2016年10月21日

ブラックが当たり前の国

【「残業100時間で過労死は情けない」 教授の処分検討】
 「残業100時間で過労死は情けない」とするコメントを武蔵野大学(東京)の教授がインターネットのニュースサイトに投稿したことについて、同大学が10日、謝罪した。7日に電通の女性新入社員の過労自殺のニュースが配信された時間帯の投稿で、ネット上では「炎上」していた。投稿したのは、グローバルビジネス学科の長谷川秀夫教授。東芝で財務畑を歩み、ニトリなどの役員を歴任した後、昨年から同大教授を務める。
 武蔵野大などによると、長谷川教授は7日夜、「過労死等防止対策白書」の政府発表を受けてニュースサイトにコメントを投稿。「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」などと記した。
 電通社員の過労自殺のニュースが配信された時間帯に投稿されたもので、コメントがネット上に拡散。「こういう人たちが労災被害者を生み出している」「死者にむち打つ発言だ」などと批判が広がった。長谷川教授は8日に投稿を削除し、「つらい長時間労働を乗り切らないと会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断した」などと釈明する謝罪コメントを改めて投稿した。
 武蔵野大は10日、公式ホームページに「誠に遺憾であり、残念」などとする謝罪コメントを西本照真学長名で掲載。「不快感を覚える方がいるのは当然」とし、長谷川教授の処分を検討している。
(10月11日、朝日新聞)

これは言うなれば、ノモンハンやインパールから生還した兵士が「北支戦線で戦死とは情けない」と言うような話で、自己の肥大化した認識を全てに適用しようとして失敗する「拡大適用の誤謬」である。
問題は、勝てる見込みの無い戦争を延々と続け、戦力比や補給状態を無視した作戦を行い続けた軍部にあるはずなのに(インパール作戦では多くの白紙部分がある5万分の1か10万分の1の地図しか渡されなかった)、そうした点を批判せずに「厳しい戦場を生き延びた」ことを自己の唯一のアイデンティティとしてしまうようなものを、またぞろ幹部にしてしまう日本型組織や日本社会のあり方そのものにある。
日本型組織は、よく「上に行くほど無能になる」と評される。これは、効率を優先する人材が若年期に潰されて、体力バカの精神主義者のみが出世する仕組みや文化によるところが大きい。AH社「クレムリン」をプレイすると分かりやすいが、若くて優秀な人材ほど「こいつは怪しいから、とりあえずシベリアに送っておこう」という考え方が共有されがちなのだ。

戦前、海軍の航空本部長だった大伯父は、軍令部が提出したマル五(軍備)計画に対して「明治大正の軍備計画」と酷評したところ、「破壊的な議論ばかり」と陰口を叩かれた。そこで、綿密な「新軍備計画(案)」を作成して大臣宛に提出したところ、ロクに艦艇を持たない第4艦隊に(実質)左遷されてしまった。
その一方、特攻の現場では指揮官が堂々と「学生の代わりはいくらでもいるが、士官の代わりは有限だからな」などと宣っていた。これなどは、現代の「辞めたきゃ辞めろ。おまえらの代わりなんていくらでもいる」という社長や上司と同じ精神構造だろう。

数年前に再評価された『蟹工船』は、カニ缶をつくる船における労働者に対する搾取と弾圧をテーマにしている。その設定の一つに、「船上・海上で行われている労働なので、労働法規が適用されない」というものがある。史実的には、戦前には労働法制や労働基本権そのものが存在しなかったので、この部分はフィクションであるわけだが、外国人研修生や非正規労働者が労働法規や雇用保険などの適用外になっている現状とよく似ている。
『蟹工船』では、監督(管理者)の下で過酷な労働と容赦ない暴力が続き、労働者が労働者性に目覚め団結し、ストライキに打って出る。一方、現代日本では労働者が分断され、行動・実力行使を行わないため、管理者による虐待、暴力、過労が蔓延したまま放置されている。

興味深いのは、問題となっている教授が、「つらい長時間労働を乗り切らないと会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断した」と苦しい弁解をしている点だろう。これは言うなれば、ノモンハンやインパールの作戦自体には疑問を抱くこと無く、軍や国家と自己を同一視して、「このままでは日本が危うい」などと判断してしまう精神構造なのだ。これは一種のストックホルム症候群であり、自らが奴隷であることを忘れて主人をかばってしまう奴隷根性の持ち主が、主人の座に就いてしまうとこうなるのだろう。階級的自覚を持たず、ストライキを忌避する労働組合が、資本と同化してしまっていることがこの傾向を加速させている側面もある。
同時に「変えるべき」なのが労働法制や会社文化ではなく、「死んでしまった」個人に「勝手に死にやがって」と責任を帰せてしまう辺りも、日本社会そのものが人命軽視の権威主義に支配されていることを示している。
その意味では、レーニンで無くとも、労働者に階級的自覚を持たせ、啓蒙し指導する前衛党の必要性を覚えてしまう。

問題となった「残業月100時間」はあくまで記録上のもので、記録されていないサービス残業(違法労働)を含めれば果たして何時間になるか分からない。残業100時間だけでも、一日平均12時間は労働している計算であり、被害者のツイッターでは「睡眠時間2時間」と申告されている。さらに、証拠となるツイッターのアカウントも削除されたというから、まさに軍隊がストライキ鎮圧に乗り出した『蟹工船』の時代から何が変わったのかという話なのだ。

ただし、個人の信念を述べただけの長谷川教授は、発言内容については批判されてしかるべきだが、その発言内容を学校組織が咎め、処分してしまえば、それはそれで自由を否定する権威主義に陥ってしまうわけで、組織としては処分すべきでは無い。
問題は、労働者保護の点で全く機能しない労働法制そのものであり、ブラック企業を取り締まる能力も意思も無い労働基準監督署、引いては厚労省・政府のスタンスにある。自民党政権を倒し、政官業の癒着構造を解体、厳格な労働時間規制やインターバル規制を確立すると同時に、資本に協力的な御用組合を解体して労働者の立場に立つ組合をつくれば良い話であり、奴隷根性の抜けない個人を責めてみたところで何も変わらないだろう。
posted by ケン at 12:28| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする