2016年12月26日

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

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『超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条』 フィリップ・E・ テトロック、ダン・ ガードナー 早川書房(2016)

今回の米大統領選の予測は、米国政治の専門家がこぞって外して、的中させたのは専門外の人ばかりだった。同じようなことは30年前にもあった。1984年夏にワシントンの要請で米国学術会議にソ連研究の専門家が集められ、「チェルネンコ後」の予測が行われた。その結果、「頑迷な保守派が登場して対米強硬路線を進めるだろう」というのが専門家内で一致した予測となった。ただ、同会議内のリベラル派は「レーガンの強硬路線を受けてソ連側も強硬路線を採る」と分析したのに対し、保守派は「完成された全体主義国家は全体主義者を選ぶ(路線転換する理由がない)」という理由を挙げた。その半年後に書記長に選ばれたのは、専門家も名前を知る程度のゴルバチョフだった。

この話がさらに面白いのは(本に記載があるわけではない)、スターリンですら1934年2月の党大会で行われた中央委員選挙において、投票総数1059のうち反対票が123から292票も投ぜられたのに対し、ゴルバチョフは党中央委員会の満場一致で書記長に選出されたことにある。
このことは、1934年のソ連におけるスターリンよりも、1985年におけるゴルバチョフの方がより多くの共産党員から必要とされたことを意味する。少なくとも1985年のソ連共産党では、「いかなる形かは別にしても、何らかの改革をしなければ体制を保てない」という認識が(自覚的では無いかもしれないが)共有されていた。同年3月に開かれた政治局会議までに、保守派は自前の書記長候補を出そうと模索はしたものの、適任者を見出せなかった。これは、「頑迷な保守派」ですら改革が不可避であることを否定できなかったことを示している。

にもかかわらず、冷戦の対手であるアメリカにあって、ソ連研究の大家たちは誰一人としてゴルバチョフはおろか改革路線を予見できなかった。要は専門家ほど「リベラルな米国人がトランプを選ぶワケが無い」とか「共産党員がリベラルな指導者を選ぶわけが無い」といった固定観念に囚われやすいということなのだ。日本で言う「木を見て森を見ず」に相当する話だが、普遍的原理のようだ。
逆に、ソ連崩壊を早期から予見していた一人にE・トッド先生がいるが、彼は人口学の大家である上、ソ連の衰退を予見した『最後の転落』を記したのは1976年で25歳のことだった。なお、ハンチントン『文明の衝突』を「妄想」とぶった切る先生も、アメリカの没落については「2050年以降」と慎重な姿勢を見せている。また、先生は2000年の来日時に「長期的なタームで見たとき、ドイツや日本のような社会において個人の安全を脅かすリベラリズム的な状況が続いたならば、極めて右傾化した不愉快な反応が生み出されてもおかしくないのです」と述べられており、凄まじい預言者ぶりを発揮している。もっとも、この点については、私も1999年に発行されたある自費出版本に「日本の自由民主主義は、ここ10〜15年程度で終焉を迎えるだろう」旨の投稿をしており、ソ連崩壊ほどの難易度ではなかったかもしれない(これはただの直観だが)。

すっかり前置きが長くなったが、本書は「専門家の予測精度はチンパンジーのダーツ投げ並みのお粗末さ」という調査結果をウリにして全米を風靡した一冊で、題名的にもキワモノ感があるものの、内容的には非常に充実したビジネス書、実践書である。予測スキルや未来予測力という、一見非科学的な能力を行動経済学や統計学を駆使して解析してゆく。
状況予測は、日頃私が本ブログで試みていることで強い関心があるだけに手にとってみた。私的に特別真新しいことが書いてあったわけではないのだが、漠然と使っていた思考法を論理立てて説明しており、改めて目を見開かされた思いだった。その主な要素は、

・直感に頼らない(直観は意味あるが検証が不可欠)
・問題を分解して複数の要素に分けて考える
・他者の視点と論理で考える(自身のスタンスに拘泥しない)
・確率論を忘れない、数字を重視する
・過去の判断や分析に拘泥しない
・予測の更新や判断の変更は当たり前


などにある。これらは私も心がけていることではあるが、本書を読んで知識・スキルとして「定着」した感じがする。私の世代になると、会社や社会で様々な判断や決断を下す地位に就く人が増えるだけに、一度本書を読んで「予測するというのはどういうことか」を再認識して欲しい。
本ブログの「米軍駐留費の妥当性について」は身内から最も好評価いただいた一本だが、具体的な数字を挙げて検証しているが故のものだろう。これに対し、親米派の外務官僚や政治家、学者は数字を否定し、「アメリカが没落するわけが無い」「日本を見捨てるわけが無い」などという観念論から入るため、専門家ほど失敗する構図になっている。
逆に1980年のポーランド危機を扱った「ポーランド危機をめぐる経済情勢」は、歴史検証ではあるものの、「後付けの智恵」ではなく、殆どを同時代のマルクス経済学者の論文に依拠しており、社会主義国といえども公開情報で同水準の検証を行うことが可能だったことを証明している。ところが、私が基にした論文群は、同時代人に完全に無視された。

この点、シミュレーション・ゲーマーは鍛えられていると言える。確率を無視して直感に頼って勝てるゲーマーはいないし、普通はドイツ軍を担当することもあれば、ソ連軍を担当することもある(武田しかやらないという先輩もいるが)。状況は刻々と変化するので、従前の判断や認識に拘泥していたら、新たな状況に対応できないだろう。これらは全て「予測力」に繋がる要素であり、それを論理立てて解説してくれる本書は、情報分析者は当然のこと、ゲーマーにとっても政治家にとっても必読と言える。
われわれは自らの予測力を高めると同時に、政治家、評論家、学者など権威とされる人々の予測を無批判に受け入れる前に、「この人物の過去の予測は正確だったのか」と問いかける必要がある。それが空疎な議論を防ぎ、予測と検証のプロセスを通じて社会が賢くなることにつながる。

【参考】 シミュレーションゲームの効用‐リスクテイクと全体最適

【追記】
わが一族は「超」かどうかは別にして凄まじい予測力の持ち主ばかりだった。その筆頭は海軍にいた大伯父で、例えば日米開戦前の1941年初めに上層部に提出された「新軍備計画論」では、来たるべき日米戦を以下のように想定している。
米国は多数の潜水艦を日本近海と日本の生命交通線に活動させ、航空機と協力し、根強く日本の海上交通破壊戦を行い、日本の物資封鎖の挙に出るに違いない。日本は国家生存と作戦遂行上の必要から、米の潜水艦と航空機の攻撃に対抗し、海上交通線の確保を必要とするだろう。この意味で、海軍の海上交通確保戦は、日米作戦中重要な一作戦だ。
(中略)
日本は、日本の生存上必要な、又戦争遂行上必要な、国としての海上補給線の確保に必要な兵力を整備することが必要である。日本が、その国家生存上と戦争遂行上、国家として日満支連絡線、それと蘭印を含む西大西洋海面の交通線の保持を必要にするので、戦時この交通線の対米軍保護を絶対必要とする。この場合、会敵を予期する米軍兵力は、航空機、潜水艦と機動水上部隊になるに違いなく、日本はこれらに対応する兵力を保持・運用することが必要である。

同年7月に開かれた局部長会議では、航空本部長として大臣に向かって「大臣あなた、こんな航空戦備で本当にアメリカと戦争できると思ってるんですか!」と怒鳴りつけたというから、75年を経た今でも子孫としては色々な意味で背筋が冷たくなる話である。

また、陸軍中野学校を出て関東軍の情報将校となった大伯父は、ソ連の参戦が近いことをずっと進言し続け、参戦後は関東軍主力が通化を目指して退却した後も新京に残って、機密文書廃棄や残務処理をした後、朝鮮商人に身をやつしながら、ソ連軍の戦線をすり抜けて後方に出た後、ひたすら東に向かって歩き、ウスリー川を渡ってウラジオストクに出て、どんな手段を使ってか日本行きの船に乗り込んで、そのまま帰ってきている。戦後は国会図書館の職員として対ソ諜報に従事した。(忠義とロイヤリティ2補
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする