても給料はほとんど上がらず、長期休暇も取りづらかった。
 昨年末から夜勤リーダーの見習いが始まった。最初ははりきったが、期待はすぐにしぼんだ。日勤への申し送りは、15分間で入所者42人分の夜間の状況を口頭で伝える。「失禁があって全更衣しました」など日常会話では使わない言葉を早口で言う。発音が悪いと、「何を言っているか分からない」とダメ出しされた。毎晩残って練習し、3カ月間の見習い期間の最後に臨んだ試験。5人分の状況を伝えるのに10分かかったところで、打ち切られた。このころ、日本の受け入れ機関である国際厚生事業団にメールで送ろうと、書き留めた文章がある。「ずっと我慢して仕事をしながら、申し送りの勉強をしていましたが、やはり疲れました」――
(9月18日、朝日新聞から抜粋)

この問題は、もともと国内における医療・介護の需要増に比して、同労働力の不足を補うために外国人労働者を認めたことに端を発している。現実には労働力そのものは不足しておらず、看護師、介護士、保育士などの資格保持者の数は需要をはるかに上回っているものの、同職を忌避して他の職業や無職を選択するものが非常に多いため生じている。
つまり、医療、介護、保育などの労働環境や待遇があまりにも劣悪であるために、国内労働者に忌避されているだけの話であり、それを外国人労働者や技能実習生という名の外国人奴隷によって穴埋めしようというのが、政府と財界の方針なのだ。だが、日本人が耐えられないほどの苦痛とストレスを感じる職場や労働を、言葉も不十分で文化も異なる外国人がなぜ耐えられるのだろうか。その根底には、外国人を「人格の無い労働力」としてしか捉えられない官僚や財界人の非人道的精神が存在する。
そのため、労働環境や待遇の改善を図るのでは無く、収奪構造はそのままにして、より安価な労働力を外国から導入しようとして、上記の記事のような話が生じている。

マルクス風に言うなら、資本は労働を収奪することでしか利潤が上げられない一方、労働者には自らの労働力しか売り物がないため、本質的には収奪される一方にある。それを回避するには、労働力の不提供=ストライキを行うことで資本家に対抗するほか無い、ということになる。現実には、日本の看護・介護・保育労働者はストライキを打たずに、他職に回避するという消極的サボタージュによって対抗し、資本側は安価な労働力の輸入を図ろうとして失敗しつつある。
さて、次に来るのは何なのだろうか。
posted by ケン at 12:53| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

GMT Normandy 44を初プレイ

発売から6年が経過しているが、GMT社の「Normandy “44」を初めて並べた。O先輩が独軍、ケン先生は連合軍を担当。
デザイナーはシモニッチ氏で、「Ardennes “44」「France 1940」と同系譜のルールになるが、それぞれ微妙にルールが異なるので、一々細部を確認せねばならず、問題となっている部分がどこに記載されているかも分かりづらいため、かなり時間が掛かってしまった。7時間ほどプレイして、6ターンまでしか進まなかった。
とはいえ、ルールが細かい割には、プレイ自体は難しくなく、プレイアビリティ的にはエポック社「D−Day」よりも高いかもしれない。慣れてしまえば1日で10ターンくらいまで進められるかもしれないが、史実の大嵐が14〜17ターンなだけに今少しプレイアビリティが欲しいところだ。ゲーム時間で1ターン1日なので、「10日じゃ分からないな〜」という印象だ。もっとも、本ゲームでは天候はランダムで、半分の確率で晴天、6分の1で嵐という設定になっている。
なお、1ヘクス3.8km、1ユニットは大隊〜連隊。

第1ターン、空挺降下はかなり順調に進んだものの、オマハ海岸の上陸戦闘で二回連続「1」を振ってしまい、凄惨な「血のオマハ」が現出した。英国軍担当地域はどこもまず順当に前進できた。
2ターン目、英軍はバイユーを落とし、内陸に向けて展開するが、カーン前面は防衛拠点が並び、一つずつ潰す必要がある。米軍は、ユタ方面は順調に進むが、オマハ方面は「血のオマハ」の影響で、独軍の前進防御の前に、後続を待つほかなかった。

本ゲームは最大比率でも3分の1の確率で攻撃側にダメージが入る上、連合軍といえども毎ターン米英各1ポイントの補充しか来ないため、どうしても損害が蓄積してしまう。
また、連合軍側は、英軍で5個ないしは、米軍で7個の3ステップユニットが全滅ないし基幹部隊まで退化してしまうと、サドンデス敗北してしまうルールがあるため、全連隊がステップロスした師団があると後方に下げざるを得なくなる。下手にステップロスした師団を前線に出しておくと、独軍に「奴らもう勝った気でいやがる。教育してやる!」と言わせてしまうからだ。それだけに連合軍側も、想像していたほど攻撃には出られないのだが、かと言って見送り続けると、独軍の防衛線が強化されてゆくだけの話なので、なかなか厳しいジレンマが設定されている。
勝利条件がいささかゲーム的な気はするのだが、プレイヤーの心理に働かせる効果は認められよう。

3ターン目には嵐が来て、艦砲支援も航空支援もなく、増援や補給ポイントも上陸できず、上陸早々に足止めされてしまう。「天候班は全員クビだ!」とケンゼンハウアー最高司令官。その後も含め、1〜6ターンまでに晴れたのはわずか1ターンだけだった。
カーン前面はどうしても防御がガチガチにされてしまうため、英軍は史実よりかなり早くヴィレル・ボカージュを攻撃し、陥落させるも、第12SS装甲師団「ヒトラー・ユーゲント」に反撃され、撤退を余儀なくされた。
ノルマンディの中央部は、防衛線が比較的薄くなりがちなのだが、カーン方面とオマハ方面の両隣がどうしても進まず、攻撃しても後続が届かない。これも史実と同じだ。
米軍もオマハとユタの双方で、まず順調に進めていたが、独軍側に決定的な打撃を与えるには及ばず、6ターン終了段階でカランタンを落として両海岸を貫通するには至らなかった。史実と同じで、カランタン周辺はどうしても独軍の防御が厚く、米軍はかなりの出血を覚悟する必要があるが、上記のルールがあるため、どうしても側面を攻撃したくなってしまう。

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本ゲームは、どんなに戦力を集めても、攻撃・防御側共に「最大18戦力」という縛りがあるため、防御側は10戦力のスタックを作っておけば「1:1」は担保される仕組みになっている。そのため攻撃側は、装甲優位、練度優位、航空・艦砲・砲兵支援などで戦力比を「3:1」以上にする必要があるが、連合軍は天候が悪いといきなり萎えてしまう。しかも、ターンが進むと、ドイツ軍は装甲部隊が増え、練度の低い部隊から消えてゆくため、ますます戦力比を上げるのが難しくなってしまう。まぁ史実的には「こんなもん」だったのかもしれないが、ゲーム的にはいささか微妙な気もする。
ただ、攻撃側はどんどん損害を出すし、防御側は「断固たる防御」に成功することで、退却を無効にしたり、攻撃側に損害を与えたりできるだけに、ドイツ軍側も色々と楽しめる工夫がなされているのは間違いない。

最終的には、序盤シナリオの勝利条件と比較して「連合軍やや不利」くらいの結果に終わったが、航空支援がほとんど無かったことを考えれば、十分以上に健闘したのかもしれない。ゲームバランス的には良いところなのだろう。
エポック社「D−Day」は二人でプレイするには少し重かっただけに、再戦してもう少し先までプレイして再評価してみたいところである。
posted by ケン at 12:00| Comment(5) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする