2017年09月04日

Cross of Iron(戦争のはらわた)

harawata.jpg
『戦争のはらわた』 サム・ペキンパー監督 英独ユーゴ(1977)
新宿シネマカリテでは9月中旬まで



『昼下がりの決闘』や『ワイルドバンチ』など西部劇映画の名手として知られるペキンパー監督が唯一撮った戦争映画にして、今日に至るまで戦争映画の金字塔と言える作品。
まだまだ連合国視点の戦争映画が主流だった時代に、ドイツ軍の小隊を舞台に末期的な戦闘(まだ43年夏だが)を、善も悪も無くひたすら残酷かつアナーキーに描き切ったことで、極めて鮮烈なイメージを作り出すことに成功している。
技術的には比較にならないほど進化した現在にあっても、『プライベート・ライアン』や『フューリー』のような英雄万歳的な作品が横行していることを考えれば、『戦争のはらわた』の先進性は今後も失われることは無いのでは無かろうか。

1943年夏、東部戦線タマン半島(クリミア半島からケルチ海峡を隔てて大陸側)。前年のブラウ作戦に失敗し、カフカス戦線から退却してきた部隊を収容しながらソ連軍と戦う偵察小隊が舞台となる。主人公のシュタイナーは、老伍長ながら実質的な小隊長で兵卒からの信頼も圧倒的な「頼りになる男」なのだが、とにかく反権力で権威を憎んでいる。そこにプロイセン貴族で「鉄十字章」欲しさにフランスから東部戦線に志願してきた中隊長が赴任してくる。圧倒的な物量と兵力で次々と襲いかかってくるソ連軍を前に、独軍内は士気が弛緩し、腐敗が蔓延していた。

本作の魅力は語り出すと止まらなくなってしまうが、何よりも人物造形と脚本が秀逸で、ジェームズ・コバーン扮するシュターナー伍長(後に軍曹)が、無敵のアンチ・ヒーローを演じ、それを「あり得ない」と思わせないところがまず凄い。
従来の戦争映画がどこまでも不自然なのは、責任感や使命感の強い主人公が無敵である点で、実際の戦場は責任感や使命感の強い「いいヤツ」から真っ先に死んでゆくものなのだ。例えば、「ここは俺に任せてお前は先に行け」とか「行方不明になった部下を助けに行く」などという兵士こそ最も死に近いところにある。戦争が本質的に邪悪であるのは、「いいヤツ」から死なせてしまうところにもあるのだ。

また、技術的にもカットやコマ割が細かく、「見づらい」という人もいるかもしれないが、これが刺激的な仕上がりになっている。今回はデジタル・リマスターできれいに再処理されており、あらためて実感させられた。撮影後も編集に力を割いた作品だったことが分かる。スローモーションの多用も、現在では「わざとらしい」と感じてしまうこともあるが、本作では非常に効果的に使われている。

img_1.jpg

本作では、ドイツ軍人をイギリスの俳優が演じ、ソ連軍はユーゴスラヴィア軍の協力で演じられているため、今日見ると色々違和感を覚えるところはあるのだが、どれも「些末」で済まされるほどの名作なので許される事態になっている。
興味深いのは、70年代後半にあっても旧ユーゴ軍の備蓄兵器として、第二次世界大戦当時の赤軍装備が山積されており、本作の撮影で「大放出」された点にある。従って、本作に出てくるPPShからT34(85の方だが時代考証的には43年には実用化されていない)まで実戦使用可能な「本物」なのだ。主人公らが鹵獲兵器をどんどん使うあたりもリアリティがあって良い。

そして、内容もさながら、冒頭の記録映像に併せて流れる童謡「幼いハンス」(日本では何故か「蝶々」)と、ラストのシュターナー軍曹の高笑いだけでも、鑑賞後も頭にこびりついて夢にも出てきそうなほど強い印象を残してくれる。これだけ徹頭徹尾強烈な印象を残す戦争映画は、岡本喜八先生の『沖縄決戦』くらいではなかろうか。

なお蛇足だが、ブラント大佐役のJ・メイソンは実際の二次大戦では良心的兵役拒否者となり、一族から長いこと勘当されていたという。
posted by ケン at 12:34| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする