2017年05月31日

祖国は我らのために

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「祖国は我らのために」 マコンドープロデュース 古川健・脚本 蔵本朋幸・演出

ロシア革命100周年ということで、様々な図書が出版される中、舞台も上演されていた。脚本家の方からして物心ついた頃にはソ連が無くなっていたくらいの年頃で、演じている役者さんに至っては大半がソ連崩壊後の生まれという、圧倒的に若い世代ばかりで、実際のソ連を知る最後の世代になってしまった私としては、観る前から不安ばかりしかなかった。案の定、観客も若い人ばかりで、自分は圧倒的に高齢寄りだった。一般論的には、ソ連でも演劇でも若い人に興味を持ってもらうのは良いことだとは思うが・・・・・・
1917年ロシア歴2月、帝政ロシア首都ペトログラード。
圧政と世界戦争の長期化によって市民たちは、その日のパンにすらありつけない貧しい生活を余儀なくされていた。
彼らの目の前にはまばゆい宮殿。
贅沢な生活を思うさま楽しむ一部の貴族、資本家。
やがて貧しい市民の心に怒りの炎が宿る。『革命』という名の炎が・・・。

「20世紀最大の事件」と呼ばれたロシア革命。

名もなき若者たちは立ち上がり、強大な旧権力に戦いを挑んだ。その戦いの先に理想の社会を夢見て

まず脚本が非常にボリシェビキ視点で、今どき日共でもこんな革命礼賛はしない。とはいえ、帝政に対する絶望と「二月革命の裏切り」が、十月革命の原因になったことは否めない。だが、2時間という枠で分かりやすさを追求した結果、ケレンスキーらが悪者、レーニンらが救世主になってしまっている。これを肯定的に捉えるとしても、ケレンスキーにもメンシェヴィキにも彼ら(なり)の正義があったことを描かないと、ただの革命礼賛になってしまう。ケン先生的には、そこまで割り切ることはできない。

演出的には、35人もの役者が絶え間なく動き回り、あるいは組体操的なものがあったりして、迫力はあるのだが、どうにも「力技で押し切る」観が強く、「パワー以外はどうなの?」と思わざるを得なかった。つまり、大声とドタバタが多すぎてプロパガンダ的になってしまい、評価するのが難しい。幕間も暗転も殆ど無く、観ていて疲れるのも問題。
やはりロシア革命を描くなら、視点は大衆では無く中上流になってしまうものの、『ドクトル・ジバゴ』辺りのものを参考にした方が、現代あるいはソ連を知るものとしては良い(ロシアっぽさが出る)ような気がする。
そうでなければ、あれこれバランスを取ろうとしてことごとく失敗して臨時政府を瓦解させてしまうケレンスキーの「無能」に焦点を当てた方が、政治的には面白く、現代的な視点となるだろう。

細かいところでは、メンシェヴィキはレーニン派によるレッテルに過ぎず、決して誰も少数派を自称したりはしない。まぁ分かりやすくするためには必要な措置なのかもしれないが。また、アレクサンドロフのソ連国歌「祖国は我らのために」は、スターリン期のものであり、当時みなが歌っていたのは圧倒的に「インターナショナル」だった。この点も気になる人は非常に気になっただろう。

厳しい話にはなってしまったが、こうしたテーマに取り組む姿勢は高く評価したく、今後も期待したい。
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2017年05月30日

自民党と霞ヶ関が共謀罪を必要とするワケ

共謀罪法案が衆議院を通過した。本会議の最終弁論では、自民・KMの両党から特に民進党を罵倒する演説が行われ、「国民の不安をいたずらに煽り立てる野党」が強調された。その自民もKMも「テロ対策上必要不可欠」と強調するわりに、法案には「テロ」の文言は1つもなく、およそテロとは関係ない罪状にまで対象が広げられていることについて明確な答弁はなされなかった。

だが、例えば、SGの初代会長は治安維持法違反で検挙された後、拷問死しており、今回の「テロ等準備罪」も普通に考えれば、日本最大級の宗教団体であるSGこそがターゲットにされて然るべき存在であることは言うまでも無く、連中は自分の首に縄を掛けただけのことだった。共謀罪の対象から公務員が除外されていることは、連中が誰をターゲットにしているのか、露骨すぎるほど明確なはずだが、連中は現在手にしている権力を維持するために、自分の生命と財産を担保に入れてしまったのだ。

他方、市民団体からは「民進党がだらしない」との批判が上げられているが、そもそも民主党野田政権期には、秘密保護法、安保法制、共謀罪、TPPなど今の安倍政権とほぼほぼ同じ法案を準備しており、何を言っても「唇寒し」の状態にあった。同様に、所属議員の過半数がそれらを支持しており、到底戦える状況になかった。

現実には、例えば、1937年に起きた人民戦線事件では、本来共産党と同党員をターゲットにしてきたはずの治安維持法によって、社会民主主義者、労働運動家、マルクス経済学者などが一斉検挙され、一次、二次含めて480名以上が逮捕された。ところが、法廷で有罪判決が下されたのはわずか数人に過ぎず、圧倒的多数は無罪に終わった。数件の有罪判決についても、判決が出る前に容疑者は保釈され、かつ控訴審は延期され続けたまま終戦を迎え、結審に至らずに終わった。このことは、当局(特高=秘密警察)が対象を必ずしも有罪にしなくとも、強制捜査や検挙、拘束することだけで、対象の動き(運動)を抑止することが可能であることを示している。
治安維持法全体で見ても、1928年から同40年までの検挙者数6万5千人のうち起訴者数は約5400人に過ぎず、起訴率はわずか8%でしかなかった。
実際に起きた犯罪を取り締まる一般の行政警察と異なり、国家規模の治安維持を目途とする秘密警察の場合、反体制運動の事前防止と撲滅を目的とするため、公判で有罪にすることよりも捜査や検挙で運動を妨害あるいは組織の撲滅を目指すことになる。言うなれば、共謀罪や準備罪の創設は、公安警察にフリーハンドを渡すものなのだ。

それにしても、自民党と霞ヶ関が10年以上も共謀罪の創設に情熱を燃やし続けたのは何故だろうか。いや、自民党に限らず、民主党野田政権でも共謀罪を準備していたのだから、そこには表面上説明されない真の理由があると見て良い。残念ながら、今回は官僚や議員からは確信的な言葉をもらっておらず、以下は私の推測になる。

1925年に治安維持法が施行されたのは、一義的には同年に日ソ国交が樹立されて共産主義の浸透が予測されたことにある。一般的には、28年の男子普通選挙法に対する警戒として説明されているが、これはどうやら後付けの理由らしい。だが、その背景にあったのは、1920年に第一次世界大戦の大正バブルがはじけてデフレ不況が起こり、これに対して緊縮財政が敷かれて深刻な経済不況が長引き、小作騒動や労働争議が蔓延、社会不安が増大していたことにある。そこに「日ソ国交回復=コミンテルンの浸透」が現実的な恐怖として現れた。1923年に関東大震災、同27年に昭和金融恐慌が起きていることを鑑みても、現代人には当時の社会不安が想像しづらいかもしれない。

そこで現代に戻る。戦後日本の繁栄と安定は、「戦後和解体制」によって説明される。
戦後和解体制とは、東側の共産主義の脅威に対抗すべく、西側で成立した資本家層と労働者層の協同的体制を指し、資本主義と自由経済を容認しつつ、再分配と社会保障制度の充実を図ることで、労働者層の体制参加(取り込み)を進めるものを指す。これにより、いわゆる「分厚い中間層」が誕生し、消費が拡大することで市場経済が活性化するという経済成長の好サイクルができると同時に、政治的安定が確立した。日本において、社会党の伸張が止まったのは、岸内閣が国民年金と健康保険を創設し、社会党の「やりたいこと」を先に実現してしまったことが大きい。

ところが、ソ連・東欧ブロックが崩壊したことで、戦後和解体制はその意義を失ってしまう。東側陣営の「社会主義」に対抗すべく、労働者層の取り込みを図ってきたが、その政治的意義が失われ、配慮する必要がなくなった。
また、時期を前後して、社会保障の財政負担が急激に増し、慢性的な赤字に悩まされるところとなった。「民主的な選挙」で選ばれる政治エリートは、選挙に勝つために社会保障費の削減を主張できないため、財政赤字は肥大化する一途にある。
さらに経済のグローバル化によって(ソ連ブロックの瓦解も影響)、国内産業の多くが賃金の安い海外に移転、海外市場との低賃金競争が始まって、国内の失業ないしは低賃金が蔓延していった。日本では、80年代まで10%程度だった非正規雇用が、90年代から急増、いまや40%に近づきつつある。また、最低賃金は先進国中最低水準にある。
結果、戦後和解体制は、政治的意義を失い、財政的に継続困難となり、基盤となる国内産業や労働待遇が切り崩されることで、崩壊しつつある。欧州における「極右」勢力や、アメリカにおける「ポピュリズム」の伸張は、その表れと言える。

戦後和解体制を維持するためには、社会保障制度を維持する必要があるが、そのためには肥大化する同費を補うだけの、保険料や税が必要となる。ところが、保険料は高齢世代の増大と現役世代の縮小により、放っておいても現役世代の負担は上昇するばかりとなっている。現役世代の負担が重くなればなるほど、少子化が進み、縮小再生産のスパイラルに陥っている。
また、税収を上げるためには、所得税、消費税、法人税の3つが主な対象となるが、所得税を上げても、高額所得者は「タックス・ヘイブン」を利用し、中低所得層の負担が重くなるだけ。消費税は消費を抑制すると同時にヤミ市場を蔓延させよう。法人税は、国際的に引き下げ競争を行っている上、会計粉飾を蔓延させる。つまり、増税はデモクラシーの制度上難しい上に、増税すればするほど実際の徴収が難しくなるというジレンマを抱えている。

財界、官界、マスゴミの支持を受ける自民党は、富裕層に対する増税や保険負担増を行えず、「増税せずにパイを増やす」戦略を採るが、結果的には、インフラを含む生産財に集中投資した上で、奴隷労働を強化し、賃金を引き下げる(非正規雇用を増やす、残業代を出さない)ことで実現しようとしているため、使いもしない生産財ばかり増え、固定維持費が高騰、一方で大衆増税や保険負担増が行われ、可処分所得が低下、消費がますます減退するという貧困と不平等の連鎖に陥っている。
他方、中間層の没落と貧困の蔓延を尻目に、権力に富が集中、腐敗が加速、急速に統治能力を失ってゆく。統治能力が低下するため、治安を維持するために、暴力行使のハードルも下げざるを得なくなっている。同時に、軍と警察を拡張するため、新規増税が不可欠となるが、富裕層の支持に依拠する自民党は、大衆増税や収奪によってしかその財源を賄えない。

貧困と不平等は社会に対する不満を増大させ、体制への不信を強め、著しく治安を悪化させる。この治安の悪化に対し、当局は暴力をもって応じるしかない。何故なら社会政策を進めるためには、貴族や資本家層に課税強化するか軍備を縮小して財源をつくる必要があるが、帝国権力が軍、官僚、財閥に依拠している以上、それは不可能な話であり、暴力によって不満を抑え込むほか無いからだ。「共謀罪」は、この考え方に沿って浮上してきた。

共謀罪が最初に上程されたのは2004年の小泉内閣時であり、富裕層の優遇策と社会保障の切り下げを主眼に置いた政策であったことは、上記の傍証となる。また、社会保障の充実を中心とした積極財政に舵を切った民主党鳩山政権が共謀罪を取り上げず、大衆増税を掲げた野田政権で復活したことも、傍証となる。

安倍政権が同法を遮二無二に推進しているのは、国民の年金基金を株式市場に投入したことに象徴される資本優遇と、カジノ法に象徴される大衆からの収奪強化、そして財政赤字の悪化に起因する社会保障の大幅切り下げが喫緊の課題になっていることから、近い将来、社会不安が急激に増大し、権力を脅かす事態が近づいているという認識があるからだろう。
霞ヶ関・自民党・財界・マスゴミの腐敗テトラゴンは、国内に「敵」をつくり対立を煽ることで、暴力支配を正当化して治安体制を強化し、貧困と不平等に対する不満を抑制しようという方針を持っている。同時に、自民党と官僚には、一切責任を負う必要が無いことが規定されていた明治憲法に対する強い郷愁がある。これが天皇を元首にするという自民党の改憲案の根幹になっている。
中東や欧米におけるテロ戦争は、あくまでも欧米による中東収奪に起因するものであり、本質的に日本とは無縁のものだ。にもかかわらず、霞ヶ関と自民党が「テロ対策」を掲げているのは、まさに治安維持法における「コミンテルンの浸透」と軌を一にしている。有りもしなかった不安を煽り立てて成立させた治安維持法の行く末は、共謀罪のそれを暗示している。戦後改革は、冷戦の勃発によってファシストを一掃することができずに終わり、七十余年を経て全体主義の悪夢が復活を遂げつつある。

つまり、共謀罪の対象はあくまでも日本国民であり、それは「貧乏人は飢えて死ね!でも文句は言うな!」という自民党・霞ヶ関の強い意志の表れなのである。自民党は本音で議論すれば良いものを、「国民をテロから守る」などと言うから議会に対する不信が強まってゆくのだ。
「東京五輪開催」を共謀罪創設の理由として説明するのも全くの欺瞞だ。3兆円を富裕層で分配し、実際の運営は貧困層の「自発的参加」による徴用で済ませようという五輪は、社会不安とテロの温床を育むものでしかなく、健全な国家であれば返上すべきところを、治安立法で反対派市民を弾圧して開催しようというのだから、これこそが権力腐敗の最大の象徴なのである。

【追記】
御用記者による強姦事件が、上層部からの圧力によって捜査中止、不起訴に終わったことは珍しくもない。スターリン期のベリヤNKVD長官による無数の少女暴行は、彼が失脚するまで告発されなかった。日本もそうなっただけの話である。同時に「日本は性犯罪が少ない」というプロパガンダがウソであったことも暴露された。何のことは無い「貴族による犯行はカウントされていなかった」だけだったのだ。
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2017年05月29日

加計疑獄と前川前文科次官をめぐるあれこれ

加計疑獄については、行政の裁量権がどこまで許されるのか、同時に「総理の要請」に象徴される「政治的配慮」がどこまで正当なものとして考えられるか、という話であり、金銭の授受や政治的取引(例えば、選挙の応援や名簿提出)が確認できない限り、告発は難しく、政治的批判を超えるものにはなりにくいだろう。

自民党政権が超長期にわたって続いているため、保守的あるいは右翼的傾向を持つ法人が政権に強いパイプをもって働きかけできているだけの話であり、仮に社会党政権が成立して続いていれば、リベラルあるいは社会主義的傾向を持つ法人が優遇されていただろう。つまり、非常にアジア的な「御上に嘆願する」陳情政治(構図としては中国皇帝やロシア・ツァーリに請願するようなもの)が根幹にあり、それを是とするかどうかなのだ。
仮に欧米型の政党政治が存在していれば、定期的に政権交代が起こるので、特定の勢力を支持するグループが圧倒的な影響力や人的パイプを持つことにはならないが、日本の場合、戦後70年のうち55年以上を自民党が支配している上、いまや衆参両院で自民党が大多数を有しているだけに、現代ロシアのような「絶対与党と衛星党と超少数の野党」みたいな構図になっている。
結果、アクトンの「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」が具現化している。長期政権により権力が腐敗して自浄能力を失っている以上、検察(行政)もまた機能せず、いかなる不法行為も隠蔽され、摘発されることはない。
また、欧米のように情報公開制度が整備されているなら、政官業報の不適切な接触についても情報公開を請求し、不正を告発することも可能だが、日本では公文書管理も情報公開も「中世よりはマシ」程度であるため、自浄能力を持たない。この点でも、日本は欧米の先進国型民主主義ではなく、アジアの開発独裁国型に近い。

それはさておき、前川前文科事務次官は興味深い人物のようだ。
全部又聞きになってしまうが、省内では「気骨ある革新官僚」という評価で、その評価は日教組に至るまで高かった。曰く、教員の減員に強く反対して、逆に増員を主張、2009年の政権交代前に民主党が打ち出した「高校無償化」にはいち早く賛成の意を明確にして省内で孤立、安倍政権後には「無償化廃止あるいは所得制限導入」に局長として最後まで抵抗して更迭されたという。古くは、小泉政権期にも三位一体改革(教育費の国庫負担削減)に激しく反対したことで、省内で話題になったとされる。このような経歴を持ちながら、なおあの霞ヶ関で局長を経て事務次官になったというのは尋常では無い。殆ど、海軍にあって、軍令部条例改定案、日独伊三国同盟、マル五計画などに反対し続け、常に反主流派を歩きながら次官、大将にまでなった伯父上を見る思いだ。

もっとも、今回の事件については、確かに「官邸の都合で行政のルールを歪め、省の信頼を貶めるな」という正義感が動機になってはいるのだろうが、より根源的には「天下り問題は他省でもいくらでもやっているのに、文科省をスケープゴートにした。森友、加計疑獄でもか!」というルサンチマンが文科省を覆っているため実行可能だったと見られる。つまり、前川氏の単独犯ではないだろう。

官邸は、「怪文書」の出所が前川氏であることを突き止め(少なくとも裏で糸を引いている)、スキャンダル情報(怪情報)を流す。カウンターインテリジェンスの類いだが、それには前川氏の行動を事前に調査収集していなければできないことだった。
ところが、官僚の身辺調査は現在では法的根拠があり、完全に合法化されている。「特定秘密保護法」がそれだ。
特定秘密保護法は、特定秘密を取り扱う可能性のある官僚の身辺調査を行うことを義務づけている。特定秘密は、原則的には軍事、外交、テロ関係などに限定されているものの、例えば文科省は原子力を始めとする科学技術全般を所管しており、「特定秘密を取り扱う可能性」に該当する官僚は少なくない。つまり、この点で調査する側の裁量が非常に大きく設定されているため、適当な理由を付ければ、「全ての官僚」は言い過ぎにしても、相当に広い範囲で身辺調査することが許されている(義務)。
先に補足しておくと、これは当然ながら総理大臣を始めとする閣僚や政務三役、政権党の幹部なども含まれるが、その意味するところは当局が、政権党幹部の身辺調査を行って、スキャンダル情報をプールしておくことが合法化されているということだ。理論上は、政権党の議員は政務三役になる可能性があるため、たとえ一年生議員でも当局による身辺調査が可能になっている。ただし、野党議員は特定秘密を扱う可能性が無いため、少なくとも合法的には身辺調査できない(秘密会所属議員は例外)。

つまり、今回の「前次官スキャンダル」は、特定秘密保護法がかなり広範囲の公務員のセンシティブ情報の収集を許し、官邸がその情報を駆使して敵対的あるいは批判的な政敵や官僚の追い落としにかかることを可能にしていることを示している。さらに言えば、秘密保護法と改正通信傍受法(盗聴の無限拡大)と共謀罪のコンボがどのような社会をなすのか、強く暗示している。
すでに日本は暗黒時代に突入している。そして、それを覆い隠すために、東京五輪がセットされているのだ。
posted by ケン at 12:55| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月27日

GMT Stalin’s War

これも興味ありながら塩漬けにしてしまっていた作品の1つ。「パスグロ」のテッド・レイサー先生による二次大戦東部戦線キャンペーン。
問題は、「パスグロ」などのカードドリブンと従来型ヘクスの混合デザインということで、いかにも「足して二で割った」観があり、ついつい先送りしてしまっていた。実際、ルールを読み始めても先入観に対する確信が深まるばかりだったのだが、今回ソロプレイしてみた限り、「意外とイケるかも?」と評価を変えざるを得なかった。

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マップも、高齢ゲーマー向けなのか、表の類いが妙に大きく、それ対して実際にプレイするマップは相対的にかなり小さい。にもかかわらず、ドイツ本国から西はウラル山脈、南はバクーまで地図が広がっており、「これ実際に使うのマップの半分くらいじゃね?大丈夫かよ?」との印象は否めない。

従来のカードドリブン式の場合、作戦値が割り振られなかったユニットは、ゲーム中一回も動かないようなケースが続出し、激しく動くところと放置されるところの二極分化がハンパ無かった。これに対し、本作では、攻撃やZOC離脱の際に作戦値が必要となる以外、基本的に移動と防御はできるため、無視されるユニットはいなくなった。また、ドイツの装甲軍団は「突破」に成功すると、ソ連軍ZOCを無視して3ヘクスも走ってくるため、そこかしこで包囲ができる。ただ、ファイアーパワー・システムで互いにダメージを入れてくるため、ドイツ軍戦車もどんどんダメージが蓄積してゆく。ダメージが溜まると、回復が追いつかず、火力も減少してくるので、ソ連軍が盛り返してくる・・・・・・はずなのだが・・・・・・

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ルールを確認しながら42年冬(初冬)までプレイ。ドイツ軍は、装甲兵力を温存気味にした結果、秋ターンでもスモレンスクはおろかリガすら落とせず、南部もドニエプル川の手前までしか進めず、「42年冬終了時にパウルス・ラインの東側に枢軸軍が1ユニットもいない」というソ連軍のサドンデス勝利が目前に来ていた。やはり、攻撃するたびに戦車にダメージが入るドイツ軍というのは、なかなか厳しいものがある。だが、サドンデス敗北を避けるために、冬のペナルティを無視して全面攻勢に転じたところ、独軍の装甲はボロボロになってしまったものの、ソ連軍のLCU(方面軍)は北方を除いて壊滅、ロストフからツーラにかけてソ連軍の戦線はスッカラカンになってしまった。モスクワには1個軍(SCU)とスターリンが置かれているのみだったが、独軍は「タイフーン」カードを作戦値に使ってしまい、モスクワ・ヘクスを攻撃できないという有様に終わった。

確かに従来のヘクス・ゲームは両軍が交互にプレイするので予測が立てやすかったが、カードドリブンなので、作戦かイベントか補充か何をしてくるか分からず、攻撃箇所にも作戦値の制限があると同時に、突破効果が非常に大きいため、非常にバラツキが大きく、予測の立てにくいシステムになっている。
確かにゲームとしては大味なものの、面白そうではあるのだが、「タイフーンを発動しないとモスクワが攻撃できない」(イベントが発動するだけで、そのカードで作戦はできない)とか一体何をシミュレートしているのか微妙だろう。
「Barbarossa to Berlin」はマップが広すぎて全体像をつかみづらかっただけに、この折衷案と言える作品は、良くも悪くもプレイ・アビリティが向上しているものの、その代償として突然破断界を迎えるような振れ幅の大きさが生じているような気がする。
何はともあれ、まずは対戦相手を確保しよう。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

Hugo Bossと黒い制服はヤバいという話

実はドイツのアパレル・ブランドである「Hugo Boss」がナチスの制服を制作していたことを知り、驚いている。レベルこそ低いものの、ヲタ歴だけは40年からある上、短いものの一時期はアパレル業界に身を置いていたこともある自分が知らなかったことがショックだった。

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初代フーゴ・フェルディナント・ボスは、婦人服仕立屋の店主で一次大戦に一兵卒として出征、生還後、混乱下の南ドイツ・メッツィンゲン(ロートリンゲン)で総合ブランド「Schneiderei Hugo Boss」(仕立屋ボス)を立ち上げ、作業着や地方自治体の制服を中心に制作していた。それもドイツ経済の浮沈に大きく左右され、大恐慌で一度は倒産してしまう。ところが、フーゴ氏が1931年にナチ党に入党したことから、大転機が訪れる。

1932年、ボスは国家社会主義ドイツ労働者党の制服の制作を受注する。最初に制作したSSの制服がいきなり大ヒットする。同党の国政選挙の得票は、1932年7月で1375万票と急成長する時期にあった。そして33年には政権を獲得、翌34年には独裁権を確立する。
ボスがプロデュースしたSA、SS、ヒトラーユーゲントなどの制服デザインがナチス人気に大きな影響を与えたことは言うまでも無い(デザイナーはKarl Diebitschら)。数年前に自社を潰した街の仕立屋のオヤジがわずか数年にして、欧州随一の大国の各種制服を一手に手がける国家的あるいは世界有数のメーカーになったのである。
だが、それも10年を経て第三帝国が崩壊、同時に「ボス帝国」も瓦解し、一転して「ナチス協力者」として告発され、事業停止に追い込まれてしまう。フーゴ氏は、公民権を停止され、「全体主義への奉仕者」と罵倒されながら、48年に死去する。

戦後は娘婿が事業権を継承、戦後も警察や郵便の制服を作り続け、紳士用スーツで再起を図り、80年代には再び西ドイツを代表するアパレル・ブランドに成長、全世界に進出している。
私がプロデューサーだったら、是非とも映画化あるいは舞台化したいところだが、欧州では上映できず、ボス家の許可も下りそうに無いから、今まで実現していないのだろう。

やはり黒い軍服というのは、それだけで強そう(怖そう)に見える。だが、デザインを学んだ経験のある者としては、黒は「締める」のが難しく、下手するとアクセントや締まりの無いデザインになってしまい、扱いが難しいのを知っている。
この点、ケン先生のお勧めは、ソヴィエト・ロシアの海軍歩兵(Морская пехота)である。ボーダーのシャツとレトロな海兵帽が特徴で、どちらかと言えば「ダサ格好いい」系ではあるし、米海兵隊と同様「マッチョなヤンキー」ではあるのだが、引き締まった印象を持たせるデザインになっている。ウラジオストクで、少人数ではあるが行進しているところを見たことがあるが、実際に見ても格好良かった。

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日本の場合、明治期は陸軍でも海軍でも黒を基調としていたが、後に機能性の問題から廃止されていった。現代では、陸上自衛隊の予備学校である高等工科学校の制服に残っているくらいだが、今見ても「明治の香り」がしてヲタク的には嬉しいものの、強さや格好良さの点では惜しいものがある。個人的には赤い線が締まりを悪くしているように見えるのだが。まぁ、現代ドイツや日本の場合、敗戦国である以上、周辺国に脅威を与えないよう配慮する義務があり、軍服もあまり強そうに見えてはならないという暗黙の了解があるのだろう。仕方ないとは言え、惜しすぎる。

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posted by ケン at 12:22| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

日本のエリートとは誰か・補〜東大の権力源泉

先の稿で「日本のエリートとは誰を指すのか」を論じた。今回は、その補足として「東大出がなぜ権力を有し、エスタブリッシュメント層を形成しているのか」について考えたい。
とはいえ、本稿も伯父の経験や母の回想を中心に、ケン先生の周辺にいる東大出身者の話を総合したものであり、あくまで参考程度に止めて欲しい。

第一に東大出は、官界のトップを形成するキャリア官僚のうち約半数を占める。この割合は、時代を下るごとに低下しており、かつては平均で6〜7割程度だったと見られる。昨年の国家公務員総合職試験を見ると、約2千人の合格者のうち、東大出は433人で、2位京大の183人を大きく引き離している。とはいえ、これは入口の話であって、昇進レースでは東大出が常に優位に立つ。省庁の事務官僚トップである次官は、かつては大半が東大、現代でも半数が東大だ。
つまり、キャリア官僚の中で相対多数を占める「数的優位」が東大閥の大きな影響力を支えている。

第二に俗に「東大閥」「東大マフィア」などと呼ばれる人的紐帯がある。これは、必ずしも具体的な派閥として存在するわけではない。
例えば、私の大伯父は一高時代に福田赳夫と寮の部屋が隣同士だった関係もあって、東大法学部を経て、官界入りして大蔵と内務に分かれてもずっと同志的紐帯を持ち続けた。そのため、福田が大蔵大臣や総理大臣になっても、電話は直通、面会はアポ無しで優先的に取り次いでもらえた。もちろん逆も同じである。

通常であれば、何らかの案件で内務省の部長が大蔵省の部長に問い合わせを行おうとすれば、何重もの「壁」(手続きや人的仲介)を経てアポイントを取らざるを得ないが、「東大出」であればこうした壁を全て無視して、直接確認したり、協議・調整できたりするのだ。これは、組織内の交渉コストが、通常よりもはるかに低いことを示しており、他大出身者に比して作業効率が著しく高いことを意味する。極論すれば、私大出身のキャリア官僚が調整に何週間も掛けるような案件が、東大出同士が話すと一瞬で終わってしまうのだ。

前ボスが地方自治の関係で陳情を受けた際、「どの部署の誰に相談するか」と悩んで、懇意にしている自治官僚出身のベテラン議員に相談したところ、その先生はその場で総務大臣(自治相の後輩、東大)の携帯に電話、大臣もすぐに電話に出るのだが、「ちょっと相談したいことがあるんだけど、今(議員)会館まで来られるかな?」とまるでサークルの後輩を呼び出すような感覚だった。ここで重要なのは、その陳情が上首尾に処理されたかどうかではなく、下手するとたらい回しにされて有耶無耶にされがちな高コスト案件が、東大や省庁の先輩後輩の関係によって一瞬にして処理されてしまうことにある。

また私の母(東大医学部)は、巨大政令市の局長級だったが、市長は同年代の東大出(法学部、自治官僚)だった。二人はすぐに意気投合し、電話は携帯で直通、面会はアポイント不要で優先的に通されたという。通常であれば、たとえ局長でも、市長への電話は秘書課を介し、面会も秘書課を通じてアポイントを取るものであり、この「近さ」が組織内のあらゆる交渉コストを下げることになる。例えば、局をまたぐ案件で部門の異なる他局がサボタージュを行っている場合、局長同士で調整すると長い時間が必要となるものが、母が市長に電話一本入れるだけで、市長から指令が降りて解決してしまったという。
もっとも、母はこの手を使いすぎて警戒され、副市長になり損ねたわけだが、処理した案件の数は圧倒的だったという。エリートは「最も合理的かつ効率的」に組織内の交渉と作業を進めているだけのつもりなのだが、閥外の人間から見ると「癒着」「談合」にしか見えない典型だろう。

そして、第三に「地頭の良さ」がある。正直なところ、私が見てきた範囲でも東大出身者の中には「同じ人間か」と思うほど頭の良いものが何人かいる。例えば、伯父は凄まじい記憶力の持ち主で、子どもの頃から「いつ誰がどこで何を話したか」正確に言うことができ、自分が目を通した法律は殆ど全て諳んじることができたという。佐藤内閣時に農相のピンチヒッターに指名された時も、「明日からでも官僚の手助けもペーパーも無しで委員会の答弁に立てる」という理由からだった。
現代でも民進党のある若手議員の事務所は、毎日山のように配布される法案資料を全て廃棄しているが、その理由は「議員が一度目を通した資料は全て記憶されるから不要」というものだった。

つまり、こうした超エリート同士は、平均的な官僚や政治家が10説明しないと理解できないことでも、2〜3程度説明すれば全て理解して、下手すると100くらいまでイメージを広げることができる。そのため、超エリート同士の協議や調整は、常人同士のそれよりもはるかに少ないコストで済むことになり、元来の地頭の良さもあって、その事務処理能力は常人の何倍、何十倍にも匹敵するところとなる。同時に、東大出は互いの地頭の良さを知っているため、暗黙の信頼関係があり、「あいつがやるというなら間違いないだろう」と安心して仕事を進めることができる。この信頼関係が、仕事や交渉の効率を上げることは言うまでも無い。ところが、他大学出身者だと、能力に不安があるため、仕事を任せられず、一々チェックしながら仕事を進めることになり、効率が落ちてゆく。

上記をまとめると、「キャリアの半数という数的優位」「人的紐帯による交渉コストの大幅減と事務効率化」「地頭の良さと信頼関係に基づく交渉・事務コストの削減」こそが、「東大閥」の権力源泉なのだと考えられる。
だが、現実には「エリート支配」は大きく陰りを見せている。官界における東大卒の割合は低下の一途を辿り、東大エリートが支配する日本は20年間ほぼ経済成長せず、相対的貧困率は15%を超えて上昇し続け、外交的にはアジアで孤立し、政権は腐敗が蔓延、もはや暴力装置を強化することでしか統治できなくなりつつある。だが、これに替わる統治者層も統治手段も見いだせないのもまた事実なのだろう。

【参考】平等の価値について〜または社会主義者である理由
posted by ケン at 12:14| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

帝権のあり方について

【<陛下>退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」】
 天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。
(5月21日、毎日新聞)

自分は明確な共和主義者なので、帝国や君主のあり方などどうでも良いのだが、ネタとしては取り上げておきたい。まずは帝権に対する古今東西の考え方のおさらいから。
「国を治むるは、樹を栽うるがごとし。本根揺かざれば枝葉茂栄す。君よく清浄ならば、百姓なんぞ安楽ならざるを得んや」(貞観政要)

中国の場合、古来「表では徳治主義、裏では法治主義」が帝権統治の原則だった。君主は人民に対して道徳と礼儀の範を示し、官僚は法律で統治するという考え方である。儒教は徳治主義を旨とするが、現実の統治は徳だけではなせず、法家思想が密教として連綿と受け継がれてきた。
基本的には日本の君主論や帝権論もこの考え方を継承している。
「哲学の教えに基づき、人類を現世的な幸福へと導くものがローマ皇帝である」(ダンテ「帝政論」)

欧州の場合、古来宗教的権威の象徴であるローマ教皇と世俗的権威の象徴であるローマ皇帝の二元代表制を基本とし、ローマ帝国が崩壊した後も、王と教会による二元統治を行っていた。従って、キリスト教会は道徳と倫理の範を示し、王は暴力と法をもって統治するという考え方だったが、そこには常に「愚昧なる人民を善導し、幸福へと導く」という使命感があった。
余談になるが、ルネサンス期におけるカトリックとプロテスタントの対立は、帝権に対する考え方にも及んだ。カトリック側は「教義と教会を守護する帝権」を求めたのに対し、プロテスタント側は「強い帝権によって教会改革を行う」ことを求めた。それが最も苛烈な形になって現出したのが「ドイツ三十年戦争」だった。

欧州の帝権論は、王権神授説に基づいて神から教会を通じて統治の正統なる権利が与えられているが、同時にその使命と責任も明確であり、「人民を善導し、幸福へと導く」使命が果たせない場合は、少なくとも神に対して責任を負わなければならなかった。そして、その使命を果たせず、責任を取ることを拒否した王の末路が、チャールズ1世やルイ16世のそれだった。

これに対し、現代日本では、
「国民と共に歩み、国民に寄り添う」(今上帝)

「祈っているだけでいい」(日本政府)

という2つの帝権論がせめぎ合っている。現代日本の原型は、明治帝政に求められるが、中世から江戸期までの天皇は宗教的権威としてすらごく一部からしか認知されていないような存在で、世俗的権威や実力は皆無だった。だが、封建制度である幕藩体制から近代的国家に生まれ変わるためには、何らかの国民統合の装置が不可欠となり、天皇家が利用されるところとなった。
大政奉還した徳川幕府を暴力によって打ち倒した薩長両藩は、日本全土を支配する正統な権利を有しておらず、統治権は宗教的権威と一体化させて天皇に持たせる他なかった。だが、現実の統治は天皇にはやらせないことにしたため、不具合が生じた。
立法府も行政府も権限が弱い上に分割されており、到底強権を発動させられるような制度にはなっていなかった。
憲法の条文上、これらは協賛や輔弼という立場でしかなく、天皇が大権をもって親政を行うような仕組みになっていたが、現実の3人の帝は誰も専制権を発動しなかった。
聖上は君臨するのみで、下は不安定な分権構造というのが、明治体制の実態だった。
それでも、憲法の解釈上は、美濃部達吉の「天皇機関説」が採られてきたが、これは今風に言えば「解釈改憲」でしかなく、条文を厳密に解釈すれば、上杉慎吉の「天皇主権説」にしかなりようがなかった。

にもかかわらず、日露戦争前後までは一定の政治的主導権(リーダーシップ)が発揮されたのは、憲法にも法律にも規定されていない「元老」が絶大な政治的影響力を有していたためだった。
伊藤博文や山県有朋などの「明治維新の元勲」たちが、巨大な政治的影響力を駆使して、分権化された諸機関や軍を統制し、天皇大権を陰から行使することで(実際には専制権を行使しないまま)、国家を運営していたのである。
しかし、これはあくまで超法規的なシステムであり、元老が死んでしまうと、専制的な明治憲法と分裂的な統治機構だけが残ってしまう。特に軍は、統制する主体がなく、ノーチェックの暴力装置になってしまった。暴走するのは時間の問題だったのだろう。
それは維新の元勲や明治憲法の制定者たちの意図したところではなかったかもしれないが、もはや自分たちではシステムの不具合を修正することも出来なくなっていたのだ。
大日本帝国憲法の瑕疵

明治憲法は1条にて天皇に統治権を認めつつ、3条で無答責(免責)を保障する一方、閣僚は天皇の行政権を補佐しつつ、天皇に対してのみ責任を負うことを規定していた。この意味するところは、「天皇は君臨すれども統治せず、権利を代行する者は実質責任を負わなくて良い」というものだった。権力者にとってこれほど都合の良い憲法は無いだろう。

現代に話を戻そう。経済的繁栄と再分配に裏付けられた戦後和解体制が瓦解しつつある中で、天皇制による国民統合力も低下しつつあり、恐らくその危機意識を強く有しているのが平成帝で、だからこそ「国民と共に歩み、国民に寄り添う」スタンスを強く打ち出しているものと思われる。もちろん父である昭和帝に対する批判や意見もあるだろう。

自民党や霞ヶ関官僚がこうした平成帝のスタンスを面白く思わないのは、彼らが国内に「敵」をつくり対立を煽ることで、暴力支配を正当化して治安体制を強化し、貧困と不平等に対する不満を抑制しようという方針を持っているためだ。同時に、自民党と官僚には、一切責任を負う必要が無いことが規定されていた明治憲法に対する強い郷愁がある。これが天皇を元首にするという自民党の改憲案の根幹になっている。

「神輿は軽くてパーが良い」(小沢一郎)

【追記】
退位特例法は、人道上の問題を除外した場合、原則的には「上皇をつくり役割を拡大する」という意味で帝室と帝権を拡張させるものと理解している。
posted by ケン at 12:35| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする