2016年10月17日

デフレ下で構造改革する愚劣

自民党も民進党も相変わらず構造改革路線を採っている。例えば、安倍総理は9月27日の記者会見で、
「『働き方改革』は、第三の矢、構造改革の柱となる改革であります。大切なことは、スピードと実行であります。もはや、先送りは許されない」

と述べているし、民進党の岡田代表(当時)は5月18日の党首討論で、
「大事なのは構造改革だ。消費増税の再延期はないと理解する」

と主張、さらに7月10日の記者会見では、
「私は、安倍さんのやっておられることは、例えば社会保障制度の持続可能性にしても、あるいは成長力を高める。潜在成長力は全然高まっていないわけですが、成長力を高める構造改革にしても、財政の健全化にしても、つまり将来世代のためのさまざまな改革を先送りして、今よければいいと。そういう政策だと私は思っています」

と話している。つまり、民進党は旧民主党の「利権政党である自民党に構造改革は出来ない。民主党こそが構造改革の主体たる唯一の資格を持つ」というスタンスを継承していることを示している。これは、岡田氏が前回代表を担ったときに、小泉改革に対して打ち出したスタンスだ。
だが、構造改革の本家を競っている限り、民進党には全く野党たる資格が無い。何度選挙やっても負けるだろう。そして、最大のギモンは、果たして民進党の議員は「構造改革」が何なのか理解しているのか、ということである。

現在主に使われる「構造改革」は、様々な定義がなされており、必ずしも定説があるわけでは無いのだが、大ざっぱに言えば、

「供給側にテコ入れし、市場改革を通じて市場の効率化を図ることで、経済成長を図る」

経済戦略である。端的に言えば、市場の効率化を図ることで供給を増やすという考え方だ。
私の(比較的)専門分野であるロシアのケースで説明しよう。

第二次世界大戦が終了した後、ソ連は東欧圏を自らの勢力範囲として、ブロック化させ、そのまま米ソ対立に突入する。米ソ対立を恒常化させたために、ソ連の産業構造は、戦時体制のまま固定化してしまった。批判を許さない独裁体制とイデオロギー偏重政治が、米ソ対立を優先し、民需転換への機会を失わしめた点も大きい。

結果、重工業と軍需工業ばかりが膨張したいびつな産業構造と「物不足」があらわれた。1928年と基準として、70年の生産財の生産が約138倍に達していたのに対して、非食糧消費財は約25倍、農産物はわずか2.5倍にとどまっている。
市場経済では、需要が供給を上回れば、価格が上昇し、生産・供給が増え、均衡していくのが道理だが、統制経済下では、需給にかかわらず価格は固定であり、供給は党・政府の指令をもってしか行われないため、物不足は慢性化する。
こうして、消費財とサービスの不足が日常化していく。サービスの不足は、「サービス」を「資本主義的なもの」として否定するイデオロギーによって肯定され、サービス部門の発展は見込めなかった。消費財とサービスの不足は、本来国民の所得が向かうべき消費対象が存在しないことを意味する。分かりやすくいえば、「金はあっても買うものがないし、使う先がない」ということだ。

だが、「買えるものがない」一方で、ソ連人たちの賃金は上がり続けていた。「生産量至上主義」に凝り固まっていたソ連政府は、ひたすらに生産における量的拡大にのみ腐心していた。そのため、各企業はリスクを伴う技術革新よりも、工場の拡大と労働者の囲い込みに走った。上から命令された「ノルマ(生産量)」さえ達成すればよく、生産物の「質」は問われなかったからだ。
工場の拡大は、市場の需要ではなく、「党の指令」によって行われる。党もまたノルマの達成のために、工場の拡大を安易に許可した。結果、工場ばかりが増え続け、労働力は慢性的に不足するという事態が生じた。ソ連、あるいは今のロシアを見ても分かるが、廃墟となった工場の多さは、こうした「計画経済」の遺物でもある。慢性的な労働力不足は、自然、賃金を上昇させていった。

賃金の上昇と慢性的な物不足は、市場に貨幣を滞留させる結果となる。市場経済の場合なら、余った金を貯蓄に回すことによって、銀行が市場に再投資する機能を有する。
が、ソ連の場合、「不労所得は悪」というイデオロギーから、預金金利は無きに等しい状態に置かれ、政府・国家に対する歴史的不信も災いして、余った貨幣の大部分が「タンス預金」として家庭に留め置かれることとなった。
また、市場経済であれば、この状態ではインフレーションが起こるのだが、統制経済下では価格は政府によって公定される。その結果、「行列」と「闇市場」が顕在化してくる。

この状態を深刻に受けとめ、改革の必要性を認識したのがゴルバチョフだった。「ペレストロイカ」とは、ロシア語で「改革、再建」を意味するが、それはまさに今日の日本で使用されている「構造改革」だった。
軍需部門の供給が過大で、民生部門や食糧の供給や流通が極めて脆弱だったのに対し、家庭等には貨幣が溢れかえっていた不均衡を改革することが目的とされた。軍需を制限し、民営化や規制緩和を進めることで、民生部門の供給を増やして流通を改善、滞留した貨幣を回収して民生部門の投資に回すことで経済成長を目指したのだ。

ペレストロイカの急務として挙げられるのは、「市場経済化による経済再生」「軍備負担の削減と軍需産業の民需転換」「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」、そしてもう一つ加えるなら、市場経済化と関連して「補助金漬けの赤字財政の解消」があった。

ところが、ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。

最終的にゴルバチョフは、莫大な宿題を抱えたまま、殆ど成し遂げること無く「ゲーム・エンド」を迎えてしまった。
社会主義経済の体制転換は全て失敗したわけではなく、例えばハンガリーの場合、1990年時点で、自由価格率は80%を達成しており、企業民営化も「遅い」との非難を浴びつつも20%に達していた。そのため、ハンガリーでは、他の東欧諸国で見られた大行列の類いは殆ど起きること無く、市場経済と民主化を達成している。
また、中国では農産物の自由価格・流通を先行させて、90年時点で農産物のほぼ全てが自由化されていたため、やはり行列の類いは発生していない。重要なのは、社会主義国でも構造改革に成功した国があるということだ。

前段説明が長くなってしまい、申し訳ないが、では現在日本で進められている構造改革はどう評価すべきだろうか。構造改革は、本来インフレ・ギャップ(物不足)を解消するために、供給側を活性化させつつ市場を効率化させることで、需給バランスをとり経済成長を促すことを目的とする。
ところが、現代日本の問題は、バブル期に最大化させてしまった供給態勢を縮小することをせずに、需要のみが減退してしまった上(バブル崩壊)、1990年代以降も自民党が政権にあり続けたために、供給側を強化させつつ、資本家が労働者を収奪するシステムを容認してしまった(非正規化の推進とサービス残業や超長時間労働の容認)。その結果、過剰な供給態勢の下で、急激な少子高齢化と貧困化によって需要はひたすら低下するところとなり、デフレ・ギャップ(物はあるが、買う金が無い)が進んでしまっている。
つまり、需要が根源的に低迷しているところに、「構造改革、構造改革」と大騒ぎして、供給側を強化し、「労働市場の規制緩和」と称して賃金を大幅に削減したところ、デフレ・ギャップがますます拡大してしまっている、というのが現状なのだ。この点はポール・クルーグマン博士も指摘している。

日本政界でこの点を理解していたのは、小沢一郎氏ほぼ一人で、故に民主党岡田代表時代の「元祖構造改革路線」を転換して、「コンクリートから人へ」で知られる小沢=鳩山路線を打ち出した。これは、「公共事業削減」などで供給側に一定の規制をかけつつ、「子ども手当」や「高校無償化」などで需要を底上げすることで、デフレ・ギャップを埋めて経済成長を促すことを狙いとした。
この路線は、リーマン・ショックも相まって国民の圧倒的な支持を受け、民主党は政権の座に就いたものの、鳩山内閣は様々な理由からわずか半年で瓦解、財務省と財界を後ろ盾にした菅内閣が成立して、同路線を放棄、再び構造改革路線に邁進するところとなった。その後、小沢氏と鳩山氏は、民主党から追放され、同路線は完全に葬り去られ、野党に転落した後も、構造改革路線を継承している。
さらに愚劣なことに、労働者の代表であるはずの連合が、構造改革路線を進める民進党を支持している。これが結果的に、大企業の正社員以外の労働条件や待遇の悪化を加速させ、貧困を加速化し、さらなる需要の低迷を招いている。例えば、電力総連や電機連合は原子力発電、自動車総連はTPP、JR連合はリニア新幹線を推進しているが、それは巨額の税金と搾取(中小企業や非正規労働者)の上にしか成立し得ず、その行く末はどれも大多数の庶民にとって地獄でしか無い。

【追記】
日本では、医療や介護、保育分野などが統制経済下にあり、供給が限定的であるため構造改革が模索されているが、価格統制を残したままの改革は限定的な効果しか得られず、完全民営化すれば膨大な貧困層がサービスをうけられなくなるというジレンマを抱えている。現状は、「統制価格下での民営化」が採られているが、待遇悪化に伴う労働者不足とサービスの質的低下に苦しんでいる。公的サービスの場合、「コスト」「アクセス」「クオリティ」の3つの要素のうち二つは取れるが、残る一つは犠牲になるという原則がある。例えば、旧社会主義国の医療は「無償」「医者が多い」が、医療の質は非常に低い、といった問題があった。従来の日本の福祉はこのバランスが取れていた希有な例であったが、それが難しくなりつつあることを示している。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする