2017年02月28日

ヤクニンに例外を認めるとロクなことにならない話

長時間労働も公文書廃棄の問題も、実は同じ根を抱えている。
例えば、労働基準法は32条で、
「使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない」
「使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない」

と定めており、このままにしておけば何の問題も起きなかったはずだが、以下に延々と例外事項を設けることで無限地獄を可能にしてしまっている。
【36条】「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第32条から第32条の5まで若しくは第40条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この項において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。ただし、坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務の労働時間の延長は、一日について二時間を超えてはならない。」

自衛隊の日報破棄問題も同じだ。公文書管理法は第5条で、
行政機関の職員が行政文書を作成し、又は取得したときは、当該行政機関の長は、政令で定めるところにより、当該行政文書について分類し、名称を付するとともに、保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。

としている。また、第8条では、
行政機関(会計検査院を除く。以下この項、第四項、次条第三項、第十条第三項、第三十条及び第三十一条において同じ。)の長は、前項の規定により、保存期間が満了した行政文書ファイル等を廃棄しようとするときは、あらかじめ、内閣総理大臣に協議し、その同意を得なければならない。この場合において、内閣総理大臣の同意が得られないときは、当該行政機関の長は、当該行政文書ファイル等について、新たに保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。

として、容易に廃棄できないように規定している。ところが、同7条(行政文書ファイル管理簿)には、
行政機関の長は、行政文書ファイル等の管理を適切に行うため、政令で定めるところにより、行政文書ファイル等の分類、名称、保存期間、保存期間の満了する日、保存期間が満了したときの措置及び保存場所その他の必要な事項(行政機関の保有する情報の公開に関する法律 (平成十一年法律第四十二号。以下「行政機関情報公開法」という。)第五条 に規定する不開示情報に該当するものを除く。)を帳簿(以下「行政文書ファイル管理簿」という。)に記載しなければならない。ただし、政令で定める期間未満の保存期間が設定された行政文書ファイル等については、この限りでない。

とあり、防衛省はこれを盾にして「南スーダンの日報は保存期間1年未満の行政文書ファイルなので、公文書管理法8条の規定は該当しない」と強弁している。だが、7条で書かれていることは「行政文書ファイル管理簿」についての話であり、「政令で定める保存期間一年未満の文書だから自由に廃棄できる」などという解釈は、ルールの恣意的な解釈で、これを認めれば「何でも保存期間一年未満にしてしまえばOK」というルールの穴になってしまう。
こういうことを平気でやるのが、日本のヤクニンなのだ。

ヤクニン(ルールブック)に「例外」とか「等」を許すと、まずロクなことにならない。
長時間労働問題は、「例外を規制しよう」などというワケの分からない議論をしているからこそ、まとまるものもまとまらないのである。
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2017年02月27日

「約束の国」に向けてまた一歩

【大阪・森友学園 寄付募った名称は「安倍晋三記念小学校」】
 小学校用地として取得を望んだ国有地が隣地の「10分の1」という破格の安値で払い下げ――。不可解な国有地売却問題が浮上した学校法人「森友学園」(大阪市)が問題の小学校設立の寄付を呼びかけた際、ナント「安倍晋三記念小学校」なる名称を用いていた。「1口1万円で寄付を呼びかけられたのは、2014年のこと。森友学園がちょうど大阪府に小学校の新設認可を申請していた時期で、経営する『塚本幼稚園幼児教育学園』の園児の保護者に、ゆうちょ銀の払込取扱伝票を何度も配っていました」(保護者のひとり)
 伝票(写真)には「安倍晋三記念小学校」の文字がしっかりと記されている。この幼稚園は園児に「教育勅語」を暗唱させる“愛国教育”で知られる。「14年4月には安倍首相の妻、昭恵夫人が訪問。園長が『安倍首相ってどんな人?』と問いかけると、園児が『日本を守ってくれる人』と答える姿を見て、いたく感動したそうです」(関係者)
 その後、昭恵夫人は、問題の「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長の座に納まっている。森友学園には「安倍晋三記念小学校」という名称で寄付を募った経緯を繰り返し問うたが、「担当者不在」を理由に実質、取材拒否だ。学園の籠池泰典総裁は、日本最大の右翼組織「日本会議」の大阪代表・運営委員。総裁が幼稚園のHPに掲載した「インターネット上での当園に対する誹謗・中傷記事について」と題する声明文には、こんな表現がある。〈専門機関による調査の結果、投稿者は、巧妙に潜り込んだK国・C国人等の元不良保護者であることがわかりました〉〈日本精神をとりもどすためにも、(中略)断固として立ち向かう所存です〉ぜひとも調査結果を公開して欲しい。
(2月15日、日刊ゲンダイ)

安倍晋三記念小学校」、ロシア語にすると、"Частная школа имени Абэ Синзо"だが、私立なところが今ひとつピンとこない。まぁこの調子で「稲田朋美記念陸軍士官学校」とか、「世耕弘成記念原子力発電所」とかつくられ続ければ、かなりソ連っぽくなってくるな(爆)

【<厚労省>保育所 3歳以上に国旗や国歌の文言】
 厚生労働省は14日、保育所に通う3歳以上の幼児に対し、国旗や国歌に親しむことを求める文言を初めて盛り込む保育所保育指針改定案を公表した。同日文部科学省が公表した幼稚園の教育要領案に表現を合わせた形だが、保育所は学校教育法に基づく施設ではなく、保護者から幼児を預かる福祉施設のため、過度の押しつけにつながる可能性があるとの懸念が出そうだ。
 保育所保育指針改定案には、国旗について「保育所内外の行事において国旗に親しむ」、国歌については「正月や節句など日本の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや日本の伝統的な遊びに親しむ」という表現が盛り込まれた。国旗は現行の幼稚園の教育要領、国歌はこの日公表された教育要領案と同じ表現となっている。
 保育指針改定案はパブリックコメント(意見公募)を実施し、18年度から施行する予定という。厚労省は改定について、「幼稚園と保育所の一体化を進めており、文科省の教育要領の見直しに合わせた。国旗掲揚や国歌斉唱を強制するものではない」と説明している。幼稚園は学校教育法で義務教育前の教育を担う場、保育所は児童福祉法で保護者に代わって保育する場とそれぞれ位置付けられており、本来の目的は異なっている。
(2月14日、毎日新聞)

いずれは保育所でも、国歌斉唱時に起立しなかった保育士を追放したり、保護者を糾弾したりということになるのだろう。反政府、反体制の親を持つ子どもは育児サービスすら受けられなくなることを意味する。

先の記事も合わせて、いよいよ「約束の国」が近づいてきたぞ。惜しむらくは、「パンの値段は50年間不変」ではなく、「ブラック企業にもしっかり補助金」というディストピア度の高さにあるわけだが。これは、社会主義を実現するために権威主義化を図るのでは無く、社会保障を放棄するために権威主義化を図るところに起因しているのだろうと推察される。
posted by ケン at 12:20| Comment(5) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

AH「Up Front」発掘!

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先日「Combat Commander」をプレイした際に、T後輩が「アップフロントならプレイしたことあるんですけどね」と言ったことから、このたび蔵を漁って発掘することになった。
「Up Front」は、1984年、アバロンヒル社製のカードゲーム。「スコード・リーダー」を「手軽」にプレイできるよう、カードゲーム化したものだが、全体的にウォーゲームが軽量化された今日見ると、ちっとも手軽じゃない。カードゲームなのに40ページからのルールを読まないとプレイできないとか、現代の感覚では「あり得ない」レベル。まぁ本ゲームも、一度読んでしまえば、ルール自体はさほど難しいわけではないのだが、プレイ自体はなかなかに難しい。
「スコード・リーダー」と、この「アップフロント」を足して二で割ったのが、「Combat Commander」という評価もあるが、当たらずとも遠からずな感じ。

ただ、「スコード・リーダー」と「Combat Commander」では、基本的にプレイヤーは小隊長として各分隊を指揮するが、本作は「1ユニット(カード)=1人」を単位として10〜15人を率いて敵と戦う分隊長の役割を担う。その意味で、最小単位の戦術級ゲームと言える(同レベルのゲームにバンダイの「最前線」もある)。
「アップフロント」では、基本的に分隊を2つないし3つくらいの班に分けて、前進後退しながら敵を射撃し、無力化することで得点を稼ぐ。だが、マップはなく、兵も武器もカード化されており、移動や射撃などの行動もカードで行うが、地形もカードで表されている。敵との距離は0〜5の相対距離で計られる。マップが無いため、いろいろ想像力を働かせないと厳しいものがあるが(敵に地形カードを付けるところとか)、慣れればこれはこれで良いものがある。1人1ユニットなのに、戦車も出てきてしまうところも結構キテいる。

幸いにして、日本軍と英軍の「バンザイ!」と、仏軍と伊軍の「デザート・ウォー」も発見された。後者の方はシナリオがなので、自作するか他のシナリオを援用する必要があるが。
まずは「CC:Pacific」などの翻訳があるので、後回しになりそうだが、今年中には必ず再戦したい。
posted by ケン at 12:00| Comment(5) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

ヤクニン発想のプレ金

【24日はプレミアムフライデー=官民一体で消費刺激】
 毎月最終の金曜日に終業時間を早め、買い物や飲食などを楽しんでもらう官民一体のイベント「プレミアムフライデー」が24日、始まる。旗振り役の経済産業省や産業界などは低迷する個人消費の回復に向けた起爆剤としたい考え。政府は長時間労働の是正など「働き方改革」につながることも期待している。プレミアムフライデーは、昨年2月の経済財政諮問会議で消費喚起策の実施が提案されたことをきっかけに検討が始まった。当初は海外の例を参考に全国規模のセール開催が議論されたが、需要の先食いを懸念する声などに配慮し、普段より少しぜいたくな体験や消費を楽しむという形に落ち着いた。
 経団連は、会員企業に終業時間を前倒しするなどの協力を要請。国会も24日に予定していた2017年度予算案の衆院採決を見送り、省庁職員の早期退庁に配慮した。産業界ではサントリーホールディングスやユニ・チャーム、日産自動車などが午後3時の退社を推奨。日本航空などは半休取得を促している。プレミアムフライデーをPRする専用ロゴマークは22日までに全国で3500以上の企業・団体が使用申請した。プレミアムフライデー向けの商品やサービスでは、夕方の早い時間に出発し目的地のホテルで夕食が楽しめる旅行プランや、各百貨店ではメーク講座といった体験型イベントなどを中心にさまざまな企画が目白押しだ。 
(2月23日、時事通信)

月末、しかも年度末に一体どれほどの人が早退できるのか疑問過ぎるだろう。あとでヤクニンに統計ださせて検証しないと。どうせタイムカード押してサービス残業になるだけ。百歩譲ってなんで月初にしなかったのか。どこまでもヤクニンの発想だな。加えて、「長時間労働の抑制」ではなく「個人消費の促進」を理由にしているところが、これまたブラック。
posted by ケン at 11:00| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

太陽の下で-真実の北朝鮮-

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『太陽の下で-真実の北朝鮮-』 ヴィタリー・マンスキー監督 ロシア、北朝鮮ほか(2015)




ロシア人監督が撮った、北朝鮮の「ドキュメンタリー」映画。括弧付きなのは、監督は普通にドキュメンタリーを撮ろうとしたところ、一から百まで当局の指導と監督が入り、徹頭徹尾「やらせ」になってしまったため、途中からカメラを回しっぱなしにして、いかに「やらせ」が行われているかを撮影するドキュメンタリーに変更、他の部分でも録画しっぱなしにすることで様々な生の映像を収録している。もちろん北朝鮮当局のOKが出るわけもなく、検閲前の録画データを先に外国に持ち出すことで成立している。その結果、監督は北朝鮮の「お尋ね者」になっているのだから、まさに命がけの映画であり、日本のジャーナリストに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
地味に衝撃的なラストがけっこう精神ダメージ入りマス!

以下ネタバレ注意!

8歳の子どもがいる一般家庭の生活を追うはずだったが、当局は両親の職業を偽装し、アパートも平壌市内の超一等地の高級マンションを用意していた。ところが、それらは余りにも不自然で全く生活臭を感じさせないものになっている。だが、カメラが回り続けているので、当局による細かい演技指導を含めて、全て暴露されてしまっている。
小学校における思想教育は「そのまま」なのかもしれないが、子どもに対する洗脳教育の凄まじさを物語っている。子どもは子どもで、教室を掃除しながら「わが祖国ほど高貴で美しい国は、この世のどこにも無い〜〜」などと歌っているわけだが、つい「日本のネトウヨと同じじゃん」などと思ってしまう。
個人崇拝の究極型なのだろうが、考えてみれば戦時中の日本もこんな感じだったはずだ。現代の大阪のとある幼稚園とかも。

個々の映像は、何の加工もせず、説明も最小限にして、淡々と繋ぎ合わされているだけなので、ある種退屈ではあるのだが、細かいところで本音の表情や仕草が見えるので、一定の知識を持って注意してみないと「気づき」が得られないかもしれない。
街並み的には、私が留学した頃のソ連末期とそっくりで、どこまでも無機質で商店や食堂の類いも殆ど無く、広告類はゼロ、巨大なモニュメントとスローガンばかりが目立つという案配で、「あ〜ソ連もこうだったよな〜」的な懐かしさを覚えてしまう。

とはいえ、北朝鮮ウォッチャーや共産趣味者(この場合は個人崇拝マニアか)でも無い限り、何が面白いのか分からないかもしれない。その割に、公開から1カ月後の劇場は半分以上埋まっており、若い人も多く、「この人たちは一体何が見たかったんだろう?」と疑問を禁じ得なかった次第。
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2017年02月23日

10年で倍になる貯金は夢か幻か

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若人たちがツイッターで、「信じられない」「あり得ない」「夢のようだ」「どこの銀行?」「さすがドラえもん」などと呆然としていたけど、ありますよ(微笑)

ルーブル建てロシア国債が年利7.94%、複利だから10年で2.14倍になりますよ(ドーン)

(本ブログの読者には少ないと思うが)若者向けに補足しておくと、これはドラえもんの未来の道具の話では無く、本当にあった話。

ちなみにこの頃、つまり『ドラえもん』の連載が始まった1970年代初頭に医療技官となった母の初任給が4万5千円、当直手当は500円だった。その9年後には、給与25万円、当直代1万円になったとのこと。つまり、1970年代というのは給料が10年で5倍になり、貯金すれば10年で2倍になる時代だった。まさに「夢の時代」だったのだ。

具体的に見てみよう。郵便貯金の定額貯金3年以上の金利(利子)は、1973年で8%、1978年で4.75%、1990年で6.33%だった。通常貯金(市銀の普通預金に相当)ですら、1973年で4.32%、1978年で2.4%、1990年で3.48%だった。それが今や、定額貯金で0.01%、通常貯金で0.001%である。
実際に計算すると、金利8%の10年複利で計算すると、1万円が21500円になる。4.75%でも15900円だ。現代の0.01%だと、10年預けても10010円である。物価との兼ね合いは別にしても、団塊世代が一生懸命貯蓄に励んだ一方、現代人が貯金するインセンティブを欠くのは当然だろう。

さらに続けると、ケン先生が学部生だった頃(四半世紀前)に比して、現在の大学の学費は170%、給与水準は90%になっており、金利の急低下と相まって、中産階級の子弟が大学に行くためには、自ら借金するほかない構造になっている。
団塊世代は、「教育保険」などで積み立てれば、学費と金利のミックスで、何とか学費くらいは貯金でまかなえたわけだが、今の世代は子どもの学費を積み立てたところで、全く金利がつかない上に、学費は高騰、給与は下がり、雇用は不安定化するという感じで、学費分を用意するのも厳しくなっている。現実に大学生の約半分が、学生ローンを借りていることがこれを裏付けている。

そう考えると、いまどき子どもをつくっている連中には例外なく「財務計画を提示しろ!」と言いたくなる。
そして、低金利時代というのは、それ自体が「夢の無い時代」なのだと言えよう。

【追記】
金利が下がるのは、自由市場が機能していると仮定した場合、資金需要が低下しているためと考えるべきだろう。資金需要が低下しているのは、市場の需要に対し生産力が過剰になっているからだ。これがデフレの原因であるわけだが、デフレ下では利潤効率が下がるため、企業は労働力を搾取することで利潤を守ろうとする。西欧諸国の場合、労働運動が存在するため、容易に搾取できない構造になっているが、日本では労働運動が貧弱であるため搾取が容易になっている。結果、雇用形態の転換(非正規への移行)と長時間労働(労働単価の切り下げ)が横行し、労働価値が急低下、個人消費が低迷し、企業利潤がさらに低下、さらなる労働搾取へと繋がっている。社会主義者としては心苦しいが、「夢の無い時代」は「マルキシズムが機能しない」ことにも一因があると考えられる。
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2017年02月22日

映画 虐殺器官

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『虐殺器官』 村瀬修功・監督脚本 日本(2017)



一度満席で断念し、二度目で見られたが、来週で終わってしまうのは惜しい。実は『屍者の帝国』の方が見たかったのだが、この時も一度満席で断念し、次に見ようとしたら終わっていただけに、外せなかった。
伊藤計劃の天才ぶりを見事に映像化している。映像だと情報量(セリフ)が多すぎて脱落者が続出しそうなのが難だが、観客に媚びないスタンスが良い。あの分量を二時間の映画でまとめるのは無理がある話だが、きっちりまとめている観がある。2人での会話シーンが多いのだが、戦闘シーンは戦闘シーンで全く容赦なくリアルに描いており、薬物で人間性を抑えての戦闘がどのようなものになるのか考えさせられる。

原作は2007年だが、「911後のもう一つの世界」を舞台に、自由と暴力の相関性が一つのテーマになっている。ぶっちゃけて言えば、「ある自由を守るためには、ある自由を否定する必要がある、あるいは対価とせねばならない」という対テロ戦争の深層である。
「自由は自由との対価でのみ存在する」とか「内戦と虐殺の普遍化」とか、テーマはまさに「ラビリンス」の世界そのもの。今見ると、リベラリズムの瓦解やトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」を予見させるような展開もあり、その先見性に目がくらんでしまう。

かなり玄人向けの作品なのは間違いないが、ブルーレイを購入して普及に努めたくなる出来だった。
posted by ケン at 12:16| Comment(3) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする