2017年05月27日

GMT Stalin’s War

これも興味ありながら塩漬けにしてしまっていた作品の1つ。「パスグロ」のテッド・レイサー先生による二次大戦東部戦線キャンペーン。
問題は、「パスグロ」などのカードドリブンと従来型ヘクスの混合デザインということで、いかにも「足して二で割った」観があり、ついつい先送りしてしまっていた。実際、ルールを読み始めても先入観に対する確信が深まるばかりだったのだが、今回ソロプレイしてみた限り、「意外とイケるかも?」と評価を変えざるを得なかった。

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マップも、高齢ゲーマー向けなのか、表の類いが妙に大きく、それ対して実際にプレイするマップは相対的にかなり小さい。にもかかわらず、ドイツ本国から西はウラル山脈、南はバクーまで地図が広がっており、「これ実際に使うのマップの半分くらいじゃね?大丈夫かよ?」との印象は否めない。

従来のカードドリブン式の場合、作戦値が割り振られなかったユニットは、ゲーム中一回も動かないようなケースが続出し、激しく動くところと放置されるところの二極分化がハンパ無かった。これに対し、本作では、攻撃やZOC離脱の際に作戦値が必要となる以外、基本的に移動と防御はできるため、無視されるユニットはいなくなった。また、ドイツの装甲軍団は「突破」に成功すると、ソ連軍ZOCを無視して3ヘクスも走ってくるため、そこかしこで包囲ができる。ただ、ファイアーパワー・システムで互いにダメージを入れてくるため、ドイツ軍戦車もどんどんダメージが蓄積してゆく。ダメージが溜まると、回復が追いつかず、火力も減少してくるので、ソ連軍が盛り返してくる・・・・・・はずなのだが・・・・・・

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ルールを確認しながら42年冬(初冬)までプレイ。ドイツ軍は、装甲兵力を温存気味にした結果、秋ターンでもスモレンスクはおろかリガすら落とせず、南部もドニエプル川の手前までしか進めず、「42年冬終了時にパウルス・ラインの東側に枢軸軍が1ユニットもいない」というソ連軍のサドンデス勝利が目前に来ていた。やはり、攻撃するたびに戦車にダメージが入るドイツ軍というのは、なかなか厳しいものがある。だが、サドンデス敗北を避けるために、冬のペナルティを無視して全面攻勢に転じたところ、独軍の装甲はボロボロになってしまったものの、ソ連軍のLCU(方面軍)は北方を除いて壊滅、ロストフからツーラにかけてソ連軍の戦線はスッカラカンになってしまった。モスクワには1個軍(SCU)とスターリンが置かれているのみだったが、独軍は「タイフーン」カードを作戦値に使ってしまい、モスクワ・ヘクスを攻撃できないという有様に終わった。

確かに従来のヘクス・ゲームは両軍が交互にプレイするので予測が立てやすかったが、カードドリブンなので、作戦かイベントか補充か何をしてくるか分からず、攻撃箇所にも作戦値の制限があると同時に、突破効果が非常に大きいため、非常にバラツキが大きく、予測の立てにくいシステムになっている。
確かにゲームとしては大味なものの、面白そうではあるのだが、「タイフーンを発動しないとモスクワが攻撃できない」(イベントが発動するだけで、そのカードで作戦はできない)とか一体何をシミュレートしているのか微妙だろう。
「Barbarossa to Berlin」はマップが広すぎて全体像をつかみづらかっただけに、この折衷案と言える作品は、良くも悪くもプレイ・アビリティが向上しているものの、その代償として突然破断界を迎えるような振れ幅の大きさが生じているような気がする。
何はともあれ、まずは対戦相手を確保しよう。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

Hugo Bossと黒い制服はヤバいという話

実はドイツのアパレル・ブランドである「Hugo Boss」がナチスの制服を制作していたことを知り、驚いている。レベルこそ低いものの、ヲタ歴だけは40年からある上、短いものの一時期はアパレル業界に身を置いていたこともある自分が知らなかったことがショックだった。

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初代フーゴ・フェルディナント・ボスは、婦人服仕立屋の店主で一次大戦に一兵卒として出征、生還後、混乱下の南ドイツ・メッツィンゲン(ロートリンゲン)で総合ブランド「Schneiderei Hugo Boss」(仕立屋ボス)を立ち上げ、作業着や地方自治体の制服を中心に制作していた。それもドイツ経済の浮沈に大きく左右され、大恐慌で一度は倒産してしまう。ところが、フーゴ氏が1931年にナチ党に入党したことから、大転機が訪れる。

1932年、ボスは国家社会主義ドイツ労働者党の制服の制作を受注する。最初に制作したSSの制服がいきなり大ヒットする。同党の国政選挙の得票は、1932年7月で1375万票と急成長する時期にあった。そして33年には政権を獲得、翌34年には独裁権を確立する。
ボスがプロデュースしたSA、SS、ヒトラーユーゲントなどの制服デザインがナチス人気に大きな影響を与えたことは言うまでも無い(デザイナーはKarl Diebitschら)。数年前に自社を潰した街の仕立屋のオヤジがわずか数年にして、欧州随一の大国の各種制服を一手に手がける国家的あるいは世界有数のメーカーになったのである。
だが、それも10年を経て第三帝国が崩壊、同時に「ボス帝国」も瓦解し、一転して「ナチス協力者」として告発され、事業停止に追い込まれてしまう。フーゴ氏は、公民権を停止され、「全体主義への奉仕者」と罵倒されながら、48年に死去する。

戦後は娘婿が事業権を継承、戦後も警察や郵便の制服を作り続け、紳士用スーツで再起を図り、80年代には再び西ドイツを代表するアパレル・ブランドに成長、全世界に進出している。
私がプロデューサーだったら、是非とも映画化あるいは舞台化したいところだが、欧州では上映できず、ボス家の許可も下りそうに無いから、今まで実現していないのだろう。

やはり黒い軍服というのは、それだけで強そう(怖そう)に見える。だが、デザインを学んだ経験のある者としては、黒は「締める」のが難しく、下手するとアクセントや締まりの無いデザインになってしまい、扱いが難しいのを知っている。
この点、ケン先生のお勧めは、ソヴィエト・ロシアの海軍歩兵(Морская пехота)である。ボーダーのシャツとレトロな海兵帽が特徴で、どちらかと言えば「ダサ格好いい」系ではあるし、米海兵隊と同様「マッチョなヤンキー」ではあるのだが、引き締まった印象を持たせるデザインになっている。ウラジオストクで、少人数ではあるが行進しているところを見たことがあるが、実際に見ても格好良かった。

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日本の場合、明治期は陸軍でも海軍でも黒を基調としていたが、後に機能性の問題から廃止されていった。現代では、陸上自衛隊の予備学校である高等工科学校の制服に残っているくらいだが、今見ても「明治の香り」がしてヲタク的には嬉しいものの、強さや格好良さの点では惜しいものがある。個人的には赤い線が締まりを悪くしているように見えるのだが。まぁ、現代ドイツや日本の場合、敗戦国である以上、周辺国に脅威を与えないよう配慮する義務があり、軍服もあまり強そうに見えてはならないという暗黙の了解があるのだろう。仕方ないとは言え、惜しすぎる。

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posted by ケン at 12:22| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

日本のエリートとは誰か・補〜東大の権力源泉

先の稿で「日本のエリートとは誰を指すのか」を論じた。今回は、その補足として「東大出がなぜ権力を有し、エスタブリッシュメント層を形成しているのか」について考えたい。
とはいえ、本稿も伯父の経験や母の回想を中心に、ケン先生の周辺にいる東大出身者の話を総合したものであり、あくまで参考程度に止めて欲しい。

第一に東大出は、官界のトップを形成するキャリア官僚のうち約半数を占める。この割合は、時代を下るごとに低下しており、かつては平均で6〜7割程度だったと見られる。昨年の国家公務員総合職試験を見ると、約2千人の合格者のうち、東大出は433人で、2位京大の183人を大きく引き離している。とはいえ、これは入口の話であって、昇進レースでは東大出が常に優位に立つ。省庁の事務官僚トップである次官は、かつては大半が東大、現代でも半数が東大だ。
つまり、キャリア官僚の中で相対多数を占める「数的優位」が東大閥の大きな影響力を支えている。

第二に俗に「東大閥」「東大マフィア」などと呼ばれる人的紐帯がある。これは、必ずしも具体的な派閥として存在するわけではない。
例えば、私の大伯父は一高時代に福田赳夫と寮の部屋が隣同士だった関係もあって、東大法学部を経て、官界入りして大蔵と内務に分かれてもずっと同志的紐帯を持ち続けた。そのため、福田が大蔵大臣や総理大臣になっても、電話は直通、面会はアポ無しで優先的に取り次いでもらえた。もちろん逆も同じである。

通常であれば、何らかの案件で内務省の部長が大蔵省の部長に問い合わせを行おうとすれば、何重もの「壁」(手続きや人的仲介)を経てアポイントを取らざるを得ないが、「東大出」であればこうした壁を全て無視して、直接確認したり、協議・調整できたりするのだ。これは、組織内の交渉コストが、通常よりもはるかに低いことを示しており、他大出身者に比して作業効率が著しく高いことを意味する。極論すれば、私大出身のキャリア官僚が調整に何週間も掛けるような案件が、東大出同士が話すと一瞬で終わってしまうのだ。

前ボスが地方自治の関係で陳情を受けた際、「どの部署の誰に相談するか」と悩んで、懇意にしている自治官僚出身のベテラン議員に相談したところ、その先生はその場で総務大臣(自治相の後輩、東大)の携帯に電話、大臣もすぐに電話に出るのだが、「ちょっと相談したいことがあるんだけど、今(議員)会館まで来られるかな?」とまるでサークルの後輩を呼び出すような感覚だった。ここで重要なのは、その陳情が上首尾に処理されたかどうかではなく、下手するとたらい回しにされて有耶無耶にされがちな高コスト案件が、東大や省庁の先輩後輩の関係によって一瞬にして処理されてしまうことにある。

また私の母(東大医学部)は、巨大政令市の局長級だったが、市長は同年代の東大出(法学部、自治官僚)だった。二人はすぐに意気投合し、電話は携帯で直通、面会はアポイント不要で優先的に通されたという。通常であれば、たとえ局長でも、市長への電話は秘書課を介し、面会も秘書課を通じてアポイントを取るものであり、この「近さ」が組織内のあらゆる交渉コストを下げることになる。例えば、局をまたぐ案件で部門の異なる他局がサボタージュを行っている場合、局長同士で調整すると長い時間が必要となるものが、母が市長に電話一本入れるだけで、市長から指令が降りて解決してしまったという。
もっとも、母はこの手を使いすぎて警戒され、副市長になり損ねたわけだが、処理した案件の数は圧倒的だったという。エリートは「最も合理的かつ効率的」に組織内の交渉と作業を進めているだけのつもりなのだが、閥外の人間から見ると「癒着」「談合」にしか見えない典型だろう。

そして、第三に「地頭の良さ」がある。正直なところ、私が見てきた範囲でも東大出身者の中には「同じ人間か」と思うほど頭の良いものが何人かいる。例えば、伯父は凄まじい記憶力の持ち主で、子どもの頃から「いつ誰がどこで何を話したか」正確に言うことができ、自分が目を通した法律は殆ど全て諳んじることができたという。佐藤内閣時に農相のピンチヒッターに指名された時も、「明日からでも官僚の手助けもペーパーも無しで委員会の答弁に立てる」という理由からだった。
現代でも民進党のある若手議員の事務所は、毎日山のように配布される法案資料を全て廃棄しているが、その理由は「議員が一度目を通した資料は全て記憶されるから不要」というものだった。

つまり、こうした超エリート同士は、平均的な官僚や政治家が10説明しないと理解できないことでも、2〜3程度説明すれば全て理解して、下手すると100くらいまでイメージを広げることができる。そのため、超エリート同士の協議や調整は、常人同士のそれよりもはるかに少ないコストで済むことになり、元来の地頭の良さもあって、その事務処理能力は常人の何倍、何十倍にも匹敵するところとなる。同時に、東大出は互いの地頭の良さを知っているため、暗黙の信頼関係があり、「あいつがやるというなら間違いないだろう」と安心して仕事を進めることができる。この信頼関係が、仕事や交渉の効率を上げることは言うまでも無い。ところが、他大学出身者だと、能力に不安があるため、仕事を任せられず、一々チェックしながら仕事を進めることになり、効率が落ちてゆく。

上記をまとめると、「キャリアの半数という数的優位」「人的紐帯による交渉コストの大幅減と事務効率化」「地頭の良さと信頼関係に基づく交渉・事務コストの削減」こそが、「東大閥」の権力源泉なのだと考えられる。
だが、現実には「エリート支配」は大きく陰りを見せている。官界における東大卒の割合は低下の一途を辿り、東大エリートが支配する日本は20年間ほぼ経済成長せず、相対的貧困率は15%を超えて上昇し続け、外交的にはアジアで孤立し、政権は腐敗が蔓延、もはや暴力装置を強化することでしか統治できなくなりつつある。だが、これに替わる統治者層も統治手段も見いだせないのもまた事実なのだろう。

【参考】平等の価値について〜または社会主義者である理由
posted by ケン at 12:14| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

帝権のあり方について

【<陛下>退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」】
 天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。
(5月21日、毎日新聞)

自分は明確な共和主義者なので、帝国や君主のあり方などどうでも良いのだが、ネタとしては取り上げておきたい。まずは帝権に対する古今東西の考え方のおさらいから。
「国を治むるは、樹を栽うるがごとし。本根揺かざれば枝葉茂栄す。君よく清浄ならば、百姓なんぞ安楽ならざるを得んや」(貞観政要)

中国の場合、古来「表では徳治主義、裏では法治主義」が帝権統治の原則だった。君主は人民に対して道徳と礼儀の範を示し、官僚は法律で統治するという考え方である。儒教は徳治主義を旨とするが、現実の統治は徳だけではなせず、法家思想が密教として連綿と受け継がれてきた。
基本的には日本の君主論や帝権論もこの考え方を継承している。
「哲学の教えに基づき、人類を現世的な幸福へと導くものがローマ皇帝である」(ダンテ「帝政論」)

欧州の場合、古来宗教的権威の象徴であるローマ教皇と世俗的権威の象徴であるローマ皇帝の二元代表制を基本とし、ローマ帝国が崩壊した後も、王と教会による二元統治を行っていた。従って、キリスト教会は道徳と倫理の範を示し、王は暴力と法をもって統治するという考え方だったが、そこには常に「愚昧なる人民を善導し、幸福へと導く」という使命感があった。
余談になるが、ルネサンス期におけるカトリックとプロテスタントの対立は、帝権に対する考え方にも及んだ。カトリック側は「教義と教会を守護する帝権」を求めたのに対し、プロテスタント側は「強い帝権によって教会改革を行う」ことを求めた。それが最も苛烈な形になって現出したのが「ドイツ三十年戦争」だった。

欧州の帝権論は、王権神授説に基づいて神から教会を通じて統治の正統なる権利が与えられているが、同時にその使命と責任も明確であり、「人民を善導し、幸福へと導く」使命が果たせない場合は、少なくとも神に対して責任を負わなければならなかった。そして、その使命を果たせず、責任を取ることを拒否した王の末路が、チャールズ1世やルイ16世のそれだった。

これに対し、現代日本では、
「国民と共に歩み、国民に寄り添う」(今上帝)

「祈っているだけでいい」(日本政府)

という2つの帝権論がせめぎ合っている。現代日本の原型は、明治帝政に求められるが、中世から江戸期までの天皇は宗教的権威としてすらごく一部からしか認知されていないような存在で、世俗的権威や実力は皆無だった。だが、封建制度である幕藩体制から近代的国家に生まれ変わるためには、何らかの国民統合の装置が不可欠となり、天皇家が利用されるところとなった。
大政奉還した徳川幕府を暴力によって打ち倒した薩長両藩は、日本全土を支配する正統な権利を有しておらず、統治権は宗教的権威と一体化させて天皇に持たせる他なかった。だが、現実の統治は天皇にはやらせないことにしたため、不具合が生じた。
立法府も行政府も権限が弱い上に分割されており、到底強権を発動させられるような制度にはなっていなかった。
憲法の条文上、これらは協賛や輔弼という立場でしかなく、天皇が大権をもって親政を行うような仕組みになっていたが、現実の3人の帝は誰も専制権を発動しなかった。
聖上は君臨するのみで、下は不安定な分権構造というのが、明治体制の実態だった。
それでも、憲法の解釈上は、美濃部達吉の「天皇機関説」が採られてきたが、これは今風に言えば「解釈改憲」でしかなく、条文を厳密に解釈すれば、上杉慎吉の「天皇主権説」にしかなりようがなかった。

にもかかわらず、日露戦争前後までは一定の政治的主導権(リーダーシップ)が発揮されたのは、憲法にも法律にも規定されていない「元老」が絶大な政治的影響力を有していたためだった。
伊藤博文や山県有朋などの「明治維新の元勲」たちが、巨大な政治的影響力を駆使して、分権化された諸機関や軍を統制し、天皇大権を陰から行使することで(実際には専制権を行使しないまま)、国家を運営していたのである。
しかし、これはあくまで超法規的なシステムであり、元老が死んでしまうと、専制的な明治憲法と分裂的な統治機構だけが残ってしまう。特に軍は、統制する主体がなく、ノーチェックの暴力装置になってしまった。暴走するのは時間の問題だったのだろう。
それは維新の元勲や明治憲法の制定者たちの意図したところではなかったかもしれないが、もはや自分たちではシステムの不具合を修正することも出来なくなっていたのだ。
大日本帝国憲法の瑕疵

明治憲法は1条にて天皇に統治権を認めつつ、3条で無答責(免責)を保障する一方、閣僚は天皇の行政権を補佐しつつ、天皇に対してのみ責任を負うことを規定していた。この意味するところは、「天皇は君臨すれども統治せず、権利を代行する者は実質責任を負わなくて良い」というものだった。権力者にとってこれほど都合の良い憲法は無いだろう。

現代に話を戻そう。経済的繁栄と再分配に裏付けられた戦後和解体制が瓦解しつつある中で、天皇制による国民統合力も低下しつつあり、恐らくその危機意識を強く有しているのが平成帝で、だからこそ「国民と共に歩み、国民に寄り添う」スタンスを強く打ち出しているものと思われる。もちろん父である昭和帝に対する批判や意見もあるだろう。

自民党や霞ヶ関官僚がこうした平成帝のスタンスを面白く思わないのは、彼らが国内に「敵」をつくり対立を煽ることで、暴力支配を正当化して治安体制を強化し、貧困と不平等に対する不満を抑制しようという方針を持っているためだ。同時に、自民党と官僚には、一切責任を負う必要が無いことが規定されていた明治憲法に対する強い郷愁がある。これが天皇を元首にするという自民党の改憲案の根幹になっている。

「神輿は軽くてパーが良い」(小沢一郎)

【追記】
退位特例法は、人道上の問題を除外した場合、原則的には「上皇をつくり役割を拡大する」という意味で帝室と帝権を拡張させるものと理解している。
posted by ケン at 12:35| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

日本のエリートとは誰か

「日本でエリートって具体的には誰を指すのか」という話になった。
世界的に政治対立が「エリートvs. 反エリート」という図式になっている。アメリカでは、エリートのクリントン氏が反エリートを代表するトランプ氏に敗れ、逆にフランスでは、エリートのマクロン氏が反エリートを代表するルペン氏に勝利した。
日本の場合、非エリートの安倍氏が長期政権を担っているが、21世紀に入って東大出の総理大臣は鳩山由紀夫氏だけで、少なくとも表だっては「エリートvs. 反エリート」という図式が見えにくい。

この問いは簡単だ。日本のエスタブリッシュメントは「東大出の官僚」に象徴される。これは、「東大出」だけでも「官僚」だけでも成り立たず、不可分の関係にある。
例えば、先日復興大臣を辞任した今村氏は東大法学部出身だが、国鉄に入社しており、一部では「国鉄官僚」と揶揄されるものの、官僚からは見下される身分にあり、これが大きなコンプレックスとなって、今村氏の肥大化した自我に影響しているものと見られる。
逆に、厚生労働次官だった村木氏は、女性ということもあるが、それ以上に高知大学出身であったため、「凛の会事件」でスケープゴートにされてしまった。彼女が東大、それも法学部出身だったら、まず起きなかっただろう。

この東大の中にも階層があり、その頂点に立つのは法学部で、むしろ法学部以外は「雑魚」「みそっかす」の扱いをされることが多い。例えば、故宮澤喜一は、レクチャーに来た官僚や取材に来た新聞記者に対し、まず「大学は?」と聞き、東大以外と知るとまともに応対せず、東大と答えると今度は「学部は?」と尋ね、法学部以外と知ると、「用を済ませてさっさと帰れ」という空気を丸出しにしていたという。まぁ東大出の新聞記者などまずいないとは思うのだが・・・・・・
ただ、東大出身者の話を聞く限り、医学部はやや例外で、法学部出身者でも一目置いていたようで、「準エリート」と言えるだろう。もっとも、その準エリートの母に聞くと、医学部の中でも「理科三類」で入学したものは(母の世代が最初の理3合格者)、医学部試験合格者から下に見られていたという。ただ、いまや現役世代の全員が理3になっているので、ここは無視して良いだろう。

また、ここで官僚・官界と言う場合、狭義の霞ヶ関・行政官僚を指すのではなく、検察や裁判所、広義では日本銀行まで含まれる。
恐ろしいことに、日本銀行の総裁を見た場合、現職の黒田氏、先々代の福井氏は東大法学部出身であり、経済学部では無い。松下氏以前は、ほぼほぼ東大法学部出身者で占められている。一橋(東京商科大学)出身かつキリスト教徒である速水氏が総裁に就任したのは、一連の大蔵スキャンダルに依るもので、それが無ければ「あり得ない人事」だったとされる。

司法の世界においても、弁護士は検察官や裁判官に比して「一段下」に見られており、実際、帝政期の法廷では裁判官と検察官がひな壇に並んで座り、被告と弁護士は「御白砂」に立たされたままだった。この感覚は現代においても変わりなく、「判検交流」という形で「司法の東大支配」が続いている。
もっとも、たとえ弁護士であっても、「東大出の弁護士」は一目置かれる存在だという。全く証拠が無いので、「噂」になってしまうが、同じ女性議員でも、民進党のT元氏やレンホー氏らが強いバッシングにさらされる一方で、同党のY尾氏やSM党のF島氏などはいくら政府攻撃しても、スキャンダルを抱えていても批判されていない。これは後者二人が「東大法学部出の弁護士」であるため、東大閥の手厚い保護があるというのが、永田町における「常識」だ。
これは、日本の司法研修制度が、官民一体となって検察志望者も弁護士志望者も一緒に裁判所で研修を行い、「研修同期」が一種のマフィア的社会を形成していることにも起因していると考えられる。

付言すると、民主党政権時に検事総長に就任した笠間治雄氏は、明治帝政以来二度目の私大出身者(中央)だった。当時起きた大阪地検証拠改ざん事件を受けての大抜擢だったが、「(東大出でない)私に総長が務まるわけが無い」と何度も全力で固持したとされる。これは、私大出身の総長では、東大出のエリート官僚が統制に服さない恐れが強かったためと推察される。
他方、笠間を推薦した大林前総長の意図は、「法務官僚(赤煉瓦)ではこの難局は乗り切れない」というものであったというのが一般的な見方だが、私が耳にした噂には「民主党政権ごときにエスタブリッシュメントの検事総長などくれてやれるか!」というというものもあった。

なお、このF島氏は、自民党麻生政権時に中川蔵相がローマで「酩酊会見」を行ってバッシングされた際、野党議員(しかもSM)であったにもかかわらず全力で庇い続けており、東大法学部の同期であったことから「やっぱり東大マフィア」と批判されている。この後に憤死した中川氏は東大法学部を卒業後、官界に入らず、日本興業銀行(現みずほ)に入行しているため、「エリートグループの一員」(ロシア語に言うНаш человек)とは見なされず、庇われなかった側面があることは否めない。

もっとも、細かいところで言うと、「エリート」の中にも序列があるとされる。1つは言うまでも無く、官界の中の序列で、旧内務省と大蔵省を頂点とする明確な上下関係が存在する。現代においても、総務省や財務省の次官が官界の最頂点であり、「下級官庁」になると、総務省や大蔵省からの出向者が次官になるという関係にある(常では無いが)。
東大在学中に司法試験に合格して大蔵省に入省し、「若手ホープ」としてエスタブリッシュメントに期待されながら、政界に転身したある議員は、出馬する際に上司から「せっかく政治家を使う立場にあるのに、何をトチ狂って我々に使われる立場になろうとするんだ!」と説教されたという。

日本政治が統治不全に陥りつつある1つの理由は、かつては東大出エリートが省庁で位階を極めた後、政界に転じて党人派とバランスを取りながら「シヴィリアン・コントロール」を行うという機能があり、政界の超エリートが官僚を制御していた側面を有していたものの、これが小選挙区制の導入などで失われ、霞ヶ関の一元支配になってしまったことにある。
例えば、私の大伯父は内務省の超エリートで、終戦時の鈴木内閣の総理秘書官や調査局長を担い、戦後政界に転じているが、東大と内務省の人脈で官界に睨みをきかせることができた。佐藤内閣期に農相がスキャンダルで辞任した際、全く専門外の伯父が指名されたが、その理由は「明日からでも官僚の手助け無しで答弁に立てる」というもので、「頭脳エリート」としても圧倒的な存在感を示していた。現代でも、民主党政権期に前ボスが懇意にしていたT先生は、自治省の局長上がりだったが、後輩が先に大臣になっても携帯に直接電話して、「ちょっと説明に来てくれ」と言える関係にあった。良くも悪くも「そういうもの」だったのだ。
ところが、昨今の官界出身者は、課長補佐程度で出馬するため、当選しても、むしろかつての上司にアゴで使われるような有様になっている。そうでないと、逆に「上司憎し」のルサンチマンに終始してしまう。民進党の官僚出身議員の多くがこれだ。

・大伯父の肖像:スーパーエリートの系譜

もう一つ「エリート中の序列」に出身高校の序列というものがあるが、すでに長くなっているので、別の機会に気が向いたら稿を起こしたい。また、「東大出がなぜエスタブリッシュメントを形成できるのか」については補稿を上げたい。
posted by ケン at 12:27| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

今夏期待の戦争映画

この夏はリバイバルを含めて「戦争映画祭り」とも言える状況にある。自分の備忘を兼ねて紹介しておきたい。


『ウィンター・ウォー/厳寒の攻防戦』 ペッカ・パリッカ監督 フィンランド(1990) 6/24より公開
1990年に公開された冬戦争を描く傑作。日本では大幅にカットされたものがDVD化されて販売され、私も持っていたのだが、後輩に貸したまま行方不明になっていた。今回はフルバージョン(139分)でリバイバルされる。スオミ短機関銃を始めとするフィンランド軍装備やT26を始めとするソ連軍装備が超見物。アメリカやソ連の戦争映画とは色々と描き方が異なるところも興味深い。冬戦争を描く作品は殆ど無いだけに、見ていない人は是非映画館に足を運ぶべき。これも何故素直に「冬戦争」とできないのか。フルバージョンのDVDもゼッタイ購入すべき。


『ハクソー・リッジ』 メル・ギブソン監督 米(2016) 6/24より公開
1945年の沖縄戦において最悪の戦場と言われた嘉数高地戦(シュガーローフ)に次ぐ激戦地として知られる前田高地戦を描く。宗教上「不殺」の信条を持つ衛生兵が八面六臂の大活躍をするという話らしいのだが、先に公開したものを見た人によれば、「やり過ぎ」「盛り過ぎ」という。まぁメル・ギブソンだからなぁ。内容はさておき、邦題を「前田高地の戦い」としなかった配給者の責任は問われるべきだ。


『戦争のはらわた』 サム・ペキンパー監督 英・西独(1977) 8/26より公開
知る人には「Cross of Iron」の方が通りが良いかもしれない、戦争映画の金字塔とも言える作品がデジタル・リマスターでよみがえる。舞台は1943年のクリミア。すでに士官不足から曹長が小隊長を担っており、小隊もベテラン揃いだが、激しく定数割れして士気も弛緩している。そこに実戦を知らないプロイセン貴族の中隊長?が着任してくる。43年ながら大戦末期のドイツ軍の荒みっぷりや、東部戦線の過酷な戦場が見事に再現されており、「傑作」の名をほしいままにしている。今見ると、ユーゴスラヴィアで撮影されていることや、役者の英国人がドイツ人に見えないところが気になるものの、ジェームズ・コバーンの名演は映画史上に残るものであり、作品の完成度は疑うべくもない。私などは世代的にビデオでしか見ていないだけに、映画館の大画面と爆音で再体験したいものだ。


『ダンケルク』 クリストファー・ノラーン監督 米(2017) 9/9より公開
1940年フランスのダンケルクから撤退する英仏軍を描く。現地でも撮影しているらしく、リアリティはありそうなのだが、「映画としては正直どうなの?」と思わなくもない。見には行くけど。
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2017年05月20日

信長最大の好機?

またもマスターのドタキャンと欠席者続出によりRPG会が流れ、急遽3人で「信長最大の危機」(GJ)をプレイすることに。「信長の忍び」アニメ化記念でもある。
(ゲーマーとして)リハビリ途上にあるT後輩を「教育」するとして、織田を持ってもらい、O先輩が浅井・朝倉と武田・上杉を、ケン先生が本願寺、反織田中小、毛利を持った。

序盤、織田のチットの出具合も行軍ダイスも順調で、ゆるゆると金ヶ崎から撤退した後、六角氏を一撃で屠り、返す刀で浅井領の横山まで進撃、横山城も一撃で陥落させた。
ただ、反織田方も順調で、三好勢が石山に入り、替わって雑賀・本願寺勢が信貴山、大和郡山城を強襲、それぞれ一撃で落とし、松永久秀と筒井順慶を血祭りに上げた。

信長はさらに兵を進め、浅井氏の本城小谷を包囲、強襲するが、これも一撃で陥落。考えられる限り、最速で「宿題」を片付け、近江兵を配下に入れた。
本願寺も負けじと勝竜寺城に兵を進め、これも一撃で陥落、京の手前まで迫った。
織田方は、朝倉との決戦を諦めて、京に引き返し、本願寺が動く前に野戦に持ち込み、一方的に叩いた上、雑賀孫一まで討ち取ってしまう。ケン先生的には、「雑賀率いる2万4千の本願寺(12ユニット)が一撃で全滅?」というコンスコン司令官のキモチだった。

こうなってしまうと、反織田方は何もできることがなくなってしまい、朝倉は越前に引き上げてゲリラ戦の構えを示し、本願寺は石山に立て籠もるほかない。武田が参戦するも、「聞いてた話と全然違うじゃねぇか」という感じだ。
武田は、順調に掛川城と二股城を落とし、長篠を調略して、浜松に迫る。

織田勢は、今度は東海道を走って伊勢長島を強襲、ここでも一撃で4ユニットの本願寺勢を除去して陥落させた。凄まじいダイスである。
武田としては、さすがに打つ手が無く、「毛利が出てくるまでお茶を濁すしかないか」と考えていたところ、いきなり信玄が死亡してしまう(毎ターン終了時に2D振って3以下で死亡)。武田方がパラライズしている間に、織田軍が走ってきて二股で野戦となり、第一ラウンドは勝頼が主導権をとって一方的に織田を攻撃するも、ダイスが振るわず、二ラウンド目で織田が主導権をとって武田軍を壊滅させてしまった。鎧袖一触である。

毛利が出陣するまでまだ3ターンもあり、反織田方は投了。先輩の面目丸つぶれであるが、「信長公記でもここまで一方的じゃねぇよ、牛一もビックリ」であることは間違いない。
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする