2017年09月01日

民進党代表選で論じられないもの

「沈む船でも船長になりたがるのが人間さ」
(芝村裕吏『猟犬の旗』)

民進党代表選は、議員歴四半世紀に近い前原候補と枝野候補が互いに「それっぽい」ことを言って、保守派が前原、リベラル派が枝野を推し、「人柄で言ったら前原さんだよね」ということで前原氏の勝利が確実視されている。
だが、ケン先生に言わせれば、二人とも肝心なことには何も触れていない。

ソ連史と昭和史をかじったことのあるものなら、軍拡と社会保障と社会的自由(リベラリズム)の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ないことを知っている。

戦前の日本は前2つを採って社会統制を強化した。ファッショ体制とは、世界大戦を前提とした長期戦に向けて国家を最適化させようというもので、リソースを軍事と生産に集中させるため国民の動員率を上げることを目的とする。そのため市民的自由を国家の制限下に置くが、そのままでは国民不満が増大するので、社会保障を充実させることで不満を抑制すると同時に、国家への従属と社会参加を強化することになる。

戦前の帝国日本は世界大戦を想定、陸軍はソ連と海軍はアメリカと戦争することを前提に巨額の予算を獲得、軍国化を進めた。例えば、日中戦争前の1936年を見ても、国家財政に占める軍事費の割合は47.6%にも達していた。国際的に孤立していた日本は、外国からの借款や投資は期待できず、内国債と増税で賄うほか無かったため、軍事動員の強化もあって、社会統制を強化していった(1928年に治安維持法改正、35年に天皇機関説事件、37年に軍機保護法改正、)。だが、同時に社会的不満を抑制し、工場生産を安定させるため社会保障の充実が図られた。例えば、1931年には労働災害扶助法、35年には常時5人以上を使用する事業所に健康保険加入を強制する政府管掌健康保険制度、36年には退職金制度が制定された。これらは、当時「リベラル」とされた民政党が反対していた施策であった。同時に、社会大衆党の先輩方が親軍路線に傾倒していった理由でもある。
ところが、総力戦体制が全く整わないうちに日華事変が勃発、想定外の中国と全面戦争を始めてしまった挙げ句、中国との戦争が原因で米英にも宣戦布告して破滅的な結末を迎えた。もっとも、海軍の中枢にいた伯父上が何度も述懐しているとおり、当時の軍人や政治家は口では言っていても、総力戦とは何なのかを理解している者は殆どいなかったものと思われる。総力戦の問題については、また別途論じたい。

今日のロシアも同じ状況にある。米欧との経済力が隔絶する中で、さらに軍事、外交的圧力が強化され、ロシアはGDPの5%というあり得ない予算を投じて軍拡を余儀なくされている。同時にプーチン政権は1990年代に壊滅した社会保障制度の再建に取り組んでおり、まだまだ見劣りはするもののかなりの水準を取り戻しつつある。だが、その一方で社会統制を強化すると同時に、権力の集中を図っている。

ソ連史を見た場合、内戦と干渉戦争を経て長い国際的孤立に入り、さらにドイツの侵略を受けたソ連は、本来のボリシェヴィキの目的だった社会保障の充実を後回しにしてひたすら軍拡するほかなかった。二次大戦後すらも米ソ冷戦に突入したため、巨大な軍事力を維持したまま社会保障の充実を図るほか無く、市民的自由は犠牲にされ続けた。だが、軍備と社会保障に重点を置いた集産主義は経済成長を阻害、1960年代に経済改革(コスイギン改革)を志向するも失敗、70年代には経済成長が止まってしまった。そこで80年代にペレストロイカと称して、軍事力を抑制しつつ、社会保障制度の再編と社会的自由の拡大を図ったが、まず軍事費の抑制に失敗、社会的自由の拡大は党による国家統制を失わしめ、ソ連は崩壊していった。
80年代のアメリカは、軍拡を進めてソ連に圧力を掛けたが、それは社会保障を犠牲にすることで成り立っていた。

現代日本の場合、自民党は社会保障を少しと自由を半分削ることをめざしているが、民進党は3つ全て追求しようという前原氏と軍拡を否定する枝野氏が代表選を争う構図になっている。

前原氏は、「All For All」などと「それっぽい」ことを言っているが、要は大衆増税を行って社会保障を維持しつつ、対中北強硬路線に基づく軍拡路線を進めるという話で、しかも市民的自由は保障するという、原理的に無理筋な主張となっている。
デフレ下での大衆増税は、ただでさえこの15年間低下し続けている低中所得層の可処分所得をさらに低下させて経済格差を助長させることになる。これは社会的不満を増大させ、治安悪化の要因となるため、社会統制の強化(治安立法と警察力強化)で対応するほか無い。また、社会保障の充実は、現行制度がバケツの底に穴が空いている以上、消費増税程度では数年しか保たない。
2008年度一般会計予算の社会保障関係費は21.8兆円、一般会計予算83兆円の約26%、国債費と地方交付税交付金等を除いた政策的経費である一般歳出47.3兆円に対しては46%を占めていた。だが、2017年度のそれは、予算97.5兆円に対し、社会保障関係費32.4兆円で約33.3%、一般歳出58.4兆円に対しては55.5%を占めるに至っている。社会保障費はわずか9年間で10兆円以上も肥大化しているが、今後は自然増で毎年1兆円以上の増加が見込まれている。これは、基本的には長命による高齢層の増加に起因しているが、医療技術の進歩による医療費の高騰も一因になっている。
ちなみに今年度は前年比5千億円の増加で抑制されているが、これは自然増分を政策的に抑制しているだけで基本的には「一時凌ぎ」でしかない。野党はこれを批判するわけだが、野党側に社会保障費の肥大化に対する対案があるわけでもなく、無責任の誹りは免れないが、根本的な対応策が無いという点では自民党も政府も無策と言える。
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・下

つまり、「軍拡も社会保障も自由も」という前原路線は原理的に不可能で、強行しようとすれば2009年の鳩山内閣以上の惨事となろう。
付言すると、この点、連合は明確で「軍拡」「核政策」「正社員既得権益」が担保されれば、他は全て犠牲にして良いというスタンスなので、前原氏を全面的に支援している。故に前原氏が個人的には志向していると思われるリベラリズムは、新体制下で放棄されるだろう。

一方、枝野氏は軍拡路線を否定、社会保障の充実と市民的自由の護持を主張することで、原理的な無理は無い。だが、北朝鮮や中国からの「脅威」が煽られて国民大衆がタカ派路線に傾倒、社会的には排外主義が蔓延する中で、従来型のリベラリズム、社会民主主義路線は支持されにくくなっている。衆議院の選挙制度が小選挙区を基軸とし、参議院でも一人区が多くなっている中で、国会議員も候補者も少数派の主張に与すること自体が大きなリスクとなっている。結果、内心では枝野氏の政策に賛同しながら、「これでは当選できない」という理由(本音)で前原氏を支持する者が続出している。

他方、民進党はそもそも政党として完全に行き詰まっている。もともと民主党はオールド・リベラリズムと新自由主義の融合を掲げて成立したが、小泉政権時にネオ・リベラル論争に敗北(民主党こそが真の改革者)、小沢一郎氏の下で社会民主主義路線(国民の生活が第一)を進めたものの、政権交代を経て党の内紛が勃発、半年で鳩山内閣が倒壊し、菅内閣が成立すると政策理念も国家像も無いまま漂流するところとなった。野田内閣に至っては、従来の自民党と寸分かわらない政策となり、その反省をせぬまま今日に至っている。つまり、新自由主義でも社会民主義でもない路線が打ち出せない以上、何を言ったところでその場凌ぎにしかならない。

また、対外的には「Democratic Party」をうたいながら、支部会議すら開かれず、党員にいかなる権限もなく、国会議員に権力が集中する一種の民主集中制を採用していることは、民進党が本質的にデモクラシーを否定していることを意味する。
同時に、野田内閣で各種治安立法を企図しながら(社会統制の強化、市民的自由の制限)、野党に転じると反対し、しかも党内には連合を含めて「本音では賛成」という者が過半数を占めていたことは、自由を志向する国民大衆への背信行為と言える。

つまり、民進党は民主主義や自由を訴えるだけの正統性を欠いているのである。

【追記】
「ケン先生だったら何を訴えたか」については、以下の記事を参照して欲しい。
・日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
posted by ケン at 12:15| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする