2017年03月21日

日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・上

民進党大会がすこぶる白けた雰囲気の中で終わり、その支持率も一桁台で推移している。本ブログで何度も指摘していることだが、本質的には自民党と大差ない政策であるため、「じゃあ自民党でいいじゃん」という評価になっていることが大きい。その背景には、自民党と政策的に親和性の高い連合が民進党の最大の支持団体であり続けていることがある。連合の組合員は、大企業の正社員という、現状における「勝ち組」集団で構成されており、正社員給与の原資は非正規社員からの収奪であることから、連合は資本と自民党に奉仕することでしか、組合員の支持を得られない構造になっている。
結果、政権党と野党第一党が大差ない政策を掲げているため、議会政治に求められる本来の機能である政権交代が起きず、仮に政権交代が起きても必要な改革が行われない構図になっている。これは、民主党の菅・野田政権が自民党とほぼ同じ政策(例えばTPPや原発再稼働、集団的自衛権)を打ち出していたことで証明できる。

ソ連のペレストロイカが失敗したのは、現状の既得権益層にして最大の受益者である共産党が自ら大改革に乗り出したところ、受益者であるがために必要な改革が進められず、逆に共産党員からの支持をも失ってしまい、その危機を民主化=分権化で乗り越えようとしたところ、統制不能の事態に陥ってしまったことに起因する。詳細は「ペレストロイカを再検証する」を読んで欲しいが、その教訓は受益者に大改革はできないこと、大改革を強行するためには権力の集中が必要であることを示している。
まずペレストロイカの「おさらい」をしておこう。
「ペレストロイカ」とは、ロシア語で「改革、再建」を意味するが、それはまさに今日の日本で使用されている「構造改革」だった。
軍需部門の供給が過大で、民生部門や食糧の供給や流通が極めて脆弱だったのに対し、家庭等には貨幣が溢れかえっていた不均衡を改革することが目的とされた。軍需を制限し、民営化や規制緩和を進めることで、民生部門の供給を増やして流通を改善、滞留した貨幣を回収して民生部門の投資に回すことで経済成長を目指したのだ。

ペレストロイカの急務として挙げられるのは、「市場経済化による経済再生」「軍備負担の削減と軍需産業の民需転換」「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」、そしてもう一つ加えるなら、市場経済化と関連して「補助金漬けの赤字財政の解消」があった。

ところが、ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。

最終的にゴルバチョフは、莫大な宿題を抱えたまま、殆ど成し遂げること無く「ゲーム・エンド」を迎えてしまった。
社会主義経済の体制転換は全て失敗したわけではなく、例えばハンガリーの場合、1990年時点で、自由価格率は80%を達成しており、企業民営化も「遅い」との非難を浴びつつも20%に達していた。そのため、ハンガリーでは、他の東欧諸国で見られた大行列の類いは殆ど起きること無く、市場経済と民主化を達成している。
また、中国では農産物の自由価格・流通を先行させて、90年時点で農産物のほぼ全てが自由化されていたため、やはり行列の類いは発生していない。重要なのは、社会主義国でも構造改革に成功した国があるということだ。
デフレ下で構造改革する愚劣) 

ソ連崩壊は社会主義(計画)経済の機能不全によって発生したが、現在の日本はどうだろうか。西側社会ではいまだに言われているソ連の「物不足」だが、現実に物不足が顕在化したのは1987年後半以降のことで、物不足が深刻だったのは3〜5年程度のことだった。つまり、目に見える現象が無いからと言って、国家や社会の安定が保証されるわけではないのだ。

日本国内に目を向けると、労働力人口6500万人に対して、年収300万円以下が2500万人を超えるに至っている。つい15年前には家計貯蓄の多さを誇っていたものが、いまや3世帯に1つは金融資産ゼロになっている。生活保護世帯は164万世帯だが、その捕捉率は20%とも言われ、現実には800万世帯が生活保護水準以下の生活を強いられていることを示している。地域レベルで言えば、例えば大阪市の場合、子どもを持つ3世帯に1つが就学支援金を受給しているという。
貧困そのものは、必ずしも社会や国家の崩壊に直結するものではないが、国政選挙の投票率が6割に届かず、自治体選挙に至っては3〜4割でしかない現状は、現行の民主主義体制に対する国民の合意、あるいは国民統合力が低下していることを示しており、貧困はさらにこれを加速させてゆくと思われる。

現在進行中の日本の危機は、いくつかのレベルで論じることができるが、主なものを挙げてみよう。

・貧困
・デフレ・ギャップ
・低労働生産性
・低金利
・低収益
・歳出の3割を占めて急増中の社会保障費


歴史的には、冷戦の終焉とともに旧東側ブロックが自由市場化されたことで、国際競争が激化した。西欧諸国は、旧東欧圏に工場移転を進め、日本は中国に工場を移転させていった。これにより、国内産業の空洞化が進み、西欧では失業が深刻化した一方、日本は失業を回避すべく社員の非正規化が進められた。
また戦後和解体制は、ソ連ブロックへの対抗上、労働力動員と国民統合を円滑にするため、社会保障制度を整備し、労働者保護を進めたが、ソ連の崩壊と中国の開発独裁化によって「社会主義陣営への配慮(宣伝)」の必要性が失われ、社会保障、賃金、待遇の切り下げが進められた。
特に2000年代に入ると、中国の「世界の工場」化に伴い、財界から賃金ダンピングの圧力が強まって、「小泉改革」に象徴される新自由主義的改革がなされた。その結果、現在では労働力人口6500万人に対して、年収300万円以下が2500万人を超えるに至っている。家計貯蓄の多さを誇った日本が、いまや3世帯に1つは金融資産ゼロになっている。
90年代以降、自民党政府が何度も巨大な財政出動を行ったにもかかわらず、一向に景気が改善されないのは、国内消費が完全に頭打ちで、貧困層を増やしているためだと言える。分かりやすい例えを挙げるなら、自動車工場の工員の大半が非正規化された結果、誰も車を買わなくなってしまったということであろう。

日本のデフレ現象は、バブル期の供給体制が維持されたまま、非正規化などによる賃金ダンピングで需要が低下していることによって起きている。つまり、ソ連とは逆で「店には商品が溢れかえっているが、購入する金が無い」である。
需要が低下しているのだから、本来であれば供給を減らせば需給バランスが取れるものの、日本は供給を減らせない構造になっている。企業倒産を極小化する仕組みや容易に解雇できない制度がそれだ。日本の場合、公的融資制度が充実していると同時に、大企業に対しては政策減税が、中小企業には補助金が手厚く配分されており、欧米に比して倒産件数が少ない構造になっている。これは、一見良いことのように思われるが、現実には低収益の企業を温存し、労働力の移転を阻害、低労働生産性と法人税の減収を常態化させる原因となっている。そして、この低収益が、低賃金、長時間労働、貧困を誘発している。
つまり、公的融資機関、政策減税、各種補助金が、市場の自由競争を阻害し、本来退出すべき不採算企業をゾンビ化させて生き残らせ、経済成長を低迷させている。この点、倒産の無い国営企業群が経済成長を阻害した社会主義国と似ており、公的融資機関、政策減税、各種補助金の縮小、廃止は不可欠だろう。実際、「福祉国家」と言われながら、いまも経済成長を続けているスウェーデンには、この類いのものは存在しないという。
そして、政治家が企業と官僚を仲介し、官僚が減税・補助金を出し、企業が官僚の天下りを受けつつ政治家に献金する、という「腐敗のトライアングル」が日本の成長を阻害して社会をむしばんでいる。旧民主党は、その初期にその打倒と改革を謳っていたはずだが、今では完全に取り込まれてしまって、見る影も無い。
(以下、続く
posted by ケン at 12:37| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

バーバリアンズ・ライジング〜ローマ帝国に反逆した戦士たち〜

半年ほど前にスカパー・ヒストリーチャンネルで放映していたが、録画したまま放置していたので、見てみることにした。CM無しの60分が全8話なので、結構な分量だが、見始めると止まらなくなり、2、3話ずつ視聴した。
1000年以上にわたり恐れられ、征服不可能と思われてきたローマ帝国。当時の人民たちには、自らをローマ帝国の支配に委ねるか、抗い続けるしか生きる術がなかった…。
この番組は、そんなローマ帝国に屈することなく抵抗した勇敢な者による叙事詩である。戦争、陰謀、謎、裏切り、復讐によって支えられた血まみれの権力闘争。それをハンニバル、スパルタカス、アルミニウス、ブーディカ、アラリック、アッティラという史上最も象徴的な戦士たちの視点を通して語ってゆく。700年間の歴史を通し、世界を変えるために灯された革命と自由のためのたいまつを民族から民族、国から国へと灯していく。
歴史における自由の戦士として、建国の立役者として、一般の民の代表として近代の世を創り上げた戦士たちを、ここで再び発見していく。
ヒストリーチャンネルHP
 



制作は基本アメリカだが、撮影はブルガリアで行われ、再現ドラマが映画レベルのエンターテイメント性の高いドキュメンタリーに仕上がっている。ドラマ部分も日本の大河ドラマと違ってリアル路線なので、古代の残虐性もしっかり再現されており、CGも上手く駆使して、映画レベルの規模や戦闘シーンを実現している。
この時代の歴史(古代ローマ)は、殆どの場合がローマ側の視点で描かれ、いわゆる「蛮族」は「ローマ文明と市民を脅かす敵対的な異民族」となるわけだが、本作は視点を逆転させて「蛮族」側に合わせ、「ローマの侵略、圧政、差別に対して立ち上がる異民族」を描いている。
「蛮族王」に「オレ達が欲しいのは自由なんだ!」と言わせてしまう辺りは、どこまでもアメリカンなのだが、そこにさえ目をつむれば、気づかぬうちに「蛮族」に感情移入している自分に気づくだろう。



全8話に登場する「蛮族王」のラインナップは、ハンニバル、ウィリアトゥス(ルシタニア、現スペイン)、スパルタカス、アルミニウス(ゲルマン)、ブーディカ(ケルト族、ブリタンニア)、フリティゲルン(ゴート族)、アラリック(ゴート族)、ガイセリック(ヴァンダル族)、アッティラ(フン族)。自分も初見の人物が多く、斬新な視点と映像を含めて、非常に興味深かった。



肝心のドキュメンタリー部分は評価が分かれるかもしれない。コメントする歴史家は少数で、他に退役軍人が軍事的視点から、政治家や市民運動家が政治的あるいは運動論の視点から現代にも共通する様々な課題を述べるわけだが、必ずしもその時代の歴史や登場人物のこととは限らないので、「もっと本人(王)のことを話せよ」という感想が持たれてもおかしくない。ただ、それとなくローマを現代のアメリカに、「蛮族」を現代の中東やアフリカの諸民族に見立てているようなところがあり、この点も非常に興味深い。
posted by ケン at 11:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

ストロングホールド(HJ)第三戦

T後輩と「ストロングホールド」を試す。今回は、私が初めて攻城側を担当、T後輩が籠城側を持った。本作は、「普通に」プレイしていれば、籠城側に非常に有利なのだが、「普通に」というのは「計算を間違わない」ことを指す。本ゲームは、運の要素が限りなく小さく、籠城側は初期段階で守るに十分な戦力を有しているため、基本的には計算違いさえしなければ、そうそう負けることは無いように思われる。「思われる」というのは、私が本質的なところでゲーム、戦略を理解していない可能性もあるからだ。

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第一ターンのモンスター召喚で3戦力のトロールが多めに登場したことを受け、早い段階で一当てしようと決める。トレビュシェットをつくり、移動防盾を堡塁に配し、対壕(ゴブリンかオークを1体だけ手元から城壁下に出せる)を掘り、罠回避用の橋を掛けて慎重に前に進める。堡塁に対しての遠距離攻撃や、路上罠によるダメージは地味に攻撃力を低下させるからだ。
そして、第三ターンに3カ所で襲撃を試みるも、回復可能な損害を与えるに止まった。城側は、ターン終了時に損害を受けたユニットの内2ユニットまで戦線復帰させられるので、3ユニット以上のダメージを与えないと防衛力を下げられない。
「若干仕掛けるのが早いか」とも思ったのだが、攻撃を先送りすれば、それだけ籠城側の「手はず」も整ってしまう道理なので、その辺の判断が非常に難しい。

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とはいえ、攻撃側が大損害を受けたわけでも無いので、さらに破壊工作員(籠城側の作業を遅らせる)を送り込み、兵站部隊(1ユニットだけ前線から城壁下に移動させられる)をつくり、攻撃箇所を広げる方向でモンスターを進軍させ、第五、第六ターンには6カ所で襲撃を行ったが、3ユニット除去する程度に終わり、籠城側は予備兵力を投入すれば問題ない状態にあったため、最終ターンを前に投了した。
攻撃箇所を広げすぎたのかもしれないが、少なければ少ないで、「ゴブリンの狂乱」や「オークの自爆攻撃」などの指令が読まれて対処されてしまうので、この辺の判断も難しい。漫然とオークを並べただけでは余裕で防御されてしまうが、数少ない3戦力のトロールを集中させれば他が薄くなってしまう。

結局のところ「なぜ勝てなかったのか」は分かっても、「では、どうすれば勝てたのか」までは認識できなかった。自分で想像していた以上に攻撃側の難易度が高く、何が最適解なのか、いまだ理解できないでいる。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

テロ戦争と無人機の実像

【無人機攻撃「成人男性」なら戦闘員と見なす?】
 オバマ大統領1期目の就任直後の09年1月、初の無人機攻撃で少なくとも9人のパキスタン市民が殺害された。調査報道協会(本拠ロンドン)が先週発表した報告では、それから5年間に世界で行われた無人機作戦で2400人が死亡。うち少なくとも273人は民間人だ。「パキスタンやイエメン、ソマリアで、オバマ政権は5年間に390回以上の無人機攻撃を実施した。ブッシュ前政権の8倍だ」と報告にはある。
 ブッシュ政権とオバマ政権初期には、無人機の主な標的はパキスタンのイスラム武装勢力だった。11年初めに、アルカイダ系テロ組織が活動を活発化させるイエメンに作戦は広がった。ケリー米国務長官は昨年8月、パキスタンでの無人機攻撃を早急に終わらせると約束した。
 標的を定めた無人機攻撃が合法かどうかは非常に曖昧だ。国家主権、戦争規則、国際条約や国内法がいろいろと絡んでくる。アメリカの無人機作戦の合法性を判断しようとする機関や組織もまだ現れていない。それでも米自由人権協会(ACLU)など国内の団体が、無人機作戦に関わった米当局者を相手に訴訟を起こす動きがある。
 攻撃前に標的が特定されているケースもあるが、CIAはパキスタンやイエメン、ソマリアなどで「連座」方式を採用している、とかつてオバマの対テロ政策顧問を務めたマイケル・ボイルは言う。兵士になり得る男性はすべてアメリカの敵と見なす、つまり作戦の犠牲者が成人男性なら「戦闘員」として処理される。これでは罪のない人が殺されてもどうにもできない。
 イギリスでは先週、米無人機攻撃で父親を殺害されたパキスタン人男性が、作戦に関与したとして英諜報機関を訴えた裁判があった。しかし外国の行動を裁くのは難しいという理由で、原告の訴えは退けられた。
 男性を支援する人権団体リプリーブのカット・クレイグは、この結果を強く非難する。「同盟国アメリカと一緒なら、イギリス政府は殺人を犯しても許されるようだ」
(2014.02.05. Newsweek日本版)

3年前の記事だが、日本ではまず報道されないので紹介しておきたい。
『ドローン・オブ・ウォー』や『アイ・イン・ザ・スカイ』で映画化されて少しずつ認知されているようだが、一般的にはまだまだ知られていない無人機による現代戦の実相。

無人機による攻撃はすでに米ブッシュ政権時には常態化していたが、オバマ政権は実戦力から無人機へのシフトを進め、多用していた。確かに数字上の戦果は上がったかもしれないが、『アイ・イン・ザ・スカイ』を見れば分かるように、アフリカや中東の市街地に突然米軍のミサイルが撃ち込まれるのだから、殺害した「テロリスト」の数以上に新たな敵が生まれ、米欧に対する不支持、憎悪が高まり、拡散している。同時に、自国民に対する軍事攻撃を容認する自国政府に対する不信が増大、むしろ不安定化を促進している側面もある。
中東やアフリカでは、無通告で普通の市民が「テロリスト」として殺害されているのに対し、それを実行した米欧の軍人は表彰されこそすれど、殺人として訴追されることは決して無い。「これはテロ戦争であり、殺されたものは全てテロリスト」というのは、欧米側の一方的な主張に過ぎず、これは言うなれば「国家が逮捕したものは全て犯罪者」と言うのに等しい。

もう一つの問題は、将来、ロシアや中国、あるいは日本などが無人機攻撃を始め、国内の「テロリスト」や「分離主義者」に対する無差別攻撃を行った場合、誰もこれを非難する術を持たないということである。
日本の自衛隊が、沖縄の反基地運動家や独立運動家に対し、問答無用でヘルファイアを撃ち込む可能性は、「現状は無い」というだけで、将来的には十二分にあり得るだろう。中国におけるウイグル、ロシアにおけるチェチェンは言うまでも無い。
これらに対し、米欧が非難できない状況は、自分たちが唱えてきた「正義」(自由や人道主義)を否定するものでしかなく、リベラリズムとヒューマニズムの没落は避けられそうに無い。かつて、盧溝橋事件が日中全面戦争に発展する勢いにあった際、参謀本部作戦部長の石原莞爾が、対中強硬派で同課長だった武藤章をたしなめたところ、「自分は閣下の行動(満州事変)を見習ったまでであります!」と不貞不貞しく言い返されて、二の句をつげなかったという故事があるが、いまや米欧がそれを言われる立場にある。
つまり、米欧諸国は軍事の効率化を図るあまり、自分たちの金科玉条を否定するという、長期的不利益を自ら進んで受容している。

21世紀は「そういう」時代であることを、我々は認識しておく必要がある。
posted by ケン at 12:25| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

スマホとかあり得ないよね

【ロ外相、スマホ不携帯を告白 CIAによるハッキング疑惑受け】
 米中央情報局(CIA)によるハッキング疑惑を内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露したことを受けて、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は9日、ハッキング被害を回避するため、「デリケートな問題」が絡む協議にはスマートフォンを持ち込まないようにしていると明かした。ドイツのジグマル・ガブリエル外相とモスクワで臨んだ共同記者会見の場でラブロフ氏は、「私自身は、デリケートな問題が関わる協議には電話を持ち込まないようにしている」と話し、「少なくとも私は今のところ、不都合な状況には陥らなくて済んでいるようだ」と述べた。ラブロフ氏はさらに、CIAはスマートフォンだけでなく「冷蔵庫にも」侵入できると聞いたと、冗談めかした口調で付け足した。
(3月10日、AFP)

私の周囲にいる政界人もまず9割以上の人がスマホを装備しているが、情報や諜報に対する意識の低さ、あるいは国政に対する責任の自覚が疑われる。
日本の警察・公安あるいは自衛隊も、遅れてはいるものの、通信傍受部門を拡大させつつあり、アメリカの諜報機関との連携を考えれば、どのような情報が「筒抜け」になっているか分かったものではない。「ガラケーなら大丈夫」ということはないが、スマホは便利であるが故に、全ての情報が集約されてしまい、盗聴する側にとっても「カモネギ」だからだ。

開示された情報に寄れば、CIAはスマホはおろか、自宅などのインターネットに接続していないPCへのアクセスを可能にしているということであり、死角自体が無くなりつつあると見て良い。それどころか、自動車の制御系にウイルスを展開させて、事故を擬装しての暗殺をも試みているというのだから、もはや大手メディアによる「事故死」報道すら、実は「フェイク・ニュース」である可能性があることを示している。つまり、現代において「トゥルー」と「フェイク」の境界線はますます曖昧になっており、「フェイク・ニュース」と騒いでいる連中こそが「フェイク」の発信源だったということも常態化しつつある。
そして、日常生活に必要なあらゆる機器がIT化、AI化されつつあるだけに、外部からの不正操作に対してますます脆弱になっている。ラブロフ氏ではないが、冷蔵庫すら、「アナログ」でないと不安な時代になっているのだ。

不正アクセスや偽情報の発信は、ロシアの専売特許ではなく、当然アメリカも力を入れている。西側社会でテロ戦争や難民問題の実像、あるいは金融不正などが報道されないのは情報操作の成果だろう。
少なくとも我々は「そういう」時代に生きていることを自覚する必要がある。
posted by ケン at 12:12| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

瓦解する東芝

【LNGでもリスク…最大1兆円損失 販売先探し難航】
 米原発事業に絡む巨額損失で2017年3月期に債務超過に陥る東芝が、液化天然ガス(LNG)事業で最大約1兆円の損失リスクを抱えている。13年に当時割安だった米国産LNGを仕入れる契約を結んだが、販売先探しが難航しているためだ。売れなければ19年3月期から損失を計上しなければならず、経営危機に陥っている東芝への追い打ちとなりかねない。
東芝は13年、19年9月から20年間にわたって、米国産の天然ガスであるシェールガス由来のLNGを年間220万トン調達する契約を米企業と結んだ。11年の東日本大震災後、国内では原発の再稼働が進まず、火力発電用のLNGの需要が急増。日本が輸入していた中東などのLNG価格は原油価格に連動しており、当時は高騰していた。このため東芝は、当時割安だった米国産シェールガス由来のLNGを調達し、低価格を武器に、自社が製造している火力発電設備とセットで電力会社などに販売しようと計画した。しかし、もくろみは崩れた。原油価格は14年ごろから急落し、中東産などのLNG価格も下落。米国産シェールガス由来のLNGの価格競争力が失われたからだ。
 東芝はこれまでに、調達予定のLNGの半分以上を販売する基本合意書を結んだが、法的拘束力はなく「条件次第では買い取ってもらえない」(広報)という。東京電力フュエル&パワーと中部電力が折半出資する「JERA(ジェラ)」が販売先を紹介する支援をしているが、ジェラは「東芝からLNGを買い取ることはない」としている。
 一方で東芝は、販売先の有無にかかわらず、19年から米企業にLNGの代金を支払う契約になっており、販売先が見つからなければ19年3月期から損失を計上しなければならない。20年間売れない場合の損失は計約1兆円に上ると想定している。「財務基盤が弱い東芝が、米原発事業の巨額損失に加えてLNG事業のリスクに耐えられるのか」(アナリスト)との懸念は強く、経営の新たな火種となる恐れがある。
(3月8日、毎日新聞)

【東芝が米原発損失で決算再延期 期限1カ月、上場廃止も】
 経営再建中の東芝が、14日に予定していた平成28年4〜12月期決算発表を再延期する方針を固めたことが13日、分かった。米原発子会社ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)で浮上した内部統制の問題をめぐり、米国の監査法人から了承を得られないため。14日が四半期報告書の関東財務局への提出期限だった。財務局は再延期を認め、約1カ月の延期になる見通しだが、再延期した期限に間に合わなければ東芝株は上場廃止が現実味を帯びる。関係者によると、東芝は主力取引銀行に「14日の発表は厳しい」と伝えた。
 東芝は、当初予定していた2月14日の決算発表も同日に急遽(きゅうきょ)延期した。WHのダニー・ロデリック会長らが、7125億円を見込む巨額損失を減らすよう部下に圧力をかけた疑惑が浮上し、決算に影響が出る可能性が出る疑念が生じたためというのが理由だった。しかし、提出期限を3月14日まで延期することが認められた後も、日米の監査法人の間で疑惑をめぐる見解が一致しなかった。
 仮に財務局が再延期を認めなければ、東京証券取引所は東芝株を上場廃止の恐れがある「監理銘柄」に指定。さらに8営業日後の27日までに提出できない場合「整理銘柄」に移り、約1カ月後に上場廃止となる。
(3月14日、産経新聞)

「弱り目に祟り目」だな。アメリカに「ババを握らされている」観がハンパないけど、これは騙された方が悪い。問題は「自己責任論」が適用されるかどうか、なのだが。

東芝はFreeport LNGとの間で年間220万トンのLNG購入契約を締結していて、「Take or Pay」契約の関係で、市況が下がっても契約価格での引取り、または固定費の支払いが必要となる模様。
もともと東芝の狙いは、LNG発電機との抱き合わせ販売にあったようだが、そもそも「抱き合わせ」に需要があったのか、どのような見通しで計画が認可されたのか、リスク評価はどうなっていたのか、疑問はつきない。一電機メーカーが資源取引に手を出していること自体、信じられないギャンブルなのだが、推測するに大バクチを打たねばならないくらいに、東芝が追い詰められているということだろう。これは行動経済学でも言われていることだが、人間は負けが込むほど大穴に張ろうとする傾向を強めるのだ。

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そして、本件の説明もあるからこそ、決算を延期せざるを得ないわけだが、この手の「不都合な事実」が次々と表面化しているだけに、全く予断を許さない状況にある。
東芝は、自らの事業、子会社を切り売りして余命を長らえているものの、値が付くのは収益がよりマシな部門なのは言うまでも無く、どこまで切り売りしたところで、どれだけ手元にキャシュが残るのか、綱渡りしている状態だろう。いずれにしても、「詰んでいる」と言えそうだ。

日本型システムは従来護送船団方式を採用して倒産、特に大企業の倒産を最大限回避してきたが、その結果、無能な経営者が責任を問われて馘首されることなく、トップの座に居続け、能力では無く派閥や政治力学で昇進する組織になり、人事も経営も硬直して改善されない構造になっている。東芝のような「恐竜」がいつまでの生き残っているため、資本も労働力も技術者も固定化し、本来需要が見込める新規事業に移転することができず、低成長の原因になっている。ところが、日本では政官財の「腐敗トライアングル」が既存システムの最大の受益者であるため、変更することができない。この辺は、結局のところ共産党に改革はできなかったソ連のペレストロイカと酷似している。
posted by ケン at 12:32| Comment(4) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月14日

戦後日本の不安定な立脚点

【幼稚園での教育勅語教材「規定なし」 政府答弁書】
 政府は7日の閣議で、幼稚園などで教育勅語を教材として用いることの是非について「学校教育法の規定に基づき、文部科学相が定める幼稚園教育要領において規定は存在しない」とする答弁書を決定した。答弁書は「学校教育法などの法令に違反するか否かについては、個別具体的な状況に即して判断されるべきものだ」と指摘した。民進党の逢坂誠二衆院議員の質問主意書に答えた。
(3月7日、産経新聞)

あまりにも象徴的な話。仮にドイツの幼稚園で、ナチスの党歌や忠誠宣誓が行われたとしたら、全土を揺るがす大問題となって、すぐさま禁止措置あるいは休園命令が下されるだろう。ところが、日本では同様のことが行われても、「個別具体的な状況に即して判断されるべきもの」として黙認される。

これは、ドイツがナチズムを否定し、「戦う民主主義」を採用、デモクラシーやリベラリズムを否定する勢力や動きに対しては能動的に対処し、これを排除するというスタンスに立っているのに対し、日本は全く異なるスタンスであることに起因している。

本土決戦により休戦交渉すべき政府そのものが消失してしまったドイツと異なり、本土決戦を行わなかった日本は政府を残したまま降伏した。日本政府は連合軍司令部(GHQ)の従属下に置かれ、民主的政体への移行が進められた。GHQの指導があったとはいえ、体制転換の主体はあくまでも帝国政府だった。憲法も、帝国憲法を修正したものを昭和帝が臣民に下賜する形で公布された。
46年11月3日の日本国憲法公布に際する昭和天皇の上諭(布告文)。

「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

「上諭」とは、君主から臣下に下される言葉であり、この言葉こそが正に日本国憲法が欽定憲法(君主から臣下に与えられる憲法)であったことを示している。
だが、実際に日本国憲法が施行されるのは翌47年5月3日からのことであり、それまでは明治憲法が有効であるため、形式上・手続き上は明治憲法に則るしか無かった。
だが、その結果、「国民主権」(主権在民)を謳いながら、「君主から国民が賜る」という歪な形になってしまった。
日本国憲法は欽定憲法だった!

憲法については、GHQの指導や敗戦直後の保守・反動勢力の沈黙もあって、一応は自由と民主主義に基づくものとなった。教育勅語も新憲法にそぐわないとして廃止された。しかし、天皇制や国家神道の基幹部は温存され、秘密警察も形を変えて存続した。帝政、権威主義、軍国主義、植民地主義などの要素は、特に否定されること無く、まして断罪されることなく、ただ「無かったこと」にされた。ここが「自由と民主主義を否定する要素は断固否定する」というドイツとの大きな違いとなる。その後の民主化の過程の中で、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦構造が確立、アメリカの対日政策も「民主化」から「冷戦の最前線基地」へとシフトしていった。本来、天皇制をはじめとする権威主義体制を一部温存する代償として放棄された軍事権も、戦後10年も経たずに部分的に回復された(1954年に自衛隊発足)。
西ドイツがナチスとの決別を大前提として再軍備を果たしたのに対し、日本では天皇制を温存したまま自衛隊が創設されたため、帝国軍・皇軍との違いが非常に不明確なままになっている。特に近年、自衛隊が叙勲対象者の拡大や高官に対する天皇認証を要求していることからも、自衛隊内でデモクラシーを否定し、権威主義へ回帰する傾向が強まっていることが分かる。
日本再軍備の条件

言うなれば、戦後日本は権威主義や軍国主義を表面的に取り払っただけで、その根っこの部分を巧妙に温存してきた。高度成長に支えられ、米帝の保護あつかったことから、誰も過去の暗部に触れようとはしなかった。その結果、今日になって再び芽吹いている。一方、政府は政府で、「敗戦の結果、講和条件として民主化しただけ」というスタンスから、権威主義体制への揺り戻しを問題視する立場には無い。冒頭記事の政府答弁の理由である。そして、根源的には天皇制を解体しない限り、解決できないのである。
posted by ケン at 12:37| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする