2017年01月08日

カリキュラムの問題か?

【<次期指導要領>英語、小5から教科 高校「歴史総合」創設】
 文部科学相の諮問機関・中央教育審議会(北山禎介会長)は21日、2020年度以降に小中高校で順次実施する次期学習指導要領の改定方針をまとめ、松野博一文科相に答申した。歌などで楽しみながら学ぶ教科外の「外国語活動」としている小学校5、6年の英語を正式教科に格上げし、外国語活動を3、4年に前倒しして実施する。高校は現在検討中の大学入試改革を踏まえて科目を大幅に見直し、日本史と世界史を融合した新必修科目「歴史総合」などを創設。小中高校の全教科を通じ討論や発表で主体的に学ぶ学習形態「アクティブ・ラーニング」も導入する。
 文科省は答申を受け、16年度中に小中学校、17年度に高校の指導要領を改定。全面実施は小学校=20年度▽中学校=21年度▽高校=22年度。小中学校は18年度から各校の判断で次期指導要領を先行実施できる。答申は、人工知能(AI)の進化など変化が激しい社会にあって、子供が自分なりに試行錯誤したり、他者と協働したりしながら生きる力を育むことが大切だと指摘。生涯にわたって能動的に学び続けるには学習の在り方そのものを見直す必要があるとして、主体的に学ぶアクティブ・ラーニングの視点による授業改善を求めた。
 国際学力調査で読解力の平均点が低下したことを受け、文章の読み書きなど言語活動のさらなる充実も求めた。学習内容は削減せず、現行指導要領の「脱ゆとり」路線を継続。授業時間は中学が現状維持、小学校は英語教科化と外国語活動の前倒しに伴い3年以上は年35時間(1単位時間45分)、おおむね週1時間増える。
 高校は近現代を中心に学ぶ「歴史総合」のほか、主権者教育を担う「公共」を新たに必修科目とする。理科と数学を活用し多角的に考察する「理数探究」などの選択科目も新設する。  英語教科化はグローバル社会への対応を目指し、政府の教育再生実行会議が13年5月に提言した。高校卒業までに学ぶ単語数を現行の3000語から、4000〜5000語に増やす。
(12月22日、毎日新聞)

色々突っ込みどころ満載の教育改革。
小学校の英語教化科は見切り発車も良いところで、小学校そのものにも教員にも英語を教えるインフラが整っておらず、試行錯誤が続いている。ただでさえ授業時間が足りないということで、土曜授業の復活が著しい上に長期休暇も削られ、昨今では北日本以外でも8月20日過ぎから授業が始められるという。ここに英語の授業が増やされるのだから(年35時間)、その分何かを削るか、授業数そのものを増やす必要が生じる。

私は以前から、運動会も学芸会も始終業式も何トカ委員会も止めるように提言しているが、本来の目的から外れた有用性の低い事業を止められないのが日本型組織の最大の欠点と言える。その結果、労働生産性が低迷するのと同じ理由から、学習効率も低迷し続けるものと推察される。
トランプ次期米大統領の公約「連邦規則1つの新設する場合には既存の2つの規則をなくす」が思い起こされよう。

高校の「歴史総合」について、リベラル派からは「世界史を無くすのか」との批判が上がっているが、そもそも世界史は選択科目であり、センター試験の選択率を見る限り、「地理歴史」選択者のうち世界史選択が2割、日本史と地理が各4割となっている。これを統合して必修化しようという意図自体は合理的な点も認められよう。
とはいえ、日本史と世界史を統合した総合科目が怪しいものにしか聞こえず、「どうせロクなものにならない」という懸念は十分に理解できる。

「アクティブ・ラーニング」も意図するところは理解できるが、すでに意味不明な総合科目が多く設置され、どのような教育効果が得られているのかいまだ判然としないのに、またぞろナゾのプログラムを増やすのは感心しない。どこぞの日本軍やジオン軍のように、怪しげな「決戦兵器」ばかりつくってしまう末期症状を見る思いだ。

「このままではダメだ」という危機感は正しいとしても、授業時間や勤務時間は有限であるだけに、「スクラップ&ビルド」のバランスをとらないと、教員と子どもの負担が増えるばかりで、結果的に効率とパフォーマンスを低下させるだけに終わるだろう。
いかにも現場を知らない頭でっかちのヤクニンが考えそうな話である。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする