2017年10月31日

第48回衆議院総選挙を分析する

突然の解散からすったもんだした挙げ句、フタを開けてみれば与野党の議席はほぼ変わらだった。巷では「こんなに笑えるものなら、東京五輪なんかやめて総選挙を10回やれば、10回楽しめて費用は3分の1だ」とまで言われている。今回の総選挙も、従来同様、小選挙区制の特徴が強く出る結果となったので、全容を見てみよう。

まず小選挙区。自公合わせた得票は2733万票で、得票率は49.3%。対する野党は2809万票で、50.7%。獲得議席は、与党226に対し、野党63。与党は49.3%の得票で議席の78.2%を占めたのに対し、野党は50.7%の得票で21.8%の議席占有率となっている。
次に比例区(得票数、得票率、議席)。

自民:1856万票 33.3% 66
KM: 698万票 12.5% 21

立民:1108万票 19.9% 37
希望: 968万票 17.4% 32
NK: 440万票 7.9% 11
維新: 339万票 6.1% 8
社民: 94万票 1.7% 1


比例は与党46%に対して野党54%となっている。与党の合計は2562万票に対し、野党五党の票は2949万票と上回っている。だが、獲得議席は与党87に対し、野党89で、これはブロック別であることや、立民が東海ブロックで候補者不足となり、1議席分を自民に譲ってしまったことが影響している。

比例区のみを見た場合、自公は過半数を有しておらず、希望ないし維新と連立を組まなければ政権を維持できない構造になっている。だが、小選挙区を合わせると、議席占有率は67.3%となり、3分の2を超す勢力になる。

小池都知事は、こうした勢力図を見越して、賭けに出たわけだが、7月の都議選の成功体験が仇となり、排除した者たちが結成した立憲民主党の逆撃を食らって大敗した。結果として敗北はしたものの、「自民の優勢は選挙制度によるもので、決して盤石では無い」という小池氏の認識自体は正鵠を射ていた。

また、NK党は本来禁じ手である「下院選挙における選挙協力」を行った結果、前回の比例区704万票から440万票へと激減(62%)させ、議席も21から11へと半減させている。同じ流れで社民党も前回の131万票から94万票へと減らしている(71%)。これらの減らした票の大半が立民に流れていると見られるだけに、旧式左翼は合流論で行くか、共闘から距離を置いて独立路線で行くか、厳しい選択が迫られそうだ。

立民は立民で、ある種の純化路線を採ることで人気を爆発させたが、それだけにウィングを広げる可能性(選択肢)に乏しく、現状以上の支持が得られるのか、一から党組織を再建できるのか、課題が山積している。

自民党と霞ヶ関からすれば、「弱い敵をさらに分割してやった」という意味で「圧勝」だったと言えるだろう。

【参考】
自民党は勝利したのか:47回総選挙の結果を分析する
posted by ケン at 12:22| Comment(4) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

前途多難の立民

【政調会長に長妻氏=青山氏は党員資格停止へ―立憲民主】
 立憲民主党は26日の執行役員会で、辻元清美国対委員長の政調会長職兼務を解き、長妻昭代表代行の兼務とするなどの執行部人事を決定した。党本部を東京都千代田区平河町のビル内とすることも決めた。一方、同党は週刊誌で女性問題が報じられた青山雅幸衆院議員(静岡1区)について、無期限の党員資格停止処分とする方針を固めた。同氏は立憲の会派からも外れる。26日に決定した執行部人事は次の通り。
 選対委員長 近藤昭一副代表▽総務委員長 佐々木隆博副代表▽国対委員長代理 山内康一衆院議員▽幹事長代理 阿久津幸彦元首相補佐官。 
(10月26日、時事通信)

当選直後に週刊誌スキャンダルで議員一人が離脱、同時に問題児の入党を認めるというスタート。セクハラ疑惑の弁護士については辞職勧告も検討されたが、比例ブロックに余裕がなく、他党に議席を渡すことになるため、今回の措置となったようだ。週刊誌報道だけでここまでやるのは過剰反応とも思えるが、事実性の高さと世論頼みの脆弱性を考慮しての判断だと思われる(第二弾が用意されているとも聞く)。
今回無所属で出た問題児の当選後入党も、様々な爆弾を抱えているだけに、不安要素ばかりだ。
そして、某週刊誌は公安の協力を得ながら、代表とその元秘書であるH議員の角丸疑惑を準備しているという。
さらに言えば、国会運営の要に当局のコラボを据えている辺り、「大丈夫なわけが無い」レベルにある。

無所属との統一会派も当面は見送るようだが、これも世論からの野合批判を恐れてのものだろう。現実には国会対策上、会派は少しでも大きい方が議会運営に力を発揮するので、技術的には「統一会派を組まない手は無い」くらいの話なのだが、風頼みで勝利してしまった手前、そうも行かないのだろう。だが、現実には無所属と希望が統一会派を組んでしまえば、立民の野党第一党など意味を失ってしまうだけに、非常に危うい選択となっている。

立民は参議院議員を一人しか持たないため、当面は民進党の参院会派と連携するのだろうが、やはり他党は他党であるためスムーズには行かないだろう。同時に、自治体議員も一人もいないだけに、いかに地方組織を組んで地盤を作ってゆくのか、課題は山積みだ。まずは2年後の統一地方選と参院選に焦点を定め、体制をつくってゆくことになるだろうが、それだけの全国組織を作れるのか疑問は多い。

そして、NK党との関係。今回の総選挙、立民は総評系組合の支援を受けて戦えたものの、組合側はNK党との協力に対し非常に否定的だ。一方、NK党はNK党で「大義」を掲げて野党共闘を行ったものの、現実には自党の議席を半分にするという「大敗」となった。今後は党内から「社民(立民)主要打撃論」が噴出するものと思われ、どこまでそれを抑えられるか、党内クーデターが起きるのか、予断を許さない。
フランスでも、共産党は大統領選では「不服従のフランス」のメランション候補を支援したが、総選挙では選挙協力せず独自に戦った。下院選挙における過剰な選挙協力は、自らのアイデンティティを否定することにしかならず、非常に難しい。日本のKM党が自民党との協力関係を続けられるのは、自らの中道・宗教社会主義路線を放棄したからに他ならない。

こうして俯瞰してみると、立民の立場は、「とりあえず金ヶ崎は凌いだものの・・・・・」という「信長最大の危機」ばりに危ういところにあることが分かろう。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

ルーンバウンド第三版 初プレイ

(注:解散総選挙の前に書いた原稿です)
購入したものの、なかなかプレイする機会に恵まれなかった『ルーンバウンド』(第三版)の初プレイにこぎつけた。とはいえ、2〜4人用ゲームながらT後輩との二人プレイである。先に紹介した『ディセント』と世界観を共有する。
このゲームではプレイヤーは英雄になり、選択したクエストに翻弄されながら、テリノスの大地で己を磨いてゆきます。古代の廃墟を探索したり、モンスターと戦闘したり、新しいスキルを覚えたり、町で買い物をしたりして、最終的に倒すべきボスモンスターに備えます。しかし、時は待ってはくれません。来るべき最終決戦のときまで、あなたは生き延びて、最強の英雄になれるのでしょうか?

イメージ的には昔のエポック『魔法帝国の興亡』に近い、マルチプレイながらも実質的には一人プレイのファンタジー・ボードゲームである。プレイヤーは1人の英雄となって、世界を滅ぼそうとするラスボスを倒すために、諸国を巡り冒険しながら経験値をため、装備を調え、最終決戦に挑むというもの。
「魔帝」と異なるのは、軍隊を作ったり、仲間や従者を連れたりという要素が無いところか。
ルールや戦闘システムが独特な点を除けば簡単で、セッティングもディセントに比べればずっと楽。ただし、プレイ時間は二人でも2時間なので、三、四人なら3時間程度は見ておいた方が良いかもしれない。

英雄は基本セットで6人いて、各プレイヤーはこの中から一人選んでプレイする。英雄たちは「せゆそま」的な違いがあり、シンプルながらもどれも個性的だ。能力的には、ヒットポイント、手札上限、肉体・精神・魔法の基本能力値、特殊技能と「戦闘用トークン」で構成される。
本作の戦闘システムは独特で、英雄とモンスターは各々自分の戦闘用トークンを所持しているが、これらは各々が打撃ダメージ、魔法ダメージ、回避、波動、無効などの効果を有し、裏表で効果が異なる。そして、戦闘開始時に保有しているトークンを投げてばらまき、互いに一つずつ解決してゆく。なかなかイメージしがたいとは思うが、ダイスを振らないシステムで、最初はどうかと思ったが、これはこれで戦闘の順序や何をすべきか考えさせるところがあり、単純なダイスの振り合いとは異なって面白い。

全24ターンあり、英雄は各ターン3アクションできる。ラスボスは12ターン終了時にマップに登場するが、最終ターンまでに倒さないと全員敗北で終わる。同時に先にボスを倒した英雄が勝者となるため、「どのタイミングで仕掛けるか」がポイントとなる。
英雄は初期段階では雑魚モンスターにも勝てないレベルなので、地道に商売したり、「探索」や「交流」などの冒険をこなして、装備を調え、スキルを身につけてゆく必要がある。RPGをまんまボドゲ化したイメージだ。
基本的には他の英雄とは接点ないので一人RPG状態ではあるが、シナリオによっては協力しないと大変なことになるケースもある。基本セットにシナリオが二本しかないのは難点の一つで、拡張セット待ちになっている。とはいえ、「期日内にボスを倒す」という目的はシナリオ共通なのだが。

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この日は、拡張セット「蜘蛛の巣の中で」を含めて3本のシナリオを1回ずつプレイ。倒せたのは最初の「竜王マーガス」だけで、「死者の王(リッチ)」「女王アリアッド(巨大蜘蛛)」はどちらも二人の英雄が挑んで全敗に終わった。ちなみに一人の英雄が倒しきれなかった場合、ボスに入ったダメージは全快してしまう。
マーガスは、T後輩の「マスター・ソーン」が「自分が受けたダメージ分を敵に返す」という特殊能力によって勝利したものの、リッチと女王蜘蛛はケン先生の英雄は全く歯が立たずに敗北、T後輩の英雄も二回とも「一手足りず」のところで敗北した。
ゲームバランス的には、絶妙な感じはするが、「死者の王」「女王アリアッド」はマップ上に次々とゾンビや蜘蛛の巣を発生させるので、英雄二人だとその対応で手一杯になってしまっている観があった。

「なんでもできる(あれもしたいこれもしたい)」と「効率的に回らないと間に合わない」のジレンマが非常に良い感じで、ゲームバランスも絶妙。何よりも「レベル上げ」ではなく、装備とスキルで「自分を強くしてゆく」感じが非常に楽しいのだが、どこまでも一人RPGであることも確かで、その点が評価を分けるところだろう。
また近々三人以上でプレイしたいと思う。まぁ11月になっちゃうけど(泣)
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月27日

大手メディアは権力に癒着してるだけ

【「日本メディア、政府圧力に弱い」 国連報告者が会見】
 国連の「表現の自由の促進」に関する特別報告者のデービッド・ケイ氏が25日、米ニューヨークの国連本部で会見し、報道機関の独立性について情勢を語った。日本については、記者が所属メディアを変える環境がないとして、政府の圧力に弱い「メディアの構造」を指摘した。日本の情勢について質問を受けたケイ氏は、日本の報道機関の問題として「大手に独占されている」と指摘。その上で「先進国では優れた記者が所属媒体を移る、一種の流動性があるが、日本には存在しない。そのため政府からの圧力が記者にも特別な影響を与える」と述べた。報道機関への圧力が、所属先への依存の大きい記者個人にも影響しやすい、という趣旨とみられる。
(10月26日、朝日新聞)

部分的には正しいのだが、全体の理解としては浅いように思われる。日本の大手メディアは、「記者クラブ」「クロスオーナーシップ」「再販制」「電波許可制」「軽減税率」などによって政府から得た独占的権利をもって市場を占有しており、これが他社の参入を拒んで権力との一体化をなしている。そのため、大手メディアは自らの利権に基づいて権力側についているのであって、安倍政権や自民党からの圧力の影響など微々たるものに過ぎない。集産主義的な市場構造(官民一体)こそが問題なのだ。
民主党政権はその大部分の期間でメディアからの攻撃にさらされ続けたが、これは民主党政権がメディアの既得権益に手を付けようとしたためだった。その特権とは、

・記者クラブ:政府から情報提供の独占的便宜
・再販制:独占禁止法の例外
・クロスオーナーシップ:印刷媒体と電波媒体の寡占
・電波許可制:政府による放送統制
・軽減税率:免税特権


が象徴的だ。メディアが寡占状態になるほど、公権力との癒着が進み、「一心同体」になるため、不利な報道は控えるところとなる。
分かりやすい例を挙げるなら、大手メディアがオリンピックのスポンサーとなった結果、オリンピック反対論やオリンピックに絡む不正については、殆ど報道されなくなっている。これも、メディアが寡占状態にあり、スポンサーになれるだけの資本と権力を有しているがためで、結果として公権力と一体化してしまっている。これが、秘密保護法や安倍政権の問題では無いことは明らかであり、あくまでも日本社会におけるメディアの在り方を問うてこなかったことに起因している。ただ、歴史的には、戦争中に報道統制を強化するために、政府がメディアの統合を図ったことが、無反省に戦後に引き継がれてしまったところはある。

要は、日本のメディア界自体が権威主義体制に極めて親和的であるため、権威主義体制が確立すると、自ら進んで一体化しようとするインセンティブが働いてしまう。安倍政権は確かに問題だが、これを替えたところで「首のすげ替え」にしかならない。本質的には、現在大手メディアが有する諸特権をことごとく廃し、寡占状態にある新聞社や
報道の自由が72位に
posted by ケン at 13:08| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

20世紀型選挙の終焉

今回の総選挙で後方本部を統括して強く感じたのは、従来型の選挙が実施不可能になると同時に、その効力も失いつつあることだった。

日本の公職選挙法は、いわゆる先進国では類を見ない厳しい規制を課している。大まかに言えば、「政府が認める活動しかできない」というもので、他国の「いくつかの禁止事項以外は何でもできる」の真逆を行く制度になっている。
具体的には、選挙はがきの収集と郵送、電話がけ、そして街頭宣伝であり、つい最近になってインターネットの使用が「解禁」されたものの、それでもメールなどによる投票依頼には厳しい規制が課されている。

このうち選挙はがきを見た場合、衆議院総選挙では候補者枠で3万5千枚(無償)、政党枠で2万枚(有償)の発送が認められているが、これは予め宛名を書いた候補者のはがきを選挙事務所が用意して発送しなければならない(分けることは可能)。そのため、候補者や地方議員が自分の名簿を使って宛名を書いたり、支援者に知り合いを紹介してもらうことになる。つまり、巨大組織がバックについているか、多数の地方議員の支持がないと、まともにはがきも送れないことになる。中選挙区制のシステムを縮小再生産したためだ。
ところが、個人情報保護法や核家族化、社会的分断などの原因から名簿の収集が困難になり、中間団体や地域ボスも力を失って「大口の集票」が難しくなっている。また、移動(引っ越し)が増えているのか、「宛先不明」で戻ってくるはがきも選挙毎に増えている気がする。
結果、5万5千枚ものはがきを送れるのは、自公共と大手労組の支援を受けた候補くらいのものになっているが、それもすでに名簿の確保自体が難しくなっている。

電話作戦も同様で、まず大量の電話番号を有している候補が圧倒的に有利で、少ないあるいは持っていないとなると、電話帳で片端から掛けるほか無くなる。そして、電話がけの要員(ボランティア)をどれだけ集められるかが勝敗を分けるところとなる。結果、狂信的な宗教団体やトップダウンで人を動員できる権威主義的団体を味方に付けた候補が圧倒的に有利となる。だが、電話番号の収集は年を追う毎に難しくなってきている上、電話帳も年々薄くなってきている。固定電話を持つ人が少なくなり、かつ電話帳に掲載しない人が増えているためだ。この分では10年後には「電話作戦」は成り立たなくなっている公算が高い。

電話とはがきが成り立たなくなると、残るのは街頭宣伝だけだが、恐ろしいことにここにも大きな規制がある。その最たるものは、選挙期間中、街宣車のスピーカーに許されているのは、走行中の「連呼」と停止中の「演説」のみという公職選挙法の規定である。
第140条の2(連呼行為の禁止)
何人も、選挙運動のため、連呼行為をすることができない。ただし、演説会場及び街頭演説(演説を含む。)の場所においてする場合並びに午前8時から午後8時までの間に限り、次条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶の上においてする場合は、この限りでない。

第141条の3(車上の選挙運動の禁止)
何人も、第141条 (自動車、船舶及び拡声機の使用) の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第140条の2第1項 (連呼行為の禁止) ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のための連呼行為をすることは、この限りでない。

自分もよく「選挙カーの連呼はうるさいだけで票が減るのでは」と言われるのだが、実は公職選挙法の規定で「走行中の街宣車は連呼以外できない」となっているためなのだ。
しかも、この選挙カーは広大な小選挙区の中で候補者一人につき一台しか認められていないため、期間中一人の居住地に来るのは一回か二回程度にとどまる。大きな駅を使って通勤している人を除けば、候補者の顔を見るのは稀だろう。

他にも挙げればキリがないので止めておくが、上記の理由から前世紀型の選挙手法と、それ以外の活動を一切許さない公職選挙法が、有権者の選挙離れを加速、政党や候補者はますます「風」に頼るほかないという悪循環に陥っている。
そう考えると、デモクラシーの自壊を狙う政府内の明治帝政復活論者(復古主義者)の陰謀のようにも思えてくるが(爆)
posted by ケン at 12:16| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

帰還報告

無事勝利し、帰京しました。
今回の選挙は短期決戦ではありましたが、可能性が低いと考えていた解散、同時に出馬すべき党が消失するという、不測の事態が重なりました。準備不足はどの陣営も同じ条件ですが、「政党が無くなる」「どの党から出るか分からない」というのは全くの想定外であり、公示直前までどうなるか分からないという暗中模索が続きました。

ボスの方針は明確でも、地元や支援団体との調整は困難を極め、立候補届けや選挙グッズなども「無所属」と「新党」の2パターンを用意し、どれも直前まで決まらない状態にありました。選挙はがきなどは、大量に刷った後、新党のシールを貼るという作業になり、その数は数万枚に及びました。結果、凄まじい人手が必要になるのですが、急な解散だったため、動員も思うように進まず、人員的にも苦しい状態が続きました。もっとも、動員不足は敵も同じだったようで、期間中何度か敵方の事務所に密偵を放ちましたが、「(夜10時前)もう閉まってました」「外から見えたのは3人だけでした」「駅立ちは随行秘書3人だけでした」など甚だしい人手不足が垣間見えました。

動員が遅れるというのは、人員だけの問題ではなく、物資機材や選挙事務所の土地、建物、駐車場から、他所から応援に来る人の宿泊先、そして選挙はがきの収集など、全ての準備が遅れることを意味します。
ベテラン議員や歴史ある大政党の場合、普段からの付き合いや伝手があるので、急な需要にも対処できるわけですが、新人などはどうにもならなかったでしょう。その意味でも、自民党の総理が解散権を自由に行使できることは、大富豪に強いカードを何枚も渡すような話になっています。
自分の担当部署でいえば、選挙はがきですが、これは予めはがきを用意して、支援者などに配って知り合いの住所氏名を書いてもらって、選挙事務所が一括収集して発送するわけですが、政党が決まらないのではがきが作れない、作っても配布する人員も時間も無いということで、前回の半分以下しか自前で収集、発送できず、半分は地方議員の名簿で出すことになりました。
電話がけの動員も非常に遅れ、フル稼働したのは最後の数日のみで、掛けた本数はこれも前回の半分以下となりました。

以上のことから、後方本部事務長の座にあったケン先生としては、「こんな戦力で勝てるわけが無い」と思っていたわけですが、前線からの報告は「勝った、勝った、また勝った」というものばかりで、「そんなはずね〜だろ〜」と叫びたい気持ちで一杯でした。実際、蓋を開けてみれば大勝していたわけですが、私的には「偶然プラス修正が付いて」「たまたま良いダイス目が出た」以上には思えなかったわけです。
こういう勝ち方をしてしまうと、「誤った成功体験」が生まれがちなので、そこをきちんと戒めることができるかが課題でしょう。

他にも色々あるのですが、まずは報告まで。
posted by ケン at 13:51| Comment(5) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

9月の読書(2017)

やっと代表選挙が終わって「臨時国会が始まるまでのつかの間」と思っていたところ、いきなり解散風が吹いて大忙しとなり、結局この夏はロクに本も読めなかった。国会議員の秘書が多忙と疲弊で本も読めないというのは、それだけ政治自体が疲弊し、劣化していることの傍証でもある。まぁそんなところを見るまでも無く、国会議員の不祥事や舌禍の数々を見れば、その質がもはや回復不能なまでに劣化していることなど一目瞭然とは思うが。

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『ブラッドランド−ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』 ティモシー・スタイナー 岩波書店(2015)
世界30カ国以上で翻訳、刊行され、数々の賞も得た国際的名著。これまでの研究でも、ソ連の大粛清やナチスのユダヤ人虐殺については個別に山ほどの書物が出ているが、ソ連の農業集団化に伴うウクライナ飢饉からナチスのホロコーストを経て、戦後のソ連におけるユダヤ人弾圧に至る経過を「大量虐殺史」として、一連の事件を関連づけて記述したものは無かっただけに、非常に貴重な作品となっている。例えば、アウシュヴィッツについてのみ語ると、アウシュヴィッツや他の収容所の外で殺害されたものについては語られなくなってしまう。ユダヤ人に限定すると、障がい者やジプシー(ロマ)はどうなんだという話になる。また、ただ虐殺に至るプロセスを記述するのではなく、その背景にある食糧問題や政治課題、重工業化や戦争経費の捻出など様々な要素も一つ一つ検証しているので、一見散漫にも思えるが、網羅することが目的である以上は欠かせないのだ。非常に辛い内容が続くのは確かだが、記述は淡々としながら、専門的すぎることもなく、普通に読める。

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『ヒトラーの国民国家−強奪・人種戦争・国民的社会主義』 ゲッツ・アリー 岩波書店(2012)
これは非常にヤバい一冊である。先に少し書いたが、1943年の日本陸軍二等兵の給与は6円だったが、銃後の家族の生活保障として「留守宅給与」が給付された。だが、それは応召前の給与の3分の1でしかなかった。例えば、当時の小学校教員の平均給与60円で計算した場合、支給額は20円でこれを本人と留守宅でほぼ折半された。実際には他にも手当がつくので、家族が受け取るのは20円程度だったものの、夫が召集された家族は困窮するのが普通だった。ちなみに当時の公定米価は10kgで3円36銭である。これに対し、ドイツの場合、この留守宅給与に相当する所得補償が、応召前職の給与の85%もあり、さらに児童手当などもあったため、銃後の夫人は「亭主元気で留守が良い」状態にあったという。結果、ナチス政権は常に広範な支持を受け、「ゲシュタポによる恐怖支配」はあったものの、国家保安本部の規模は後の東ドイツのシュタージの100分の1程度に過ぎなかった。つまり、国民を広範に監視して強制動員する必要などなかったのだ。この場合、当然ながら、物資不足と貨幣過剰となって大インフレが起こるはずだが、外地の独軍兵士には有利な為替レートで換金された現地通貨が渡されて「爆買い」が行われ、本国に郵送ないしは手持ちで持ち込まれた。そして、貨幣安定の原資となったのは、ユダヤ人などから収奪した資産だった。こうした仕組みを知らずに、ただ倫理的に「ナチズムの悪」を弾劾しても何の役にも立たないというのが、本書を記した著者の信念のようだ。二次大戦史に関心のある者は必読の一冊と言えるが、いかんせん高すぎるのが難である。
posted by ケン at 15:01| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする