2018年01月31日

フランスで徴兵制復活

【<仏大統領>徴兵制復活へ 1カ月間、危機意識高める狙いか】
 フランスのマクロン大統領は19日、仏南部トゥーロンで軍兵士らを前に演説を行い、「国民が兵役に従事する仕組みを作りたい」と述べ、大統領選の公約に掲げた、若者に1カ月間の兵役を義務付ける徴兵制度を復活させる考えを示した。
 演説では詳細まで踏み込まなかったが、マクロン氏は昨年春の大統領選で、「軍と国民のつながりを強めるため、短い期間であっても軍での生活を体験してもらいたい」と述べ、兵役の義務化を公約に盛り込んでいた。対象は18〜21歳の男女で、良心的兵役拒否も認めるとしていた。期間は1カ月間と短いため、訓練よりも、相次ぐテロなどを背景に若者らの危機意識を高める側面が強い。だが、効果を疑問視する声もある上に、自由を重んじる若者らの反発も呼びそうだ。
 大統領選の決選投票をマクロン氏と競った極右政党・国民戦線のルペン党首も少なくとも3カ月の兵役義務化を公約に掲げていた。フランスでは、1996年に当時のシラク大統領が志願兵制に切り替えて、徴兵制(10カ月)の段階的廃止を表明。2001年に職業軍人化が完了した。徴兵制を巡ってはスウェーデンが昨年、ロシアに対する脅威を念頭に7年ぶりの復活を決めた。
(1月20日、毎日新聞)

また旧式左翼が大騒ぎしそうなネタ。連中は、英国労働党のブレア政権とドイツ社会民主党のシュレーダー政権がアフガニスタン派兵を、フランス社会党のオランド大統領がマリに軍事介入をなしたことの意味について、きちんと考えるべきだ。まぁ何も考えていないから大騒ぎするのだろうが。

フランスでは、1996年に徴兵が停止され、志願兵制に移行することが決まったが、その「改正国民役務法案」を提出したのは保守のシラク政権であり、法案に反対したのはフランス社会党と共産党だった。これは右派が軍事の効率化を進めるために軍事のプロ化が不可欠であると考えたのに対して、左派は軍の効率化よりもデモクラシーと国家共同体の根幹としての徴兵制を重視したためだった。つまり、重要な争点は「デモクラシーの要である義務兵役を、軍事的理由で停止することの是非」だったのであって、日本で議論されるような「徴兵制は奴隷的苦役」などという話はまず欧州では聞かれない。
ただし、徴兵を停止する代わりに、18歳から25歳までの間に1週間の国防教育を受ける義務(防衛準備召集)が課されており、国防の義務が免除あるいは否定されたわけではなかった。

近代徴兵制の礎はフランス革命に見いだされる。王政を廃して樹立されたフランス共和政は、国家の主権者を王から市民に転じたため、国防の義務もまた王から市民へと転じた。封建体制下では王や貴族の盾として強制動員されたものが、共和制下では主権、政治的権利の代償として国防の義務が課されることになったため、徴兵に応じることは「主権者としての義務を果たす」という意味で名誉なこととなった。
同時に、国民皆兵論に基づく徴兵制は階級や資産などの別なく徴兵の対象となることを前提としており、それは社会の公正性と平等性を体現するものでもあった。
デモクラシーとは、「市民全員が等しい政治的権利を有する共同体」という共同幻想の上に成り立っており、それ故に市民全員に防衛の義務が課されるのが自然であり、「政治的権利は有するが、防衛の義務は課されない」という日本のあり方の方が歪なのだ。
そして、フランスには、国民軍と徴兵制をデモクラシーの根幹とみなし、国民統合の有力な手段であると考える伝統があり、そこに主権在民の権力的正統性が認められている。恐らく日本人の大半には理解できない考え方だろう。

逆に徴兵制に反対する考え方はリベラリズムに求められる。リベラリズムは、王権による統制に対して個人の権利の確立を求める思想で、個々人の財産と権利を守ることを政府の役割とした。すべての個人は自己決定権があり、自己の意志を実現する権利を有していると考えることから、社会全体でこれを実現するためには国家などによる統制や介入も必要だとするのが本来のリベラリズムである。
その意味で、個人の身体と精神を拘束し、財産権を制限する徴兵制は、常にリベラリズムに背反する存在であり、デモクラシーよりもリベラリズムが強いアメリカでは徴兵制に対する忌避感が強い。その結果、米国では貧困家庭の子弟や市民権が欲しい移民ばかりが軍に志願し、むしろ軍の存在が階級差を象徴してしまっている。

日本国憲法は、その第9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めているため、軍隊を保有できず、自衛隊を「自国を防衛するための必要最小限度の実力組織」と規定する他なかった。その結果、自衛隊は防衛省の機構の一部という扱いで、憲法に規定されず、議会(国権の最高機関にして主権代行機関)の統制を全く受けない組織になっている。近代の民主的軍隊であるならば、「誰による誰のための軍隊」か規定されるはずだったが、「実力組織」なる官僚機構であるがために「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」(自衛隊法)という曖昧な記述に終わっている。

例えばスイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。これに対して、ロシア連邦国防法は「ロシア連邦軍は、ロシア連邦に対して向けられた侵略の撃退、ロシア連邦領土の保全と不可侵性の武装防護、並びにロシア連邦の国際条約に従った任務の遂行を使命とする」としており、日本の自衛隊と同様、国民保護の義務を負っていない。

欧州で徴兵制の復活が進んでいる理由として、日本の報道機関は「ロシアの脅威」を第一に上げているが、これは欧米通信社の主張を垂れ流しているだけで、全く本質から外れている。その真の理由は、「欧州の統合力、集団防衛力が弱くなったから」であり、EU統合によって民族国家としての国民統合が弱まると同時に、ドイツに対する依存度が高まって自国の国家主権も弱まっていることが大きい。

結局のところ、自力で王侯貴族と闘い、打倒し、さらに軍事介入した外国軍と戦いながらデモクラシーを確立した経験を持たないものが、近代国民軍やデモクラシーの意味を理解するのは難しいのかもしれない。
posted by ケン at 12:35| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする