2017年09月19日

近づきつつある自由民主主義の終焉

【「非民主的な形態」容認の声も 日本含む5カ国世論調査】
 民主主義は望ましい体制と思うかどうかなどについて民間非営利団体「言論NPO」が日本、インドネシア、インド、マレーシア、韓国の5カ国を対象に実施した世論調査で、「非民主的な形態が存在しても構わない」との声が日本で約19%に上るなど、一定程度を占めたことが分かった。言論NPOが4日、東京都内で発表した。民主主義を支える政党やメディアが信頼を失いつつある傾向も浮き彫りとなった。調査は6〜8月、計約7千人を対象に実施。言論NPOの工藤泰志代表は「民主主義に疑問を呈する層が、欧米と同様にアジアでも出始めている」と指摘した。
(9月4日、共同通信)

引用と再掲ばかりになってしまうが、重要なことなので。
「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」
(ロバート・スキデルスキー『共産主義後の世界―ケインズの予言と我らの時代』)

「デモクラシーは主権者間の平等に、権力の正統性を置いているが、経済格差が深刻化し、平等性が侵害されている今日、その正統性が揺らいでいると見て良い。
近代国家の命題は、例外なく工業化(経済成長)にあり、それは権威主義国家であれ、民主主義国家であれ同じだった。だが、いざ工業化が実現すると、国家は命題を失うと同時に権力の正統性が危機を迎えた。この危機に際し、西側は消費社会とグローバル化で乗り越えるが、ソ連・東欧ブロックは産業構造のシフトに失敗、権威主義国家の権力源泉である権威そのものが国民の信頼を失って瓦解していった。
他方、西側は産業構造のシフトに成功したものの、今度はグローバル化と激しい自由競争にさらされる中で、経済格差と貧困が進行、民主主義国家の権力源泉である平等性を喪失しつつある。そして、平等性の喪失に対して、現行の政党や議会がほぼ無力であることが、デモクラシーへの不信となり、権威主義や排外主義への支持の源泉となっている。」

「貧困が急速に進んだ場合、デモクラシーそのものが支持されず、機能不全に陥る可能性が高く、その場合、国家社会主義路線の復活を考慮する必要がある」
(自由民主主義の終焉、2016.4.22)

「現実には自由民主主義もまたイデオロギーの1つに過ぎず、彼らが信じているほど強固な体制でも無い。天地一体のように考えられていた江戸幕府は、安政の大獄から10年で瓦解し、世界そのもののように見られていたソ連は、ペレストロイカ開始から6年で崩壊してしまった。幕藩体制にしても、ソ連型社会主義にしても、統治システムと市場の有り様が時代に適応できなくなり、国民大衆の不満を吸収できなくなったがために倒壊したわけで、「自由や民主主義が足りなかったから」ではない。このことは、自由や民主主義を絶対視してしまうと、政治や社会の実相を見誤る可能性が高いことを示している。言うなれば明治期の佐幕派やベルリンの壁崩壊後の共産党員みたいなもので、数年もすれば「時代に適応できなかった可哀想な人」扱いされるかもしれない。」
(ソ連・東欧学のススメ〜米大統領選を受けて、2016.11.11)

「民主主義は有権者間の平等に原理的基盤を置いているだけに、貧困を許さない。国内の収奪システムを認め、貧困を放置して、自由貿易(経済)を進めるためには、デモクラシーそのものを否定するほか無い。今日の自公・霞ヶ関政府が、急速に権威主義化しているのは、自由貿易・経済が、彼ら富裕層・特権階層にとって都合が良く、「他に選択肢が無い」からだ。この傾向は、社会主義ブロックが崩壊し、中国が極端な格差社会になったことで、ますます助長されている。新聞業界がこぞって消費増税に賛成し、自らには免税を求めたのも、彼らにとっての利益がどこにあるかを示した結果に過ぎない。」
(TPP情報が開示されないワケ:自由民主主義の崩壊、2016.4.12)

「民主主義国家でテロが頻発すると、世論の硬化と野党の突き上げを受けて、選挙対策のためにも、政策的に強硬策を採らざるを得なくなる。治安体制や国民監視を強化するためには、基本的人権の抑制が不可欠となり、テロ対策を理由に正当化される。戦前の日本は民主主義国ではなかったものの、共産党対策として治安維持法が導入され、右翼テロの頻発に乗じて同法が強化・拡大適用されるに至り、わずかに存在していた基本的人権や民本主義の芽が潰されてしまった。現代の例を挙げるなら、9・11事件を受けて米国では、「愛国法」が制定され、国民監視が合法化され、基本的人権の抑制が正当化された。

ところが、たとえ戦時体制への移行が理由としても、基本的人権や市民権を抑制することは、自らのデモクラシーの正当性を否定することになるため、権威主義者(コミュニスト、ファシスト、ジハーディストを問わず)にとって有利に働くことになる。これは、「愛国法」を制定して、国民を弾圧したアメリカが、中東や中央アジアなどでデモクラシーを押しつけても説得力が無く、失敗に終わったことからも説明できよう。
興味深いことに、1940年の米国大統領選挙において、三選を目指すルーズベルトが「(レンドリース法は)火事が起きた隣家に水ホースを無料で貸し出すのは当たり前」と主張したのに対し、共和党のパンフレットには「他国に武力で民主主義を押しつけるものは、自国の民主主義を害することになるだろう(欧州大戦不介入)」旨が記載されていたという。
結果、ジハーディスト側がテロ活動を行い、米欧の対応が強硬策に傾くほど、イデオロギーとしての民主主義の優位性は失われ、世界の不安定化を促進させてゆくのだ。

「カラー革命」「アラブの春」などと喜んでいたものたちは、今やそのツケを払うことが要求されている。
日本でも、秘密保護法、安保法制が制定され、今度は拡大通信傍受法と共謀罪が用意されている。戦後デモクラシーは終焉を迎えつつあると言えよう。」
(対テロ戦争の難しさとデモクラシー、2015.11.24)
posted by ケン at 12:48| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする