2017年07月14日

3割サイコパスの永田町

【<豊田議員の暴行疑惑>元秘書が被害届提出 県警、傷害容疑で捜査へ】
自民党に離党届を提出した豊田真由子衆院議員(42)=埼玉4区=の暴行疑惑で、政策秘書を務めていた50代男性が県警に被害届を出していたことが7日までに、関係者への取材で分かった。埼玉県警は豊田氏から事情を聴き、傷害容疑などで捜査する方針。関係者によると、元秘書は6月27日、県警に被害を相談し、今月6日に改めて被害届を提出したという。豊田氏の暴行疑惑を報じた週刊新潮や同誌がネット上に公開した音声などによると、豊田氏は5月、運転中の元秘書に「私が受けた痛みがどれだけか分かるか」「このはげ」「死ねば」などと罵声を浴びせ、頭や顔を数回殴ってけがを負わせたとされる。事務所関係者は、元秘書が高速道路の出入り口を間違ったことなどから豊田氏が激高したと説明。5月19日〜21日に計7回、男性の顔などを殴ったという。元秘書には直接謝罪したとしている。暴行疑惑が報じられた6月22日、豊田氏は離党届を提出した。豊田氏は厚生労働省課長補佐を経て、2012年の衆院選に埼玉4区(朝霞、志木、和光、新座各市)から立候補して初当選。現在2期目で、文部科学政務官などを歴任している。
(7月7日、埼玉新聞)

「3割がサイコパス、もう3割が予備軍」(2割、2割とも)とささやかれる政界だが、「昔からそうだったの?」「何でこんなことに?」と聞かれる。かつての中選挙区制の時代は、官僚なら局長級の大ベテラン、業界団体や労働組合の幹部、地方名士など、十分な掛け金を持った人が出馬し、落選してもすぐに生活に困るようなことは無かった。ところが、現在ではロクに掛け金も持たない人たちが、全財産と自分の人生を丸ごとBEDして出馬してしまうので、落選すると人生そのものが失われる可能性がある。議員というのは、キャリア形成(職歴)に何のプラスにもならず、特に若年者はキャリア・アップの機会を犠牲にして議員になり、権力と特権を得てしまうため、落選すると「気づいたら何も無かった」という話になってしまう。結果、人生丸ごとBEDしてキモチよくなれる人か、何も考えずに出馬して当選してから「落選したら俺の人生終わりじゃん」と気づいてしまった人しかいない、というのが現状なのだ。
「賭ケグルイ」の世界なんですよ、永田町は。

国会議員であれ、地方議員であれ、議員・政治家というのは「自分なら社会を良くできる」という凄まじい自信の持ち主が、自分の顔のポスターを街中に貼り出して、「自分に投票すれば間違いない!」と叫んで回る人種であり、立候補型の選挙制度は、根源的に誇大妄想か自己偏愛の性質の持ち主が出てきやすい構造になっている。それが、当選すると権力と特権を得て、誇大妄想や自己愛を増大させると同時に、その特権が失われることに対する恐怖に支配されるため、元々精神構造に異常性あるいは特殊性を持つ者が闇に蝕まれやすい状態が作り出されている。

また、日本には一般的に自己主張が好まれない社会文化があって、にもかかわらず「自分に任せろ」と堂々と言える人がどんな人なのかということだろう。同時に、自己主張が好まれない風潮自体が、議論百出を想定したデモクラシーにそぐわないのも確かだ。小選挙区制の導入によって選挙の射倖性(当落が激しくなること)が上昇、選挙依存症や無能なくせに権力志向の強いサイコパス議員が増え、正常な判断力を有する、あるいは有能な人物は、ますます政治、政界進出を忌避する傾向が強まっている。
実は、議員定数を減らすこともこの傾向を助長している。定数が減って、当選確率が下がるということは、賭博性が強まることを意味するため、「すでに持っている人」はバカバカしくて賭場になど行かなくなる。逆に、「一発逆転」狙いの人が増えることになり、ますます議員の質を低下させ、ひいては議会の信頼そのものを低下させ、デモクラシーを危機に導いている。

デモクラシーの破断界を回避するためには、まず立候補者の原職復帰権を法的に担保することが必要だ。これは、言うなれば掛け金を減らすもので、選挙に出ただけで仕事が失われることを回避する効果がある。民主主義国の根幹制度を支えるものが、人生を丸ごとBEDするような現在の制度は早急に改められるべきだ。
また、議員定数を過剰に減らさないことも重要だ。日本の人口あたりの国会議員数は他国と比較しても少ない方で、議員一人あたりの人口数で見ると、イギリスで5万6千人、フランスで6万6千人、ドイツで10万8千人、対する日本は17万5千人と、先進国の中では非常に少ない部類に入る。
そして、金額はともかく、議員年金を復活させることで引退、老後の不安を減らす措置も講じるべきだ。議員年金が無いことが、現職中の腐敗、汚職を助長している事実を重く見るべきだろう。
これらのコスト負担が嫌ならば、いっそ議会制民主主義は放棄すべきだ。デモクラシーは本来コストの掛かる制度なのだから。
posted by ケン at 12:08| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする