2017年01月11日

ファッショは市民の支持で始まる

【ドイツ国民の6割、監視カメラの増設を支持】
 ドイツ国民の60%は、公共の場における監視カメラの増設を支持していることが、インターネット調査会社ユーガブ(YouGov)の調査で明らかになった。ドイチェ・ウェレなどが伝えた。ユーガブは、ベルリンのクリスマス市にトラックが突入した事件直後の12月21〜23日に2,083人を対象に調査を実施。これによれば監視カメラの増設のほか、警察の増強を支持する人が73%に上り、61%は警察官の装備を強化すべきだと答えた。
政府は、交通網を含めた公共の場で監視カメラを増やすことを認める法案をまとめたが、ベルリン市(州と同格)政府は、監視強化は時期尚早として慎重な姿勢を崩していない。デメジエール内相は、ベルリン市議会に対して従来の監視カメラの方針を早急に見直すよう求めている。ベルリンのクリスマス市の事件では、監視カメラがあれば防げたとの見方も出ている。なお調査では、回答者の約半数はテロ攻撃の際に軍隊の関与を求めていた。現在では警察から要請があった場合にだけ軍隊は支援できることになっているが、軍隊の具体的な役割は定まっていない。ただ3月には、軍隊と警官隊が初めて共同演習を実施することになっている。
(1月3日、NNA・共同通信)

ファッショは突然来襲するのではなく、国民の広い支持があって初めて表舞台に出てくるものであることを示す好例の1つ。戦前の日本の全体主義も1940年に突然登場したわけでなく、ドイツのナチズムも1933年に突然成立したわけでは無い。

日本の場合、1925年に治安維持法、同28年に3・15事件(共産党一掃)、同年初の普通選挙実施、29年に世界恐慌勃発、31年に満州事変、32年に5・15事件、35年に天皇機関説事件(国体明徴論)、36年に2・26事件、37年に日華事変勃発、人民戦線事件(合法左翼一掃)、38年に国民総動員法成立、40年に政党解体、大政翼賛会成立、という過程を経ている。日本の全体主義体制は、1938年(昭和13年)の国民総動員体制の確立、ないしは同40年の大政翼賛会成立(議会の形骸化)をもって一応の完成を見た。

発端となってしまった治安維持法は、そもそも「日ソ国交回復に伴うコミンテルン勢力の伸張」に対する脅威を過剰に評価し、ちょうど普通選挙制度の導入も重なって「共産党が勝利するかもしれない」という妄想が拡散したことが大きく影響している。今日からすれば、信じられないような妄想ぶりだが、当時の官僚はおろか、国民の間でも広く信じられていた。治安維持法を提案した当時の若槻禮次郎内相は次のように説明している。
思索の自由を許して置かぬければならぬと云ふ御議論に対しては、私も全然同感であります。而して現内閣は思想の研究に付て、圧迫的方針を採って居るや否や云ふ御問に対しては、決して左様な考えはありませぬ。
(1925年2月19日衆議院本会議)

満州事変についても、それ以前は、軍部内でもマスコミでも対中強硬派は圧倒的少数派であり、「キワモノ」の扱いだったが、柳条湖事件が起きて、「張学良軍による犯行」という偽報道がなされ、関東軍出動が大々的に報じられると、国論は一転して沸騰、新聞は関東軍の「義挙」を称賛する記事で溢れかえり、反中意識が煽られ、中央の支持なくして朝鮮軍を動かした林銑十郎司令官は「越境将軍」として絶賛された。
昨今「偽ニュース」が問題にされているが、虚偽報道を行う主体は圧倒的に国家機関であって、民間や外国機関では無い。

天皇機関説事件は、1935年2月、貴族院で菊池武夫議員が美濃部達吉議員(東京帝大名誉教授)の天皇機関説を攻撃したことに始まり、「国体を否定するもの」「国賊」「学匪」などといった非難、攻撃が激化、美濃部家には続々と脅迫が届き、本人や家の周囲に不審者がつきまとうようになった。甚だしきは、文部省から「右翼テロに注意するよう」旨の警告に続いて「転向」を求める文書までが来たと言われる。
ところが、実際には美濃部説は当時の学界、官界における通説で、官僚採用のための高等試験も全てこれに基づいていた。しかも、当の貴族院では美濃部が自説を説明したところ、大きな拍手が起きて理解を得たはずだった。にもかかわらず、美濃部は不敬罪で告発され、マスゴミの攻撃にさらされ続け、ついには貴族院議員を辞任、その後右翼テロリストに銃撃されて重傷を負った。その間、政府は「国体明徴声明」を出して美濃部説を否定している。恐ろしいことに、美濃部を負傷させた銃撃犯はついに逮捕されず、同じく銃撃し命中しなかった犯人は懲役3年で済んでいる。

つまり、オセロ・ゲームのようにそれまでの「常識」が一つずつ引っ繰り返され、気づいてみたら誰も想像もしていなかったような強権的な社会が成立し、それを止めようとする者は問答無用に排除され、展望の無い戦争と収奪に邁進していった。
個々の現象一つ一つを見ると、必ずしも大きな問題とは言えなかったり、一定の合理性が認められる選択であったものが、積み重なってゆくと恐ろしい怪物に成長してしまうことがあるのだ。
私が言いたいのは、一見市民社会が維持されているように見えるドイツですら、ファッショの基盤が再形成されつつあるということである。

片山杜秀先輩は、「日本においては統制経済を担うだけの権限の集中ができなかったという意味で、ファシズムは未完に終わった」旨の解釈を示しておられ、それはそれで卓見だとは思うのだが、強権的な権威主義社会が成立し、制御不能の暴力が社会を支配して、さらに近隣諸国に向けられたことは否定できないだろう。
posted by ケン at 12:32| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする