2017年12月22日

立憲民主党の保守とは何か

【立憲民主・枝野幸男代表「安倍晋三首相は保守主義ではなくパターナリズム。自分は保守でありリベラル」】
 立憲民主党の枝野幸男代表は15日、共同通信社で講演し、安倍晋三首相の政治思想について「パターナリズムだとは思うが、保守だとは思っていない」と断じた。パターナリズムは、日本語で「家父長主義」と訳される場合が多い。パターナリズムだとする根拠として、安倍首相が経済政策「アベノミクス」を語る際に「この道しかない」というフレーズを用いたことを挙げ、「いろいろな道があって試行錯誤していくのが保守主義だ。この道しかないという考え方は保守とは対極にある」と述べた。自らについては「保守だ。少なくとも革新ではないが、リベラルだ」と改めて強調した。
(12月15日、産経新聞)

枝野代表は左派からの批判を浴びながらも、決して「保守」の旗を下ろそうとはしない。それは、「左派・リベラル票だけでは多数派は取れない」という実利上の理由もあろうが、原理原則面においてもいまやリベラリズムこそが保守になってしまっている実態を表しているのだろう。

左翼の立脚点が過去の否定と新しい価値観への信仰にあるのに対し、右翼の立脚点は過去への憧憬と新しい価値観への懐疑にある。
今少し説明すると、左翼とは、現状の政治的問題の原因を過去との関係に求め、過去との断絶を図ることによって現状の問題を整理・一掃した上で、過去に無い新しい価値観による政治・社会体制を築き上げることによって、人類の幸福を実現できると考える勢力である。
これに対して右翼とは、問題の原因を過去からの変化に求め、変革・進歩を否定しつつ、かつてあった理念・体制の修正、復活、再構築によって、現状の問題を解決すると同時に、人類の幸福を実現すると考える勢力である。

具体例を挙げるならば、フランス革命が進行してジャコバン派による独裁が成立した後も、「革命は十分だ」と判断して恐怖政治からの脱却を主張したダントン派は「右派」とされ、「革命は不十分である」として恐怖政治のさらなる推進と平等分配の強化を主張したエベール派は「左派」とされた。

ソ連のペレストロイカ末期には、「改革は不十分、さらなる民主化を」と主張したエリツィン派が左派となり、「行き過ぎた改革が経済を疲弊、混乱を招いた」と改革に歯止めをかけたリガチョフ派が「右派」あるいは「保守派」とされた。

現代日本に話を戻すと、「戦後リベラリズムの復興・再構築によって現状の諸課題は解決できる」という枝野氏らの立憲民主党が保守と自己規定するのに対し、安倍総裁率いる自民党は明言こそ避けているものの、日本をめぐる様々な情勢変化の中で、戦後リベラリズムでは諸課題を解決できなくなりつつあるとの認識に立った上で、権威主義体制への移行は不可避という、一種の反動改革路線を主張している。

2012年12月の総選挙以降の民意が示すところは、安倍氏の反動改革路線が相対的に支持を得ているということだが、日本の現状は戦後リベラリズムがもたらした結果であったわけで、「リベラリズムの再構築で問題は解決できる」という枝野氏の保守路線はリベラルの恩恵を受けた50〜60代以上の層からしか厚い支持を受けないのは当然の帰結なのかもしれない。
posted by ケン at 12:32| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする