2017年06月22日

フランス国民議会選挙2017

【仏総選挙第2回投票 マクロン陣営、議席6割 二大政党は惨敗】
 フランス国民議会(下院、定数577)選挙の第2回投票は18日、開票が行われ、内務省の暫定最終結果では、マクロン大統領の新党「共和国前進」陣営が約6割に相当する350議席を獲得した。マクロン氏は安定的な政権運営に必要な議会基盤を固めた。
 フィリップ首相は18日、「議会を新たにしようと望む国民のおかげだ。明白な多数派だ」と勝利宣言。前進は連携する中道政党を除く単独でも過半数(289)を確保。欧州連合(EU)強化や国内改革などの公約実行に大きな弾みとなる。
 内務省によると、前進以外では保守系の共和党陣営137議席▽左派の社会党陣営44議席▽共産党を含む急進左派27議席▽極右の国民戦線(FN)8議席。FNのマリーヌ・ルペン党首は下院初当選を果たした。
 共和党は2012年の前回選挙時から議席をほぼ半減。社会党は8割以上を失う惨敗となり、両党が中心となってきた仏政治の勢力図は激変することになる。
 一方、前進陣営は第1回投票での善戦後、一部で予想された7割以上の議席獲得には至らなかった。他陣営が第2回投票に向けた選挙運動で議会のチェック機能維持のため、前進の「1強」回避を有権者に訴えたことが影響した可能性がある。
 投票率は約43%。11日の第1回投票の約49%よりも落ち込み、第2回投票としては過去最低に近い水準に低迷した。
(6月20日、産経新聞)

フランス国民議会選挙第二回投票が行われ、議席が確定した。一般的な報道だけでは見落とす部分が多いので、補足しておこう。
先にフランス下院選挙の投票制度をおさらいしておこう。学術的には「小選挙区単記2回投票制直接普通選挙」と呼ばれるもので、基本的には単純小選挙区制だが、一回目の投票で過半数かつ登録有権者の25%以上の得票が無かった選挙区では、上位二候補による決選投票が行われるというもの。実際、今回の選挙で第一回投票で確定したのは4選挙区に過ぎなかった。

その意味で、30〜40%程度の相対多数得票で当選してしまう日本の投票制度よりは民意の反映度が高いと言えるが、今回の選挙を見た場合、第一回投票で32%しか得票しなかった共和国前進が6割の議席を得ている。だが、その一方で不服従のフランス17、共産党10、国民戦線8、左派系諸派8、右派系諸派6など、決選投票付きの小選挙区でこれだけの多様性が保たれるのも非常に興味深い。詳細な獲得議席は下記。

また、国民議会の総定数は577。フランス本土から539人、海外県・海外領土から27人、在外フランス人から11人が選出される。「在外枠」という考え方も非常に面白い。棄民傾向が強い日本とは、「国民」に対する考え方が本質的に異なる。共和国ならではかもしれない。
では、党派別獲得票、得票率(第一回)と最終獲得議席数を見てみよう。

極左諸派:175,214票、0.77%、0議席
共産党:615,487票、2.72%、10議席
不服従のフランス:2 497,622票、11.03%、17議席
社会党:1,685,677票、7.44%、30議席
急進左翼:106,311票、0.47%、3議席
左翼諸派:362,281票、1,60%、12議席
エコロジスト:973,527票、4.30%、1議席
諸派:500,309票、2.21%、3議席
諸地域政党:204 ,049票、0.90%、5議席
共和国前進:6,391,269票、28.21%、308議席
民主運動:932,227票、4.12%、42議席
民主独立同盟:687,225票、3.03%、18議席
共和党:3,573,427票、15.77%、112議席
右翼諸派:625,345票、2.76%、6議席
立ち上がれフランス:265,420票、1.17%、1議席
国民戦線:2,990,454票、13.20票、8議席
極右諸派:68,320票、0.30%、1議席


まず、有権者総数4729万人のうち第一回投票者は2317万人で投票率48.7%、うち白票36万票、無効票16万票。第二回投票者は2016万人で投票率42.6%、うち白票140万票、無効票60万票。
見ての通り、フランスとは思えない投票率の低さと白票・無効票の多さがあり、これ自体が「国民全員参加」を大原則とするデモクラシーの危機を表している。同時に第一回投票における有権者総数に対する「共和国前進」の投票率はわずか13.4%に過ぎず、それが全議席の53%を占める結果となっている。言い換えれば、フランス人の8人に1人程度しか投票していない「マクロン大統領派」が議会の過半数を得てしまっている状況にある。「前進」と協力関係にある「民主運動」を加えれば6割の議席になる。
逆にルペン氏率いる国民戦線は299万票で得票率13.2%もありながら、獲得したのは8議席(議席占有率1.3%)に過ぎなかった。これは決選投票で敗北したためだが、ファッショを避けるための制度が議会に対する民意の反映を抑制し、棄権や無関心層を増やす結果に繋がっていると推測される。
メランション氏率いる「不服従のフランス」も同様で、250万票、11%も得票しながら17議席(同3%)に終わっている。もっとも、「不服従のフランス」は大統領選で共産党、エコロジスト、左派系諸派と合同してメランション候補を立てたが、今回は総選挙ということで個別に戦ったことが災いしている。「不服従のフランス」と共産党の選挙連合は、直前まで検討されたが実現しなかったことが大きい。とはいえ、下院選挙で政党連合を組んでしまうと、政党のアイデンティティが問われる事態になるため、そこは単純には評価できない。そうは言っても、「不服従のフランス」と共産党とエコロジストの三者の票を足しただけで共和党を優に超えるのだから、フランスの政治的多様性は面白い。

放置すると超多党制になってしまうラテン的な政治文化を抑制するために小選挙区制度が導入されているのだが、現実に民意が全く議会に反映されず、投票意欲が激しく低下する事態を招いている。「選択肢が無い」日本からすれば非常に羨ましくもあるのだが、フランスはフランスでデモクラシーの危機を迎えている。
少なくとも「マクロン派が勝利した万歳」とは行かないことだけは間違いない。
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2017年06月21日

ロシア人の安保観を代弁する・下

前回の続き)
具体的な話をすると、1997年、上記の口頭了解が破棄されて、ポーランド、ハンガリー、チェコの3国がNATO加盟の交渉に入った。当時ロシアは経済危機の真っ只中にあり、これに反対できるほどの力はなかった。そのため、ロシア側の安全保障の観点から「NATO−ロシア協定」が締結され、NATO圏の東部境界地帯に対する恒常的かつ実効的な戦闘部隊の駐留を放棄するというものだった。ところが、2008年に米国はポーランドにミサイル防衛施設の設置を開始し、同協定を一方的に反故にした。ウクライナ危機でもポーランドに対するNATO軍の常時駐留が検討され始めており、ロシア側を刺激している。ことほどさように、西側諸国の協定違反については殆ど報道されないのに、ロシアの協定違反は10倍過剰に報道されている。

日本人の大半は忘れ去っているが、そもそもNATOは「反共産主義」「反ロシア」を理念として立ち上げられた軍事同盟であり、最終的・理念的には「共産主義・ロシアの抹消」を目指しており、ロシアにとっては現代日本にとっての中国よりもはるかに深刻な脅威なのだ(少なくとも中国は日本の撲滅を狙ってはいない)。そのNATOの先兵がすでにエストニアに達してサンクトペテルブルクを脅かしており、万が一ウクライナのNATO加盟が実現すれば、NATO軍がハリコフやドネツクにまで配備されることになる。ロシア人の気持ちを日本人に例えれば、沖縄や九州が独立して人民解放軍が小倉や大分に配備されるような状態を想像してもらいたい。

ソ連がアフガニスタンへの軍事介入を決めた理由の1つは、「カブールの共産党政権が倒壊し、米国の影響の下でイスラム共和国が成立、同国に巡航ミサイルが配備され、米国の基地がつくられた場合、ソ連の「弱い脇腹」に匕首を突きつけられる格好となる」というものだった(国防省の見解)。
これと全く同じことは、クリミア併合でも言われた。それは、「ウクライナがNATOに加盟して、セバストポリに核ミサイル搭載艦が配備された場合、ロシアには対処する術が無い」というものだった。NATOがロシアを打倒するために存在する軍事同盟である以上、ロシアの危惧は当然のものなのだ。
同じく、ロシアがウクライナ内戦で東部分離派を支援するのも、ウクライナがNATOに加盟して対露侵略の先兵となる恐れが現実化する中で、少しでも緩衝地帯を設けておきたいという「次善の策」なのであって、本質的にはウクライナに親露政権が樹立して、NATO不加盟を宣言すればノープロブレムな話なのだ。

「ベルリンの壁」崩壊以降、様々な約束を反故にして、かつ反露政策を剥き出しにして対露包囲網を狭めてきた西側諸国に対し、ロシア・エリートは非常に強い不信感を持っている。この状況を招いたのは、相当部分がゴルバチョフの外交的失敗に起因すると考えられるが、それ故にゴ氏は西側で評価が高く、ロシアで最低の評価しか与えられていない。国家反逆罪で裁判にかけられないのはプーチン氏らの温情と言える。同時に、「ヴェルサイユのくびき」を脱したナチス・ドイツがソ連を崩壊寸前にまで追い込み、今度は「ドイツ併合」をなした新生ドイツが「欧州統合」を隠れ蓑に全欧州を支配下に置いて「欧州の支配者」となり、NATOを率いてロシアに圧力を加えている。

日本を含む西側諸国では、「ロシアの軍事的脅威」ばかりが強調される。だが、現実には2016年の国防費を見た場合、アメリカが6112億ドル、英独仏伊(EU主要国)で1730億ドルに対し、ロシアは692億ドルでしかない。つまり、軍事費でNATO主要国に対してわずか8.8%の規模なのだ。アメリカを除くEU諸国に対しても30%程度を維持しているに過ぎない。
GDPで見た場合、それはさらに悲劇的となる。2016年の名目GDPを見た場合、EUは16兆4080億ドル、アメリカが18兆5690億ドルで、合計すると約35兆ドルにもなる。これに対し、ロシアは1兆2800億ドルと米欧の4%に満たなず、EU単独に対しても8%に満たない。
現代の軍事力は完全に工業力と技術力に依拠しているだけに、生産力と軍事費の差はそのまま実力差となる。つまり、現代ロシアは「ロシア内戦(革命干渉戦争)」以降で最大の危機に瀕しており、今の状況に比べれば、ナチス・ドイツと対峙したスターリン期のソ連など全く「カワイイもの」でしかない。例えば、1939年のGNPを見た場合、ドイツの2411億ドルに対し、ソ連は4303億ドルであり、本来的には「負けるはずがない」ものだったからだ。
つまり、表象的な軍事力が過剰に喧伝されているだけで、ロシアには全くNATOと戦争できる体力が無い。逆に戦力格差(戦争遂行能力)が大きすぎるため、ロシアは核戦略に傾斜せざるを得ない状況に追い込まれている。

結果、工業・経済力で20倍もの優位に立つNATOがロシアに対する敵愾心を丸出しにして、対露包囲網を構築、圧力をかけてロシアを滅ぼそうとしている、というのがロシア・エリートの抱く一般的な安全保障観になっている。故に、ロシアとしては中国の拡張主義を脅威に覚えつつも、「背に腹はかえられない」ことから「中露同盟」を結び、さらに「日露協商」を目指すのは、欧州方面の圧力が極大化する中で「唯一の選択肢」になっている。
同時に、NATOがロシアを圧迫すればするほど、ロシアは国内の統制を強化せざるを得なくなっている。例えば、軍事費の対GDP比はEU平均で1%強、アメリカでも3%強であるところ、ロシアは5%以上も拠出している。結果、国内市場や社会保障が圧迫され、国民不満が上昇、これを抑えるために社会統制を強化するわけだが、欧米諸国はそれを「人権侵害」と称して非難し、さらに軍事あるいは外交的圧力を強めるという構図になっている。
この構図は、1920年代のソ連とよく似ている。西側諸国による軍事介入が成立したばかりのソ連を荒廃させ、国内統制を強化して戦時体制の長期化を余儀なくされたにもかかわらず、欧米はそれを理由に外交関係の樹立を拒否して経済封鎖を進めた。レーニンからスターリンに至る過酷な独裁を招いたのは、欧米による軍事介入と経済封鎖だったという側面があること、同時に日欧が意味不明な理由からロシアに戦争を仕掛けて侵略し続けてきた歴史を理解していないと、ロシア・エリートの考え方は決して理解できない。

日本の対ソ・対露分析の大半が的外れのものである理由は、「日本の国益」「日本人の視点」から見ている点にある。その最たるものが、太平洋戦争末期にソ連による満州侵攻の予兆を否定し、最後までソ連に「連合国との仲介」を期待した戦争指導部だった。その本質は今日でも全く変わらない。
世間一般で読まれているロシア分析も同様で、その殆どがビジネスに基づいた「読者・視聴者が望むネタ」でしかなく、つまり「日本スゲェ」と裏返しである「ロシア悪玉論」が幅をきかせることになる。逆に、ロシアの「西側にとって不都合な真実」を話す者は、商業ベースに乗らないため、アカデミーの世界で肩をすぼめて生きるほか無い。学術書や論文を除いて、商業ベースで売られているロシア分析の本や雑誌は、かなり用心して読まないと騙されることになるだろう。私が「売文屋」にならない理由もそこにある。同時に軍事あるいはプーチン氏などの個人に特化したロシア分析は、「木を見て森を見ず」になりがちなので、読む際には注意が必要だろう。
posted by ケン at 00:00| Comment(3) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

ロシア人の安保観を代弁する・中

前回の続き)
そして、一次大戦の延長上に、日本では「シベリア出兵」として知られる「極東介入戦争」がある。1917年の二月革命と十月革命によってロマノフ朝は瓦解し、ボリシェヴィキ政権が樹立する。ロシアの大戦からの脱落と東部戦線の崩壊を恐れた連合国は、ボリシェヴィキ政権を打倒すべく、軍事介入を決断する。日本は日本で、朝鮮と満州の利権を確立しつつ、シベリアに影響力を拡大、さらにロシアとの緩衝地帯を設けるべく、シベリアに傀儡政権を打ち立てることを視野に、宣戦布告無しでシベリアに侵攻した。日露戦争で排除しきれなかったロシアの軍事的脅威を完全に排除する目途もあった。
日本では学校でまともに教わることも無く、しかも「出兵」などとされているが、ロシア人的には全く言われ無き侵略であり、その死傷者は民間人を含めて50万人以上に上った。
ロシア人エリート的には、日本の国家イメージは「話し合いの通じない、いつ襲いかかってくるか分からない、鋭利な刃物を持った狂人」でしかない。これを理解せずに、日本固有のイメージで「ロシア人は凶暴で何を考えているか分からない」などと考えていると、日露関係に関わる時に大きな誤解が生じることになる。
また、極東以外でも内戦、介入戦争は1922年まで続き、連合国は白衛軍(反ボリシェヴィキ)を支援し続けた。このことは、現在でも民主化勢力を支援し続ける米欧列強に通じる。

極めつけは第二次世界大戦である。一次大戦後、ドイツはヴェルサイユ条約で過重な賠償金と軍備制限を課されたが、外交的に孤立していたソ連とラパロ条約を締結、蜜月時代に入る。両国はともに苦しい状況下にあって、ソ連は天然資源やドイツ軍用の実験場と訓練地を提供、ドイツは各種技術を提供した。この関係は、反共を掲げるナチズムの台頭によって途絶するものの、欧州情勢の緊迫化に伴い、独ソ不可侵条約となって復活する。ソ連はドイツとの資源貿易を再開するが、これはドイツを英仏と戦わせて双方を疲弊させるためでもあった。
ところが、バトルオブブリテン(英本土航空戦)で敗退すると、ヒトラーは「ソ連に背後を突かれる前にやってしまえ」との判断に傾き、バルバロッサ作戦(対ソ戦)を発令する。スターリンの下には、ドイツの対ソ開戦を示唆する様々な情報が集まるが、全て欺瞞情報として退け、逆に前線の軍事行動を制限して挑発行為を戒める有様だった。その結果、それだけが理由では無いものの、赤軍は緒戦で大敗北を喫し、レニングラードは包囲され、モスクワの郊外まで攻め立てられ、南はクリミア、コーカサス山地まで攻め込まれた。ソ連側の死者数は少なくとも2千万人以上に達した。

戦後、あるいはソ連崩壊後に資料が公開されて、「ソ連による先制攻撃計画があった」という話も流布されたが、どれも裏付けは弱く、せいぜいのところ「構想はあった」程度のものだった。つまり、ロシア人的には、今回も意味不明な理由で侵略を受け、数千万人が家を失い、国家滅亡の危機にさらされたとのイメージを強くした。
ソ連にとって二次大戦後の東側のブロック化は、「ナチズムに替わる反革命勢力による再侵攻」に備えるために必要不可欠の「緩衝地帯」「前進防御」だったが、それは一次大戦で一度は破綻したはずのドイツによって、ソ連が崩壊寸前にまで追い込まれた反省に基づいていた。

ところが、東欧諸国を陣営化して西側連合国との防衛線にするという構想は、「ベルリンの壁」崩壊によって瓦解する。
歴史に言う「ベルリンの壁崩壊」は1989年11月9日に起きるが、ドイツ社会主義統一党(SED)の独裁政権が同時に倒壊したわけではなかった。まず89年10月にホーネッカー書記長が辞任、改革派のモドロウ政権が樹立して、民主化と憲法改定を行い、一党独裁規定を削除した後、1990年3月18日に東ドイツ国内における最初で最後の自由選挙が行われた。ここでキリスト教民主同盟を中心とする保守系三派連合が多数を確保してデメジエール政権を樹立、西ドイツとの統一の方針が確認された。最終的には90年10月3日、東ドイツが西ドイツに吸収される形で統一が果たされた。

その際に最大の問題となったのは東ドイツに駐留する34万人(38万という数字もあり、さらに他に家族や軍属が20万人)からのソ連軍の扱いと統一後のドイツのNATO加盟問題だった。何と言ってもソ連の駐兵権は第二次世界大戦の戦勝によって得られた正当な権利であり、東独を吸収することはソ連の駐兵権を引き継ぐことをも意味していただけに、西ドイツにとっては重大な問題だった。
この件について、当時のコール西独首相とゲンシャー外相は、ブッシュ米大統領とベーカー国務長官と調整、「統一ドイツはNATOに帰属する、しかし東ドイツ領域はNATO管轄領域としない」ことで合意された。しかし、ドイツ国内には中立化論が根強く存在しており、他方でアメリカや近隣諸国は「ドイツ再軍備」を危惧して「NATOの拡大」を支持する向きが強かった。他方、ソ連ではドイツ統一そのものに反対するものが多かったようだ。現状を見る限り、現在ロシアが置かれている苦境の大半はドイツ統一を許したことに起因していることを考えれば、ロシア・エリートが欧州をどう見ているか想像できよう。

そして、90年2月9日、ベーカーはゴルバチョフと会見して、「統一ドイツがNATOから離脱するのと、統一ドイツはNATOに残るが、NATO現状から1インチたりとも東に入らないのと、どちら良いか?」と尋ねたところ、ゴルバチョフは「NATOの領域拡大は受け入れられない」と回答したという。
これを受けて、2月10日、コールはゴルバチョフに、「NATOは領域を東独まで拡大しない」と確約、ゲンシャーはシュワルナゼ・ソ連外相に「統一ドイツのNATO加盟は複雑な問題を生むが、一つだけ確実なことは、NATOは東に拡大しないということだ」と述べ、東独だけでなく東欧全体に適用されることを前提に「NATOの不拡大は、全般に適用される」と付け加えた。この「保証」を受けてゴルバチョフはドイツ統一とソ連軍の撤収に同意するが、この時に合意文書がつくられなかったことが後の禍根となる。
さらに同年10月、ソ連邦の維持すらも困難をきたし始めたゴルバチョフは、駐独ソ連軍の撤退保証金をドイツ政府に要求、コールは150億マルクの借款と引き替えに「NATOの東ドイツ部分への適用拡大」を要求し、ゴルバチョフはこれを呑んでしまい、これがさらに問題を複雑にしてしまった。

最終的に「ゴルバチョフ・コール合意」は幻となり、完全に反故にされた。1991年12月にソ連が崩壊すると、99年にはチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟、続いて2004年にはスロバキア、スロベニア、バルト三国、ブルガリア、ルーマニアが、09年にはクロアチア、アルバニアが加盟した。いまやロシアにとって西側との緩衝地帯はベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァだけであり、NATO加盟国のエストニアとは直接国境を接している。あとは、セルビアなどの旧ユーゴ地域の一部が未加盟な程度だ。つい最近モンテネグロのNATO加盟が決まり、ロシア人の警戒心はますます強まっている。
(以下続く)
posted by ケン at 12:03| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

ロシア人の安保観を代弁する・上

どうやら安倍政権は内々に「第五次日露協商」に向けて舵を切っているが、対米従属の外務省や防衛省が激しく抵抗しており、財界の支持も弱く、必ずしも上手く行っていない。そのアメリカでも、親露派のトランプ氏が大統領になったものの、日本の鳩山政権よろしく激しい攻撃にさらされている。その根底にあるのは「ロシア脅威論」であり、その背景には軍産複合体の利益がある。

実際、プーチン大統領下のロシアでクリミアが併合され、ウクライナ内戦が起こり、極めつけは「デンマークに対する核攻撃脅迫」が行われた(ロシア側は否定)。こうした動きに対し、アメリカではオバマ政権のカーター国防長官が「冷戦時代は終わったが、ロシアを牽制するために核兵器が必要だ」と述べ(2016.9.28)、英メイ政権のファロン国防相は「ロシアに核の先制使用も辞さず」と宣言(2017.4)した。事実、ルーマニアではNATOのミサイル防衛システムが稼働を開始し、ポーランドでもミサイル基地の建設が進められている。これに対し、ロシアは飛び地であるカリーニングラードに長距離ミサイルの配備を進めている。
日本ではあまり報道されていないが、米欧とロシアの緊張度は冷戦以後、最高度に高まっている。米国あるいはNATOの脅威度認定は、1ロシア、2イスラム国、3イランの順で、中国は5位以下でしかない。そうした中で、ドイツのメルケル首相が緊張緩和を志向、アメリカでも対露対話路線のトランプ氏が当選、日本でも安倍政権が協調路線に舵を切っている。

日本の一般的な報道や解説だけ見ていると、「ロシア悪玉論」に誘導される傾向が強い。これは、日本の海外情勢報道や分析が、99%米英の情報源に依拠しているからだ。ロシアに滞在する日本人記者ですら現地の英文報道に基礎を置いているのだから話にならない。
日本の外交官や情報屋は口を揃えて「ロシアの報道は信用に値しない」と言うが、対ソ諜報の基本は「プラウダの裏を読む」ことにあるのはソ連学徒にとって基本中の基本であり、これも話にならない。

いずれにせよ、日本で流布されている視点はあくまでも「軍事的脅威を受ける側」のものであり、「ロシアの脅威」を前提に全てが論じられている。だが、ロシア側の視点に立ってみると、全く異なる風景が見えてくる。これは本ブログの主旨の1つで、「相手側の視点から見て考える」というもの。この視点からロシア人の安保観を大きく見てみたい。
最も重要なのは、ロシア以外の国では圧倒的に「侵略者としてのロシア」としてのイメージが確立しているのに対し、ロシア人は「常に外国の侵略にさらされてきた。そして今もさらされている」という一種の被害者意識を抱えている。これは、ロシア史を学んだものにとっては「常識」だが、欧米視点で世界史を学んだ者からすると「ロシア人の被害妄想」としか考えられない。ここから見てみよう。

近代以降、ロシアは東進政策と南下政策を推し進めたが、同時に欧州等からの侵略にさらされ続けている。まず19世紀初頭、フランス革命以降、ロシアは数次にわたってフランスと戦争を行っていたが、1806年のイエナ会戦でナポレオン軍に敗れ、同07年にティルジット条約を締結して和睦する。その条文には大陸封鎖令への参加が含まれていたが、イギリスに農産物を輸出して工業製品を輸入していたロシア経済はあっという間に行き詰まり、1810年には条約を反故にして対英貿易を再開する。この「大陸封鎖令違反」を理由に開戦したのが、1812年の「ロシア戦役」だった。確かに条約反故の非はロシアにあるのだが、「欧州全国が参加する全面侵略」を受けることは、ロシア人にとって全く想定外のことだった。同戦役によるロシア側の死者は約21万人。

クリミア戦争と露土戦争は、ロシア帝国の拡張主義に依るところが大きかったが、それでも汎スラヴ主義と「イスラムからの解放」という大義名分があった。クリミア戦争は、本来ロシアとオスマントルコ間の紛争だったが、英仏が軍事介入したことで敗北を喫した。もともとロシアは、英仏の外交的仲介を期待していただけに、「トルコ側で参戦」に大きなショックを受けた。

日本人的に全く理解できないのは日露戦争かもしれない。詳細は当該記事を読んで欲しいが、日本では日露戦争開戦は、司馬史観の流布により、「ロシアの伝統的南下政策に対して他に手段無く立ち上がった」なるイメージが定着している。だが近年、特にロシア側の資料が大量に公開されたことで、全く異なる実像が明らかにされた。
もともと日露交渉は、朝鮮支配をめぐる影響力の認定が最大の問題で、最終的にロシアは完全に日本側に譲歩、日本による単独支配を認めた。にもかかわらず、日本側は日英同盟の成立を受けて、要求水準を上げ、当初は交渉対象に無かった南満州の利権やロシア軍の撤退を要求、ロシア側がこれを拒否すると宣戦布告して奇襲をかけた。
ロシア側は「朝鮮問題は解決済み」「満州問題は議題外」と考えていたため、日本が宣戦布告して全面戦争に踏み切るなど全く想定外のことだった。
つまり、日本側とは全く逆で、ロシア人的には「日本人に難癖付けられた挙げ句、いきなり奇襲されて侵略された」というのが日露戦争のイメージなのだ。

・日露開戦の代償−開戦経緯を再検証する

そして第一次世界大戦。ロシアは汎スラヴ主義に従ってバルカン問題に介入、セルビア民族主義を支援していた。これがそもそもの問題の発端ではあったのだが、オーストリア二重帝国とセルビアの緊張が高まり、サラエボ事件で頂点に達すると、オーストリアはセルビアに最後通牒を送付、セルビアは国交断絶で応じたため、宣戦布告した。ロシアは、1909年にオーストリアのボスニア併合を認める代わりにセルビアに独立保証をしていたことから、軍の総動員令を命じた。これに対し、今度はドイツが三国同盟(独墺伊)に基づいてロシアに対して宣戦布告を行い(次いでフランスにも)、第一次世界大戦が勃発した。確かに当時の感覚としては「総動員令=最後通牒」であり、先制を取るために宣戦布告するのはイレギュラーな話ではないのだが、バルカン問題で仲裁に立つべきドイツが真っ先に宣戦布告してきたのは、ロシア人的には「おいこら、ちょっと待てよ!」という気分だった。
確かに、オーストリアは「三国同盟があるからロシアは参戦しない」と楽観視して限定戦争に邁進、ドイツも同様に考えていたが、ロシアは「露仏同盟があるからドイツは参戦しない」と高をくくっていたので、全員の誤算が原因だった。とはいえ、ロシア人の主観的には、バルカン紛争にドイツが介入して一方的に宣戦布告されたという思いを拭いきれなかった。ロシア人の死者は200万人に上った。
以下続く
posted by ケン at 12:14| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

ボリショイ2017 パリの炎 

paris.jpg

日本初演となる「パリの炎」を観に行く。本来はマリインスキー(キーロフ)の演目であるはずだが、ボリショイが日本で初演してしまって良いのか気になるところではある。まぁラトマンスキー版が制作された時点で「ボリショイのレパートリー」になったと解釈すべきなのだろう。それでも何故いま「パリの炎」なのか、ひょっとしたら当局の指示があったのかもしれない。背景事情を聞けたら面白そうだ。

「パリの炎」はフランス革命賛歌のバレエ劇で、初演は1932年11月7日、つまり「十月革命15周年」を記念して制作された。当時、農業集団化政策によってウクライナで数百万人が餓死する「ホロドモール」が進行していたことを思えば、まさに亀山先生の言う『熱狂とユーフォリア』の祝祭的側面を象徴する演目と言える。

スターリン時代というと、一般的には粛清の嵐が吹き荒れ、人々は絶対的な絶望の中でただひたすら暴風が過ぎ去るのを待つだけの暗黒の時代だったように思われている。だが、現実には粛清の暗黒と同時に、「共産主義社会の建設」に向けた全体主義的な一体感、熱狂、ユーフォリア感覚が同居していた。

『熱狂とユーフォリア―スターリン学のための序章』 亀山郁夫 平凡社(2003)

時期は異なるが、「スパルタク」(ハチャトリアン)もボリショイの演目で革命賛歌だが、音楽的にも舞踏的にもあまり好きでは無かったため、「パリの炎」も「例のソヴィエト・バレエだろ」と「食わず嫌い」状態にあった。だが、縁あってチケットを一枚融通してもらえる機会があり、観てみることにした。日本人には馴染みの無い演目であるが故に、これが最初で最後になってしまうかもしれないからだ。

さて、肝心の舞台。「スパルタクもどき」を想像していたが、あに図らんや全く別物で、確かに革命賛歌ではあるのだが、そこには突き抜けた祝祭感が溢れていて、主催者が言う「圧巻のステージ」は決して誇張では無かった。「まぁここまでやるなら文句の付けようが無い」というくらい徹頭徹尾高揚感に満たされており、その点がスターリン死後の不安定な時期に制作された「スパルタク」との違いなのだろう。
その代わり細かい感情表現などは無きに等しいわけだが、「そんなものはどうでもいい」と思わせるほど、パワーと勢いで2時間を押し切ってしまう。舞台上のダンサーの多さも圧巻で、特に男性ダンサーが広い舞台を所狭しと飛び回るところが、大きな魅力になっている。

今回の場合、革命指導者フィリップ役のラントラートフ氏が、「これでもか」というくらい少女漫画に出てきそうな理想の男性ダンサーを演じている。とにかく線が細く、背もあまり高そうではないのだが、力強い跳躍とリフトアップで完全に観客を魅了していた。逆に、惜しいことにヒロイン・ジャンヌ役のクリサノワ女史が地味に見えて舞台に沈んでいた観があったくらい。
私などは、フィリップ役はもっとマッチョな方が良いのではと思うわけだが(舞踏的には非常に良いのだが、見た目的に)、それでは完全に一人舞台になってしまうし、女性ファンの大半はラントラートフ氏に熱狂していたに違いない。

全般的には、振付の基本はクラシックであるにもかかわらず、舞台としてはダンス、パフォーマンス、パントマイムの要素が強く、クラシック・バレエの舞台としては伝統的でも現代的でも無いという点で非常に中途半端なものになってしまっている。玄人的には「評価するにも値しない」と言いそうなレベルなのだが、舞台パフォーマンスとしては観客を熱くさせるに十分で、非常に満足度の高い演目に仕上がっている。結果、舞踏のプロからすると、「ケッ、あんなの邪道」と陰口を叩きながら、興行的には認めざるを得ないものになっているものと推察される。
実際、私が観た舞台も、ボリショイとしてはあり得ないくらい空席があったものの、観客の熱狂具合と満足度は非常に高かったように見受けられた。

もう一つロシアっぽいところは、劇中劇と言えるヴェルサイユ宮殿における夜会と、そこで演じられるバレエ劇で、シュライネル女史の熱演もあって舞踏的には一つの見せ場になっているのだが、本筋とは本来関係ないにもかかわらず、かなり長い時間が割かれていた。こうした「このシーンは一体何の意味が?」みたいなものの多さは、ロシアの映画や舞台でも一つの特徴と言える。

「パリの炎」は熱い舞台デス。
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

共謀罪成立を受けて

【「共謀罪」法が成立 与党が参院本会議で採決強行】
 犯罪を計画段階から処罰できるようにする「共謀罪」の趣旨を含む改正組織的犯罪処罰法が15日朝、参院本会議で成立した。自民、公明両党が参院法務委員会での審議を打ち切り、15日未明に始まった参院本会議で直接採決する「中間報告」を強行。与党や日本維新の会の賛成多数で可決した。投票総数235票のうち、賛成が165票、反対が70票だった。
共謀罪法案は、犯罪を実行に移した段階から処罰する日本の刑事法の原則を大きく変える内容で、過去3回廃案になった経緯がある。政府は今回、「テロ対策」を強調し、国際組織犯罪防止条約の締結に不可欠だと説明したが、国連の特別報告者が「プライバシーや表現の自由を制約するおそれがある」と懸念を表明。民進、共産両党などが廃案を求めていた。
 中間報告は、通常の委員会採決を省く国会法が定める手続き。民進など野党4党は「強行採決以上の強行採決。審議を一方的に打ち切って本会議で採決するのは異常だ」(民進の小川敏夫参院議員会長)と猛反発し、安倍内閣不信任決議案を提出したが、15日未明の衆院本会議で否決。与党はその後の参院本会議で、共謀罪法案を可決した。
 審議時間は衆院の30時間25分に対し、参院では17時間50分。一般人が捜査対象になるかどうかや、捜査機関の判断次第で解釈が拡大される懸念など、多くの疑問や対立点が解消されていなかった。参院本会議での改正組織的犯罪処罰法の採決、成立後、自民党の松山政司参院国会対策委員長は、18日までの通常国会の会期を延長しない考えを記者団に述べた。
(6月15日、朝日新聞)

共謀罪というのはつまるところこういうもの。

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民主党政権なら民主党のための、自公政権なら自公のためのものになるだけ。
国際テロなど組織犯罪を防止するため、政府が5月末までに「共謀罪」を創設する方針を国際機関などに伝達したことが3日、分かった。中国によるサイバー攻撃やアルカーイダなどテロリスト集団の重大犯罪の実行前に、共謀段階で処罰するのが狙い。
(2012年1月4日、産経新聞、野田政権−現民進党幹事長)

野党第一党民進党の野田幹事長は、民主党政権で共謀罪を推進した張本人だった。もともと過去の自民党政権でも検討されていたが、諸々の理由から先送りになり、民主党鳩山政権で一度は凍結されたはずだった。ところが、菅政権で解除され、野田政権で成立させる方針だった。だが、当時の民主党内には少なからず反対派もいて、優先順位的にも後回しにされたため、12年末の消費税自爆解散が先に来た。

今回、安倍政権が共謀罪法案を提出するに至って、民進党は反対する方針を出したものの、党内の半分以上は本音では賛成で、「野党である以上はやむを得ない」という理由による反対だった。それは当然で、自民党議員に「貴方が作ろうとした法案を作ったまでです」と言われれば、ぐうの音も出ないからだ。
これとよく似たことは、盧溝橋事件が起きた際に起きている。積極介入派の武藤章参謀本部作戦課長を説得しに来た石原莞爾は、「閣下が満州事変でやられたことを見習っているまでであります」と言われて沈黙している。

民進党の野田幹事長は、この間、共謀罪について表舞台では殆ど言及することがなく、記者会見などでは、
各種世論調査を見ても、国民は「共謀罪」法案の今国会での成立を求めてはおりません。政府・与党にはあらためて丁寧な審議を求めていきたいと思います。仮に政府・与党が強引に法案の採決を進めるようであれば、あらゆる手段を講じてこれを阻止していきたいと考えています。
(6月12日、民進党本部記者会見)

と微温的なことしか述べていない。事実、「あらゆる手段を講じてこれを阻止」と言いながら、その二日後にはロクな抵抗を見せずに参院通過、成立を許している。
私が耳にしたところでは、衆議院で審議されていた折、森友・加計疑獄で若手中心に組まれた疑惑追及チームが何度も審議拒否を国対に言上したものの、その都度国対から「今はそのタイミングでは無い」と押しとどめられ、どうやら野田幹事長の指示があったものとされている。少なくとも野田氏に抗戦意思が皆無だったことは間違いない。そうでなければ、会期延長にすら持ち込めなかった無策は説明できない。

もっとも、野田氏に限らず、議会外闘争を試みている市民団体(共謀罪の成立により反政府団体に認定される可能性大)が応援演説を要請しても、来るのはNK党の議員ばかりで、民進党からは来ても1人か2人、下手すると主催者や要請を受けた党本部職員が片端から議員事務所に電話して断られまくるという状況にあった。これらは、野田政権時に推進していた共謀罪について、野党になった途端に反対するのが躊躇われたためで、人としては当然の対応だった。むしろある意味では、野田内閣を総括すること無く、堂々と反対できる議員の方が不誠実かもしれない。

つまり、民進党、少なくとも蓮舫執行部はハナから戦う意思などなく、自民党に上手(うわて)を行かれて戦う素振りすら見せられずに「ターン・エンド」にされてしまった格好だった。ゲーム・プレイヤーとしても最低だったと言えよう。むしろ、無数のリベラル系市民に何の根拠も無しに期待させて、利用しようとしながら利用することもできずに終わったのである。

ケン先生は引き続き個人攻撃を避けつつ、共和国と社会主義に邁進します!
posted by ケン at 12:18| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

まずは休日の削減を!

【有休取得3日増、企業に要請へ 休み方改革へ官民会議】
 働く人が年次有給休暇(有休)を取りやすくするため、政府は近く「休み方改革」の官民推進会議を開く。2018年度の有休の取得日数を前年度より3日増やすよう企業に要請し、実際に増えた企業を助成する仕組みも検討する。学校の長期休暇の一部を地域ごとに分散させる「キッズウィーク」と組み合わせ、消費拡大や観光振興につなげる狙いだ。菅義偉官房長官は5日の記者会見で、「大人と子どもが一緒に休むために学校や企業など多方面で共通理解が必要だ」と述べた。
 有休は働く人の疲労回復のための制度。政府は取得率を20年までに70%に引き上げるとの目標を10年に掲げた。しかし、16年調査では48・7%。労働者1人あたり年18・1日が付与されたが、実際に取れたのは8・8日だった。政府は「働き方改革」で掲げる長時間労働の是正には、取得率アップなどの「休み方改革」が必要と判断した。
(6月6日、朝日新聞)

相変わらず現実離れしている。これも何度も説明していることだが、繰り返す。
有給休暇の取得率は、公式統計上、全体平均で50%を切るくらいだが、就労者の7割を占める中小企業に限れば、40%弱でしかない。また、業種別で見た場合、飲食や宿泊などのサービス産業は30%程度でしかないという。さらに言えば、制度上は、パートやアルバイトも有給休暇を取得できるようになっているが、その取得率は20%強と言われ、有名無実化している。

一方、国民の祝日は2000年以降、「みどりの日」から最新の「山の日」に至るまで4日も増えている。祝日が増えた結果、振替休日も増加、公休日が増えて市場の稼働率が大きく低下している。国際的に見て祝日は年間7〜10日程度の国が大半であるところ、日本の17日というのは圧倒的に多い。
日本の年休法は、勤務期間によって10〜20日を最低日数として定めており、平均で18日となっている。これに違反して休暇を与えない使用者は罰せられることになっているが、実際には年休は「労働者の権利」として扱われているため、年休の約50%が行使しないまま放棄されている現状となっている。
これ以外にも、「病気休暇」が設定されているものの、「病休を取ると昇進や昇給に影響が出る」という空気が支配的なことが多く、手続きが面倒な場合もあったりして、実際には年休を取って済ます例が多い。そのため、取得年休のうちの10〜20%(2〜4日)は病気理由によると言われている。そうすると、実質的な年休取得率はわずか30%前後に過ぎない、という話になる。

日本の公休の多さは残業の多さとも関連があると考えられる。個々人が有給休暇を取得する場合は、ある程度は職場の同僚がカバーするだろうが、公休で全職務がストップしてしまうため、平日の作業量が増え、労働効率が悪化、残業が増える構造になっている。特に、海外との取引が急増している今日では、「日本だけ決済が遅れる」というケースが多くなり、外国取引に大きな支障が出ているだけでなく、外国と取引のある企業では休日出勤が常態化する傾向が強い。つまり、公休を増やすことは、グローバル競争力を低下させるだけで、実のところ政府の方針に反する結果しか生まない。
また、観光や各種文化活動が公休日に集中することでも、そのパフォーマンスを低下させている。欧米並みの有休取得率であれば、連休の観光地の超混雑や高価格は避けられ、観光業も飲食業も稼働率を上げることができるはずだ。

この場合、ただ政府が企業に対して有休取得を呼びかけたところで、企業側には何のインセンティブも無いため、「プレミアム・フライデー」同様、惨憺たる結果に終わるだろう。
解決策としては、まず国民の祝日を半分にし、その上で有給休暇そのものを増やしつつ、その取得率が90%以下の企業に対しては懲罰を科す(企業名の公表と罰金と公的調達の禁止)、あるいは余剰休暇の高額での買い上げを強制する仕組みをつくるべきだ。特に被雇用者の4割を占めるに至っているパート・アルバイトの有給休暇については、特段の配慮をなす必要があろう。

ヤクニンどもはマジで「仕事するフリ」を止めて欲しい。

【6月16日、追記】
病休規定は労基法で規定されたものではなく、公共機関、それに準じる機関と労使協議で規定された場合のみ設定されていることを補足しておく。
posted by ケン at 12:32| Comment(3) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする