2017年04月10日

雪崩事故は慢心故か

【<那須雪崩>「経験則」から慢心…歩行訓練、3教諭で決断】
「絶対安全だと思っていた」−−。栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場付近で起きた雪崩で県立高校生ら8人が死亡した事故で、現場責任者だった教諭が29日、公の場で初めて当時の状況を語った。安全と判断した根拠については自らの「経験則」という言葉を繰り返す一方、教え子を失った事実に声を震わせ、頭を下げて記者会見場を後にした。
 悪天候のために登山の実技講習を中止しながら、なぜ歩行訓練を実施したのか−−。「春山登山」講習会を主催した栃木県高校体育連盟で登山専門部委員長を務める県立大田原高の猪瀬修一教諭(50)が県庁で記者会見し、登山専門部の副委員長、参加校の山岳部の顧問教諭の計3人で話し合って決めたことを明かした。
 27日午前6時ごろ、現地本部となっていた町内の旅館にいた猪瀬教諭は、スキー場近くに設営したテントにいた副委員長の携帯電話を鳴らした。副委員長が、一緒にいた登山のキャリアが豊富な顧問教諭に相談したところ、顧問は「雪が降っているので登山は無理。ラッセル訓練はできるだろう」と語り、3人でゲレンデに出ることを決めたという。
 午前7時半ごろにスキー場の管理事務所に生徒らを集合させ、訓練について説明。同8時ごろ、生徒46人、副委員長と顧問教諭を含む教員9人の計55人が第2ゲレンデの方向に歩き出した。猪瀬教諭は送り出した後、本部に戻り待機した。
 講習会は毎年このスキー場で行われており、教諭らの「経験」で「雪崩が起きやすい地点に近付かないように」して山の斜面で訓練を開始。生徒らは10人前後の5班に分かれ、亡くなった大田原高校の生徒7人と教諭1人を含む「1班」計14人が先頭になり登っていた際、同8時半ごろに雪崩に見舞われた。副委員長を含む生徒ら40人が負傷した。
 猪瀬教諭が事故を知ったのは午前9時15分ごろ。参加者は無線機などを持参していたはずだが雪崩でなくしたのか、無事だった教諭の1人が本部に駆け付け猪瀬教諭に報告。同20分ごろ110番した。
 また、雪の中で位置情報を知らせる電波発信機(ビーコン)を装備していなかった点については「雪崩の危険性のある登山には必要だが高校生は(危険な山には)行かない。全国的にもそうだと認識している」と語った。
 「安全」の判断は「経験則」によるとの説明を繰り返す一方、結果的に慢心があったことを認め「正直あの時行かないという判断をできればこんなことにならなかった」と後悔の言葉も。本部で連絡係として待機していたが、午前9時ごろから約10分間は無線機から離れていたといい「その間に通報があった可能性はあり、今では不用意だったと思っている」と釈明した。
 反省の言葉も口にし、会見終盤には「取り返しがつかないこと」と涙ぐんで声を震わせ、28日の保護者説明会で「『こういうことになっていたたまれない。申し訳ない』と話した」と明かした。
 「私ができることは、知っていること、こういうことになってしまったことをうそをつかずに誠実に答えること。謝罪しても、すみませんと言っても……」。体調への配慮から県教委の幹部らを残し2時間余りで途中退席する際、深く頭を下げた。
(3月29日、毎日新聞)

不慣れな官僚答弁でボロを出しまくってしまった格好だが、要は「いつもやっていたことを、いつも通りやったら事故が起きてしまった。我々はいつも通り絶対安全と判断しただけ」ということらしい。福島原発事故に際しての東電側の無責任な答弁と被るところが多いと同時に、旧軍に共通する日本社会の伝統的なブラック体質をも露呈している。

まず現場で高校生を引率し、事故で死亡した教員は就任一年目の新人であるにもかかわらず、登山部の顧問をさせられていた上、冬山登山の経験はゼロだったという。少し前までなら、新人教員が担任や部活顧問を任せられることは無かったはずだが、人員不足が恒常化する中、新人かどうか関係なく強制させられている。担任はともかく、部活動は任意の活動である上、教員の本来業務でも無いが、地方に行くほど参加強制がまかり通り、教員も顧問就任を強制されるケースが殆どだとされる。特に若い教員ほど、「若い」というだけの理由でハードな運動部顧問を任せられる傾向が強く、離職率や疾病率を高めている。
経験豊かな「専門家」が後方のテントや旅館で待機していたのに対し、経験ゼロの最若年教員が最先頭に立っていたこと自体、ブラック体質を示している。
現地の救助隊にいる老人は、数十年前にも同じ場所で雪崩が起きていたことを証言しているが、「不都合な事実」は無視されたようだ。

また、事故に遭った高校生も引率教員もビーコンを持っておらず、教員が持っていたとされる無線機は機能しなかった。このことは、安全装備の多重性を無視して、「全電源喪失などという事態は起こりえない」と強弁し、世界最大級の核事故を引き起こした日本政府や東京電力に共通する。同時に、安全装備を全廃した零戦を主軸戦闘機にしてしまった旧軍の体質にも共通する。日本人は、どこまでも安全をケチる傾向にあるが、これは過剰な人口が生命の価値を下げているためかもしれない。この傾向は、日本の人口が3千万人くらいになれば、少しは見直されるかもしれない。

ちなみに日露戦争前の雪中行軍に際し、八甲田山で遭難した青森第五連隊第二大隊を率いた神成大尉は秋田生まれ特務上がりの大ベテランだった。にもかかわらず、状況把握も登山装備も不備のまま出発している。休息する予定すらなく、一気に歩き抜くという無謀すぎる「計画」だった。
これに対し、同じ訓練を行って遭難せずに完遂した弘前第三十一連隊第一大隊の福島大尉は、士官学校上がりのベテランだったが、こちらは群馬県の平野部の出身だったにもかかわらず、事前調査を十分に行い、装備も万全を期して慎重に進め、ビバークの準備も十分にしていた。
八甲田山の経験は、必ずしも冬山や登山の経験がなくとも、リーダーの慎重な行動や判断があれば、悲劇を回避できる可能性を示している。

八甲田山の事件も「悲劇」ばかりが強調されるが、「なぜ事故が避けられなかったのか」という経験は100年以上経ても全く活かされていないようだ。
posted by ケン at 12:50| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする