2017年05月01日

日本の低生産性の原因〜40年来の疑問

先日の勉強会で40年来抱いていた疑問の解答を得た。先に断っておくが、ケン先生も主宰者の一人だが、ソ連・東欧学の勉強会ではない。

小学生の頃、文化祭の準備をしていた時、自分の作業が終わったので「塾があるので帰ります」と宣言したところ、クラスの全員から非難され、屈服したことがある。自分としては、「お前らがダラダラおしゃべりしているから作業進まないんじゃねぇか、何で黙々と作業して早く終わらせた俺がお前らの作業を手伝わなきゃならねぇんだ!」という思いだったが、同級生の全員を敵に回す勇気は無く、従うほか無かった。私は小学生ながらこの非合理性と理不尽さに憤慨したものの、それを説明するだけの理論的背景は有しておらず、封印するほか無かった。あれから早や40年である。

実は、これこそ正に日本型組織、社会の典型で、仮に欧米の学校で起きていれば、誰も文句を言わなかったし、疑問にすらならなかっただろう。
問題の本質は、作業を終わらせられない生徒の非効率(能力の欠如ないしサボタージュ)にあるか、もしくはリーダーの管理能力(作業量の設定と割り振り)にあるのであって、欧米の企業ならまず労働者のクビを切り、それでもダメな場合は管理者のクビが切られ、作業方法と管理体制の改善が進められ、それによって生産効率の向上が図られる。この場合のクビは必ずしも解雇を指すとは限らないが、実質的には同じである。
ところが、日本型組織では、あらゆる問題が議論されずに放置され、理由も無く「みんなの責任(問題)」にされた挙げ句、精神論と人海戦術で解決するため、効率・生産性の向上が図られない。

日本の会社の99%はこの体質を有していると考えられる。まず、無能な管理職が自らの責務をわきまえずに膨大な作業を「部局全体の仕事」として部下に丸投げする。社員は「自分の仕事」が終わっても、「全体ノルマ」が達成されない限り、帰宅することも許されない空気下にあるため、他人の仕事を手伝うよりは自分の仕事を終わらせずに延々と続けるのが合理的選択となる。残業規制の不在がこの傾向に拍車を掛ける。「どうせ終わらないし帰れない」のだから、同僚の作業進捗を見ながらサボタージュすることで、楽して残業手当をゲットできるからだ。

さらに、日本の雇用慣行により、従業員は「職掌(ジョブ)」で雇用されるのではなく、全人格ごと雇用されるため、「作業効率が悪い」程度では解雇されない。司法判例も、まず他部署に配置して他の作業で試すことを要求している。これに対し、欧米の企業はジョブの能力で雇用しているため、その能力が会社の要求水準に達しない場合は、それを「正当な理由」として解雇できる。この結果、日本社会では正社員は、よほどの不祥事を起こさない限り解雇されない一方、企業は無能あるいは不適合な社員を囲い続けなければならない。同時に、日本の社員は職掌範囲が定められていないため、仕事の成果や能力が定量化、計測できず、公正に評価される基盤が無い。結果、個々の社員は生産性を上げるインセンティブが存在せず、企業側は無能な社員にも仕事を与えて人海戦術で対応せざるを得ず、組織としても生産性を向上させる術が無い。

かつてドイツの公的機関に勤めていた叔母は、ある日、同僚と早くディナーに出たいがために、彼女の作業を手伝っていたところ、ドイツ人の所長に咎められ、「何で手伝うんだ、組織の公正さが保てなくなる。それ以上やるなら貴女の人事評価を下げるぞ」と言われたという。これは、ジョブで雇用されている以上、「作業が終わらない」のは同僚の能力が低いか、ないしは彼女の上司(課長)の管理能力に問題があるかのどちらかであるが、叔母が手伝うことで能力の査定に支障が生じると同時に、責任の所在も曖昧になってしまう、というのが所長の主張だったらしい。
もちろん新自由主義が流行する前の話であり、新自由主義云々の問題では無く、組織管理と雇用慣行の問題であることは言うまでも無い。

特に日本の場合、管理能力が問われることが無いため、無能な経営者が跋扈していることが、低成長の最大の原因となっている。欧米の企業の場合、業績を上げられない経営者は株主総会で馘首されるが、日本ではまず起こりえない。世界最大級の核事故を起こしてすら、「原因は自然災害」とされ、一人の責任も問われずに終わり、安全性の向上は実質放置されたまま、再稼働が進められている。
核事故が進行中の時も、東京電力の社長は記者会見において原稿を読む以上の答弁は何もできなかったが、あれはまさに死の直前のブレジネフを思わせるものがあった。しかも日本の記者は予め当局に選ばれた者しか会見に参加できず、当局の意向を忖度して質問内容を自粛する傾向が強い。
また、ロシアのプーチン大統領は原稿も補佐官も無しに4時間でも5時間でも記者の容赦ない質問に答え続けるが、日本の首相は無数の補佐官を付けながら、国会のわずか一つの質問に対してすら「事前通告が無いから答えられない」と応じ、誰からも咎められない。むしろ「事前通告しないヤツが悪い」くらいの話になっている。
つまり、日本国民は生来の奴隷根性と学校の教育によって、無能な上司を告発する意識を持たないように洗脳されている。無能な経営者や政治家にとって日本ほどの天国はどこにもない。
日本型組織では、能力や成果ではなく、組織や上役に対する忠誠度によって人事評価がなされる傾向が強いことが、ますます生産性を下げていると考えられるが、これについては別途考察すべきだろう。

何のことは無い、日本の戦後成長は人口ボーナスで支えられてきただけで、人口ボーナスが失われた途端に成長も止まってしまい、生産性を向上させる術もないため、市場全体も停滞から減退へと転じているのだ。本来であれば、組織の効率化と女性の高度活用によって生産性の向上が図られるべきだが、現実には安価な非正規労働者と外国人奴隷を動員することで解決しようとしているため、消費が減退し、貧困が蔓延した上、生産性も停滞したままになっている。

カルロ同志の表現を借用するなら、仮に悪性腫瘍で足を切断しないと5割の確率で死亡する患者がいるとして、手術の是非は、西欧なら患者個人の自律的判断に委ねられる。ソ連なら執刀医が、共産党員の医局長ないし病院長の裁可を得て判断する。ところが、日本ではまず執刀医を決める会議の日程が組まれ、それまでに膨大な労力を掛けて患者と外科資格を持つ医師の資料が作成される。そこで執刀医が決まっても、今度は患者の家族に説明する日程を決める会議が行われ、説明用資料の作成に膨大な時間が掛けられ、そうこうしているうちに患者が死亡してしまうのだ。
posted by ケン at 13:51| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする