2016年12月28日

知的でナチス的な民進党?

ドイツの哲学者カール・ヤスパースの言葉とされるものがある。
「ドイツ人は知的で誠実でナチス的だが、この3つが鼎立することはなく、知的で誠実だとナチス的でなく、知的でナチス的だと誠実でなく、誠実でナチス的だと、知的ではない」

ここに言う「ナチス的」が何を指すのかは議論の余地があるものの、要素としては全体主義的、大衆迎合的といった感じなのだろうと思われる。仮にナチスを共産党に替えても何の違和感も無いし、アベやハシモトに置き換えても同様だからだ。
日本の政治情勢が絶望的なのは、

霞ヶ関:知的でナチス(権威主義)的
自民党:単にナチス(国粋主義)的
民進党:知的でナチス(大衆迎合)的


といった具合にどこにも誠実要素が不在であることに起因すると考えられる。
だが難しいのは、デモクラシーは往々にして誠実を拒む傾向がある点にある。
例えば、本ブログでも度々取り上げているが、

・増税なくして社会保障の水準維持は難しい
・解雇規制を緩和した方が労働生産性が高まる
・領土問題に固執したら日露交渉は成功しない

などのテーマを取り上げた途端に、日本では選挙に勝てなくなり、代議員に選ばれることはないだろう。つまり、現行システムでは、誠実であるものはそもそも(狭義の)政治家になれないのだ。
私が決して議員を目指さず、スタッフに徹しているのは「誠実たり得ない」ことが大きい。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする