2017年12月05日

ソヴィエト学徒から見た日本の行く末

いちソ連学徒として永田町を見て思うのは、日本は既にポイントオブノーリターンを越えてしまったようだということ。例えば、ゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)を改革の一丁目一番地として掲げたのは、政府・共産党内に不正、事故、不祥事、虚偽報告、粉飾会計などが蔓延しているのに悉く隠蔽されていたためだった。現代日本の原子力保安院、財務省、文科省、防衛省・自衛隊、あるいは大企業における一連の不祥事とその隠蔽体質は、1980年代のソ連のそれと酷似している。

ゴ氏は回顧録の中で、「書記長になって初めて機密文書に接することができ、国家の実情が一刻の猶予も無いところにあることに気づかされた」旨を述べているが、日本の総理大臣はその「実情」を知ることすらままならない状態に置かれている。
ゴルバチョフは、1978年に47歳で農業担当書記として大抜擢を受け、チェルネンコ政権ではイデオロギー担当書記という、党内ナンバー2の座にあったが、それでも担当部門以外の機密情報を閲覧することは殆どできなかったという。

こう言うと、「安倍や麻生のような連中がやってるからダメなのでは?」と言われそうだが、実は「誰が総理大臣か」はさほど重要ではない。
例を挙げよう。詳細は「イラク大量破壊兵器に見る政治決断の限界」を読んで欲しいが、2003年の対イラク戦争に際し、米国大統領の下には、諜報機関が選別してもなお山ほどの虚実取り混ぜた情報が寄せられ、その中でブッシュ氏は「WMDはあるかないか」の二者択一の政治判断をすぐに行うように迫られた。
大量破壊兵器の有無が確認できない中で、「何もしない」という選択をして後日大量の犠牲者が出るリスクと、「敢えて攻撃する」という選択をして「実は無かった」と判明してしまうリスクを天秤にかけた場合、一国を背負う最終責任者として「何もしない」という選択肢は採れない、ということなのではなかろうか。
仮にWMDの存在確率が限りなくゼロに近かろうと、ゼロでない限りは「ある」と考えるのが米国大統領として「正しい」判断だった(ということのようだ)。そして、実際にWMDがあるか無いかはフタを開けてみるほかに確認する術はなく、逆にフタを開けない限り、WMDは確率論として永遠に存在し続けることになる。殆ど「シュレーディンガーの猫」のような話である。

イラク開戦を決断したブッシュ大統領は、果たして単純に「ブッシュがバカだから」で済むのだろうか。オバマ氏だったら必ず戦争を回避できたと断言できるだろうか。どんなに権限が集中しようが、一人の人間ができることには限りがあるのだ。

話を戻そう。
霞ヶ関官僚は、いつ首が飛ぶか分からない国会議員に国家機密を漏らすことはない。私は民主党政権期に知り合いだった外務三役に「1955年に作成された日ソ平和条約案を公開しろとは言わないから、せめて資料要求して貴方の目で確認して欲しい」と求めたことがあるが、外務官僚は文書の存在すら認めなかった。
民主党政権期に、鳩山総理が外務官僚にいい様に翻弄された挙げ句、マスゴミからの総攻撃にさらされて、党内の誰からも見捨てられて失脚したことは、まだ記憶に新しいが、「改革潰し」の典型例であり、これも「鳩山氏がバカだったから」では済まされない重大な問題が隠されている。日本の総理大臣や閣僚は、国民が考えているほど情報も権限も持っていない、というのが私の見解である。

隠蔽体質が蔓延するのは、一つは日本社会が閉鎖的かつ権威主義的な傾向が強く、建前を重視し、権力の過ちを認めないことが原因と考えられる。そして、この傾向はさらに強まってきている。
最大の象徴としては、福島原発事故の原因が「自然災害」で片付けられ、人災による側面が否定され、誰も責任を問われなかったことが挙げられる。
卑近の例で考えた場合、各地の教育委員会が夜間中学やフリースクールが否定的な理由は「子どもがますます学校に行かなくなる」だし、自治体などが乳児院(育てられない乳幼児を預かる)の設置に否定的なのは「子を捨てる親が増えるし、里親に出すのが望ましい」という理由が強い。これらは、ある種のイデオロギーが優先され、現実的な対応を否定する傾向が強まっていることを示している。
皇位継承問題ですら、相変わらず女子の継承を認めない勢力が強く、座して死を待つ状態にある。現実対応能力の恐ろしいまでの劣化もまた、1980年代のソ連・東欧に共通する課題であろう。

ゴルバチョフ氏は「もはや一刻の猶予もない」と認識していたのに対し、日本の政治家の大半はそこまでの危機感を有しておらず、相変わらず次の選挙しか考えていない。
巷に溢れる「日本スゴイ」は、「凋落の現実を直視したくない」思いの裏返しで、これもソ連・東欧と酷似している。
低収益の企業や部門が温存されていることが、低賃金と長時間労働を誘発し、労働生産性の向上を阻害、労働生産性が高まらないため賃金が上昇せず、消費と需要が増えないという負のスパイラルに陥っているわけだが、霞ヶ関も自民党も民進党も連合も、ペレストロイカにおける共産党員と同様、自身が最大の受益者であるが故に「現状維持バイアス」が強く、内部で議論すれば必ず「総論賛成・各論反対」となって、実質的な改革は何一つ実現できない構造にある。「働き方改革」で「残業月上限100時間未満」が認められ、「労働時間インターバル規制」が努力義務にされてしまったのは象徴的だ。
ゴルバチョフは、スターリンですら為し得なかった「中央委員会の全会一致」で改革派の頭領として書記長の座に就いたにもかかわらず、党内などの強い抵抗に遭って、上記の通り改革を実現できないまま「ゲーム・エンド」を迎えている。
我々が、ソ連と同じ轍を踏みたく無いのであれば、民主的議会政治の特質を活かし、現行システムの受益者以外の代表者を国会に送り込む必要がある。ところが、現行の選挙制度は「地域の利害代表者を相対多数で選出する」システムであるため、投票率の低さも相まって受益者しか投票せず、国会の圧倒的多数が受益者で占められ、必要な改革に反対する構造になっている。参議院の比例代表制も、既得権益の受益者が代表者を送り出しているだけの構造になっており、これも期待できない。何らかのブレイクスルーを経て代議員の選出方法を抜本的に改革、受益当時者以外の代議員を権力の座につける必要があるが、残念ながら現状では期待できる要素は何も無い。
同時に、日本の統治機構は権力の分立が未熟で、行政府の権力が圧倒的に強く、マスゴミと一体化しているだけに、仮に改革派の政権ができたとしても、民主党鳩山政権のように、あっという間に倒されて、菅政権のような傀儡政権にされてしまう可能性が高い。私の見立てでは、「日本型ペレストロイカ」が破断界を迎える前に実現して再浮上できる確率は「10〜15%」程度だろうと考えられる。
ソ連は一党独裁だったが故に改革に失敗したが、日本の場合、「投票しない自由」を認める民主的議会が改革を拒んでいるのだ。
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
posted by ケン at 12:45| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

ゲムマと国防軍ノ夜2

3年ぶりとなるゲームマーケット2017秋に行く。開場の1時間近く前に行ったが、すでに1500人近い人が並んでいる。入場自体はスムーズだったが、私の後ろにはさらに2千人以上いたように見える。コミケとは比ぶべくもないが、凄まじい人気。
有明で朝1時間並ぶことを考えて、十分な防寒対策をとったところ、日差しが熱いくらいで汗をかいてしまった。会場は広いので、人数の多さほど混雑感はなかったが、一部ブースは人だかりができていた。

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自分は欲しいものが決まっているので、荷物にはなるが、先にゲットして会場を1周した。歴史物やウォーゲームは絶滅に近い状況で、ファンタジー系やRPGも少なめ、そして軽めのゲームが大半を占めている。基本は「2〜4人」「1時間以内(あるいは30分以内)」なのだろう。同人ゲームは、どうしてもデヴェロップが弱く、継続してプレイに耐えられる作品は非常に少ない。今回も、じっくり吟味しようと思える作品もなく、当初の目標物である「パスファインダー・カードゲーム」(アークライト)、「国防軍ノ夜2」(同人)と「行きがけ」で懐かしのリメイク版「モンスターメーカー」を購入して帰陣した。なお、「パスファインダー」と「モンスターメーカー」は先行販売狙い。

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帰陣の後、早速O先輩と「国防軍ノ夜2−東洋の覇者 1937」(ピリオド・ゲームズ)をテストする。本当は別のゲームをプレイする予定だったが、場の流れでかくなった。

プレイヤーは旧日本軍の各派閥を率いて、ある時は協力し、ある時は独断専行しつつ、アジア太平洋戦争を戦い抜く。各派は、戦功や建艦などで得られる勝利得点を競うが、講和ではなく降伏になると全員敗北になるため、協力ゲーム的要素もある。

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ルールが荒削りで、「この解釈でいいんきゃ?」「このルールはどこに書いてあるんだ?」の連続だったものの、「神ゲー」の評価も惜しくない作品という認識で一致した。

「おいこら、何勝手に上海に上陸しちゃってんの?!」
「日米戦は海軍さんがやるんでしょ、ボク関係ないんで」
「どうせいつかは戦争になるんだから総辞職とかあり得ないよね」
「ハルノートなんぞ、10万の英霊に説何と説明するか!(いま講和したら、俺の負け確定じゃねぇか)」

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などなど、日本型組織のダメさ加減を余すところなくシミュレートしている。ゲームで腹が痛くなるほど笑ったのは超久しぶりかもしれない。
本作ほど、「統帥権の独立」や「独断専行」が歴史にもたらしたものを見事に再現している作品は見たことが無い。これをプレイすると、前原代表が独断で自分の党を解党、他党への合流を決めてしまった動機やプロセスに納得のゆく説明ができそうな気がする(爆)
今回は2人でのテストとなり、まだ協力的だった気もするが、近いうちに3〜4人でプレイして「ダメポ」ぶりを一層笑ってみたい。

【追記】
テストプレイでは、ケン先生率いる「海軍左派」が、第2ターン「勝手に」中国に侵攻を開始。これは、勝利条件の「対米短期決戦」「ハワイ侵攻」がムリポ過ぎるため、「中国侵攻で得点を稼ごう」という話で、実は史実の米内光政はこの立場にあった(動機は違うと思うけど)。これに対し、「海軍艦隊派」を率いるO先輩は「何勝手に開戦しちゃってるの!アメリカ怒っちゃうじゃん!」とか言いながら、特に邪魔するでも無く、巨大戦艦の建造に勤しんだ。ゲーム終了時に巨大戦艦を派閥が保持しているとVPになるためだ。従って、ゲームが進むと、「レイテに大和突入とか何いっちゃてるの?日本の守護神だよ!」などと理由をつけて出し渋るケースが起こるだろう。そうこうしている内に、中国北部、中部、沿岸部が陥落すると、何も外交しなかったため、米英が対日宣戦布告、マッカーサー率いる南西太平洋方面軍がマリアナに上陸する。この時ばかりは陸海軍そろって全軍を挙げて、米太平洋艦隊を迎撃し、撃退に成功する。すると、アメリカは戦意を喪失して講和と相成った(D6で6のみ)。結果、ケン先生率いる「海軍左派」が13VP、O先輩の「艦隊派」が12VPで、ぎりぎりケン先生が逃げ切った。
posted by ケン at 12:37| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月02日

激闘!スモレンスク電撃戦を単体プレイ

ゲームジャーナル53号付録。激闘バルバロッサ・シリーズの中央部になる。
1941年6月から9月にかけての独ソ戦最初期、ブレスト要塞攻略からミンスク包囲戦、スモレンスク攻防戦等までをシミュレートしている。
この間、三連結、二連結とプレイしてきたが、この日はK先輩と二人で中央部だけをプレイ。K先輩がソ連軍、ケン先生がドイツ軍を担当。

第一ターンにおける突出部の包囲には失敗したものの、第二ターンで包囲が完成し、二つの装甲集団はミンスクの包囲に向かう。K先輩は、前回第13軍を前方に配置して包囲殲滅されてしまったので、今回は引いて配置したものの、結局まとめて包囲、殲滅されてしまう。やはり交通の要所には足止め用の部隊を配置しないと、すぐに後方に回り込まれてしまう。

とはいえ、ドイツ軍側のチットも、第三装甲集団が第二が出る前に2枚とも出てしまったり、あるいはその逆だったりと必ずしも望ましい展開ではなかったのだが、進撃速度は史実以上のものになってしまった。
戦闘結果表も、まずドイツ軍側に損害が出ない形なので、ドイツ軍指揮官がストレスを覚えないという点でも、難を覚えた次第。

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第二ターンでミンスク・ポケットが完成すると同時にミンスクが陥落すると、ソ連軍は重要都市の拠点防御で応じるが、結局「第2ターンでミンスク攻略、第3ターンでドニエプル川渡河、第4ターンでスモンレンスク攻略」と前回と同様の史実よりも早い展開に終わった。

通常なら、この場合、後方で大軍を包囲していた歩兵軍と、早すぎる前進の装甲集団との間に空隙ができるので、例えば南方から赤軍が反撃し、装甲集団の進撃を止めることになるはずだが、本作の場合は毎ターンのチットが一枚で、ソ連軍がどこまで出てくるか容易に計算できるため、独軍指揮官は安心して前に進むことができる。

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逆に赤軍司令官としては、反撃の効果が認められないだけに、「どこでどう守るか」くらいの選択肢しかなく、かなり機械的な作業になってしまう傾向が認められる。連結すると、東部戦線全域に広がると同時に選択肢が増えるような気もするのだが、よく分からない。

単体としては、どうも微妙な感じで、同じテーマなら「激闘!グデーリアン装甲軍」(GJ35号)の方が良さそうだ。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日

銀行の貸し過ぎで生活崩壊

【銀行カードローン借入額、「過半数が年収の3分の1超」−日弁連調査】
 日本弁護士連合会によると、同連合会に相談した銀行カードローンの債務者のうち、年収の3分の1を超える額を借り入れている人が全体の52%にのぼることがわかった。消費者金融など貸金業者には年収の3分の1までしか貸せない総量規制があるが、銀行は対象外。日弁連はこれが「貸し過ぎ」の要因になっていると指摘している。
 同連合会が8月に実施した「全国一斉銀行カードローン問題ホットライン」の電話相談351件の結果をまとめた。年収の3分の1を超えて借り入れている人のうち、年収の8割以上の金額を借りた人は11%、収入がない人も4%いた。
 債務者の内訳は60歳代が32%と最も多く、50歳代が20%で続いた。借入時に収入証明書を提出しなかったとの回答は53%で、半分以上を占めた。
 全国銀行協会は3月の申し合わせで、融資審査の厳格化や広告の抑制など、銀行の過剰融資抑制に向けて動き出した。来年1月には各行が即日融資を停止する方針だ。
(11月28日、日本経済新聞)

賃金が増えていないのに消費が堅調だったり、あるいは家計貯蓄がマイナスになったりするのは、こういうことだった模様。
背景には、2006年の貸金業法の改正や広告規制などによってサラ金業者の倒産や大手銀行の傘下入りが相次ぎ、同時に超低金利で採算を悪化させた市銀が消費者金融(銀行カードローン)に参入、貸金業法の対象外(年収の3分の1などの総量規制)となっているルールを悪用して、個人に貸しまくった結果だった。カードローンによる自己破産は増加の一途を辿っている。
利用者にとっては、大手銀行のカードでできるという安心感や、街金よりも低利であること、そして総量規制が無いことが「便利」であるため、どうしても使いすぎてしまう傾向がある。

興味深いのは債務者の最大が60歳代であるということ。これは、1980〜90年代に最も良い暮らしをしてしまい、生活水準が下げられないまま、収入が減って借金生活に入っていることを想像させる。

他方、若年層は意外と謙虚な生活を保っているともいう。例えば、ニッセイ基礎研究所の2014年の調査によれば、30歳以下の単身正社員の貯蓄割合の増加率は24%近くあり、平均貯蓄額は190万円で、25年前より52万円増えたという。
とはいえ、若年の非正規雇用労働者や既婚者はむしろ貧困化が進んでおり、消費者金融にとって「良いカモ」なのは間違いない。

米国の金融情報サイト、バンクレート・ドットコムが2015年に行った調査によると、クレジットカードの負債額が緊急の際に使える貯蓄と同水準あるいは上回っているとの回答が37%に達したという。つまり、米国人の8人に3人が破産の一歩手前にあることを示している。
アメリカに比べれば、日本はかなりマシな状況ではあるが、こうした点でも米国モデルに向かって突き進んでいるのは確かだろう。
そして、銀行が本来預金者であるべき市民から個別に収奪しないと採算がとれなくなっているという状況自体、資本主義の断末魔であると言えるだろう。
posted by ケン at 12:31| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする