2017年03月15日

瓦解する東芝

【LNGでもリスク…最大1兆円損失 販売先探し難航】
 米原発事業に絡む巨額損失で2017年3月期に債務超過に陥る東芝が、液化天然ガス(LNG)事業で最大約1兆円の損失リスクを抱えている。13年に当時割安だった米国産LNGを仕入れる契約を結んだが、販売先探しが難航しているためだ。売れなければ19年3月期から損失を計上しなければならず、経営危機に陥っている東芝への追い打ちとなりかねない。
東芝は13年、19年9月から20年間にわたって、米国産の天然ガスであるシェールガス由来のLNGを年間220万トン調達する契約を米企業と結んだ。11年の東日本大震災後、国内では原発の再稼働が進まず、火力発電用のLNGの需要が急増。日本が輸入していた中東などのLNG価格は原油価格に連動しており、当時は高騰していた。このため東芝は、当時割安だった米国産シェールガス由来のLNGを調達し、低価格を武器に、自社が製造している火力発電設備とセットで電力会社などに販売しようと計画した。しかし、もくろみは崩れた。原油価格は14年ごろから急落し、中東産などのLNG価格も下落。米国産シェールガス由来のLNGの価格競争力が失われたからだ。
 東芝はこれまでに、調達予定のLNGの半分以上を販売する基本合意書を結んだが、法的拘束力はなく「条件次第では買い取ってもらえない」(広報)という。東京電力フュエル&パワーと中部電力が折半出資する「JERA(ジェラ)」が販売先を紹介する支援をしているが、ジェラは「東芝からLNGを買い取ることはない」としている。
 一方で東芝は、販売先の有無にかかわらず、19年から米企業にLNGの代金を支払う契約になっており、販売先が見つからなければ19年3月期から損失を計上しなければならない。20年間売れない場合の損失は計約1兆円に上ると想定している。「財務基盤が弱い東芝が、米原発事業の巨額損失に加えてLNG事業のリスクに耐えられるのか」(アナリスト)との懸念は強く、経営の新たな火種となる恐れがある。
(3月8日、毎日新聞)

【東芝が米原発損失で決算再延期 期限1カ月、上場廃止も】
 経営再建中の東芝が、14日に予定していた平成28年4〜12月期決算発表を再延期する方針を固めたことが13日、分かった。米原発子会社ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)で浮上した内部統制の問題をめぐり、米国の監査法人から了承を得られないため。14日が四半期報告書の関東財務局への提出期限だった。財務局は再延期を認め、約1カ月の延期になる見通しだが、再延期した期限に間に合わなければ東芝株は上場廃止が現実味を帯びる。関係者によると、東芝は主力取引銀行に「14日の発表は厳しい」と伝えた。
 東芝は、当初予定していた2月14日の決算発表も同日に急遽(きゅうきょ)延期した。WHのダニー・ロデリック会長らが、7125億円を見込む巨額損失を減らすよう部下に圧力をかけた疑惑が浮上し、決算に影響が出る可能性が出る疑念が生じたためというのが理由だった。しかし、提出期限を3月14日まで延期することが認められた後も、日米の監査法人の間で疑惑をめぐる見解が一致しなかった。
 仮に財務局が再延期を認めなければ、東京証券取引所は東芝株を上場廃止の恐れがある「監理銘柄」に指定。さらに8営業日後の27日までに提出できない場合「整理銘柄」に移り、約1カ月後に上場廃止となる。
(3月14日、産経新聞)

「弱り目に祟り目」だな。アメリカに「ババを握らされている」観がハンパないけど、これは騙された方が悪い。問題は「自己責任論」が適用されるかどうか、なのだが。

東芝はFreeport LNGとの間で年間220万トンのLNG購入契約を締結していて、「Take or Pay」契約の関係で、市況が下がっても契約価格での引取り、または固定費の支払いが必要となる模様。
もともと東芝の狙いは、LNG発電機との抱き合わせ販売にあったようだが、そもそも「抱き合わせ」に需要があったのか、どのような見通しで計画が認可されたのか、リスク評価はどうなっていたのか、疑問はつきない。一電機メーカーが資源取引に手を出していること自体、信じられないギャンブルなのだが、推測するに大バクチを打たねばならないくらいに、東芝が追い詰められているということだろう。これは行動経済学でも言われていることだが、人間は負けが込むほど大穴に張ろうとする傾向を強めるのだ。

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そして、本件の説明もあるからこそ、決算を延期せざるを得ないわけだが、この手の「不都合な事実」が次々と表面化しているだけに、全く予断を許さない状況にある。
東芝は、自らの事業、子会社を切り売りして余命を長らえているものの、値が付くのは収益がよりマシな部門なのは言うまでも無く、どこまで切り売りしたところで、どれだけ手元にキャシュが残るのか、綱渡りしている状態だろう。いずれにしても、「詰んでいる」と言えそうだ。

日本型システムは従来護送船団方式を採用して倒産、特に大企業の倒産を最大限回避してきたが、その結果、無能な経営者が責任を問われて馘首されることなく、トップの座に居続け、能力では無く派閥や政治力学で昇進する組織になり、人事も経営も硬直して改善されない構造になっている。東芝のような「恐竜」がいつまでの生き残っているため、資本も労働力も技術者も固定化し、本来需要が見込める新規事業に移転することができず、低成長の原因になっている。ところが、日本では政官財の「腐敗トライアングル」が既存システムの最大の受益者であるため、変更することができない。この辺は、結局のところ共産党に改革はできなかったソ連のペレストロイカと酷似している。
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2017年03月14日

戦後日本の不安定な立脚点

【幼稚園での教育勅語教材「規定なし」 政府答弁書】
 政府は7日の閣議で、幼稚園などで教育勅語を教材として用いることの是非について「学校教育法の規定に基づき、文部科学相が定める幼稚園教育要領において規定は存在しない」とする答弁書を決定した。答弁書は「学校教育法などの法令に違反するか否かについては、個別具体的な状況に即して判断されるべきものだ」と指摘した。民進党の逢坂誠二衆院議員の質問主意書に答えた。
(3月7日、産経新聞)

あまりにも象徴的な話。仮にドイツの幼稚園で、ナチスの党歌や忠誠宣誓が行われたとしたら、全土を揺るがす大問題となって、すぐさま禁止措置あるいは休園命令が下されるだろう。ところが、日本では同様のことが行われても、「個別具体的な状況に即して判断されるべきもの」として黙認される。

これは、ドイツがナチズムを否定し、「戦う民主主義」を採用、デモクラシーやリベラリズムを否定する勢力や動きに対しては能動的に対処し、これを排除するというスタンスに立っているのに対し、日本は全く異なるスタンスであることに起因している。

本土決戦により休戦交渉すべき政府そのものが消失してしまったドイツと異なり、本土決戦を行わなかった日本は政府を残したまま降伏した。日本政府は連合軍司令部(GHQ)の従属下に置かれ、民主的政体への移行が進められた。GHQの指導があったとはいえ、体制転換の主体はあくまでも帝国政府だった。憲法も、帝国憲法を修正したものを昭和帝が臣民に下賜する形で公布された。
46年11月3日の日本国憲法公布に際する昭和天皇の上諭(布告文)。

「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

「上諭」とは、君主から臣下に下される言葉であり、この言葉こそが正に日本国憲法が欽定憲法(君主から臣下に与えられる憲法)であったことを示している。
だが、実際に日本国憲法が施行されるのは翌47年5月3日からのことであり、それまでは明治憲法が有効であるため、形式上・手続き上は明治憲法に則るしか無かった。
だが、その結果、「国民主権」(主権在民)を謳いながら、「君主から国民が賜る」という歪な形になってしまった。
日本国憲法は欽定憲法だった!

憲法については、GHQの指導や敗戦直後の保守・反動勢力の沈黙もあって、一応は自由と民主主義に基づくものとなった。教育勅語も新憲法にそぐわないとして廃止された。しかし、天皇制や国家神道の基幹部は温存され、秘密警察も形を変えて存続した。帝政、権威主義、軍国主義、植民地主義などの要素は、特に否定されること無く、まして断罪されることなく、ただ「無かったこと」にされた。ここが「自由と民主主義を否定する要素は断固否定する」というドイツとの大きな違いとなる。その後の民主化の過程の中で、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦構造が確立、アメリカの対日政策も「民主化」から「冷戦の最前線基地」へとシフトしていった。本来、天皇制をはじめとする権威主義体制を一部温存する代償として放棄された軍事権も、戦後10年も経たずに部分的に回復された(1954年に自衛隊発足)。
西ドイツがナチスとの決別を大前提として再軍備を果たしたのに対し、日本では天皇制を温存したまま自衛隊が創設されたため、帝国軍・皇軍との違いが非常に不明確なままになっている。特に近年、自衛隊が叙勲対象者の拡大や高官に対する天皇認証を要求していることからも、自衛隊内でデモクラシーを否定し、権威主義へ回帰する傾向が強まっていることが分かる。
日本再軍備の条件

言うなれば、戦後日本は権威主義や軍国主義を表面的に取り払っただけで、その根っこの部分を巧妙に温存してきた。高度成長に支えられ、米帝の保護あつかったことから、誰も過去の暗部に触れようとはしなかった。その結果、今日になって再び芽吹いている。一方、政府は政府で、「敗戦の結果、講和条件として民主化しただけ」というスタンスから、権威主義体制への揺り戻しを問題視する立場には無い。冒頭記事の政府答弁の理由である。そして、根源的には天皇制を解体しない限り、解決できないのである。
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2017年03月13日

野党に寄生して無効化させる連合

【民進党大会 連合・神津里季生会長「私たちにとっては民進党しかありませんから」】
 連合の神津里季生会長は12日午後、東京都内のホテルで開かれた民進党の定期大会でのあいさつし、原発をはじめとするエネルギー政策について「責任ある対応を引き継ぐことが国民の期待に応える」と強調し、「原発ゼロ」の年次前倒しを一時検討した蓮舫代表を牽制した。詳報は以下の通り。
 「昨年3月の結党大会から、もうすぐ1年ということであります。その間に、世界ではさまざまな出来事がありました。英国のEU(欧州連合)離脱、そして米国のトランプ大統領誕生など、懸念されるのは、内向き志向、そして、自分たちさえよければいいという考え方の横行ではないかと思います。政敵を自ら作り出し、自身の支持率の維持向上につなげる、それは本来の民主主義のあるべき姿ではないと思います。リーダーの立場にある人間、あるいは為政者が、自ら対立や分断をあおるようなことはしてはならないと思います」(中略)
 「それは、まず個々の政策をそれぞれ磨き上げて、それらをパッケージ化し、目指す社会像、ビジョンや政権構想として、早期に国民に分かりやすい形で示していただきたいというものであります。こうしたビジョン政権構想は、現政権との間での基本的な立ち位置の違いを明確にするためにも必須であります。個々の政策をバラバラに示しても、なかなか民意を取り戻す、そういった部分にはつながらないのではないかと思います。民進党として、どっしりとした存在感を世にアピールしていただきたい。このことを申し述べたいと思います」
 「いずれにいたしましても、支持率が急上昇するような秘策は私はないと思います。目先の状況だけにとらわれることなく、政権構想を練り上げ、候補者擁立を進めていただき、地道に国民に訴えていただくことで、働く者も生活者も不安を解消していくことが求められていると思います。それこそが、次期衆院選の勝利につながるものだと確信します。私たちも、推薦候補者全員の当選のために全力を尽くして参ります」
 「蓮舫代表を筆頭に、民進党の皆さんがたが、大きな発展に向かわれることを心から願います。私たちにとっては、民進党しかありませんから、ぜひ、よろしくお願いしたいと思います。ともにがんばりましょう」
(3月12日、産経新聞、一部略)

自分たちの中で圧倒的に無関心層と自民党支持が増えているのに、相も変わらず民進党支持を続ける連合。連合が掲げる政策の殆どは自民党・霞ヶ関に親和的で、むしろ民進党が目指そうとしている社会をかけ離れている。
言うまでも無いことだが、原子力発電を廃止しようとすれば電力総連が反対し、安保法制に反対しようとすればゼンセンがクレームを付け、労働時間規制を導入しようとすれば連合本体が文句を付けてくるという具合で、連合が民進党の政策に口出しすればするほど、民進党の政策は自民党と同質化してゆく構図になっている。

連合・神津執行部の腹は、敢えて「野党第一党の獅子身中の虫」となることで、「強い野党を作らせない」よう、自民党を間接的に支援する、あるいは邪魔させないところにあると思われる。
現状、連合の政治的圧力によって民進党は、全く自民党の対立軸を打ち立てることができず、野党としていかなる影響力も発揮し得ていないことが、それを裏付けている。また、連合の逢見事務局長(UAゼンセン)は頻繁に官邸や自民党関係者と接触しており、彼らから指示を受けているものと推察される。

一方、民進党は民進党で、自前の党員や党組織を持たないため、選挙の実務や人手の大半を連合に依存しており、連合の支援無くして選挙区で勝てるのは衆議院で2桁に行くか行かないかだろうと考えられている。
民進党の前身である民主党が、自前の党員を持たない党組織を指向したのは、かつての社会党が総評と社会主義協会の党員によって牛耳られ、国会議員の影響力が小さく抑えられていたことに対する反省、懸念に基づいている。
ところが、現実には党組織を持たない民進党は、自前で選挙ができないため、全てを連合に頼らざるを得ず、結果的には社会党時代と同様に労働組合依存を強めてしまっている。社会党との決定的な違いは、労働組合そのものの体力が大きく低下しているため、その運動力も集票力も非常に限定されたものになっている点だろう。

その結果、民進党は政策的には自民党と大差がないため「じゃあ自民党でいいじゃん」との評価が固定化、運動力と集票力では地域に密着した自民党に劣り、自民党に対していかなる点においても優越性を発揮できない政党になっている。
連合としては、民進党が「弱い野党」であり続けることで、自身の利益にかなうと同時に、万が一自民党が大不祥事などで総選挙に大敗、下野することがあっても、何らの政策変更がなされない担保となっている。

以上の意味で、連合の存在は、民進党はおろか、日本の議会政治をも「詰ませて」いるのである。

【追記、03/14】
朗報です。連合の努力により、ストを打つことも無く、「残業月上限100時間未満」が実現されました。政府が示す過労死ラインを上回る残業が公認される「歴史的改革」となりました。
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増村寛 遺作展

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一昨年昇天された、中学、高校の恩師である増村先生の遺作展。
自分もそんな年になったのかと。「お前はいつ個展やるんだ?」と言われているみたいで、腰が引けるけど・・・・・・
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2017年03月12日

映画 ハーモニー 伊藤計劃

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『ハーモニー』 監督なかむらたかし、マイケル・アリアス 日本(2015)



『虐殺器官』に感銘を受け、この機に他の伊藤作品も見てしまおうと思った次第。
本作も同様にセリフが膨大で、原作を読まずに映画だけ見てもどこまで理解できるか、というレベルになっている。しかも、『虐殺器官』に比べて動きが少なく、ラストを除くと見せ場というほどの場面も無いため、人によっては退屈を覚えるだろう。この難解さと退屈さで評価が下がってしまうのは避けられないが、話についていけさえすれば、必要最小限にまとめられていることや声優の名演に高評価が与えられるはずだ。特にケン先生は榊原良子ファンなので、徹頭徹尾ウハウハだった(笑)ただ、CGが「いかにもCG」になっている点、敢えて非現実、人工感を出す演出だとは思うのだが、違和感を覚えないではいられない。映像美という点では『屍者の帝国』に軍配が上げられるが、ストーリーや全体の空気感における、「美しい悲劇」という点が傑出している。

流れ的には『虐殺器官』後の世界で、先進国では高度に発展した医療福祉社会が構築され、政府の管理下で国民は健康と幸福が保障されている。国民はひたすら「善なる存在」であり、そこには悪意すら存在しない「満たされた」社会が実現している。果たして、そこに人の意志や意識はどこまで存在しうるのか、自由や個性にいかなる価値があるのか、ユートピアと表裏一体のディストピアなどがテーマになっている。テーマとしては、『PSYCHO-PASS サイコパス』によく似ているし、言ってしまえばSFの常套ネタなのだが、同性愛、自殺、テロルなどの組み合わせとプロットが抜群に上手いのだと思われる。突っ込むべきところは色々あると言えばあるのだが、そこは原作を読んでからにしたい。
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2017年03月10日

いざ!1億総スポーツ社会

【「1億総スポーツ社会を実現」 基本計画を答申】
 スポーツ庁長官の諮問機関、スポーツ審議会は1日、2017年度から5カ年の施策の指針を示す「第2期スポーツ基本計画」の内容を鈴木大地長官に答申した。20年東京五輪・パラリンピック開催を契機に、スポーツ参画人口の拡大による「1億総スポーツ社会」の実現を掲げ、施策の数値目標を現行計画の8から20に増やした。新計画ではスポーツによって「人生が変わる」「社会を変える」「世界とつながる」「未来を創る」の4つを基本方針に、医療費抑制や地方創生など国の課題解決に取り組む姿勢を示した。施策の数値目標としては、▽障害者のスポーツ実施率(週1回以上)を現状の2倍の40%にする▽スポーツが「嫌い」「やや嫌い」の中学生を半減させ8%にする▽国内スポーツ市場の規模を20年までに10兆円、25年までに15兆円にする――などを追加した。五輪とパラリンピックでの過去最多の金メダル獲得に向け、支援も充実させる。今月下旬にも松野博一文部科学相が最終決定する。鈴木長官は「非常に重要な5年間になる。教育としてのスポーツだけでなく、楽しさを伝えることに注力したい」と語った。
(3月1日、日本経済新聞)

東京五輪と合わせて、巨大な「東京スポーツ宮殿」が建てば、ナチ化完成。まぁギガントマニアに成りきれないところが日本人の弱いところかもしれないが、奈良大仏や戦艦大和の前例もあるからなぁ。

ナチに限らず全体主義国家はほぼ例外なくスポーツが大好きで、五輪のメダルの数を競う傾向が強い。これは、スポーツが、国家と国民を結ぶ紐帯としての機能として高く評価されているためだ。ソ連でもナチス・ドイツでも、国が各種スポーツ団体を主宰し、国民を動員、統合の手段としてきた。
同時にスポーツは容易に軍事に転用することができる。ドイツのグライダー協会が新設空軍の人材供給源になったことは良く知られている。

五輪で獲得メダル数を競うのは、国家威信に固執する権威主義精神の発露であり、国を挙げてメダル数を騒ぎ立てる日本は、表面上は民主主義を奉じているが、潜在的には権威主義に親和的で、自民党一党優位体制の根幹をなしている。

政府・自民党がこうした政策を打ち出すのは、根源的には森氏に象徴されるように、自民党の利権がスポーツ団体に集中しているためだが、背景的には企業福祉国家の瓦解に伴って国民統合力が低下する中で、国民統合を下支えする装置が求められていることがある。また、国民の不満を逸らす「サーカス」として東京五輪が準備されているが、1936年のベルリン・オリンピック同様の国威発揚の機会としても考えられている。

だが、現実には五輪を開催するために限られた予算を投じるため、社会保障を切り下げるほかなくなっている。また、スポーツに国民を動員しようとしても、高齢者ばかりで1億人をスポーツに参画させようとすれば、60代まで動員する必要があり、とても現実的とは言えない。東京五輪も、もともと4割以下しか賛同者がいなかったところを、必死に情報操作して6割まで水増しして誘致を果たしているだけに、伯林五輪のような熱狂を期待するのは難しいだろう。まして、近隣諸国がボイコットでもすれば、「斜陽国での五輪開催」としてモスクワ五輪を彷彿させる事態になりかねない。
いずれにせよ、自民党員や官僚が期待するような結果にはならないとは思うものの、今後さらに権威主義、全体主義にシフトしてゆくのかと思うと、憂鬱にならざるを得ない。
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2017年03月09日

Combat Commander: Pacificを初プレイ

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購入して10年近く放置していた「Combat Commander : Pacific」を初プレイ。ドラマの『The Pacific』もそうだったが、どうも米国人の日本軍評価が恐ろしく高いような気がする。ジューコフですら「(独ソ戦を含めて)一番厄介だったのはノモンハン」と言っているくらいだから、どこか根本的に欧米の軍とは「かみ合わない」ものがあるようだ。

本ゲームの日本軍も他国軍に無いルールや特殊能力が満載で、「規格外」「常識外」と思われていたことがよく分かる。全ユニットが移動する「バンザイ突撃」、いきなり後方にユニットが現れる「浸透」、単独ユニットの狙撃兵、何よりも「指揮混乱」(無効カード)が無いのが強い。個々のユニットは、火力も射程も米英軍に比して見劣りするのだが、移動力と士気(モラル)が高く、非常に打たれ強いため、これが塹壕やトーチカに入っていると、相当に堅い。しかも、日本軍は「降伏」しないため、損害を無視して戦うことができる。現実には、損害過多の場合に、自軍の損害を上回る戦果が挙げられるパターンが、どれほどあるのか疑問なのだが。こうしたルールとシステムで色々規定されているため、日本軍プレイヤーは自然と当時の指揮官同様、歩兵による飽和攻撃と浸透戦術に誘導されてゆく。良くできていると言えば、良くできているのだが、プレイヤー=小隊長、中隊長としての選択肢はあまり多くないようにも思える。

基本の「ヨーロッパ」から若干のルール変更があり、スタック・オーバーによる「即死」がなくなり、「敗走」命令が無くなり、砲撃や武器故障についても変更が行われている。「ちょっとゲーム的な処理になったか」と思わなくも無いが、プレイ・アビリティはむしろ向上しているかもしれない。違和感と呼ぶほどのものは感じない。

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シナリオは「マニラ近郊戦(1945)」を3回と「イル川渡河戦(1942)」を1回プレイする。この日は10時間ほどプレイしたので、1プレイ2時間強。久しぶりなのと、新ルールの確認を行いながらだったのを考えれば、慣れれば1プレイ1時間半ほどになるのだろう。相変わらず良好なプレイ・アビリティである。

「マニラ近郊戦」は、まず2回をK先輩が攻撃側米軍、ケン先生が防御側日本軍を持ってプレイ。中央に見通しは悪いが(視線障害)、身を隠す場所の無い(掩蔽値ゼロ)麻畑が広がるマップで、米軍は両端から重要拠点に迫るが、そこには当然日本軍の陣地があり、火線を構築して待ち構えている。そして、案の定、米軍は陣地を抜くのに苦労し、片方の陣地を抜くことには成功しても、そこで時間切れになり、重要拠点には遠く及ばなかった。二度目は戦力を集中して、一方の突破に専念するも、これはこれで防衛側の戦力集中と火力集中を許し、結局激しい射撃戦が繰り返されるだけで終わってしまう。
本ゲームは、どうも攻撃側の難易度が高いらしい。攻撃側の方が選択肢が多く、最適解が出しにくいこと、「どこで得点するか」について柔軟な判断が求められること、必要に応じて損害覚悟で攻撃することが求められるが、この決断がなかなか難しいこと、などが挙げられる。

そこで攻守を替えて同じシナリオを試す。米軍は二つに分けて分進合撃を試み、陣地を突破した方から、機会射撃を顧みずに突撃、重要拠点に迫る。防御側は、機会射撃できると言っても、手札上限は4枚でしかなく、現実には「一回撃てるかどうか」でしかない。仮に射撃できたとしても、損害が無ければ前進し続けられるのだから、突撃は有効な戦術である。ただ米軍は移動カードが少ないため、そこがネックになるのは避けられない。それでも、重要拠点に辿り着いて射撃し始めたところで時間切れになってしまった。

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せっかくなので違うシナリオも、ということになり、敢えて日本軍が万歳突撃する「イル川渡河戦」(ガダルカナル、1942)をプレイ。私が日本軍(一木支隊)、K先輩が米海兵隊を担当した。配置を見る限り、川と鉄条網、さらに米軍陣地というガチガチの防衛線が敷かれており、「どんな無理ゲーだよ?」という印象。だが、実際にプレイしてみると、比較的火線の弱い海外線方面で、日本軍が損害無視のバンザイ突撃を図り、飽和攻撃をもって米火線を抜いて陣地に肉薄、スタック・オーバーの白兵戦をもって米軍を屠ると、その勢いで米陣地を一つずつ落とし、かつヘンダーソン飛行場への突破を進め、日本軍の勝利に終わった。
このシナリオの場合は、「日本軍の突撃をいかに効率よく足止めするか」が課題になり、逆に米軍側にテクニカルな防御術が求められるようだ。
それにしても、史実では日本軍が大損害を出しているだけに、米デザイナー氏に「これでいいんきゃ?」と聞いてみたくなる。まぁ一戦だけでは何とも言えないか。

【訂正:03/11】
最初のシナリオの「マニラ近郊」は「ミンダナオ島」の間違いでした。訂正します。
posted by ケン at 12:33| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする